*禍福は糾える縄の如し*

 屯所の給湯室に備え付けられた冷蔵庫を朝一に開けた土方は思わず舌打ちをした。マヨネーズが残り1本しかない。朝食に使ってしまったら終了だと考えた土方は山崎に昼食までに買いに行かせようと辺りを見回すとそこにはリンドウが立っていたので驚いた様な顔をする。仕事は九時からなので通いの隊士は基本的にそれに間に合わせて出勤する事が多いのだ。
「早いな」
「はい。今日は用事があったので」
 微笑んだリンドウがどうかなさいましたか?と土方に聞いたので不機嫌そうにマヨネーズが切れそうだと返答した。するとリンドウは表情を明るくして手に持っていたビンを土方に差し出す。
「丁度良かった。これどうぞ」
「?」
 とりあえず受け取ったビンを眺めた土方に彼女はマヨネーズですと言うと微笑んだ。土方が蓋を開けて中身を確認するとそれは確かにマヨネーズで、とりあえず昼食はコレで乗り切れそうだが矢張り夕食分には足りないと思われた。給湯室に設置されている油性ペンでビンに自分の名前を書くと土方はとりあえず昼飯までは乗り切れると言いそれを冷蔵庫にしまい、使いかけのマヨネーズを手に取り食堂へ向かった。
「アンタ朝飯は?」
「私は食べてきましたので」
「そーか」

 リンドウを置いて食堂へ向かった土方が見たのはテーブルに置かれているマフィンの山だった。そこに隊士達が集まっていたので土方もその輪に加わる。
「何してんだ」
「あ、副長。コレどうぞ」
 土方に返答したのは監察の女性隊士で、彼女の手には一個ずつラッピングされ可愛らしいリボンが付けられたマフィンが乗せられている。それを一応受け取った土方が怪訝そうな顔をしたのでその女性隊士は困ったように微笑んだ。
「今日はバレンタインなので監察から皆さんにと思って昨日一同で作ったんです」
「…あー、今日だったのか」
「はい。副長は沢山他所から貰うでしょうけどね」
 からかう様に女性隊士が言ったので土方は肩を竦めて見せると、とりあえず貰っとくと言い朝食を取りに行くことにした。他の隊士の様子を見ると、大量生産したものとはいえ直接女性隊士から貰えるのが嬉しいのかだらしのない笑顔で受け取っている。今まで真選組に女性がいなかった事もあってこんなに賑やかなバレンタインは初めてであろう。
 そんな中、山崎の姿を見つけた土方はマヨネーズの買出しを頼む為に声をかけようとするがその隣に立つリンドウの姿を見つけて言葉を飲み込んだ。リンドウが山崎に何か包みを渡していたのだ。人の多い所で渡しているのだから別に声をかけても良かったのかもしれないが土方は結局言葉を飲み込んだまま食事を続けた。

 

「トシ、今日は総悟とお前は外回り免除な」
「悪ぃな」
 局長室で煙草を吸いながら土方は近藤の言葉に申し訳なさそうな顔をする。毎年の事であるが評判どん底の真選組ではあるが沖田や土方というルックス的に見栄えの良い隊士にはプレゼントを渡そうと人が殺到するのだ。
「モテモテでうらやましいなぁ」
「よく知らねー女のプレゼントなんざぁ怖えーよ」
 羨ましそうな顔をする近藤に土方は呆れた様に言う。実際問題として市販のものならまだしも手作りなど何が入っているか解らないので正直怖いと土方は思っている。毎年断っているのに持ってくる人間の気も知れない。その労力を他所に回した方がよっぽど建設的だと真剣にこの時期には思う。
「ちーっす。近藤さん。ちょっとコレ見せてくれませんか」
 障子を開けて入ってきたのは沖田であった。その沖田の手に握られている包みを見て土方はぎょっとしたような顔をする。リンドウが山崎に渡していた包みと同じものだったのだ。
「あ、ハルちゃんのクッキー?どうして?」
「形見たいんでさぁ。山崎が四角で俺が星だったんで、近藤さんは何かなと思いやして」
 そういい近藤の隣にちょこんと座った沖田はがさがさと茶菓子を入れている箱を開ける。そこには同じ包みが置いてありまだ封は空いていないようだった。
「あけて良いですか?」
「かまわんよ」
 書類に判を押しながら近藤が返事をしたので沖田は早速リボンを解く。が、露骨にがっかりしたような顔をする。
「丸ですねぇ」
「丸じゃ駄目?」
 余りにも沖田ががっかりしたような顔をするので近藤は驚いた様に返事をした。別に丸でも三角でも良いと思っているのだろう。すると沖田は、リンドウがハートの型を持っていたから誰にハートが行ったのか気になったと言う。
「それじゃぁ、トシじゃないか?ハルちゃんが個別に渡すとしたら」
「土方の野郎かよ…つべこべ言わずそれ俺と交換してくだせぇ」
 チッと舌打ちした沖田は手を土方の方に差し出す。ハートが土方に当たったのが余程気に入らなかったのだろう取り上げる気満々である。
「…俺は貰ってねぇよ」
 不機嫌そうに煙草の煙を吐きながら土方が返答すると近藤はぽかんとする。それは沖田も同様で言葉を失い土方の顔を凝視している。
「嘘はいけねぇや土方さん」
「そんなしょーもねぇ嘘つかねぇよ」
「え?まだハルちゃんに会ってない?」
「さっき給湯室で会った」
「…」
 気まずい沈黙が流れる。まさか近藤も沖田も土方が受け取っていないとは思わなかったのだろう。そして土方もまた局長である近藤や相棒の山崎ならともかく自分をすっ飛ばして沖田にプレゼントが行っているとは思わなかったのだろう。
「何か嫌われる事でもしたんじゃないんですかぃ土方さん」
 半眼になって沖田が言うので土方は吃驚したような顔をして思わず思い返す。しかし思い当たる事はない。寧ろ朝給湯室で会った時はリンドウはいつも通り自分に接してくれいたように思う。
「…思いあたらねぇな…」
「ハルちゃん渡すの忘れてるだけかもよ?」
 慌てて近藤がフォローする様に言うので土方は困った様な顔をして別にもらえなくても構わねぇって、と呟く。しかし心中は穏やかではなかったのは事実である。本当に何か嫌われるような事をしたのかと延々と考え続けていたのだ。
「まぁ、アレでさぁ。土方さんは他の女から貰えるからリンドウからの1個ぐらいどって事ないんでさぁ近藤さん」
「えぇ?おかしいなぁ。ハルちゃんだったらトシに準備してないはずないのに」
 形勢逆転した沖田が得意気に言うが近藤は不思議そうな顔をする。今までこの手の行事では大概山崎を含めたこの面子に不公平があった事はない。それが逆に土方にはプレッシャーになった。だからと言って本人に聞くのは躊躇われる。
「あ、そういやぁリンドウに菓子のリクエスト聞かれた時に『土方さんはバレンタインには手作りの菓子は受けとらねぇ』って言ったようなきがしまさぁ」
「総悟テメェ!」
「…欲しいんですかぃ土方さん」
 ニヤニヤと笑う沖田をにらみつけた土方だが、その返し刃に怯む。つい数分前に貰えなくても良いとは言ったものの、沖田の所為だと解ると無性に腹が立ったのだろう。
「オイオイ。でも今までもハルちゃんの手作りなんて幾らでもトシ食べてただろうに」
 近藤が呆れた様に言うが、土方は不機嫌そうな顔をすると仕事に戻ると言って局長室を出た。これ以上沖田にからかわれるのも不快であったし、近藤の気遣いも辛かったのだ。確かに手作りの物は怖いと思うが、リンドウに対しては当然そんな事を一度も思った事はない。しかしながら今更どの面下げて言えば良いのか、寧ろここは今年は潔く諦めるべきなのかと鬱々としながら屯所内を歩く。
 ふと、立ち止まった土方は100%義理だと解っていても欲しいものなのかとぼんやりと考え出した。今年に限って言うなれば近藤も沖田も山崎も同じ物を渡されていた様だが、リンドウが誰に対して一番渡したかったのかは明白である。
「…どーでもいいや」
「何がですか?」
 ぼそりと呟いた土方の背後から声がかかり驚いて振り返るとそこにはリンドウが書類を抱えて立っていたので思わず目を逸らす。タイミングが悪すぎた上に心の準備が何も出来てなかった土方は不機嫌そうに何でもねぇと短く返答する。
「これ。山崎さんからです」
 土方の言葉を額面通り受け取ったリンドウは手に持っていた書類を土方に渡す。先日の調査の報告書である事は直ぐに解ったのでそれを受け取り土方はペラペラと捲る。
「後で読んどく」
「はい。お願いします」
 お辞儀をしてその場を去るリンドウの後姿を眺めながら土方は瞳を細めた。どうしても器用に出来ない自分が苛立たしかったのだ。沖田の様に甘える事も、近藤の様に可愛がる事も、山崎の様に友人として付き合うことも巧くできない。どうしたら良いのか解らず淡々と接するしか出来なくて自己嫌悪に陥る。煙草のフィルターをかみ締め土方は暫くその場に佇んでいた。

 

「リンドウさん。お昼休憩取って」
「まだ早いですよ」
 監察室で作業をしていた山崎は丁度書類を纏め終わったリンドウに声をかける。
「うーん。俺昼から外での仕事だからさ。キリが良い所で終わりたいんだ。御免ね」
「あ、解りました。私はご一緒しなくて良いんですか?」
 基本的に二人一組で動いている監察であるが、リンドウと山崎の場合は一緒に動く時と、片方がディスクワークにつく場合とがある。ディスクワークに関して言うなれば専らリンドウが積極的に片付けるので山崎として有難い事だ。今日もその恩恵にあやかろうとしてか、留守番宜しくと言い荷物を纏めだす。
「多分副長から書類返ってくると思うからそれを纏めてくれたら後は適当にしてていいよ。急ぎは何もないし」
 大雑把な指示に他の面子なら面食らうであろうが、リンドウははい、と返事をする。コンビを組んで大分立つので山崎は放っておいてもリンドウはある程度仕事をこなすと知っているし、リンドウも山崎が優先する仕事が何なのかは把握していた。チーム別に基本的に横の繋がりを持たない監察の唯一のハブを果たしているのは山崎であり、山崎だけが監察の仕事の全てを把握していると言う形に今までなっていたので土方は彼を重用していたのだ。しかしリンドウという相棒が出来たので今まで山崎に集中していた仕事が大分軽減され、今では積極的に他のチームのサポート的な事も山崎はこなしていた。一人で出かけるという事は今日は恐らく他の監察の手伝いなのだろう。
「いってらっしゃい」
 リンドウは山崎を見送ると書類を片付けて背伸びをした。屯所の食堂は基本的に朝と晩しかおさんどんが来ないので昼は外食、もしくは出前となっている。昼間は外回りが多い真選組としてはそれで余り不便はないようである。リンドウもいつもなら弁当を持参したり、他の隊士と食事に出かけるところであったのだが、時間が早い為に今日は一人で食事をとる事にした。

 がらりと屯所の玄関を開けたリンドウはその光景に仰天した。一斉に屯所に前にいた女達がリンドウの方を向いたのだ。
「え?」
 思わず声を失うリンドウに彼女達は一斉に声を放つ。
「土方様は?いるんでしょ?呼んで来てくれる?」
 要約するとこんな感じの言葉を一斉に言われリンドウは困った様な表情をした。こんな事は初めてであったし、そもそも土方が彼女達を無視しているという事は会いたくないという事だろう。
「申し訳ありません。私には解りかねます」
 と曖昧に言葉を濁してとりあえずその場を離れようとするが彼女達は許してくれずリンドウは途方に暮れるしかなかった。

 たまたま廊下を歩いていた土方は急に玄関の方が賑やかになったのに気がつき足を止めた。大方ドン臭い隊士が女達に捕まったのだろうと呆れたような顔をする。毎年毎年屯所にまで押しかけてくる女達がいて毎年毎年無視をする、もしくは追っ払っているのだ。一度たりともプレゼントを受け取った事のない土方に懲りもせず押しかけてくる彼女達のパワーというのは侮れない。面倒ごとを嫌ってその場を離れようとした土方であったが、外で聞こえる声に驚いてがらりと玄関を開けた。
「副長」
「…アンタかよ」
 そんな二人の短い会話さえかき消されそうな黄色い悲鳴が響き渡り、土方は露骨に顔を顰める。顔を見せれば癇に障る声を出されて不快度数が上がったのだろう。面倒そうに一言帰れとだけ言ってリンドウを中に引き入れようとするが、土方を逃がさないようにと女達が殺到した。
「!」
 その拍子に押し出されたリンドウはぽてんと輪の外にはじき出され尻餅をつく。唖然としたリンドウの顔を見て土方は眉間に皺を寄せると煩ぇ!帰れ!と再度声を上げ今度こそリンドウの腕を掴んで屯所の中に引っ込んだ。
「…アンタ正面玄関から出るなって山崎辺りから注意受けなかったのかよ」
「いえ…あの、お手数かけて申し訳ありませんでした。助かりました」
 溜息をつく土方に漸く転んだ時についた埃を払ったリンドウが詫びる。恐らく山崎などはこの惨事が当たり前すぎて注意をしなかったのだろうと考えた土方は暫く黙っていたがぼそりと呟く。
「いや、悪ぃ。元々俺の所為だ」
「凄い人気なんですね副長」
 締めた扉の向こうにはまだ人の気配がするところを見ると怒鳴られたのにも関わらずまだ頑張るようだ。
「うざってーだけだよ。アンタ昼飯?」
「はい」
 そういい、リンドウが外に出るのを諦めたのか靴を脱いで屯所に上がろうとした時に彼女が顔を顰めたので土方は不機嫌そうな顔をする。
「…足か?」
「大したことないです」
 にこやかな笑顔を作ったリンドウを見て土方は舌打ちする。恐らく先程転んだ時に足を捻ったのだろう事は安易に予想できたし、もしかしたら屯所に引っ張り込んだ時にも無理をして歩いていたのかも知れないと思った土方は小さく溜息を吐く。
「あの。大丈夫です。歩けないほどじゃないですから」
 念を押すようにリンドウが言うので土方は僅かに思案して口を開いた。
「ちょっと我慢しろ」
 リンドウが返事をする前に土方は彼女のひょいと体を抱き上げると監察部屋に直行した。突然の事にリンドウは言葉を発する事が出来なかったが、暴れる事はせずに土方が歩きやすいように体を寄せ、申し訳なさそうに彼に詫びた。それに土方の返答がなかったので彼女はますます萎れる。呆れられたと思ったのだろう。
 監察部屋に着くまで終始無言だった土方は彼女の表情を見て思わず心の中で舌打ちする。かける言葉を巧く見つけられない自分に苛立ったのだ。怪我をさせるつもりもなかったし、萎れさせるつもりもなかった。
「止まりやがれ土方」
 監察部屋の前で突如後ろから声をかけられ土方はぴたりと足を止めた。ぴたっと刀の切っ先を向けられ事に不快そうに顔を歪めると土方は声の主に言葉を放った。
「何のつもりだ総悟」
「そりゃこっちの台詞ですぜぃ。リンドウ何処に連れ込もうってんですかぃ」
 沖田が刀を向けたまま返答したのでリンドウは慌てて事情を説明する。それを聞いた沖田は肩を竦めると刀を一応納めたが不愉快そうに瞳を細めて土方を睨む。リンドウを怪我させたのが気に入らないのか、彼女を抱えているのが気に入らないのか両方か。そんな事を考えながら土方は当初の予定通り室内へ向かおうとするが、沖田がリンドウに声をかけたので足を又とめる。
「リンドウ。何かあれば大声出すんですぜぃ」
「え?」
「…何にもねぇよ。ふざけんなエロ餓鬼」
 リンドウの頭を撫で沖田が放った言葉に土方は不機嫌そうに顔を顰めた。人の多い屯所で何があるというのだと言いたげな土方である。寧ろ屯所でなくてもありえないのは沖田も土方も解りきっている事であろうが、あえて沖田は土方の神経を逆撫でする発言をしたのであろう。
 ひらひらと手を振りながら歩いて行く沖田を睨みつけた土方は小さく溜息をつくと漸く当初の目的を果たした。

 

 リンドウを床に降ろした土方は煙草に火を付けるとそれを咥えたまま救急箱を探す。それを察したのかリンドウが立ち上がろうとするがそれを制して場所は?と短く聞いた。
「左手の戸棚の中です」
「ああ、これか」
 監察用と書かれた箱の中には応急手当用の薬品が揃っており、それをリンドウに渡すとちゃんと手当てしとけと不機嫌そうに土方は言う。
「はい。有難うございます」
「…弁当注文するけどアンタ何食いたい?ついでに注文しておいてやる」
 元々外に出るつもりがなかった土方は弁当の注文を考えていたのだ。真選組がいつも頼んでいる弁当屋に頼むのであろうと思ったリンドウはその弁当屋のメニューを頭に浮かべ、じゃぁ、そぼろ弁当でお願いしますという。
「そんじゃ後で届けてやるから歩き回るなよ」
「はい」
 困った様な情けないような顔をしたリンドウに土方は瞳を細めると煙草の煙を吐き出した。動けない事が昼からの仕事に触るのだろうかと心配したのだ。少し思案して土方は口を開いた。
「昼から…どっか出かける用事があったのか?」
「いえ…仕事が終わったら道場前の草引きしようと思ってたんですけど」
「止めとけ。つーか、春までかまわねーだろう草引き」
 掃除をする予定を立てていたという事は大して仕事も詰まってないのだろうと安心したが、土方は呆れたような顔をする。恐ろしくマメに掃除をしているからだ。今までの真選組なら少なくとも冬場に草引きをしようなどという酔狂な人間は存在しなかった。暖かくなるまで放置して、散々伸びた後に悲鳴を上げながら処理というのが多かったのだ。
「今日は大人しくしとけ」
「はい」
 素直に返事をするとリンドウは捻った右足に視線を落とす。大分腫れているようだが骨には異常がなさそうなのを確認すると捻挫用の薬を箱から取り出した。それを眺めていた土方は思わず顔を顰める。思った以上に彼女の足が腫れていたのだ。色が白い分腫れ上がった部分が痛々しい。
「…酷いようだったら医者に行け」
「大丈夫ですよ」
 土方の言葉が大袈裟だと思ったのかリンドウは少しだけ笑ったが土方は彼女の大丈夫ほど信用していないものはなかった。仕事に関してはともかく、彼女自身に関しては年末の怪我しかり上辺の言葉を信用すると後で吃驚するような事になっていたりするのだ。
 しかし余りしつこく言うのも彼女を困らせるだけだと思った土方は煙草をもみ消すと監察室から出る事にした。

 弁当の注文を終えた土方は配達が来るまで自分の執務室で仕事を処理する事にした。朝リンドウから受け取った書類に目を通して次の指示を与えなければならなかったのだ。
 恐らくこの処理を終えたら彼女は掃除をするつもりだったのだろうと思うと気が重くなる。足の怪我は長引きやすいし、監察という仕事上歩くなとも言い難いのだ。精々無理をするなとしか言えない。そこまで考えて土方は思わず溜息を吐いた。
 今更あのまま担いで病院に連れて行けば良かったと思ったのだ。しかし直ぐにあの状態で外を歩くのは余りにも見栄え的にありえないと思い直した。寧ろ普段なら絶対にやらないであろう。アレはリンドウが怪我をしていたから不可抗力だと自分に言い聞かせておきながら、そんなつまらない言い訳を気持ちの整理の為にしなければならない事に絶望的な気分になった。ただ、腕の中でリンドウが大人しくしていた事や、短い会話であったが彼女の様子を見ていると嫌われているという事は恐らくないだろうとぼんやりと考える。矢張り沖田の余計な一言の所為で恐らく自分が今回のイベントの対象外になったとしか思えないのだ。
「…でも好かれる様な事もしてねぇわな」
 思わず口に出して苦笑する。
 不意に携帯が鳴り出したので土方はそれを取ると煙草に火をつけた。屯所の側まで弁当屋が来たのだ。正面玄関はつかえないので食堂業者の使ってる裏口から入るように言うと土方は立ち上がり食堂へ向かう事にした。

 昼間の食堂は意外と人が少なく静かである。事務処理で屯所に詰めている者も気分転換の為に昼食は外で取る事が多いのだ。
 弁当屋から商品を引き取ると土方は料金を払い監察室に向かおうと歩き出したが直ぐに引き返し、食堂の隣の給湯室に足を運ぶ。弁当にかけるマヨネーズを取りに来たのだ。ストックのマヨネーズは朝に使い切ってしまったので朝方リンドウが持ってきた瓶詰めの珍しいマヨネーズを冷蔵庫から取り出す。何とかこれで明日まで持たせなければならないと思うと心もとないが無いよりはましである。
 がらりと監察室の障子を開けるとリンドウが部屋の隅で膝を抱えていたので土方はぎょっとする。てっきり弁当が届くまで仕事でもしているのかと思ったのだ。
「何してんだ」
「…ちょっと自分のどん臭さにへこんでました。よくよく考えてみたら監察の癖にトロ過ぎるような気がしてきまして」
 例えばここで近藤なら彼女の頭を撫でて慰めたであろうし、沖田だったら笑い飛ばしたであろう。土方は散々迷った挙句…彼女に詫びた。
「すまねぇ」
 その言葉にリンドウは驚いた様な顔をして土方を見上げる。余りにも土方が悲しそうな色を瞳に浮かべていたので慌ててリンドウは立ち上がり大丈夫です!と笑った。
「アンタの大丈夫は信用できねーんだよ」
 少しだけ土方は微笑を浮かべたのでリンドウはほっとした様な表情を浮かべた。反省をしていただけで土方を煩わすつもりは無かったのだ。
「それじゃぁお茶淹れますので座ってて下さい」
 リンドウの言葉に土方は驚いた様な顔を一瞬したが素直に座布団を引き寄せ座る事にした。まさか一緒に弁当を食べるつもりだったとは思わなかったのだ。ただ、断る理由が無かったので彼女がお茶を入れるのを待つことにした。
 お茶を渡された土方は注文していたカツ丼にマヨネーズをどばっとかける。俗に言う『土方スペシャル』である。概ね不評であるがリンドウはこれを見ても厭な顔一つせずに自分の弁当の蓋を開ける。彼女のこの辺に対しての神経の太さは沖田も絶賛している。普通の神経の持ち主ならば一緒に食事など到底無理だというのが沖田の持論なのだ。
 一口、マヨネーズを口にした土方は少し黙り込んでボソッと言葉を零す。
「コレ何処のメーカーだ?」
「美味しくないですか?」
「いや、美味ぇ。カツ丼にすげーあう」
 その言葉を聞いてリンドウはホッとした様な顔をして良かった、と笑った。
「初めてマヨネーズを作ったんで心配だったんですよ」
「は?」
「副長の好みの味に仕上がって良かったです」
「ちょっとまて。これアンタの手作り?」
 土方の言葉にリンドウは箸を止めて首を傾げるとそうですよ、と不思議そうに言った。
「沖田隊長に副長はバレンタインに手作りの菓子類は受け取らないと聞いたので」
 彼女の言葉に土方は愕然とする。矢張り沖田が原因であった訳だが、何でバレンタインにマヨネーズなんだよと思わず心の中で突っ込む。一番解りやすい好物ではあるがそこに至って作ってしまう彼女の思考回路は偉大だと思った。
「…アンタの手作り菓子は今までずっと食ってたつもりなんだけど」
「あ、クッキーでも良かったんですか?何かバレンタインの手作り菓子に厭な思い出でもあったらと思って…」
 土方の言葉に心底驚いた様な顔をしたリンドウを見て思わず土方は笑い出す。
「マヨネーズ持ってくる女は初めてだよ」
 笑われたのが恥ずかしいのかリンドウが顔を赤くして申し訳ありませんと詫びたので土方は瞳を細めるといや笑って悪かったと逆に謝罪した。彼女なりに一生懸命考えた結果であるのは解るし、気を使ってくれたのだ。
「…気ぃ使わして悪かった。ありがとよ」
「喜んでもらえて嬉しいです」
 柔らかく微笑んだリンドウを眺めて土方は困ったように微笑んだ。本当は自分なんかの為に時間を裂かずに一番渡したい人に特別に作れば良いのにと思ったのだ。いつも彼女は損をしている様な気がして申し訳ない気持ちになった。
「どーせだったら本命に手間かけろよ」
「…ちょっとだけ。かけたんです」
 その言葉に土方は首をかしげた。今朝方見た近藤のクッキーは何の変哲も無いものだったと思う。沖田もがっかりな普通具合だったのだ。
 何に手間をかけたのか土方が聞こうとするとバタバタと騒がしく廊下を走る音がして思わずそちらに視線を向ける。すると障子を勢い良くあけて近藤が飛び込んできたので土方は驚いた様な顔をする。まさか話題の本人が飛び込んでくるとは思わなかったのだ。
「ハルちゃん!あのクッキーだけどさ…」
 何か言いかけて近藤が口を噤んだので土方は苦笑する。恐らくクッキーを渡されなかった自分に気を使ったのだろうと思った土方は近藤さん、と声をかける事にした。
「この手作りマヨネーズが俺へのプレゼントなんだと」
「え?あ、そうなんだ。ちゃんとトシの分もあったんだな」
「そーゆーこと。朝一で受け取ってたわ」
 瞳を細めて土方が笑ったので近藤は安心したような顔をしてすとんと土方の隣に座る。ずっと気にしていたのだろう。それを見ていたリンドウは近藤の分のお茶を淹れると何がご用でした?と湯飲みを手渡し近藤に聞く。すると近藤は表情を明るくして持ってきたクッキーの包みを開けて一つ摘み上げる。
「これこれ。一個だけハート型だったんだけど当たりだよね。よくお菓子とかで形が違うの入ってると幸せになれるってやつ」
「はい。当たりです。一個だけ作ったんです」
 子供の様に喜ぶ近藤にリンドウは淡く微笑むとそう言った。
「総悟にも山崎にも入ってないんだ。なんか良い事ありそうだな」
「そりゃ良かったな近藤さん」
「あ、トシもクッキー食べる?ハートは駄目だけど」
「…そりゃ残念だ」
 土方はからかう様に笑うと一つ丸いクッキーを摘んだ。甘さが控えめで非常に良く出来ている。
「来年は俺も皆と一緒でかまわねぇよ。面倒だろマヨネーズ作んの」
 土方の言葉にリンドウは穏やかに微笑むと作り方覚えましたから大丈夫ですよと瞳を細めた。

 

 上機嫌のまま部屋を出て行った近藤を見送ると土方は煙草に火をつけて煙を勢いよく吐き出す。
「大喜びだったな近藤さん」
「そうですね」
「控えめ過ぎんだよアンタ」
「…あれでも頑張ったんです」
 小声でそういったリンドウを眺めて土方はそーかと短く返答すると柔らかく笑う。頑張って頑張ってアレだといつまでも到達しそうにないと思ったのだ。到達しなければ今のままで居れるとも。諦めたいのか諦めたくないのか今は良く解らないとぼんやり考えるながら土方は煙草をもみ消した。


バレンタイン。
せめてマヨネーズの瓶にリボンでもかければ気がついたのだろうか土方。
200902 ハスマキ

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