*三日見ぬまの桜*

 執務室で仕事をしていた土方は障子の向こう側に人の気配を感じて筆を止めた。
「宜しいですか?副長」
「入れ」
 短く返答すると襖を開けてリンドウが入ってきたので土方は首を傾げた。今山崎と彼女の監察組に渡している仕事はないので彼女がここに来る理由が見当たらなかったのだ。何か別の問題でも起きたのだろうかと思った土方は煙草に火を付けると煙を吐き出しどーしたと聞く。
 すると彼女は少し困った様な顔をして土方の正面に座り淡く微笑むと口を開いた。
「トモエ5000の立体人形を貸して頂きたいのですが」
 その言葉に土方は勢い良く煙草の煙を吐き出すと明らかにうろたえた表情を浮かべ彼女の顔を見た。リンドウ自体は自分の発言の意味を理解していないのか至極真面目な顔をしている上に、少し首を傾げて駄目ですか?とまで聞いてくる始末である。
「…意味がわからねぇんだが」
「実は例のメイド喫茶に入ってる監察の子が今度『トモエ5000キャンペーン』というイベントに参加するんです」
 以前ハロウィンで衣装作らされた店がまた企画を行うらしく、それがトモエ5000なのだと言う。今回店側から衣装は支給されるのだが監察の子にサイズが合わないので自前で準備する事にしたらしい。店もこのイベントに力を入れているらしく、自前で準備した場合の衣装代は店持ちだと言う事もあり仕事が空いているリンドウが例の如く頼まれ衣装を作る事になった。
「それで資料を集めてみたんですが、どうしても帯の辺りとか腰のラインの作りが解らないので困ってたら副長がトモエ5000の立体人形を持っていると教えて頂きまして…」
「誰にだ?」
「近藤局長と沖田隊長と山崎さんですが?」
 その返答に土方は頭を抱える。服を作るのなら確かに立体人形…俗に言うフィギュアがあれば360度何処からでも眺められるので良いだろう。しかし当然土方がそれを持っていると思っている彼等に土方は僅かな殺意を覚える。
 そもそも悪いのは『トッシー』である訳だが土方は目の前のリンドウに何から話したら良いのか本気で悩む。
 彼女は伊東事件の時に屯所を留守にしていたのだ。後でそれは山崎が女性監察をゴタゴタに巻き込まれない様全員わざと外の仕事に長い間回していた所為だと知るのだが彼女の中で『トッシー』の存在は認識されていない。ヘタレたオタク人格が自分の中にいるのを説明するのも厭だが、自分がトモエ5000のフィギュアを愛でる趣味があると思われるも厭だった土方は不機嫌そうな顔をして言葉を捜した。
「あの…大事なものならお借りするのも申し訳ないので…構わないんですが…」
 土方が黙り込んだのでリンドウは自分に貸すのを渋っているのだろうと判断してそう発言したがそれに土方はぎょっとしたような顔をする。大事にしていると思われたのが予想外でありこれ以上黙っていてもいい事はないと重々しく口を開く。
「ねぇんだよ」
「はい?」
「捨てちまってねぇんだ。つーか、俺のじゃねぇんだアレ」
 土方の言葉を聞いてリンドウは神妙な顔をする。捨ててしまったと自分のものではないという発言が巧く繋がらなかったのだろう。ともかく今土方の手元にないという事ははっきりとしたのでリンドウはそうですかと少しがっかりしたような顔をする。
「可愛らしい衣装でしたのでちゃんと作れればと思ったんですが…もう少し資料集めてみます…お時間取らせて申し訳ありませんでした副長」
「いや。かまわねぇ」
 リンドウが下がった後土方は瞳を細めると煙草をもみ消しゴロンと横になった。今日ほどトッシーの存在を疎ましく思った事はない。寧ろ何で俺がトモエ5000のフィギュア持ってるの前提なんだよと不快な気分に支配される。確かにあることはあったのだが先日のゴミの日に捨ててしまったのだ。夏ごろに気がついたら増えていた荷物に絶望したのを思い出して土方は顔を顰めると起き上がり仕事を続ける事にした。

 

「あれ?トシ持ってなかったの?」
「はい」
 お茶を入れながらリンドウが返事をすると近藤はそりゃ残念だったなぁと腕を組んだ。すると沖田は咽喉で笑い今度俺が家捜ししときまさぁと言う。
「え?」
「トッシーがどっかに隠してるかもしれませんぜぃ」
「あーそれもそうだな。結構トッシーの私物トシ問答無用で捨ててるしなぁ。隠してるのはあるかもなぁ」
 二人の会話に巧く乗れないリンドウが首を傾げたので沖田は瞳を細めて笑うと彼女からお茶を受け取り再度口を開いた。
「今回は時間あるんですかぃ?」
「はい。イベント自体は来月なので。私ももう少し資料を揃えますね」
 生真面目に彼女がそういったので近藤は笑うとトモエ5000かぁと呟く。近藤はゲームはするが余りアニメには興味がないので知識としてだけ知っている。確か美少女侍という肩書きだった筈だ。
「スカート短いよねアレ」
「可愛らしいですよね。資料集めてみたんですがコスチュームも何だか沢山あるみたいで。どれにしようか悩んでるんですよ」
 人気美少女アニメで長く放送をやっていることもあり衣装も数種類存在する。すると近藤はうんうんと頷き俺は帯がチョウチョみたいなのが可愛いと思ったと言うのでリンドウは淡く微笑むとそれではそれを作りますと返答する。
「リンドウが着たらトッシーは大喜びでしょうぜ」
「かもなぁ。でもスカート短いからお父さんは認められんなぁ」
 腕を組んで大真面目に言う近藤を見て沖田は苦笑すると、チョウチョの奴ですねと笑う。
「俺も何か資料になりそうなもの見つけたらリンドウに渡しまさぁ」
「有難うございます。助かります」
 嬉しそうに微笑んだリンドウを見て沖田は瞳を細めると立ち上がって局長室を後にした。

 

 翌日。
 朝食を取ろうと食堂に向かった沖田は土方の姿を見つけからかおうと側に寄るが黙々と朝食を食べるその姿を見て首を傾げた。
「…トッシー?」
 思わずそう呟いた沖田の顔を見て彼は驚いた様に目を見開くと沖田氏シー!っと指を立てた。それを見た沖田は肩を竦めると隣に座り自分も朝食をとる事にする。
「ど…どうして解ったでござる。ちゃんと制服着てるのに…」
 小声で聞いてきた土方…トッシーに沖田は呆れた様な顔をすると、彼の食べている朝食に視線を送る。病的なマヨラーである土方がマヨネーズ無しで食事を取るなどありえない話なのだ。多分トッシーが土方の様にマヨネーズを山盛りにしていたら気がつかなかったかもしれない。それ位土方とトッシーを見分けるのは難しいのだ。黙って座っていればまず解らない。
「で…制服まで着込んで何してるんですかぃ」
「あの…ハル殿は…今日はお仕事?」
 トッシーの口から思わぬ名前が出てきて沖田は顔を顰める。しかも行き成りファーストネーム呼びである。
「リンドウに何か用ですかぃ?」
 沖田が不機嫌そうな声を出したのに気がつかないのかトッシーはこくりと頷くと沖田に事情を話し始める。
 すると沖田は少し考え込んで解りやしたと言い携帯電話を取り出す。
『リンドウです』
「屯所に着いたらちいとばっかし時間貰いたいんですが構いませんかぃ?」
『はい。えっと、何処に行けば宜しいですか?』
「とりあえず近藤さんの所で。休みの所悪いですねぇ」
『いえ。暇なので』
 沖田の言葉にトッシーは驚いた様な顔をする。リンドウが休みだとは思わなかったのだろう。しかし沖田はお構い無しに電話をしたしリンドウ自体も元々屯所に来る予定だったのだろうあっさりと了解をしてくれた。
 驚いて呆然としているトッシーに沖田は面倒くさそうに視線を送るとそんじゃリンドウが来る前に近藤さんのところに行きますかと言った。

 局長室に入った沖田とトッシーはお茶を飲みながらTVを見ていた近藤に声をかける。すると近藤は少しだけ驚いた様な顔をしてどうした?と聞く。実は沖田と土方が局長室に二人連れ立って入ってくるのは珍しいのだ。
 遠慮なく座り自分の分のお茶を入れた沖田とところなさげに佇むトッシーの姿を見て近藤は首を傾げて小声で呟く。
「あれ?トッシー?」
「何で近藤氏も沖田氏もわかるんでござる!?」
 トッシーが驚愕したような顔をするので近藤は少しだ笑ってなんとなく…かな?と言い自分の仕事机に向かいトッシーの為に休暇用紙を出してくれた。トッシーが土方の体を乗っ取って仕事をサボっている時は後で土方が文句をいいながら休暇用紙を出しているのだ。
「こことここに名前かいて…って今日は何でまた事前に来たの?いつも勝手に遊びに行くのに」
 用紙の説明をしながら近藤が不思議そうに言うとトッシーは目を泳がせ沖田に助けを求めるように視線を送った。
「何でもリンドウにトモエ5000のコスプレを見せたいらしいんでさぁ。今日コスプレイベントがあるらしくって」
「そんなのあるんだ」
 吃驚したように近藤が言うのでトッシーは小さく頷くと小声で言葉を零す。
「でも僕はハル殿と面識ないし、行き成り誘うのも…無理なんで十四郎の真似して連れて行こうとおもったんだけど…」
「…それは…」
 トシが後で困るだろうといおうとして近藤は言葉を飲み込んだ。引きこもりのトッシーがそこまでして何かをしたいという気持ちは良い事だと思ったのだろう。土方には迷惑な話であろうが。
「事情を話したら沖田氏がそれなら全部話して堂々と行けば良いって…」
「…という訳で。リンドウ呼んでますんで近藤さん、リンドウにトッシーと土方さんの関係話してやってくだせぇ」
「え?ハルちゃんトッシーの事知らなかったの?」
「あの時居ませんでしたから」
 リンドウをややこしい事に巻き込みたくなかったのは山崎だけではなく沖田も同じであった。いち早く伊東の計画に気がつき乗った沖田はそれとなく山崎に言って彼女を暫く遠ざけたのだ。
「うーんそうかぁ。まぁトッシーが話すより俺とか総悟が話した方がいいだろうなぁ」
 腕組みした近藤にトッシーはお願いしますと頭を下げる。すると近藤はにっこり笑って下げられたトッシーの頭をくしゃっと撫でると任せといてと言う。人付き合いが苦手なトッシーであるが、近藤の事は嫌いではなかった。事情を知っている所為もあってトッシーに対しても優しいし、土方が彼に心底惚れ込んでいることもあってトッシー自体悪い感情を彼には持っていなかったのだ。
 土方はトッシーに体を乗っ取られている時の事はぼんやりとしか覚えていないがトッシーはずっと心の奥で土方の事を見ているので何となく土方が相手に対してどう思っているかとか、何を考えているかは解るのだ。
「それじゃ僕準備してくるんで…」
 いそいそと立ち上がったトッシーを見て近藤はおう、部屋で待ってろといい手を振った。
「しっかし何処から話したらいいか…」
「全部話せば良いじゃねぇですか?」
「失礼します」
 思案する間もなくリンドウがやってきたので近藤は少し困った様な顔をしてどうぞと短く返事をした。
 するとリンドウが障子を開けて入ってきたので座ってと近藤は言う。
「何から説明したら良いのか俺自身良く解らないんだけど…その聞いてくれるかな?」
「はい」
 改まって言われたのでリンドウは背をしゃんと伸ばし話を聞く体制に入る。
 沖田のフォローなどもあり何とか説明を終えた近藤はリンドウの表情を伺う。呆れるとか、驚くとかそんな表情は見受けられずリンドウはにっこり微笑む。
「トッシーさんの事は解りました。態々教えてくださって有難うございます」
「…え?信じてくれたの?」
「ええ」
 リンドウに割と淡白な反応に近藤は驚いた様な顔をする。少なくとも自分もあの事件がなければ直ぐに信じろといわれても難しいと思ったのだ。妖刀に魂を喰われヘタレオタクになった等それこそ漫画やゲームの世界である。
「それで、トッシーが今日あるコスプレイベントにリンドウ連れて行きたいって言い出したんでさぁ」
「コスプレイベント?」
「何でもトモエ5000のコスプレがわんさか居るらしいですぜ」
 沖田の言葉にリンドウは表情を明るくすると嬉しそうに微笑んだ。仕事が思ったより早く片付きそうだと思ったのだろう。フィギュアも良いが、実際に衣装を見れるのが一番早い。沢山居るなら近藤が可愛いといったチョウチョ帯のトモエも居るかもしれないと自然とリンドウは嬉しくなる。
「あ、でもトッシーさん…副長は今日お仕事なんじゃ」
「さっき有給届けだしたから良いよ。トッシー出てきちゃったら仕事になんないからいつも休みにしてるんだよ」
 近藤の言葉にリンドウは安心したような顔をするとそれじゃぁ問題ありませんねと言う。すると近藤は困ったように言葉を続けた。
「えっとね。さっきも言ったけどトッシーとトシは全然違う人格だからもしかしたら付き合いにくいかもしれないんだ。元々引きこもりだし子供みたいだからトッシー。でもまぁ悪い子じゃないし…迷惑かけるかもしれないけど…。あと、余り無駄遣いしないように言ってくれる?」
「無駄遣い?」
「うん。アニメとか趣味の為ならトシの貯金はたいちゃうんだよねトッシー」
 その言葉にリンドウは吃驚したような顔をする。それには土方も大いに困っているであろうし、土方がトッシーの存在を煩わしく思うのも仕方ないと思ったのだ。
「はい解りました。あの…それでは行って来ます」
「うん。部屋で待ってると思うから」
 そういいリンドウを見送ると近藤はふーっと溜息をつく。思ったより話は巧く進んだが、トッシーの事を考えると気が重い。リンドウに迷惑をかけなければ良いがと心配になったのだ。
「しかし、引きこもりのトッシーが態々とか驚くなー」
「まぁ、得意分野だと思ったんじゃないですかぃ?」
 近藤の言葉に沖田は笑いながら返答した。

 

「失礼します」
 障子を開けたリンドウの姿を見てトッシーは息を呑んだ。面と向かって話すのは初めてであるし、近藤や沖田が巧く自分の事を説明してくれているか心配だったのだ。
「あの…ハル殿」
「はい。この度は態々お時間裂いて頂いて有難うございます。えっと、どうしましょう。トッシーさんってお呼びすれば宜しいですか?」
 リンドウの言葉にトッシーはこくこくと頷くとはぁっと息を吐く。少なくとも近藤と沖田の説明は巧くいったのであろう事は理解できたのだ。しかも自分に対する態度もいつも奥底で眺めている彼女のモノとなんら変りはないように見えて安心した。ヘタレオタクというのは嫌われやすい事をトッシーは自覚していたのだ。相手が一般人なら尚更である。
「イベント会場では写真とか取って良いんですか?」
「許可を貰えば…」
「それじゃぁ許可取る所とか教えてくださいね」
 淡く微笑んだリンドウを見て思わずトッシーは顔を赤くする。いつも土方が彼女に対して口数が極端に減る事が全く理解出来なかったが今ならその気持ちも解らないではない。きっと土方は自分の様に緊張しているのだろうと思ったトッシーは目を逸らせてうんと小さく頷いた。元々趣味に関して以外は口下手であるので気の利いた事などいえやしない。しかしリンドウは気にした様子もなくそれではいきましょうかと立ち上がった。
 トッシーが慌てて立ち上がるとリンドウは少し首を傾げてトッシーの持つ荷物に視線を落とした。それに気がついたトッシーは俯くと口を開く。
「これは僕の私服で…その、屯所内これで歩くと十四郎が嫌がるから外で着替えようと…」
 しどろもどろになりながら言葉を放つトッシーをみてリンドウは微笑むと、それじゃ私の家で着替えていってくださいと言った。
「え?ハル殿の家!?」
「大丈夫ですよ。屯所から近いですから。紙袋に詰めて制服持ち歩いたら荷物になりますし、皺になりますよ」
 屯所から近いのは知っているが突然家に着替えの為とは言え招かれるというゲームならフラグすっ飛ばしの展開にトッシーは途方に暮れた様な顔をする。しかし彼女の好意は嬉しく、確かに荷物になると思い直したトッシーは小声でお願いしますと呟いた。

 屯所から程なく歩いた場所にあるアパートにたどり着くとトッシーは緊張の余り手に厭な汗をかいた。リンドウが鍵を開けたのでその後に続き小声でおじゃましますと言うのが精一杯であった。
 手前にはコタツの置いてある和室があり、奥は襖で仕切られているが恐らく部屋があるのだろう。リンドウは奥の襖を開けるとハンガーを手に持ちどうぞとトッシーに言う。
 奥の和室は寝室なのか本棚と衣装ダンス、そして化粧台しかなくコタツの部屋もモノが少ないと感じたがここは更に殺風景であった。リンドウの穏やかで可愛らしい雰囲気からは若干想像しがたい。
「このハンガー使ってください」
「ありがとう」
 トッシーが素直に受け取ると、彼女は押入れ前にかけられた彼女のであろう真選組の制服を指差しあそこに吊るしてくださいねと説明をすると部屋を出て行った。
 ゴソゴソと着替えながら出来るだけ制服を丁寧にハンガーに吊るすとそれを彼女の制服の横にひっかける。元々ハンガーが吊るしやすいように押入れの枠にフックがはめ込まれているのですんなりといく。ふぅっと溜息をついたトッシーは改めて彼女の部屋を眺めた。綺麗に掃除された部屋は本当にモノが少なくて少し寂しい感じもする。華やかさはない。寧ろ感じられるのは几帳面さや、生真面目さである。
「ハル殿」
「はい?」
 思わず隣の部屋のリンドウに声をかけた。
「その…綺麗に片付いてるでござるね」
 緊張のあまりござる口調になったのでしまったとトッシーは思ったが彼女は気にしなかったのか直ぐに返答を返してくれた。
「真選組に入るまでは住居を転々としてたので荷物が少ないんです。着替え終わりました?」
 そういわれトッシーは慌てて襖を開けお待たせと言う。丁度デジカメの電池を換えていたリンドウはトッシーを見ると瞳を細めてちょっと待っててくださいねと微笑んだ。
 ソワソワと落ち着かないトッシーはとりあえず彼女と一緒にコタツに入ると彼女の様子をじっと見る。とびっきりの美少女でもないし、スタイルが抜群に良いわけではない。でも土方はこの人が多分凄く好きなんだとトッシーは感じていた。だからちょっと興味があったのだ。だから今回無理をして土方を押さえ込んだ。
 遠くて近い場所に立つトッシーから見れば土方の彼女に対する行動は矛盾だらけで全くもって理解出来ないものであった。好きならば順番にフラグを立てて仲良くすれば良いと本気でトッシーは思っていたのだ。しかしいざ自分が彼女の前に立てばまるっきり土方と似た行動を取ってしまっている。
「お待たせしましたトッシーさん」
 ぼんやりとそんな事を考えていたトッシーはリンドウ声に驚いて顔を上げた。すると彼女は微笑んで行きましょうかと立ち上がった。

 電車をいくつか乗り継いでたどり着いたのはイベント会場として使われている建物であった。そこに長蛇の列が出来ておりリンドウは驚いた様に声を上げた。
「凄い人ですね」
「少し時間かかるけど…」
「大丈夫ですよ。並びましょう」
 そもそもリンドウはここでトモエのコスプレが見れると言う事以外は何一つ把握していない。俗に言う同人誌即売会など一般人の彼女には異世界に映るであろう。
 列が動き出すまでトッシーはソワソワと落ち着かない様子で辺りを見回していた。思い立って連れてきたもののいざ二人っきりになるとどうしたら良いか解らなくなったのだ。するとリンドウはトッシーを見上げて微笑んだ。
「どうかなさいました?」
「いや…その…ハル殿には余り面白くないかなぁと」
「トモエ5000のコスプレが見れるんですよね。楽しみです。チョウチョの帯の衣装を作ろうと思うんですけど」
 その言葉にトッシーはぱぁっと表情を明るくする。チョウチョの帯の衣装はトッシーがご贔屓のトモエ5000三期の衣装であったのだ。思わずその衣装の可愛さ、ポージング、その他もろもろ自分の感想や意見を彼女に熱く一方的に語る。総じてオタクというのは自分の好きなことに関しては多弁になるのだ。リンドウはその話をずっと笑顔のまま聞いていた。
 はっと我にかえったトッシーはかぁっと顔を赤くすると俯いて彼女に詫びる。
「ハル殿には面白くない話だったんじゃ…」
「いえ。参考になりました。私アニメとか漫画は詳しくないので…それにお好きなんですね。トッシーさんが納得できる衣装作りますね」
 厭な顔一つせずにそう言って微笑んだリンドウを見てトッシーは子供の様に嬉しそうに笑った。

 漸く会場に入るとそこはまさに異世界だとリンドウは感じた。なにやら机を並べて人が座っている。机の上の本等に値段がついている所を見るとバザーのようなモノなのだろうと納得は出来たがそれにしても規模が凄いの一言であった。
「ハル殿、これこれ」
 トッシーの持っている用紙には『撮影許可証』と書いてあり、リンドウはそれを受け取るとありがとうございますと微笑んだ。空いている台で用紙にを埋めるとトッシーはそれを受け取りリンドウをつれて一緒に許可証発行の列に並ぶ。
「ハル殿カメラだしておいて」
「はい」
 先程のしどろもどろさは何処に行ったのか、トッシーが次々とリンドウの為にあれこれするのをみて思わず彼女は微笑を零した。
「?」
「トッシーさん楽しそうなので安心しました。私の仕事につき合わせてしまって申し訳ないと思ってましたので」
 その言葉にトッシーは驚いた様な顔をするとぶんぶんと首を振る。寧ろ自分に彼女をつき合わせているような気がしていたのに彼女は全く逆の事を思っていたのだ。
「僕は…その、ここにも来たかったし、ハル殿が困ってたから少しでも助けになれたらって思っただけで…その…」
 語尾はごにょごにょと聞き取れなくなっていたがリンドウは嬉しそうな顔をする。
「不思議ですね。トッシーさんと副…土方さんは違う人なのに。優しい所そっくりです」
 仕事ではない所で副長と呼ぶのは遠慮したのかリンドウが土方といいなおすのを聞きながらトッシーは彼女の顔を眺めた。穏やかに笑う様子に思わず顔を赤くする。優しいと言われた事が恥ずかしいのか、それとも土方と気持ちを同調させてしまったのかは解らないが今、彼女が隣にいてくれることが心底嬉しいと感じた。
 そうこうしているうちに自分達の順番が来たので手続きを済ますと二人は連れ立って会場内を歩く。コスプレは着替える時間があるのでまだまばらにしか居ないのだ。
 そんな中リンドウの足が止まったのでトッシーは首をかしげ彼女の側に寄った。
「どうしたの?」
「可愛いですね」
 彼女が指差したのは机の上にちょこんと座る食玩であった。丸っこいフォルムで茶色のそのロボットは見上げるように机の隅に座っていた。
「それは公国の水陸両用のMSで…」
 思わずまたオタクウンチクを垂れるトッシーの説明を聞きながらリンドウはニコニコ笑ってそのMSとやらを眺める。よくよく見るとその机にはそれと同じデザインの絵が描いてあるメモ帳が置いてある。値段がついている所を見ると売り物なのだろう。
「私そのアニメのロボットは全部四角いんだと思ってました」
 そう言ったリンドウはメモ帳を手に取るとパラパラ捲る。するとそれはパラパラ漫画の様になっており、メモ帳の隅に描かれた可愛い絵がとことこと歩いているように見えたので思わずリンドウは微笑を零す。
「これ買っても良いですか?」
「え?ハル殿興味ある?」
「可愛らしいので。アニメ見てないと買っちゃ駄目なんですかね?」
 このイベントのルールを良く知らないリンドウが首を傾げて聞いたのでトッシーは首を振ると販売している人に声をかけてくれる。リンドウが小銭を払うとトッシーはそれを眺めて嬉しそうに笑った。少しでも自分が好きなものを共有できたという満足からであろう。女性には敷居の高いジャンルではあるが、そこに出ているキャラクターを可愛いといって好きになってくれるのは嬉しかったのだ。
「時間取らせて申し訳ありません」
 カバンにメモ帳をしまったリンドウが詫びたのでトッシーは首を振るとコスプレゾーンに視線を送る。そろそろ人が集まって来る頃だろう。リンドウを連れてトッシーは彼女の第一の目的を果たす為にトモエ5000のコスプレを探す事にした。

 リンドウが女性であることもあり、トモエ5000のコスプレをしている人たちは快く色々な角度で写真を撮らせてくれたし、自作で作った人は細かく構造を説明してくれたのでリンドウは随分助かった。それにトッシーが次から次へとコスプレーヤーに声をかけリンドウの所に連れて来てくれた事も幸いした。
「貴女トッシーの彼女?」
「え?」
 トモエの格好をした女性にそう言われリンドウは驚いた様な顔をした。そんな事を聞かれるとは思わなかったのだろう。トッシーもそれを側で聞いていたので顔を真っ赤にしてそんなんじゃとゴニョゴニョ返答する。
「僕とハル殿は…その…友達と言うかなんというか…」
 土方とリンドウなら完璧な仕事の同僚で上司と部下であるが自分とリンドウなら何になるのか解らなかったトッシーは困ったような顔をする。
「…知人にトモエのコスプレ衣装を作ってくれと頼まれまして。それで、職場の上司にアニメに詳しいトッシーさん紹介していただいたんです」
 リンドウの言葉に何一つ嘘はなかったのでトッシーは安心したような顔をするが寂しいものも感じた。会ったのは今日が初めてあるし、お互いに友達と言うには時間も言葉もまだまだ足りないのは自覚していたが改めて言われると随分近いのに遠い存在だと思ったのだ。
「お会いしたのは今日が初めてなんですけど、お友達になれたらと思ってます」
 そうリンドウが付け足したのでトッシーは驚いた様な顔をして彼女を見る。するとリンドウはにっこり笑ってくれたので思わずトッシーは俯いた。
「なーんだ。トッシーってほらルックスはいいじゃない。結構話題になってたのよトッシーが一般人の彼女連れてきたって」
「トッシーさん人気者なんですね。土方さんと同じで」
 リンドウの言葉を聞きながらトッシーは今なら土方の気持ちが痛いほど解る様な気がした。誰に好かれても嫌われても興味はない。彼女が側にいるのが一番嬉しいと。心のどこかでいつも彼女に対して臆病な土方を莫迦にして、笑っていたのかもしれない。けれど結局自分も土方と同じで臆病だと。
「ハル殿」
「はい?」
「…えっと、写真はもう大丈夫?」
「ええ。ありがとうございました。本当に助かりました」
 嬉しそうに微笑んだ彼女を見てトッシーは思わず瞳を細めた。その様子がいつもの土方と良く似ていてリンドウは少し驚いた様な顔をするが、トッシーが少し買い物をしたいと言い出したので頷くととりあえず休憩室へ一緒に向かう事にした。

 自動販売機で買ったお茶をリンドウに渡すとトッシーはソワソワとしながら少し買い物に…と言う。
「それではここで待っていますね」
 その発言はトッシーにとってはありがたかった。流石に彼女を連れて美少女系のジャンルを歩くのはちょっと気が引ける。早速買い物に向かおうとするトッシーにリンドウは少しだけ、といって手招きをしたのでトッシーは彼女の隣に座る。すると彼女はトッシーに顔を寄せて小声で囁いた。
「無駄遣いしないようにしてくださいね」
「え?」
「近藤さんが心配してました。それに私もちょっと心配です」
「ハル殿が?僕の心配?」
 吃驚したようにトッシーが言ったのでリンドウは淡く微笑むとええと言う。その優しい穏やかな表情にトッシーは自分の鼓動が早くなるのを自覚する。
「お友達なら心配しても可笑しくないですよね。それともまだ私とトッシーさんお友達じゃないですか?」
 その言葉にブンブンと首を振るとトッシーは嬉しそうに笑った。先程遠く感じられた彼女が急に近くなったような気がしたのだ。いつもの土方の様に頭ごなしに無駄遣いするなといわれれば反発したくなるが、心配だと言われれば悪い気もしない。
「がんばる」
「はい。頑張ってください」
 素直に頷いたトッシーを見てリンドウは微笑むと彼を見送る。近藤が言ったように子供のようだと思いながら携帯電話を取り出すと山崎から入っているメールに返信をする。急ぎの仕事はないが細々とした連絡が入っていたのだ。
 メールの返信をして、携帯をしまうとリンドウはふぅっと息を吐きだしトッシーのくれたお茶を飲む。流石に人が多くて少し疲れたのだろう。暫くぼんやりしていると不意に着信がありリンドウは驚いた様な顔をしてその電話を取った。近藤からだったのだ。
『ハルちゃん?』
「はい。どうかされましたか?」
『いや。そっちはどうかなぁと思って。トッシー大丈夫?』
 心配して態々電話をしてくれたのが嬉しくて自然とリンドウの顔が笑顔になる。
「一杯トモエの写真取れました。トッシーさんは今お買い物です」
『そーか。御免ね。疲れた?』
「ちょとだけですけど。でも本当に助かりました」
『それでね。ハルちゃん。言い忘れたけどトシはトッシーの事余り覚えてないんだ』
「え?」
 突然の事でリンドウは驚いた様な声を上げる。そもそもリンドウが困っているのを助けたいとトッシーが言った時にてっきり二人の記憶と言うのは共有されているものだと思っていたのだ。
『トッシーはトシの事良く覚えてるけど、トシはあんまり覚えてないみたいなんだよ。だからその、後でトシが言う事ちぐはぐな事あるかもしれないけど…』
「…解りました。態々ありがとうございます」
 トッシーと話したことを土方に振っても土方の反応は鈍いという事だろうと理解したリンドウは改めて近藤に礼を言う。色々と気を使ってくれているのだろうと思ったのだ。
『気をつけて帰ってきてね』
「はい」
 穏やかに微笑んで電話を切ると目の前にトッシーが立っていたのでリンドウは驚いた様な顔をする。こんなに早く帰ってくると思っていなかったのだ。
「電話近藤氏?」
「ええ、良く解りましたね。もうお買い物宜しいんですか?」
 リンドウの言葉にトッシーは頷くと困った様な顔をした。リンドウが嬉しそうに笑っていたので多分近藤だろうと思ったのだ。これは多分土方の知識であろう。
「そろそろ帰ろうかハル殿」
「そうですね。あ、お昼ご飯うちで食べます?ちょっと遅くなりますけど何か作りますよ」
 その提案にトッシーは驚いた様な顔をする。どうしてリンドウと言う人間はこうフラグを無視して提案をしてくるのだろうとパニックを起してまともな返答を探している間に彼女は歩き出す。
「行きましょう」
 優しく笑いかけてくれた彼女の顔を見たらトッシーは何もかもがどうでも良くなった。

 

 食事を終えたトッシーはコタツに入りながら台所で洗い物をするリンドウの背中を眺めた。彼女の作った昼ごはんはありあわせだといっていたけどとても美味しかったし、つい自分の趣味の話に熱の入ったトッシーに対して厭な顔一つせずに話を聞いてくれた。少しだけ土方が彼女の事が好きな理由が解ったような気がした。そして矛盾だらけの行動を取る理由も。
 少しでも彼女の役に立てただろうかと思いながらトッシーはうとうととしだす。コタツの魔力と満腹感からであろう。少しだけと思ってテーブルに突っ伏したトッシーはすとんと意識を手放した。
 洗い物を終えたリンドウが手を拭きながら戻るとそこには寝息を立てているトッシーの姿があって彼女は思わず微笑を零す。中はトッシーとはいえ外見は土方なので無防備に眠っている姿が珍しくもあり微笑ましかったのだ。リンドウは隣の部屋の押入れから毛布を引っ張り出すと彼の肩にかけ、同じ様にコタツに入ってデジカメのデータ整理と、型紙おこしを始める事にした。

 ふと夢現から現実に引き戻された土方は自分が何故コタツで寝ているのかサッパリ思い出せなくて困惑した。そしてここは何処だと。頭を少し上げると目の前でリンドウが鉛筆と定規を持って作業をしているのが視界に入り更に驚く。これは夢の続きかと思ったぐらいである。
 リンドウは土方が起きた事に気が付かないのか黙々と作業を続けていたので土方はまた頭をテーブルに押し付け、バクバク言う心臓を自覚しながら記憶を手繰り寄せるが何一つ思い出せず途方に暮れた。ふと、じっとりと汗をかいた手に手袋をしていることに気が付き漸く土方は一つの結論に至った。
(トッシーか!トッシーなのか!)
 よくよく自分の格好を確認するとトッシーの私服であることは直ぐに解った。何より記憶がすっぽり抜け落ちているのが一番の証拠である。何がどうなってこの状態なのか解らないし、どの面下げて彼女に会えばいいのだと土方は心底絶望したくなった。ここはもうトッシーの振りをしてこの場から逃げるしかないと意を決した土方はがばっと顔を上げる。
 するとリンドウは少し驚いた様な顔をして土方を見たが直ぐに穏やかに微笑む。
「おはようございます、トッシーさん」
「…ああ」
 いざトッシーの真似をしようと思うとどんな口調だったのか良く思い出せないし、どんな反応をしたのかも解らない土方は冷や汗をかきながらこの場から逃げ出す事だけを考える。そもそもトッシーさんと呼んだから彼女は自分の事をトッシーだと思っているのだろう。
 どうしたものかと視線泳がし思わず懐の煙草を探してしまった土方を見てリンドウは微笑むと立ち上がり食器棚においてあるサクラの花びらをの形をした器を土方に差し出す。
「え?」
「灰皿です。煙草は多分制服だと思いますよ土方さん」
 『トッシーさん』ではなく『土方さん』と呼ばれて土方は驚いた様な顔をする。
「…何で俺って解ったんだ」
「…何となくじゃいけませんか?」
 そう言葉を搾り出すのでやっとの土方に淡くリンドウは微笑みかけるとまた立ち上がり隣の部屋へ姿を消した。そして戻ってきた彼女の手に握られているのは土方がいつも吸っている煙草であった。
 それを受け取った土方は煙草を咥え火をつけた。トッシーが煙草を吸わない為、数時間ぶりの煙草となった事もあり一瞬貧血に似た感覚に襲われる。思わず瞳を細めるとリンドウがテーブルを占拠していた型紙を片付けたので土方は申し訳なさそうな顔をする。
「何が…何だかわかんねぇんだが」
 散々悩んだ挙句に土方は正直に話をする事にした。トッシーではないと言う事が彼女に知れてしまった以上取り繕うのも無駄だと思ったのだ。すると彼女はお茶を淹れながら今日はトッシーさんに沢山お世話になりましたという。その言葉を何処まで信じて良いのか土方には判断出来なかったので煙草の煙を吐き出すとそうかとだけ返事をした。
「トモエ5000のコスプレ写真も沢山取れましたので仕事も捗りそうです」
 そういわれ土方は思わず勢い良く煙草の煙を吐き出した。コスプレ写真がどうこうと言う事は彼女をいつもトッシーが遊びに行っている訳の解らないイベントに連れて行ったと言う事だろう。なんて事をしてくれたんだと思わず土方は煙草のフィルターをかみ締める。よりにもよってオタク全開のトッシーを晒しまくったと言う事だけは理解できたのだ。
「そんで…俺は何でアンタの家にいるんだ?」
「ここでトッシーさん制服から着替えられたので。お昼ごはん一緒に食べて、お昼寝されてましたよ」
 煙草をもみ消した土方は思わずリンドウから顔を背けテーブルに突っ伏した。もう全てにおいて色々と終わっていて彼女の顔をまともに見る事が出来なかったのだ。恥ずかしくて死にそうだという言うのはこのような事を言うのだろうと心の中で思いながら土方は言葉を捜した。謝罪すべきか、礼を言うべきか全く持って判断できなかったのだ。
「…あのよ…」
「はい?」
「その…アンタ折角休みだったのに俺に…つーかトッシーにつき合わせて悪かった」
「いえ。此方こそ助かりました」
 そこまで言って土方は漸く彼女に顔を向ける。彼女は呆れた様子もなくいつもの様に穏やかに微笑んでいたので安心したがふとした疑問が脳裏によぎりそれを土方は口にした。
「アンタ…トッシーの事しってたっけ?」
「今日近藤さんと沖田さんからお聞きしました。お会いしたのは今日が初めてです」
「そーかよ」
 多分近藤辺りが巧く説明してくれたのだろうと思うと感謝したい気分になった。明確に彼女がトッシーと自分を区別しているので自分がヘタレオタクであるという誤解を生むことはなかったようだ。それが一番最悪だと考えていたのだ。
「…着替えていいか。この格好落ち着かねぇんだけど」
「どうぞ。隣の部屋に制服つってありますので」
 とりあえずこの変な格好をいつまでも見られているのに居心地が悪くなった土方は隣の部屋に移動するとトッシーの私服を脱ぎ捨て制服に袖を通す。制服の側に紙袋がある所を見ると恐らくこれに私服を詰めてきたのだろう。適当に服を折り畳んでそれにガサガサと詰めると思わず溜息をついた。余りにも散々だと思ったのだろう。
 ふと、漸く少し冷静さを取り戻し部屋を見渡すとそこに見覚えのあるモノを見つけ思わずそれを手に取る。クリスマスに近藤と自分が贈った櫛と手鏡が化粧台の上に並んで置いてあったのだ。埃一つ積もっていない所を使っているか大事にされているのだろう。思わず土方は口元を緩めた。
 そしてその隣に並んでおいてあった奇妙なモノに視線を止める。奇妙…というのには大袈裟でサクラの飾りのついた何の変哲もない簪であるが、それは歪にゆがんでいたのだ。恐らく一度曲がったモノを無理矢理戻したのだろう。飾りに傷もないしある程度真っ直ぐなので使うのには問題はないかもしれないが小銭を払えばこの程度の簪など幾らでも手に入るだろう。
 その簪を手に取ると土方は瞳を細めた。何かが記憶の片隅で揺らいだのだ。
「…何処で見たんだ?」
 これと似たモノをどこかで見たような気がして土方は記憶を掘り起こすが巧く見つけることは出来なかった。その記憶は最近のものではなく大分昔の様な気もするし、多分鮮明に残らないようなごく瑣末な記憶だったような気がする。多分その記憶と彼女とが巧く結びつかないのだろう。だから思い出せないのだと思った土方は溜息をついた。もしかしたらどこかの店で同じ物を見ただけかもしれないと思い出すのを諦めたのだ。
「…可笑しいですよね。いい加減捨てればと思うんですけど、どうしても手放せないんです」
 後ろから声をかけられ土方が驚いて振り向くとそこにはリンドウが淡く微笑んで立っていたのでバツの悪そうな顔をする。勝手に私物をいじった事に気がついたのだ。
「悪ぃ。勝手に触って」
「構いませんよ」
 リンドウはそう言うと土方の側に立ちその手から簪を受け取った。すると彼女はそれを眺めて瞳を細めると歪んだ部分を指でなぞる。多分何か思い出のある品なのだろう。余りにも彼女の表情が寂しそうで悲しそうだったので土方は思わず己の手をぎゅっと握った。そうしなければ彼女を抱きしめてしまいそうだったのだ。
「…思い出の簪なんです。もう…忘れられてるとは思うんですけどね…多分」
「すまねぇ」
 そんなに大切なものだと思わなかったので土方が詫びるとリンドウは少し驚いた様な顔をしたが直ぐに淡く微笑んだ。
「そんな顔なさらないで下さい。本当に良いんですから」
 そう言うと彼女はもとあった場所に簪を戻す。
「その…どっかで見たような気がしてつい…」
 言い訳がましいと思いながらそう口に出すとリンドウは瞳を細めて笑った。その顔は先程までと打って変わって穏やかだったので土方は安心したがそれでも自分の中で何かひっかるものを感じていた。
「お茶。入れなおしましたよ土方さん」
「ああ。それ飲んだら帰るわ」
 リンドウから話を切ってきたので土方はそれを受け入れる事にした。これ以上簪について触れることが躊躇われたのだ。
 彼女の後について部屋を出ながら土方は再度化粧台に置かれた簪に視線をちらりと送ると考える事を放棄した。今はとりあえず彼女の家から無事に屯所まで帰る事が第一だと思ったのだ。
 コタツで土方を待つリンドウに思わず微笑を零すと彼女に招かれるまま土方はコタツに入る事にした。


トッシーの口調何度調べても安定しなくて涙目になりました。
思ったより長くなりましたよorz
200903 ハスマキ

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