*困惑*

 ニコニコと笑顔を浮かべて団長室にやってきたレンを見て、神威は持っていた書類を放り出してヘラヘラと笑った。
「ごきげんだね」
「ダンチョーにお願いがあるんよ」
 そう言ったレンを眺め、神威は少しだけ首を傾げると、聞くだけ聞くけど、と返答する。
「これを鬼兵隊に送って欲しいんよ」
 差し出されたのは綺麗にラッピングされたもので、神威はそれを摘み上げると、それに付いている札を確認する。万斉達の名前がそれぞれ書かれている所を見ると、それぞれに何やらプレゼントらしい。
 春雨に出向になってから一ヶ月。現状報告の手紙を送ったりしているのは見ていたが、物品は初めてであった為に、神威は何が入っているのか気になり中身が何か聞く。
「クッキーなんよ。バレンタインやから」
「バレンタイン?」
 江戸特有のイベントである事を思い出し、神威は大きく頷いた。以前そう言えば阿伏兎がレンからだと菓子を渡してきたのだ。なので返礼にと飴玉を送らせた。細かい日付等覚えてはいなかったが、確か阿伏兎の誕生日が近かったのはなんとなく覚えていた。
「あー、成程。前も俺貰ったね。うんうん。いいよ」
 そして催促するように神威はレンを眺め笑った。それに気がついたレンは、ニコニコと愛想のいい笑顔を浮かべて、ダンチョーの分も作ったんよ!と大きな袋を差し出した。他のモノより袋が大きかったのに満足した神威は、それを受け取ると早速開けてみる。
 小ぶりのクッキーがぎっしり詰められており、大いに満足した神威は機嫌よく荷物の件を了承した。
「俺の分も作ってる辺りレンは分かってるね。うん」
 満足気に早速クッキーをポリポリと食べながら、神威が言うと、レンは瞳を細めて笑う。
 レンはまだ春雨には馴染めていると言い難い。端から見れば鬼兵隊からの体の良い人質に見えるだろうし、そもそも女の夜兎はこの船には珍しかった。一応は団長のお気に入りという扱いで、他の夜兎は牽制しているのもあるが、まだ遠巻きにしか他の夜兎と接していない。
「これいつ作ったの?」
「コックの人に場所借りたんよ。材料もお願いして買ぅて貰ったんよ。お金あんまりなかったから、ダンチョーの分はそれだけなんよ」
 成程、と神威は納得したように神威は頷く。食事は基本的に食堂で取るので、コックとは顔見知りになっていたのだろう。そもそも神威や阿伏兎といつも食事をとっているし、阿伏兎が忙しい時は彼の代わりに、レンが食堂に食事をとりに行って出前をしている。そうすれば自然とコックとは会話をする機会もできる。
 金に関しては一応給料という名目で幾らかは渡しているが、本人が余り大きな額を管理したがらない為に、小遣い程度で、殆どは阿伏兎が作った彼女の口座に入れっぱなしらしい。
「そっかー。そんじゃこれは送っとくよ。で、阿伏兎の分は作ったの?」
「作ったんよ」
 それは良かった、そう思い神威は笑顔を浮かべた。流石にここで阿伏兎の分がなかったとなったっら、いくら阿伏兎でも拗ねるだろう。不機嫌そうな顔が更に不機嫌そうになるのを思い浮かべて神威は思わず咽喉で笑った。

 神威に頼み事を完了したレンは、満足気にほてほてと廊下を歩く。後は阿伏兎に渡すだけなのだが、阿伏兎は今丁度仕事が立て込んでおり忙しそうにしている。それを邪魔するのも気が引けたレンは、少し遠回りをして部屋に戻ることにした。と言っても、行く場所は食堂ぐらいしかない。コックに礼を言おうと、レンは軽い足取りで食堂に向かった。

「阿伏兎さん。よろしいですか?」
 部屋で書類を捲っていた阿伏兎は、扉越しに声をかけられやれやれ、と言うように重い腰を上げた。また追加だと思うと気が重かったのだ。しかしながら、扉を開けるとそこに立っていたのは、コックの男で、怯えたように阿伏兎を見上げる。
「……何だ?」
「あの、お嬢の件なのですけど。よろしいですか?団長の方が良かったですか?」
 コックに関しては夜兎ではないせいもあって、夜兎の面子に対して常に遠慮がちであった。しかし、そんな彼がわざわざこちらに来るということは何かあったのだろうと、阿伏兎はこっちでいい、と短く言う。
「あの、先程他の夜兎と揉めてる様子でして……その……一応報告しておこうかと……」
「はぁ?お嬢が!?どこでだ!?」
「食堂です」
 突然阿伏兎が表情を変えたので、コックは驚いてそう返事をする。よくよく考えれば、コックは殆ど食堂から出ないのだから、そこしか考えられない。阿伏兎は舌打ちをすると、コックを押しのけて部屋を出て行った。そして、コックは慌ててその後に付いていった。


「困るんよ!」
 腕を捕まれレンが声を上げる。基本的に神威以外の人間の部屋には行かないこと、食堂では大人しくすること、それが阿伏兎との約束であった。親交を深めるためにと他の夜兎に声をかけられたレンは、部屋への誘いをあっさりと断ったのだが、相手がおもったよりしつこかったのだ。以前吉原でこんな事があったが、あの時も阿伏兎や高杉に迷惑をかけたのをレンは思い出し、何度も断りの言葉を述べた。
「そう言うなって。団長もいねぇし、ちょっとだけ。な」
「お約束は破れないんよ!」
 あぁ、食堂で大人しくする約束はもう破ってしまっているのではないか。そう思うと、レンは今にも泣き出しそうになる。ならば、せめてもう一つの約束はちゃんと守ろう。そう思い直し、レンは拳を握りしめた。
 そして、食堂に飛び込んで来た阿伏兎が見たものは、壁に大きな凹みを作ったレンの姿であった。
「……おい」
 阿伏兎の声にビクリと肩を震わせたのは、レンに声をかけていた夜兎もであるが、彼女自身もである。涙目で阿伏兎を眺めると、叱られると思ったのか、俯いてしょんぼりとしていた。
 その様子に阿伏兎は面食らったように言葉を飲み込んだが、ちらりと他の夜兎に視線を送ると、イライラとした様子で彼等に言葉を落とす。
「……で、お嬢に何の用だ?」
「あ、いえ、そのですね阿伏兎さん。新参者で心細いだろうし、ちょっと親交を深めようかなーって」
 ヘラヘラとごまかす様に言う様に苛立ち、阿伏兎は、絞め殺したい、と心底思う。
「鬼兵隊の預かりだ。親交を深める必要はねぇよ。あとな……」
 そう言うと、阿伏兎は拳を握りしめ、レンが凹ませた壁に握った拳を叩きつけた。ヘコむどころか、ぶち破られた壁に、コックが悲鳴を上げたが、阿伏兎はそれを無視して彼等に言葉を落とした。
「俺の気苦労増やすんじゃねぇよ。おっさんなんだから、ちったぁ労れ」
 普段の軽い調子で言われたのなら、彼等もヘラヘラと笑って謝罪しただけであっただろう。けれど彼等の予想以上に阿伏兎は不機嫌そのものであった。そもそも辺境の蛮族である鬼兵隊等夜兎は軽く見ている。ただ単に春雨を乗っ取るために同盟を組んだに過ぎないと。そして、それは阿伏兎も神威も同じだと彼等は勘違いしていたのだ。
 ただでさえ少ない女の夜兎などどうにでもなる。その甘さが今回の阿伏兎の怒りを買った。
「ごめんなさい〜」
 ビエーンと擬音が付きそうなほど大泣きしたレンと、怯えきった夜兎。そこで漸く阿伏兎は、しまった、と我に返る。なにこれ、壁に穴空いてるじゃねぇの、と己のやった事ながら頭を抱えたくなった阿伏兎であるが、阿伏兎の腰にしがみつき泣きまくるレンにほとほと困り果てた顔をする。
「あー。お嬢は悪くねぇ……よな。多分」
 一応食堂に来るまでにコックの話は聞いていた。パターンは吉原の時と似ているし、彼女は彼女なりに約束を守ろうとしていたのは阿伏兎にも分かる。壁は凹ませていたが、自分はぶち破ってしまったので強くは叱れず、あー、と間の抜けた声を上げた。
「泣くなって。畜生。どうすりゃいいんだよこれ」
「抱きしめて、愛してる、じゃないの?」
「神威!」
 突然現れた神威に、阿伏兎は心底嫌そうな顔をしたが、レンに絡んでいた夜兎は流石に顔色を変えた。阿伏兎がこの怒りようならば、神威に殺されるかもしれないと思ったのだ。
「ダメだなー。阿伏兎がちゃんと【俺の嫁さんだからちょっかいかけるな】って言わないからだよ。うん。阿伏兎が悪い」
「いやいや、ちょっと待て。まだ嫁さんにしてねぇよ」
「え?まだなの?その年で奥手とか可愛くないよ」
 ケラケラと笑いながら神威はそう言ったが、直ぐににこやかな表情を崩さずに、他の夜兎に言葉を放つ。
「折角来た阿伏兎のお嫁さんだからね。ちょっかいかけたら殺しちゃうぞ。次探すの大変なんだし」
 あくまで軽い口調であったが、それが本気だと見て取れた面々は血の気が引いた。彼女を軽く見ていた事が命取りになると理解したのだ。グズグズと泣くレンに神威は視線を送ると、彼女の側にほてほてと寄って行き、ぽんぽんと頭を軽く叩いた。
「泣かない泣かない。心配しなくても壁は阿伏兎が弁償してくれるし」
「……」
 流石に反論出来ずに阿伏兎が黙っていると、神威は阿伏兎を見上げて瞳を細めた。
「ね?」
「あー、わかったよ。クソッ。お嬢も泣くな。頼むから」
 どうしたものかと悩んだ阿伏兎は、一度小さく深呼吸した後に、レンを抱き上げた。結局万斉の真似だ。オリジナリティの欠片もない慰め方に嫌気が指すが、この際仕方ないと不機嫌そうな顔をしたままコックに視線を送った。
「壁の修理の手配はこっちでしとく。悪かったな」
「いえ……」
 どことなくホッとしたようなコックの顔に思わず阿伏兎は苦笑した。


 河上万斉が泣いている彼女を抱き上げて慰めるのは、彼女の泣き顔を見たくないからではないか。そんな事を考えながら、阿伏兎は子供にするように、恐る恐ると彼女の背中を軽く叩いた。部屋につくまでに泣き止んでくれればいいが、そんなことを考えながら廊下を歩く。ニヤニヤとした様子で後をついてくる神威は不快だが、あの場を納めてくれた礼は言わねばならないだろうと、阿伏兎は口を開いた。
「迷惑かけた」
「そう思うなら俺の仕事減らしてよ」
「そりゃ駄目だ」
「ケチ」
 不服そうな顔を一瞬作ったが、神威は直ぐに笑顔に戻って、軽く手を振りながら己の部屋に戻っていた。それに阿伏兎はため息をつきながら、自分もレンを連れて己の部屋に戻ると、漸くレンを床に下ろした。しかしながらレンは阿伏兎の首にしがみついたまま離れようとしなかったので、彼は困惑したように言葉を零す。
「お嬢?」
「……ごめんなさい」
 あぁそうか、怒っていると思ったのか。そう納得して阿伏兎は彼女の柔らかい髪を撫でた。
「怒ってねぇって。悪かったな。嫌な思いさせちまった」
 小さくレンが首を振ったのに気が付き、阿伏兎は苦笑した。河上万斉が恐ろしく素直ないい子に育ててしまった。神威ぐらい我儘であれば叱り飛ばせるが、そんな気分にもならない。
「お嬢」
「……」
「あー、なんだ。泣かないでくれ。頼むから。おっさんどうしたらいいかわかんねぇんだ」
 生まれてこの方女を慰めたことなどない。万斉や高杉のように器用ではないのは自覚しているし、そもそもいまだにレンに対しては扱い方が分からなくて困ることのほうが多いのだ。それは彼女のことが苦手なのではなく、己の好意をどう表現していいのかわからないからであるのも自覚している。
 そんなことを考えていると、レンが漸く腕を緩め、阿伏兎の方を向いた。その顔を見て、阿伏兎は思わず逃げ出したくなる。近い。抱きかかえていたのだから当然なのだが、近いのだ。
「もう大丈夫か?」
「大丈夫なんよ」
 若干涙声ではあるが、レンの返事に阿伏兎はほっとすると、無意識に彼女の髪を撫でた。それにレンは少しだけ驚いたような顔をしたが、直ぐに笑った。
「後でコックに一緒に謝りに行くか」
 そこでレンは突然思い出したように阿伏兎から体を離すと、バタバタと部屋を飛び出していく。それにあっけに取られた阿伏兎は、ぽかんとした表情でレンの出ていいた扉を眺める。そして、直ぐに彼女が戻ってきた。手には何やらリボンのついた袋が握られていた。
「?」
「阿伏兎さんになんよ。バレンタイン」
 そう言われ、そんなイベントもあったな、と阿伏兎はぼんやりと考え、苦笑しながらその袋を受け取った。初めてレンにプレゼントを貰ったのも確かこのイベントであった筈だと。そんなことを思い出し、思わず阿伏兎は赤面する。
「あー、ありがと。お返しは何がいい?」
「なんにも要らないんよ」
「そういう訳にはいかんだろ」
「じゃぁ、一日一緒に遊んで欲しいんよ。あかん?」
 あぁ、その言い方はずるい。今なら万斉の気持ちが分かると、嬉しくもない発見に阿伏兎は苦笑すると、分かった、と瞳を細めて笑った。それに、彼女が嬉しそうに笑う顔を見るとやはり気分が良かった。焦がれた娘。箱庭から連れ出した白兎。
 けれど結局どうしたら良いのか分からずに時間ばかりが過ぎていた様な気がして、阿伏兎は困ったように笑う。
「どこがいい?万斉の野郎のところに遊びに行くか?」
 その言葉にレンは驚いたような顔をすると、小さく首を振った。
「それはまた今度にするんよ。阿伏兎さんと二人で遊びたいんよ」
「……考えておく」
 難易度高すぎるだろそれは!と心の中で叫びながら、阿伏兎は、淡く微笑んだレンの頬を撫で、困ったような、情けないような顔を作った。


おっさんは相変わらずだった
20130201 ハスマキ

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