*愛してる・前編*

 目の前の女を見て隻眼の男は笑った。また昔と同じように一緒に居られると。また、彼女を抱えて生きていけると。
──愛してる。
 何度も何度も彼女に聞かせた言葉を囁くと、女は鮮やかに笑って言葉を紡いだ。
──嘘つき。
 その言葉に女を連れてきた男は僅かに瞳を細め、月の浮かぶ空を仰いだ。

 

 電話が鳴り響く監察室。山崎は書類を書く手を止めると電話に応答した。万事屋の銀時からの電話は、カグヤに直接稽古の予約を取るようになった最近では珍しい。
「……はい?」
 山崎の間抜けな返答に、思わず同じ室内にいた彼の相棒は首を傾げて手を止める。
「意味がわかりませんよ。とりあえずそっち行きますから!」
 そう言うと、乱暴に電話を切った山崎を見て、相棒は目を丸くする。明らかに電話の内容に腹を立てている様子だったのだ。けれど細かいことを聞くわけにも行かず、彼女は少し困ったような顔をしたあと、口を開いた。
「いってらっしゃい、山崎さん」
「あ、いや。仕事終わらせてからね」
 漸く相棒の存在が彼の脳内に戻ったのだろう。バツが悪そうにそう言うと、彼女は淡く微笑んだ。
「大丈夫ですよ。後はやっておきますから。そんなに量もないですし」
「……いいかな?」
「どうぞ」
 彼女の好意に甘えていいものか悩んだ山崎であったが、温和に微笑む相棒の顔を見て、申し訳ないと思いながらも仕事をお願いすることにした。報告書を取りまとめるだけの事であるが、己の仕事には違いない。後で埋め合わせをするから、と言うと、山崎は慌てて部屋を出て行った。

 小走りに向かうのは万事屋。日も暮れ、吐く息も白く、冷たい風が頬をかすめるが構わず山崎はその目的地へまっすぐに向かう。漸く見えてきた建物の階段を上り、山崎は万事屋のドアをガンガン叩く。
「旦那!万事屋の旦那!」
「……あれ?山崎さん?」
 対応したのは新八で、山崎は少し拍子抜けをした様な顔をしたが、すぐさま、おじゃまします!と新八を押しのけて中へ入っていった。真選組の中では比較的良識派だと思っていた山崎の行動に、新八はあっけにとられるが、慌ててその後について部屋の中へ戻る。
「……ちょっと、マジで来ちゃったのジミー」
「行くって言いましたよね」
 テーブルに足を乗せてジャンプを読んでいた銀時が面倒くさそうに対応すると、山崎は不機嫌そうにそう言葉を零して銀時を睨みつける。そのただならぬ様子に新八は思わず、お茶を入れますね、と言い訳を作り台所へ逃げ出した。
「電話だろーが、直接だろーが俺の言う事は一緒。【卒業オメデトウ君菊ちゃん!これからは一人で座敷に上がってね!】」
「何寝ぼけた事言ってるんですか旦那。一人で座敷に上がるのはともかくとしてですよ、何で俺が先生の三味線教室卒業なんですか。まだ足りない物いっぱいあるんですよ」
「いやいや。だって、先生が卒業って言ったんだから卒業でしょうが。世の中、色々なものを卒業できなくて涙目の人も多いんだよ。ここは素直に卒業しちゃいなよ」
「そうですね。旦那がジャンプ卒業したら考えます」
 茶化すように言う銀時にピシャリと言い放つと、山崎は銀時の読んでいるジャンプを取り上げてぐいっと、銀時の胸ぐらを掴む。
「……理由は何ですか」
「何度も言ってんだろ。先生が卒業だって言ってるんだってば。マジで勘弁してよ。なんつーかさ、俺も大事な収入源この年末にぶった切られて泣きそうなんだから。悪いんだけど、カグヤちゃんの分まで座敷上がる気ない?君菊ちゃん。意外と問い合わせ多いんだわ。つまんねー公務員なんか辞めちゃってさ、こっちで食っていけば?」
 銀時の言葉に山崎は不機嫌そうな顔をするが、漸く手を放してソファーに座る。
「俺が真選組辞めるわけないでしょ。そんな事したら先生に叱られます」
 その言葉に銀時は、暫く黙ったが、手元に戻ったジャンプに視線を落としながら、口を開いた。
「カグヤちゃんに電話した?」
「しましたよ。あの後直ぐに。出ませんできたけど」
 屯所を出て直ぐにカグヤに電話をしたが、留守電に繋がった。仕方なくメールも送ってみたがナシのつぶて。家にも寄ろうと思ったが、万事屋との方向が逆だった為に諦めたのだ。
 三味線の先生であるカグヤに山崎が懐いているのは知っていたが、予想以上の反応に銀時は呆れたような顔をする。山崎でこれならば、土方などどうなるか想像するだけでため息が出る。面倒な仕事を残して行った幼馴染に恨み言の一つでも言いたい気分になった銀時は、瞳を細めて言葉を零した。
「……病気で江戸を離れることになりました。君菊ちゃんに関しては今後も宜しくお願いしますって、芸妓の組合には説明してるみてぇだな。それ以上は俺も知らないんだわ」
 銀時ののらりくらりとした返答に、山崎は舌打ちをすると、携帯電話を取り出して番号を押す。
「あ、いつもお世話になっております。君菊と申しますが……」
 声色は女そのもので、改めてそれを聞と監察ぱねぇな、と銀時は思う。恐らく芸妓の組合か協会に電話をしたのであろう。会話の端々から推測するに、自分の言葉に嘘がないか確認するために電話をしたのだろうと思った銀時は、思わず感心した。裏を取るのが仕事だという監察の鏡のような行動である。
「えぇ。本当に私の方も急な事で驚いておりまして……。今後も万事屋さん経由になりますけれど、宜しくお願いします」
 そう締めくくり、電話を切った山崎を見上げて銀時は、納得した?と首を傾げて聞く。すると山崎は少しだけ考え込んだ後、口を開いた。
「先生から最後に連絡あったのはいつですか?」
「一昨日だったかな」
「それ以降は」
「ない」
 それぐらいは答えてもいいだろうと思った銀時が素直に答えると、山崎は眉間に皺を寄せた。一昨日は確か土方がカグヤと映画を見に行った筈だ。その後、土方が夕方ぐらいに屯所に帰ってきたので、珍しいと思ったが、カグヤが寝てる間に留守にしていたので勝手に帰ってきたと言っていた。それを思い出した山崎は、舌打ちをする。
「最後にもう一つだけ」
「はいはい」
「旦那は行き先を知ってますか?」
「……行き先は知ってる。けど、今どこに居るかは知らねぇ」
 銀時の言葉に山崎は絶望したような顔をした。

 

 屯所に戻る前にカグヤの家に向かった山崎は、家の正面玄関にかけられていた【三味線屋・迦具夜姫】の看板がないことに気がつく。そしてそれと入れ違いに掲げられた【売家】の文字。裏口に回り勝手口に手をかけるが、当然開くはずもなく、山崎は携帯電話を取り出すと土方の番号を押した。
「副長ですか?今直ぐ先生の家の鍵持って来てください」
『あぁ?仕事中に何言ってんだ』
 土方の反応にイライラとした口調で、急いでください!と言うと乱暴に携帯電話を切り、再度正面玄関に回ると【売家】と書かれた看板の下に書いてある番号を押した。何度か目のコールで出た不動産屋に丁寧な口調で売家の問い合わせをする。
 電話を切った山崎は、クソッと思わず言葉を漏らし空を仰いだ。
 全て手遅れなのかも知れない。絶望にも似た感情に支配され、山崎は携帯電話を思わず握りしめた。
「どーした」
 ノコノコ歩いてきた土方を見て、山崎は【売家】の看板に視線を送る。
「三味線屋引っ越したのか?」
「……そうですね。多分、俺達の手の届かないところに行ったんじゃないですか」
「意味がわからねぇよ。つーか、三味線屋の家じゃねぇんだったら、鍵使えねぇんじゃねぇの?」
 事態を飲み込めない土方がそう言うが、山崎は、多分大丈夫です、と短く言って、土方と勝手口へ向かった。
 以前将軍を連れ回したときに土方がカグヤから預かった鍵は、そのまま彼の手元に残っていた。返すのを忘れていたのもあるが、彼女が別に持っていても構わないと言ったからである。ただ、使う機会は今まで殆ど無かった。
 果たして【売家】であるこの場所に勝手に入っていいものなのか、土方はそんな事を考えながら家に足を踏み入れたが、視線を巡らせて口を開く。
「……引越ししてねぇじゃねぇか」
 家財道具も置きっぱなしで、先日自分がこの家を出たときのままである。驚いた土方は、座敷に向かい、卓に視線を落とした。灰皿と己の吸殻。
「ちょっとまて。アイツ、戻ってねぇのか?一昨日から。何で家が売りに出されてんだ」
「……病気で江戸を離れるって芸妓仲間には言ってるみたいです。万事屋の旦那には三味線教室は卒業だって言われました」
 山崎の言葉に土方は瞳を大きく見開いて、言葉を詰まらせた。まだ頭の切り替えが出来ていないのだろうと言うのを察することが出来た山崎は、暫く黙ったまま土方を眺めて、忌々しそうに言葉を零した。
「多分副長が一昨日目を覚ました時にはどこにもいなかったんでしょう」
 土方が言葉を発しようとした時に、後ろから声がかかり、山崎と土方は驚いて振り向く。
「ここ売家なんだけど」
「えぇ、知ってます。だから不動産屋に問い合わせしたんですよ。新しい持ち主さん」
 山崎の言葉に土方は驚いたような顔をして、入ってきた男の顔を凝視した。カグヤ小飼の忍者・服部全蔵である。
「不動産屋から電話来たから、もしかしたらって思って顔出したんだけど。仕事早いね君菊ちゃん」
「旦那程じゃないですよ。いつから準備してたんですか?」
「さぁてね」
 咽喉で笑った全蔵を山崎は暫く睨みつけていたが、表情を緩めて笑った。
「それじゃぁ、商売の話しましょうか旦那」
「いいけど、その前に俺のお使い終わらせていい?」
 全蔵の予想では土方が怒鳴りこんでくるのかと思っていたが、この様子を見ると、どうやら土方はまだ状況を把握しかねているように見えた。それが気の毒だとも呑気だとも思った全蔵は、懐から二通の手紙を取り出した。
 それを奪うように手にとったのは土方で、一通の宛名が山崎宛だったのでそちらを彼に手渡すと、自分宛の手紙に目を通して眉間に皺を寄せた。
「それに書いてある通り、座敷に使う着物やら小物やら三味線は君菊ちゃんに。ってことで、どーする?屯所に運ぶ?」
「なんだこれ……」
 全蔵の声が聞こえないのか、土方が絞り出すように言葉を放った。
「ふざけんな!こんな手紙で、俺との約束果たしたつもりかアイツは!」
 たった一言、元気で、それだけの手紙。勝手にいなくなるなという約束は確かに守られたのかも知れない。けれどそれで土方が納得するはずもなく、全蔵に視線を送る。
「三味線屋はどこに行った」
「俺の雇い主はアンタじゃなくて姫さんな」
 話すつもりはないのだろう。忌々しそうに土方は舌打ちをすると、煙草に火を付けた。それを見て全蔵は僅かに眉を顰める。
「売りに出す家だからヤニつけねぇで欲しんだけど」
「その話ですけどね、旦那。先生からこの家は旦那が買いあげたって事でいいんですか?」
 呆れたような全蔵の言葉に、山崎が問うと、彼はそうそう、と返答をする。
「全部売っぱらってくれって言われてるんだけど、この年末に、夜逃げする人間はいても、家買う人間はなかなか居ねぇしな。一旦俺が買いあげて、姫さんからの家に関しての依頼は完了した事にしてる」
「まだ買手は付いてないんですね」
「君菊ちゃんが問い合わせ一番だった」
 全蔵の言葉に山崎は少しだけ視線を彷徨わせた後に、きっぱりとした口調で言葉を放った。
「だったら、次の買い手がつくまで俺が店子として借りるのは無理ですか?」
 山崎の言葉に、全蔵は少しだけ驚いたような顔をすると、口元を歪めて笑った。その反応に山崎は笑顔を向けて言葉を続ける。
「君菊としての拠点はどうしても必要なんですよ旦那。屯所に君菊の格好で出入りするわけにも行きませんしね。遊ばせておくよりは有意義だとは思いませんか?家賃はちゃんと払います」
 商売の話に戻ったと言うことか、そう思い全蔵はちらりと土方に視線を送った。山崎の発言に対して何も言わない所を見ると、土方は反対をしていないらしい。
「大家ねぇ……。まぁ、こっちとしては家賃収入があるんだったら別に構わねぇけど。ただし、買い手がついたら出てって貰う。それが条件」
「了解しました。家財道具もそのまま借りさせてもらいますよ。まぁ、住むわけじゃないんですけど、あったら便利なんで」
 これは多分、持ち主が自分だと解った時点で考えてたな、そう思った全蔵は苦笑すると、あぁ、と短く返事をした。屯所にカグヤから君菊へ譲る荷物の移動の手間が省けた訳で、全蔵としても余り損はない話である。
「他に質問は?君菊ちゃん、副長さん」
 書類的な物は後で持っていくとして、何かないか一応聞いた全蔵に、土方は視線を向けた。
「アイツは何でここから居なくなった」
「……姫さんが、臆病で、用心深くて、我慢強いからじゃね?」
 土方の言葉にそう返すと、全蔵は咽喉で笑った。

 

 その後土方と山崎は手を尽くしてカグヤを探したが、一向に手がかりは掴めなかった。唯一の情報源である全蔵はだんまりであるし、鬼兵隊は呉の辺りで船の改修をしているという情報はあるが、幹部クラスの行方は掴めていない。
「トシ、少しゆっくりした方が良いんじゃないの?」
 年が開けて月も変わった頃に、近藤にそう言われた土方は、驚いたような顔をして彼を凝視した。
「……最近寝てないだろ?休みの日も山崎とでてるみたいだし」
 仕事に支障を出すわけには行かないと、休みを潰す事でカグヤの行方を追っていた土方は、苦笑すると口を開いた。
「大丈夫だ」
 そう言い残して、局長室を出た。山崎は仕事の傍ら座敷に上がり鬼兵隊の行方を追っている。寧ろ、そろそろ限界が近いのは山崎の方だと考えた土方は、舌打ちをして屯所を出た。
 足を向けたのは現在君菊が借り受けている家。既に夕刻を過ぎて人の通りもまばらな河川沿いを歩きながら、土方はぼんやりと空を眺める。カグヤに出会った頃からついた空を眺める癖。月齢を確認して、土方は目的の場所に足を踏み入れた。

 君菊へ譲るもの以外は一切合切売り払うと言っていた全蔵であるが、結局何一つ手をつける様子はなかった。全て彼女が出て行った日のままで、土方は瞳を細めると、座敷に向かい窓を開ける。
「……」
 煙草に火を付けて、通りに視線を送った土方は、不機嫌そうに眉を寄せる。何も持たずに出て行ったカグヤ。何か手がかりはないかと、山崎と彼女の家を総ざらいしたが、元々私物が極端に少なかった彼女の家には仕事用の荷物以外は殆ど無く、高杉に繋がるものは何一つ発見できなかった。
 ただ、白いウサギのぬいぐるみと、その側に置かれた髪留めを見た瞬間、土方は思わず山崎が居るのにも関わらず泣きたいと思ったのだけは今でも鮮明に覚えていた。いつも一歩遅い、そう彼女に笑われていたのに、また手遅れだった。山崎が気が付かなければこの家すらも残らなかったであろう。ギリギリで繋ぎ止めたに過ぎない。しかも、己ではなく山崎がだ。
 昇る紫煙を眺めながら、土方はぼんやりと壁にもたれかかり座り込んだ。
「畜生……」
 思わずそう零して土方はフィルターを噛む。元気で、等とよくも書けたものだ。山崎にはあれこれと書いていたのに、自分にはたった一言。
 全蔵はカグヤが臆病で、用心深くて、我慢強いと言っていたが、そんな事は言われなくても知っていた。カグヤは己の大事なモノを高杉に取り上げられないようにいつも手放すのだ。それは矛盾しているように見えるが、カグヤを溺愛する高杉が取り上げて、壊してしまうのが怖いのだと土方はぼんやりと思っていた。いつだったか、高杉に手ひどくやられた自分や山崎と距離をとろうとした。そしてその時自分も同じことをしようとしていた。けれど、結局その時は山崎が食らいついて、また元に戻ったが、変な所が自分と似てると土方はその時思ったのだ。
「顔色悪いな。寝てんの?」
 声をかけられ、土方は顔も上げずに、煩ェと零すと煙草をもみ消す。
「そろそろ諦めたら?」
「煩ェよ!」
 怒鳴りつけた土方を見て、声の主である全蔵は呆れたような顔をする。思った以上に土方も山崎も執念深いと思ったのだ。年が明ければ諦めると思ったが、一向にその様子はない。けれどそれは全蔵にとっては不快ではなかったし、期待もあった。カグヤが戻るべき所はあの檻ではない。
「倒れたら元も子もないぜ」
「手前ェがさっさと三味線屋の場所吐けばいい」
 睨みつける土方を見下ろして、全蔵は咽喉で笑った。
「ルール違反は出来ねぇんだ。俺、来世でも姫さんに契約してもらう約束してっから。違反したら解雇されちまう」
 全蔵の軽い口調に土方は呆れたような顔をすると、新しい煙草に火をつける。恐ろしいほど忠実で、一向にこちらの言う事など聞く気はない忍者。どうしてこんな男を雇ったのだろうと、カグヤに文句を言いたくなったが、カグヤなら、そうでなければ忍者の値打ちがない、とでも笑って返すだろうと予想ができて思わず土方は顔を顰めた。
「……三味線屋は元気か?」
「月ばっかり眺めてる。酒も飲まないし、三味線も弾かない」
「何が楽しくて檻にいるんだよアイツ」
 思わずそう呟いたが、土方は瞳を細めて窓から空を眺めた。楽しくて檻に戻ったわけではないと知っている。守るために戻ったことも。お伽話史上最悪の悪女がハッピーエンドを掴むために月に帰ったと彼女は嘗て酒の席で言っていたが、そのハッピーエンドは誰のハッピーエンドだったのだろうか。そんな事を考えながら、土方は煙草の煙を細く吐き出し口を開いた。
「探し方が悪いんじゃね?」
 全蔵の言葉に土方は弾かれたように顔を上げた。それに大きな反応を全蔵は見せなかったし、その後口も開かなかったが、土方は全蔵の言葉を反芻した。
「……探し方か……」
 江戸だけではなく、地方まで鬼兵隊の探索の手は伸ばした。その結果船だけは一応改修しているという情報を掴んだが、幹部クラスの人間の行方は解らなかった。ただ、土方はそんなに遠くに行っているとは考えてはなかった。その証拠に、全蔵に張り付かせた監察の報告では、相変わらずピザ屋のバイトをしているようであるし、巻かれる事はあっても半日も経たないうちに全蔵は日常に戻る。巻かれている間に別の仕事をしているのか、カグヤに会いに行っているのか迄は分からないが、全蔵は聞けばカグヤの様子は教えてくれる。
 下っ端の鬼兵隊の面子を捕まえ続けても高杉には繋がらない。それはここ数カ月で嫌というほど解った事であるが、まだ見落としがあるのかと土方は思わず頭を抱えた。
「なぁ副長さん。忘れちまったらどうだ?」
「……ふざけんな」
 ギロリと睨んだ土方に視線を落として全蔵は口端を歪める。
「いずれアンタも忘れるって姫さんは言ってたぜ」
 所詮長い人生の中のほんの僅かな思い出だと。その言葉を聞いた土方は全蔵に視線を送ると、不快そうに眉を顰めた。

 屯所に戻った土方は、地図を広げるとそれに視線を落とした。カグヤがいなくなってから踏み込んだ鬼兵隊及び、攘夷浪士のアジトに印をつけられているその地図は、あちこちに赤い点が広がっていた。これといって法則性もない。集中しているというほど集中もしていない。
 煙草に火を付けた土方は、僅かに眉を寄せて全蔵の事を思い出す。
「探してねぇ所なんて……」
 そう言いかけて、土方は思わず脳裏に閃いた可能性に言葉を無くす。
 鬼兵隊は攘夷浪士で、真選組の取締対象である。攘夷浪士の捕縛に関しては真選組は大きな力を持っているが、それ以外に関しては見廻組と住み分けをしている状態で、権限だけ言えば見廻組のほうが多い。
 そして、真選組が手を出せない場所も確かに存在する。
 一つは江戸城。
 もう一つは……天人の土地である。
 大使館は明確な治外法権が敷かれており、攘夷浪士のテロ活動の標的になった場合以外は、真選組はおろか見廻組でさえ手を出すことは出来ない。そして、それとは別に、条件さえ満たせば天人は大使館以外の土地も持つことが出来る。実際に江戸の僻地に別荘を持つ天人も存在する。ただ、条件面が厳しく数はそう多く無い。しかしながら、その土地に関しては明確に法律で書かれている訳ではないが、実質上の治外法権状態である。地場の人間が天人とのトラブルを避けてそうなった節もあるし、幕府自体が天人へ強く出られないと言うのもある。
 本来、攘夷戦争は天人を追い出す為に始まったモノであるが、今の攘夷活動は既にその形を失いつつある。無論天人へのテロ・暗殺等はいまだにあるが、攘夷活動というものは、今の幕府への不満を知らしめる為のモノへ変質していったのだ。
 テロ対象である筈の天人と手を結ぶ事も可能性としてはゼロではないのだ。
 そもそも鬼兵隊は宇宙海賊春雨と武器の売買をしているという情報があったではないか。それを思い出した土方は、書類棚をひっくり返して別の地図を広げる。
 幕府の狗であるが故に、簡単に真選組が手出し出来ない場所。
「見つけたぜ……高杉」
 真選組として乗り込むには条件が厳しすぎるのは重々承知している。高杉も当然それを狙っての事であろう。その上、鬼兵隊の狙い撃ち等、任務にかこつけた完璧な私怨だ。けれど土方はそうするしか無かったのだ。仕事を放り出して、なりふり構わず彼女を探すという選択はどうしても選べなかった。そんな事をすれば、己の誇りも、志も捨てる事になる。そんな男に助けられて喜ぶ女ではない。寧ろ、助けに行くという発想がおこがましいと怒るかも知れない。
「……一人だけ楽になれると思うなよ、三味線屋」
 自分の思いは歪だと思い土方は思わず咽喉で笑った。それは月日が齎した愛着なのかも知れない。愛してるかどうかも分からない。自己満足に過ぎないのかもしれない。
「認めてやらぁ、手前ェは確かに俺のヒーローだ。けどな、戦うヒロインだって存在するんだぜ」
 誰に聞かせる訳でもなく土方はそう呟いて、煙草をもみ消した。


後編へ続く
20110215 ハスマキ

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