*常夜*
和室に座る阿伏兎はぼんやりと窓の外を眺める。常夜の国・吉原。夜兎の王が支配するこの土地にへの巡回業務は春雨からの命令で定期的に行われている。力を持ちすぎた夜王鳳仙を警戒しての事であろう。
「護衛はいいのか」
部屋に入って来た女に視線を送ると、阿伏兎は苦笑しながら肩を竦めた。いつもの定期巡回ではなく、今日は春雨要人の護衛で来ていると承知しての女の発言なのだろう。吉原の自衛団・百華の長である月詠は、阿伏兎の反応に僅かに瞳を細めると、煙管の煙を吐き出した。
「ここでなんかありゃ、アンタ等が片付けてくれるんだろ?」
「……まぁな。しかし、わっち等をあてにされても困る」
「冗談だ。部下がついてる。今日は商談だから問題ねぇだろうよ」
商談で斬り合いになる事も少ないだろうし、部下であろうと夜兎であることには変わりがない。早々負ける事もないだろう。暇潰しにも近い雑談をしていると、不意に外が騒がしくなり、月詠は顔を顰めて窓の外に身を乗り出す。二階からはよく見えないが、人だかりができているのが確認できた。吉原にポツリポツリとある甘味屋。場違いの様にも思えるが、女への手土産にと客の入りは意外と良かったりする。丁度阿伏兎達のいる建物の正面にあるその甘味屋の前で何か騒ぎが起こったらしい。
小さく舌打ちした月詠は、騒ぎを収める為に部屋を出ようとしたが、阿伏兎は僅かに眉を顰めてそれを止める。
「悪ぃ。俺の知り合いかもしれねぇ」
「なんじゃ?」
怪訝そうな顔をした月詠に困った様に笑いかけると、阿伏兎はそのまま窓から外へ飛び降りた。それに驚いた月詠は慌てて窓から身を乗り出すが、阿伏兎は綺麗に着地し、人ごみの中へ姿を消した。
真っ二つに割れた店の前の長椅子の前に立つ二人の男が声を上げるのを聞いて、店の女は慌てて男達を睨む女の傍へ行く。
「この子は吉原の女じゃないんです!」
「うるせぇ!」
怒鳴られれた店の女は一瞬身を竦ませるが、客を庇う様に立ちふさがる。男達が刀を抜き放つと同時に、阿伏兎はその間に間一髪滑り込む。突然目の前に現れた大柄な阿伏兎に男達は一瞬怯むが、声を上げた。
「邪魔するな!」
「そーいうなって。大の大人が女子供相手に刀抜くのは物騒じゃねぇか」
チラリと視線を送る先に阿伏兎が確認したのは、男達に絡まれていた女の姿。遠目からでも解る特殊な色彩の容姿は案の定鬼兵隊の飼う夜兎であるレンであった。
「阿伏兎さん」
「久しぶりだなお嬢。どーした?派手に椅子ぶっ壊しちまってまぁ」
ほてほてと阿伏兎の傍に寄って来たレンの頭を撫でると阿伏兎は瞳を細めた。するとレンではなく、店の女が事情を説明しだした。レンの事を吉原の女だと勘違いした男達が、しつこくレンを買うと言いよっていたらしい。何度レンや店主が吉原の女ではないと説明しても彼等は納得しなかった挙句に、暴力に訴えようとした為に、レンは食べていた団子を落としてしまった。腹を立てたレンが椅子を思わず叩き割って今に至るらしい。
その説明に阿伏兎は思わずため息をつくと、男達に視線を送る。
「悪ぃけど引いてくれねぇか。ここは吉原。そのルールに従ってもらわねぇと」
傘を翳した阿伏兎に男達は不快そうな顔をすると、一気に斬りかかって来た。やれやれと言うような表情をした阿伏兎であったが、一瞬で二人を地面に叩き伏せる。悲鳴を上げる間もなく地面にはった男達は阿伏兎を睨みつける。
「鬼兵隊である我らにこんな事をしてただで済むと思うなよ!」
その言葉に僅かに阿伏兎が表情を変えたので、男達は更に声を上げる。
「名前位は聞いたことがあるようだな」
「そーだな。鬼兵隊だろうがなんだろうが、吉原のルールで裁いて貰わなきゃなんねぇしな。後任せていいか姉ちゃん」
「承知した」
野次馬の人だかりはいつの間にか自衛団百華の面子に変わっており、月詠はクナイを一本、地面に這う男の目の前に投げる。
「騒がしいと思ったら雪兎、大人しくしてろって言ったろ?」
百華の間から顔を出した男の顔を見て阿伏兎は思わず渋い顔をする。もしも本当にこの男達が鬼兵隊の人間であるのならややこしくなると思ったのだ。
「シンスケ!」
レンが声を上げてぽふっと男に抱きついたので、月詠は怪訝そうな顔をして阿伏兎に囁く。
「奴は?」
「お嬢の保護者、兼、鬼兵隊のトップ高杉晋助」
阿伏兎の返答に月詠は視線を高杉に送る。すると高杉は咽喉で笑って、手間かけたとしれっと言葉を放った。
「吉原には吉原のルールがある」
「それ位知ってる」
「奴らは鬼兵隊だと言っているが、わっちらのルールで裁かせて貰う」
月詠の言葉に高杉は僅かに驚いた様な顔をすると、地面に這う男のを見降ろし口端を上げる。
「知らねぇツラだしかまわねぇよ。テメェ等良かったな、仲裁に入ったのがおっさんで。万斉の野郎だったら雪兎にちょっかいかけた時点で、問答無用で粛清だ」
その時の男達の表情で、鬼兵隊だと言ったのは騙りだと判断した阿伏兎はほっとしたような顔をする。揉めるのは面倒であるし、吉原を管理するのが名目だけとはいえ春雨である以上、鬼兵隊と対峙するという最悪の事だけは避けられた。もっとも、本当に彼等が鬼兵隊だったとしても、高杉のいうとおり河上万斉に粛清されて終わりであろうが。
百華に連行される男達の姿を見送ると、高杉は足元に散らばる木片に視線を落とす。
「なんだこれ?」
すると、レンが言いにくそうに俯きながら、ごめんなさいと謝る。
「元々は長椅子だったもの……お嬢がぶっ壊しちまったらしい」
すると、店の女がレンはずっと男達が言いよるのを我慢していたと、彼女を庇う様に言ったので、高杉は呆れた様な顔をする。
「とりあえず弁償するから請求書回しといてくれ。あの宿で部屋取ってる。商談があるから戻んなきゃなんねーんだ」
指差した宿は阿伏兎がいた宿と同じで、恐らく今日の春雨の商談相手なのだろうと察した阿伏兎は呆れた様な顔をすると口を開いた。
「何でお嬢連れて来た。護衛にしても他があっただろうに」
「護衛は今日はいねぇんだ。雪兎は吉原見物に連れて来たんだよ。常夜の国なんざぁ、夜兎の為にあるみてーなもんじゃねぇか」
支配するのが夜兎であるのを知ってか知らずか吐かれた高杉の言葉に阿伏兎は思わず顔を顰める。
「商談終わるまでこの甘味屋で待たせるつもりだったんだが、丁度いいから子守しといてくれ」
「……アンタまたそんな事いったら万斉の野郎に叱られるんじゃねぇの?」
「俺はな。でも雪兎は叱られねぇよ。【杜若】って部屋が俺の部屋らしいから適当に時間潰してといてくれ」
言いたいことだけ言うと、高杉は軽く手を振りまた宿の方へ戻って行く。商談の途中だったのか、始まる前だったのかは解らないが、真面目に仕事をするのを引き留める訳にも行かず、阿伏兎は困った様な、情けない様な顔をする。
「わっちはこの店と奴らの後始末をするから行く。請求はあの男でいいんだな」
「ああ。手間かけさせた」
「ごめんなさい」
レンが頭を下げたので月詠は少しだけ驚いた様な顔をすると、瞳を細めて、仕事だからなと僅かに微笑みを浮かべ、店の女に声をかける。
「この娘の団子、駄目にした分わっちが払う。百華の手落ちだ」
その言葉にレンは驚いた様な顔をして遠慮するが、店の女が快く団子を包んでくれたのでそれを受け取り、笑顔で礼をいう。それを見た月詠は、少しだけ恥ずかしそうな顔をしてその場を後にした。
「で、どーするお嬢」
「少し街を歩きたいんよ」
そう言うと、レンは阿伏兎の手を取ってにこにこと笑う。仕方ないという様な顔をした阿伏兎は、そのまま当てもなく歩き出す事にした。
常夜の吉原で見て楽しいもの等ないのは阿伏兎自身知っているが、レンが歩きたいと言うのなら断る理由もなく、きょろきょろするレンとはぐれない様に手をしっかり握る。
「……高杉が一緒に見物行こうって言ったのか?」
「ここは夜兎の国だってシンスケが言ってたんよ。お日様がないから日避けがなくても外歩けるって」
辺りを見回すレンの興味をそそったのは、一際大きな建物であった。それを指さし、レンは首を傾げる。
「あの建物には入れる?」
その言葉に阿伏兎は困った様な顔をする。夜王のいる館。阿伏兎であるなら顔パスだが、レンを連れてどこまで入れるかは解らなかった為に返答に困ったのだ。するとレンは、無理ならええんよ、と言う。
「いや、ロビーぐらいだったら大丈夫だろうよ」
そう言うとレンの手を引いて阿伏兎は歩き出す。何かあれば夜兎の仲間だと言い張ればいいだろうと高を括ったのだ。嘘はついていない。
ロビーに鎮座するは傘を銜える兎の像。夜兎の象徴ともいえるその像をレンぽかんと口を開けて見上げる。
「ウサギさんなんよ」
「吉原の王は夜兎の王様だからな」
吉原に君臨する夜王鳳仙。星海坊主同様最強と謳われた夜兎。この吉原桃源郷は彼の為にに存在してると言っても過言ではない。
「阿伏兎か」
突然声を掛けられて、阿伏兎はぎょっとしたように振り返る。
「お久しぶりです」
どんな表情をしていいのか解らない阿伏兎は曖昧に笑うと、階段を下りて来た鳳仙に返答をした。しかし、鳳仙の興味は直ぐに阿伏兎から、その手を握るレンに興味が移ったのか、彼女を見て瞳を細めた。
「珍しい白兎だな」
「……ええ、まぁ。預かりの夜兎なんですがねぇ。吉原観光にちょっと」
二人の会話を聞いていたレンは、小さくお辞儀をすると鳳仙を見上げる。大柄な鳳仙から感じられる雰囲気は夜兎独特の強い好戦的な気配。肌が粟立つのを感じてレンは、思わず阿伏兎の手をぎゅっと握った。
「どうだ、吉原は」
そんな事を鳳仙が聞くと思わなかった阿伏兎は驚いた様な顔をして思わずレンの表情を伺う。すると彼女は困った様に笑うと口を開いた。
「日避けがいらなくて楽なんよ。でも月がないから寂しいんよ」
その返答に鳳仙は咽喉で笑う。およそ夜兎らしからぬ返答だとでも思ったのであろう。情緒と無縁な夜兎族。夜兎が好むのは戦と血の匂いだと。
「鳳仙様……そろそろ」
側近の声に鳳仙は小さく頷くと、鳳仙は阿伏兎にもレンにも興味が失せたかのように何の言葉も発せずにその場を後にする。それを息をつめて眺めていた阿伏兎は、いなくなったのを確認するとい、ほっと息を吐く。
「まさかバッティングとはな。運が良いのか悪いのか」
普段は滅多に会う事もないのにとぶつぶつ言いながら、阿伏兎はレンへ視線を落とした。彼女はぼんやりと鳳仙の背中を眺めて口を開く。
「王様?」
「そーだよ。神威の親父さんの星海坊主とタメ張る強さで君臨してた男だ」
その言葉にレンは僅かに瞳を細めると、哀しそうに笑った。
「一人ぽっちなんやね」
その言葉に阿伏兎は驚いた様な顔をする。返す言葉は見当たらず、黙ってレンの頭を撫でる。頂点に君臨すると言う事は孤独だと彼女は思っているのだろう。鬼兵隊のトップである高杉が、幼馴染である女に縋る様に、あの夜王も吉原の太陽と呼ばれる日輪を傍に置き渇きを埋めようとしているのかもしれないとぼんやり考えた阿伏兎は、思わず苦笑すると瞳を細めた。
「そろそろ帰るか」
「うん」
宿に戻り、高杉の部屋を覗くがまだ商談が終わっていないのか留守であった。仕方なく阿伏兎がレンを連れて自分の部屋に行くと、そこには事後処理を終えたのか月詠がおり、部屋には二人分の食事が用意されていた。それに驚いた阿伏兎が口を開こうとすると、先に月詠が言葉を放つ。
「商談相手と食事を取るらしい。お嬢はヌシととの事だ」
恐らく請求書を回す為に高杉の所を月詠は訪れたのであろう。やれやれと言う様な顔をした阿伏兎は、レンに座る様に促すが、レンは部屋に荷物を取りに行くとくるりと引き返してしまった。
「嫌われたのか?」
茶化す様な月詠の言葉に阿伏兎は苦笑すると肩を竦めて座蒲団に座る。暫くすると、小さな鞄を抱えたレンが戻って来る。
「阿伏兎さん」
「なんだ?」
鞄の中に手を突っ込んだレンは、笑顔で小さな小箱を取り出すと阿伏兎に差し出した。面食らった阿伏兎は言葉を失い、レンの顔を凝視する。
「お誕生日おめでとうなんよ!あと、ハッピーバレンタイン!」
レンの能天気な言葉に、思わず月詠は吹き出す。漸く我に返った阿伏兎は、苦笑すると小箱を受け取る。それに満足そうに笑うと、レンは瞳を細めた。
「吉原に来れば阿伏兎さんおるかもしれんってシンスケが言ってたんよ。だから持って来たんよ」
レンの望みを叶える為に高杉はここへレンを連れて来たのだろう。護衛と言う名目で連れ出し自由にさせていた理由は、阿伏兎を探させる為だったのかもしれない。そう考えると、後で万斉に厭味を言われるのを承知で引き受けた高杉も大概レンに甘いの言えるのかもしれない。
「ありがとう。お嬢」
頭を撫でると嬉しそうにレンは笑った。その様子を見ていた月詠は肩を竦めると、スッと部屋を出て行く。邪魔をしては悪いと思ったのか、仕事があったのか。それを視線の端で確認した阿伏兎は、困った様に笑うと、飯にするかと言う。
黙々と米を口に運ぶレンを見て、阿伏兎は呆れた様な顔をした。根本的に吉原がどういうものか理解しないまま高杉について来たレンは、ちょっといい宿で食事を思う存分取れる程度に思っているのだろう。無論阿伏兎とて、吉原本来の機能を堪能する為に通った事はない。仕事をして食事をして帰るだけだ。
「いい食いっぷりだな」
「シンスケ」
呆れた様に部屋に入って来た高杉に阿伏兎は視線を送ると、どーも、とやる気がなさそうに返事をする。その様子に高杉は咽喉で笑うと、どっかりレンの傍に座り、煙管に火を入れた。月詠が出入りしている為に一応灰皿盆が部屋に設置されている為に、阿伏兎はそれを高杉の方へ移動すると、情けない顔をして笑った。
「帰んのか?」
「……春雨の連中が女用意するとか言ってたからなぁ」
興味なさそうにぼやく高杉にぎょっとしたような顔をしてレンの方へ視線を送る。彼女は米に満足したのか、月詠の買ってくれた団子を口に運んでもぐもぐとしている。
「まさか、お嬢一晩預かれって?」
「厭か?」
「厭ではねぇよ。だが、困る」
言葉を選んだ阿伏兎を見て高杉は咽喉で笑うと、瞳を細めて冗談だと言う。その言葉に安心したような阿伏兎を見て高杉はつまらなさそうな顔をした。
「折角万斉の奴に良い嫌がらせできると思ったんだがな」
巻き込まないで欲しいと思ったのが顔に出た阿伏兎は、思わず己の表情を隠す為に茶に口をつけた。
「プレゼントは渡したのか?」
話を変える様に高杉が言ったので、レンは大きく頷くと、ありがと、と高杉方へほてほてと歩み寄り、すとんと膝に座る。
「……俺に合わす為にお嬢連れて来たのか」
「仕方ねぇだろ。春雨に問い合わせたら吉原だっていうからよ。まぁ、ついでだ。夜兎の支配する吉原に俺も興味あったしな」
咽喉で笑った高杉は瞳を細めると、窓の外に視線を送った。常夜の国と呼ぶには人工的な光溢れる世界。賑やかなのは元々高杉は好むが、この街には情緒がない。そう感じた高杉はレンの体を抱いて笑った。
「月がねぇ街では迦具夜姫にも会えねぇしな。帰る」
高杉の言葉に阿伏兎は思わず驚いた様な顔をした。レンの感性が高杉に似ていると思ったのだ。彼がレンを贔屓するのはその感性の同調があるからかもしれないと感じて阿伏兎は思わず苦笑する。
「お嬢も同じ事言ってた」
「……仕方ねぇさ。雪兎は一人でいた時は太陽じゃなくて月ばかり拝んでたんだからな」
レンを膝から降ろすと高杉は煙管の火を落とし立ち上がる。レンもそれにならって、持ってきた鞄を抱くと立ち上がり、阿伏兎の方へほてほてと歩みより、ぎゅっと正面から抱きつく。
「会えて良かったんよ」
その言葉に阿伏兎瞳を細めると、レンの頭を撫でる。己に向けられる好意に今でも戸惑うし、扱いにくい。けれど態々己に会いに来た気持ちは嬉しいと感じて、阿伏兎は僅かに体を屈める。
「気をつけて帰れよお嬢」
頷いたレンは、阿伏兎の頬へいつも万斉にするように口づけた。それに対して阿伏兎は僅かに苦笑しただけだった。
「つまんねぇ反応だな」
「おっさんにも適応力は一応あるんだよ。若ぇのには負けるけどな」
「……精々仕事頑張れよおっさん。陽の光を浴びない果実は腐って落ちるだけだ。いずれここも欲望だけが肥大化して内から滅びるだろうよ」
春雨との商談で何か聞いたのだろうか。そう思ったが、詮索は止そうと阿伏兎は困った様に笑い、あぁ、と短く返答した。
手を振り高杉の後についてほてほてと帰ってゆくレンを眺めて阿伏兎は思わず瞳を細めた。吉原はいずれ終わるだろう。それが外からなのか内からなのか、それとも両方か。そんな事を考えていると、部屋に月詠が入って来たので思考を元に戻す。
「帰ったのかお嬢は」
「ああ。あの保護者のお目に叶う女を用意出来なかったみてぇだな、上の連中も」
その言葉に月詠は怪訝そうな顔をした。吉原の女は質も高いしそうそう断る人間もいないので不思議に思ったのだろう。
「日輪でも指名したか」
月詠の言葉に阿伏兎は首を振ると、瞳を細めた笑った。
「地上にいる迦具夜姫が良いんだと。月のない街に用はねぇって言ってた」
「……可笑しな男だ。ヌシも望むなら女を準備するが」
いつも仕事で来ていると酒も女も断る阿伏兎に月詠が言うと、彼は興味なさそうに、部下にだけ頼む、と短く言う。高杉が帰ったと言う事は仕事も終えて護衛任務の部下も食事を取っているのだろう。
「俺はお嬢に誕生日も祝ってもらったし、満足して寝るわ」
その言葉に月詠は僅かに微笑みを浮かべると、部屋を後にする。
誕生日が嬉しい年でもないが、レンが持ってきた小箱を眺めて自然と阿伏兎は口元を緩ませる。随分前に彼女が己の誕生日を祝う為に春雨に遊びに行くと言ったのを思い出したのだ。阿伏兎自身は忘れてしまっていたが、彼女はそれを守ろうと、高杉を頼って態々ここまで来た事を考えると、少し申し訳ない気分になる。
「夜兎の国か」
星から星へ血と戦を求めて転々とする夜兎族。矛盾だらけのこの街を寂しいと哀しそうに笑った彼女。たった一人の為の桃源郷が滅びる時に、夜王は何を思うのだろうか。そんながらにも事を考えて阿伏兎は自嘲気味に笑うと、窓から外を眺めて瞳を細めた。
阿伏兎誕生日記念
おっさんにも学習能力があるらしいです
20100211 ハスマキ