*踵で頭痛を病む・前編*
──どうして泣いてるんですか?折角のオトコマエが台無しですよ。
冷たい手で男の頬に触れた女はそう言うと淡く微笑んだ。
女の体から流れた鮮血の赤が白い雪を染め上げる。
──泣かないで下さい。お願いします。
男は女の望みを叶える事は出来なかった。零れる涙は止まらない。
周りで誰かが叫ぶ声もよく聞こえない。
──クリスマスは皆で祝いましょうね。約束ですよ。
そう言うと女はゆっくりと意識を手放した。
***
副長室でしかめっ面をした土方は山崎の持ってきた書類を眺め煙草に火をつけた。先日から山崎の部下が調査していた攘夷志士グループの報告書である。
過激派の高杉と保守派の桂が頭一つ分出ているが攘夷志士というのはその二派だけではなく細かいグループも存在している。中には攘夷戦争終結後に職にありつけなかった浮浪武士等が名前だけ攘夷を名乗りチンピラまがいの事をしているグループもあるのだが、大真面目にテロ活動を行ってるグループをこの年末にある程度片付ける為に監察は幾重にも網を張っていたのだ。
その中で此処数ヶ月金の動きが大きいと思われるグループに的を絞り山崎は土方に報告を上げた。
「金もそうだが武器がかなり動いてるな」
「そうですね。爆弾とか大砲とか物騒なのもかなり。一応拠点と思われる所には調査入れてますけど、どうします?年末までに挙げるなら急がせますが」
「急がせろ。とりあえず武器の保管場所と幹部クラスの拠点が解ったら踏み込む。三拠点程度まで絞り込めたら報告上げろ」
「了解しました」
山崎は短く返答をすると携帯電話を取り出しその場で部下に指示を出す。普段はい加減で緩いと思われがちな山崎であるが基本的に監察としての仕事は優秀である。それは真選組内で認められている事で信頼は厚いが、それ以外がマイペース過ぎる為に土方は腹を立てて暴力に訴える事が多い。
「クリスマス辺りに大掛かりな活動をするんじゃないかって話もあるんですよ。今裏取らせてますけど」
電話を切った山崎がそう言うと土方は尚更急がせろと短く言い不機嫌そうに煙草の火をもみ消した。クリスマスだと浮かれる趣味は土方にはないが、世間が浮かれてる中テロ活動をされるとそれを取り締まる役割を負っている真選組が叩かれる。ただでさえ評判が悪いのにこれ以上落とす訳にも行かない。
「クリスマス前に片付くと良いですね。本当厭になりますねー。年に1回なのに」
溜息を吐く山崎に土方が驚いた様な顔をする。
「何だよ。予定でも入れてんのかよ」
「いえ。仕事以外は全然。でもリンドウさんがプレゼント代わりにケーキ焼いてくれるそうですよ」
寧ろこんな24時間いつでも出動の仕事ならば恋人など居ないほうが気楽だと山崎は思っている。約束をすっぽかして家族や恋人に謝り倒す隊士を見ているととてもではないが耐えられそうにないといつも考えてしまい結局彼女が出来ないまま又年を越すのだ。
「ケーキね…」
リンドウの家事技能は非常に高いので彼女の作るケーキを密かに楽しみにしていた山崎は楽しみですねと能天気な言葉を続ける。時々彼女のお裾分けを貰うがどれもコレも非常に良くできたものであった。
一方土方は興味なさそうな顔をすると、とりあえずケーキが食えるようにさっさと仕事片付けろと山崎に言うと彼を部屋から追い出した。無論山崎も長居するつもりはなかったので自分の仕事に直ぐに戻る事にする。
「ハルちゃん。ケーキ焼いてくれるんだって?」
局長室でお茶を入れていたリンドウに近藤が声をかけると彼女は吃驚したような顔をする。
「誰に聞いたんですか?折角内緒にしてたのに」
「総悟。あ、内緒だったの?」
先程沖田から聞いた近藤は内緒だった事に驚いた様な表情をする。沖田は全くそんな様子なく近藤にケーキの事を話したから。するとリンドウは少し困ったような顔をして微笑むと、別に知れて困る訳ではないんですけどねと言う。
リンドウは近藤に知れても困らない。近藤がクリスマスには大好きなキャバ嬢の所に行くと思っていたリンドウは近藤が気を使ってそれを取りやめにしないか心配であっただけであった。近藤の楽しみを奪ってまでプレゼントをするのも気が引けたのであろう。
「ハルちゃんがケーキ焼いてくれるんだったら皆で鍋とかしようか。酒飲んで、ぱーっと騒いでケーキ食べて」
ニコニコと笑って提案する近藤を見てリンドウはぱぁっと表情を明るくする。
「良いんですか?…あの…他にお約束とかは?」
「ないない。うん。今年はね。トシがみっしり仕事入れちゃってさ。缶詰なんだよね。酷いよね」
「誰が酷いんだよ。アンタが仕事溜めるからだろーが」
障子が開いて土方が入ってきたので近藤は驚いた様な顔をして固まる。まさに噂をすればなんとやらである。土方とて好き好んで近藤を缶詰にしている訳ではない。ストーカーをしている時間の半分でもディスクワークに向けてくれれば土方が尻を叩く必要もないというのに近藤はその辺を余り理解できていないらしい。
「コレも判子。後は前に言ってた内偵急がせた。クリスマス前に片付ける」
近藤の机に書類を載せると土方は座り込み煙草に火をつける。するとリンドウは土方にお茶を入れた。近藤を監視する為か、相談の為かに此処に長居すると判断したのだ。
「そうだなー。クリスマス位ゆっくりしたいしな。あ、トシ、クリスマスは空いてるよな。鍋しよう。鍋。ハルちゃんケーキ焼いてくれるから、総悟や山崎も呼んで。あいつら空いてるかな?」
子供の様にはしゃいで言う近藤を見て土方は呆れた様な顔をしたが、山崎が仕事以外の予定は空いてるといっていたのを思い出してそれだけ伝える事にした。沖田の予定に関しては土方は把握していなかったが昨年まで沖田がクリスマスに誰かと約束というのも聞いたことがなかったので恐らく空いているだろうと思われる。
「つーか、俺の予定空いてるの前提かよ」
「トシがクリスマスに出かけることなんてないじゃん。人が多くてうざったいとか言ってさ。大概仕事してるんだろ」
「まーな」
煙を吐き出しながら土方が返事をするとリンドウが驚いた様な顔をしたので土方は不機嫌そうな表情を作って、何で驚くんだよと言う。
「あ…いえ、申し訳ありません。副長ならクリスマスは引く手数多なんじゃないかと思ってました」
「それがねハルちゃん。トシ片っ端から振っちゃうんだよ。オトコマエだよねー。羨ましいよねー」
机に突っ伏しながら近藤は口を尖らせて言う。男からしてみれば土方は羨ましい存在であるのだ。顔も良いし、クールだと女受けするのだ。ただ極度のマヨラー加減と基本的に冷たいと取れる言動で逃げ出す女性も多い事は多い。
「何処にいてもトシは女の子の視線独り占めなんだよ。俺なんか付け合せのパセリだよ。寧ろパセリ以下の扱いしか受けないんだよ。不公平だよな世の中って」
まだ愚痴を言う近藤に土方は盛大に溜息を吐く。土方に言わせれば世の中不公平だと叫びたいのは自分の方である。良く知りもしない女に付きまとわれるのは本当にうざったいし、惚れた女はパセリ以下扱いだと愚痴を言う目の前の男にベタ惚れなのだ。
「近藤局長はオトコマエだと思いますよ」
「慰めてくれるのハルちゃん。優しいなぁ」
そう言うと近藤は体を起してリンドウの頭を撫でる。慰めているのではなくリンドウ自身は本心でそう言っているのだがその辺は巧く伝わっていないらしい。近藤の返答にリンドウは少し困ったような顔をしたが頭を撫でられ直ぐに嬉しそうな顔をする。大きくて温かい近藤の手が大好きなのだ。
「でも、副長も一緒に鍋できるんだったら嬉しいですね。沖田隊長にも都合聞いてみますね」
心底嬉しそうに微笑むリンドウにああ、と短く返答をすると土方は少しだけ寂しそうに瞳を細めて笑った。
「二箇所に絞りました」
「…で、本命は何処だ?」
クリスマスまで1週間と言う所で山崎が話を持って来たので土方は書類に目を通しながら言葉を放った。思ったより監察が頑張ったらしく、武器保管庫に関してはほぼ100%目処がついた。ただ攘夷志士の集まる場所に関しては転々としているので次の会合が何処で行われるかは二箇所に絞るのが精一杯である感じだ。
「最近一番集まりが多いのは此処ですね」
山崎がトンと指差したのは『伊勢屋』と言う料亭であったが、この料亭自体は夏ごろに出来たばかりで新しい。ただ、その裏で攘夷志士との繋がりがあり、金も動かしている噂もある所である。
「…」
土方が瞳を細め何か思案してるらしいので山崎は少しの間黙っていたが、もう一枚紙を差し出し言葉を放った。
「こっちは夏以降殆ど使われてません。普通に見ればまぁ、伊勢屋に鞍替えしたからとも思えるんですが、細々と出入りは続いてるようです」
「お前はどっちだと思う?」
「…伊勢屋で会合と言う情報は流れてきてます。ただ、向こうから流してるという感じがします」
「フェイクか」
土方の言葉に山崎は返答しなかった。断定は出来ないのだ。ただ、この集中的にテロを取り締まっている時期に会合の情報が簡単に手に入るのは違和感があると山崎は感じていた。
その沈黙の意図を汲んでか土方は山崎が後からだした『美作屋』の紙を掴むと両方に張り付かせるとだけ言って山崎を下がらせた。
煙草に火を付け隊の分担を考える。山崎は恐らく美作屋が本命だと考えただろう。それに関しては土方も同意見であった。武器庫に関しても同時に押さえる事になるので留守番組を含めて真選組を4つに分ける事になる。ただ、伊勢屋も無視する訳には行かないのでそちらには沖田を回し、本命の美作屋には自分と近藤がいく事に決めると、土方は書類を作り出した。ハズレ籤だと沖田は怒るかもしれないが、もしも伊勢屋が当たりだった場合でも、彼がいれば間違いなく相手を抑えることができると判断しての事だ。根性は悪いが腕は立つ。それは土方も認めている事だった。
問題は監察組の配置であった。今は殆ど諜報で人が出払っているが、山崎やリンドウ等数人はフリーである。留守番組とも考えたがそれぞれの部隊につける事にした。純粋な戦力として使えないが情報を持っている彼等が側にいれば助けになるだろうし、その場で偵察させる手もある。土方は山崎を自分の班に、リンドウを沖田の班に書き加えると他のメンバーの割り振りを決め書類を仕上げた。
不服そうに口を尖らせる沖田にリンドウは少し困った様な顔をすると口を開く。
「そんな顔なさらないで下さい」
「土方死ねば良いのに。ハズレだよコレ。絶対ハズレ」
伊勢屋向かう車の中沖田は終始愚痴愚痴と文句を垂れ続けている。沖田の一番隊と原田の十番隊が伊勢屋に当たったのだ。車に同乗した原田は苦笑するが、文句は言わない分人間ができている。
「そういえば沖田隊長はクリスマスのご予定は?」
「アンタの作ったケーキ食べて近藤さん達と鍋。土方はとりあえずその前に土の中に埋めておきますぜぃ」
沖田の返答にリンドウは困ったような顔をするが、直ぐに楽しみですね鍋と微笑む。土方に対する沖田の発言はなかった事にしたらしい。
そんな中原田が先行した部隊からの連絡を受けて沖田に無線を渡した。
「どうやらまるっきりハズレでもなさそうですよ。攘夷志士が集まってる事は集まってるみたいです。敵さんの幹部クラスは望めませんが多少は暴れられるんじゃないですか?」
原田の言葉に沖田は嬉しそうに笑うと無線を受け取り、店を取り囲むように指示を出す。自分が到着したと同時に切り込むつもりなのだろう。
「リンドウは原田さんの十番隊と一緒に外で待機。逃げる奴捕獲してくだせぇ。まぁ、中で全部切り殺しちまうかも知れませんがね」
「勘弁してくださいよ。情報吐かす為に出来るだけ生け捕りって副長に言われてたでしょうが」
呆れた様に原田が言うと沖田は興味なさそうにそうだったかなと言うとリンドウの方を向き少しだけ笑う。
「まぁ、コレが終わってめでたく土方が死んだらクリスマスの準備一緒にする事にしますか」
沖田の言葉にリンドウは微笑むとはいと返事をした。
一方本命と目された美作屋を眺める土方は山崎が戻るのを待っていた。
「こっちが本命かなぁ。トシ」
「多分な。山崎に探らせてるがもうちっと待ってくれや」
近藤の問いかけに返答すると土方は煙草に火をつけた。目立った動きは今のところないが日が暮れてから人の出入りが激しくなっているのは遠目からも解る。
「副長。裏手にも人を配置完了しました」
報告に来た三番隊の斉藤に土方は視線を送ると、山崎が戻るまで待機とだけ命令を下す。一網打尽にしないと意味がない。引き続き偵察をしていた監察と山崎が今頃情報をかき集めて最終的なメンバーや人数を割り出しているのだろう。全員揃った所で入るのが理想だが、最悪幹部クラスを二、三人はしょっ引きたい。
土方が二本目の煙草に火をつけようとした時に山崎が息を切らせて戻ってきたので土方は手を止めると山崎の報告を聞く。すると顔色を変えて沖田達の無線にチャンネルを合わせた。伊勢屋は真選組をおびき出すためのフェイクであろうことか大量の火薬が持ち込まれているらしい。突入したところを攘夷志士もろとも吹き飛ばされる危険があったのだ。
しかしそれは一手間に合わなかった。
大きな爆発音が響き渡ったのだ。
「トシ!伊勢屋の方向!」
近藤の言葉に土方は煙の上がる方向に視線を向けた。すっかり暮れた空に黒煙がたなびいている。土方は舌打すると此方の部隊に伊勢屋に向かうように無線を流そうとするが一瞬考え込んでチャンネルを沖田達の部隊に戻し繋げた。
「総悟。原田いるか!?無事か?」
暫くすると原田からの返答があり土方は安堵した。とりあえず爆発に巻き込まれて全滅という最悪の事態は避けられたらしい。
『副長。十番隊は外でしたのでほぼ無事ですが一番隊が突入した後でしたのでそちらの被害が…』
「総悟はどうした」
『今探させてます。攘夷志士も何人か捕縛しましたが、火が上がってて難航しそうです』
「──とりあえずそっちの部隊はお前が纏めろ。総悟の部隊もだ。攘夷派の連中片付けたら屯所なり病院なりで手当てさせろ」
『はい』
通信を切ると土方は舌打ちをして斉藤を呼ぶ。
「向こうにうちの隊行かせましょうか?」
「いや、いい。ふざけやがって。山崎が言うにはこっちで幹部3名ほどが高見の見物してるらしい。そっちをしょっ引く。山崎。残りの幹部は?」
「今探してます。とりあえずこっちに来る様子はないので此方を片付けるべきかと。他にも多数攘夷志士が此処にいるようなので斉藤さんの部隊は出来れば此方が良いと思います」
山崎の言葉に頷くと斉藤が自分の部隊に指示を出したので土方も他の部隊に指示を出す。
「永倉の部隊は外固めろ。逃がすな。武器庫はどうなった?」
「藤堂さんにつけた監察から押さえた報告がありました。そこで火薬の移動が解ったんです」
山崎の言葉に舌打ちをすると土方はしかめっ面をする。もう少し早く動かしておけば一番隊は爆発に巻き込まれる事はなかっただろう。そして、斉藤の部隊と一緒に突入準備をしている近藤を見て土方は呼び止めた。
「十分気をつけてくれよ近藤さん。自爆とかしやがる連中だからな」
「解ってる」
そう返事した近藤は斉藤の部隊と合流しようとするが直ぐに踵を返して戻ってくる。
「トシ。総悟は無事だ。絶対。だから心配するな。それにお前の所為じゃない」
その言葉に土方は一瞬言葉を失う。判断ミスを責めているのに気がついたのだろう。近藤の言葉に土方は解ってるというと更に指示を出した。今はやるべき事をやるしかない。反省は後だと頭を切り替えた。
「山崎は引き続き他の幹部の場所探せ。俺は外で待機しとくから連絡は直ぐ入れろ」
埋めるのは土方だった筈なのに自分が埋まってる事に気がついた沖田は顔を顰めた。切り合いの途中の爆発で吹っ飛ばされ見事に瓦礫に埋もれていたのだ。爆発の割にはかすり傷程度の負傷だった沖田はとりあえず自分の上に乗った瓦礫を手で少しずつ押しのけた。
「沖田隊長!」
小さいとは言え火が上がっている建物の中で聞くはずのない声を聞いて沖田は驚く。リンドウが爆発で歪んだ扉を蹴破って入ってきたのだ。
「無事ですか?」
「アンタが無事じゃない」
沖田の上に乗った瓦礫を撤去するリンドウの額から血が出ていたのだ。それに気がつき沖田は不快そうに顔を歪める俺はいいから外で手当てしろと言う。
「爆風で瓦礫がかすっただけです。なんか派手に血が出てますけど大した傷じゃないんで」
困ったように笑ったリンドウは汗を拭いながら瓦礫を全部押しのける。そうやって他の隊士も掘り起こしてきたのだろう。立ち上がった沖田は埃を払ってリンドウを見る。確かに額の傷は血も殆ど止まってる様であるが、こんな埃や煤だらけの所にいたら雑菌が入るかもしれない。
「他の連中は?」
「十番隊が外に連れて…」
そうリンドウが言いかけた瞬間彼女の背後から何者かが二人に切りかかった。沖田は咄嗟に刀を抜こうとするが瓦礫と一緒に吹っ飛んでしまったのか手は空を切った。舌打ちした沖田は目の前のリンドウの体を思いっきり突き飛ばす。
「きゃ!」
驚いたリンドウが短い悲鳴を上げて転がった為に攘夷志士の刀は彼女の体を一刀両断とは行かなかったが左腕をざっくりと切りつける。舌打ちした攘夷志士は更に追撃を入れようとするが、リンドウは自分の刀の鞘で咄嗟に受け止め抜き身になった刀を沖田に投げた。
刀を受け取った沖田の動きは早く、攘夷志士がそれに気がついた時にはもう沖田の振り下ろした刀が目前に迫る。
「死んで詫びやがれ」
崩れ落ちた攘夷志士の体を見下ろしそう言い放つと沖田はリンドウに駆け寄った。傷自体は深くはないが出血が酷く、傷口を押さえているリンドウの指の間から赤い色が零れ落ちている。
「コレでとりあえず我慢してくだせぇ」
沖田はハンカチでとりあえずリンドウの傷口を縛る。しかし血が止まる様子はなく直ぐにその布にも赤い色が移るので沖田は顔を顰めリンドウに早く戻って手当てをするように言う。
「とりあえず他の隊士は俺が掘り起こすから心配しないで行ってくだせぇ」
その言葉にリンドウは少し思案したような顔をするが直ぐに頷き立ち上がった。
「それではお願いします沖田隊長」
その言葉に頷くと沖田はリンドウを見送り、瓦礫に埋まったと思われる自分の部下を探す事にした。
沖田に言われたとおり素直に引き返したリンドウは建物の外へ漸く出る。外は攘夷志士の捕縛と仲間の救出にごった返しておりリンドウは傷の手当をしてくれる隊士を探した。
その最中、リンドウは建物の周りに集まりつつある野次馬の中に見覚えのある顔を発見する。手配中の攘夷志士のうえに、今回摘発したグループのメンバーであった。此処に来る前に山崎から貰った資料に写真付きで載っていたので見間違えるはずもない。ただ気になったのは、あの爆発から無事に逃げたという状態という訳でもなく、ただ遠巻きに此方を観察しているように見えたリンドウは、踵を返してその場を離れたその攘夷志士の後を反射的に追いかけた。
捕まえる手もあったのだろうが、リンドウはあいにく刀を沖田に渡してしまっていた上に、刀を持っていたとしてもまともに切りあって勝てる腕はない。監察であるリンドウに出来るのはその攘夷志士が向かう先を確認するだけであった。
ただ、傷の手当もせずに追いかけたのは失敗だったとリンドウは舌打ちをする。走れば走るほど腕から血は溢れてくるし、雪まで降ってきて視界も悪い。ただ雪のお陰で攘夷志士の足跡が確認できるので余程吹雪かない限りは見失う事もないだろう。幸い人通りの少ないルートを走っているので他の足跡に消される心配もない。
必死に追いかけながらリンドウは負傷していない右手で携帯電話を取り出すと土方に連絡を入れた。
1コールで土方が出たのでリンドウは安堵すると走りながら、どこかに報告に行くらしい同グループの攘夷志士を発見したので追いかけていると手短に用件を伝える。
『解った。場所が確定したら連絡しろ』
「はい」
血が流れすぎたお陰でクラクラしてる上に息切れまでしてきたのでリンドウは短く返事をすると電話を切ろうとするが、土方が再度声をかけてきたのでそれは叶わなかった。
『アンタ怪我してんのか?』
いくら走っているからとはいえ様子がおかしい事に気がついた土方が怪訝そうな声で聞いてきたのでリンドウは少しだけ考えて爆発の時に破片で額を切ったが血は止まっていると返事をした。後は雪の中走ってしんどいですとも付け加え、今度こそ電話を切る。これ以上話をしているのが身体的に苦痛だったのだ。
足跡と攘夷志士の後姿を交互に見ながらリンドウは新雪に赤い跡をつけてひた走った。
「どうしたハルちゃん」
美作屋の方もほぼ無事に片付きかけた時に土方がリンドウと電話をしていた様子なので近藤は声をかける。
「どうやら向こうの爆発の様子をどっかに報告に行く同グループの攘夷志士見つけたらしい。追ってるとさ」
そう言うと、土方は永倉を呼び隊を纏めるよう指示を出す。恐らくリンドウが場所を確定させたら急行するつもりなのだろう。斉藤の隊には引き続き後片付けを任せ、土方は近藤と一緒に車に乗り込んだ。
「総悟無事だって?」
「あ。聞いてねぇや」
そう言うと土方は無線を原田の隊に合わせ呼び出す。
『はい。原田です』
「土方だ。総悟見つかったか?」
『はい。かすり傷の様です。今は他の隊員掘り起こしに行ってますけど呼びましょうか?』
その言葉に近藤も土方も心底ホッとした様な顔をする。大丈夫だと思っていても矢張り報告が来るまでは二人とも心配で仕方なかったらしい。
「リンドウが別の攘夷志士追っかけてるから場所確定したら永倉の隊と俺達で向かう。そっちは予定通り屯所に帰ってくれ」
『了解しました』
無線を切ると土方は携帯電話を眺める。あとはリンドウからの報告を待つだけである。正直爆発に一番隊が巻き込まれたのは痛いが、攘夷志士捕縛という面で言えば上出来である。隊は被害受けました、敵には逃げられましたでは真選組の面子丸つぶれとなってしまう。
そんな事を考えていると不意に電話が鳴る。
「土方だ」
『リンドウです。川沿いの鬼灯の看板のある店解りますか?』
「まんま『鬼灯堂』だ。そこか?」
『…はい。裏から建物に入りました。中から顔を出したのは幹部の『カツラギ』です。一番北の部屋に明かりがついたのでそこかと』
土方は電話を肩に挟むとメモを取る。鬼灯堂は車で向かえば10分もかからない。距離的には沖田達のいる場所の方が近いが、ほぼ無傷の永倉の隊を使った方が無難だと判断して土方は直ぐに指示を出す。
「アンタは俺達が行くまで見張ってろ。見つかるなよ」
『…了解しました。寒いので早く来てください…お願いします…』
もう走っていないはずなのにリンドウの様子がおかしいので土方は更に声をかけた。
「大丈夫か?」
しかし返答はなく、電話は切断された時の虚しい音を鳴らすばかりであった。
「どうしたトシ?」
「いや…アイツ大丈夫なんだろーな」
心配そうな表情を一瞬だけ浮かべたが山崎が車に乗り込んだので土方は永倉達を引き連れ鬼灯堂へ向かう事にする。早く来いと言われたのだから行くべきだろう。
一方自分の部下を大方掘り起こした沖田は撤収作業を始めている原田に声をかける。
「リンドウどうしやした?病院ですかぃ」
その言葉に原田は驚いた様な顔をして首を振ると、土方からの連絡でリンドウは攘夷志士を追っかけていたいたと聞いていたのでそれを伝える。
「…傷の手当…したんですかぃ」
「いや、建物から出てきたあと直ぐに走って行くのが見えましたから」
そう言うと原田はリンドウの姿を最後に確認した通りを指差す。すると沖田は舌打しその通りにかけて行く。目を凝らして雪を眺めリンドウの残した痕跡を探し、漸く雪に埋もれかけた赤い印を見つけるとそれを辿って疾走した。
あれほど言ったのにそれを聞かずにノコノコ攘夷志士を追いかけたリンドウにも腹が立ったし、リンドウをほったらかしにした自分にも腹を立てていた。彼女の傷はこの追走で恐らく悪化の一途を辿っていたのだろう、赤い印は途切れることなく続いている。走る為に心臓が折角送り出した血液をその傷口から全部零してしまっているのだから現在彼女がどんな状態か考えただけで沖田はゾッとした。先程から鳴らし続けている携帯にも出ないので沖田は舌打ちをし走るスピードを上げた。
暫く走ると見覚えのある車が止まっていたので沖田はその車の窓を乱暴に叩く。真選組の車だったのだ。永倉の部下は驚いた様な顔をして沖田をを見るとどうしました?と窓を開けた。
「監察のリンドウは?」
肩で息をしながら沖田が聞くとその隊士は申し訳なさそうな顔をする。彼は人を鬼灯堂に近寄らせないための交通整理の役割だったのだ。ただ、既に隊長である永倉が鬼灯堂に突入しているし、近藤や土方も現地についているので、そっちに聞いた方が良いのではと助言してくれた。
それを聞いた沖田は身を翻して礼も言わずに駆け出す。
「総悟?」
通りから疾走してくる沖田の姿を見つけた近藤は驚いた様な顔をする。そんな近藤への挨拶もそこそこに呼吸を整えながら沖田が近藤にリンドウの事を聞いた。
「ハルちゃん?そういえばもう出てきてもいいのに…」
既に永倉達は攘夷志士を捕縛しており今は殆ど後始末だけである。沖田に指摘されそれに気がついた近藤は携帯電話を鳴らすが、沖田が何十回と繰り返したのと同じ様に反応はない。
「何だこっちに来たのか総悟」
山崎と一緒に近藤の側にやってきた土方を沖田は睨み付けると口を重々しく口を開く。
「リンドウ攘夷志士に切られてるんでさぁ」
「!?」
「…俺はリンドウの血の跡辿って此処まで…この辺で跡が途切れて…」
そこまで沖田が言うと近藤は土方に後を頼んだといって身を翻して走り出した。山崎が伺うように土方の顔を見たので土方は探して来いと短く言うと煙草に火をつける。
「…何でもっと早く探してやらなかったんですか」
土方を非難するように沖田は言い放つと近藤と山崎の後を追って捜索に出た。
その様子を見ていた永倉は土方の側に来ると捜索に隊員を裂く事を提案するがそれを土方は却下する。まだ仕事は終わっていないのに一隊士の捜索に人をこれ以上裂く訳には行かなかった。
「…山崎の教えたとおりに隠れてんだったら山崎が見つける」
リンドウに仕事を教えたのは山崎だ。生真面目な彼女は恐らくどんな時でも山崎の教えどおりに仕事を遂行するだろう。ならばこのリンドウが身を潜めそうな、そして監視が出来そうな場所は山崎が直ぐに見つけると土方は判断したのだ。
あの沖田の尋常ではない様子に心配した永倉だったがここは副長である土方の指示に従うしか選択肢はなかった。
「ハルちゃん──!」
近藤が呼びかける横で山崎は建物の立地を確認し辺りを見回す。リンドウが負傷していなければ建物の裏手に流れる川の向こう側も考えられたが、雪で視界が悪い事もあってその可能性はほぼない。
「リンドウ!」
ゆっくりと山崎は思考を巡らし消去法で可能性を片っ端から潰すと、最後まで残った候補地に走り出した。多分同じ状況の自分ならそこを選ぶと地点へ。
突然駆け出した山崎の後を近藤と沖田は慌てて追うが、山崎が角を細い路地を曲がった所でぴたりと足を止めたので彼に声をかけた。
「山崎?」
「沖田隊長!表に車回して下さい!」
壁に持たれかかり蹲るリンドウの足元に広がる鮮血の赤を目の当たりにして沖田は言葉を失った。あんなに小さな体から流れ出たとは思えない程白い雪を染め上げていたのだ。
「済みません上着置いていってください。リンドウさん!しっかりしてください!」
再度山崎に声をかけられ沖田と近藤は我に返ると慌てて上着を脱ぎ山崎に渡す。すると彼はリンドウの体に積もった雪を払い上着を彼女に体にかけた。
「ハルちゃん!?」
近藤が彼女に駆け寄ったので沖田は踵を返し車に向かう。山崎がリンドウの脈を取った時に安心したような顔をしたので恐らく生きてはいるのだろう。もしかしたら辛うじて生きている状態だったのかもしれないが、沖田は不吉な予感を頭から振り払い己のすべき事を実行する事にした。
「血止めしたら病院運びます。リンドウさんに声かけ続けてください」
そう言うと山崎はリンドウが負傷した左手の制服の袖を破ると傷口に血止めを塗りこみ応急手当をした。これで血は一応止める事は出来たが流れてしまった血は早急に補給しないと危ないかもしれない。
「ハルちゃん…」
涙目で彼女の名を呼ぶ近藤は力なく降ろされているリンドウの右手を握った。小さな手は冷え切っており、それに愕然とした近藤は何度も彼女の名を呼ぶ。
「…どうして泣いてるんですか?」
うっすらと瞳を開けたリンドウが小さな声で呟いたので山崎と近藤は驚いて彼女の顔を覗き込んだ。顔色も悪いし相変わらず体温は戻らないが意識を取り戻したのだ。リンドウの手が近藤の頬に触れたので、しっかり握り返すと近藤はボロボロと涙を零す。
「折角のオトコマエが台無しですよ」
そう言うとリンドウは淡く微笑んだ。
後編へ続く。
長くなって申し訳ありません。
20081220 ハスマキ