*蜃気楼壱*

○月10日
 主が自転車というものに乗って市まで出かけていた。
 馬の様なものかと思っていたが、アレは自力で動かさなければならないらしい。
 ならば客人が乗ってくる自動で動く輿にしたらどうかと進言してみたが、好きでないと却下された。
 本日は6回本能寺の炎上を見届ける。
 主の望む藤四郎はまだ迎えられない。

○月12日
 主の自転車に藤四郎達が興味を示していたようで、主が子供用だと小さな自転車と、主の乗るものと同じ大きさの自転車を二台ずつ持ってきた。
 藤四郎達は交代で練習している様だ。
 本日は5回本能寺の炎上を見届ける。
 平野藤四郎は一体どこで眠っているのだろうか。

○月13日
 短刀達は少しずつ自転車に乗れるようになっているようだ。
 逆に他の面子は極端に興味を持つものと、持たないもので分かれている。
 歌仙などは全く興味を持っていないようだ。
 山伏国広は一台を何処かに担いで持って行き、乗って帰ってきた。乗れるようになったら興味はないのか、それ以降乗っているのは見かけない。
 本日は2回本能寺の炎上を見届ける。
 結局目当ての短刀は見当たらなかった。

○月15日
 どうしても上手く乗れないと泣く五虎退の為に、主が自転車を改造していた。
 自転車の支えが4つになった。
 馬も四本足。安定するのは道理だ。
 籠に虎の子を乗せて、五虎退は他の藤四郎と市へ芋を売りに行ったようだ。
 本日は10回本能寺の炎上を見届ける。
 全く関係ない鍛刀で厚藤四郎を迎え、主は大喜びなのでそれはそれで良かった。

○月16日
 自転車が届き数日経つが、毎晩練習しているへし切長谷部が全く乗れるようになる気配がない。
 山伏国広に教えを乞いに行ったようだが、アレは習うより慣れろ派なので恐らく無理だろう。
 長谷部は主のお供に行く為に乗れるようになりたい様だ。
 今は自転車での主のお供は藤四郎達が交代でやっている。
 本日は7回本能寺の炎上を見届ける。
 いい加減本能寺の炎上も飽きてきた。

○月17日
 案の定山伏からは何も学べなかったようだ。
 今度は燭台切光忠に頼んだようだ。
 迎えに来てくれるならいつまでも待つと言ってたのに、何故自転車で主を追いかけようとしているのか。
 さておき、愛染国俊が自転車で田んぼに突っ込んだとかで、田んぼの持ち主に主と謝りに行った。幸い相手も余り怒っていなかった様で主も安心していた。
 速度の出しすぎで曲がりきれなかったらしく、愛染国俊に関しては、暫く自転車禁止令が出される。かなり彼も反省して落ち込んでいる様なので、そのうち解かれるだろう。
 先程庭で、五虎退が自転車の後ろに愛染国俊を乗せて走っていた。五虎退の自転車は4本足なのに遅いのが不思議だ。
 本日は本能寺巡り休み。

○月18日
 燭台切光忠の話によると、いつ主に共を命ぜられても良いようにとへし切長谷部は準備したいようだ。
 我が主は出来ない事を無理にさせる質では無いのだが、その辺り彼は理解していないらしい。毎日共を命ぜられる藤四郎達を見て、戦々恐々と自転車の練習をしている。
 今日は主が小夜左文字を自転車の後ろに乗せて市へ出かけていった。
 主に自転車をこがせるのは言語道断だと思わないでもないが、藤四郎達をいつも遠くから眺めていた小夜左文字が、帰ってから五虎退の自転車を借りて練習をはじめていた。
 主なりに、彼が仲間に混じりやすいように気を使ったのかもしれないので何も言わないことにした。
 本日は5回本能寺の炎上を見届ける。
 いい加減平野藤四郎を見つけたい。

○月19日
 主に郵便局へのお使いを頼まれたにっかり青江が何食わぬ顔をして自転車に乗り出かけていった。
 それを見送るへし切長谷部の顔はなんとも言えないものだった。
 主に頼んで一台五虎退のもののように、四足にした方が早いのではないだろうか。
 本日は2回本能寺の炎上を見届ける。
 いい加減出てきなさい平野藤四郎。

○月20日
 どうやらへし切長谷部が自転車に乗れるようになったようだ。
 驚いたことに燭台切光忠は、寝ずに練習に付き合ったらしい。今朝台所で嬉しそうに報告してきた。
 へし切長谷部はいつ主に共を命ぜられてもいいように、自転車を磨いて待っているらしい。
 今日は書類が溜まっているので主は出かけないと言い辛い。どうしたものか。
 仕方がないので、夕方に主にへし切長谷部が自転車に乗れるようになったことを報告した所、気分転換にとへし切長谷部を共に出かけていった。
 それを見送る燭台切光忠の安堵した顔に驚く。
 もう練習に付き合わなくていいことに安堵したのか、へし切長谷部が望みを叶えたことに安堵したのか。彼は人がいいので後者かもしれない。
 本日は12回本能寺の炎上を見届ける。
 あの炎で芋でも焼こうかという気分になってきた。

○月21日
 最近自転車の話ばかり書いているような気がするが、自分は興味はない。
 あれは高度なバランス感覚と速度を恐れない胆力が必要だと思われるので、乗る者を選ぶ。
 そして戦には必要ない道楽だ。
 本日は1回本能寺の炎上を見届ける。
 前田藤四郎の髪を切って、平野藤四郎だと言い張り連れて行くという案をまじめに考慮しなければならないかもしれない。

○月22日
 思った以上に難しかった。

***

「虎徹ちゃん」
 審神者に声をかけられ、蜂須賀虎徹は顔を上げた。
「時間ありますかねぇ」
「構わないよ」
 日記を閉じて虎徹は審神者の元へゆく、すると主は彼の手を引いて自転車を置いている物置まで行った。
「ちょっと息抜きしましょうか」
「自転車でかい?」
「はい」
 審神者の言葉に虎徹は形の良い眉を僅かに寄せた。乗れないのだ。乗ろうと試みたこともあった。けれど駄目だった。へし切長谷部の様に恥も外聞もなく誰かにコツを聞くことも出来ず、興味が無い素振りで結局乗れないまま。
 すると審神者は自分の自転車にまたがり、ポンポンと後ろの座布団を括りつけた荷台を叩いた。
「どうぞ」
 小夜左文字の様に乗れということか。虎徹は少し悩んで動きを止めたが、それを眺めて、審神者は笑った。
「またがらなくてもいいですよ、虎徹ちゃん着物ですしぃ。横向いて、こう腰掛けて下さい〜」
 恐る恐るというように虎徹が腰を下ろすと、審神者は、捕まっててくださいねぇ、と脳天気な声を上げてペダルを漕ぎだした。
 きっと馬より遅い。馬より低い。けれど受ける風はどこか懐かしくて、虎徹は瞳を細めた。
「気分転換になりましたぁ?」
「主?」
「最近難しい顔して書き物してたんで」
 自分の事を見ていたのか、と虎徹は一瞬恥ずかしくなるが、それは心地よい気遣いであった。
 手を回す審神者の腰は細く、けれど自転車を漕ぐ足はしっかりしていて、虎徹は心地よい揺れに身を任せた。
「本能寺の炎上ばかりなのでね。あ少々飽きたかな」
 正直にそう言うと、審神者は、ははぁ、と気の抜けた返事をした。
「鍛刀で平野君をお迎えする方向に切り替えましょうかねぇ」
「……いや、構わないよ。ただね、本当にあの本能寺は、我々が炎上させた本能寺なのか、と考えるのだよ」
 虎徹の言葉に審神者は瞳を細めた。実際問題、審神者としてとりあえず過去へ刀剣を送り込んで歴史改変を阻止せよと命令は受けているが、自分が送り込んでいるセカイが、同じセカイなのかなど審神者には分からなかった。
 何度改変を阻止しても、また彼等は現れる。
「違うセカイかもしれませんねぇ。で、沢山のセカイを手に入れたほうが勝ちってのはどうですか?」
 多数決。我々がより多くの歴史改変を阻止するか、それとも敵がそれを上回るか。それでセカイの歴史は変わるのかもしれない。無論、以前主が言っていた様に、改変阻止を更に修正しようと敵がやっ気になっている可能性だって捨てきれない。
 何もかもが手探りのままで、何もかもが本当に役に立っているのか解らない。
 けれど審神者は、ただ、できる事を黙々と続けている。
「……貴方が戦うのなら、我々はそれに従うまでだよ」
「あははぁ!長谷部さんみたいですねぇ」
「彼ほど従順ではないよ」
 咽喉で笑った虎徹を背に感じて、審神者は笑った。
「見てください!夕日綺麗ですよ〜」
 本能寺を思い出す、燃えるような夕日。けれど胸に抱いたのは、ただモヤモヤとして疑問ではなく、主と共にこのきれいな光景を見れたという満足感であった。
「主」
「なんですかぁ?」
「自転車練習してみようと思うんだ」
「あ、そうですか?後ろに乗ってもらうのも楽しいんで構わないですよ〜」
「一緒に並んで走ってみたいんだよ」
 この審神者が辿り着く先は何なんだろうか。全ての敵を倒した後に、審神者は審神者でなくなって、幸せに暮らせるのだろうか。それとも、己達を飼う異端者として始末されてしまうのだろうか。それだけが虎徹の気がかりであった。
 けれど今は、ただ、この綺麗な光景を心に虎徹は焼き付けた。


虎徹ちゃん日記をつける
20150606

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