*水滴穿石*

 屋敷の門をくぐった猿飛あやめは、人の気配の多い様子に驚いて辺りを見回した。大きな屋敷ではあるが、家人は一人。普段は人の気配も無く、ひっそりとした様子なのだ。しかしなが、今日は庭の方に人が出入りをしている様子である。
「よぉ。早かったな」
 家主である服部全蔵が顔を出したので、猿飛は安心したような顔をする。どうやら家主が了解して人を入れているのだろうと納得できたのだ。
「庭、何してるの?」
 全蔵から渡された仕事の依頼書を確認しながら猿飛が何気なく言葉を放つと、彼は首を少し傾げて笑った。
「ちょっと庭の手入れさせたんだよ。昔は親父がマメに業者入れてたけど、随分ほったらかしだったしな」
 そう言われ、猿飛は改めて庭を眺めた。確かに全蔵の父親がいた時は四季折々の花が見られた庭であったが、全蔵自体が庭いじりに余り興味が向かなかったせいもあり、荒れてはいないが、最小限の手しか入っていない。専ら全蔵が世話をするのは、裏にある薬草畑ぐらいなものである。薬草畑を手入れするのは忍者の仕事の内であると全蔵も思っているのか、割とそちらは充実しており、猿飛も時折分けてもらっていたりもする。
 仕事以外に趣味らしい趣味は漫画を読むことという、インドア派の男が急に庭の手入れと言い出したのが不思議になった猿飛は、依頼書を懐にしまうと、庭の方に足を向けた。それを咎める様子もなく、全蔵は後ろから付いてくる。
 数名の庭師が枝を整え、雑草を刈る姿を見ながら、猿飛は目を細めた。
「本当、全蔵には勿体無い庭よね」
「家や庭が無駄に広いってのも考えもんだな。手入れが面倒だ」
 仕事以外は面倒だとでも言いたげな全蔵を眺めて猿飛は怪訝そうな顔をする。
「面倒なら何で今更庭の手入れ?」
「……花がちゃんと咲くようにと思ってな」
 ますます理解出来ないというような猿飛の表情を見て、全蔵は薄く笑った。
「俺は花には興味ねぇんだけど、四季折々の花を眺めるのが好きな知り合いがいてな」
「もしかして、銀さんの幼馴染?」
 全蔵の知り合いで花が好きなのは花屋に勤める同僚ぐらいしか思いつかなかったが、もしかしてと、彼の雇い主の名を猿飛は上げた。万事屋の坂田銀時の幼馴染の女。三味線屋と称して仕事をする彼女の家に一度行ったことがあったが、その時部屋に花が飾ってあったのだ。
「この前庭にあった花を持っていったら随分喜んでな。こんなもんで喜ぶのかって思った」
 たまたま部屋に花が何も飾ってなかったの見て、庭から抜いて渡してみたのだ。どうやら丁度いい季節の花だったらしく、彼女は喜んでそれを飾ってくれた。それだけの事だと全蔵はつまらなさそうに言うと、猿飛に視線を落とした。
「オメェも好きな花あったらもってけよ」
「別に私は要らないけど……。珍しいわね、全蔵が仕事以外の事に興味向くなんて」
 既に解体された御庭番衆ではあるが、今だに忍者の需要は存在する。その筆頭の名に相応しく、全蔵はある意味一番忍者らしい忍者であった。己の技を磨くことに心血を注ぎ、それ以外には余り興味を示さないし入れ込まない。非常に性格は淡白で、忍者の仲間であっても、いつ敵同士になってもいいように、さほど慣れ合わない。
 そんな事を知っているだけに、猿飛は少し心配になり、言葉を零した。
「ねぇ。余り入れ込まない方がいいんじゃないの?依頼主に」
「……心配すんなって。ちゃんと殺せる」
 その言葉に思わず猿飛は返答すべき言葉を探した。例えば、彼女との契約が切れた後に、別の誰かが彼女を殺せと金を積んだらその任務を遂行するという返答である。忍者としてはそれは正しい。しかし、人としては理解されることはないだろう。猿飛とて忍者であるのだから解ってはいるのだが、実際に口にされるとゾッとする。
 言葉を探す猿飛に視線を送りながら、全蔵は苦笑すると口を開いた。
「俺の技術を総動員して、綺麗に殺すよ」
「こんな事言ったら駄目なんだろうけど……」
「ん?」
「別に誰かを選んでもいいんじゃないの?」
 猿飛の言葉に、全蔵は咽喉で笑うと思わず瞳を細めた。先程の言葉と矛盾してると思ったのだ。入れ込むなと言った矢先に、誰かを選んでもいいとは、可笑しな話だと。ただ、万事屋に入れ込む猿飛がそのような発言をするのは理解できた。いずれ忍びは不要になる時代が来るかもしれない。それは全蔵も、その父親も御庭番衆が解体されたときに漠然と感じてはいた。だからこそ、仲間にはできるだけ忍者の兼業を勧めてきたのだ。ある者は花屋として、ある者は鳶職として。忍者専業ではもう食っていける時代ではないと。そんな時代に、古い忍者の理想を掲げ続ける事もないのかもしれない。
「……そーだな。でも、俺、死ぬまで忍者でいたいんだ。仕事の為に女房子供も見捨てて、死ぬときは一人で死ぬ……そんでも、俺がいいって人間がいりゃ考えてもいいけどな」
「歪んでるわね」
 呆れたような猿飛の声に、全蔵は笑った。
「それかもしくは……」
「まだあるの?」
「俺の腕を何よりも、誰よりも一番高く買ってくれて、一生俺を養ってくれる素敵な雇い主」

 

 鬼兵隊のアジトというのは各地に点在するが、幹部クラスの使う場所は限られている。常に鬼兵隊の動きに注意を払っている全蔵は、ピザ屋のバイトの帰りに雇い主の家を覗いた。留守二日目。念の為に携帯を確認するが、何の連絡もなく、そろそろかと全蔵は懐から現在の鬼兵隊のアジトの書かれた紙を取り出し場所を確認する。埠頭に停泊している船か、江戸の外れにある某商家の別荘か。
 何の前触れもなく雇い主が長期不在になった場合は、高杉が彼女を連れ出したとみなし連れ戻しに行くのが仕事なのだ。以前は勝手に監禁場所から脱出していたようだが、いい加減面倒になったと全蔵を雇い入れたのだ。金払いも良く、拘束時間も短いのでバイトを兼任している全蔵にとっては有難い雇い主である。
「さて。お仕事お仕事」
 全蔵はそう呟くと、闇夜にその姿を消した。

 埠頭の船は空。ならば商家の別荘だろうと当たりをつけて全蔵は移動をした。監禁場所さえ特定すれば後は大した労力を裂かずに任務は完了する。攘夷浪士と呼ばれる鬼兵隊であるが、彼女を監禁するのは高杉の私情であるが故に、基本的に警護が厳しいという程でもない。いなくなったらいなくなったで、また攫えば良いと考えているのか、何度忍びこんでも警護が厳しくなることはなく、それに対し初めは罠かと警戒したものだ。しかしながら、何度もその依頼を受け行くうちに、高杉と雇い主であるカグヤの奇妙な関係が浮かび上がってきたのだ。幼馴染の攘夷志士。廃刀令と共に刀を置いた女。異常な執着を見せる高杉。追えば逃げ、逃げれば追う永遠のイタチごっこ。歪な関係は永遠に続くようにも見える。
「歪んでんだろうな。高杉も姫さんも」
 そう思わず呟いて全蔵は苦笑した。高杉が歪んでいるのは見れば解る。しかしながら、カグヤを歪んでいると言う人間は、果たして何人存在するのだろうか。誇り高い迦具夜姫。その誇り故に、己の抱えた約束を破棄することも出来ずに、歪んだ檻に留まり続けているのだろう。そしていつしか彼女も歪んだ。嘘つきが嫌いだと言いながら、嘘を貫き通し、愛しているのに、全てを手放す。全蔵にはそれが興味深かった。
 そんな事を考えながら、別荘へ忍びこむと、全蔵はカグヤがいるであろう部屋を探る。監禁するといっても、牢に入れられる訳でもなく、ただ、施錠した普通の部屋に閉じ込められ、衣食住は十分に与えられている。監禁の意味があるのか否かといえば、全蔵はないと思っていた。しかしそれは全蔵の考えであって、二人には何か意味があるのかもしれないと、それ自体に何か意見をしたことはなかった。監禁場所からカグヤを連れ出し、敷地内を出れば追手すら来ないという、拍子抜けの仕事なのだ。
 大概高杉の部屋の傍に監禁されているので、全蔵はまず高杉の部屋を特定する。のんびり煙管の煙を吐き出している高杉と、その膝に乗る小さい娘。彼女が鬼兵隊の飼う夜兎であることは今までの経験上知っていたし、夜兎という種族がどのようなものかも一応は調べていた。宇宙最強の傭兵と謳われる種族であるが、娘を見る限りでは欠片も要素が見当たらない。けれど、一度だけ追いかけられたことがあり、その時は非常に難儀したのを思い出し、全蔵は再度部屋の様子を伺うことにした。幸い娘は口を開けて寝ている様子だったので、巧くいけば接触せずに済みそうだと安心した全蔵は、その場をそっと離れた。
 少し離れた部屋。そこから三味線の音が聞こえたので全蔵は中の様子を探る。誰か部屋にいれば厄介だとも思ったが、幸いカグヤ以外誰もいる様子はなかった。当然施錠されており、天井からの侵入を試みるか、窓からにするかと考えた全蔵は、二階だと言う事で窓を選ぶ。この程度の高さならば、カグヤを抱えて十分飛べると思ったのだ。
 がっちりと嵌めこまれた窓枠を綺麗に外すと、全蔵は部屋の中を覗き込んだ。
「早かったわね」
「バイト終わった所でさ」
 窓を外す様子を黙って眺めていたカグヤは、可笑しそうに笑うと、ありがと、と短く言葉を零す。手に持った三味線は高杉の物か、彼女の物かは分からない。
「それ。持って帰るの?」
「あぁ、なんか晋兄がくれるっていうからさ。持って帰ろうと思って」
「そんじゃ、落さないようにな」
 全蔵の言葉に淡く微笑むとカグヤは三味線を解体し箱へ詰める。その様子を眺めながら、全蔵は僅かに瞳を細めた。蝶柄の着物。以前に好きなのかと聞いたら、高杉が好きなだけだと笑っていたのを思い出し、ふと言葉を零した。
「姫さんのタンスの中、蝶柄ばっかになってんじゃねーの?」
「たまにお嬢が来た時に持って帰ってもらってんのよ。増える一方だし。最近はザキさんに着せてる」
 ザキさんと呼ばれたのが彼女の弟子である君菊……真選組の山崎であると知っている全蔵は、そうか、と納得したような顔をする。けれど全体的に地味ないでたちの君菊に派手な蝶柄はもう一つ似合わないような気もした。
「まぁ、ザキさんに似合うのって限られてるんだけどね。今着てるのみたいに派手すぎるのは全然駄目だし」
「俺もそう思う」
 カグヤの言葉に全蔵は咽喉で笑うと、手を差し出す。
「そんじゃ、帰ろうか姫さん」
「そうね。帰りましょ」

 追手は全くなかった。これに関しては運がいいと思いながら全蔵はカグヤを抱えながら走る。大概は撤退時に見つかる事が多いのだ。一人で侵入して出る分には見つからない自信はあるが、人一人抱えると流石に完璧には行かない。仮にも攘夷浪士の集団。カグヤ個人に警護が付いていないだけで、建物自体には真選組や敵の警戒網は張ってあるのだ。
 敷地を出る寸前に、全蔵はちらりと建物の方へ視線を送った。高杉の部屋の窓。先程は閉まっていたが、開け放たれた窓から顔を出してこちらを眺めている男の姿を確認して、僅かに瞳を細めた。
──殺せって言ってくれねぇかな。
 そんな事を考えながら、全蔵はカグヤを地面に下ろした。
「姫さん、今日は時間ある?」
 全蔵の言葉にカグヤは首を傾げる。時間があるかといえば、当然仕事もないので暇なのだ。せいぜい酒を飲んで寝るだけの用事しかない。そう考えたカグヤは、大丈夫、と短く返答した。すると全蔵は少しだけ口元を緩めて笑った。
「そっか」
 そして再度カグヤをだきかかえ、闇夜の街を疾走した。

「……ここどこ」
「俺んち」
 全蔵の返答に、カグヤはしげしげと建物を眺める。全蔵に仕事を一番最初に依頼した時は猿飛に仲介を頼んだので、全蔵の家には来たことがなかったのだ。
「イイトコの子なのね」
「ボンボンでな」
 咽喉で笑った全蔵は、門をくぐるとそのまま庭の方へ歩き出す。それについて行ったカグヤは、珍しそうに庭の様子を眺めていた。
「そういえば前に庭に咲いてた花くれたわね。こんなに大きい庭だとは思わなかったけど」
「俺が手入れしてんのは裏の薬草畑だけでな。他は業者任せ。元々親父が趣味で庭いじってた。死んでからはほったらかしだったんだけど」
 そう言いながら全蔵はどんどん敷地の奥へと歩いて行く。
「で、これ見せようと思って」
 そう言い、全蔵が足を止めたのは藤棚の前であった。綺麗に手入れされた藤棚に咲き誇る薄紫の花。カグヤはゆっくり花に手を伸ばし、その冷たい花弁に触れる。
「綺麗に手入れしてるのね」
「俺じゃなくて業者がな。年明けに手入れして貰った」
 笑った全蔵を見て、カグヤは瞳を細めた。綺麗に垂れ下がる藤は、夜風に吹かれふわふわと揺れる。
「藤ってのは、他の木に巻きついて育つんだな。全然知らなかった」
「そうよ、男は松女は藤ってね。藤娘の演目でもあるわ」
 男は地面にどっしりと生える松。女はそれに絡む藤。女は男を頼りにするものだという、えらく古風な考えを示すことわざなのだが、どうにも目の前にいる女とはちぐはぐで可笑しくなった全蔵は思わず笑った。その様子を見て、カグヤは微笑むと、だきかかえていた三味線の箱を撫でる。
「三味線弾きたいわ」
 すると全蔵は彼女の手を引いて、藤棚の見える縁側に移動した。先に座ると、ポンポンと隣を叩く。それを見てカグヤは横に座り、三味線の調律を始めた。
 全蔵の鼓膜を揺らすのは三味線の音と彼女の歌う小唄。名妓と謳われた迦具夜姫の三味線を聞く事のできる人間は座敷では限られており、紹介を得るために苦労をしている人間もいると全蔵は聞いている。彼女の三味線は座敷で聞くより、こうやって彼女の気分が乗っている時に聞くほうが遥かに値打ちがある。そう思い全蔵は瞳を細めた。
 三味線の音に耳を傾けながら、全蔵はポツリと言葉を零す。
「季節の花が好きな割には、出不精だよな、姫さん」
「そうね。昔はどこぞと出かけることもあったんだけどね。晋兄も今ほど出不精じゃなかったから」
 その言葉に全蔵は、そっか、と短く返事をした。恐らく季節の花が好きなカグヤのために高杉が連れ出していたのだろう。それとも逆なのか。
「俺が連れてこうか?」
 驚いたように顔を上げたカグヤは瞳を細めて笑う。
「全さん忙しいしゃないのさ」
「……忙しいさ。でも、姫さんからの依頼だったら仕事だ」
「そうね、そんな依頼もいいかもね。今度お願いしちゃおうかしら」

 カグヤを家まで送った全蔵は、再度藤棚の下へ足を運び花を見上げた。
「俺が殺せなくなるか、姫さんが俺を守ろうとするか。どっちが早いだろうな」
 高杉の事が笑えない様な滑稽な根競べ。それも面白いと思いながら、全蔵は踵を返した。


根っからの忍者。
20110615 ハスマキ

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