*氷菓*

 暑い暑いと扇風機の前を陣取っている来島を眺め、武市は顔を顰めながら口を開いた。
「仕方がないでしょう。空調業者は明日入りますから辛抱して下さい」
 猛暑だというのに船の空調システムが故障し、地獄の暑さと戦う羽目になっている鬼兵隊。かれこれ三日ほど辛抱はしているが、流石に皆疲れが見えている。
 来島に至っては、扇風機の前に椅子と桶を置いて、そこに氷水を入れ足を突っ込んで人一倍涼しい筈であるのにこの有り様である。
「来島ちゃん、氷持ってきたんよ」
 桶に氷をいっぱい詰め込んで戻ってきたレンを見て、来島は急かすように足をバタバタとする。氷水だった物は既にただの水と化して、ひたすら温度を上げ続けているのだ。
 ザバザバと来島の足元の桶に氷を移すと、レンはそれを一つだけつまみ上げ明かりに翳した。
「小さいとあっという間に溶けるんよ」
「製氷機がしょぼいっすからね」
「殆ど一人で使っていてその言い方ですか」
 呆れたような武市の言葉に、来島は顔を顰めた後に側にいる高杉に声をかけた。
「晋助様もどうっすか?気持ちいいっすよ?」
「冷え性だからいい」
 本気とも冗談とも取れない高杉の言葉に来島も武市も唖然としたが、レンだけは意味が分からなかったらしくきょとんとした様子で高杉を眺めた。
「冷え性?」
「テメェには縁がねぇから気にすんな」
 咽喉で笑った高杉は、桶を置いたレンの手を取ると口端を歪めた。
「ガキみてぇに体温たけぇんだろ?万斉の野郎もよくもまぁ糞暑いの辛抱してるもんだな」
 流石に以前ほどではないが、それでも万斉はレンに対して物理的にべったりで、見てるほうが暑いと来島などは苦情を出している。そもそも万斉のあの黒い服もよろしくない。見てるだけで汗が出てくると来島は大真面目に思っているのだ。
 高杉が触れたレンの指先は、先程まで氷の入った桶を持っていたとは思えないほど温かく、彼の言うとおり彼女には冷え性など無縁である。
「レンさんは暑くないんですか?」
 武市の言葉にレンは少しだけ首を傾げると、暑いけど大丈夫なんよ、と笑った。日差しを避けるために一応年中肌を晒すことが少ない服を着ている。
 生地は薄手のものを選んでいる様だが、それでもそんな姿を見ると暑かろうに、とその体質に同情する武市を眺めて、高杉は笑った。
「雪兎は暑いのも寒いの割りと平気だろーがよ。それよか、万斉のほうが頭おかしいだろ。なんでこの時期に黒コート着込んでんだよ」
「……そうっすねぇ。けど、万斉先輩の薄着ってのもあんまり想像出来ないというか、何というか……」
「貴方が言いますか。冬場はそのへそ出し寒々しいですよ」
「ファッションっすよ!ファッション!」
 呆れたように武市にいわれ、ムキになったように来島が言い返す。来島のへそ出しがファッションであるのならば、万斉の黒コートもファッションであろう。しかし、それはそれ、これはこれなのか、来島はぐったりしながら天井を仰いた。
「コートだけでも脱げば良いのに先輩。空調効いてればまぁともかく、よくもまぁ……」
 それこそ、空調さえ聞いていれば、高杉ではないが冷え性なのか、寒がりなのか、とスルーもできるが、空調無しで黒いコートなど、本気で熱中症を心配するレベルである。
 ちゃぷちゃぷと来島が足を突っ込んでいる桶に手を入れて氷を触っていたレンは顔を上げて首を傾げる。
「そう言えば万斉まだやね」
「そうっすねぇ。お土産にガリガリさん頼んだんっすけど忘れてないっすかね」
 表の仕事があるとかで、朝から出かけている万斉。昼過ぎには帰って来ると言っていたので、来島はアイスのお使いを頼んだのだ。普段であるならしかめっ面で拒否していただろうが、流石に空調の故障でこの状態である。気の毒に思ったのか、諒解した、と良い返事を貰えた。
「レンも足入れていいっすよ」
「ほな、ちょっとだけ」
 その言葉に武市は、笑ってレンの分も椅子を運んできた。少しだけ長いズボンをまくって白い足をぽちゃんと桶に入れる。
「おー、冷たいんよ」
「こうやって見ると、レンさんの足は白くて細いですね」
「何比べてるんっすか!つーか、武市先輩が言ったらセクハラっすから!万斉先輩に首刎ねられろ!」
 きーっと怒ったように来島が言うのを眺め、高杉は煙管の煙を吐き出しながら笑った。
「夜兎ってのはそんな種族なんだろ。比べられた方が気の毒だ。阿伏兎のおっさんだって、色白いだろうよ」
 そもそも陽の光に弱い種族なのだ。その中でもレンは特に陽の光に弱い。色素が全体的に薄いのもそのせいだと聞いていた高杉が、立ち上がると、先程までレンがしていたように桶に手を入れた。
「まぁ、細いってのは同意だな。筋肉繊維の構造が違うのかしらねぇが、細い割に怪力だしな」
 そう言うと、細いレンの足を指でなぞる。それを眺めていたレンは、難しい事はわからないんよ、と首を傾げたが、直ぐに来島の短い悲鳴が上がった。
「今直ぐ手を放すでござる。手首とさよならしてもいいのならばそのままでいろ」
「減るもんじゃあるめぇし」
 来島の悲鳴は、高杉の首元に当てられた刀に気がついたからであり、見ていた武市も思わずぎょっとする。
 タイミングがいいのか悪いのか。帰宅した万斉は部屋に入るなり刀を抜いたのだ。
「お帰り万斉」
「ただいまでござる」
 ホールドアップするように高杉が手を上げたのを見て、万斉は漸く刀を収めるとレンににこやかに挨拶をする。
 刀を収めた万斉が、開いている方の手で持っていた袋に気が付き、来島は期待の視線を彼に送り、そわそわとしたように口を開いた。
「先輩、あの、ガリガリさんは……」
「ガリガリさんの方が良かったでござるか?」
 そう言うと持っていた袋の片方を来島に万斉は渡した。その中にはバーゲンダッシュが沢山入っており、来島は瞳を輝かせる。
「えぇ!?どうしたんっすか!?こんなに!?」
 驚きと喜びを見せる来島に、万斉は事務所に差し入れがあったのでそのまま貰ってきた、と短く言い、もう一つの紙袋は卓に置く。
 一方来島は、大喜びで一つ取り出すと、バタバタと残りをこの部屋に設置されている冷凍庫に放り込む。
「足!足拭いて下さい!」
 慌てたように武市がタオルを持って来島を追いかける姿を見て、高杉は咽喉で笑った。
「多少濡れても構わねぇよ」
「畳は傷みやすいんですよ!」
 基本船は土足で皆歩きまわるが、個人の私室に関しては逆に土足厳禁の部屋が多い。この高杉の部屋などは畳を敷き詰めている。一方万斉はフローリングの様にしているのだ。これは個人の好みに応じての改造となっている。
 ペタペタとバーゲンダッシュを食べながら歩く来島の足跡を武市が拭きながら戻ってくるのを眺め、レンも桶から足を出す。
 タオルを取ろうと手を伸ばすが、それよりも早く万斉が彼女の足元に跪き、丁寧に足についた水滴を拭った。
「ありがとうなんよ」
 瞳を細めて笑うレンと、満足そうな万斉。その異様な光景を眺めながら、来島は呆れたように口を開いた。
「武市先輩がやっても変態っすけど、万斉先輩だと絵になるっすね」
「貴方の足を拭くなんてごめんですよ」
 タオルを直しながら武市が言うと、来島はけなされたと感じたのか顔を顰める。
「っと、先輩、こっちはなんっすか?」
「貴方本当卑しいですね……」
「煩い、黙れ変態」
 そんなやりとりを眺めながら、万斉は少しだけ笑うと、その紙袋から箱を取り出す。
「かき氷機か」
 声を上げたのは高杉で、こりゃまた……と笑いながら口を開いた。
「今どきボタンひとつで削れる奴もあんだろ」
 大昔から存在する、ハンドルを回すタイプの代物で、ペンギンの形をしている。その形が気に入ったのか、レンは瞳を輝かせて箱を開けてかき氷機を取り出す。
「おー!ペンギンさんなんよ。凄いんよ!」
「ペンギンの形をしているのがこのタイプしか無かったでござる。レン、使ってみようか」
「?どうやって?」
「氷があるなら、かき氷が作れる」
「この前食べたやつ?」
 レンの言葉に万斉が頷くと、彼女は氷を取ってくると、先程氷を詰めていた桶をまた持って部屋を飛び出していった。
 それを見送った万斉は、いそいそとかき氷機を入れていた袋から、シロップやらフルーツ缶、挙句はアンコまで取り出して卓に並べる。
「……マメだな。おい、器出してやれ」
 呆れたように高杉は言葉を零すと、武市にかき氷を入れられる器を出すように言う。各部屋に簡易キッチンは付いているので、茶器や、細々した器などは置いているのだ。
「丁度いいのはありますかね」
 そう言いながら武市は器を探しに奥に引込み、来島はバーゲンダッシュを食べながらシロップを一つ手に取る。
「抹茶まで買ってきたんっすか」
「レンがこの前食べていた」
「へー。渋いっすね」
 彼女のふわふわとした外見から、どちらかと言えばイチゴ等の方が似合いそうだと思いながら、来島は手持ちのアイスを平らげゴミ箱に容器を放り込む。
「洗ったほうがいいっすかね?」
「では頼む」
 箱から出したばかりのペンギンを抱えて、来島は武市同様奥へとペタペタと歩いて行った。
「ふむ……みぞれもあれば良かったでござるかな」
「どんだけ食うんだよ。つーか、みぞれとか砂糖水じゃねぇか」
 煙管の煙を吐きながら高杉が言うと、それもそうかと万斉は頷き、皆が揃うのを待った。

 ワクワクと期待の表情を浮かべたレンの横で、万斉はペンギンの蓋を外し氷を放り込んだ。
 そして、回すハンドルに合わせて響く氷を削る音。
 ペンギンの腹を覗きこむように器を眺めていたレンは歓声を上げる。
「おー!出てきたんよ!」
 削られた氷が雪の様に積もって行き、氷の山を作る。
「こんなもんでござるか?」
 万斉はそう言うと、ペンギンの腹から器を引っ張り出しレンの前に置いた。
「何がいい?」
「この前食べた奴が美味しかったんよ」
「そうでござるか」
 そう言うと、万斉は抹茶のシロップをかけ、その上にアンコと練乳を乗せる。
「果物は好きに乗せるといい」
「わーい!」
 ウキウキと缶詰を開けるレンを横目に、来島は鼻歌を歌いながらペンギンに追加の氷を入れる。
「バーゲンダッシュも食べたでしょうに」
「かき氷はカロリーないからいいんっすよ。別腹別腹」
 呆れたような武市の言葉に、来島は上機嫌に答えると、ガリガリと氷を削りだす。しかし、上機嫌だったのは始めの方だけで、段々と元気がなくなる。
「腕がだるい」
 万斉は大した作業でないような顔をしていたが、一人前でも結構時間がかかる。暑いのもあり、来島は額の汗を拭って武市に視線を送った。
「代わって下さい、先輩」
「貴方の分でしょうに!」
「あ、私やりたいんよ!」
 既に万斉特製宇治金時を平らげたレンが、はいはい!と乗り出すように手を上げた。
「どっちに回すん?」
「余り力は入れなくていい」
「わかったんよ」
 レンが来島と場所を代わると、万斉は彼女のハンドルを握る手に己の手を乗せて少し回して見せる。夜兎と言うのは力が強いので、加減を教える為であろう。三周ほどハンドルを回した辺りで万斉は手を放し、レンは一人で氷を削る。
「一杯出てきたんよ!」
「うわ!レン!ストップ!溢れてるっす!」
 景気良くハンドルを回すレンを慌てて来島は止め、器をとりだした。
「万斉もいる?シンスケとタケチーは?」
 楽しそうなレンを見ると、いらないとも言いにくいし、そもそもこの暑さだ。寧ろかき氷は有難いと三人共頷く。
「ストップって言って欲しいんよ」
 そう言いながらレンは元気よくかき氷機を回し続けた。

 桶に入れていた氷は丁度なくなり、レンは満足そうに額の汗を拭うと、かき氷を食べる万斉の側に寄っていく。
「それは何味?」
「レモンでござる」
「酸っぱい?」
「甘い」
 万斉の返答にレンは不思議そうな顔をする。レモンというのは酸っぱいイメージなのだから当然の反応であろう。それを眺め万斉は笑うと、一匙すくって彼女の口元に持って行く。
 パクリとそれを頬張ったレンは、暫くじっとしていたが首を傾げた。
「レモン?」
「レモンでござるよ」
 レモンのような、そうでないような……そんな表情を浮かべるレンを見て、来島は口を開いた。
「ネットで見たんっすけど、コレって基本的に味は同じで、色と香料で差別化してるらしいっすね」
「そうなんですか!?」
 武市は知らなかったのか、驚いたように声を上げて、己の手元にあるメロン味のかき氷を眺める。
「大体菓子とかはそんなもんだろ。つーか、ブルーハワイって何味なんだって話だろ」
 高杉は青い氷を口に運びながらそう言葉をこぼす。
「ですよねー」
 来島は笑いながらそう言うと、赤い氷を口に運び、ひゃ!っと悲鳴を上げる。
「どうしたん?」
「氷って急いで食べると頭痛くなる……って、レンはならないんっすか?」
「平気だったんよ」
 かき込むように宇治金時を消費したレンはケロッとしていたのを見ると、嘘ではないらしい。夜兎はいいなぁ、と思いながら、来島は頭痛が来ない様に今度はちびちびと氷を食べてゆく。
 そんな中、万斉は己の氷を殆どレンの口に運び、満足そうにレンの分の器と一緒に片付けにいった。
「殆どテメェが食っちまったじゃねぇか」
「……ほんまやね?もう一回万斉の分作ったほうがええ?」
 呆れたような高杉に言葉に、レンが返答すると、彼は咽喉で笑う。
「片付けたって事はいいんだろ。雪兎に食わせて満足したんだろ」
「食べてないのに?」
「そーゆーもんだ」
 不思議そうなレンの表情を見て、高杉はまた笑った。万斉と言う男はそういう男なのだ。糞暑い中、わざわざ大荷物になるというのに、レンが喜ぶだろうとかき氷機を買ってきた挙句に、殆ど彼女に食べさせてしまう。その気持は分からないでもない。結局のところ、万斉と高杉は根本的な所で己の好きな女への対応が似ているのだ。ただ、残念ながら高杉は女に逃げられたのだが。
 戻ってきた万斉は、レンに部屋に戻るがどうする?と確認する。すると彼女は大きく頷いて、ペンギンのかき氷機を抱えた。
「ここに置いておいてもいいんだぜ?」
「可愛いからお部屋に飾るんよ!」
 高杉の言葉にレンは笑いながらそう返答した。すると彼は咽喉で笑い彼女の頭を撫でる。
「そうか。そんじゃイルカの隣に並べとけ」
「そうするんよ」
 水族館に時折出かけては増えてゆく小物。お気に入りのイルカの置物の隣に置くのであろうと思い、高杉は瞳を細めた。
「たまに貸してくれよ」
「了解したんよ」
 それでも使わないのももったいない。そう思い高杉が言うと、彼女は大きく頷く。大事にしまっておくより、使うほうがいいと思うタイプなのだろう。エイのクッションも、クラゲのぬいぐるみもよく枕にしているのを見かける。
「ばいばーい!」
 元気よく手を降って万斉と並んで部屋を出て行くのを見送り、高杉は卓に視線を戻した。
「こっちはおきっぱかよ」
 並べられたシロップやらアンコ・缶詰。苦笑する武市は、片付けておきますよ、と言い笑った。


 部屋に戻ったレンは、予告通りイルカの置物の隣にペンギンを置くと満足そうに笑う。両方青い。涼しそうでいい感じだ、とご満悦の様子で、万斉はそんな様子を眺め笑う。
「気に入ってくれたのなら良かった」
「ありがとうなんよ!」
 ニコニコと笑うレンを見ると、暑い中大荷物を運んだ甲斐があったと万斉も満足する。
「明日には空調直るねんて。良かったね」
「そうでござるな。空調が直ったらレンに心置きなくくっつける」
 万斉の言葉にレンは目を丸くすると、そうやね、と嬉しそうに笑った。


万斉も相変わらずだった
20150801 ハスマキ

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