*天守*

 空のない吉原から地上へ出た阿伏兎を迎えたのは一面の雪景色で、降り続く雪に人々は背を丸めて早足に目の前を過ぎてゆく。反射的に阿伏兎も背を丸め傘をさすと、どんよりとした空を見上げた。
 街を彩るイルミネーションとは正反対の灰色。日の光が出ていないのは夜兎としてはありがたいと思うが、阿伏兎としては船の出港準備が終わるまで寒い中時間をつぶさねばならないのは面倒極まりない。
 店に入るか、どこかぐるっと見廻るか。そんな事を阿伏兎はぼんやりと考えながら歩きだした。
 足が自然と向いたのは、江戸で唯一の知人ともいえる三味線屋だった。鬼兵隊の高杉が贔屓にしている女の店で、運が良ければ軒下位は貸してくれるかもしれないと思い河川敷の道をぶらぶらと歩きだす。
 目につくのは黒服の真選組と呼ばれれる武装警察の姿で、年の瀬のテロ警戒の為か普段より数多く巡回してるように見えた阿伏兎は小さくため息をつく。春雨所属としては出来るだけ関わり合いになりたくないし、一人昼食とデザートバイキング制覇に出かけた神威の事が心配だったのだ。余計な揉め事を起こさないで欲しいと心底願ってはみるが、かの団長に自重の二文字はないのを考えるとため息しか出ない。
 見覚えのある家を視界に捕えた阿伏兎は、思わず足を止めた。家の前で誰かがうずくまっていたのだ。
「……何やってんだ?」
「雪兎作ってるんよ」
 顔を上げたのは鬼兵隊の夜兎であるレンである。三味線屋を高杉が贔屓にしている為か、この周辺での遭遇率は割と高い。手袋をした手に乗せられた雪兎を阿伏兎に見せる為に立ちあがると、淡く微笑んだ。
「お久しぶりなんよ、阿伏兎さん」
「そーだな。今日は一人か?」
 家の中から三味線の音がする為、家主は在宅なのだろうと思ったが、中に誰がいるのかまでは判断できなかった阿伏兎がそう言うと、レンは小さく頷いた。
「万斉がお仕事やから夕方まではここにおるんよ。他の人は別のお仕事にいったんよ」
「中にいりゃいいだろーに」
 雪の降る中一人ぼっちで雪兎を作る姿が奇妙に映った阿伏兎が言うと、レンは困った様に笑った。
「今三味線のお稽古中なんよ。だから外で待ってるんよ」
 そう言うとレンは阿伏兎に手招きをし、少し体を屈めた阿伏兎に小さく耳打ちした。
「真選組のお兄さんがお稽古に来てるんよ。だから、同じ部屋にいない方がいいんよ」
 その言葉に阿伏兎は思わず顔を顰める。鬼兵隊として顔が割れていないのであっても大丈夫なのだろうが、できるだけ関わらないようにと言われているのだろう。それを忠実に守って外で時間を潰していたのだという事に納得した阿伏兎は、レンの頭を撫でると情けない顔をして笑った。
「そりゃ仕方ねぇな。暇なら俺とどっか行くか?夕方までに戻ってくりゃ良いんだろ?」
「ええの?」
「神威がどうせ夕方まで船に戻らねぇしな」
 そう返答した阿伏兎にレンは嬉しそうに笑いかけると、それじゃね、と口を開いた。
「お城みたいんよ」
「城?将軍のいる城か?」
「そうなんよ。大きなお城だから近くでみたいんよ。船の仲間は近くに行けないから。阿伏兎さんは大丈夫?」
 恐らく城の警護自体が厳しいのだろう。一般人ならともかく、鬼兵隊として全国指名手配の高杉等は特に傍に寄れないのだろう。
「中は無理だろーけど、傍から眺めるぐれーは問題ねぇな。そんなんでいいのか?」
 阿伏兎の言葉にレンは嬉しそうに頷くと、手に持っていた雪兎を軒下に並べ、壁に立てかけられていた赤い傘を握る。行く気満々のレンに阿伏兎は苦笑すると、三味線の音が止まっているのを確認して、道側に面している窓ガラスを小さく叩いた。
「お嬢?どうしたの?」
 中から三味線屋の声が聞こえたので、阿伏兎は小さな声で彼女に言葉をかける。
「ちょっとお嬢と城見物行ってくるわ。夕方までには返す」
「……阿伏さん?悪いわね。帰ったらあったかいお茶でも入れさせてもらうわ」
 自分の事を覚えていた事に安堵すると、阿伏兎は礼を述べてレンを連れ出す事にした。恐らく三味線屋もレンを一人にしておくのが気になっていたのだろう。三味線屋の返答にレンは笑うと、阿伏兎の手を取って、行ってきますと窓に言葉を投げかけた。

 

 大きな建物の立ち並ぶ江戸の町で将軍の住む城は申し訳程度に見える。三味線屋から眺めれば城より寧ろ、ターミナルの方が目立つ位だ。何故レンが城に興味を持ったのだろうかと不思議に思った阿伏兎は、ぶらぶらと歩きながら聞いてみる事にした。
「なんで城みたいんだ?」
「お城はこの国で一番偉い人が、一番眺めがいい所につくったんよ。だからちょっと気になるんよ」
 今はお飾りの将軍であるが、天人襲来以前はその城に君臨し、侍は忠誠を誓った。己が領地を眺める為に、己が国を守る為に作られた城は、今は張りぼての城だと揶揄するものもいる。実際、幕府の実権は天人が握り、幕府は侍を切り捨てたが、それが最良だったのかは阿伏兎にもレンにも判断できない事であった。ある意味国は守られた。けれど高杉の様な男を生み出しな物また事実だ。
「……まぁ、眺めは良いだろうが、登るのは無理だけどな」
「仕方ないから諦めるんよ」
 困った様に笑ったレンを見て阿伏兎もつられて笑う。寒い中わざわざ城見物というのも酔狂な気もするが、レンが他の人間に頼めないのなら断るのも可哀相だと阿伏兎はぼんやりと考える。ただ、その気になれば城の近くに位鬼兵隊の面子でも行けるのではないかと思うのだが、その辺はレンが彼等に無理を言わなかったのだろう。甘やかし放題である万斉なら何としてでも彼女の望みを叶えたのではないかと思わないでもなかった。
「あ、掘があるんよ」
 レンが指差した先に城をぐるっと囲む堀が見える。そして天守閣。どうやら一般人は堀の外側までしか行けないらしい。堀を渡る為の橋を越えた門には2人の門番が立っており、その雰囲気から気軽に出入りができる様子でもない。
 レンはほてほてと堀のギリギリまで行くと、じっと堀の中を眺め、それから天守閣を見上げた。
「大きいねぇ」
「落ちんなよ」
 今でこそ江戸の町には高い建物が立ち並んでいるが、天人がやってくる前までは恐らくこの城が一番高かったのであろう。そんな事を考えながら阿伏兎はレンと同じ様に城を見上げる。ぐるりと塀で囲まれているので嘗ては防御もすぐれていたのであろう。けれど空からやって来た天人に、堀も、塀も無意味であった。なす術もなく天人に降伏し、己の国を守る為に全てを取り上げられ、お飾りとなった将軍はどんな気持ちで江戸の街を眺めているのだろうか。己が国を持たない夜兎には想像できないものだと阿伏兎は自重気味に笑うと、レンの頭を撫でる。
「……ここは侍が侍である為の象徴だったんよ」
 レンがぽつりと呟いた言葉に阿伏兎は瞳を細めると、黙って彼女の声に耳を傾ける。
「本当は天人は、このお城も、将軍様も全部壊せたんやって。でもそうしたら反発があるから残しだだけだってシンスケが言ってたんよ。この世界から侍がいなくなったら、きっとこのお城はもう用がなくなるから、壊されるんじゃないかって。その前に見ておこうと思ったんよ」
 力で蹂躙するのは簡単であっただろう。どんなに侍が足掻いても天人の技術力に勝てる筈はなかったし、実際にこの世界から侍は殆どいなくなった。けれど天人が欲したのは土地ではなく、市場だった。なるだけ反発をされずに、己が利益を膨らまそうと城も、将軍も残しただけであろう。利用価値がなくなれば高杉が言うようにいずれなくなるものなのかもしれないと阿伏兎はぼんやりと考えた。
「……天人が壊すか、自分が壊すか競争やって笑ってたんやけどね」
「物騒だなオイ」
 もう高杉にとって将軍も、城も、値打はないのだろう。全国指名手配のテロリストらしい高杉の発言に阿伏兎は苦笑すると瞳を細める。するとレンはほてほてと橋を中ほどまで渡って、欄干から身を乗り出すと堀の中を再度眺める。
 門番が何も言わない所を見ると、橋を渡る事自体は禁止されていないのだろう。阿伏兎はレンの傍によると、堀に張られた水に目を凝らす。
「魚がいるな」
「うん」
 嬉しそうにレンが頷いたが、足をぷらぷらさせて覗き込む姿は落ちないか心配になり、阿伏兎はレンの腰に手を回すとひょいと抱き上げ、そのまま彼女を地面に降ろした。
「危ねぇから欄干の隙間から覗け」
 驚いたようにレンが阿伏兎を見上げたので、彼は困った様に笑う。確かに夜兎の身体能力ならば堀に落ちた所でどうという事はないだろう。ただ、夜兎でも風邪は引く。この寒空の中水の中に落ちて風邪をひかれたら、恐らく万斉どころか、高杉や三味線屋に文句を言われると予想出来るだけに、つい阿伏兎は必要以上な心配をする。
 レンは笑顔を阿伏兎に向けると、天守閣をもう一度眺めて瞳を細めた。
「ありがと。阿伏兎さん。お城には登れへんかったけど、こんなに近くで見れたんよ」
 夜兎である彼女にとって値打ちのある城とも思えないが、満足したならそれでいい。そう思った阿伏兎は、彼女の頭を撫でると、帰るか?と短く聞いた。小さく頷いたレンはほてほてと橋の中央に戻って、帰ろ!と笑う。
 阿伏兎が彼女の傍に寄ろうとした時、不意にレンの後ろを通った天人が彼女にぶつかり、ころりとレンはひっくり返る。
「お嬢!」
 慌てて阿伏兎が駆け寄ると、レンは服についた雪を払って、大丈夫なんよと笑う。
「邪魔だ」
 ぶつかった天人達は豹に似た頭をした茶斗蘭星の天人である事は阿伏兎にもすぐ解った。思わず阿伏兎がむっとした様な顔をしたのに気がついたのか、天人は二人を睨むと更に口を開く。
「地球人は大人しく隅に這いつくばっていろ。辺境の蛮族が往来を堂々と歩ける時代は終わったんだよ」
 比較的地球人に似た容姿である二人を夜兎だと認識できなかったのだろう。地球人と間違え暴言を吐く天人に、レンはむっとした様な顔をして言葉を放った。
「この国はこの国の人の物なんよ」
「随分生意気な小娘だな」
 まさかレンに反論されるとは思わなかったのだろう、天人は眉を少し上げると刀に手をかける。それに一番に反応した阿伏兎はさしてした傘をすぐさま閉じると、それを天人が刀を抜くより早く彼の眉間に翳した。
「……何のつもりだ」
「まぁ、道の真ん中でぼんやりしてて邪魔だったのは謝る。けど、アンタが刀抜くってんだったらこっちも黙って斬られる訳にはいかねぇんでな」
「我らに刃向うというのか。国際問題だぞ」
 その言葉に阿伏兎はにぃっと口端を上げると言葉を放った。
「辺境の蛮族らしく喧嘩買うっていってんだよ、このすっとこどっこい。夜兎族としてケツまくって逃げる方が大問題だからな」
 阿伏兎の言葉に天人は顔色を変える。よくよく見れば色素の薄い容姿も、夜兎族が好んで使う傘の武器も二人の特徴にあてはまると気がついたのであろう。
「コラ!!城の前で何をしてる!」
 揉めているのに気がついた門番が、二人とも慌てて飛んできて間に入る。
「困ります!こんな所でもめ事は!」
 天人に門番が言うと、彼はほっとしたように刀から手を放して、阿伏兎達にちらりと視線を送るとそのまま城の中へ入って行く。その様子に阿伏兎は思わず舌打ちをするが、それを門番に窘められた。
「気持ちは解るけど勘弁してくれよ。偉そうなだけじゃなくて、本当に偉いんだからあの天人」
「悪ぃ」
 困った様な顔をした門番に謝罪すると、城の中へ消えていった天人を眺めていたレンの頭を撫でる。
「どーしたお嬢」
「あの人達はお城に入れるんやね」
「……羨ましいか?」
 阿伏兎の言葉にレンは困った様に笑った。その様子を見た阿伏兎は少しだけ瞳を細めると、レンの後ろに回る。
「阿伏兎さん?」
「じっとしてろよお嬢」
 ひょいと後ろからレンを抱き上げた阿伏兎は、そのまま彼女を肩に乗せる。暫くは驚いたようにレンは言葉を発する事はしなかったが、すぐに歓声を上げた。
「凄い高いんよ!」
「まぁ、天守閣は無理だからこれで我慢しとけ。兄ちゃん。悪かったな」
 再度門番に謝罪すると、阿伏兎はレンを肩車したままゆっくりと歩き出す。
「全然視界が違うんよ」
「2メートルチョイか?お嬢は小せぇから大分違うだろうな」
 少し堀から離れた所で阿伏兎が立ち止まると、レンは再度天守閣を眺めた。
「……凄く嬉しいんよ。お城には登れんかったけど、ありがと、阿伏兎さん」
「どーいたしまして」
 レンの表情は見えないが、喜んでいるのであろう事は声から解った阿伏兎は情けない顔をして笑うと、そのままレンを乗せて三味線屋への帰路へ着く。余りにも彼女が喜んだので、降りろと言うタイミングを逸してしまったのだ。

 

「お帰りお嬢、阿伏さん」
 肩車をしたままチャイムを押したいとレンが言うので三味線屋に間抜けな姿を見られた阿伏兎は苦笑しながら、出迎えた三味線屋に、お嬢を返しに来たと言う。
「あがんなさいよ。万さんはあと一時間位掛るって連絡あったから、お茶の一杯ぐらいは大丈夫なんじゃない?」
「悪ぃな」
「こっちこそ。お嬢、楽しかった?」
 三味線屋の質問にレンは笑顔で、寒かったけど楽しかったんよ!と返答した。阿伏兎の肩から降りたレンは、ほてほてと阿伏兎の手を引きながら座敷へ向かう。いつも招き入れられるのがこの部屋なのだ。
「はいお茶。お饅頭も食べる?」
「たべるー」
 わーい!と喜んだレンの前に、茶と饅頭を並べると、阿伏兎にも同じように進める。すると阿伏兎は茶に口をつけるが、饅頭はそのままレンの皿に乗せる。それにレンは、ありがと!と嬉しそうに言うと次々と饅頭を胃の中に収めた。
「寒い中なんで城なんか見に行ったのさ」
「シンスケがもうすぐお城なくなるって言うから見に行ったんよ」
 もぐもぐと口を動かしながら言ったレンに、三味線屋は呆れた様な顔をする。
「そんなに急になくなりゃしないわよ。春先に行きゃ桜が綺麗だったのに」
「桜?」
 阿伏兎が怪訝そうに言うと、三味線屋はそーよと更に言葉を続けた。
「堀の周りも、中も、桜の木が一杯植わってるから、春先になったら綺麗よ。天人が来た時に大分焼けちゃったけど、先代の将軍が私財投じてまた植え直したの」
 寒空の中枝を伸ばしていたのは桜だったのかと納得した阿伏兎は、そりゃ残念だったなと苦笑すると立ち上がる。
「帰んの?」
「ああ」
 玄関先まで見送りに出たレンを眺めて、阿伏兎は瞳を細める。
「そんじゃな」
「うん」
 心なしか残念そうな表情を浮かべたレンに阿伏兎は苦笑すると、彼女の頭を撫でて口を開いた。
「春にまた、城に連れてってやる」
「ほんま?」
「約束だ」
 嬉しそうに笑ったレンを見て瞳を細めると、阿伏兎は踵を返して自分の船へ戻る事にした。レンはそれを見送ると、嬉しそうに笑い、三味線屋の顔を見上げる。
「楽しみなんよ」
「よかったわね」

 

 数日後。阿伏兎の部屋で菓子を食べながらTVのチャンネルをポチポチと変えていた神威の姿を横目に阿伏兎が報告書を作成していると、あっと神威が声を上げたのでそちらに視線を送る。
「どーした」
「これこれ」
 画面に映し出されたのは先日阿伏兎が出かけた堀で、そこに立つレポーターの姿に阿伏兎は瞳を細めた。
「なんだぁ?」
「茶斗蘭星の大使が死んだって。攘夷志士の仕業じゃないかって言ってるけど、阿伏兎がやったの?」
 先日城の前で揉めたという言う事を一応団長である神威に報告はしていたのでそう思ったのだろう。それに阿伏兎は首を振ると、苦笑する。
「やるつもりなら、その場でやったさ」
「だよねー」
 そのままチャンネルを変えずに眺めていると、現場に残されていた犯人のものと思われる書き置きが読み上げられる。
「『己が言動を死して償うべし』か。まぁ、茶斗蘭星の奴らはハイエナみたいな奴らで天人の中でも嫌われてるしなぁ」
 神威が呟くと、画面には残されていた紙が映し出された。
「……怖ぇなオイ」
「何が?」
「どこで見てたんだか」
「だから、何が?」
 たかが小娘一人転ばせただけで命を落とすとは思ってはいなかっただろう。元々排除する予定だったのか、排除する事にしたのか阿伏兎には判断できなったが、せめて筆跡位変えればいいのにと阿伏兎は再度画面に映された文字に視線を送る。
「河上万斉」
 短く男の名を呼んだ阿伏兎に、神威は首を傾げる。すると阿伏兎は困った様に笑った。
 天人を敵に回すぐらいどうという事はないと宣言された気持ちになった阿伏兎は、瞳を細めると、俺も言動に注意するかと呟き、テレビに興味を失ったかのように報告書作成作業に戻った。


肩車をやりたくて仕方なかった
そして素で万斉は怖い(笑)
20091211 ハスマキ

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