*桜花*

 景気良く鳴らされたベルの音に、レンと来島は目を丸くするとガラガラクジから出て来た青い玉を凝視する。
「おめでとうございます!一等・温泉旅行ご家族ご招待!」
 珍しく買い出しにレンを連れ出した来島は、店でやっていた抽選会に溜まったレシートを握り締め訪れたのだ。普段レンは日の光が苦手である為外に出る事は少ないが、天候が曇りであった事、買い出し荷物が多かった事もあり荷物持ちとして連れて来た。外見は小柄で細いが夜兎の怪力は役に立つ。
 散々来島が残念賞の飴玉をいくつもレンに握らせ、抽選権利が後一回になった時、レンは景品の中にあるブランケットを指差し口を開いた。
「キジマちゃん。アレがええんよ」
 白兎と黒兎の模様の入ったブランケットは六等…つまり下から二番目の景品である。残念賞をこれだけ引いたのだから、次はそれ位なら当たるかもしれないと来島は考えたが、外した時の事を思うとプレッシャーに耐えられず口を開く。
「最後はレンが引いて良いっスよ」
「ほんま?」
「オレンジが出たらウサギ毛布っス」
 大喜びでレンがガラガラとグジを回し、出て来た青い玉。
 来島は暫くぽかんとしていたが漸く事を把握し歓声をあげた。
「レン!温泉っス!凄い!」
「ウサギさんは?青じゃあかんの?」
「ウサギより良い景品が当たったっスよ」
 そう言われレンはじっと青い玉を眺めていたが、その玉を白い指で摘むと先程盛大にベルを鳴らした男に差し出した。
「オレンジと交換して欲しいんよ」

 

「…で福引き所の兄ちゃん困らせたのか」
「困らせたかったんじゃないんよ」
 膝にレンを乗せていた高杉は、来島の話を聞いて思わず吹き出した。買い物から帰って来たと思ったら、不服そうなレンと上機嫌な来島が部屋になだれ込んで来たのだ。
 卓に乗せられたパンフレットと引換券を眺めながら、高杉は瞳を細めた。万斉が一緒なら間違いなく彼は温泉旅行を蹴って毛布獲得の為に福引き所であれこれ画策しただろうが、来島は何とかレンをなだめすかして帰って来た。
「どんな柄の毛布だ?」
「ウサギさんが描いてあって可愛かったんよ」
 レンはそう言うとパンフレットの余白に毛布に描かれていた絵を描く。丸っこい二匹のウサギが仲良く並んでいる絵を見て来島は思わず目を丸くした。
「レン絵が上手いっスね」
 来島の反応を見る感じでは上手く真似て描いたのであろうと思った高杉は、その絵を手に取ると口元を歪めた。
「今度俺が買ってやるよ。本当に手前ェは安上がりだな」
「ほんま?」
「ああ」
 高杉の言葉にレンは嬉しそうな顔をする。
「で、晋助様。どこの温泉にするっス?」
 福引所が提携を組んでいるのであろう温泉のパンフレットの中で高杉が興味を示したのは随分山奥の辺鄙な温泉であった。それを来島に渡すと高杉は煙管に火を入れ煙を吸い込んだ。
「ここにしろ。次の会合場所の近くだ。部屋は『竜胆』か『杜若』にしておけ」
 その言葉に来島は目を丸くすると、了解っスと短く返答しパラパラとパンフレットを捲る。温泉と景色の良い山意外は何もないが、確かに次の会合のある場所からは近い。
「あれ?会合のついでに行くんっスか?河上先輩仕事っスよ?」
「雪兎も連れて行くって言えば仕事は何とでもするだろうよ。武市は今回留守番だ。温泉旅行は4人だろ?お前と俺と雪兎と万斉だ」
 会合の様な行事に参加するのは大概武市の仕事で、万斉は基本的には面倒がって参加しない。今回も万斉は表の仕事があると言って不参加であったのだが、高杉は参加させるつもりらしい。
 高杉は卓に置いてある携帯電話を引き寄せると、万斉に電話をかける。しかし当然の事ながら仕事中である為、留守番電話サービスに繋がり応答はない。高杉は仕方ないと言う様な顔をしてレンにその携帯を渡す。
「俺の携帯に至急電話しろって吹き込んどけ」
 頷いたレンはメッセージを録音する旨の案内が流れるのを待ち、お電話欲しいんよ、シンスケの携帯にかけてね、とだけ言い電話を切った。
「…レンに言わせる意味、あったんっスか?」
「ああ。見てろ」
 別に高杉がメッセージを残しても良さそうなものであるが、態々レンにメッセージを残した意図が解らない来島は首を傾げる。レンから返却された携帯電話を受け取ると高杉は瞳を細めてその携帯電話を眺めた。
 すると、突然その電話が鳴り出す。
「俺の伝言はほったらかしの癖に。相変わらずムカつくな」
 今まで高杉が伝言を残してまともに連絡を入れてきたのは皆無に等しい。しかし、高杉の予想通りレンからの連絡だと気がついた万斉は仕事を一旦休止して連絡を入れてきた。高杉の万斉への第一声を聞いた来島は、今度から自分も同じ手を使おうと思いながら会話を横で聞くことにした。
『レンは?』
「用事があんのは俺なんだよ」
『忙しいから切るでござるよ』
 呆れた様に万斉が溜息をついたので高杉はさっさと用件を切り出すことにした。
「一週間後の会合に来島と雪兎を連れてく事にした」
 高杉の言葉に万斉は恐らく電話を切るという選択肢を削ったのであろう、直ぐに返事を返してくる。
『行くのは晋助と武市殿だけでござろう』
「あいつ等が温泉旅行引き当てて来やがってな。会合のついでに行く事にした。丁度4人だしな」
『旅行の日程を変えれば良いのではござらぬか?』
「あの温泉はこの時期に行かねぇと値打ちねぇんだよ。とりあえず帰って雪兎がいねぇって騒がれても面倒だから報告だけしとく。じゃぁな」
 高杉が電話を切ってしまったので、レンも来島も驚いた様な顔をする。つい先程まで万斉を連れて行くと言う話をしていたし、そもそも万斉を誘うための電話ではなかったのかと来島は思わず口を開く。
「…武市先輩連れて行くんっスか?」
「万斉連れてくって言ったろ?」
 高杉は瞳を細めるとまた鳴り出した携帯電話に応答した。
「忙しいんじゃねぇのかよ万斉」
『次の会合は武市殿の代わりに拙者が行くでござる』
「…仕事積んでんだろ?無理すんな」
『会合までにはそちらに戻る。レンに代わって欲しい』
 そう言われ高杉はレンに携帯を握らすと、煙管の煙を吐き出し咽喉で笑った。万斉は普段は頭が切れる癖にレンの事になると途端に莫迦になる。それが可笑しかったのだ。
 電話を切ったレンは高杉に電話を返すと心配そうな顔をする。
「万斉はお仕事大丈夫って言っとったけど、忙しいんよね」
「アイツが大丈夫だって言うなら大丈夫だろう。来島に手伝って貰って準備だけしとけ」
「うん」
 一緒に出掛けられるのは嬉しいが、万斉が無理をするのは心配なのだろう浮かない顔をするレンを見て高杉は、後ろから彼女を抱き耳元に唇を寄せる。
「向こうでいいもん見せてやるよ。万斉の野郎も多分気に入るから心配すんな」
「ほんま?」
 表情を明るくしたレンを見て高杉は瞳を細め、特別だからなと笑った。その言葉に来島は首を傾げ口を開いた。
「晋助様この温泉行った事あるんっスか?」
「ああ。昔はこの時期によく行った」
「一週間後って宿取れるんっスかね?」
「心配すんな。開店休業みてぇな所だ。宿まで山道歩くから荷物軽くしとけよ」
 高杉の言葉に頷くと来島はパンフレットを持って部屋を出て行く。恐らく宿の予約に行くのであろう。レンもそれについてほてほてと部屋を出て行ったので高杉は携帯電話を卓に投げ出すと、口元を歪めて笑った。
「毎度毎度会合の度に表の仕事入れるからだ。ざまーみろ」

 

 ぴょこぴょこと石段を登るレンの後姿を眺めながら万斉は欠伸を噛み殺した。高杉の所為で結局仕事は無理矢理詰め込む羽目になり、ここ一週間は殆ど寝ていない。しかもつまらない会合にも参加させられ居眠りしなかった自分を褒めてやりたいぐらいである。
「大丈夫っスか?河上先輩」
 心配そうに来島が声をかけて来たので万斉は頷くと、持っている荷物を肩にかけなおす。一泊二日なので大した荷物ではないが、レンの分までカバンに荷物が詰められているので重量的には来島や高杉の荷物よりは重い。
「雪兎に持たせりゃいいだろーが」
「レンは傘を持ってるでござる」
 その言葉に高杉は肩を竦めると先を歩くレンに視線を送る。日よけの赤い傘を差したレンは元気よく石段を登っていき、たまに後ろを振り向いて他の面子が登ってくるのを待つ。それの繰り返し。
「結構登るっスね」
「じき宿が見える」
 高杉は長い石段を見上げて瞳を細めた。

 宿は見た目は古い建物であったが、中は改装したのか綺麗である。来島は思わず感嘆の声を上げる。すると、鬼兵隊一行に気がついた宿の主人が高杉に声をかけた。
「吉田様で御座いますね。お久しぶりです」
「よぉ。相変わらず開店休業みてぇだな」
「お恥ずかしい限りで」
 吉田と言う名前を出されレンは不思議そうな顔をしたが、高杉は咽喉で笑い、昔からこの名前で宿取ってんだよと言う。それを聞いた万斉は眉を僅かに上げた。それが高杉の恩師の名前であったからだ。
「今回は随分賑やかですね」
 主人に促され宿帳に記帳をしながら高杉は瞳を細めて苦笑した。
「私塾の連中とは切れちまったからな。今日は別の面子で来た」
「それはそれは」
「部屋。どっちだ?」
「『竜胆』にしました。吉田様はそちらの方が気に入っていらっしゃった様に記憶してますので」
 主人の言葉に満足そうに笑うと高杉は、行くぞと短くいい勝手の知った家の様のどんどん歩いて行く。来島は慌てて後を追い、万斉はレンと並んでゆっくりと宿の主人の案内に従う事にした。
「こちらが露天風呂になっております」
 直接部屋に向かったであろう高杉を無視する事にした万斉は、宿の案内を聞きながら欠伸をかみ殺した。レンはこのような作りの建物が珍しいのかキョロキョロと辺りを見回す。
「レン。迷子にならないようにちゃんと場所覚えておくでござるよ」
「了解したんよ」
 記憶力は悪くないレンが宿の中で迷子になる心配はないと思いながら万斉は一応注意をしておく事にした。素直に返事をするレンを見て万斉は満足そうに笑うと、漸く見えた『竜胆』の部屋に安堵する。そろそろ体力的に限界であり、少しでも早く休憩したかったのだ。
 部屋に入ると既に高杉は窓のそばにある板の間に陣取って窓からの景色を眺めながら煙管をふかしていた。和室が二部屋続く襖で仕切れる部屋であるが、今は開けられており、手前の部屋のテーブルで来島が高杉の為に茶を入れている所であった。
「…晴れそうか?」
「天気は上り坂ですよ」
「そりゃ良かった」
 石段を登っている時は若干曇り気味であったが、高杉は主人の返答に満足そうに笑うとそのまま食事の時間の打ち合わせをする。高杉に茶を運んだ来島は武市に渡す為の会合の書類を纏めだし、万斉とレンは部屋の隅に荷物を置くと茶を入れた。
 レンはテーブルの上に置いてあった菓子を口に放り込むと、高杉の方へほてほてと歩いて行き、彼の椅子の横にストンと座る。彼女が板の間に座った事に驚いた高杉は、僅かに眉を上げてレンを見下ろす。
「正面の椅子に座りゃぁ良いじゃねーか」
「そこは万斉がすわるんよ」
「で、テメェはその膝の上か」
 その言葉にレンは首を振ると困ったように笑う。
「今日は万斉お疲れやから、やめとくんよ」
 その言葉に高杉は瞳を細めると煙を吐き出し、彼女の腕を取った。
「こっち座れ」
「ええの?」
「かまわねぇよ」
 素直に頷いたレンは高杉の膝に納まると、窓の外に視線を移した。窓から見える景色は山ばかりであるが、うっすらと霧がかかっておりぼんやりとした輪郭しか確認できない。一部桃色に染まっている所を見るとそこは桜が咲いているのだろう。
「あの辺りに滝があってな、そのそばに桜が咲いてる筈だ」
 高杉が指差した方向に視線を向けると、僅かにピンクかかった霧が確認できる。レンが興味を持ったような反応を示したので高杉は咽喉で笑うと、行ってみるか?と彼女に聞く。
「連れてってくれるん?」
「特別に案内してやる」
 そう言うとレンを立たせ、ちらりと万斉の方へ視線を送る。案の定反応がないと思ったら壁にもたれかかったまま眠っている様であった。ここ数日寝ていないのだから仕方がない。それに気がついたレンはほてほてと万斉の傍によると、カバンから自分用の小さな昼寝用毛布を引っ張り出し万斉の膝にかけた。
「ちょっと出てくる」
「了解っス。晩御飯までには戻ってきて欲しいっス」
 来島は資料を並べながら高杉に返事をした。

 なだらかな斜面を暫く登ると、水音が聞こえてきたのでレンは隣を歩く高杉を見上げた。
「水の音がするんよ」
「ああ、もーすぐだ」
 レンは嬉しそうな顔をするとぴょこぴょこと高杉より先に走りだしたので、その背中を見ながら高杉は、元気だなオイと苦笑する。元々夜兎であるから体力は莫迦みたいにあるし、旅行でテンションが上がっているのだろう朝から元気一杯である。逆に万斉は最低限の稼動で何とかついてきているという状態であった。今頃ぐっすり夢の中であろう。
 ピタリとレンの足が止まったので高杉は僅か歩調を上げた。
「綺麗なもんだろ?」
 ぽかんと口を開けて桜を見上げるレンに並んだ高杉は同じ様に桜を見上げた。
 滝にかかる様に咲く枝垂桜。
 水しぶきを受けてその枝から花びらをはらはらと散らしていた。
「ああ、丁度良い季節だったな」
 高杉は瞳を細めると桜の根元に座り込みその幹にもたれかかると滝の方を眺める。レンもそれに倣って同じ様に横にちょこんと座る。
「お花咲いて枝が重いん?」
「そーゆー種類なんだよ」
 恐らくレンは枝垂桜を見たのは初めてなのだろう。高杉は苦笑しながら答えると、手に持っていた荷物を解いた。
「三味線?」
 万斉の持っているものとは違う三味線にレンは目を丸くする。持ち運びがしやすいように分解できるようになっているのだ。それを組み立て、調律しながら高杉は口を開いた。
「昔はアイツとよくここで三味線弾いてた」
 その言葉にレンは瞳を細めると、迦具夜ちゃん?と聞いた。すると高杉は、そーだと短く返答し三味線を奏でる。
 万斉の音色とは違うその音を聞きながらレンは桜にもたれかかり瞳を閉じた。水音と三味線の音は心地よく彼女の鼓膜を振動させる。
「シンスケの音は万斉の音とちょっと似てるんよ。私は優しい音で凄く好きなんよ」
 その言葉に高杉は瞳を細めた。昔、迦具夜が自分の三味線の音だけは好きだと言ったのを思い出したのだ。逆に高杉は彼女の音色の方が好きだった。真っ直ぐで強く、そして孤高の音色。彼女はこの桜の下でだけ一緒に三味線を弾いてくれた。それ以外ではどんなに強請っても一緒には弾かなかったし、聞かせてもくれなかった。
 あの孤高の音色が自分の音色に合わせる為に緩む瞬間が高杉には心地よかった。肌を重ねる時に似た感覚。自分が彼女の全てを手に入れられる瞬間。
──さよなら晋兄。私は檻を出る事にしたわ。
 迦具夜姫が地上と言う檻を出て月に帰った様に、彼女もまた己を閉じ込めていた檻を出て遠くへ行った。それに対して怒りを覚えた事はないし、彼女に惜しみなく全てを与えた事にも後悔はなかった。ただ、いまだに彼女が自分を忘れていない事を確認する為に何度も攫いに行くのは止める事は出来ずにいる。
 何曲もレンの強請るまま曲を奏でていると、突然レンが立ち上がったので高杉は宿へと続く小道へ視線を送った。
 そちらから聞こえる三味線の音色に気が付くと、高杉は僅かに瞳を細めて困ったように笑った。期待するだけ無駄だと解っていても待ってしまう自分自身に呆れたのだ。
「万斉」
 レンの声を聞くまでもなくその音色の持ち主が誰であるかは直ぐに気が付いた高杉はぱたりと三味線を奏でる手を止めた。
 絡み合った音が緩やかに離れ、万斉の三味線の音だけが響く。ゆっくりと三味線を弾きながら歩いてくる万斉の姿を視線に捉える頃には、高杉は持っていた三味線を解体しはじめていた。
「常磐津は専門外だったんじゃねーのかよ」
「専門外でござるが、弾けぬと言った覚えはない」
 高杉が途中で止めた曲を弾き終えると、万斉は桜を煽り瞳を細めた。
「これを見たかったのでござるか?」
「そーだ」
 万斉がレンに視線を送ると、彼女は嬉しそうに笑いほてほてと彼の側によりぎゅっと正面から抱きついた。
「元気になった?万斉」
「すまなかったでござる」
 彼女の髪に付いた花びらを払うと万斉は困ったように笑った。うっかり寝入って飛び起きた時には既に二人の姿はなく、来島に聞いてここまで来たのだ。山道を歩きながら万斉はここが高杉の思い出の場所である事は気が付いていた。迦具夜姫が好きな枝垂桜。この場所を特別だと言った高杉。
 この場所で高杉が待っていたのは自分の三味線の音色ではなく、迦具夜姫の音色だったのであろうと思いながらも、この光景に三味線を弾かずにはいられなかった。
「宿に帰るぞ」
「もうじき月が繋るのに?いい曲が浮かびそうでござる」
 瞳を細めて空を仰いだ万斉を見て高杉は不機嫌そうに舌打ちする。
「もう一曲だけだ」
「諒解したでござる」
 そう言うと万斉は桜の根元に座るとバチを握る。すると高杉はレンの体を引き寄せて膝にすわらせた。
 流れる曲は柔らかな音色を湛え、レンはその曲を聴きながら瞳を細め高杉の体にもたれかかる。題名は知らないが万斉がいつも弾いてくれる曲であった。
「テメェの為の曲だ。雪兎」
「?」
 高杉の言葉にレンは不思議そうな顔をする。すると高杉はレンの肩に顎を乗せて笑った。
「…雪兎が来た時に作った曲だ。そんで、テメェにしか聞かせてない。俺もまともに聞いたのは今日が初めてだよ」
 時折部屋の側を通りかかった時に聞くことはあるが、万斉は基本的に彼女にしかこの曲を聞かせてない。恐らく自分が特別に彼等をここへ連れてきたように、万斉も特別にこの曲を聞かせてくれたのであろう。
「ちょっと嬉しいんよ」
 膝を抱えてレンが笑ったので高杉は瞳を細めた。

 

 夜中に目を覚ました来島は、自分の布団の中に何か温かいものが潜りこんで来たのに驚いて思わず飛び起きる。
 暗闇でじっと目を凝らすと、それがレンである事に直ぐに気が付き呆れた様に溜息を吐いた。起こそうかとも思ったが、余りにもよく寝ているので諦めた様な顔をするとまた布団を被り、彼女がはみ出さないように抱え込む。
 柔らかい身体と心地よい体温。
 万斉や高杉が彼女にべったりなのも今なら納得できた。抱き心地がとてもいいのだ。
 彼女の柔らかい髪を撫でながら、来島はまたうとうととしだした。

 

 翌朝。目を覚ました来島は自分の布団にレンの姿がなかったので起き上がり隣の布団に視線を送った。
「…レン?」
 並んで敷かれた隣の布団にはレンの姿はなく、無論自分の布団にも彼女はいない。
「ええ!?」
 驚いた来島は思わず声を上げると立ち上がり洗面所等も覗くがそこにも彼女の姿は見えなかった。窓の外は明るく、もしかしたら散歩にでも行ったのかとも思ったが、レンが着替えた形跡もなければ、彼女の布団はすっかり冷たくなっている。
 散々悩んだ来島は高杉に相談すべく、部屋を仕切っている襖をそっとあけて顔を覗かす。
「何やってんだオメェ」
「晋助様!」
 窓際の板の間で煙管を吸っていた高杉に声をかけられ来島は思わず声を上げた。ちらりと室内を見ると、奥の布団に入っている万斉はまだ寝ているらしく、こちらに背を向けていた。
「レンがいないっス」
 寝ている万斉に気を使って来島が小声で言うと、高杉は瞳を細めて笑った。
「心配すんな。グーグー寝てる」
「え?」
 ポカンとする来島に高杉は笑いかけると万斉の布団を指差す。
「…マジっスか?」
「ありえねーよなぁ」
 来島がそっと彼の布団の枕元に行くと、そこにはレンを抱きかかえて寝ている万斉の姿があった。レンの髪に顔を埋めているので万斉は表情は解らないが、反応がないところを見るとぐっすり眠っているのであろう。
「…これは…」
 呆れて声も出ない来島は、がっくりと肩を落とし高杉の正面の椅子に座る。
「…いっつも一緒に寝てるんっスかね…」
「どーだろーな」
 煙を吐き出す高杉はちらりと万斉の方へ視線を送ったが直ぐに窓の外に視線を移した。来島も呆れているが、高杉もまた気がついた時は同じ反応をしたのであろう。
「同じ布団に入って何もしねぇとか、万斉の野郎不能なんじゃねーか?」
「…いや、それは…河上先輩が紳士なんじゃないっスか?」
 恐らく万斉が聞いていたら怒るであろう高杉の発言にやんわりと来島はフォローを入れようとしたが余り巧く行かず途方に暮れたような顔をする。確かに年頃の男女の関係としては健全すぎて逆に不健全なような気もしてきたのだ。
「まぁ、俺の寝てる横で手ぇ出されても困るんだがな」
「…どっちなんっスか。起こします?」
「朝飯まで寝かせとけ」
 そう言うと高杉は立ち上がり、散歩に行くと言う。
「お供するっス!」
「好きにしろ」

 枕元で高杉が失礼極まりない発言をしているのをぼんやりと聞きながら万斉はレンを抱く手に力を込める。文句の一つでも言ってやろうかとも思ったが、今は心地よい彼女と体温を満喫する事にした。
 柔らかい身体も体温も心地よくて、またゆるゆると睡魔の糸に絡み取られる。久々にまともに寝る事が出来た所為もあるだろう。
 起きたら高杉に迦具夜姫の話でも振って嫌がらせをしようと考えながら、万斉は至福の一時に身を委ねた。


不能なんじゃありません。鉄壁の理性です。
20090418 ハスマキ

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