*悪逆之徒壱*

「君。俺と一緒に来ないか?」
「はぁ?」
 酒場で次の戦の情報を集めていた女に、声をかけた男。無精髭を生やし、どこかうだつの上がらなさそうに見えて、女は思わずマヌケな声を上げて酒を呑む手を止めた。
「……あー、近々このへんで戦があるんだが、その、人が足りなくてね」
「貴方この国の将軍かしら?」
「いや、在野だよ。日銭を稼がなくちゃならなくてね。けれど仲間もいない。この前北の戦で君の姿を見てね……その、恥ずかしながら、混ぜてもらおうかと」
 女は僅かに眉を寄せたが、直ぐに男に視線を送り、少し考え込んだ仕草を見せる。
「貴方腕は?」
「人並み……かな?」
「呆れた。じゃぁいう言葉が違うわ。一緒に連れて行って下さい、じゃなくて?」
 女の言葉に男は目を丸くしたが、直ぐに申し訳なさそうに頭を下げる。
「一緒に連れて行って下さい」
「宜しくてよ。私は雄略。姓はないわ」
 字を名乗った女……雄略に、男は顔を上げて目を丸くした。姓がない、と言ったのに驚いたのだろう。けれど雄略はそんな様子に格段反応は見せずに、酒に口をつける。
「えーっと、俺は徐元直。宜しく」
「……私は名前覚えるの苦手なの」
「え?」
 徐庶が驚いたように声をあげると、彼女は瞳を細めて笑った。
「だってうちの子入れ替わり激しいんですもの。覚えても無駄だって気がついたの」
 悪びれもなくそう言う雄略に苦笑すると、徐庶は、覚えて損はないですよ、と笑った。その反応に雄略は少しだけ驚いたような顔をしたが、哀しそうに瞳を細める。
「初めは皆そう言うわ」
 その表情の陰りに、徐庶は驚いたが、直ぐに彼女が何事もなかったかのように酒を煽ったので言葉は発せずにいた。
「……次の戦は三日後。それまでは自由にしてていいわ。余り遠くには行かないほうがいいわね」

 余り遠くに行かない方がいいとは言ったが、その後徐庶は雄略にずっとついて来ていた。食事をとるための金もないのかと思い、雄略は仕方なく徐庶に銭を渡してみたが、それでも彼は彼女の後を歩く。
「……戦の準備はしてるのかしら?」
「貴方と同じで、この身一つで十分ですよ」
「おばかさんね。皆死なない為に武器や馬の手入れをしているって言うのに」
 呆れたように雄略が言うと、徐庶は少しだけ笑った。その様に雄略は苛立たしげに彼を睨むと、街の外れの酒場に赴いた。
 そこは人が少なく、薄暗い場所で徐庶は僅かに顔を顰めたが、雄略が迷わず奥の卓についたので、徐庶はその側の卓に座る。同じ卓に座らなかったのは、雄略のついた卓に先客がいたからだ。
「お待たせしました」
「うむ」
 やうやうしく雄略が頭を下げるのを眺め、徐庶は面食らったが、彼女がチラリと視線を送ってきたので、慌てて己も頭を下げる。
「そちらは?」
「新しく入れた子ですの。心細いのか私の側を離れようとしませんのよ。可愛いでしょ?」
 フフっと笑った雄略に、相手の男はちらりと徐庶に視線を送ったが、興味を失ったのか、追い払おうとはせずにそのまま話を続けた。
 どうやら彼は今回の雄略の雇い主の遣いらしく、雄略に書簡を渡すと、口頭で二言三言彼女に言葉を投げる。それに対して彼女は笑ったまま返答し、前金を受け取ると、立ち上がりまた頭を下げた。
「では」
 そう短く言うと、彼女は踵を返して酒場を出る。慌てて徐庶もそれに従うが、彼は最後にちらりと酒場の男に視線を送る。
(捨て駒って事か)
 そもそも放浪軍を重要な箇所には置かないだろう。奇襲に使ったり、いざという時の抑え程度だろう。けれど今回は完全に捨て駒だ。書簡の文章や図からある程度の作戦は予測できたが、余りにも酷い扱いで、徐庶は顔を顰めた。
「……雄略殿」
「何かしら?」
 足を止めて振り返った雄略を眺め、徐庶は逃げ出したい気分になった。彼女は何故笑ってあの無謀な仕事を引き受けたのだろうか。捨て駒にされているのに気が付かないほど彼女が無能なのだろうか。散々迷った挙句、徐庶が口を開こうとすると、彼女が先に口を開いた。
「今ならまだ逃げれるわよ」
「え?」
「貴方、ぼんやりしてるようで良く見ているわね。いいわよ、さようなら」
 そう言い放つと、雄略が踵を返して歩き出したので、徐庶は慌てて彼女の腕を掴んで引き止める。
「俺は!まだ何も言ってない!」
「おばかさんね。顔に出てるわよ」
 咽喉で笑った雄略の表情に一瞬怯んだが、徐庶は手を離そうとせずに口を開いた。
「失敗したら全滅だ」
「でしょうね。だから命が惜しい子は置いていくわ。丁度人数減らそうかと思ってた所なのよ」
 どうして彼女が笑っているのか全く理解できない徐庶は、誰も来なかったら?と言葉を零す。
「一人でやるわ。別に兵糧を奪ってこいとわ言われてないもの。火をつけるだけだから一人でも出来ないことはないわよ」
 敵の兵糧を叩く。それは戦においては事を有利に運ぶ手段ではあるが、敵とてむざむざと奪われるのを見ているわけではない。恐らくそれなりに厳重な守備をひいているだろう。それなのに彼女は何という事はないと言うように言葉を放った。火をつけて、敵陣を突破できるのか。目眩がするような感覚に襲われながら、徐庶が言葉を続けようとすると、彼女は困ったように笑った。
「折角声をかけてくれたのに、一度も戦場に一緒に立てなかったのは残念だけど、さよなら」
 腕を振りほどき、振り返ることなく歩いてゆく雄略を眺め、徐庶は呆然と彼女の背中を見送った。


 結局雄略についてきたのは半分だけであった。それを彼女は咎めなかったし、これといって感想もなかった。ただ、徐庶の姿が見えなかったのには安堵した。書簡を盗み見しただけで捨て駒にされているのに気がついたのは、十分な才能だ。それを己の手で殺すのは惜しいと思っていたのだ。もっとも、己とてむざむざ捨て駒にされる気もないし、死ぬ気もなかった。
 半分だけ残った己の部下に笑いかけると、雄略は口を開く。
「さぁ、行きましょう。兵糧に火をつけるだけの簡単なお仕事よ。心配しなくても私の言った通りに行動すればいいわ」
 彼らの腰に下げられたのは油。そして、事前に手に入れていた敵軍の服を着せ、兵糧庫の側に伏せさせた。それとは別行動で雄略は一人小高い丘の上から目的の場所を眺める。
「天気は上々。今日も悪運だけはあるわね」
 雨期には珍しく、ここ一週間近く雨らしい雨も降っていない。手に入れた敵の服も、部下が半分しか来なかったお陰で行き渡った。大丈夫。そう小さく呟くと、雄略は己の愛馬にまたがり、片手で大きな旗を持ち上げる。こうやって旗を片手に走るのは久しぶりだったが、旗が風を受けて靡き、己の手に負荷がかかるのを心地よく感じ笑う。
 そして、雄略はその丘を一気に駆け下りた。

「敵襲です!」
「何!?」
 兵糧庫を守っていた将は驚いて腰を上げた。そして視界に入ってきたのは、丘を駆け下りる数十の騎馬。元々背面の丘はさほど高くないが木々が生い茂っていて、とてもではないが騎馬隊が攻め入る事は出来ないと思っていたのだ。そこに突っ込んできた騎馬隊を見て将は顔色を変えた。
「迎え撃て!」
 そしてその声と同時に、火の手が上がる。
「兵糧庫に火が!」
 部下の悲鳴の様な声に、唸るように声を零した将は、ともかく火を消せ!と吐き捨てるように言うと、奇襲隊を迎え撃つために馬に跨った。けれど、予想以上に騎馬隊の突撃は早く、彼がまともに兵を集める前に、奇襲の旗が目前に翻った。
「ごきげんよう。そしてさようなら」
 モノ言わぬ首となった将の姿に、折角集まった兵は散り散りになる。それを追い回すことなく、雄略は旗を投げ捨てると、一気に兵糧庫を駆け抜け、外へと飛び出していった。それを追うべきか、兵糧庫の火を消すべきか、指示する将の不在に右往左往する兵達。その上、馬が兵糧庫の中を駆けまわっており、立っているだけでも怪我をしそうな混乱様であった。
「火を消せ!」
 誰かが声を上げたのをきっかけに、とりあえず逃走した雄略は放置し、皆水を持ってかけ出した。近くに駐屯している部隊がいるので、異変に気がつけば逃げた雄略はそちらで何とかしてくれるという淡い期待もあったのだ。けれど兵糧庫の火は勢いを増すばかりで、次第に兵は己の命が危険に晒されているということを感じ取り、バラバラと逃げてゆく。
「さて……うまく行ったわね」
 雄略は馬の上でほくそ笑むが、問題はこれからであった。恐らく火をつけた面々は混乱の最中逃げることはできるだろうが、己はこれから更に逃げなければならない。近くの駐屯地から兵が差し向けられる可能性もあるし、できるだけ仲間が逃げやすいように遠くへ行かねばならない。
 そんなことを考えていると、早速己を追う騎馬隊に出くわし、雄略は槍を振るった。斥候だったのか、数も少なく手応えもなかったので、雄略は顔をしかめてまた速度を少し緩め走りだした。常に全力で走れば馬が潰れる。それを危惧しての事だった。
 そして、三度、追撃部隊に出くわし、雄略はそれを突破した。馬にも個性があり、走る速度も違う。敵を出来るだけ縦に伸ばし個別撃破。それを繰り返したのだ。彼女がもっとも好む戦法で、その為に馬も鍛えてあったのだが、流石に四度目には馬も疲れを見せ、うまく敵を引き剥がすことが出来なかった。
「お疲れ様。貴方だけでもお逃げなさい」
 馬を降り、雄略はそう愛馬に言うが、馬はじっとその場で雄略を待つ。それを眺め、彼女は仕方ない、と言うように瞳を細めてまた愛馬に跨ると槍を構えた。
「何人殺せるかしらね」
 己に向かってくる蹄の音を聞きながら雄略が呟くと、突然、己を追撃していた部隊が止まったのに気がついた。蹄の音は悲鳴と共に遠ざかり、雄略は首を傾げて、恐る恐ると言うように道を引き返していった。
「無事でよかった」
 目の前に広がるのは、恐らく雨あられと降らされたのであろう矢の山。地面には死体が転がり、そこに立つ男は雄略の姿を確認すると瞳を細め言葉を零した。
「……どういうことかしら」
「伏兵をね、君の逃走経路に配置してた。ともかく次が来る前に逃げよう」
 徐庶が合図を送ると、草むらに潜んでいたであろう兵が顔をだし、小さく頷き離れてゆく。
「待ち合わせ場所は変えてない?」
「変えてないわ。……あの子達、うちの子?」
 半分しか来なかった。その残り半分だと雄略が気がついたのは見知った顔があったからだ。雄略が徐庶に手を差し出すと、彼は遠慮なく雄略の馬の後ろに乗り彼女の腰に手を回す。
「弓が扱える者を選んで借りたよ。あー、事後報告になったけど」
 走りだした馬の振動に徐庶は顔を顰めたが、雄略は咽喉で笑って、そう、と短く返答した。
「逃げたのだと思ってたわ」
「俺は君と一緒に行きたいって言ったと思うけど。まぁ、まさか金にモノを言わせて、馬をかき集めて突撃とは思わなかった」
 そもそも、雄略の放浪軍で騎馬に乗れる人間は彼女以外殆どいない。なのに彼女は果ては農耕馬までかき集め、作戦を練っていた。それを見て、徐庶はならば彼女の逃走の手助けを、と弓を扱える人間を連れて伏兵として使うことにしたのだ。元々彼女が全員を連れて行くつもりはないと知っていたので、心置きなく人は引き抜けた。ただ、伏兵をどこに伏せるかに関しては、敵や味方の布陣を確認せねばならないので、ギリギリまで悩みぬいたが、もしも外れれば、それはそれで、己は彼女との縁がなかったのだと諦めることにしようと、ある意味徐庶は賭けをしたのだ。
 そして、徐庶の伏兵と、彼女の逃走経路は一致た。
 それを喜ぶべきなのかどうか徐庶には分からなかった。もしも外れれば彼女とはもう会わないつもりであったのだが、彼女の逃走経路は己が予測したものとほぼ一致し、余りにも綺麗に決まったので徐庶自身が唖然とした位である。
「良くあの崖を訓練もしてない馬で降りようとしたね」
「私の馬は降りれるわ。そうね……馬はどちらかと言えば群れる生き物なの。周りに流されるおばかさんなのよ。だから、他の子ができるなら、自分もって思っちゃうの」
 そして雄略は空の騎馬隊を率いて奇襲を仕掛けた。訓練をしていない馬は尻込みはするが、身体能力的に降りられない事はない。それを雄略は知っていたのだ。だから先陣を切って駆け下りた。ただでさえ戦で値の上がっている馬の使い捨て。徐庶の感覚では考えられないが、兵が言うには彼女は基本的に仕事に対してかかる費用に対しては糸目を付けないらしい。馬が必要なら馬をかき集めるし、木材が必要なら木材をかき集める。潤沢な資金があるのかと思えば、普段は飢えない程度の金しか持たない。必要になれば悪徳商人から巻き上げる。そして、悪徳商人は本来存在してはならない財産を雄略に巻き上げられても、訴えることが出来ずに泣き寝入り。その話を聞いた時は、徐庶は呆れる以上に感心した。
「……怒ってるかい?」
「あら、どうして?」
「勝手に兵を引きぬいた」
「そうね。減らそうと思っていたのに減らせなかった点は怒っているわ。だからあの子たちは貴方がちゃんと面倒見なさい。私は知らない」
「それはこれからも君と一緒にいて良いってことかい?」
「おばかさんね」
 雄略の言葉にどこかホッとした徐庶は、彼女の表情を盗み見る。無論、馬の後ろに乗せられているのだから、しっかりは見えなかったが、どこか機嫌が良さそうだとは思い、徐庶は試しに言葉を一つ、吐いてみた。
「俺の才を活かせるのは君だけだと思う」
「そうかしら?それなりのところに仕官すれば、それなりの地位に登れそうだけど」
 興味が無さそうに雄略が返答したので、徐庶は思わず笑った。
「君以外に仕えてもいいと思った人はいない」
 その言葉に驚いたように雄略は振り返り、馬の足を止めた。そんなに驚くような事かと徐庶は思ったが、彼女は僅かに眉間にシワを寄せて、莫迦なこと言わないで、と不機嫌そうに言葉を零す。
「……雄略殿?」
「私と一緒にいてもろくな事にならないわ。覚えておいて。そして、早く適当な就職先見つけなさい。それまでは面倒見てあげるから」
「厭です」
「貴方ね!」
「……おばかさんなんで、君の言っている意味が解らない」
 しれっとそう言った徐庶に、雄略はどこか、呆れたような表情を見せ、小さくため息をつくと、馬をゆっくりと歩かせる。
 怒らせるつもりはなかったのだが、無言の雄略に徐庶は言葉を探した。彼女の不可解な所は、己の部下を含めてどこか距離を置こうとする傾向であった。寄ってくれば己の配下に入れるが、逃げるものは追わない。長く雄略の下にいるという弓の得意な男の話を聞いて徐庶は不思議に思っていたのだ。自分が特別嫌われているわけではなく、誰に対してもそうなのだと考えると気分は楽であるのだが、そこに至った彼女の思考は徐庶にはまだ理解出来なかった。けれど、仕えるのならば彼女がいいと思ったのも事実で、不思議と冷たい態度を取られてもそれが不快ではなかった。
 彼女には武勇も、胆力も、才能もある。それに焦がれる気持ちのほうが強かったのだ。
 己は劣等感の塊のような人間であるのを自覚している。軍師としての能力はある程度あったが、加減が下手で、加減をしようと思うと甘さが出て役に立たない。何度か他の人間と組んでみたこともあったが、上手く行かなかった。
「雄略殿、俺は……」
「私の事が嫌になったら出て行きなさい。それまでは一緒にいていいわ。おばかさんだから仕方ないわね」
 徐庶の言葉を遮るように雄略は前を向いたままそう言葉を零した。


悪逆雄略さんと徐庶。出会編
201303 ハスマキ

【MAINTOP】