*闇夜に提灯・前編*

──兄さんは何か起こって欲しいの?起こって欲しくないの?
 酒を飲みながら言う女を見て男は困った様な顔をした。何もなければ一番いい。でも何か起これば諦められる。逃げにも近い感情を見透かされた様で言葉が咄嗟に出なかった。
──まぁ、どっちにしろ兄さんの範囲外の所の話なんだしさ。なるようにしかならないんじゃない。自分の知らない所で決着つくのが厭だったらさっさと特攻して玉砕すれば?
 ああそうか、と男は納得した。自分の知らない所で決着がつくのが怖いのだと。でも、玉砕はもっと厭だ。だからいつもこの女にヘタレだ、ヒロイックだと莫迦にされているのは自覚している。でも無理なものは無理で、今日も結局グダグダと女に愚痴を垂れ流している自分に嫌気がさして泣きたくなった。泣ければ楽だったかもしれない。
 女は男の頭を撫でると、また盃を傾けた。

 

「…君、何か変なものでも食べた?」
 呆れた様に言ったのは、真選組のかかり付けの医師であった。目の前で腹を押さえベッドで唸る山崎は、朝方屯所から運ばれてきたのだ。本人が言うには、数日前から腹の具合は悪かったのだが、大した事がなかったので市販の薬を飲んで凌いでいたらしい。しかし、今日になって急に悪化し、同僚が慌てて病院に担いできたのだ。
「覚えはないんですけど…」
「とりあえず脱水症状起こしかけてるから点滴打っとくけど…。一応検査の結果、ウイルスは検出されなかったし、腹下してるだけだから食あたりじゃないかな。暫く水分をちゃんととって安静にしといて」
 その言葉に山崎はサーっと顔を青くする。そうしたいのは山々であるが、出来ない事情があったのだ。運悪く、明日から近藤と一緒に出張に行く予定になっていた。将軍が近々行う地方への視察の下見と、護衛の打ち合わせがあり、山崎はその地方に出向している真選組監察との打ち合わせの為に近藤に同行する。随分前から決まっていた出張であり、近藤も恐らくその段取りで屯所に篭っているであろう。
「あの…出張なんですけど…明日から」
「死にたいなら止めないけど…向こうで悪化したとか言われても責任取れないよ?誰か代わりにいかせれば?」
 項垂れる山崎に医師は呆れた様に言う。仕事が積んでいるのは仕方ないが、理由がハッキリしない以上悪化する可能性もゼロではない。一応そこは自覚させねばならない所であるのだろう。
「リンドウに行かせりゃ良いじゃないですかぃ」
 部屋の隅で話を聞いていた沖田が口を挟んだので、隣に座っていた土方はぎょっとしたような顔をする。何か言おうとしたが、沖田はそれを遮り更に言葉を放った。
「大体山崎の代理なんて出来るのリンドウだけでさぁ。違いますかぃ、土方さん」
 それに関しては土方も同意せざるおえない。意見を封じ込まれた土方は不快そうな顔をするとちらりと山崎の方を見る。具合が悪くて死にそうな顔をしている山崎を無理矢理出張に行かせる訳にもいかないし、そもそも行ったとしても役に立たないであろう。そう考えると代理を立てねばならないが、沖田の言うとおりリンドウ以外の代理は思いつかない。普通の仕事ならばそうかで終わる所であるが、今回はそういう訳にも行かないのだ。
「山崎大丈夫か?」
 心配そうな顔をした近藤が、リンドウと一緒に病室に入ってきたので山崎は土下座せんばかりに頭を下げ、体調不良を詫びた。
「ちゃんと検査受けて休めばいいよ。出張は誰か他の人についてきてもらうし」
 できるだけ優しく近藤が言うと、医師は安心したような顔をする。病人を無理矢理仕事に連れて行くという選択肢がされなかったからだ。真選組の仕事の事など知らないが、医師としては山崎を止めるのが正しい判断でなのであろう。
「近藤さん。リンドウはどうですかぃ?」
「ハルちゃん?仕事とか大丈夫なの?」
「ええ。今日中に片付ければ明日の出張も問題ありませんけど。私で良いんですか?」
 リンドウの言葉に山崎は、何度も詫びてお願いしますと頭を下げた。先輩として格好悪い事この上ないが、実際問題他に任せられる人間を山崎は思いつかなかった。元々出張の為の下調べや、資料整理等もリンドウは手伝っていたし、向こうの監察組もリンドウの事は仕事上知っている。他の監察に任せるとなると全部一から段取りを山崎が説明せねばならなくなる。それは体力的にキツイと山崎自身判断していた。
「それじゃぁ、ハルちゃんの仕事今日は手伝うよ。俺の仕事も手伝ってもらったしね」
「有難うございます。それじゃぁ、早速仕事片付けますね」
 にこやかに会話をする二人を見て土方は頭を抱えたくなった。どこから説得すれば良いのか解らなかったのだ。普通ならこんな話の流れになるはずがないのに、何故か沖田の言い出したありえない提案は通りつつある。
「ちょっ…近藤さん」
「何だトシ?」
「アイツで良いのか?」
「え?駄目なの?何で?ハルちゃん以外思いつかないよ、俺」
 不思議そうな顔をする近藤を見て土方は途方に暮れた。それを見てニヤニヤ笑う沖田を思わず睨み付けた後、土方は小さく溜息をつき肩を落とした。
「いや…アンタが良いならそれで構わねぇよ」
 泊りがけの出張だと言うのに、誰一人そこに突っ込まない。自分だけが神経質なのかと思いながら、土方は思わず顔を顰める。
「そんじゃ、とりあえず監察君は1日入院って事で。…あとさ、君、便秘薬とか飲む?」
「何で腹下してる時にそんなもの飲むんですか!」
「だよねー。おかしいなぁ。まぁいいや、とりあえずそーゆー事で、後はこっちで対処しとくから君達はお仕事なり行ってよ。邪魔だから」
 邪険に医師に追い出された面々は、それぞれ仕事に向かう事にする。
 不機嫌そうな土方をちらりと見た沖田は、愉快そうに口元を歪めると言葉を放った。
「心配しすぎるとハゲますぜぃ、土方さん」
「黙れ」
 あの組み合わせで間違いなど起こる筈がないと思いながらも、沖田の言葉に神経を逆撫でされた土方は眉間に皺を寄せた。

 

 沖田が監察部屋に行くと、そこには書類を広げるリンドウと、書類のチェックをしている土方の姿があった。沖田に気がつき、リンドウが声をかけると、彼は彼女の隣にちょこんと座る。
「俺も手伝いますぜぃ」
「沖田隊長のお仕事は宜しいんですか?」
 心配そうに言うリンドウに笑いかけると、沖田は、うちの部下は優秀だから大丈夫でさぁと言う。少しだけリンドウは申し訳なさそうな顔をしたが、沖田がやる気になっているので、チェックの終わった書類を纏める仕事を頼む事にした。リンドウが作った書類を端から土方がチェックして行っているのであろう。沖田は土方の積み上げた書類を手に取ると、それを束ねて順番通りに並べクリップ止めしてゆく。
「リンドウも出張の準備あるから早く家に帰りたいんじゃないですかぃ?」
「え?そんな大袈裟な準備はありませんよ。一泊だけですし」
 驚いた様に言ったリンドウを見て、沖田は苦笑すると更に言葉を放つ。
「色々あるじゃないですかぃ。勝負パンツ選ぶとか…」
 そこまで言った所で、ゴツンと拳を土方に降ろされ、沖田は大袈裟に頭を押さえると非難がましい目を土方に向けた。
「何で出張にそんなもん必要なんだ!つーか、セクハラすんなエロ餓鬼!」
 烈火の如く怒り文句を言う土方を見て沖田は僅かに口端をあげると、リンドウの後ろに隠れるように移動し、上司が苛めると彼女に泣きつく。
「隠れんな総悟!」
 リンドウの後ろから沖田を引っ張りだそうとする土方を見て、慌ててリンドウはそれを止める。
「副長!あの、気にしてませんから!それに勝負パンツ持ってないので選ぶ以前の問題ですし!」
 焦っていたにしても余りにもストレートな言葉を吐いたリンドウの顔を見て、土方は思わず顔を赤くする。どう返答して良いのか解らなかったのだ。逆に沖田は彼女の後ろで笑いを堪えて肩を揺らしている。それに気がついた土方は不機嫌そうな顔をすると、どかっと座り煙草に火をつけた。
「あれ?どうした?」
 ひょっこり顔を出した近藤を見てリンドウは安心したような顔をする。自分では巧く土方と沖田の喧嘩を止める事は出来ないが、近藤なら大丈夫だと安心したのであろう。
「パンツの話をしてたんでさぁ」
「パンツ?」
 不思議そうな顔をした近藤に、沖田は言葉を続ける。
「泊りがけならニューパンツおろした方がいいって話でさぁ。近藤さんも黄ばんだ褌見られるの恥ずかしいでしょうから、新しいのおろした方がいいですぜぃ」
「黄ばんでないから!毎日ちゃんと洗ってるから綺麗だし!」
 慌てて弁解する近藤を見て土方は思わず溜息をついた。突っ込むべきはそこではないと思いながら呆れた様に近藤を見る。
「信じてハルちゃん!」
 涙目になってリンドウに訴える近藤を見て、彼女は淡く微笑むと、ええと言う。その反応に近藤はホッとした様な顔をするが、直ぐに腕を組み考え込む。すると沖田は、どーしたんですかぃ?と首をかしげた。
「いや、よく考えたら、出張先で宴会とかになって俺脱ぐかもしれないしなぁ。そう考えたらやっぱり新しいのおろしておいた方が失礼がないんじゃないかと思って」
「脱ぐの前提の辺り間違ってるから。つーか、アンタ酒飲んで脱ぐ時は褌どころか全裸じゃねーかよ。絶対出張先でそんな事すんなよ!」
 土方に思わぬ所で怒られてしょんぼりした近藤を見て沖田は笑うと、スッと立ち上がり戸棚を開ける。それに気がついた近藤は、ぱっと顔を上げると、どーした?と聞いた。
「俺も腹の調子がちょっと」
「え!?山崎の件もあるし、酷くなったら先生の所行くんだぞ」
「明日になってもおさまらなかったら行きまさぁ」
 錠剤の入った小瓶を見つけると、沖田はそれをもって部屋を出る。それを見送りながら、流石に山崎の一件もあり、リンドウも近藤も心配そうな顔をした。

 小瓶を手に自室に戻った沖田は、引き出しから小袋を出すと瓶の中身を全てだし、別の引き出しにしまってあったよく似た錠剤を小瓶に詰め替えた。
「…腐っても医者ですねぇ」
 言動は軽いが良い所をついてきた医師の発言にヒヤリとした沖田は思わず言葉を零す。山崎は便秘薬など飲んだ覚えはないと言ったが、実際は沖田がすり替えた薬を飲んでいたのだ。昨日こっそりすり替えた薬が他の人間の口に入るとまずいと思い、早速沖田は回収に行ったのだ。
「便秘薬って言っても、とどのつまり下剤…怖いなぁ」
 もう少し悪化すれば良いと軽い気持ちですり替えたが、思った以上に効き過ぎて流石の沖田も焦った。そもそも、便秘の人間に合わせて作っているのだから、普通…ましてや調子の悪い山崎が服用したら物凄い効き目であろう。お陰で病院に担ぎ込まれる騒ぎにまでなったのだ。沖田自身飲んだ事はないが、アレを見てしまうとどんなに困ってもこれに頼るのは御免だと言う気分になる。
 リンドウがもう少し近藤と仲良くなれればと思っただけ。
 土方が嫌がれば良いと思っただけ。
 沖田は僅かに瞳を細めて、小瓶を眺めていたがリンドウの手伝いをする為に監察部屋に戻る事にした。

 監察部屋にはリンドウしかおらず、沖田はまず小瓶を元の場所に戻すと彼女に声をかける。
「仕事、どうですかぃ?」
「ええ、大体終わりました。後はそれぞれ提出するだけです」
 その言葉に沖田は安心したような顔をすると、彼女の隣に座って仕事をする様を眺める。
「お土産。頼んでもいいですかぃ?土方さんに内緒で」
「何が良いですか?」
 淡く微笑んだリンドウをに沖田は、菓子がいいでさぁと言うと瞳を細めた。遊びではないのだから土産を強請るなと土方には叱られるだろうが、彼女は内緒で買ってきてくれる様だ。近藤辺りなら気にしないだろうが、土方は無駄にその辺りは厳しい。
「楽しんできてくだせぇ」
「お仕事ですよ」
 困った様に微笑んだリンドウであるが、近藤と一緒と言うならどう転んでも楽しいであろうと思った沖田は彼女の方を見て笑った。
「少しは進展するように祈っときますぜぃ」
 驚いた様な顔をしたリンドウを置いて沖田は部屋を出る事にする。余り色々言って彼女のプレッシャーになるのは本位ではない。彼女が一歩踏み出す切欠程度になれば十分であった。
 近藤がいつまで経ってもリンドウを子供扱いする以上、動くとしたら彼女からしかありえないのだ。
 そんな事を考えながら歩いていると、近藤の姿を見つけたので沖田は彼にも声をかける事にした。
「近藤さん」
「どうした総悟。あ、お土産は八橋とかでいい?」
 顔を見た途端にそんな事を言い出した近藤に沖田は呆れた様な顔をする。自分がいつまで経っても子ども扱いされるのは知っているが、流石に第一声それはないだろうと思ったのだ。
「何でも構いませんぜぃ。リンドウには菓子って言っておきましたから。というか、いい加減子ども扱いは辞めて下せぇ。土方さんにも言われてるんじゃないんですかぃ?」
 沖田の言葉に近藤は心なしかしょんぼりしたような顔をする。
「すまなんだ。ついな。子供の頃の事知ってるとなぁ」
「…まぁ、俺は仕方ないにしろ、リンドウに対してもそうですぜぃ」
「ハルちゃんも大きくなったのになぁ」
「子供の頃知ってるんですかぃ?」
 近藤の言葉に沖田は驚いた様な顔をした。初耳だったのだ。沖田の反応に近藤は首を傾げる。
「総悟知らなかったっけ?昔武州で会った事あるんだ。トシもだけど。まぁ、会ったって言ってもちょっとだけだしね」
 自分だけ知らなかったのが不満なのか、沖田は一瞬顔を顰めるが、近藤がいつも彼女を子ども扱いする理由が漸く理解できた。一番最初に刷り込まれたイメージをいつまでも引きずる悪い癖がここにも出ているのだと納得する。近藤は沖田が子供の頃好きだったものはずっと好きだと信じている様に、リンドウとどんな出会いがあったのかは知らないが、きっと子供の頃の彼女のイメージを引きずっているのだろう。
「いつまでも子供だと思ってたら痛い目に合いますぜぃ。女なんざぁ、ちょっと見ねぇうちに変わりまさぁ」
「そうかなぁ。大きくなって、綺麗になってたけど、昔のまま良い子だよ、ハルちゃん」
 近藤が不思議そうな顔をしたので沖田は苦笑するしかなかった。良くも悪くも、多分リンドウを女として見ていない。女として意識していないから、今の様にスキンシップも平気で取るが、もしも意識しだしたら近藤は別の反応をするのだろうかと沖田はぼんやりと考えた。どちらがリンドウにとっては良いのだろうかとも。どちらにしても土方が精神的にキツイのは変らないが。
「今度昔のリンドウの話聞かせてくだせぇ」
「そんなにいい話じゃないよ?」
「構いませんぜぃ。俺だけ知らないのは癪なんでさぁ」
 瞳を細めた近藤は沖田の頭を撫でると、出張から帰ったらなといい部屋に戻っていた。それを見送った沖田は、小さく溜息をつくと、やっぱり近藤の子供扱いを直すのは苦労するとぼんやりと考えた。

 

 縁側に座り煙草をふかす土方は、片手で携帯を開けては閉めを繰り返してた。どこかに電話をしようとしているのだろうかと思った沖田は、そばに寄ると携帯を覗き込む。
「誰に電話ですかぃ」
「…総悟には関係ェねえ」
 不機嫌そうに返答した土方を見て、沖田は思わず笑う。良い感じに土方が機嫌が悪いし、精神的に余裕がないのが見て取れたのだ。公私の区別をつける土方は、最終的にはどんなに気分的に厭でも山崎の代打はリンドウしか選べない。昔ならいざ知らず、最近は特に割り切るのが巧く行かないのかイライラとしている事も多い。
「そんなに心配しなくても、あの組み合わせで間違いなんざぁ起こりませんぜぃ」
「…」
 そんな事は解っているといいたげに睨みつける土方を見て、沖田はニヤニヤと笑う。今回の件に関してはいちいち癇に障るとでも思っているのであろう。
 そんな中、土方の携帯が鳴りだしたので、彼は驚いた様に携帯のディスプレイを見る。そして、沖田を追い払うような仕草をしたので、沖田は肩を竦めてその場を後にした。
 【三味線屋】と言う名前を点滅させる携帯電話の通話スイッチを土方は沖田の姿が見えなくなったのを確認してから押す。
「…どうした?」
『あ、やっぱりいいわ。機嫌悪そうだし』
 相手が速攻で切ろうとしたので、慌てて土方は、まて!と言葉を放つ。先程からかけようかどうしようか悩んでいた相手からだったのだ。
『いつも行ってる飲み屋の亭主がさ、ぎっくり腰で1週間位店閉めるんだって。それ教えてあげようと思っただけ』
 女の言葉に土方は絶望的な気分になった。いつも愚痴を吐き出す彼女に会えないと言う事である。
「そうか。手前ェは1週間どーすんだ」
『適当に新規開拓するわよ』
「…京風の出し巻きが絶品な店がある」
 その言葉に女が興味をそそられたような反応をしたので、土方は瞳を細めて更に言葉を続けた。
「今日、出れるなら案内してやる」
『店の名前だけ教えてよ』
 さらりと言われ、土方は思わず言葉に詰まった。空気を読めないのか、読む気がないのか。それともこちらの状態を知っていて言っているのか。腹が立ったがここは自分が折れた方が良いような気がして土方は溜息を吐いた。
「…たけきの吟醸酒で良いか?その店で扱ってる」
『またなんかあったの?折角の美味しい酒に愚痴ってどうなのさ。兄さんが良いなら構わないけど。っていうかね、話きいて欲しいなら、キャバクラでも行った方が安上がりよ?』
 呆れた様な声を相手は出したが、来る気にはなったらしい。キャバクラで愚痴が言えなるならとっくに言っていると心の中で舌打ちする。しかし、最もな意見である。
「アンタに会いたいって言ったら来てくれるのか?」
『莫迦ねぇ。そんな事言ったら行かないに決まってるじゃないの』
 やっぱり酷い女だと思いながらも今は彼女に縋りたいと思った。散々人の事を莫迦にして、傷口を抉って、ゲラゲラ笑われて。鬱々と溜め込むのが辛くなるといつもそうやって、軽く笑い飛ばす彼女に吐き出して何とかバランスを取っていた。今日は特に酷いのを自覚して、土方の気分は段々沈んでくる。
『で、何時にどこに行けばいいのさ』
 女の言葉に我に返ると、土方は時計を確認して場所と時間を指定した。
 電話を切ると、土方はそのまま縁側にごろりと横になり瞳を閉じる。手遅れになれば諦められると自分に散々言い聞かせていたのに、いざとなったら急にヘタレる自分に嫌気がさしたのだ。笑われても仕方がない。そんな事をぼんやりと考えていた土方は、三味線屋は特攻して玉砕すれば良いと言うが、諦めろとは言わない事に気がついて小さく溜息を吐いた。どちらが良いのかなど解らなかったが、両方できない自分はやっぱりヘタレてると思うと気分が重く沈む。
「どうかされましたか?」
 目を開けると、リンドウが荷物を持って顔を覗き込んでいたので慌てて土方は起き上がった。恐らく家に帰る所なのであろう。
「…ちょっと仕事の事考えてた」
「そうですか。それじゃ私帰りますので。お疲れ様でした」
 淡く微笑んだリンドウを見て、土方は口を開く。
「急な出張、悪かったな」
「いえ。体調不良は仕方ないですよ。それに、初めてなので色々勉強できますし、楽しみです」
 その言葉を聞いて、土方は困った様に笑った。ポジティブで羨ましいし、自分とは大違いだと。軋む感情が破綻しないように抑えるのが精一杯で、その癖に何も出来ない。
「副長も、体調に気をつけて下さいね」
「ああ」
 リンドウを見送り煙草に火をつけた土方は、思わず溜息を吐いた。

 

 翌日。朝から荷物を抱えた近藤が縁側を歩いていると、沖田が声をかけて来る。
「近藤さん。駅まで送りますぜぃ」
「助かる。で…トシは?」
「土方さんは駄目でさぁ」
 首を傾げた近藤に、沖田は笑いながら返答した。
「昨日も帰ったの遅くて、さっき部屋覗いたら酷ぇ面してましたぜぃ」
「うるせぇよ」
 後ろからかかった声に驚いて二人が振り向くと、土方が不機嫌そうな顔をして立っていた。寝不足なのか表情が凶悪で、思わず近藤は心配そうに声を零した。
「大丈夫かトシ」
「…仕事に支障はねぇよ」
 その言葉に嘘はないが、昨日帰ったのが遅かったのは事実なので否定しなかった。これでも途中で三味線屋を置いて帰ってきたのだ。もしも自重しなければ、間違いなく朝までコースだったに違いない。流石に屯所での留守番を任される身としてはそれは無しだと思ったのだが、もう少し早く引き上げても良かったと朝に土方は後悔した。
「アンタは自分の心配してろ」
「それじゃ。留守番任せたぞトシ」
 近藤の言葉に頷いた土方は、ふと思い出したように口を開いた。リンドウの姿が見えなかったからだ。
「アイツは?」
「ハルちゃん?総悟が車出してくれるし、家まで迎えに行くつもりだけど。何か用事あった?」
 その言葉に土方は安心したような顔をする。昨日の晩、本日の体調と引き換えに何とか勝ち取った感情の切り替えであるが、彼女の顔を見たらあっさりと崩れてしまいそうな気がしたのだ。今更話す事はないし、何事もなく彼女と近藤が仕事を終えれば良いと思った土方は、曖昧に笑う。
「いや。何か問題があったら連絡くれればいい」
「そうか。そんじゃ、行ってくる」
 連れ立って屯所を出る近藤と沖田を見送りながら、土方は背筋を伸ばすと仕事に向かう事にした。


沖田のターン長すぎて終わらなかったorz
次回近藤さんのターン
続く
20080602 ハスマキ

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