*どれが欠けても困る*

 何の気なしに訪れたカグヤの家。土方は、背中を丸めながら座敷に向かうと、いつの間にか設置されていたこたつに足を突っ込みベッタリと卓に頭を乗せた。それを一部始終見ていたカグヤは、可笑しそうに口元を歪めると、お茶を淹れるために台所へ向かう。
 一人部屋に残された土方は、先程まで彼女が作業していた紙に視線を送り、ふぅん、と小さく唸った。
 年賀状を書いていたようだ。
 そう思い、綺麗に印刷された年賀状を一枚手に取ると、漸く体を起こしてそれに視線を落とした。どこぞの印刷所で頼んだのだろうか、綺麗な干支の絵が刷ってあり、年の瀬なのだという事をしみじみ感じた土方は、積まれた葉書に視線を送った。随分枚数があるようである。ちまちまと住所は手書きで書いているのか、葉書の横には住所録の紙が置いてあった。
「兄さんは年賀状出さないの?」
「あぁ、真選組でまとめて出してっからな。個人的な分はねぇし」
「私も仕事の分ばっかりなんだけどね」
 パソコンでもあれば住所の印刷など一発なのだろうが、生憎カグヤの家にそんな文明の利器は無く、毎年手書きで住所を書いているようだ。
 お茶を飲みながら、土方は住所録の方に視線を送った。
「……山崎には出してんのか」
「ザキさんはちゃんと送ってくれるから。他は全さんとか銀さんぐらいかしらね、仕事以外は。兄さんも送ろうか?何か地方特産品とか当たるかもよ」
 カグヤの言葉に土方は苦笑すると、いい、と短く返事をした。
「アレいっつも当選みんの忘れるんだ」
「私も忘れるわぁ」
 ふぅっと茶に息を吹きかけて冷ましながらカグヤはそう言うと、のんびりとした様子で葉書の束に視線を送る。まだ半分も終わっていないが、まだ年末までには時間もある。
「……手前ェ、実家には送らねぇの?」
 住所録を眺めていた土方の言葉に、カグヤは首を傾げて、実家?とオウム返しのように呟く。
「タチバナの名前ねぇから」
「あぁ、もうないからいいの」
 大した事ではないようにカグヤが言うので、土方は言葉に詰まった。
「っていうかさ、兄さんって私の経歴とか調べてるんじゃないの?」
「調べたって言っても攘夷戦争の辺りからだよ。それ以前なんざ真選組の仕事には関係ねぇだろ」
 山崎が監察の仕事の一環でカグヤの家に出入りするようになる前から一応はカグヤの身辺調査はしていた。しかしながら、元攘夷志士という事以前は不要だったので調べてはいなかったのだ。そこまで暇ではないし、興味もなかった。
「うちの家ってさ、一応由緒正しい旗本でね。でも、跡取りいなくて取り潰しになったの。だから実家はないのよ」
 旗本ということは武家の娘であったということだ。土方はそれに驚いたような顔をして彼女の顔を凝視する。
「意外?」
「いいとこのお嬢さんだったとか何の冗談だよ」
 土方の反応にカグヤは満足そうに笑うと、葉書の住所書きを再開する。それをぼんやりと眺めながら、土方は煙草に火をつけた。
 私塾とやらに通っていたのは話に聞いていたが、武家の娘と言われれば、そうなのかと納得も出来た。少なくとも自分よりは育ちは良さそうだったし、学もある。そう考えて、土方は煙草の煙を吐き出したが、え?と思わず声を上げた。
「いや、家は取り潰しになっても、どっかに家族住んでんだろ?」
 旗本という肩書きがなくなったという話では、実家がないと言う事にはならない。そう思い土方が言うと、カグヤは、あぁ、と手を動かしながら口を開いた。

 

 タチバナ家は由緒正しい旗本であったとだけカグヤは聞いていた。実際に幕府から給金も権利も持っていたし、そこそこいい生活をしていたのだ。
 けれど、攘夷戦争が始まった頃に、父親は国のためだと攘夷戦争に参加して帰らぬ人となった。当時は西郷等の今や伝説となった攘夷志士が活躍していたが、カグヤの父親はその他大勢として戦い、そして死んだ。
 そうなると問題は跡取りであった。
 一応兄はいたが、病弱で寝込んでばかりという状態で、兄が死ねば恐らく旗本の役職も幕府に返上せねばならないのだろうとぼんやりとカグヤは思っていた。しかし母親はせっせと兄の世話をし、跡取りとして立派に一人前になれるようにと躍起になっていたのだ。
 元々私塾へ通っていたのは兄の方であったのだが、病のせいで臥せっている事が多く、カグヤはその度に欠席連絡を私塾に入れに行っていた。家人がやれば良かったのだが、家にいても花嫁修業だとあれこれと習い事をさせられるのが窮屈だったカグヤは、私塾に連絡を入れた後、窓から様子を眺めて時間を潰すのが日課になっていた。
 そんなある日、先生がカグヤを教室へ招き入れてくれた。そして兄が使うはずの机へ座らせて一日授業を受けさせてくれたのだ。先生が母親へ連絡を入れ、カグヤが授業を受けられるようにと話をしてくれたのだ。花嫁修業という名目の習い事をきちんとすると言う約束で、カグヤは晴れて私塾の一員となった。元々習い事を抜けだしてフラフラする傾向があったために、それならば読み書きそろばんでも仕込んだほうがマシだと母親も思ったのだろう。
 他の生徒より遅れがあったが、桂がずっと面倒を見てくれて遅れも取り戻した。

 

「え?桂なのか?」
 そこまで聞いて土方は思わず言葉を零した。てっきり面倒を見るならば高杉だと思い込んでいたのだ。
 するとカグヤは咽喉で笑って、そう、ヅラッチ、と言葉を放った。
「晋兄はあの頃は遠くから眺めてるだけでね。なんか凄い睨まれてるし、ずっと晋兄って私のこと嫌いなんだと思ってたわ。ヅラッチ取られたんで拗ねてるんじゃねーの?って銀さんは言ってたけどさ」
 思い出し笑いをしてカグヤが瞳を細めたので、土方は、そうか、と短く返答し、彼女の手元の葉書を眺める。まだ積まれた白紙の半分にも届かない。
「その癖に、私塾終わったら付いてくるのよね。家まではヅラッチと銀さんがいっつも送ってくれてたんだけど。少し離れた所歩いてさ。私が帰ったと三人で遊ぶのかなって」

 

 そんな日々が続き、数年経ったある日私塾から帰ると家が騒がしかった。いつもなら門の前で引き返す桂達も様子がおかしいと察して、カグヤと一緒に敷地内まで入っていったのだ。
 そこで兄が死んだとカグヤは知った。
 朝から熱が高く、医者を呼びに行った足で私塾にカグヤは行ったのだ。気にはなったが、何かあれば家人が知らせるだろうと思いその日一日過ごした。
「お嬢様……連絡が遅れて申し訳ありません。奥様が取り乱しておりまして……」
 家人がそう詫びたのを見て、カグヤは小さく頷くと兄のいた部屋へと足を運んだ。今考えれば一緒に帰宅してきた子供達がそれに付いていくというのもおかしな話であるが、誰も咎めなかったのでそのまま子供達4人は屋敷の奥へ向かう。
 近所の人や、何度か会ったことのある親戚がカグヤに声をかけてきたが、ご迷惑をおかけします、と短くいい、カグヤは最後の襖を開けた。
 兄に縋り付く母親と、医者。
 何を言うべきか解らなかったカグヤは、遠慮がちに母親に声をかけようとした。しかし、それはカグヤに気がついた母親の声によってかき消された。
「■■が■ねばよかったのに!どうして!どうして■■じゃないの!」
 眼の前の母親が何を言っているのか全く理解できなかったカグヤは、ぽかんと口を開けた。ただ、突然腕を引っ張られ、驚いて振り向くと、高杉が怒ったような顔をしてそのままカグヤを部屋から引きずりだした。それを追うように母親は歩いてきたが、それは周りにいた人間に遮られ、カグヤはただ驚いて高杉とそのまま庭まで裸足て降りていた。
「え?」
 そう声を零したカグヤを見て、桂は先生を呼んでくると言い残すと私塾へ引き返し、残ったカグヤと高杉、そして銀時は黙って庭につったっていた。裸足であることが寒いとか、そのような事は全く感じず、ただ、何故自分が母親の言葉を理解できなかったのか、自分を嫌っている筈の高杉が何故腕を引っ張ってここまで連れてきたのかという疑問だけが頭の中を支配していた。
「高杉?」
「……先生来るまでここにいろ。でなきゃどっか別の部屋」
 そう言われ、あぁ、そうか、高杉はあの部屋が嫌だったのかとカグヤは漸く思い至って小さく頷いた。すると、いつの間にか銀時が家人を連れて戻ってきた。
「お嬢様!足を拭いて中へお入り下さい。その、奥様も今は……」
「わかった」
「お友達の方も、ご迷惑でなければ一緒に中へ。お茶をお持ちしますから」
 その言葉に高杉も銀時も頷き、そのあとカグヤの部屋へと案内された。
 家人が様子を見に来たりと暫くは人の出入りがあったが、漸く静かになる。銀時は黙って壁にもたれかかっていたし、高杉はずっと不機嫌そうだった。
「カグヤ」
 襖が開いて顔を出したのは先生だった。桂も一緒で、高杉は漸く厳しかった表情を緩める、銀時も黙って先生の方に視線を送った。
「先生」
「事情は聞いたよ。大変だったね」
 そう言われ、ぼんやりとカグヤは大変だったのかと思ったが、そう言われると納得できて小さく頷いた。
「今親戚の方とお話ししてね。今日はバタバタしているし、うちでカグヤを預かることになったよ」
 兄が死んで通夜や葬式の準備が忙しいのだろうとカグヤは納得して、又小さく頷く。父親が死んだ時もそうだったし、その時は確か一人で家の奥に篭っていた。一人でいるぐらいならば先生と一緒のほうがいいと思い、カグヤは、とりあえず着替えをカバンに詰めて先生の家に行く準備をする。
 元々兄の通っていた私塾の先生であるし、カグヤ自身も世話になっているということもあり、一晩預かる分には周りも有難いと喜んだ。とてもではないが、今の母親とカグヤを一緒に置いておくことは出来ないだろうと、周りから見ても明らかだったのだ。けれど、カグヤはただ、ごたついている中、自分は居ても邪魔であろうと思って先生の家へ身を寄せたのだ。母親の言葉が理解出来なかった彼女には、そうとしか思えなかった。
 私塾へ戻り、先生が暮らしている奥へと案内され、その後皆で食事を取って、風呂に入って寝た。近しい人間が死んだということもあって、会話が弾むはずもない。カグヤのとっての兄は、彼らにとっては、教え子でもあり、机を並べた級友でもあったのだ。
 夜中。カグヤが厠へ行くために起きだすと、縁側で音が聞こえたのでそちらへ何気なく足を運んだ。
 小さな体に不釣り合いな三味線を持って、弦を指で弾く高杉の後ろ姿が見えて、カグヤは少し離れた場所に座った。
 三味線は習い事の中には入っておらず、もう少し経ったら習い事を増やそうと母親が言っていたのを思い出し、カグヤは憂鬱な気分になる。高杉はとても上手に三味線を弾いている。自分もこれぐらい弾けないとダメなのかと思うと、億劫になったのだ。
「……こっち来いよ」
 高杉に言われ、カグヤはのそのそと移動し、隣に座った。顔を見ると、いつもより幾分マシなレベルで不機嫌そうな顔をしていて、カグヤは、何故この男は嫌いな人間に構うのかと不思議に思った。
「兄貴亡くなって残念だったな」
「うん」
「仲良かったのか?」
「わからない。いつも臥せってたから。けど、たまにお母さんがお兄ちゃんに買ってたお菓子を分けてくれた」
 彼なりに慰めてくれているのだろうと思い、カグヤはポツポツと兄の事を語った。けれど、いつも床で臥せって、申し訳なさそうにしている所しか思い出せなくて少し悲しくなった。きっと優しかったのだろう。母親がいつもベッタリと兄についていたので二人で話す事など殆ど無かったが、こっそり花を届ければ喜んでくれて、菓子を分けてくれた。そんな話を聞きながら、高杉は、又三味線の弦を弾く。
「上手ね」
「そうか?」
「そのうち三味線も習うように言われてたの。でも、高杉が上手だし、ちょっと習うの嫌だわ。聞いてるほうがいい」
「いくらでも弾いてやるよ」
 今日は随分と高杉は優しいと思いながら、カグヤは、ありがと、と短く言うと、膝を抱えた。
「お母さん可哀想ね。お兄ちゃん大事にしてたのに」
「……母親に言われたこと気にすんなよ」
 そう言われ、カグヤは驚いたような顔をして高杉の顔を凝視した。
「え?お母さん何言ったか高杉分かったの?何て言ってたの?」
 その言葉に高杉の方が驚いたような顔をした。あんなに傍にいたのに全く聞こえてなかったとは考えられない。現に傍にいた自分にはしっかりと聞こえたのにと。しかし、高杉はあえて母親の言葉は伝えず、忘れた、と嘘をついた。
「嘘つき。気にするなって言ったって事は、覚えてるんでしょ」
「今忘れた」
 しれっとそういうと、高杉は三味線の弦を一つ弾いた。

 翌日先生に連れられ家に戻ったカグヤは、通夜にも葬式にも参加はしたが、母親はずっと兄の亡骸にすがりついて泣いている姿しかなく、会話らしい会話も殆どなかった。その間、先生は私塾を閉めて、手伝いをしてくれていたようで、それにくっついて銀時等も顔を出してくれた。
「先生。跡取りいないと幕府に刀取られちゃうの?」
「……そうですね。けど、まだカグヤがいるから。君が大きくなってお婿さんを貰ったりしたら旗本の権利は取り上げられる事はないでしょう」
「そっか」
 母親が大事にしていた家。跡取りだと大事にしていた兄。両方取り上げられるのは可哀想だとカグヤはぼんやりと考えてそう先生に聞いたのだ。自分が将来婿を貰えばいいのか、と納得して、カグヤはそこで重大な事を思い出す。
「でも先生。私お嫁に行く先決まってる。どうしたら、お嫁に行かないでお婿さん貰えるの?」
 家同士が決めた婚姻があったのだ。幕臣や武家の中ではそう珍しくもないので、カグヤも疑問に思わなかったし、許嫁がいるということは厭というほど聞かされていた。もっとも、会ったのは数回であったがのだが。今回の兄の葬式にもいた筈なのだが、二言三言話をしただけで、顔は余り覚えていない。

 

「……許嫁?」
「私が生まれた時から決まってたらしいけどね。会ったのは数回だし」
「手前ェ……それ、どーしたんだよ」
「どうもこうも、相手長男だったから、とりあえずは婚約破棄になったわよ。幕臣の息子だったらしいけどね」
 黙って聞いていれば、淡々と語るカグヤであったが、土方はついに耐えられなくなって突っ込みを入れた。高杉が初めはカグヤに冷たかったと言うのも驚きだが、話を聞けばそれは桂を取られて嫉妬などではなく、多分好きなのにどう接していいかわからないという態度だと言うのは厭というほど解る。でなければ、母親の言葉にあんなに怒ったりはしない。カグヤは覚えていないと言う言葉は、きっと残酷な言葉だったのだろう。そして、カグヤも年を重ねて、それを察したのだろう。けれどあえてボカして話をしたのは、母親への同情が強かったのかもしれないと、ぼんやりと土方は考えた。
「とりあえず?」
「そ、とりあえず。次男坊もいたみたいでさ。縁があって婚約したんだし、そっち婿に出してもいいよ?って話はあったみたいだけどね。まぁ、こーゆーのは親同士の話だし」
 彼女の書く葉書は半分を越えて、作業も山場を過ぎていた。

 

 その後、49日を迎えた頃に母親が死んだ。
 私塾には相変わらず通っており、その日は昼過ぎに家人が慌ててカグヤに連絡を入れてきたのだ。
「え?」
 兄が死んでから泣いてばかりで抜け殻のようになっていた母親であったが、まさか突然死ぬとは思っておらず、カグヤは声を失った。家人に連れられ家に戻ると、布団に寝かされた母親がそこにはいた。
「申し訳ありませんお嬢様。私が目を離したばっかりに!」
 泣いて詫びる家人をぼんやり眺めて、カグヤは、小さく頷いた。
「うん。ごめんね。迷惑かけて。親戚の人に連絡したらいいの?どうしたら良い?」
 驚いて家人が顔を上げたのを見て、カグヤは、再度、どうしたら良い?と聞く。
「あ、はい。連絡は……先程他の者が。あの……お嬢様。大丈夫ですか?」
「……うん。ちょっとわからない」
 困ったように言ったカグヤを見て、家人は慌てて部屋を飛び出し、私塾に向かい先生を連れてきた。丁度先生も授業を終えて、カグヤの家へ向かっていた所らしく、それを捕まえた家人は早々に戻ってきた。
「お嬢様は先生といてくださいね。ご親戚の方が来ましたらお呼びしますから」
 そう言われ、カグヤは兄が死んだ時同様、自分の部屋へ篭った。先生は銀時だけを連れて来ており、家人の持ってきたお茶を飲みながら、優しくカグヤに声をかけた。
「カグヤ」
「はい」
 返事をすると、先生はカグヤの頭を優しく撫でて声を零す。
「泣いてもいいんだよ」
「……泣かないとダメですか?」
「泣きたい時に泣けばいいよ。それは今じゃなくてもいい」
 そうか、とカグヤは安心した。兄が死んだ時も寂しいとは思ったが、泣けなかった。そして、最後の肉親が死んでも泣けない自分が薄情なのではないかと考えていた。驚きのほうが大きく、ただ、兄が死んで母親が可哀想だと思っていた感情を、今度はどこへ持っていけばいいのかと困惑していた。
「少しお話聞いてくるから」
 そう言って先生が部屋を出ると、それまで黙っていた銀時が口を開く。
「お前これからどーすんの?」
「……わからないけど、この家はもういらない。ここはお母さんの家だから」
「そっか」
 それっきり銀時は口を開かなかった。ただ、戻ってきた先生に、二言、三言何か話していたのをカグヤはぼんやりと眺めていた。

 葬儀は殆ど親戚と近所の人間の手によって取り仕切られた。12、3の娘は名目上の喪主であった。
 無事に葬儀が終われば、今度問題になるのはカグヤの身の振り方であった。その時、嘗て婚姻の約束をしていた家が、カグヤを引きとってもいいと名乗りを上げたらしい。家族を失った娘を一人放り出すのに罪悪感があったのかもしれない。ただ、周りが言うには、次男を婿養子にと言う話は、カグヤの母親が蹴っていたという。跡取りはあの子ではないと。
「君さえ良ければうちで面倒を見るよ。長男は無理だが、他の子ならば君の婿にできる。家も取り潰されずにすむ」
 親戚もその方がいいと言ってきたが、カグヤは首を横に振った。
「お母さんは私に家を継いで欲しくなかったみたいだら、刀は幕府にお返しします」
「しかし」
「でなければ、私がいるのに自決なんてしないでしょ?もうタチバナの家は終わったんです」
 子供の戯言だと突っぱねる事も周りは出来ただろうが、年端も行かない娘を残して、喉を突いて死んでいった母親の事もあり周りは強く強制することも出来なかった。ただ、成人するまでの後見人などの問題はまだ残っていたし、旗本の権利を返してしまえば、現金などはともかく、持っていた土地などは無条件に返さねばならない。何一つカグヤに残らないのだ。
 だからこそ、婿養子を貰うという約束はカグヤの将来的にも好条件であった。
「……うちに来る?」
 親戚との話し合いに疲れきったカグヤに先生はそう言った。婚約をしていた家だけではなく、他の親戚も、旗本の権利と一緒ならばカグヤを引きとってもいいと言っていたのだ。そんな中、先生だけは、何の条件も無しにカグヤを連れて帰ってもいいと言った。
「迷惑じゃない?」
「今更一人増えても問題ないですよ」
 現に攘夷戦争で親をなくした銀時の面倒を見ていたし、他にも世話をしている子供はいた。
「私何にもないよ?」
「君が元気に育ってくれればいい」
 そういうと、カグヤの頭を撫でて優しく笑った。

 正式に養子になった訳ではないが、親戚などを説得して先生はカグヤを引きとった。元々孤児の面倒を見ていたという事もあるし、何のメリットもない食い扶持が増えるのを回避できたことに、親戚などはホッとしたのかもしれない。幕府に権利を返上し、遺産を整理した後に、銀時同様先生の世話になることとなった。
 元々嫁に出す前提で色々と仕込まれていたカグヤはそこそこ何でも出来たし、共同生活の中できることも増えていった。その事は今でも母親に感謝はしていた。
 しかしながら、最後まで先生の所に引き取られることに食い下がったのは、カグヤを嫁に貰うはずだった家だったのはカグヤ自身困惑した。最終的には、一番最初の通り、長男の嫁にしてもいいと言い出した所を見ると、とてもカグヤのことを気に入ってくれていたのだろう。

 

「で、その後晋兄が、兄貴の代わりやってやるとか訳解んないこと言い出してベッタリになりましたとさ」
「そこがオチなのかよ」
 呆れたように土方が言うと、カグヤは瞳を細めて笑った。彼女の手元にある葉書は残り少なく、土方は煙草の煙を吐き出すと、口を開く。
「……何で最後まで食い下がったのが許嫁の家だったんだ?」
「さぁ。そこは今だに解んなくてさ。そういえば、あの後も跡取り息子来たことあってね」
「親じゃなくて、長男の方か?」
「そう。丁度、攘夷戦争参加するぞ!って時にノコノコ来てさ。攘夷戦争に参加するぐらいならうちに嫁に来いって」
 流石に驚いた土方は煙草の煙を勢い良く吐き出しむせった。まだ諦めていなかったのかという突っ込みを思わず入れる。
「けどさ、刀も服も新調しちゃったし参加するわーって言ったら、生きてたら迎えに来るって言って帰ったのよね。あの時は晋兄止めるの大変だったわ。攘夷戦争参加前に血祭り拝むところだった」
 安易に予想できるし、桂や銀時も必死で高杉を宥めたのであろうと思うと、一寸同情した。カグヤもその時の事を思い出して、呆れたようにため息を付く。
「……迎えに来たのか?」
「来てないと思う。攘夷戦争終わった後フラフラしてたし、江戸に住み着いたのも銀さんがいたから、まっいいかーって定住した訳だしね。親戚は攘夷戦争で死んだと思ってるんじゃない?だから多分、ソイツも死んだって思ってるだろうし。そもそも、連絡しようにも相手の名前忘れちゃったしね」
「忘れたって」
「なんか、鈴木さんとか、佐々木さんとか割とありがちな苗字でさ。別に嫁にもらって貰うつもりもないし、わざわざ連絡する必要もないと思うけど。向こうもお嫁さん貰ってるかもしれないし」
「まぁ、そうだな」
 幕臣の長男ならば、それ相応の縁談が普通はあるだろう。あの近藤でさえ、幕臣ということであちらこちらから縁談は湧いてくるのだ。昔ながらの幕臣で、今も没落していないのならば、きっとカグヤの言うことは正しい。そう思い、土方は煙草をもみ消して、ぬるくなったお茶に口をつけた。
「ま、そんな感じで実家ないのよ」
「あぁ」
 一番最初に聞いた土方の質問に漸く答え終えたカグヤは、葉書をまとめてトントンと卓に軽く叩きつけて綺麗に並べた。全部住所が書き終わったらしい。それをぼんやりと眺めていた土方は、暫く考え込んだ後、口を開いた。
「面白くねぇ話させたな」
「別に構わないわよ。兄さん知ってるもんだと思ってたしさ」
 新しいお茶を淹れると席を立ったカグヤの背中を眺めながら、土方は新しい煙草に火をつけた。
 知っていて話題にしないのと、知らないから話題にしないのとでは全く話は別で、自分はやっぱりカグヤのことは何も知らないのだと僅かに気分は沈んだ。別に生まれや育ちが分かったから何か彼女との関係が変わるわけではないし、変えるつもりもない。自分が出会って、目の前にいるカグヤに傍にいて欲しいのだ。その過程は余り関係ない。けれど、己の知らない瑕がある。もしかしたら気が付かないうちにそれに触れる事があるかもしれない。それがただ不快であったのだ。
 昔、いつかカグヤの瑕を抉って仕返ししてやろう等と考えた事もあったが、今はそんな気は起きないし、寧ろ、彼女の抱えてるものを目の当たりにして何も知らない自分を恥じる方が多かった。
 忘れてしまった母親の言葉。
 彼女の行動原理で一番不可解だった所が氷解して、土方は大きく溜息をついた。

──自分がいなければ相手が幸せになるかもしれない。

 だから、高杉が駄目になると傍を離れ、土方からも離れた事もあった。
 彼女の勘定の中に、自分の幸せは入っていないのだ。自分が大事だと思ったものを守ることには一生懸命だが、自分自身の扱いは非常に希薄である。それは、幼い頃に母親に全てを否定された子供の瑕なのだろう。家でそう扱われ、そんなものなのだと納得してしまっていた。
 年齢を重ねて、色々な人間に出会って、彼女は確かに色々と学んで変わっていったのかもしれない。けれど、一番根底にあるソレは変わらなかった。
「……莫迦じゃねーの」
 高杉の過ぎた愛情が空回りしたのは、きっと自分のことが一番好きだと言う相手の考えが理解できなかったからだ。だから、カグヤは高杉の愛情を返しきれずに破綻したし、兄代わりになるという高杉の言葉を信じて、いい妹で在り続けた。それは多分、彼女がずっと死んだ兄のいい妹であったからさほど苦ではなかったのだろう。
 お茶を持って帰ってきたカグヤに土方は視線を送ると、少しだけ沈黙した後に口を開いた。
「やっぱ、俺にも年賀状くれ」
「あっそう?」
 そういうと、カグヤは予備の葉書を出してきて卓の上に乗せ、早速住所を書く作業に取り掛かった。山崎の住所が真選組の屯所なので土方に確認することもない。
「……三味線屋」
「何?」
「真選組も、近藤さんも、手前ェも俺には必要だからな。どれが欠けても困る」
 その言葉にカグヤは顔を上げずに、そっか、と短く返答をした。それを眺めながら、土方は煙草の煙を細く吐き出す。
「多分俺の方が先に死ぬだろうから、その後は手前ェの好きにすればいいけど、俺が生きてるうちは俺の隣歩いとけ」
「どうしたのさ、急に」
 漸く顔を上げたカグヤと視線が合って、土方は反射的に顔を逸した。正面きって言うのはどうにも抵抗があって口には出せない。もう一枚誰かに葉書を書かないかと思いながら土方は口を開く。
「別に。何となく言っておこうと思っただけだ」
 ふぅん、とカグヤは返事をすると、土方宛の年賀状を書き終えた葉書の束の上に乗せた。
「おしまい」
「そーだな」
 葉書を書くのも、昔話をするのもこれで終わりだ。そう宣言されたような言葉に、土方は少しだけ瞳を細めてそう返事をした。
 温くなったお茶に口をつけて、カグヤは瞳を細めて笑う。
「寒くなってきたわね」
「あぁ。そろそろ初雪か」
 土方は視線を窓の外に向けると、煙草をもみ消した。
「屋根に登るなよ」
「一緒に登ればいいんでしょ?」
「……仕方ねぇな、手前ェは」
 初雪の日に雪見酒を一緒に飲む。別に今年は約束したわけではないが、そうしたいと思った土方は、瞳を細めて笑った。


そしてふるさと小包が当たったら、三味線屋と一緒に食えばいい
20112001 ハスマキ

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