*伸暢*

 宇宙海賊春雨内における下克上。
 第七師団の神威が総督となって暫く経ったある日、阿伏兎は己の部屋を訪れた神威の言葉に思わず途方に暮れたような顔をした。
「お嬢借りてきたから、面倒みておいて」
 神威の隣にいるのは鬼兵隊の夜兎であるレン。暫くは春雨内もバタバタとしていたので鬼兵隊も本船に留まっていた訳なのだが、そろそろ一旦引き上げようかと言う話を高杉から聞いた矢先の話で阿伏兎は思わず顔を顰めた。
 無論人では欲しいし、それを神威に愚痴ったことはあった。しかしながら、鬼兵隊からレンを借りてくるという発想は、阿伏兎にはなかったのだ。
 思わず返してこいと言いたくなったが、レンの顔を見るとそんな言葉は吐けず、困ったような情けないような顔をして阿伏兎はため息を付いた。
「……どんくらい借りてていいんだ?」
「さぁ?」
「さぁって……」
 ちゃんと話が付いているのか段々不安になってきた阿伏兎は、レンの顔を眺め、首を傾げると口を開いた。
「万斉の野郎は何て?」
「万斉は少し前に帰ったんよ。シンスケは頑張って働いてこいって」
 成程、と阿伏兎は思わず苦笑した。高杉の独断での貸出ならば納得できる。丁稚奉公に出したという感覚なのだろう。
「部屋は阿伏兎の隣の部屋ね。タダ飯ってのもアレだし、適当に仕事させておいてよ」
 そう言うと、神威はカードキーを阿伏兎に渡しながら笑い、ヒラヒラと手を振ってその場を後にした。小さくため息をついた阿伏兎は、カードキーを末端に差し込んでパスワードを打ち込んでゆく。確認すると、隣の部屋と阿伏兎の部屋、そして神威の部屋の施錠は外せる設定である。流石にフリーパスと言うわけには行かないと思っての確認だったが、神威はその辺りは意外にもきっちりと設定をしてから渡してていたようだ。
 それを使っていないケースに入れると、レンの首から下げてやる。
「なくすなよ」
「分かったんよ」
 パスを眺めながらレンはこくこくと頷く。この手のカードキーは鬼兵隊も設置しているのだろう、レンは質問らしい質問もせずに、じっと阿伏兎を見上げる。仕事を待っているのだろうと思ったが、流石に彼女に任せられるのは残党狩りという肉体労働以外思いつかなかった阿伏兎は、今日は仕事ねぇんだ、と困ったように口を開いた。
 それにレンはしょんぼりしたようであったが、とりあえずは自分の目の届く所に置いておこうと、メシまでゆっくりしてろ、と短く言いデスクワークに戻った。
 そもそも神威が阿伏兎に押し付ける仕事は圧倒的にデスクワークが多い。無論阿伏兎もそれを更に部下に振ってはいるが、それでも一個師団の頃とは比べ物にならない量である。あー、外に出てぇ、とそんな事を考えながら電卓を叩いていると、レンが興味深そうに卓に顔を乗せてそれを眺めている。
「つまんねぇか?」
「ここ。違うんよ」
 とん、とレンの白い指が帳簿の一箇所を指す。食費やら雑費やらを計算したその場所。阿伏兎は僅かに眉を上げると、再度電卓を叩き検算する。
「うお。マジか」
 金額にして数百円であるが途中で電卓を押し間違えたのであろう、帳簿とは違う数値を叩き出した電卓表示に阿伏兎は頭を抱える。だから細かい仕事は厭なんだ。そうブツブツ言いながら訂正をすると、ちらりとレンの方を眺める。
「……計算は得意か?」
「タケチーのお手伝いしで、時々数字足し算してるんよ」
 タケチーと呼ばれたのが一体誰なのかは解らなかったが、彼女は電卓を使わずに数値に間違いに気がついた。そう考えると、もしかしたら計算の類は意外だが得意なのかもしれない。そう思った阿伏兎は、一枚、書類と予備の電卓をレンに渡す。
「縦を足すの?横?」
「縦で頼む」
「分かったんよ」
 帳簿の見方自体は理解していないのだろう。とりあえず縦計だけを頼んで阿伏兎は暫くレンの様子を眺めてみる。
 すると彼女は暫くその紙を眺めていたが、直ぐに鉛筆を握って空いている欄に数字を書きつけていく。その後に、電卓を叩く。え?やっぱ暗算?マジで?と心の中で思いながら、阿伏兎は彼女が顔を上げるのを待った。恐らく電卓は検算なのだろう。書類に書き付けた数字と、電卓に表示された数字が同じ事に満足そうに笑うと、レンは顔を上げて、終わったんよ、と阿伏兎に書類を返却する。
 念のために阿伏兎も電卓を叩いてみるが、数値に間違いはなく、暫し考え込んだ阿伏兎はレンに質問をしてみる。
「引き算は出来るか?」
「大丈夫なんよ。掛け算と割り算は苦手やけど」
 苦手だが出来ないとは言わなかったレンに、阿伏兎は溜まりに溜まった書類を頼むことを決心する。猫の手も借りたい状態だ。本来部外者であるレンに帳簿を見せることは褒められたことではないのかもしれないが、背に腹は変えられない。
「よし。ちょっとこの書類やってみてくれ」
 渡した書類の束。レンは頷くと、嫌そうな顔ひとつせずに書類をめくっていく。それに阿伏兎はこれは縦、これは横、と一つ一つメモ書きをしてやり、それが全部終わった後は、別の仕事に取り掛かった。
 神様ありがとう、と阿伏兎が思ったのは夕食前に殆どの仕事が片付いたからである。ちまちまと電卓を叩く面倒な仕事はレンがあらかた片付け、阿伏兎は報告書や申請書に判を押すのがメインの仕事となった。そもそも春雨本体の経理が現在まともに動いていないのがこの書類の山の原因であるし、各師団でちゃんと書類を作れと命令を下しても、半数以上の師団が適当なものを作って持って来る有様である。さっさと中の整備をして欲しいと思いながら、レンが仕上げた書類を阿伏兎はまとめると、少し待つように言って部屋を出た。
 向かったのは経理を一応取り仕切っているという名目の部署。中の人は忙しく動きまわっており、阿伏兎を見ると、心底嫌そうに口を開いた。
「頼んでた分、やったんですか?阿伏兎さん」
 遅れに遅れた書類に、嫌味の一つも言いたくなったのであろう言葉に、阿伏兎は気を悪くした様子もなく、遅くなった、と短く言い書類の束を渡す。
「え!?本当に終わったんですか!?」
「お前ん所の数字とマッチングしてみてくれ」
 そう言うと、経理担当は、ひったくるようにその書類を持って行き、直ぐに数値を機械に打ち込んでゆく。
「……阿伏兎さんの本気を見せて頂きました」
「残念ながら俺がやったんじゃねぇんだわ。ちょっと鬼兵隊から借りてきた奴にやらせてみたんだが。どうだ?間違いは?」
「大丈夫ですね。マッチングはOKです。あぁ、これでやっと次の仕事にいける!」
 ウキウキとした様子で経理担当が言うと、阿伏兎は口をへの字に曲げて、悪かった、と詫びた。
「鬼兵隊から経理借りてきたんですか?なかなか素晴らしいアイディアですね」
「莫迦いうなよ。他所様にうちの台所事情モロバレのどこが素晴らしいんだ。まぁ、それやったのは実働部隊の夜兎のお嬢ちゃん」
「うちに下さい」
「断る」
 大真面目にそう言った経理担当の言葉を一刀両断した阿伏兎であったが、ふと、あぁ万斉もこんな気分で切り捨てたのかと思うと可笑しくて、思わず口元を歪めた。
「ちぇ。でもこれで阿伏兎さんにこの手の仕事回してもOKって事ですよね」
「おいおい。おじさんに無理させんでくれよ。ただでさえ神威の書類も捌いて死にかけてるってのによ」
 呆れたような阿伏兎の言葉に、経理担当は、違いない、と笑って書類を別の人間に渡し、指示を出す。
「それじゃ、鬼兵隊の娘がいるうちにガンガン書類回しますから」
 笑顔でそう言い放った経理担当に唖然とした阿伏兎であったが、いつまでいるか解らねぇよ、と言葉を零してその場を後にした。

 食事は本船にいる時は大概食堂で取るわけなのだが、レンを連れた阿伏兎に否応なく視線が集まり居心地がすこぶる悪かった。幸い、神威も一緒であったという事もあり、基本的には遠巻きに眺められているのがせめてもの救いである。それほど女の夜兎は珍しいのだ。弱いものから死んでいくのが最強種の理。女子供は中々残らないのだ。
「お嬢は米ばっかりだね」
「お米が好きなんよ」
 モグモグと口を動かしながら神威が言うと、レンは笑ってそう返答した。米と漬物をボリボリ食べながら、レンは時折オカズに手を伸ばす。栄養バランスは大丈夫なんだろうかと些か心配にはなったが、そもそも夜兎族というのはとりあえず燃費の悪さを無理矢理食べることで維持しているので、味やバランスは二の次であることを思い出し、阿伏兎は思わず瞳を細めた。
「もう少しココのご飯も美味しければいいんだけどね。今度地球でコック雇おうかな」
「おいおい。ココの大食いたちを養うのに何人コック雇えばいいんだよ」
 のんきな神威の提案に阿伏兎が渋い顔をすると、彼はあはは、と軽く笑って、残念だ、と更に箸を動かした。
「ごちそうさまでした」
 手を合わせてそう言うレンを見て、神威は不満そうに口を開く。
「もういいの?」
「八分目にするようにしてるんよ。お腹いっぱいになったら眠くなるんよ」
 もう仕事もないんだから眠くなってもいいのにね、と神威はいい加減なことを言うと、おかわり、とコックに催促をする。
「阿伏兎さんは?」
「あぁ、俺もしまいだ。部屋で茶でも飲むか?」
 その言葉にレンは嬉しそうに頷くと、立ち上がる。それに習い阿伏兎も立ち上がると、ごちそうさん、と短くコックに言葉を残して食堂を後にした。
 ほてほてと後をついてくるレンを遠巻きに眺める船の面子。早く部屋に帰りたいと思いながら、阿伏兎は足を早めた。
「……さてと。今日はもう仕事ねぇからな。好きにしてくれ」
「分かったんよ」
 コップを両手で抱えて頷くレンに阿伏兎は言葉を零した。そもそも時間つぶしになるようなモノは阿伏兎の部屋には置いていない。どうしたものかと考えたが、レンはクッションに座って、とりあえずは大人しくしている。
「……あー。つまんねぇよな」
「?」
 思わず零した阿伏兎の言葉に、レンは首を振ると淡く微笑んだ。のんびりしているのは好きなんよ、と言い瞳を細める。たしかに、鬼兵隊の人間とて年がら年中レンにかまっている訳ではないだろう。万斉は万斉で表の仕事があるとかで留守であることも多いようである。そんな時は部屋でのんびりしているのだろうと思って、阿伏兎は、そうか、と短く返答した。
 落ち着かないのは多分彼女ではなく自分のほうなのだろうとぼんやり阿伏兎は考える。
 彼女が邪魔だと言うわけではない。ただ、慣れないのだ。つい意識が彼女の方へ向いてしまい、それに気がついて、居心地が悪くなる。
「阿伏兎さん」
 ぼんやりとそんな事を考えていると、レンが声をかけてきたので阿伏兎は顔を上げる。すると彼女は、お風呂に入りたいんよ、言葉を零した。
「あぁ、風呂か。そんじゃお嬢の部屋にシャワールームがあるはずだから使えばいい」
 そう言うと、阿伏兎は立ち上がり、レンを連れて隣の部屋に行く。よくよく考えたら、彼女の部屋だと神威は準備したが、結局彼女は殆ど阿伏兎の部屋に入り浸ってこの部屋には戻っていない。
 ひと通りシャワーの使い方を説明すると、レンは頷いて早速着替えを持ってシャワー室に入っていく。部屋の片隅に置いてあった荷物はカバンひとつで、本当に着替えなどしか入ってないのだろう。そのせいもあって、部屋は酷く殺風景に見えた。
 ごちゃごちゃ物の置いてあった万斉の部屋に入り浸っていた彼女は、もしかしたらこの部屋は逆に落ち着かないのかもしれない。阿伏兎の部屋も物は少ないほうだが、ココよりはましである。そう考えると、彼女を部屋に追い返してしまうのも可哀想なのかもしれない。
 考え事をしているうちに、レンはシャワー室から出てきており、タオルを頭に乗せて阿伏兎を見上げていた。
「……おおう。はえぇな」
「シャワーだけならすぐなんよ」
 そりゃそうだ。そう思い、阿伏兎はレンを見下ろす。動かないレン。暫く考え込んだ後、阿伏兎は恐る恐るといったように口を開いた。
「髪は……万斉の野郎が乾かしてんのか?」
 こくこくと頷くレンに、阿伏兎は頭を抱えたくなる。自分でやるように言ってもいいが、一応客だ。そして、そんな習慣を勝手につけてしまったら、万斉が怒るかもしれない。恐らくレンに甘いあの男は、レンの髪を乾かすということも楽しみにしているような気がして、阿伏兎は仕方ないと言うようにレンを椅子に座らせる。
 一応はタオルで水分をとっているが、レンのフワフワな髪はぺしゃんとなっている。阿伏兎は据付のドライヤーを持ちだして、レンの髪を乾かすことにした。
 そもそも細かい作業は好きではないし、人の髪など乾かしたことはない。自分の髪でさえドライヤーを当てるなど稀なのだ。
「熱くねぇか?」
「大丈夫なんよ」
 四苦八苦しながら彼女の髪に熱風を当ててい行く。すると、あっという間にレンの髪から水分が抜け、段々とフワフワに戻っていく。それが段々面白くなってきて、阿伏兎は彼女の髪を手ぐしで梳かしながら作業に没頭した。
「こんなもんか」
「ありがとうなんよ」
 レンは嬉しそうに瞳を細めると礼を言う。乾いた髪は柔らかくて、もう少し触っていたいと思ったが、阿伏兎はレンの笑顔にぎこちない笑顔で返答するとドライヤーを片付けた。
「それじゃ、寝るんよ」
「もうか?」
「夜更かしは怒られるんよ」
 健康的な事で、と思いながら阿伏兎は曖昧に笑うと、それじゃ、と部屋を出ることにする。寝るという人間の傍に居ても迷惑だろうと思ったのだ。
「おやすみなさい」
 レンの言葉に頷くと、阿伏兎は同じ言葉を返し、自分も疲れたし今日は寝るか、と早々に風呂に入って寝床に潜りこむことに決めた。

 夢だと思った。
 だから、それが布団に入ってきても、大して気にも止めずに抱き寄せた。
 小さい体に暖かく、柔らかい感覚。思わず柔らかい髪に顔を埋めると、それは小さく身動ぎしたが、直ぐに寝息を立て始める。

「……」
 いつもより少し早い時間に目がさめた阿伏兎は、違和感に気がついて自分が抱き抱えていたモノに視線を落とした。
「はぁ!?」
 悲鳴にも近い声を上げた阿伏兎は、自分の布団でクークーと寝息を立てるレンの姿を凝視する。寒そうに身を縮めたので、慌てて自分は剥がしてしまった布団を再度かけるが、そこまでして、とりあえずこの状態をどうしたらいいのかと嫌な汗をかいた。
 起こすべきか。そうか、とりあえず起こそう。
 そんな事を考えてレンの体に手をかけた瞬間、扉の向こうから脳天気な声が聞こえてくる。
「阿伏兎ー。御飯食べに行こうー」
 いつもなら直ぐに扉を開けて飛び込んでくるが、今日はカードリーダーの読み込みに手こずっているのか、何やら扉の向こうで、あれ?等と声が聞こえる。
 これ幸いと阿伏兎は、掛け布団にくるまったレンを、そのまま殆ど物の入っていないクローゼットに放り込んだ。
「あ、開いた。読み込み感度悪いなー」
 ブツクサ言いながら部屋に入ってきた神威に、阿伏兎は、よぉ、と声を掛ける。すると神威は首を傾げて阿伏兎の方を眺めた。
「どーしたの。変な顔して」
「うるせぇよ」
 頼むからクローゼットからはい出てくるなよ、と祈りながら阿伏兎は口を開く。
「見た通り起きたてでな。後から行くわ」
「そっか。今日は早く目が覚めちゃってさー。お嬢はまだ寝てるかな?」
「……どうだろうな。アレだったら、俺が拾って行くし」
「そーだね。まぁ、寝起き突撃ってのも女の子だし控えとくよ。阿伏兎もシツレイないようにね」
 からかうような神威の口調に、阿伏兎は、突撃されたのはこっちなんだけど、と思いながら、曖昧に笑った。
「そんじゃ、先行ってる」
 ヒラヒラと手を振りながら部屋を出ていく神威を見送って阿伏兎はベッドの上で脱力した。どうにか知られなかったようだ。というか、別にお嬢が勝手に来たわけだし、俺悪くないし、隠さなくっても良かったんじゃね?と今更ながら思い、阿伏兎は大きくため息をつく。
「!?」
 そして漸くクローゼットの事を思い出し、阿伏兎は恐る恐るといったように、クローゼットを開けた。
 ぽかんとしたような顔で掛け布団を抱きかかえて阿伏兎を見上げるレン。寝起きどころか、寝ていたので状況が全く解らないのだろう。
「……阿伏兎さん。おはようなんよ」
「おはようさん」
 他に言う言葉が思いつかず、阿伏兎はとりあえずそう返答した。
 とりあえずレンが言うには、寝ているうちに空調が暑くなってきて、電源を切るまでしたが、そのうち寒くなってきて阿伏兎の部屋に入ってきたのだという。細かい温度調整までは解らなかったのだろう。彼女のカードキーは阿伏兎の部屋はフリーパスであるし、まさか自分の所に潜り込んでくるなど予想もしていなかった阿伏兎は、怒っていのか笑っていいのか判断できず複雑な顔をした。
 万斉の布団に潜り込む感覚で入ってきたのだろう。それはレンの言葉から理解できる。寒いから他の人で暖をとっただけの話なのだ。
「お嬢」
「なに?」
「……あー、なんつーかな。そーゆーのは、あんますんな」
「あかんの?」
 駄目だと言い切れればどんなにいいか。ココは万斉だけにしておけと言うべきか。散々悩んだ挙句、阿伏兎は、こっちの心の準備ができてない、と言う実に微妙な返答をした。するとレンは、前もって言えばいいのかと解釈し、次からはちゃんと申請するんよ、と胸をはって言った。
「……お嬢はさ。俺と寝るの抵抗ねぇの?」
 何気なく言った阿伏兎の一言に、レンは笑うと、頷いた。
「阿伏兎さんは暖かくて大きいから寝やすいんよ。一緒に寝れると嬉しいんよ」
 聞かなければ良かったと阿伏兎は後悔した。そんな事を言われたら断りにくい。でも、自分のほうがきっともたない。
「阿伏兎さんは一緒に寝るの厭?私のこと好きやない?」
 恐る恐るといったようにレンがそう言葉を零した。その言い方は卑怯だと思わず阿伏兎は心の中で頭を抱えた。厭なわけないし、嫌いなわけがない。でもそれを素直に言葉に出来るほど若くもない。けれど、レンは、じっと阿伏兎の返答を待っている。
「私は阿伏兎さんの事大好きなんよ」
 しょんぼりしながら言う彼女の姿を見て、阿伏兎は、畜生!と心の中で毒づくと、レンに小声で囁く。
「ちょっと目を閉じてくれるか?」
 意味がわからないと言ったようにレンは阿伏兎を見上げたが、直ぐにギュッと目を閉じる。その素直な様子が可笑しくて、思わず阿伏兎は口元を緩ませると、彼女に口付けた。
 それに対してレンは大きく反応は見せなかったし、嫌がる様子もない。それが有難いと思いながら、阿伏兎は名残惜しいが彼女の柔らかい唇から離れる。
 暫くは黙っていたが、レンが目を開けたので、阿伏兎はふいっと顔を逸らして口を開いた。
「……お嬢がうちに来てくれたらその質問の返事は言う。言い損は御免だしな」
「分かったんよ」
 そう言うと、レンは勢い良く立ち上がり部屋を出ていった。その反応は予想していなかった阿伏兎は、驚いた顔でレンを見送る。
「……分かってんのか?」
「好きって事でしょ?」
「神威!」
 やぁ!と朗らかな挨拶をして部屋に入ってきた神威を阿伏兎は反射的に睨みつけるが、彼はヘラヘラと笑って先程までレンの座っていたクッションに腰を下ろした。
「いつから見てた」
「クローゼット開けた辺りかな?」
「はじめめからじゃねぇか、このすっとこどっこい」
 阿伏兎の言葉に神威は愉快そうに笑うと、お嫁にするの?と軽い口調で聞いてくる。
「お嬢が来ねぇよ」
 つまらなさそうに阿伏兎が言うと、神威はニヤニヤと笑いながら口を開く。
「あんなの、好きだって言ったようなもんだろ?」
「……あの程度万斉の野郎がいっつもしてんだろ」
 阿伏兎の言葉に神威は咽喉で笑うと、瞳を細めた
「唇へのちゅーは、一番好きな人にするんだってお嬢言ってたよ。トクベツなんだってさ」
「はぁ?」
 親愛の証であるハグや頬への口づけはレンは誰に対してでもやる。しかし、冗談交じりでキスを強請った神威に彼女はそう返したのだという。万斉がそう教えたのか、他の誰かがそう教えたのかは解らない。
「……阿伏兎の一番だって事は少なくとも理解してるよ、お嬢は。それに嫌がってなかったしね。まんざらでもなかったんじゃない?良かったね阿伏兎!可愛いお嫁さんが来るよ!」
 芝居がかった口調でそういった神威に、思わず手元にあったクッションを阿伏兎は投げつける。
「ははっ。照れない照れない」
「糞ガキが!さっさとメシ食いに行け!」
 阿伏兎の言葉に、神威ははいはい、と投げやりな返事をすると、お嬢と一緒に行ってくる、とのんきに返事をして部屋を漸く出ていった。
 そして誰もいなくなった部屋で、阿伏兎は一人、思わず布団に顔を埋めた。

 

「レン。神威殿に小姑みたいにいびられたら直ぐに連絡をするでござるよ」
「酷いなー。阿伏兎に漸く来たお嫁さんにそんな事しないよー」
「あと、阿伏兎殿がどこぞでうっかり死んだ場合も迎えに行く故、連絡をするでござる」
「うっかりとか……」
 万斉の言葉に阿伏兎は返す言葉も無くただ唖然とするしかない。
 唖然とするといえば、結論的に言うとレンは鬼兵隊からの出向扱いで無期限貸出が神威と高杉の間で決まった。傍目に見れば、体の良い人質に見えるだろう。それだけ、春雨と鬼兵隊の差は大きい。
 この決定に万斉がどの程度納得しているかは阿伏兎はわからないが、レンが行きたいと言ったので送り出した形だろう。神威は「お嬢さんを下さいプレイ」が見れなかったことを露骨にがっかりしていたが、阿伏兎にしてみれば逆にトントン拍子過ぎて気持ちが悪かった。
「なんだ、ちっとも嬉しそうじゃねぇな、おっさん」
「……後がこえーよ」
 咽喉で笑ってそういった高杉に、阿伏兎はそう返すと、まだ何やらレンに言い含めている万斉を眺め微妙な顔をした。
「アイツ。納得してんの?」
「雪兎がそうしてーってのをひっくり返す事なんてしねぇよ。まぁ、うっかり死んだのが雪兎の方だった場合は、覚悟しとくんだな」
「そんときゃ首でも差し出すさ」
 そーしろ、と言った高杉は酷く大真面目な顔をしており、阿伏兎は思わず苦笑する。
「……ざまーみろだ。さっさと手前ェのモンにしねぇからかっ攫われるんだ。人の事笑っておいていいざまだ」
「楽しそうだなオイ」
「同族嫌悪ってやつだよ」
 愉快そうに笑うと、高杉は煙管の煙を細く吐き出した。
「まぁ、俺もアイツも、相手が望んだことには逆らえねぇ性質みてぇでな。相手がさっさと死ぬのを待つだけってこった」
「ロクでもねぇな」
 高杉はあの、贔屓にしていた三味線屋の相手の男が死ぬのを待っているのだろうか。そんな気の長い事を本気でするつもりなのだろうか。そんな事が気になって、阿伏兎は思わず口を開いた。
「気のなげぇ話だ」
「……万斉よりおっさんの方が早死しそうだってこった」
 ちらりと万斉が阿伏兎に視線を送ったので、阿伏兎はどんな顔をしていいのか解らず困ったような表情を作った。
「レンの望んだ事ゆえ、拙者が口出しはせぬ。だが、レンに何かあったらどんな手を使ってでも奪還するござるよ」
「肝に命じておく」
 あぁ、この男は本当にそうするだろう。それぐらいレンに心底惚れ込んで、何もかも差し出してしまった。己の気持ちさえもレンのために投げ捨てた矛盾だらけの男。
「万斉。お手紙かくんよ」
「楽しみにしている。元気で」
 レンの頬に口づけをした万斉。後生の別れとい言うわけではないので、レン自体も悲壮感はなく笑顔で万斉に返事をし、彼等を見送った。
 暫くはぼんやりと鬼兵隊の船が飛び立った空を見ていたが、レンはくるりと振り返ると阿伏兎を見上げて笑う。
「これからもよろしくなんよ」
「……こちらこそ」
 その言葉の後もレンが黙って阿伏兎を見上げるので、阿伏兎は困ったような顔をして体をかがめると、彼女に小さく約束した返事を耳打ちする。
「私も大好きなんよ」
 満足そうに笑ったレンをみて、阿伏兎は恥ずかしそうに、そうか、と短く返事をした。


一旦完結
20120301 ハスマキ
>>御礼と感想
(万斉編・阿伏兎編同じなので両方読む方は後回しをお勧めします)

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