*遠きを知りて近きを知らず*

 屯所を歩く土方の耳に届いたのは三味線の音であった。聞き覚えのある旋律に僅かに瞳を細めた土方は、音のする方へ歩いてゆく。
「あ、すみません。煩かったですか?」
 監察室の戸を開けた土方に気が付いた山崎は顔を上げると、手を止めて謝罪する。一応の勤務時間は終わっているので何をしていても自由なのだが、他の人間の迷惑になったなら申し訳ないと三味線の練習を止めた。
「……大分上達したみてぇ」
「先生が良いですから」
 苦笑すると、山崎は三味線を撫でる。諜報活動に必要な為に最近習いだしたのだ。他の芸妓の様に何でも弾ける訳ではないが、座敷遊び用の曲程度は弾けるようになった山崎は、満足そうに笑うと、土方に視線を送った。
「何か用でした?」
「いや。聞き覚えのある曲だったからちょっと覗いただけだ」
 煙草に火を付けた土方は煙を吐き出すと苦笑する。座敷に上がって情報を集めるのが良いと気が付いた山崎が、三味線を習いだした時は驚いたが、割と熱心に続けているらしい。意外だが、山崎は監察の仕事に関しては驚くほど熱心で、その為の手間は惜しまない。表向きは土方や沖田の様な隊長達が大々的に活躍するが、その活躍も山崎達監察の地味な努力の元で成立するのだ。女装をし、座敷に上がり、酔っぱらいの相手をしながら情報収集をする。それが大変な事は土方も理解しているので、三味線の練習云々に口出しをする気はない。ミントン程のめり込んでしまったら、それは又別であるが。
「先生がよく弾く曲の耳コピなんですけどね。タイトルは知らないんです」
「続けろ」
 土方の言葉に山崎は頷くと曲を続ける。たどたどしくなぞられる旋律に耳を傾けながら、土方は煙草の煙を吸い込んだ。
「誕生日会どうでした?」
「散々だ。総悟の好き放題で一日中犬扱いだよ」
 手を止める事無く山崎が聞くので、土方は窓の外を眺めながら投げやりに返答をした。山崎は仕事の為に不在であったが、沖田の誕生日に、彼が望む通りにリンドウは母親役を、近藤は父親役を演じて過ごした。そして土方は、嫌がらせの延長で犬の役を仰せつかったのだ。無論ふざけるなと怒ったが、結局なんだかんだで付き合う羽目になり一日仕事にはならなかった。
「アイツも楽しそうだった」
 それが誰を指すのか察した山崎は、少しだけ瞳を伏せる。誕生日祝いの後にリンドウに会った時、彼女は随分と楽しそうに話をしていた。一日沖田の我儘を叶え続けて、かーちゃんと呼ばれて、近藤や土方と、困ったり、笑ったりして楽しかったと。
「……今だから言いますけどね。俺はリンドウさんの事、初めて会った頃は苦手だったんですよ」
 土方は驚いた様に山崎の顔を見るが、彼は土方の方をちらりとも見ようとせずに三味線を奏で続ける。
「そうは見えなかった」
 女性監察の研修が終わった後に、山崎は彼女を仕事の相棒にしたいと土方に申請してきたのだ。殆どの監察が二人一組以上のグループで仕事をしている中で、山崎だけは特殊な立場にいて、ずっと一人で仕事を回していた。それで不便もなかったし、彼が十分に働いていたのもあり、その申請には土方も近藤も驚いた。
「いつも笑顔で、誰に対してもそう悪い印象を与えないのは監察向きでしたし、仕事も熱心で努力家ですからね。仕事の相棒には最高だと思いました。けれど、俺はずっと彼女が、本当は何を考えてるのか解らなかったんです」
 あの笑顔はある意味ポーカーフェイスだと山崎は笑った。何に対しても動じる事無く笑顔を絶やさないし、感情が大きく動く事も稀で、つかみどころがない印象だった。けれど、仕事をする上では優秀なので、彼女を選んだのだと。
 その言葉を聞きながら、土方は意外な事実に発する言葉を失った。ずっと、山崎とリンドウは仲が良いのだと思っていたのだ。仕事上もそうであるし、仕事外でも仲が良さそうにしているのを見かけている。相方にして正解だったと近藤と話した事もあった。
「彼女が子供の頃から苦労して、仕事も転々としてて、その過程で多分相手が自分に望む事を割と簡単に察する事が出来るようになったんじゃないかとは思うんですけどね。だけど、俺にとってはそれが、自分の全てを見透かされてる様で厭だったんです」
 それは監察としては優秀な能力であるし、コミュニケーション能力としても申し分ない。ただ、監察として相手から情報を引き出したり、考えを探ったりする立場である山崎は、いつも自分が別の誰かにしている事をされている様で落ち着かなかった。監察として優秀であればあるほどどうしても警戒してしまう所なのだろう。
「仲間だって頭では理解してるんです。けど、どうしても彼女の本心がどこにあるのか解らなくて……苦手でしたよ」
 黙って話を聞いていた土方は、山崎が過去形で話しているのに気が付き漸く口を開いた。
「今は……苦手じゃねぇんだな」
「はい」
 そこ言葉に土方は思わずホッとする。その表情を見て山崎は笑うと、三味線を奏でる手を止めた。
「……色んな事をハルちゃんは諦めなきゃならなかったんだ。だから、ハルちゃんは自分の事は後回しなんだと思うって近藤さんに言われました」
「近藤さんが?」
「ええ。相談って程でもなかったんですけど、ずっと前にリンドウさんの事話す機会があって、そこで言われたんですけどね」
 彼女が考えてる事が解らなくてつかみどころがないと零した時に近藤は山崎にそう言った。沖田の望む様に母親の様に接して、山崎の望む様に優秀な相棒として接していたリンドウは、他の誰かに対して上手に返すが、彼女自身の事は外からはよく見えない。彼女の考えや望みが解らなかったのは、彼女自身が諦めていたからで、自分に解らなくて当然だと山崎はそこで漸く理解した。
「安心しましたよ。ああ、リンドウさんも人間なんだって。自己主張が少ないのも、我儘を言わないのも、そう言われれば納得できましたし、逆にね、人に対しては何でも望みを叶えようとするのに、自分の望みを諦めてるのが気の毒にもなりましたけどね」
 独り言のように淡々と話す山崎の意図が汲めない土方は、随分短くなった煙草を揉み消すと、また新しい煙草に火をつける。
「きっと人に甘える方法知らないんじゃないかなぁって思うんですよ。甘やかす事ばっかり巧くなって、甘えるにはどうしたらいいか分からなくて、やっぱり諦めちゃって。だから近藤さんはリンドウさんをつい子供扱いして、目一杯甘やかしたがるんじゃないかって思うんです」
 いつまで経っても抜けない近藤の悪い癖。彼女を喜ばそうと色々するが、それはどれも子供への扱いに似ていて、沖田辺りはイライラしてしまうのだろう。そんな事を考えて、土方は僅かに瞳を細めた。
「山崎」
「なんですか?」
「遠まわしなのは好きじゃねぇ」
 呟いた土方を見て、山崎は、知ってますよと笑うと、また三味線を奏でだす。先程とは違う曲であるが、これも土方には聞き覚えのあるものであった。
「俺の独り言なんで聞き流して下さいね。俺は、近藤さんの事を好きなリンドウさんが好きなんですよ。近藤さんに対してだけ、彼女は控え目ですけど自分の考えや思いを出せるし、微笑ましい程度ですけど甘えてると思うんです。まぁ、本人は近藤さんの負担になるのが厭みたいだから、本当に控え目なんですけどね」
 土方の表情が動かないのを確認して、山崎は更に言葉を続けた。
「それに気が付いた時、俺は、リンドウさんと友達になれそうな気がしました」
「そんで、今に至るって話か」
「不思議なもんですよね。何かの拍子に人の見方が変わる瞬間って。それに戸惑う事もあるでしょうけど」
 本当に独り言のように山崎は呟くと、口を閉じて三味線を奏でる。細く上がる紫煙を眺めながら、土方はゆっくりと窓の外に視線を送った。夏になり、日が長くなったのでまだ空は若干薄暗くなった程度である。けれど月はすでに昇りはじめ、雲一つない空に白い姿をさらしていた。
 煙草を揉み消すと、土方は立ち上がり山崎を見下ろす。言いたい事だけ言って沈黙を守る姿に腹が立ったが、山崎が、自分と、近藤の話をしている事に気がついて文句を言う気にはなれなかった。
 いい加減選べと言っているのだ。戸惑っている近藤の背中を押すか、己の為に特攻するか。
 自分自身が……山崎は友人としてだろうが、彼同様、近藤の事が好きなリンドウが好きなのには気が付いていた。不思議な事に、自分の方を向くリンドウはどうしても想像できなくて、それが切欠だった。初めから駄目な事は知っていて、だからこそ、彼女には幸せになって欲しいと言う矛盾した感情を抱いてぐずぐずとここまで来たのは自業自得以外の何物でもない。己が先延ばしにしたツケを払う時が来たのだ。
「お前の先生ならもっと単刀直入に言っただろうよ」
「あの人みたいには行きませんよ。三味線も含めてですけど」
 止まった三味線の音に土方は僅かに瞳を細めると、そうかと短く呟いた。
「副長。ここにいらしたんですね」
 ひょっこり顔を出したリンドウの姿に、土方は思わずぎょっとしたような顔をすると小さく頷く。
「近藤局長が探してましたよ」
「近藤さんが?」
 怪訝そうな顔をする土方に、リンドウは淡く微笑むと、はいと返事をする。すると、土方は煙草を揉み消して立ち上がる。
「邪魔したな、山崎」
「いえ」

 

 近藤の執務室に顔を出すが、探していたという当の本人はおらずに肩すかしを食らった土方は、小さく舌打ちをすると煙草に火をつけて座布団に座る。ちらりと視界に入った机の書類は、もうすぐ行われる花火大会の警護関係の書類であったので、この件で呼ばれたのだと納得しそれを手に取る。
 何枚かぺらぺらと確認していると、近藤が部屋に帰って来たので煙草の煙を吐き出しながら土方は、勝手に確認してるとだけ短く言う。
「ああ、すまなんだ。厠行ってた」
「花火大会の件か?」
「そうそう。一応とっつあんに言われたとおりに書類作ったんだが、トシに確認しておいてもらおうと思ってな」
 よっこらしょと声を上げて座る姿に土方は僅かに苦笑すると、再度視線を書類に戻した。夏はこの手のイベントが多く、真選組も警護に借り出される事が多い。人が集まる所でテロ活動を働く攘夷志士が多いのだ。
「人数はまぁ、こんなもんだろうな。予告でも舞い込んできたら修正すりゃいいんじゃねーの?後は、鬼兵隊辺りが江戸に来てたら対策は別枠で考えた方がいいだろーが」
「え?鬼兵隊が江戸に入ってるって情報入ってる?」
 近藤が驚いたような顔をしたので、土方は首を小さく振る。
「今の所監察からの情報はねぇ。けど、梅雨時に活動してなかったから、動くならまぁ、いい時期だろうよ」
 前に将軍の襲撃を鬼兵隊が行ったのも夏祭りの日だった。あの時は表立って鬼兵隊が動いてはいなかったが、裏で高杉が動いていたらしい情報は入っていた事もあり、今回も警戒するに越した事はないだろう。梅雨の間、雨が嫌でグズグズ活動停止をしているのなら、いっそ暑いのが厭だからと言って、夏休みでもとってくれれば真選組としても楽なのだがそうもいかない。
「攘夷志士も夏休みとってくれりゃあいいのになぁ」
 ぼそりと呟いた近藤を見て、土方は思わず吹き出す。同じ事を考えていたのが可笑しかったのだろう。
「もう少し落ち着いたらまとまった休みとれよ」
「俺の前にトシだろ。有給も貯めっぱなしだし。のんびり羽伸ばすのもいいぞ」
 その言葉に土方は瞳を細めると、考えとくと困ったように笑った。そもそも無趣味な土方は休みの日に時間を潰すのが意外と難しい。映画を見たりする事もあるが、外に出て万事屋とバッティングをして余計に疲れたり、屯所で寝ていても沖田が邪魔しに来たりとのんびりと言うのには無縁であった。
「旅行とか、遊びに行くとか……そう言えば明日トシ休みだったな。今日も飲みに行く?」
「気分次第だな。つーか、別に休みの前日毎回飲みに行ってる訳じゃねーし」
 怪訝そうな顔をして土方が言うので、近藤は少し笑って、そっかと呟くと、視線を彷徨わせる。その様子に土方は小さくため息をつくと、書類を近藤にまとめて渡し口を開いた。
「一緒に飲みにいきてーのか?」
「えっとだな、飲みに行きたいというか、何というか……」
 もじもじと言葉を濁す近藤に、呆れた様な顔をすると土方は頭をかく。腹を括るしかないのだろうし、今更逃げる気もない。山崎の事もあって、そんな話になるのは察していた。
「キャバクラ以外なら付き合うけど」
 その言葉にぱぁっと表情を明るくした近藤を見て、土方は情けない様な困ったような顔を思わずする。こんなに嬉しそうな顔をする所を見ると、近藤も本気で困っていたのだろう。困っているのは自分も同じなのだがと思いながら、土方は、着替えてくるから準備しといてくれよとだけ言い執務室を後にした。

 

 キャバクラは落ち着かないので土方は好きではないし、近藤も元々そのつもりはなかったのだろう。土方が迎えに来るなり、彼の贔屓にしている店に行ってみたいと近藤が言い出す。それに対して土方は、僅かに眉を寄せると、少し待っててくれと言い携帯を鳴らした。
「山崎か?俺だ」
 ぼそぼそと喋る土方を眺めながら、近藤は不思議そうな顔をした。店の定休日でも確認しているのだろうかと思った近藤は、する事がないのでぼんやりと廊下を眺めていたが、そこを通りかかったリンドウの姿を見つけて声をかける。
「ハルちゃん。今帰り?」
「はい」
 制服から着替えて、着物を着ているリンドウにそう言うと、彼女は淡く微笑んで返答する。土方は、電話をしながらちらりと視線を送っただけであったので、彼女は小さく彼にお辞儀をする。
「えっと……気をつけて帰ってね」
 その言葉にリンドウは目を丸くするが、直ぐに笑顔を近藤に向けた。
「まだ明るいですから大丈夫ですよ。ありがとうございます」
 再度頭を下げて歩いてゆくリンドウの背中を見送りながら、近藤は小さくため息を吐く。心なしかしょんぼりした近藤の姿を視界の端に捕えていた土方は、電話を切ると、彼に声をかけた。
「なに小さくなってんだよ」
「いや……なんだ。こう、どうしたらいいのかなぁって」
「どうしたらいいのかじゃなくて、どうしたいのか考えろよ。つーか、店、いかねーの?」
「あ、行く」
 弾かれるように顔を上げた近藤を見て、土方は肩を竦めると、行きつけの店に向かう事にした。

 

「いらっしゃい、副長さん」
 店主が店に入るなり声をかけてきたので、土方は片手を上げるといつも座っているカウンター席に向かう。近藤もその後にくっついて歩くが、初めて来た店だという事もあってきょろきょろと辺りを見回す。徒歩圏内とはいえ、屯所からは離れている為に知った隊士の顔はいない。隊士が出入りしていない事もあって土方が贔屓にしているのだが、近藤は恐らくそんな事までは知らないであろう。
「今日はお友達と一緒ですか?」
「俺の上司」
 席に座ると店主が声をかけてきたので、土方は苦笑しながら返答し煙草に火をつける。
「上司って言ったら局長さん?」
「どーも」
 驚いたような顔をした店主に近藤は頭を下げると困ったように笑う。制服を着ていないと一般の人間は意外と真選組だと気が付かない事もある。新聞などに露出の多い隊長クラスや近藤・土方は割と有名であるが、店主は気が付かなかったのだろう。
「今後とも御贔屓に」
 笑いながら店主はおしぼりを渡すと、いつものでいいですか?と土方に確認をする。それに頷くと、土方はメニューを近藤に渡し、好きなの選んでくれと言い煙を吐き出した。
「何がお勧め?」
「出し巻き卵と、里芋の煮付け。京風だからアンタには物足りねぇかもしれねぇけど」
 その言葉に近藤は、そうか、と頷くとその二品を注文し、他にも数品気になったものを選ぶ。メニュー自体は他に店に比べてそう珍しいものがある訳ではないが、ふとカウンターの奥に視線を送ると、扱ってる酒の種類が豊富な事に気が付く。
「お酒はそこの棚の選んでかまわんのか?」
「客の注文で取り寄せしてんのが多いみてぇだけど。一応聞いてみたらいいんじゃね?どれが常備してる酒なのか俺、知らねぇんだよ」
 困ったように土方が言うので、近藤は店主に声をかける事にする。以前屯所で話題になった酒が置いてあるのを見つけたのだ。一度飲んでみたいと思ったものである。すると、店主は指定された酒のラベルを確認し、徳利に移し替える。
「今日は相手しなくてかまわねぇから」
「はい」
 一人で飲む時は店主がちょこちょこと話し相手をしてくれる事があったのだが、今日は近藤もいる事なので会話に入らない様に念のため言っておく。そもそも、ここ最近はいつも三味線屋と飲んでいるので店主が態々相手をしてくれる事も少ないのだが。
 酒と、つきだしを出すと、料理を作る為に傍を店主が離れたのを確認して、土方は近藤の盃に酒を満たす。
「すまなんだ」
「……心配しなくてもこの店にうちの隊士は来ねぇよ。知ってるのも山崎ぐれぇだし」
 きょろきょろと落ち着かない近藤に、土方は苦笑した様に言う。すると近藤は驚いたような顔をした。
「山崎と飲みに?」
「いや。一緒ってのはねぇよ。店の場所知ってるだけで、飲みに来た事があるかどうかも知らねぇ」
 電話を山崎にしていたのは、もしかしたら山崎が来ない事を確認する為なのかもしれないと思った近藤は納得した様に頷くと、土方と盃を合わせる。
「そんじゃ。お疲れさん」
 近藤の声に、土方は困ったように笑うと無言で同じように盃を合わせる。一気に飲み干す近藤を眺めながら、土方は酒を嘗めると、ぼそっと言葉を零した。
「で。何か話あったんじゃねぇか?」
 回りくどいのは好きではない。そもそも、近藤自体、回りくどいのが得意ではないし、こちらから切り出さないと話は進まないだろうと、土方は単刀直入に話を切り出す事にした。すると、近藤は、もごもごと言い難そうにしながら、視線を彷徨わせる。
「大した話じゃないんだが……いや、結構重要?」
「どっちなんだよ」
 呆れたように言う土方に、近藤はますます困ったような顔をしながら言葉を選ぶ。
「今度な。ハルちゃんと遊びに行く事になったんだが。どこに行ったらいいかなぁって」
「はぁ?」
 思わず間抜けな声を上げた土方は、ぽかんと近藤の顔を眺める。すると、近藤は慌てて言葉を続ける。
「よく考えたらさ。ハルちゃんと二人で出掛ける事無かったし、女の子がどんなの喜ぶかわからないし、どーしたらいいと思う?」
「知らねぇよ。つーか、総悟とか山崎に聞けよ。アイツ等時々遊びに行ってんだろ?」
 すると、近藤はしょんぼりとしたような顔をして項垂れる。
「山崎は、公園でずっと耐久ミントンしてたって言うし、総悟はハルちゃんの家に遊びに行ってご飯食べてきたって言うし……こう、もっとハルちゃんが喜びそうな事ないかなぁって」
 そんな事してたのかよ、と突っ込みたいのを堪えて土方は煙草の煙を吐き出す。耐久ミントンとか、何をやってるんだとしか言いようがないし、沖田に至ってはたかりに行ってるだけであろう。確かにすべて野郎の喜ぶ事で、リンドウが喜んだかどうかは謎である。寧ろ、この中では実はトッシーが映画に行ったり買い物に行ったりと一番まともなんじゃないかと言う錯覚さえ覚える。
「……俺はアイツと出かけた事ねぇよ。トッシーは知らねぇけど。あんま覚えてねぇし。つーか、いつも通りにしてりゃ喜ぶんじゃねぇの?」
 その言葉に近藤はますます困ったような顔をした。
「いつも通りか……それが出来たら苦労ないんだけど!無理!絶対無理!どーしよう、トシ!」
「何で無理なんだよ!?知るかそんな事!」
 泣きつかんばかりの近藤に、土方は心底厭そうな顔をする。すると近藤は涙目になりながら言葉を続けた。
「一緒に遊びに行こうかって言ったらさ、すっごく嬉しそうな顔ハルちゃんしててな。期待に添えなかったらとか、俺だけ楽しかったらどうしようとか色々考えちゃって」
 テーブルに突っ伏する近藤は真剣そのものなのだが、土方にしてみればどう言葉を発していいのか解らない。難しく考える必要などどこにもないと土方には思えるのだが、近藤にしてみれば難易度が高い問題なのだろう。
「折角だし喜んで貰いたいんだけど、よく考えたら俺女の子と二人で遊びに行くの初めてだしさ」
「ヘタレオタクのトッシーに出来てアンタにできねぇって事ねぇだろうに」
 呆れたように土方は言う。トッシーなど最近はリンドウが一緒に遊んでくれるという事を覚えて、腹立たしい事だがちょろちょろ出てきている。あのトッシー相手でも厭な顔一つしないと思われる彼女が、近藤相手に喜ばないと言う事などあり得ないと土方は思う。しかし、近藤は情けない顔をして笑うと口を開いた。
「トッシーはハルちゃんの友達だから。でも俺は……ハルちゃんの上司だし」
 その言葉に土方は僅かに驚いたような顔をする。上司と言う枠に何故拘るのか理解できなかったのだ。それを言えば自分もそうであるし、山崎も彼女の相棒であるが、先輩だ。沖田とて組織図上は彼女より肩書は偉い。けれど彼等はリンドウと遊びに行ったりと、巧くやっているではないか。
「……上様の時にもちょっと話したけどさ。ハルちゃん上の人には厭な顔しないんだと思う。色々諦めて、我慢して、笑ってるんじゃないかって。いっつも俺を立てて、優しくしてくれるのは俺が局長だからなんだって思ってる。そりゃ、今まで女の子に好かれた事なんてないからさ、仕事上とはいえ好いてくれるのは凄く嬉しいんだが……そのだな……」
 唖然とする土方に気が付かないのか、近藤は盃をいじりながらぼそぼそと喋りだした。決して纏まりがある訳でもない、思いついた事や、いつも考えてるであろう事を並べているだけであろうが、土方が衝撃を受けるのには十分で、口を挟む事も出来ずに、彼は近藤の言葉を待つしか出来なかった。
「何ていうか。欲が出てきてさ。ほら、俺って感情のブレーキ巧くかけれないだろ?ストーカー体質だし、迷惑掛かるんじゃないかって思うんだけど、もっと喜んでほしいとか、上司としてだけじゃなくて、もっと仲良くなれたら嬉しいとか考えだしたら、逆に動けなくなった」
 近藤は寂しそうに笑うと、盃を空にする。
「動けなくなるから、欲が出てもその気持にずっと目を瞑ってた事に気が付いた」
 そこで漸く土方は近藤があの異常なスルー技能を発揮していた理由を理解した。上司としてしか好かれていないと信じている近藤は、その枠を外してしまう事で、彼女の迷惑になるとか、今まで通り彼女が一緒にいてくれないのではないかと感じ、無意識に一種の禁忌の様に奥底に沈め、現状に満足しようとしていたのだろう。
 傍から見ていれば見当はずれで滑稽であるが、近藤が事実己で言っている様に、女に好かれた事がないのを考えれば、その思考に到達するのも仕方ない様な気がして、土方は瞳を細めた。
「でもさ、最近、もしかしたらハルちゃんが俺の事本当に好いてくれてるんじゃないかなって……自惚れる事がこう、時々あってだな」
 顔を真っ赤にして言う近藤に、思わず土方が吹き出すと、彼は慌てて言い訳をするように言葉を添える。
「いや、解ってるよ!?自惚れだって。寧ろ、総悟の仕掛けたドッキリ!?って考えたりもしてるし。ハルちゃんの周りに、トシとか、総悟とか男前揃ってるのに、俺みたいなケツ毛ボーボーで、むっさいおっさん好みとかありえないし!」
 自惚れ云々で笑った訳ではなかった土方は、怒涛の言い訳に驚いた様な顔をすると、笑って悪ィと謝罪する。土方にしてみれば、今更リンドウの好意に気が付いたのかと言う事が可笑しかったのだ。自分も、沖田も、山崎も気が付いているのに。だからこそ、自分はどうしようもなくて、ずっと前から動けないのにと。
 土方は新しい煙草に火を付けると、その煙を深く吸い込み細く吐き出した。
「諦めて、我慢して、仕方ないっていってるのは、アイツじゃなくて、アンタだ」
「え?」
「ストーカー体質とか、ブレーキきかねぇとか、今更じゃねぇか。仕事に障りがあるとか、迷惑がるとかあったら、心配しなくてもキャバ嬢の時みてぇに俺と総悟で今まで通り止めてやらぁ。アイツに関してだったら、山崎だっている」
 驚いたような顔をして土方の方を見た近藤に、彼は柔らかく笑いかけると、空になった近藤の盃に酒を継ぎ足した。
「らしくねぇ事ぐだぐだ考えて前に進めねぇんだったら、難しい事考えるのは止めて、走って、倒れる時も前のめりに倒れろ」
 自分がそれをできないのは知っているが、近藤は多分出来る。そう考えて土方は己の気持ちに静かにとどめを刺した。全てが手遅れになる事を望んでいたのは自分自身だと。そして、惚れた女が幸せになるには、近藤が絶対に必要だと。
「でも……」
「やる事やって、駄目だったら諦めりゃいいだろーが。今までもそうだったんだし。アンタがそんでも上司って枠に縋って、今まで通りが良いってんだったら……俺がアイツ口説いても良いか?」
 土方の言葉に近藤は、口をつけかけた酒を吹き出すと、ええ!?っと悲鳴を上げる。その様子を可笑しそうに眺めた土方は、口元を歪めると、冗談だと言葉を零し喉で笑った。
「そんな反応すんだったら、さっさと走る事考えろよ」
 とん、と土方は自分の盃をテーブルに置くと、新たに酒を注いだ。
「えっと……トシ?」
 窺うように声を発した近藤に、土方は不機嫌そうに返事をする。
「なんだよ」
「本当に冗談……だよね。っていうか、冗談じゃなかったら、俺、走る前に敗北決定なんだけど。勝てる気しないんだけど!初っ端から難易度高すぎて、心折れそうなんだけど!」
 不安そうな顔をして言葉を放つ近藤に呆れながら、土方は瞳を細めて笑った。
「今も、昔も、これからも。アイツはアンタを選ぶよ、近藤さん」
「え?アレ?トシ、ハルちゃんから出張の時の話聞いたの?」
 聞き覚えのある言い回しに、近藤が驚いたような顔をする。それに土方は怪訝そうな顔をし、やっぱりなんかあったのかよと心の中で溜息をついて首を振ると、盃の酒を嘗めた。
「『ご報告する事は何も』で終わりだよ。何あったのか話して良いと思うんだったら話してくれ」
 すると、近藤は少し迷ったが正直に話をする事にした。ここまで色々と吐き出しておいて、肝心な所を話さないのも何だとおもったのだろう。
「こうだな。酒の席だったし、ハルちゃんも大分飲んでたしだな……」
 そう前置きして、できるだけ正確にその時の事を話す。
 その話を聞いた土方は、呆れると同時に、リンドウの思い切りの良さに驚いた。そして、とっくの昔に手遅れになっていた事に今更ながら気が付く。
「思いっきり告られてるじゃねぇかよ。何でそこまでされて悩むのか俺は理解できねぇよ」
「だって、お酒入ってたしだな。こう、ドッキリ!?総悟辺りと後で笑わない!?とか、考えない普通!自惚れて笑われるとか格好悪いすぎるし、ハルちゃんその後何にも言わないし、今まで通りだし!」
「アイツ酒は強ぇだろーが。なんつーか、まぁ、アイツはいつだって近藤さん贔屓だし、アンタが気が付かなかっただけで、いっつもアンタが一番好きだって言ってたけどな」
「そうなんだけど。上司として好いてくれてるんだと思ってたし、ほっぺちゅーとか、自惚れるよね。仕方ないよね!?っていうか、実際の所どうなんだろう。やっぱりドッキリ?」
 言い訳をするように近藤が言うので、土方は、はいはいと投げやりに返事をすると、追加の料理を注文する事にした。つい話しながら酒を重ねてしまい、酒がまわって来たのだ。一旦休止して、料理を腹に入れておいた方がいいと思い、メニューから適当に選ぶと新しい煙草に火を付ける。
「ドッキリとかそんな悪質な事しねぇだろうよ。それが切欠でぐだぐだ悩んでたのかアンタ」
 頷いた近藤に、土方は仕方ないとは思いながらも、どうしてさっさとケリが付かないのかと悲しくなる。正に、山崎が言うとおり、人に対する見方が変わる瞬間が近藤に訪れ、それに戸惑っているのだろう。山崎はもしかしたらリンドウから出張の話を何か聞いていたのかもしれないと今更思いながら、土方は小さく肩を落とした。
「アイツに惚れてるんだったら、今まで惚れた女にやって来たように特攻しろよ。玉砕したら骨位は拾ってやる」
「玉砕前提!?」
 ぎょっとしたような顔をする近藤に、土方は意地悪く笑うと、どーだろうなと言う。少しぐらい意地悪をしても罰は当たらないだろうと、心の中で呟くと、土方は煙草を揉み消し、運ばれてきた料理に手を付ける。そもそも、リンドウが絶対に近藤を選ぶと言っているのに玉砕前提に捉える意味が解らないが。
「玉砕したらヘコむなぁ。布団から出られないよ俺」
「そんなにあっさり心が折れるなら止めとけ」
 さらりと言う土方に、近藤は力なく笑うと瞳を細める。
「でも、諦めるのは……ちょと厭かな」
 ほんの短い間に随分前向きになった近藤に、土方は驚くしか出来なかった。無論近藤なら最終的に前向きな結論を出すのではないかと予測は出来ていたが、戸惑いながらも、すでに歩こうとしている。自分は動けない、無理だと諦めていただけにそれは純粋に羨ましいと思った。真っ向勝負を挑んだとしても勝てる筈がないと、今更ながら思った土方は淡く笑うと近藤の頭をわしゃわしゃと乱暴に掻きまわす。
「まぁ、頑張れよ」
 突然の事に驚いた近藤は、ぽかんと暫く土方の顔を眺めていたが、直ぐに嬉しそうに笑った。
「で、遊びに行くのはどこがいいと思う?」
 一番最初の話題に戻った近藤に、土方は顔を顰めると、手前ェで考えろとバッサリ斬り捨てる。その返答に近藤が露骨にうろたえたので、土方は小さくため息をつくと料理にマヨネーズをかけながらぼそぼそと呟く。
「何度も言ってるけど。アイツはアンタが選んだ事なら大概喜ぶよ」
「本当に?」
「俺がアンタに嘘のアドバイスした事あるかよ。総悟じゃあるめぇし」
 不安そうな顔をしながら近藤が聞くので、呆れた様な顔をして土方は返答する。何度もそう言っていた筈だし、事実それは恐らく山崎でも沖田でも解る事である。いまだにドッキリではないかとビクついて、自分に自信がない近藤が受け入れられないのも仕方がないとは思うが、リンドウからのアプローチがあったのなら、素直に受け入れれば良いのにと心底土方は思う。
「そんじゃさ、自分で考えるから、後で相談とかしても良い?」
「……言っとくけど俺は女とまともに遊びに行った事ねぇからな。総悟よりはましなアドバイスはできるだろーけど」
 それでも良いと近藤は言うと、頼むよトシ!と拝むように頭を下げる。
「そんじゃ、今日はさっさと帰って計画でも立てとけよ」
 その言葉に近藤は素直に頷くと立ち上がる。随分近藤の表情が明るくなった事もあって、土方は安心したような顔をすると淡く笑った。なんだかんだで近藤の事はずっと心配だったのだ。恋敵になるのは解っていたし、自分が負けるのも知っていた。けれど、相手が近藤だからこそ諦める事もきっとできる。
「俺はもう少し飲んで帰る」
「え?そうなの?」
「ツレが多分もう少ししたら来るからな。今日は俺のおごりでかまわねぇ」
「俺が払うよ。相談に乗ってもらったし、迷惑かけた」
 その言葉に土方は瞳を伏せると、少し思案して、笑った。
「今日はいいや。次、アンタが泣きついてきた時にたんまり奢ってもらうわ」
「えぇ!?酷いよそれ!?泣きつくの前提?」
 不服そうに近藤が言うと、土方は悪ぃと短く謝罪して、言葉を続けた。
「アンタが諦めなきゃ泣く事なんてねぇよ、きっと」
 リンドウも、近藤も、多分。そう思って土方は渋る近藤から伝票を取り上げて店から追い出すと、煙草に火を付け窓の外に視線を送った。来た頃はまだ外も明るかったが、すっかり日も暮れて、月が淡く輝いている。店も客がちらほら増えだし、土方は盃に残った酒を飲み干すと、追加を注文をした。
 今日は山崎と座敷に上がっている三味線屋は多分来ない。ここに来る前に山崎に電話をしたのは、三味線屋がここに来ないのを確認する為であったのだ。元々は近藤とバッティングするを避けたかったからだが、いざ近藤が帰ってしまうと、今度は彼女に急に会いたくなった。愚痴って、莫迦だ、ヒロイックだと笑い飛ばされれば気分も楽になったかもしれない。
「……やっぱ、解ってたのに堪えるな」
 己がそう選んだのだから後悔はないし、実際近藤の背中を押すのはずっと決めていた事であった。駄目だと解っていても、不思議と彼女に惚れた事に後悔はなかったし、軋んでいた感情を持て余したのも、苛立ったのも、きっと時間が経てば落ち着くだろう。そなってもらわないと困るのだが。
 思わず苦笑して、土方は追加された酒を嘗め、来ないであろうツレを待つ事にした。


ドッキリにこだわり過ぎな近藤さん
20090721 ハスマキ

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