*紅桜*

 部屋の外で人の気配を感じで、レンは布団の中で身動ぎすると己の体の上に乗る万斉の腕をどかし、そっと起き上がる。部屋の前を通り過ぎる気配。それが誰のものであるかは承知していたが、レンは眠い目を擦りながらその気配を辿って部屋を出た。
 ひんやりと冷たい空気がレンの肌に刺激を与えるが、それとは別の皮膚がざらつく厭な気配。船の奥にひっそりと持ち込まれた【ソレ】を見た時、レンは【ソレ】を壊してしまいたい衝動に駆られたのを思い出す。
「その子は使わない方がええんよ」
 背中からかけられたレンの声に驚く様子もなく、男……似蔵はニィっと口端を上げて笑った。
「【紅桜】……名前は教えて貰ってないのかぃ?」
 円柱状の容器に安置された刀は、淡い光を放っている。視力のない似蔵がそれを知覚する事は出来ないが、レンは紅桜に視線を送って再度口を開いた。
「知ってるんよ」
 高杉も万斉も来島も武市も今はその刀にかかりっきりだと言うことも知っているし、彼等のしたい事にその刀が必要であることも理解はしていた。けれど初めて見た時からどうしても好きになれないその刀。そもそも、刀に個性があるとはレンも今までは思ったこともなかった。精々切れ味が違う、重さが違う、その程度の認識であったのだが、紅桜は明らかに今まで見てきた刀と異質で、刀というより別の生き物の様だと漠然とレンは感じていた。
「進化をし続ける刀……良いと思わねぇか?」
 似蔵の声にレンは黙って首を振った。それを気配で感じたのか、似蔵は咽喉で笑うと、そうかぃと少し残念そうな声を零す。
「それは夜兎とおんなじなんよ」
 ぼぞりと呟いたレンの言葉に興味を示したのか、似蔵は僅かに眉を上げて、注意を紅桜からレンへ移した。
「強くなる為に喰らい尽くすんよ。それを使ったら、ニゾーも喰われるんよ」
 恐らく紅桜の詳しい説明などされていないであろうレンがそう言った事に、似蔵は些か驚いたような顔をした。それは夜兎の本能なのかもしれないと。似ているからこそ、彼女と反発するのだろう。紅桜がここへ来てから万斉の傍を離れようとしないのは、紅桜への恐怖と、反発が彼女を不安にさせているのかもしれない。そう考え、似蔵は紅桜に再度向き直る。
「あぁそうか。これはアンタに似てるんだなレン」
 驚いたように顔を上げたレンは、紅桜を凝視した。似蔵はその様子に気がつかないのか、随分と機嫌が良さそうに言葉を続ける。
「万斉はアンタを傍においてるんだから、俺が紅桜をそばに置いたら公平だと思わねぇか?」
「ニゾー、その子はあかんのよ。夜兎と違って、感情も、理性もないんよ。ニゾーの事を好きにならないんよ」
 レンの言葉が予想外だったのか、似蔵は少しあっけにとられたような顔をするが、直ぐに可笑しそうに口元を歪める。夜兎であるレンが万斉を喰らう事がないのは、万斉の事が好きだからだ。それは似蔵も理解していたし、そうやって共存することをレンや万斉が望んだからである。確かの彼女の言うとおり、紅桜には理性も感情もない。強くなる為、一方的に己が利用されるだけであろう。けれどそれも良いと思った。
「もしも、アンタが紅桜の代わりに俺の傍にいるってんだったら、考え直してもいいけどねぇ」
「それは許可出来ないでござるよ」
 後ろから掛かった声に驚いたレンは振り向き、いつの間にか傍に立っていた万斉を見上げる。すると、似蔵は咽喉で笑い、残念だ、と短く返答した。レンの肩を抱いた万斉は、彼女の顔を覗き込むと、柔らかく笑い部屋に戻るように促す。それにレンは少し考え込んだが、似蔵の説得は無理だと諦めたのか、素直に頷きしょんぼりと紅桜の置いてある部屋を後にした。
 それを見送った万斉は、似蔵に向き合い不機嫌そうに眉を寄せる。
「レンをからかうのも大概にするでござる」
「……綺麗な色だなレンは。紅桜によく似た淡い綺麗な真っ白な月」
 独り言のように呟く似蔵に万斉は僅かに驚いたような顔をした。以前似蔵に聞いた事のある魂の色とも言える光。
「レンの色は綺麗すぎて好きではないと言っていたように記憶している」
 万斉の言葉に頷くと、似蔵は紅桜を見上げその冷たいガラスケースを撫でる。指先から伝わるひんやりとした感覚は心地よく、光を失った己が目に映る淡い光は眩しい程であった。
「あんなに淡い光なのに眩しいと感じるのはどうしてだろうねぇ」
 そう言うと、似蔵は己の刀を引き抜き、柄でガラスケースを粉砕する。満たされていた液体が床に溢れ足元を濡らすが、それを気にした様子もなく似蔵は紅桜に歩み寄った。
「アンタがレンにベタ惚れの様に、俺も紅桜にベタ惚れでねぇ。惚れた相手に喰われるなら本望だと思わないかぃ」
 似蔵が手にとった紅桜は淡く光を放つ。まだ何一つ学習していないその刀は、これから似蔵と共に人を斬り続け、学習し、いずれは似蔵さえも喰らうと思った万斉は不快そうに顔を歪め、言葉を放つ。
「辞めておいた方がいい」
「アンタは春雨の夜兎にそう云われてなんて答えた?」
 万斉に紅桜を翳し、似蔵は口元を歪めてそう言い放った。

 

 春雨との本格的な同盟交渉に万斉はレンを連れて行くことにした。紅桜と相性の悪いレンを船に置いておくのは気が進まなかったし、武市も春雨との交渉が決裂した時の為に、レンを連れて行く様勧めてきたからだ。レンと万斉のコンビなら少なくとも逃げおおせると思ったのだろう。
 交渉は春雨の本船で行われる為に、万斉は私物を纏めて準備をする。実質上紅桜の生産工場として稼働してるこの船は、何かあった時には速やかに破棄する事になっているのだ。留守のあいだに私物ごと破棄されたらたまらないと思ったのだろう、万斉は表の仕事に必要なものやレンの私物も含め、個人的に借り受けている部屋へ荷物を移動する。
 アジトへの帰還が遅くなり、漸く船へ戻った時は夜半を過ぎていた。
 バイクを乗り入れエンジンを切ると、万斉はゆっくりと視線を巡らせた。
 視線の先にいるのは似蔵。そしてレン。
 似蔵の手に握られた紅桜へ視線を移した万斉は思わず眉間に皺を寄せる。紅桜が稼働しているところを初めてみたが、それは侵食という言葉がぴったりで、似蔵の腕を喰らうようにへばりつく紅桜に生理的嫌悪さえ覚えた。
「……ニゾー」
 レンの声に似蔵は顔を上げて、ゆっくりと口端を歪めた。それと同時に、紅桜が急激に己の体と神経を侵食してきたのを感じて似蔵は思わず腕を抑える。
「それ以上こっちに来るなよレン。仕事の後で紅桜も気が高ぶってやがる」
 似蔵に言葉にレンは紅い瞳を細めると、一歩、前へ歩みを進める。
 紅桜の切先がレンに向くのを似蔵は抑えようと意識を集中するが、それは止まらず真っ直ぐにレンの白い首を狙う。レンはそれを半歩下がることで回避し、紅桜に視線を落とした。
「私の方が強いんよ」
 それは紅桜に向けて放たれた言葉なのか、自分に向けて放たれた言葉なのかは解らなかったが、底冷えする威圧感に紅桜が急激に大人しくなり、ゆるゆると侵食を解いてゆくのを感じ、似蔵は漸く紅桜から意識をレンに移す。
 万斉に寄り添う淡い月光は紅桜を頭から抑えつけて屈服させた。それは大きな差。まだ届かないという悔しさより、今はただ、その強さに焦がれるような強い思いを抱き、それが紅桜のものか、自分のものか分からないまま似蔵はゆっくりと口を開いた。
「……夜更かしすると万斉に叱られるんじゃねぇか?」
 その言葉にレンは困った様に笑うと、また一歩、似蔵に歩み寄る。
「明日万斉と春雨に行くんよ」
「そうかぃ」
「今ならその子、私でも引き剥がせるんよ」
 レンの言葉に似蔵は咽喉で笑うと、紅桜を鞘へ収め、一歩、レンへ歩み寄る。空いた右手を似蔵はそっと伸ばすと、レンの頬へ触れ、輪郭線をなぞる様に指を滑らせた。
「よく食う割には小振りだな」
 一升炊いた飯が一瞬で無くなったと悲鳴を上げる来島の声や、それを咽喉で笑う高杉、呆れた様な声を出した武市の事を急に思い出して似蔵は僅かに表情を緩めた。
「俺の相棒も大食いでな」
 その言葉にレンは大きく瞳を見開くと、悲しそうに笑った。似蔵がもう紅桜と離れる気がないと言う事を理解したのだろう。萎れた気配を感じて、似蔵は口元を緩めると右手をレンの頭に乗せ、軽く叩くとその場にレンを置いて船へと歩みを進めた。
「次に会う時はレンの首も綺麗に落とすぜ」
「その前にヌシが紅桜に喰われればいい」
 割り込んでくるかと思ったが、ずっと様子を眺めていた万斉に似蔵が声を掛けると、心底厭そうな顔をして彼は返答した。すると似蔵は咽喉で笑い、紅桜の柄を撫でる。
「怖い事言うねぇ」
 ちらりと視線を似蔵に向けた万斉は、眉を寄せるだけで言葉を発する事はなかった。すると似蔵は僅かに口元を緩めて、そのまま万斉の横を通り抜けその場を後にする。元々何か言葉を似蔵にかけるつもりだった訳ではない。そう思った万斉は、興味を失せたかのように踵を返すと、レンの元へ向かった。

 

 鬼兵隊が本格的に春雨との同盟交渉に乗り出したと言う話を聞いた阿伏兎は、遠目から万斉を眺めて小さくため息をついた。天人に囲まれ春雨の本船に降り立った万斉は相変わらず憮然としており、愛想の欠片もない。そもそも今まで春雨との交渉をちょこちょことしていたとはいえ、鬼兵隊においてはどちらかと言うと武闘派部隊である筈の万斉が先陣を切ってやってきたのに理解が出来なかったのだ。
 そんな万斉の姿を見て、興味を示した神威の首根っこを掴んで第七師団の船へ放り込んだ阿伏兎は、その後春雨本体と今後の仕事の打ち合わせをする。しかし春雨から明確な仕事の指示はなく、現状は待機だと素っ気ない返事を貰う羽目になった。恐らく鬼兵隊との交渉次第で仕事が来るのであろうと判断した阿伏兎は、それに対し不平不満を言うことなく、ただ、了解したと言う短い返事を置いてその場を後にする。
 今までも武器の売買などの交流は春雨と鬼兵隊との間では存在した。けれど今回はこの二つの組織の関係に大きな変化を齎すだろうと思うと阿伏兎の気は重くなる。同盟は不可、だたし、商売は今まで通りと言うのならば問題はないだろうが、交渉が決裂し、敵対関係になった場合が問題である。
 そんな事を考えながら廊下を歩いていると、正面から春雨幹部と共に歩いてくる万斉の姿を視界に捉えて、思わず阿伏兎は渋い顔をする。挨拶ぐらいはした方がいいのか。それとも知らん顔をした方がいいのかと判断に悩んだのだ。あくまで万斉と知り合いであるのは、鬼兵隊の夜兎であるレンを通じての事であり、今、微妙な関係である鬼兵隊・春雨の人間同士。下手な接触が同盟交渉に影響しては困ると思ったのだ。
 しかしそんな阿伏兎の心配を全力で否定する様に、万斉ピタリと阿伏兎の前で足を止めた。困惑したのは阿伏兎だけではなく、春雨の幹部も同じで、慌てて万斉に声をかける。
「万斉殿?」
 すると万斉は腰に差していた傘を引き抜くと、無造作に阿伏兎に放り投げる。それを受け取った阿伏兎は首を傾げて渡された傘に視線を送った。見覚えのある傘。
「故障した。修理を頼みたい」
 一方的な発言に阿伏兎が唖然とすると、春雨幹部も困惑したような顔をして万斉の顔を眺める。すると万斉は更に口を開いた。
「以前に春雨から鬼兵隊に来た武器でござる。うちでは修理出来る人間がいない故、春雨の夜兎に頼もうと思い持ってきた次第でござる。ヌシは夜兎でござろう?」
 夜兎が好んで使う傘の形の武器であると納得した春雨幹部は、ちらりと阿伏兎に視線を送った。これは引き受けてもいいのかと判断しかねた阿伏兎は、困ったように眉を寄せると、首を傾げ言葉を放つ。
「春雨の偉いさんに許可さえ貰えれば、俺としては引き受けるのは構わねぇんだが。確かにこれはうちから鬼兵隊に行った武器みてぇだしな」
 ぶっきらぼうにそう答えた阿伏兎を見て、春雨幹部は、小さく咳払いをすると修理を阿伏兎に促した。それを確認した万斉は口元を緩めると、感謝すると言い、更に言葉を続ける。
「同盟次第では修理もままならないと心配でござったからな」
 その言葉に春雨幹部が驚いたような顔をすると、万斉は、冗談でござると言い、修理が終わったら鬼兵隊の船へ持ってくるよう阿伏兎に頼み歩きだす。相変わらずのマイペースさに、呆れた様な顔をした阿伏兎は、手元に残された傘に視線を落とした。
 無造作にその場で傘を開いてみるが、パッと見故障箇所は見当たらない。丁寧に手入れもされているし、骨の歪みすら見当たらないのだ。
「……口実って訳か」
 春雨から鬼兵隊に流れた武器である事は間違いないが、これは個人的に阿伏兎からレンへと贈られた物で、わざわざ春雨幹部の前で修理を頼む類のモノではない。恐らくあの幹部も春雨から鬼兵隊へ武器が流れているのは知っているが、細かいアイテムなど把握していなかったのだろう。だから何の疑いもなく、商売の延長として修理を夜兎である阿伏兎に丸投げしたのだ。
 偶然会った夜兎に頼んだ。万斉が作った形であろう。でなければ、わざわざ阿伏兎を夜兎だと確認するような発言は不要だったはずだ。
「届けろって言ってたなぁ」
 仕方がないと言うように、阿伏兎は傘を閉じると、鬼兵隊の船の停るドッグへブラブラと歩いていった。

 鬼兵隊の船の前へやってきた阿伏兎を見つけた男は、阿伏兎の手元にある傘を確認すると、傍に寄ってくる。
「万斉殿の客人ですか?」
「……傘の修理を頼まれた」
 既に万斉からの連絡が来ているのだろう。先程の様子だと、傘を持った者が来るといわれていたらしい。そんな事を考えながら、阿伏兎は案内されるまま船内へ入っていた。小振りの船は最低限の装備しかないのだろう。同盟を結ぶと言う話で来ている以上、必要以上の武装はお互いに警戒させるだけだとは理解出来るが、余りにも無防備なのではないのかと思い、阿伏兎は船内を見回す。
「万斉殿。客人がお見えです」
 声をかけられると、施錠を外す音が聞こえ扉が開く。少し時間を置いた方がいいかとも思ったが、どうやら万斉はあの後直ぐに船に戻ったのだろう。ちらりと視線を阿伏兎に向けた万斉は、案内した船員に礼を言うと、阿伏兎を部屋に招き入れる。
「……前もって言っとくけど、俺は春雨と鬼兵隊の同盟に有効なカードは持ってねぇからな」
 その言葉に万斉は少しだけ驚いたような顔をすると、口元を歪めた。
「そんなもの初めから期待していないでござる」
 その言葉に安堵した阿伏兎は、紅い傘を差し出すと、そーかい、と短く返事をする。
「阿伏兎さん」
「お嬢?」
 ほてほてと部屋の奥から出てきたレンの姿に阿伏兎は目を丸くすると、乱暴に頭をかき、呆れたように口を開く。
「なんだってお嬢まで連れてきてんだ」
「……今は晋助の船にレンを置いておく訳には行かないでござるからな」
 傘を受け取りそう言った万斉に阿伏兎は怪訝そうな顔をすると、ぎゅっと抱きついてきたレンの顔をのぞき込む。すると、少しだけ眉を顰めて、レンの頬を軽く引っ張った。
「少し痩せたんじゃねぇか?飯ちゃんと食ってるか?」
 その言葉にレンは驚いたような顔をすると、困ったように笑う。
「ご飯は食べてるんよ」
「最近睡眠不足な所為でござろう」
 そう万斉が言い放つと、阿伏兎だけではなくレンも驚いたような顔をする。それに万斉は少しだけ口元を緩めると、レンへ茶を淹れるように促した。それにレンは小さく頷き、キッチンの方へほてほてと歩いてゆく。それを見送った阿伏兎は、小さくため息をつくと、ちらりと万斉へ視線を送った。
「俺が呼ばれたのにも関係あるのか?」
 明確は答えを返すことなく万斉は阿伏兎をソファーへ座るように促した。それに従った阿伏兎は、ソファーに深く座ると注意深く万斉の表情を伺った。
「……しっかしお嬢は連れて来なくても良かったんじゃねぇか?」
「レンがいれば春雨と交渉が決裂した際に逃げるのが有利でござるからな」
 しれっと言い放った万斉の意見には概ね賛成であった阿伏兎は思わず苦笑する。
「第七師団が動かなければ……の話ではあるが。いるとは思わなかった」
「まぁ、辺境の蛮族相手に俺達は動かさねぇだろうな。俺達夜兎は燃費が悪い。動かそうと思ったら金も食料も莫迦みてぇに食うから割にあわねぇよ。商売重視の春雨が動かすとは思えねぇ」
 それを確認する為に呼ばれたのだろうかと考えながら、阿伏兎は慎重に言葉を選んだ。確かに万斉の腕はどの程度かは解らないが、レンがいれば逃げるぐらいは問題なくやってのけるだろう。阿伏兎の言葉に万斉は大きく表情を動かすことはなかったが、無表情のまま小さく頷いたので納得はしたのであろうと判断して、阿伏兎は背もたれに体重を預けると、瞳を細めた。
「それを確認したかったのか?」
「それはついででござる」
 そう言うと万斉は、傍らに置かれた三味線に仕込んである刀を引き抜き、それを阿伏兎に翳す。それに阿伏兎が大きな反応を示さなかったのは、殺気も何もなく、ただ、万斉が刀を見せるためにその行動を取ったように見えたからだ。
「……刀がどうかしたのか?」
「学習する刀と言うのを阿伏兎殿はどう思う?」
 一瞬呆気に取られた阿伏兎であったが、しげしげと万斉の刀を眺めて、首を傾げた。
「学習の意味が解らねぇな」
「今晋助の乗っている船には【紅桜】と言う刀を積んでいる。これがどうにもレンと相性が悪い」
 その言葉に阿伏兎は瞳を僅かに細めると先を話すように促した。すると万斉は刀を室内の明かりに翳して言葉を続ける。
「学習すると言うのは、刀が経験を積む事によりより、持ち主の運動神経や反射神経に干渉する……と言うのが正確な所でござる」
「そりゃまたけったいな刀だな」
 レンが三人分の茶を持ってきたので、万斉は持っていた刀をしまうとレンを横に座らせてちらりと彼女の表情を伺った。するとレンは困ったように笑い、瞳を細める。
「経験を積めば積むほど強くなる刀……いや、兵器でござるかな。晋助がえらく気に入って今生産しているでござる」
「そりゃ結構な事だが、持ち主に干渉するっていっても限界はあるんじゃねぇの?」
 素朴な疑問を口に出した阿伏兎に視線を送ると、万斉は小さく頷いた。
「最終的には持ち主も喰われるでござろうな」
 その言葉にレンが表情を強ばらせたのを見て、阿伏兎は黙って入れられた茶に口をつけた。レンと相性が悪いと言う意味がいまだに飲み込めなかったのだ。
「お譲と相性が悪いってんだったら、お嬢が使わなきゃいいんじゃねーの」
「無論レンに使わせる気もないし、拙者も使う気もない」
 だったら何故だと言わんばかりに不思議そうな顔をするので、万斉はレンの頭を撫でながら、阿伏兎に一つ質問をする。
「阿伏兎殿は強くなる刀をどう思う?」
 突然の質問であった為に、阿伏兎は暫く沈黙したが笑いながら返答した。
「どうもなにも。強くなるのは刀であって、別に本人じゃねぇんだろ?夜兎には無縁の武器じゃねぇか。そりゃ、限界を超えて強くなるってのは夜兎の本懐だがなぁ」
「そうでござるか?夜兎と似ていると言う者もいる」
「莫迦言っちゃいけねぇよ。夜兎が強くなるのに共食いは必須じゃねぇよ。でも、その紅桜は持ち主食っていかなきゃ強くなれねぇんだろ?一緒にしては欲しくねぇな」
 呆れたように返答した阿伏兎の言葉を聞いて、レンが大きく瞳を見開いて、その後直ぐにほっとしたような顔をしたので、阿伏兎は驚いたような顔をする。何故そんな反応をしたのか解らなかったのだ。しかし、それと反して、万斉はいつもの無表情から、少しだけ表情を緩めたのが阿伏兎にも見て取れたので、どうやら自分は万斉の望む言葉を吐いたのだと言うことは理解した。
「レン。お茶のお代わり」
 万斉の言葉にレンは頷くと自分の茶も飲み干し、万斉と自分のコップを抱える。阿伏兎にも追加を確認するが、彼が小さく首を振って笑ったので、レンはそのままキッチンへと引っ込んでゆく。それを見送った万斉はソファーの背もたれに体重を預けると、小さく言葉を零した。
「感謝する」
「……よく解んねぇけど、アンタの望む答えを俺は出したみてぇだな」
 その言葉に万斉は頷く。
「持ち主を喰らう紅桜と夜兎。拙者は別物と思っているが、レンはそうではござらん」
 視線をキッチンに向けながら独り言のように万斉が言葉を零すので、阿伏兎はそれに耳を傾ける。
「似て異なるものだとレンは巧く認識出来ず、鬼兵隊の仲間を喰らいつつある紅桜と自分を重ねて不安になったのでござろう」
 それに対しては阿伏兎は思わず自分の過去の発言を反省する。散々万斉を喰うから離れろと主張していただけに、レンはそれを心配して、挙句の果てにろくに寝る事も出来なかったのであろう。言葉で言われてもピンと来なかったのであろうが、実際に紅桜に魅入られて喰われてゆく仲間を見て急激に現実味を増したのかもしれないと思い、阿伏兎は小さくため息をついた。
「拙者が言い聞かせるよりも、同族である阿伏兎殿の言葉の方がこの場合はいいでござろう……レンも信頼している」
 不本意そうに言う万斉の様子がおかしくて思わず阿伏兎は苦笑する。本来は手など借りたくないのだろうが、レンの為に仕方なく自分を頼ったのであろうと考えると、万斉の歪な愛情が露骨に出て可笑しかったのだ。
「信頼されてるようで有難いねぇ」
「拙者の次ぐらいでござるがな」
 しれっと言い放つ万斉に阿伏兎は少し驚いたような顔をしたが、瞳を細めて笑った。
「精々春雨の交渉頑張ってくれよ」
「云われなくても承知している」
 戻ったレンが今日出会った時より随分マシな顔をしているのを確認した阿伏兎は、満足そうに笑うと、そうか、と短く返答をした。

 

壊せ殺せと狂った様に叫び続ける紅桜の声が体と心を侵食していくる。
目の前にある眩しい光を消せと叫ぶのは己の意思か紅桜の意思か。
紅桜が嫌った光の持ち主の事を思い出して思わず口元が緩んだ。
無くした筈の右手の指先が思い出したのは温かく滑らかな柔肌。
侵食される意識の中で何故最後に思い出すのが彼女なのか。
紅桜がずっと殺す事を望み続けた最強種と謳われる夜兎。
あの白い首を落とす事を夢見たのは紅桜か己自身か。
今目の前にある鈍い光とあの月光を重ねあわせて、
憎悪の雄叫びを上げる紅桜は己を喰らい尽くす。
万斉の焦がれたあの淡い光を消したかった。
焦がれる程眩しかったあの淡い光の主は、
いつか紅桜の様に同胞を喰らうのか。
紅桜とは逆に同胞に寄り添うのか。
あぁ……眩しくてかなわねぇや。
幻肢の右手に残る感覚が、
侵食によって消え去る。
本望だと信じてる。
そう思いたい。
淡い光が、
暗転。

裏表。
僅かな差。
焦がれた光が、
理性と感情を抱え、
同胞を愛せるかどうか。
きっとそれだけの差だった。
紅桜と共に歩むと決めたヌシと、
夜兎と共に歩と決めた拙者は裏表。
同じ人斬りであった我等の決定的な差。
本望だと言いながらヌシは喰われたのか。
共感出来るが拙者の夜兎がそれを望まない。
拙者に寄り添う優しい思いが紅桜との絶対の差。
淡い光に触れて焦がれたヌシの思いは海に沈んだ。
紅桜の憎悪と共に沈むのはヌシ抱いた彼女への思い。
生きて欲しいと望んだのだろう紅桜の憎悪に抗ってまで。
人知れず抱いた感情を海底へ沈めて眩しくてしかたないと、
ヌシは彼岸の地でも冷たい刀を握ったまま呟くのでござろうな。
その感情が憎悪でも羨望でもないと気付く機会を永遠に失った。
握ったのが温かい手であったか冷たい柄であったかが分かれ道。
全てを無くしたとしても後悔などしないと思っていた頃の自分を笑う。

 

 鼓膜を震わす三味線の音に、万斉は急激に意識を引き戻し、ゆっくりと瞳を開けた。人気のない埠頭に鳴り響くは、三味線の名妓と謳われた迦具夜姫の奏でる魂送りの曲。海に沈んだ全てのものを彼岸へ送る為に奏でられるその曲は随分遠くから聞こえるが、恐らく目の前にいるレンの耳にも入っているだろう。
「レン。そろそろ戻るでござる」
 万斉の声を聞いて、それまで海を凝視していたレンは振り返ると力なく笑った。
「わかったんよ」
 真選組が事後処理で埠頭をうろうろしているのを承知しているレンは素直に万斉の言葉に頷くと、ほてほてと彼の傍に行き手を握った。温かい小さな手を軽く握り返すと、万斉は言葉を零す。
「心配しなくても迦具夜姫の音が彼岸へ送ってくれる」
 その言葉にレンが顔を上げたので、万斉は僅かに瞳を細めた。
「紅桜も、似蔵殿も」
「そっか」
 春雨との同盟を締結して戻った頃には全ては終わっていた。桂や白夜叉の活躍によって、紅桜もろとも全ては海の底に沈んだのだ。それに対して万斉はなんら感想は抱かなかったが、安心したような、悲しそうな顔をレンがしたのが万斉には印象的であった。紅桜が沈んだことに安堵したのだろう。けれど似蔵を思って悲しんだのだろう。彼女は言葉にこそしなかったが、矛盾した感情を持て余している様に万斉には見えた。だから、彼女が望むとおりにこの場所へ連れてきたのだ。
「レン」
「なに?」
「拙者はレンを置いていかないでござるよ。何があっても」
 その言葉にレンは驚いたような顔をして万斉を見上げたが、直ぐに淡く微笑んで頷いた。それに釣られるように万斉も口元を緩めると、小さな温かい手をぎゅっと握る。
 ゆっくりと視線を巡らせ、最後に万斉は穏やかな海へと視線を止め、瞳を細めると、興味が失せたかの様に踵を返した。


【月見日和】紅桜編
万斉と阿伏兎と言うよりは、似蔵話
20100515 ハスマキ

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