*悪逆之徒*
女はゆっくりと街を歩き回っていた。これといって明確な目的があったわけではないが、この乱世、何か食い扶持を稼げる話はないかと酒場等をブラブラとしている。艶やかな顔立ちにはそぐわぬ派手な鎧。外套を靡かせ、背をすっと伸ばし歩く姿は人目を引いた。
「もし」
「あら、何かしら」
声をかけてきたのは老人にも、子供にも見える不思議な男だった。深く被った笠のせいで顔は良く見えないが、女は足を止めて背を丸めて座る男に視線を落とした。
「お主、変わった相の持ち主だねぇ」
それは唐突な言葉であったが、女は瞳を細めて興味深そうに、首を傾げると、どういうことかしら?と艶やかに笑った。
「ふむ……反骨とは少々違うかね。人の道には自然と外れる、孤独な相だ」
その言葉に女は咽喉で笑うと、それがどうかしたのかしら?と笑った。その反応に男暫し呆けたように言葉を失ったが、気を取り直したのか言葉を続けた。
「君主には好かれよう。けれど、下のものには嫌われる。そして国を滅ぼす」
「でしょうね。私を大事にしたいと言った者達は皆滅びて行ったわ。えぇ、そうね、多分貴方の言うとおりなのかもしれませんわね。だから?大人しくしていろと?田舎に篭っていろと?死ねと?冗談じゃないわ。私は己が好きな様にしますわ。国が滅ぶ?そんなものは君主が無能だからじゃなくて?私の知ったことではありませんわ」
酷く高飛車な物言いに、男は思わず口を閉じる。災いを呼ぶ。だから注意しろと忠告するつもりなのであったが、彼女はとうにそんなことは承知していたらしい。そうやって人も、国も滅ぼしてきたのかもしれない。
「……忠告感謝しますわ。私にそんな事を言う人間は余りおりませんの。皆、口を噤み、目を逸らして、離れて行ってしまうのですもの。悪逆之徒だと言う方もおりますのよ」
そう言うと女は瞳を細めて笑った。
「私は国が滅びるまで誠心誠意込めてお仕えしたというのに。本当に悪逆之徒になれば良かったのかしらね」
北の大地で女はとある将の旗持ちをしていた。ただ故郷が馬の産地で、人より少し馬に乗るのが巧かったので将軍に拾われたのだ。片手で旗を持ち、片手で短槍を扱う。それだけを訓練して、戦場でその将の側を離れずに走るのが仕事であった。それに不満があったわけではない。彼女の仕えた将はとても人間ができていたし、厳しくはあったが、理不尽ではなかった。
けれど国は滅びた。君主が彼女を気に入り、出世させたのだ。旗持ちで良かったというのに、異例の出世に彼女から人は離れていった。元々彼女が仕えていた将だけは、部下の出世を喜んだが、それ以外は冷たいもので、それを見返すために戦功を上げれば上げるほど君主に気に入られ、彼女は孤立していった。そして、それは君主への失望へつながり、人が流出し、結局国は滅びた。
── さようなら■■様。私が側にいると次は貴方が滅びますわ。だから……次は戦場で会いましょう。
大好きだった将軍と離れて、滅びた国を逃げ落ちた。共にいれば滅ぼすと思ったのだ。
そして彼女はなんの目的もなく、日銭を稼ぐために戦場に繰り出し続けた。戦があれば東へ西へ。いつの間にか数百人の人間がついてきたが、数が増えると養えないので、わざと激しい戦に介入して人数を減らすことも厭わなかった。顔は余り覚えていない。そして彼等も、食べて行くためについて来ているだけで、彼女に忠誠を誓っているわけでない。お互いに利用しているだけの関係なのだ。
それが当たり前になって、彼女は放浪軍の様な扱いを受けるようになる。どんな負け戦でも金さえ貰えば仕事をする。裏切りはしない。けれど、契約が終われば、敵対していた軍にも平気で金で雇われる。
「どうせ国を滅ぼすのなら、傾国の美女と呼ばれたほうが気持ちがいいのに、困ったものですわね」
ククッと咽喉で笑った女を見上げ、男は小さく吐息を漏らした。無能であれば彼女はきっと平凡に過ごしてきたのだろうが、彼女は人より有能であった。だから国を滅ぼした。そして、これからも滅ぼし続けるだろうと。
「ごきげんよう。また生きていたら会いましょう」
その美貌も、武力も、胆力も、全てが滅びへの道標となる女。いっその事性根まで悪逆に染まりきれれば良かったのかもしれないが、彼女はまだそこまで至っていない。それが酷く痛々しく、あの派手な格好も、高飛車な物言いも、全て己が立つために必要なモノに見え、男は哀しそうに瞳を細めた。
***
「君。俺と一緒に来ないか?」
「はぁ?」
酒場で次の戦の情報を集めていた女に、声をかけた男。無精髭を生やし、どこかうだつの上がらなさそうに見えて、女は思わずマヌケな声を上げて酒を呑む手を止めた。
「……あー、近々このへんで戦があるんだが、その、人が足りなくてね」
「貴方この国の将軍かしら?」
「いや、在野だよ。日銭を稼がなくちゃならなくてね。けれど仲間もいない。この前北の戦で君の姿を見てね……その、恥ずかしながら、混ぜてもらおうかと」
女は僅かに眉を寄せたが、直ぐに男に視線を送り、少し考え込んだ仕草を見せる。
「貴方腕は?」
「人並み……かな?」
「呆れた。じゃぁいう言葉が違うわ。一緒に連れて行って下さい、じゃなくて?」
女の言葉に男は目を丸くしたが、直ぐに申し訳なさそうに頭を下げる。
「一緒に連れて行って下さい」
「宜しくてよ。私は雄略。姓はないわ」
字を名乗った女……雄略に、男は顔を上げて目を丸くした。姓がない、と言ったのに驚いたのだろう。けれど雄略はそんな様子に格段反応は見せずに、酒に口をつける。
「えーっと、俺は徐元直。宜しく」
「……私は名前覚えるの苦手なの」
「え?」
徐庶が驚いたように声をあげると、彼女は瞳を細めて笑った。
「だってうちの子入れ替わり激しいんですもの。覚えても無駄だって気がついたの」
悪びれもなくそう言う雄略に苦笑すると、徐庶は、覚えて損はないですよ、と笑った。その反応に雄略は少しだけ驚いたような顔をしたが、哀しそうに瞳を細める。
「初めは皆そう言うわ」
その表情の陰りに、徐庶は驚いたが、直ぐに彼女が何事もなかったかのように酒を煽ったので言葉は発せずにいた。
「……次の戦は三日後。それまでは自由にしてていいわ。余り遠くには行かないほうがいいわね」
余り遠くに行かない方がいいとは言ったが、その後徐庶は雄略にずっとついて来ていた。食事をとるための金もないのかと思い、雄略は仕方なく徐庶に銭を渡してみたが、それでも彼は彼女の後を歩く。
「……戦の準備はしてるのかしら?」
「貴方と同じで、この身一つで十分ですよ」
「おばかさんね。皆死なない為に武器や馬の手入れをしているって言うのに」
呆れたように雄略が言うと、徐庶は少しだけ笑った。その様に雄略は苛立たしげに彼を睨むと、街の外れの酒場に赴いた。
そこは人が少なく、薄暗い場所で徐庶は僅かに顔を顰めたが、雄略が迷わず奥の卓についたので、徐庶はその側の卓に座る。同じ卓に座らなかったのは、雄略のついた卓に先客がいたからだ。
「お待たせしました」
「うむ」
やうやうしく雄略が頭を下げるのを眺め、徐庶は面食らったが、彼女がチラリと視線を送ってきたので、慌てて己も頭を下げる。
「そちらは?」
「新しく入れた子ですの。心細いのか私の側を離れようとしませんのよ。可愛いでしょ?」
フフっと笑った雄略に、相手の男はちらりと徐庶に視線を送ったが、興味を失ったのか、追い払おうとはせずにそのまま話を続けた。
どうやら彼は今回の雄略の雇い主の遣いらしく、雄略に書簡を渡すと、口頭で二言三言彼女に言葉を投げる。それに対して彼女は笑ったまま返答し、前金を受け取ると、立ち上がりまた頭を下げた。
「では」
そう短く言うと、彼女は踵を返して酒場を出る。慌てて徐庶もそれに従うが、彼は最後にちらりと酒場の男に視線を送る。
(捨て駒って事か)
そもそも放浪軍を重要な箇所には置かないだろう。奇襲に使ったり、いざという時の抑え程度だろう。けれど今回は完全に捨て駒だ。書簡の文章や図からある程度の作戦は予測できたが、余りにも酷い扱いで、徐庶は顔を顰めた。
「……雄略殿」
「何かしら?」
足を止めて振り返った雄略を眺め、徐庶は逃げ出したい気分になった。彼女は何故笑ってあの無謀な仕事を引き受けたのだろうか。捨て駒にされているのに気が付かないほど彼女が無能なのだろうか。散々迷った挙句、徐庶が口を開こうとすると、彼女が先に口を開いた。
「今ならまだ逃げれるわよ」
「え?」
「貴方、ぼんやりしてるようで良く見ているわね。いいわよ、さようなら」
そう言い放つと、雄略が踵を返して歩き出したので、徐庶は慌てて彼女の腕を掴んで引き止める。
「俺は!まだ何も言ってない!」
「おばかさんね。顔に出てるわよ」
咽喉で笑った雄略の表情に一瞬怯んだが、徐庶は手を離そうとせずに口を開いた。
「失敗したら全滅だ」
「でしょうね。だから命が惜しい子は置いていくわ。丁度人数減らそうかと思ってた所なのよ」
どうして彼女が笑っているのか全く理解できない徐庶は、誰も来なかったら?と言葉を零す。
「一人でやるわ。別に兵糧を奪ってこいとわ言われてないもの。火をつけるだけだから一人でも出来ないことはないわよ」
敵の兵糧を叩く。それは戦においては事を有利に運ぶ手段ではあるが、敵とてむざむざと奪われるのを見ているわけではない。恐らくそれなりに厳重な守備をひいているだろう。それなのに彼女は何という事はないと言うように言葉を放った。火をつけて、敵陣を突破できるのか。目眩がするような感覚に襲われながら、徐庶が言葉を続けようとすると、彼女は困ったように笑った。
「折角声をかけてくれたのに、一度も戦場に一緒に立てなかったのは残念だけど、さよなら」
腕を振りほどき、振り返ることなく歩いてゆく雄略を眺め、徐庶は呆然と彼女の背中を見送った。
***
結局雄略についてきたのは半分だけであった。それを彼女は咎めなかったし、これといって感想もなかった。ただ、徐庶の姿が見えなかったのには安堵した。書簡を盗み見しただけで捨て駒にされているのに気がついたのは、十分な才能だ。それを己の手で殺すのは惜しいと思っていたのだ。もっとも、己とてむざむざ捨て駒にされる気もないし、死ぬ気もなかった。
半分だけ残った己の部下に笑いかけると、雄略は口を開く。
「さぁ、行きましょう。兵糧に火をつけるだけの簡単なお仕事よ。心配しなくても私の言った通りに行動すればいいわ」
彼らの腰に下げられたのは油。そして、事前に手に入れていた敵軍の服を着せ、兵糧庫の側に伏せさせた。それとは別行動で雄略は一人小高い丘の上から目的の場所を眺める。
「天気は上々。今日も悪運だけはあるわね」
雨期には珍しく、ここ一週間近く雨らしい雨も降っていない。手に入れた敵の服も、部下が半分しか来なかったお陰で行き渡った。大丈夫。そう小さく呟くと、雄略は己の愛馬にまたがり、片手で大きな旗を持ち上げる。こうやって旗を片手に走るのは久しぶりだったが、旗が風を受けて靡き、己の手に負荷がかかるのを心地よく感じ笑う。
そして、雄略はその丘を一気に駆け下りた。
「敵襲です!」
「何!?」
兵糧庫を守っていた将は驚いて腰を上げた。そして視界に入ってきたのは、丘を駆け下りる数十の騎馬。元々背面の丘はさほど高くないが木々が生い茂っていて、とてもではないが騎馬隊が攻め入る事は出来ないと思っていたのだ。そこに突っ込んできた騎馬隊を見て将は顔色を変えた。
「迎え撃て!」
そしてその声と同時に、火の手が上がる。
「兵糧庫に火が!」
部下の悲鳴の様な声に、唸るように声を零した将は、ともかく火を消せ!と吐き捨てるように言うと、奇襲隊を迎え撃つために馬に跨った。けれど、予想以上に騎馬隊の突撃は早く、彼がまともに兵を集める前に、奇襲の旗が目前に翻った。
「ごきげんよう。そしてさようなら」
モノ言わぬ首となった将の姿に、折角集まった兵は散り散りになる。それを追い回すことなく、雄略は旗を投げ捨てると、一気に兵糧庫を駆け抜け、外へと飛び出していった。それを追うべきか、兵糧庫の火を消すべきか、指示する将の不在に右往左往する兵達。その上、馬が兵糧庫の中を駆けまわっており、立っているだけでも怪我をしそうな混乱様であった。
「火を消せ!」
誰かが声を上げたのをきっかけに、とりあえず逃走した雄略は放置し、皆水を持ってかけ出した。近くに駐屯している部隊がいるので、異変に気がつけば逃げた雄略はそちらで何とかしてくれるという淡い期待もあったのだ。けれど兵糧庫の火は勢いを増すばかりで、次第に兵は己の命が危険に晒されているということを感じ取り、バラバラと逃げてゆく。
「さて……うまく行ったわね」
雄略は馬の上でほくそ笑むが、問題はこれからであった。恐らく火をつけた面々は混乱の最中逃げることはできるだろうが、己はこれから更に逃げなければならない。近くの駐屯地から兵が差し向けられる可能性もあるし、できるだけ仲間が逃げやすいように遠くへ行かねばならない。
そんなことを考えていると、早速己を追う騎馬隊に出くわし、雄略は槍を振るった。斥候だったのか、数も少なく手応えもなかったので、雄略は顔をしかめてまた速度を少し緩め走りだした。常に全力で走れば馬が潰れる。それを危惧しての事だった。
そして、三度、追撃部隊に出くわし、雄略はそれを突破した。馬にも個性があり、走る速度も違う。敵を出来るだけ縦に伸ばし個別撃破。それを繰り返したのだ。彼女がもっとも好む戦法で、その為に馬も鍛えてあったのだが、流石に四度目には馬も疲れを見せ、うまく敵を引き剥がすことが出来なかった。
「お疲れ様。貴方だけでもお逃げなさい」
馬を降り、雄略はそう愛馬に言うが、馬はじっとその場で雄略を待つ。それを眺め、彼女は仕方ない、と言うように瞳を細めてまた愛馬に跨ると槍を構えた。
「何人殺せるかしらね」
己に向かってくる蹄の音を聞きながら雄略が呟くと、突然、己を追撃していた部隊が止まったのに気がついた。蹄の音は悲鳴と共に遠ざかり、雄略は首を傾げて、恐る恐ると言うように道を引き返していった。
「無事でよかった」
目の前に広がるのは、恐らく雨あられと降らされたのであろう矢の山。地面には死体が転がり、そこに立つ男は雄略の姿を確認すると瞳を細め言葉を零した。
「……どういうことかしら」
「伏兵をね、君の逃走経路に配置してた。ともかく次が来る前に逃げよう」
徐庶が合図を送ると、草むらに潜んでいたであろう兵が顔をだし、小さく頷き離れてゆく。
「待ち合わせ場所は変えてない?」
「変えてないわ。……あの子達、うちの子?」
半分しか来なかった。その残り半分だと雄略が気がついたのは見知った顔があったからだ。雄略が徐庶に手を差し出すと、彼は遠慮なく雄略の馬の後ろに乗り彼女の腰に手を回す。
「弓が扱える者を選んで借りたよ。あー、事後報告になったけど」
走りだした馬の振動に徐庶は顔を顰めたが、雄略は咽喉で笑って、そう、と短く返答した。
「逃げたのだと思ってたわ」
「俺は君と一緒に行きたいって言ったと思うけど。まぁ、まさか金にモノを言わせて、馬をかき集めて突撃とは思わなかった」
そもそも、雄略の放浪軍で騎馬に乗れる人間は彼女以外殆どいない。なのに彼女は果ては農耕馬までかき集め、作戦を練っていた。それを見て、徐庶はならば彼女の逃走の手助けを、と弓を扱える人間を連れて伏兵として使うことにしたのだ。元々彼女が全員を連れて行くつもりはないと知っていたので、心置きなく人は引き抜けた。ただ、伏兵をどこに伏せるかに関しては、敵や味方の布陣を確認せねばならないので、ギリギリまで悩みぬいたが、もしも外れれば、それはそれで、己は彼女との縁がなかったのだと諦めることにしようと、ある意味徐庶は賭けをしたのだ。
そして、徐庶の伏兵と、彼女の逃走経路は一致た。
それを喜ぶべきなのかどうか徐庶には分からなかった。もしも外れれば彼女とはもう会わないつもりであったのだが、彼女の逃走経路は己が予測したものとほぼ一致し、余りにも綺麗に決まったので徐庶自身が唖然とした位である。
「良くあの崖を訓練もしてない馬で降りようとしたね」
「私の馬は降りれるわ。そうね……馬はどちらかと言えば群れる生き物なの。周りに流されるおばかさんなのよ。だから、他の子ができるなら、自分もって思っちゃうの」
そして雄略は空の騎馬隊を率いて奇襲を仕掛けた。訓練をしていない馬は尻込みはするが、身体能力的に降りられない事はない。それを雄略は知っていたのだ。だから先陣を切って駆け下りた。ただでさえ戦で値の上がっている馬の使い捨て。徐庶の感覚では考えられないが、兵が言うには彼女は基本的に仕事に対してかかる費用に対しては糸目を付けないらしい。馬が必要なら馬をかき集めるし、木材が必要なら木材をかき集める。潤沢な資金があるのかと思えば、普段は飢えない程度の金しか持たない。必要になれば悪徳商人から巻き上げる。そして、悪徳商人は本来存在してはならない財産を雄略に巻き上げられても、訴えることが出来ずに泣き寝入り。その話を聞いた時は、徐庶は呆れる以上に感心した。
「……怒ってるかい?」
「あら、どうして?」
「勝手に兵を引きぬいた」
「そうね。減らそうと思っていたのに減らせなかった点は怒っているわ。だからあの子たちは貴方がちゃんと面倒見なさい。私は知らない」
「それはこれからも君と一緒にいて良いってことかい?」
「おばかさんね」
雄略の言葉にどこかホッとした徐庶は、彼女の表情を盗み見る。無論、馬の後ろに乗せられているのだから、しっかりは見えなかったが、どこか機嫌が良さそうだとは思い、徐庶は試しに言葉を一つ、吐いてみた。
「俺の才を活かせるのは君だけだと思う」
「そうかしら?それなりのところに仕官すれば、それなりの地位に登れそうだけど」
興味が無さそうに雄略が返答したので、徐庶は思わず笑った。
「君以外に仕えてもいいと思った人はいない」
その言葉に驚いたように雄略は振り返り、馬の足を止めた。そんなに驚くような事かと徐庶は思ったが、彼女は僅かに眉間にシワを寄せて、莫迦なこと言わないで、と不機嫌そうに言葉を零す。
「……雄略殿?」
「私と一緒にいてもろくな事にならないわ。覚えておいて。そして、早く適当な就職先見つけなさい。それまでは面倒見てあげるから」
「厭です」
「貴方ね!」
「……おばかさんなんで、君の言っている意味が解らない」
しれっとそう言った徐庶に、雄略はどこか、呆れたような表情を見せ、小さくため息をつくと、馬をゆっくりと歩かせる。
怒らせるつもりはなかったのだが、無言の雄略に徐庶は言葉を探した。彼女の不可解な所は、己の部下を含めてどこか距離を置こうとする傾向であった。寄ってくれば己の配下に入れるが、逃げるものは追わない。長く雄略の下にいるという弓の得意な男の話を聞いて徐庶は不思議に思っていたのだ。自分が特別嫌われているわけではなく、誰に対してもそうなのだと考えると気分は楽であるのだが、そこに至った彼女の思考は徐庶にはまだ理解出来なかった。けれど、仕えるのならば彼女がいいと思ったのも事実で、不思議と冷たい態度を取られてもそれが不快ではなかった。
彼女には武勇も、胆力も、才能もある。それに焦がれる気持ちのほうが強かったのだ。
己は劣等感の塊のような人間であるのを自覚している。軍師としての能力はある程度あったが、加減が下手で、加減をしようと思うと甘さが出て役に立たない。何度か他の人間と組んでみたこともあったが、上手く行かなかった。
「雄略殿、俺は……」
「私の事が嫌になったら出て行きなさい。それまでは一緒にいていいわ。おばかさんだからしかたないわね」
徐庶の言葉を遮るように雄略は前を向いたままそう言葉を零した。
***
放浪軍といっても人数は千にも満たない小規模なもので、雄略はどちらかといえば増やそうとするより、減らそうとする傾向が強かった。それに対して徐庶は不満はなかったのだが、不思議だとは思っていた。そもそも放浪軍を結成する人間は何らかの形で一旗あげようとする者が多いからである。けれど雄略はただ転戦を続けているだけで、仕官の誘いも全て断っているのだと他の者は言っていた。
先の戦での仕事は無事に終えたが、まだ戦自体は続いている様で雄略はその土地を離れようとはしなかった。後払いの金を貰うのを待っていたのだ。
「雄略様」
街の近くに駐屯していた彼女の元に書簡が届いたのは暫く経ってからであった。その間徐庶は本当に部下のことを丸投げされ、今の放浪軍に足りない足具や武器のリストを作っている所であったが、雄略が書簡に目を通し、街に行ってくる、と立ち上がったので、仕事は一旦中断し彼女の後に付いていった。それに対し最近雄略は何も言わなくなる。時折呆れたような顔をするが、嫌そうな顔はしないのでそうしている。
そしてたどり着いたのは以前仕事を受けた時に訪れた酒場で、漸く今回の仕事も終わりなのだと徐庶は安堵した。戦の流れによっては再度別の仕事を受けることになるかもしれないと心配していたのだ。
「雄略様ですか?」
「そうよ」
酒場に入ると、店主が愛想よく雄略に声をかける。彼女の返事に彼は頷くと、奥でお待ちです、と以前は通されなかった奥の個室へと案内された。それに雄略も少し怪訝そうな顔をしたが、店主に案内されるまま奥へと向かう。
部屋に入ると、以前話をした男とは別の男が卓についており、雄略の顔を確認すると、僅かに瞳を細めた。
「こうやって場を設ける時期が遅くなって申し訳ない。事後処理が積んでいたもので」
「お気になさらないで下さい。私達は時間だけはたっぷりありますもの。はじめまして、雄略と申します」
愛想よく笑った雄略と一緒に徐庶は頭を下げた。はじめまして、と言う言葉に些か驚いたが、先日の男より随分身なりもいいので本当に雇い主は彼であったのだろうとぼんやりと徐庶は考えた。椅子に座った雄略であったが、徐庶はその横に立ったまま控える事にする。それに気がついた男が、貴方もどうぞ、と座ることを進めるが徐庶は曖昧に笑い、俺はここで、と返事をする。それに嫌そうな顔をせず、男は僅かに口元を緩める。
「申し訳ありません軍師様。この子、私の側にいるのがお仕事だと思ってるみたいで」
「……いえ。いい部下をお持ちのようで」
軍師様、と言う雄略の言葉に徐庶は男の顔を眺める。確かこの国の軍師は、荀ケと言う男だったはずだと。戦場での采配よりも、どちらかと言えば内政で活躍する男ではあるが、この国の君主が戦を行うには欠かせない存在だとも言われている。
「さて。先日の活躍はお疲れ様でした。お陰で私の計算より一週間は早く向うが撤退してくれました」
「あら。お役に立てたようで良かったですわ」
コロコロと笑う雄略と、扇をフワフワと動かす荀ケ。
「今回は防戦でしたからね。兵糧を断つ作戦を決行出来たのは実にありがたいです。その上……伏兵を伏せて敵の将まで片付けてくれましたしね。これはお約束の金です」
ずいっと押し出された袋を見て、雄略は僅かに眉を上げた。そして直ぐに袋を開けると中の金を数え、瞳を細めると、幾分かの金を袋から出した。
「こちらはお返ししますわ。お約束の金額より多いようですし」
「貴方の斬った武将分だと思ってくださって結構ですよ」
「私は、一番最初にお約束した金額を値切らない、上乗せしないって決めてますの。この商売、信頼は大切ですもの」
雄略の言葉に荀ケは些か驚いたような表情を作ると、信頼、ですか、と言葉を零す。
「えぇ。ここで余分に頂いたら、次に軍師様と戦場で敵対した時に全力が出せませんでしょ?そうなると雇って下さった方に不義理になりますもの」
笑顔を浮かべて雄略がそう言うと、荀ケは苦笑して戻された金をまた懐へ収めた。恥をかかされたと怒るタイプではなかったようで、徐庶は安心したが、雄略が余り金に執着しない事にも驚いた。あの金があれば悪徳商人を脅して金を巻き上げる手間もいらないだろうにと思ったが、彼女は彼女で決めていることがあるのだろう。ただ、彼女の言うとおり、どこにでも金さえ貰えればつく、というスタンスである以上、あくまでどこの陣営にも公平であるというのはそう悪くない事である。下手に肩入れをすれば道連れで巻き込まれる恐れもあるし、次の仕事が来ない場合もあるだろう。
「……そうですね、それとは別に我が殿がこの戦の勝利を祝って宴をするのですが、貴方もいかがですか?」
「あら、とても素敵ですけど、そんな立派な宴に着ていく服がございませんの。遠慮いたしますわ。どうせなら、頑張ったうちの子達に酒でも贈って頂ける方が嬉しいわ」
「困りましたね。我が殿には是非に、と言われているのですが」
「でしたらこの子連れて行って下さい」
「俺!?」
ぼんやり話を聞いていた徐庶が突然話を振られて、驚いて声を上げる。
「いってらっしゃい」
「いやいや、君そんな事言って、俺をここに置いていく気だろ?」
徐庶の言葉に荀ケは目を丸くしたが、雄略はおかしそうに口元を歪めた。
「おやまぁ。おばかさんなのに本当に察しは良いわね」
「あー。申し訳ありません。彼女の戯言ですので流して頂ければありがたいです。本当に申し訳ありません」
別に二度も謝らなくてもいいのに、必死に頭を下げる徐庶を見て、荀ケは思わず笑う。どこかぼんやりした雰囲気であった徐庶が必死なのがおかしかったのだ。
「いえ、無理にとは申しませんよ。今後とも、気持よくお付き合いしたいですからね」
「もう。折角仕官のチャンスだったのに」
「君が仕官しないなら行かないよ」
憮然とそう言い放った徐庶を見て、荀ケは口を開く。
「雄略殿は我が殿に仕える気はありませんか?無論、貴方の軍ごと引き受けます。彼もね」
「私ね、本当に軍では浮いてしまいますの。きっと軍師様にもご迷惑をお掛けしますわ」
雄略が笑顔を浮かべたままそう言葉を放つと、荀ケは僅かに眉を上げる。ちらりと徐庶の表情も伺ってみたが、彼は彼で、先程の発言を気にしているのか、どこか申し訳なさそうに立っているだけであった。そして、荀ケは扇を触りながら口を開いた。
「以前どこかの軍に?」
「……えぇ。けれど国が滅んでしまいましたの。私ね、もう自分が仕えた国を滅ぼすのは厭ですのよ」
さらりと言ってのけた雄略に、徐庶は驚いたような顔をする。戦慣れはしていると思ったが、正式に軍にいたというのは初耳であるし、彼女が仕官を断る理由も初めて聞いたのだ。そして、それと同時に、軍師相手にこの国が滅びるかもしれない、と言うような発言をしたことにも驚き、思わず徐庶は荀ケの表情を伺う。しかし彼は、少しだけ考え込んだような顔をしただけで、不快そうな顔はせずに口を開く。
「我が殿は人材集めが趣味みたいなものでしてね。貴方のような癖のある人材が特に好きなのですよ。しかし……えぇ、今日はこれくらいにしておきましょうか。私以外も殿のためにと貴方を勧誘する者もいるかもしれませんが、気を悪くなさらないで下さい。彼等も仕事ですので」
「えぇ、軍師様もお仕事なのでしょう?」
「そうですね。私個人としては、貴方の様な人材は余り軍に向いているとは思いませんよ。ただ、向いていませんが、使えます。それだけです」
荀ケの言葉に、雄略はおかしそうに口元を緩める。正直な人間は嫌いではない。
「……今後もいいお付き合いが出来ればと思いますわ」
「そうですね。貴方は仕事だけはできますから、こちらとしてはありがたい限りです」
荀ケは雄略の人となりを知っているわけではない。けれど、彼女は今回も含め、過去引き受けたであろう仕事を調べてみて、仕事に関しては完璧にやり遂げるという事は知っていた。どんなに無茶な仕事も引き受ければ必ずやる。それは相手がどんな敵であってもだ。それは非常に軍師としては作戦の立てやすい武将でもある。だから使えるとは言ったのだ。けれど、こうやって少しの時間喋ってみて、彼女の個性が強いのもなんとなく把握出来たし、軍という組織では確かに浮くかもしれない。もっとも、現在荀ケが所属している軍は、君主の人材集めのせいかもあって、非常に個性の強い面々が揃っていたりもする。それを纏めるのも一応荀ケの仕事なのだが、彼女が入って余計な仕事が増えるのも安易に想像できて、彼は心の中で己の君主に思わず恨み事を言いたい気持ちになった。
「一つだけ。純粋に興味があって聞くのですが」
「なにかしら?」
「過去の仕事含め、作戦は貴方が?」
恐らく軍師として興味があったのだろう。そう考えて、雄略は柔らかく笑うと、今回だけはこの子が、と短く言う。
「ほぅ」
「私は伏兵まで考えておりませんでしたの。作戦を考えてくれる子はいるというのはいいですわね。どうしても一人でやると視野が狭くなりがちでいけませんわ」
雄略の軍は彼女以外は基本的に寄せ集めだと聞いていたが、彼女の側に控えている男はそう言えば名前を聞いていなかったように思う。そう考えて荀ケは名前をとりあえず聞いて見ることにした。
「徐元直と申します」
「あの伏兵の位置はどうやって?」
「半分は……勘ですかね。一応味方と敵の配置は調べましたが、彼女が逃走経路に選ぶと思ったところに配置しました」
「?打ち合わせをしていた訳ではないのですか?」
荀ケが尋ねると、徐庶は言い難そうに小声で言葉を漏らす。
「あー、そのですね。俺が勝手に伏兵を配置したんで、打ち合わせとかは全然……ですので、まぁ、上手く行ったのは運が良かっただけというか」
申し訳なさそうに言う徐庶に、雄略は呆れたように己の側に立つ彼の顔を見上げた。
「もぅ。打ち合わせ通りバッチリでした!って言えばいいのに。おばかさん」
「嘘はつけないでしょうに」
二人のやり取りを眺めながら荀ケは僅かに驚いたような顔をする。あの伏兵の位置は絶妙であったし、その上撤退も速やかであった。戦功を焦れば敵を深追いして逆に危険であろうが、彼等はその辺りの引き際もよく、実際使った兵はそう減らしていないだろう。在野でも雄略だけではなく、徐庶のような軍師も埋もれているのかと思うと、荀ケは君主の人材発掘はまだまだ続きそうだと、思わず苦笑した。
「お時間を取らせて申し訳ありませんでした。そうですね……こちらは暫くは戦はないでしょう。北のほうがきな臭いと聞きましたが」
「北ね……私寒いの好きではありませんの。でも行けそうなら行ってみますわ」
北と言われ雄略は僅かに表情を曇らせる。それを荀ケは眺め、僅かに微笑みを浮かべると、今回の会合を終了した。
***
「どうだった荀ケ」
「駄目ですね」
目の前の君主の言葉に荀ケは肩を竦めると、淡々とそう返事をした。すると男は可笑しそうに口元を歪め、荀ケの卓の前に置いてある椅子に座る。
「駄目か」
「……引っ張れないことはありませんが、今は無理強いしない方がいいでしょう。それに……」
「それに?」
「白馬公を覚えていらっしゃいますか?」
荀ケの言葉に、君主は僅かに眉を寄せ、幽州のか?と確認するように聞く。数年前に滅びた男だった。表向きは袁紹との戦いに敗れ自害したのだが、そこに至るまでの彼の軌跡をぼんやりと思い出し、君主は僅かに顔を顰めた。
人心が離れ、滅んだ。
幽州牧との折り合いが悪かったのもあるが、異民族との諍いも絶えなかったのだ。そして白馬公の舵取りは民も、己が配下の心さえも離してしまうものだったのだ。
「それがどうした」
「彼女が放浪軍として動き出した時期を考えると、十中八九、元白馬公の将でしょう。彼は騎馬の扱いが上手い人材を重用していましたしね」
「ほぅ」
仕官していた事があると雄略が言っていたので調べてみた荀ケは、少し彼女の事で引っかかりを覚えたのだ。袁紹軍に吸収された軍には行かずに、彼女は放浪軍となった。けれど別に袁紹軍を目の敵にしている様子はなく、寧ろ北に行くのは嫌がっているようにも見えた。
「……己の仕えた国が滅ぶさまを見たくない。そう言ってましたよ」
荀ケの言葉に君主は僅かに驚いたような顔をしたが、可笑しそうに口元を歪めた。
「随分軽く見られたものだな」
「彼女は誰に対してもそう言うでしょう。まるで自分がいるせいで国が滅びる、そんな口調でした」
「ますます面白い。もう少し調べられるか?」
「うちの人間でも探せば北から流れてきた人材もいましょう。あまり期待はしないで下さい」
呆れたような口調で荀ケが言うと、男は満足そうに笑った。
***
「雄略殿は?」
足具やら武器の手配をしてから戻った徐庶は、雄略の姿が見えなかったので弓の手入れをしていた兵にそう聞く。すると男は背をただし、馬を連れて川に行きました!と返事をする。兵のことは丸投げされたが、馬の面倒は雄略が見ていた。そもそもこの軍には荷を引く馬以外、軍馬は彼女の馬しかいない。扱いを分かる人間もいないのだろう。自分も今後のために馬の事も覚えておいた方がいいだろうかと考えながら、徐庶はほてほてと川へ向かった。
水の調達の加減で川からは比較的近い場所で駐屯している訳なのだが、それでも雨期である為に、川の氾濫を警戒して歩くと若干距離はある。徐庶は漸く川にたどり着くと、雄略の姿を探す。
足具を外し、水の中で馬を洗う雄略の姿を見つけ、声をかけようとしたが、徐庶は思わず言葉を飲み込んだ。
「……いい子ね。お疲れ様」
優しげに馬に話しかける表情は、今まで見たことがないほど穏やかで、彼女が今まで周りに見せていた笑顔が余りにもできすぎていることに徐庶は気がつく。交渉の時も笑顔を絶やさないし、戦場でも兵に笑顔を向け、大丈夫だ、と言葉を放つ。
鼻を雄略にすり寄せる白馬は、彼女に随分懐いているのだろう。彼女は嬉しそうに瞳を細めると、言葉を零した。
「貴方だけは私の側にずっといてくれるのね。嬉しかったわ。置いていこうとしてごめんなさいね」
それは馬だけでも逃がそうとした彼女の謝罪の言葉であった。あの戦場で、愛馬は彼女を置いていくことを嫌がり留まった。それが彼女はとても嬉しかったのだろう。
「……私は全部滅ぼしてしまったけれど」
ポツリと彼女が呟いた言葉を拾い、徐庶は思わず俯いた。過去に何があったかは知らない。けれど、ああやって愛馬に向ける言葉や表情を見ているといたたまれなくなる。徐庶から見れば、勇敢で、頭も良くて、肝も座っていて、何もかもが羨ましいほど優秀で華やかである雄略。そんな彼女がどうして、と言う気持ちになるのだ。
「北に……行きましょうか。貴方はあの人に会いたい?」
***
結局雄略に声をかけることが出来ずに徐庶はまた戻ってくる。すると、兵が慌てたように徐庶の側に寄ってきた。
「徐庶様!」
「どうした?」
指揮をとった事もあって、様付で呼ばれることが多くなったが、いまだになれない徐庶は苦笑しながら返事をすると、困り果てたように兵は口を開いた。
「あの、商人がきているんですが」
「……足具の件かな?ありがとう」
早足に商人の待つ場所に行ってみたが、徐庶が足具や武具を頼んだ店の男ではなく、困惑したように彼は商人に声をかける。
「何か?」
「雄略様ですか?」
「あー、今出てまして。代理じゃ駄目ですかね?」
申し訳無さそうな徐庶の言葉に商人は首を振ると、確実に受け取って頂ければ、と後ろの荷を指した。何やら荷台に乗っているのは大きな瓶。彼女が何か次の戦用に注文したのであろうかと、徐庶が中身を確認する。
「酒?」
「はい。荀ケ様からこちらに届けるようにと」
そう言われ、雄略の言った言葉を思い出す。酒でも振舞ってくれたほうがいい。人材勧誘は仕事だから仕方なくと言うような顔をしていたが、先の布石として送ってきたのだろう。恐らく雄略の突き返した金はこの酒に変わってしまっただけの様な気がして、徐庶は受け取って良いものか悩む。しかし、断っても商人が逆に困るのではないか。そう考え黙っていると、後ろから声がかかり、徐庶は振り返った。
「何してるのかしら?」
「荀ケ殿からみたいなんだが」
「……本当、あの人マメよね。まぁ、そうでないと軍師なんて出来ないんでしょうけど」
やや呆れ気味に雄略はそう言うと、酒を運ぶように兵に指示をだし、商人に笑顔を向けた。
「足止めしてしまってごめんなさいね。軍師様に宜しくお伝えください。これ、手間賃」
そう言うと、商人に手に銭を握らせる。それに商人は些か驚いたような顔をしたが、断ることなく懐にそれを入れる。
「またこの街に来ることもあるかもしれませんし、宜しくおねがいしますわね」
「こちらこそ宜しくお願いします」
深々と頭を下げる商人を見送ると、徐庶はちらりと雄略を見る。すると彼女は瞳を細めて笑った。
「あら、袖の下とかは嫌いな方かしら?」
「別にそんな訳ではないけど……意外に思って。金関係には潔癖なのかと思っていたから」
「アレぐらいの端金で今後の商売がうまくいくならばらまいても良いんじゃないのかしら?お金って便利よ。食料も情報も買えるもの。貯めこんでても意味はないでしょう?違うかしら?」
使うべきところには使う、と言うことだろう。実際仕事のためならば彼女は遠慮なく金を使う。今回の馬の購入代も大分必要だっただろう。
ただ、それは彼女が放浪軍の頭領であるから取れる行動でもあり、軍にいた頃はどうしていたのだろうか、という純粋な興味も徐庶は湧いた。しかしながら、聞いてもいいものかどうかは判断できず、結局曖昧に笑って彼女を眺めた。
「……さてと。じゃぁ晩御飯にしましょうか」
仕事の依頼料は基本的には皆に公平に分配されている。それは徐庶だけではなく雄略にもで、ある程度の軍の維持費を除いては取り分は公平なのだ。それに対して徐庶は不満もなかった。普段であれば金が入ったと駐屯地ではなく街に繰り出す者もいるが、今日は酒を振舞われることもあり、皆街には行かずにどうやらここで食事をとるようであった。
基本的には大人数なので鍋か、干し肉等をかじることが多い。
そんな中、粉を練っている者を見つけて、徐庶は側に寄っていく。
「それは?」
「鍋に入れる饅頭です」
「饅頭を?」
おいしいですよ、と笑うと、男はせっせとまた粉を練る。その横では中に入れる具材であろう、肉を小さく刻んでいるのを見ると、楽しみだと、徐庶は思わず顔を綻ばせた。
いくつかの塊に分散して火を囲み、食事をとる。放浪軍の中でもある程度集団ができているのだろう。徐庶は声をかけてきた弓兵の男の隣に座り、器を受け取った。
「饅頭を汁に浸して食べて下さい」
小さな饅頭であったが、周りがしているように器に浸すと汁を吸って膨れてゆく。温かい汁をすすりながら、饅頭も口に入れてみると、中から肉汁が溢れ徐庶は驚いたような顔をした。
「焼いても美味いんですけどね」
笑った弓兵の言葉に徐庶は、今度はそちらで食べてみたい、と思いながら、また饅頭を口に入れた。やや味は濃い目につけられているが、こぼれた肉汁が汁に混ざり、それがまた一番最初に飲んだ味とは違っている。酒をちびちびと飲みながら、徐庶は辺りを見回すと、雄略の姿が見えないので首を傾げた。
「雄略殿は……」
「天幕で食事じゃないですかね?」
いつも雄略は街に行く時以外は己の天幕で食事を取っている事が多いのだが、酒の席でもそうなのかと、徐庶は驚いたように弓兵を見る。すると彼は、いつもそうなんです、と困ったように笑った。確かに一応頭領ということもあり、雄略がいれば皆気を使うだろう。
適当に話を切り上げた徐庶は、ふらりと立ち上がり、雄略の天幕へ行ってみる。そっと中を覗くと、雄略は床に広げた書簡を見ながら黙々と食事を取っている様であった。
「雄略殿」
徐庶が声をかけると、雄略は驚いたように顔を上げて徐庶を見上げた。その姿が余りにも無防備で、徐庶のほうが慌てて、邪魔かな?と言葉を零す。すると、雄略は床に広げていた書簡を片手で乱暴に隅に寄せると、いつもの様に凛とした表情を浮かべて口を開く。
「何かしら?」
「えっと……食事は足りてるかなと思って」
「大丈夫よ。心配しないで戻りなさい」
そう言われ、徐庶は困ったように笑ったあと天幕の外に出て行ったが、小さな瓶に酒を入れて直ぐに戻ってくる。
「……」
「一緒にってのは、厭かな?」
「他の子と交友深めたほうが良いのではなくて?」
「うん。昼間にちゃんとやってるから」
そう言うと徐庶は雄略の側に座り、彼女の盃に酒を足す。それを呆れたように眺めた雄略であったが、盃の酒を飲み干すと口を開いた。
「何か話でもあるのかしら?」
「え?別に……」
驚いたように徐庶が返答をしたので、雄略はますます解らないという様に眉間に皺を寄せた。
「おかわりは?」
のんきな徐庶の言葉に、雄略が、そうね、と短く返事をすると、彼はまた盃に酒を満たす。酌をするために座っているのだろうか、そう思い雄略は徐庶の表情を伺うが、彼はこれといって本当に話がある訳では無いらしく、話を振ってくる様子もない。
「……こっちのおかわりも頼んでいいかしら。貴方も自分の分も持ってらっしゃい」
空の椀を押し出すと、徐庶はそれを持って天幕の外に出て行く。その後姿を眺めながら、雄略は酒を舐めて、変な子、と呟いた。
一方徐庶は、小ぶりの鍋を借りておかわりをたんまり移し替えると、饅頭も分けてもらいいそいそと雄略の天幕へ戻る。椀におかわりを入れてくるのかとおもいきや、鍋ごと持ってきた徐庶に雄略は思わず笑う。
「そんなに食べないわよ」
「うん」
徐庶は雄略の正面に座ると、間に鍋を置き、己の椀と、雄略の椀に汁を入れ饅頭を投入する。温め直したのか汁からは湯気が上がっており、天幕の中にいい匂いが充満する。
椀を受け取った雄略は、両手でそれを抱えると、汁を飲む。じんわりと胃に温かいものが広がって口元を緩めた。
「これおいしいね」
「そうね。体が温まる様に作ってあるの」
その言葉に徐庶は首を傾げると、君が彼等に教えたの?と聞く。
「何回か作ったかしら」
そしていつの間にか覚えたのだろう。饅頭を汁に入れるのも雄略がやっているのを見て、皆やりだしたのだ。それを知らない徐庶は感心したように饅頭を口に運ぶ。
「焼いても美味しいって言ってたけど」
「そうね……私はこうやって食べるほうが好きよ。寒いの嫌いだから」
瞳を細めた雄略を眺め、徐庶は少しだけ思案した後に口を開いた。
「北には行かない?」
荀ケは北がきな臭いと言っていた。けれど彼女の返答は明らかに乗り気ではなかった。戦があればどこにでも行くと兵たちは言っていたが、よくよく聞いてみると、北は優先順位が極端に低いのか、北の戦場には行ったことがないと言う者が殆どであった。せいぜいこの辺りが限度なのだという。
「……」
沈黙が続き、徐庶は雄略の表情を伺う。いつも即断する彼女にしては珍しく迷っている様で、徐庶は落ち着かなかった。
「麦の収穫が終わったら寒くなるしね。南にする?」
「北に行くわ」
呟くように雄略が言うと、徐庶は、短く、そうか、と返事をする。愛馬に北に行くと言っていたのを聞いてはいたが、彼女が悩んでいるとは思わなかった徐庶はどこかホッとしたような表情を作る。
「……寒いの嫌なの」
「うん」
どうしてそんなに繰り返すのか。そう思い徐庶は汁を飲みながら雄略の顔を眺める。すると彼女はそれに気がついたのか、少しだけ瞳を細めて笑った。
「貴方どこの出身なのかしら?」
「豫州だけど……えっと、まぁ、色々あって帰れない……かな?」
言葉を濁したことに、雄略が首を傾げると、徐庶は言い難そうに口を開く。
「友人の敵討ちを手伝ってね。その……あの土地にはいられなくなったんだ」
追われる身となり、その後は学問に没頭した。しかし、学べば学ぶほどに知るのは己と他との差であった。同じ師に仕えながら、自分より優秀である者も当然多くおり、徐庶はその差に諦めに似た感情を抱くようになる。
「その後、軍学なんかも学んでみたんだけどね……あー、なんというか、向いてないとは思わないけど、上には上がいるのを実感してね……その……」
「そう。ちゃんと勉強したのね。偉いわ」
雄略の言葉に徐庶は驚いたように顔を上げて彼女を凝視する。
「私は軍学は殆ど独学なの。そうね、戦場で学んだ様なものかしら。他の人を見て、あぁ、こうすればいいのね、って。貴方がちゃんと学んでいるなら、貴方に任せたほうがいいかしら?」
「いや!でも!その……自信がないと言うか、なんというか」
慌てたように徐庶が言うと、雄略は少しだけ口端を上げる。
「経験を積めばなんとでもなるわ。皆、最初は初めてなんですもの。大丈夫。多少の失敗は私が何とかしてあげるから頑張りなさい」
「雄略殿……」
「そして、さっさとどこかに仕官しなさい」
「それは厭だ」
即答した徐庶に、雄略は呆れたような顔をすると、困った子ね、と瞳を細めた。
「私の側にいてもいいことなんてなくてよ?」
それは何度も繰り返された言葉で、徐庶はそれでも彼女の後をくっついてきた。自分自身でも理由はよく解らないと言うのが彼の気持ちだ。けれど、彼女ではないと嫌だ、という事だけは自覚していた。
「それでもいい」
徐庶の言葉に雄略は少しだけ黙った後に、仕方ないわね、と口を開く。
「雄略、でいいわよ。貴方にはうちの子達の面倒みてもらうわ。頑張りなさい」
「え?あ、それはどういう……」
「こんなちっちゃな放浪軍ですもの。貴方と私は役割分別して対等ということ。分かった?」
「そんな事言って、俺に放浪軍ごと押し付けていなくなる……ってのは無いよね?」
その言葉を聞いて、雄略は瞳を細めて笑うと、それは思いつかなかったわ、と言葉を零す。
「え!?あ!」
慌てて徐庶が、今のはなしで!と言葉を放つと、彼女は少しだけ笑った。
***
「雄略に客が?」
「はい」
結局北には向かわず西へ西へと移動する。そんな中放浪軍を訪ねてきた人間がいた。仕事の依頼だろうか。そんな事を徐庶は考えたのだが、あいにく雄略は資材調達のために留守にしている。一応話だけ聞いておこうと客人の所へ彼は向かった。
案内された天幕で待っていたのは、穏やかそうな背の高い男。ただ、そんな雰囲気とは裏腹に隙がないと徐庶は感じたので、恐らく軍人だろうと考える。
「申し訳ありません。頭領は今外出しておりまして」
「いえ、こちらこそ。急に訪れて申し訳ない」
深々と頭を下げる姿は誠実さが見えて徐庶はこの男に好感を抱く。人によっては放浪軍だと侮って上からものを言う輩も多いのだ。
「仕事の話でしたら……」
「いえ、仕事といいますか……いや、仕事なのか?」
申し訳ないがまた出直してもらおうと徐庶が口を開くが、男はそれを遮って言葉を放つ。しかし途中で小さく首を傾げて言葉を探しているようであったので、それを徐庶は待つことにした。
「雄略を劉備軍に迎えたい」
「……は?」
「無論、彼女の抱えている放浪軍……徐庶殿、貴方ごと纏めて」
心の裏側がざらつく感覚に徐庶は困惑する。この男への印象は決して悪くない。今もそう思っている。けれど何か、どこか、引っかかりを感じて徐庶は小さく息を吐き出した後に確認するように口を開いた。
「蜀の地に構える劉玄徳殿の軍で間違いはありませんか」
「はい」
「ならば雄略はともかく俺はいらないでしょう。それとも……彼女の付属物扱いですか?」
わざと嫌な言い方をしてみたが男は小さく首を振って瞳を細めた。
「諸葛亮殿が貴方をお望みです。そして雄略を望んだのは私」
徐庶の息が詰まる。あの天才から逃げて、逃げて、漸く雄略の下でなら役に立てると思ったのに。徐庶は自然と指先が震えるのを自覚する。
「子竜様、うちの可愛い子いじめないでくださる?」
「……雄略……」
天幕に入ってきた雄略の姿を見て、漸く徐庶は息を吐き出す。すると彼女は困ったように笑って、徐庶の背を撫でた。
「申し訳ない。何か気に障るような事を言っただろうか」
「……子竜様は悪くないわ。この子の精神的な問題ですもの」
天幕を出るように小声で雄略は徐庶に伝えたが彼は小さく首を振って、大丈夫だと言葉を返す。それに僅かに雄略は眉を寄せたのだが、この手の事で徐庶が命令に従った事がないのを思い出してしかたなく同席を許す。
「それで、劉備軍に?」
「ええ。貴方の才能を遊べせておくのは勿体ない」
「……また同じことを繰り返すかもしれませんわ」
「雄略。貴方が悪いわけではない。あの方にそれだけの器が無かっただけだと私は思う。実際、あの方のやり方では人心が離れていった」
何の話をしているのか。ぼんやりとする思考を徐庶は慌てて収束させる。荀ケへ言っていた亡国の話だろうとは思ったのだが、それを己は知らず眼の前の男が知っている事がどこか悔しかった。
「嫌でなければ一度我が殿に会ってくれないだろうか。返事はそれからでも構わない」
「……でも……」
「雄略。私は君がこのまま自壊するように擦り切れて行くのを黙って見ている事はできない」
大げさだと浅く笑った雄略を眺め、徐庶は、あぁ、君はそうなのかとどこかぼんやりと考えた。
悪逆雄略さんと徐庶。出会編
202603 ハスマキ