*嘘も貫き通せば誠か*
副長室へ足を運んだ山崎に、土方はちらりと視線を送ると、また興味を失ったかのように視線を書類に落とした。それに苦笑しながら、山崎は懐から茶封筒を取り出すと土方の机へそれを置く。怪訝そうな顔を山崎に向けた土方は、煙草の煙を吐き出すと、言葉を零す。
「何だこれ」
「映画のチケットです」
単純明快な答えだ、と土方は思う。しかしながら、何故それを自分の元へ持ってきたのか理解出来ない土方は、書類を束ねて隅に置くと封筒を開けて中から二枚のチケットを取り出した。
「明日までか」
「はい。今日飲みに行きますよね?先生に渡して欲しいんです。タダ券を持って行くって言ってそのままだったんで」
成程と思ったのは、山崎の三味線の先生であり、自分の飲み友達であるカグヤが以前行くつもりであると言っていた映画のタイトルだったからだ。しかし、結局行ったという話は聞いていない。山崎のチケット待ちだったのだろうと思うと、こんなにギリギリに渡しても大丈夫なのかと余計な心配もする。明日何か用事があった場合はどうなのだろう。しかしそこまで考えて、山崎がカグヤの仕事予定を把握している事を思い出した土方は考えるのを放棄した。座敷に上がる予定も、他の生徒の三味線の稽古予定も山崎の頭の中に入っている。それ以外にカグヤの予定というのもそうそうない。
「……俺が飲みに行かないって言う選択肢はねぇのか」
「明日休みでしょう?」
思わず呟いた土方の言葉に、山崎はさも当然のような顔をして返答をする。休みの前日は飲みに行く。それが山崎の中での常識なのかと思い、土方は苦笑すると、解った、と短く言葉を零しチケットを受け取った。届けるぐらいならやっても構わないし、荷物になるような物でもない。
「それじゃぁお願いしますね」
そう言い残し、山崎は仕事に戻るのかさっさと部屋を出て行く。それを見送りながら、土方は新しい煙草に火を付けて、細く煙を吐き出した。
行きつけの飲み屋に顔を出した土方は、カグヤの指定席に視線を送った。いつもどおり隅のカウンターで飲んでいる姿を見つけ、ほっとしたような顔をした土方は、隣の席に座る。すると彼女は瞳を細めて笑った。
「今日はゆっくりだったのね」
「仕事立てこんでたんだよ」
煙草に火をつけながらそういった土方に店主が注文を取りに来たので、彼は酒とつまみを頼むと、ふぅっと小さくため息を付いた。
約束をしている訳でもないが、店に立ち寄った時にカグヤがいる確率はかなり高い。その癖に、肝心な時にはぱったり来ないと言うことも多かったので、土方は今日彼女に会えたことに一安心したのだ。もしも会えなければ家まで行ってチケットを放り込まねばならない。そもそも店から余り家は離れていないのだが、屯所とは反対側なので手間なのだ。
上機嫌に酒を煽るカグヤを眺めながら、土方も店主の持ってきた酒を舐める。燃料が酒だと冗談めかして言う事は多いが、カグヤの飲みっぷりは並大抵の男では太刀打ちできず、店主の話によると、大概の男は返り討ちにあってしまうらしい。土方の様にそれでも一緒に飲もうと言う人間は割と少ないと言う話を以前聞いた時は、自分の事ながら呆れたものだと思った。けれど、彼女と酒を飲みながら話すのは土方にとってはいい息抜きなのだ。守秘義務はあるが、仕事の愚痴を零すのに丁度いい。真選組と言う組織の中で土方はその規律を締め付ける存在であるが故に、弱音も愚痴もなかなか仲間内では吐き出せないのだ。そんな中彼女は、話を聞くだけで面白いと嫌な顔をせずに笑いながら話を聞く。同じ話をうっかりしても、前も聞いたと言いながらまた相槌を打つ。意見を求めれば明確に己の考えを吐く。莫迦にされて、笑われた事も多いが、それが土方には嫌ではなかった。
カグヤと言う人間は親しい人間が極端に少ないと知ったのは、一緒に飲むようになって暫くしてからだった。幼馴染のストーカー・高杉の存在が彼女を縛り付け、隔離する。嫉妬深いあの人間から親しい人を守る為に、わざと距離を置くのではないかと言っていたのは山崎だったと思いながら、土方は酒を煽った。
「あ」
思い出したのは山崎から預かった封筒であった。
「どーしたのさ」
怪訝そうな顔をしながら、カグヤが残った酒を煽ったのを見て、土方は慌てて懐から封筒を出した。
「山崎から預かった」
「おやまぁ」
そう言いながら、カグヤは封筒を受け取って中身を確認する。中から出てきた映画のチケットを見て、彼女は納得したように笑い、ありがと、と短く返事をした。
「明日までじゃねぇのそれ」
「そうね。それじゃぁ明日にしましょうか」
「は?」
微妙に噛み合わない会話に、土方が怪訝そうな顔をすると、カグヤはにっこり笑って、映画のチケットを一枚封筒から引き出して土方の前に置いた。
「明日十時に大江戸映画館の前の噴水ね」
「え?」
「あんまり飲み過ぎちゃ駄目よ」
「手前ェが言うか!」
思わずツッコミを入れた土方を見て、カグヤは鮮やかに笑うと、お勘定、と言ってさっさと店主を呼び金を払う。それを唖然と見送った土方であったが、店主が置かれた映画チケットに気が付き、笑いながら言葉を発した。
「おや、いいですねぇ。三味線屋さんとデートですか?」
「はぁ?」
そう言われ、再度土方はチケットに視線を落とした。確か封筒には二枚チケットが入っていた。だから一枚押し付けられても全く問題はない。問題はないのだが、何故自分が明日映画館まで行かねばならないのか。そう思い、土方は思わずアレ?おかしくね?と心の中で呟いた。
翌日。土方は目を覚ますと煙草を吸う為に襖を開けて執務室へ移動した。寝煙草は火事の元だと、寝る前に布団の傍で煙草を吸うのを禁止されているのだ。灰皿と煙草、そして映画のチケットの置いてある卓。
「……まぁ、やっぱあるわな」
そう言いながら煙草に火を付けると深く息を吸い込んだ。時計をみるとまだ7時前で、彼女の指定した時間までは十分時間はある。そもそも、あの一方的な物言いで約束として有効なのか疑問ではあるが、もしも彼女が有効だと思い一人で待っていたらそれはそれで後味が悪い。散々迷った挙句に、土方は小さく舌打ちをすると、まぁ元々休みだしな、と小声で呟いた。
待ち合わせ場所に向かうと、既にその場所にはカグヤが立っており、土方は思わず足を止めた。その隣に別の男が立っていたからである。見覚えのある青いコートに白いマフラー。彼女が雇っている忍者だということは直ぐに判断できたが、土方はその間に割って入る事はせずに、二人の会話が終わるのを待った。
ちらりと忍者の視線が自分の方を向いた気がした土方は、一瞬表情を歪める。何度かあの男と会話したことはあるが、どちらかと言えば苦手な部類に入るのだ。ワーカーホリック気質で、カグヤ以外の事は視界に入っていないように傍から見て感じられる。同じような立場である山崎のほうが、まだ仕事上上司である自分に気を使うだけ可愛げがあるが、直接カグヤに雇われているあの忍者にはそれがない。恐らく自分の任務遂行に邪魔だと判断すれば、迷わず自分を排除するであろう、そんな薄ら寒い事も思わず土方は考えた。
「兄さん」
声をかけられ顔を上げると、カグヤが手を振っている。それと同時に、忍者は土方の視界から完全に姿を消している。目を離したのは一瞬だった筈なのにと、思わず顔を顰めた土方であったが、ゆっくりとカグヤの方へ歩いて行った。
「……もういいのか?」
「全さん?」
「あぁ」
短く土方が言うと、カグヤは瞳を細めて笑う。
「たまたま通りかかったみたいでさ」
別に仕事の話ではなく、暇つぶしに話をしてたのかと思った土方は、そうか、と言うと、カグヤの方を見る。
「つーか。あんな一方的な約束で待ち合わせとか莫迦じゃねぇの」
「来たじゃないのさ」
「いや!来たけど!」
不服そうに口を尖らせるカグヤを見て、思わず土方は頭を抱えたい衝動に駆られた。もしも休みじゃなかったらどうするつもりだったのだろうか。そう口に出しかけたが、ふと、別の疑問を代わりに吐き出すことにした。
「……つーか。元々二枚山崎に頼んだのか?別の誰かと行く予定じゃなかったのかよ」
山崎が土方にチケットを渡したのは偶然である。ならば、別の誰かとの予定があったと考えるのが普通である。山崎にそのことを確認しようと思っていたのに、結局タイミング悪く山崎を捕まえる事ができずに確認はできなかった。
「枚数は聞いてなかったんだけど。二枚あるし、兄さん暇だったらと思ったんだけど。忙しかった?」
「……忙しくはねぇよ」
実際、予定は何一つ入っていなかったし、映画の件がなければ恐らくいつもの休み通り、目の前の女と朝まで飲んで、昼まで寝ていただろう。そう考えると、ワンパターンすぎる自分の休日に些か悲しくもなるが、事実なので仕方がない土方は素直にそう返答する。するとカグヤは満足そうに笑って、そんじゃ、行こうかとさっさと歩き出した。
映画最終日であるが、人気の程は平均以下らしく、あっさりと次の上映席が抑えることが出来た。そこで初めて土方はこれから見る映画の内容を把握する。
「SFはあんまみねぇな」
「いいわよ、夢があって」
土方の呟きに、カグヤは笑うとストンと指定席に座る。その隣に座った土方は、まだまばらな座席に視線を巡らせながら、深く座り直すと、煙草を吸っておけばよかったと一寸後悔した。するとカグヤは咽喉で笑い、まだ時間あるし煙草吸ってきたら?とパンフレットを捲りながら言った。
「そーする」
言葉に出さなかったのに、雰囲気で伝わるのだろうか。そんな事を考えながら、土方は映画館の隅にある喫煙所に赴き、煙草に火をつけた。平日の午前中。映画館に足を運ぶのは、自分同様、土日に休みがない仕事か、三味線屋の様な自由業か、そんな事を考えながら煙草から登る紫煙を眺める。
壁に貼られたポスターに描かれるのは、遠い未来の年号の描かれた宇宙空間と地球。遙か未来に、地球人が自力で宇宙へ旅立つというストーリーである筈だとぼんやり考えて、土方は瞳を細めた。
「莫迦莫迦しい……」
天人が襲来して、宇宙に夢を見る事なく人々はオーバーテクノロジーの恩恵を受け、生活を豊かにした。天人は地球人を【辺境の蛮族】や【地べたずり】と蔑む様に、彼らが来るまで人々は、小さな土地を取り合い、その戦いを制した幕府が地上を収めていた。日々生きる事ばかり考えていた人々の中で、どれだけの人間が宇宙へ夢を持ったのだろうか。宇宙への夢を抱く間もなく、人々は新しく齎された文化の渦へと飲み込まれて行ったのではないか。
もしも天人が来なければ、と言う歴史のIFを映画にしたものだと言うが、土方としては心中複雑であった。もしも天人が来なければ、恐らく真選組という組織は無かったであろう。無論、攘夷戦争など起る筈もなく、カグヤもまた、ひっそりと故郷で過ごしていたのではないか。
カグヤが宇宙に夢を見るのは、恐らく嘗ての仲間の影響であろう。それは未開の土地への憧れではない。武力ではなく、経済力で天人へ対抗しようとした男の存在。地べたずりが宇宙へ向かい、戦う姿に憧れたのだろう。そこまで考えて、土方は不機嫌そうに煙草をもみ消した。
等と、莫迦にしていたのにも関わらず、映画の出来は思ったより良く、土方は宇宙船を管理するAIが暴走し、乗組員の手によって停止させられた時には号泣していた。機械の事など全く分からないが、一枚一枚ボードが抜かれてゆく度に、AIの知能は退化し、人間で言う幼児帰りをする。
そんな土方に差し出されたのはハンカチ。隣に座っていたカグヤが差し出したのだ。それを受け取った土方は、既に使い物にならなくなった己のハンカチをポケットに突っ込むと、有難くそれを使わせて貰うことにした。薄暗い映画館の中ですすり泣く姿は異様であろう。それに対してカグヤは何も言わず、またスクリーンに視線を移した。
製作者に一番最初に教えてもらった歌を歌い出したAIの姿を眺めて、カグヤは、ほぅ、と小さくため息をつく。歌う機械など今はさほど珍しくもない。今は禁止されているが、人型のからくりも一時は世間を賑わせたりもした。そこから考えれば、人の形をしているわけでもない、赤いレンズだけが自己主張する機械など時代遅れなのだ。否、そもそも、そんなモノをすっ飛ばして科学は進化した。
すぅっと瞳を細めたカグヤは、今にも止まりそうなAIの声に耳を傾ける。何故ここでこの歌なのだろうと考え、カグヤはちらりと隣の土方へ視線を送った。渡したハンカチを握りしめて、スクリーンを凝視する姿は、普段からは想像できない姿で、歌詞の意味を分かっているとは思えなかった。ただ、人の手によって止められれる機械に同情しているのだろう。
──Daisy,
Daisy
Give me your answer, do!
I'm half crazy
All for the love of you!
It won't be a stylish marriage,
I can't afford a carriage,
But you'll look sweet on the seat
Of a bicycle built for two!
不器用な田舎者の恋を扱った歌。ここでは歌われないが、別の部分の歌詞には二人のこれからの旅を共に行こうとある。もっとも、宇宙へではなく、自転車で行こうと言う地球人らしい歌ではあるが。こんな風に旅に出ることが出来ればどんなにいいか、そんな事を考えたカグヤは、その歌声を止めたスクリーンの赤い瞳を持つ機械に悲しそうに視線を送った。
スタッフロールが流れきり、明るくなった館内。カグヤは暫くモニターを眺めたままであったが、ゆっくりと視線を巡らせて土方に視線を向けた。
「どうだった?」
「最後が意味わかんねぇ」
目を赤くしながら返答した土方を見て、カグヤは瞳を細めて笑うと、私もよ、と短く同意した。
「……顔洗ってきたら」
咽喉で笑いながらカグヤが言ったので、土方は小さく頷くと、立ち上がった。流石に号泣したのが恥ずかしかったのだろう。カグヤにしてみれば、何度か一緒にDVD等を見ているので、土方が涙もろいのは知っている。
「出口で待ってる」
顔を洗い、鏡を見ると、情けないほど目を赤くした己の姿が映し出され土方は思わず舌打ちをする。
「反則だよな……、あんな所で歌いだすとか……」
ブツブツ言いながらポケットからハンカチを取り出す。そこで漸くカグヤから借りたハンカチの事を思い出した。無造作に引き出したために危うく床へ落とすところだったが、それを慌てて受け止め、自分のハンカチで乱暴に顔を拭くと、土方は後で洗って返そうと、カグヤのハンカチと共にポケットへねじ込んだ。
結局最後のオチは全く理解できなかったが、それなりに面白かったように思う。宇宙に何ら憧れなど持たないが、こんな未来もありえたのかも知れないという気にはなったと考え、土方は再度鏡を見据える。
「デイジー・デイジーか……」
歌詞の意味など分からなかった。けれど、その歌を聞きながら、カグヤが酷く悲しそうな顔をしたのは解った。泣かない女。そんな隣で号泣するのは酷く恥ずかしい気もしたが、カグヤは全くその辺りは気にしないのかハンカチを差し出してきた。普通は逆であろう。そう考えると、情けない気持ちになった土方は軽く首を振ると厠を出ることにした。
映画館の出口で立つカグヤの姿を見つけ、土方は思わず足を止めた。外を眺める姿は酷く悲しそうで、どこか途方に暮れたような雰囲気が痛々しい。声を掛けるのを躊躇った土方であったが、カグヤの方が彼に気が付き、その表情にいつものような笑顔を浮かべた。
「どうしたのさ」
軽い口調も、脳裏に焼き付いた先程の表情を思い出すとカラ元気に見えて土方は思わず眉を寄せる。
「大丈夫か?」
「何が?」
土方の心配も疑問も黙殺するように返答をしたカグヤを見て、彼は眉間に皺を寄せた。いつも通りなのかも知れない。いつも自分は何も気がつかずにいたのかも知れない。自問自答するような思考回路に陥った土方はカグヤの顔を覗き込んだ。
「……宇宙に行きたいって言い出すんじゃねぇかと思ってよ」
「莫迦ね。宇宙に夢見るのは私の仕事じゃないわよ」
咽喉で笑ったカグヤを見て、土方は安心したような、それでいてどこか違和感を拭い去れない奇妙な感覚を抱く。しかしながら、その違和感がなんなのかは全く分からず、土方は不快そうに顔を歪めると、外に視線を向けた。
「どーすんだ。飯でも食うか?」
「時間大丈夫?」
カグヤの返答に土方は少し驚いたような顔をすると、あぁ、と短く返事をした。休みであるのはカグヤも承知しているのに何故時間を気にするのか分からなかったのだ。
「時間は大丈夫だけどよ。手前ェの口に合う飯屋知らねぇ。飲み屋はまだ開いてねぇだろ?」
そういえばカグヤと食事をするのは飲み屋ばっかりだと思い、土方が口に出すと、彼女は瞳を細めて笑った。
「イイわよどこでも。兄さん食べたいものにすればいいじゃないのさ」
「……まずいとか、食えねぇとか言うなよ」
「店でそんな事言ったことないわよ。布団の中で文句は言うけど」
「結局言うのかよ」
確かにカグヤは食事と酒には煩いが、店で直接批判することはない。自分の口に合わないだけで、他の人は美味しく食べているかも知れないと思っての事だろう。ただ、黙ってその店に行くのを辞めるのだ。土方はそれを見て、彼女がもう一つだと思ったのだろうと勝手に判断している。直接文句を言わないだけ控えめなのかもしれないが、逆に徹底して選択肢から排除してしまうという点においては、非常に煩いのかもしれない。
「俺がいつも飯食ってる所でいいか?」
「いいわよ」
仕事でいつも行く定食屋に足を運んだ土方は、小さな店の扉を開けた。昼の一番忙しい時間を少し外れている為に、客もまばらで二人は開いている座席へ座る。
「テーブルも空いてますよ、副長さん」
店主の言葉に土方は思わず、辺りを見回す。いつもカウンターに座って食事をしていた為に、いつも通り座ったが、よくよく考えて見ればカグヤもいるのだからテーブルでもいいのかも知れない。そう思ったが、カグヤが笑いながら店主へ返答した。
「ご飯食べられればどこでもいいの。ありがと。土方丼と銀時丼以外のメニュー見せて」
「……銀時丼とか良くしってんな」
「この前銀さんが自慢してたわ。リクエスト聞いてくれるいい店主だって」
カグヤの言葉に店主は嬉しそうに笑い、何でも作りますよ、と笑った。不本意ではあるが、土方の行きつけであるこの店は、銀時も行きつけである。店主の好意で増やしてもらった自分専用のメニューが存在するからだ。マヨネーズを山ほど載せた土方丼も、アンコを山ほど載せた銀時丼も当然だが他所で扱ってはいない。カグヤもその話を聞いていたのだろう。
「そんじゃ親子丼にしようかしら」
「俺は土方丼」
「はいよ!」
威勢のいい店主の返事に、土方は瞳を細めると煙草に火を付けた。その間カグヤは壁に貼られたメニューや、店に様子を眺めている。それに気がついた土方は、煙を吐き出すと苦笑する。
「あんまこんな店には来ねぇか」
「定食屋はあんまり来ないわねぇ」
「デートにこんな小汚ねぇ店選ばなくてもいいのにな、副長さんも」
どん、とカウンターに丼を乗せながら店主が言ったので、土方は驚いたような顔をすると、そんなんじゃねぇよ、と短くいい煙草をもみ消した。それをカグヤは可笑しそうに眺めていたが、口を開く。
「兄さんが一番美味しいと思った店なんだったらいいわよ」
「そりゃありがてェ」
茶化すように放たれた店主の言葉に、土方は返答に迷ったが、結局何も言わずに土方丼に口を付ける。ちらりとカグヤの表情を見ると、気に入ったのか黙々と食べ続けているのでほっとしたような表情を土方は浮かべた。
「出汁が効いてて美味しいわぁ」
「気に入ったかい、お姉ちゃん」
「えぇ」
カグヤの言葉に店主は嬉しそうな顔をして、おまけだと味噌汁も出す。それにカグヤは顔を綻ばせ礼を言った。そんなやりとりを見ていた土方は、食後にと出された茶に口をつける。最近急激に寒くなってきており、温かいお茶が有難い。映画館から二人で歩いた距離も、大したことは無かった筈なのに、風がやけに冷たく感じられた。
「寒くなってきやがったな」
「そーね」
土方より少し遅れて食事を終えたカグヤが、同じように茶を飲みながらそう返答した。
「雪が降ったらまた雪見酒か?」
土方の言葉にカグヤは淡く微笑んだだけであった。
その後は何の計画もない。なしくずしにカグヤの家へ足を運んだ土方は、コタツに入ると彼女が茶を持ってくるのを待った。今年は猛暑で夏場は随分と苦しんだが、寒くなったら寒くなったでそれはまた困る。屯所にも早くコタツや暖房器具を出すべきだとぼんやりと考えながら、土方は冷えた末端を温めた。
茶を持ってきたカグヤは背中を丸めてコタツに入る土方を見ると瞳を細めて笑った。
「今からそんなんじゃ、今後困るんじゃないの?」
「煩ぇよ」
不服そうに口を尖らせた土方は、卓に置かれた茶に口を付けると一息つく。すると、鼓膜を揺らす三味線の音に顔を上げた。聞き覚えのない旋律。首を傾げた土方は、何て曲だ、とつぶやく。するとカグヤは、首を傾げて笑った。
「Daisy bell」
「デイジー?」
「そーよ。三味線で弾くのは邪道だけどね」
映画ではただ機械が歌っただけで、どんな曲なのは解らなかった。撥を使わず、指で軽く弦を弾き奏でられる旋律は心地良く、一度ちゃんと聞いてみてもいいかも知れないと土方は思う。
「歌詞の意味解らなかったんだけどよ」
「自転車に乗って二人で旅に出る話しよ」
「自転車?」
怪訝そうな顔をした土方を見て、カグヤは、そう自転車、と言って笑った。
「馬車を買うお金はないから、自転車で旅に出るの」
「……なんか、貧乏くさい歌詞だな」
「そうね。でも、幸せな歌よ」
ふぅんとカグヤの言葉を聞きながら、土方は卓に顎を乗せて背中を丸めた。どうして幸せな歌だというのに、彼女は映画でこの曲が流れたときに酷く悲しそうな顔をしたのだろうか。そんな事をぼんやりと考えながら、土方は次第にうとうとしだした。鼓膜を震わす三味線の音。そして、小声で歌われる幸せだと言う歌。
──You'll
take the "lead" in each "trip" we take,
Then if I don't do well
I will permit you to use the brake,
My beautiful Daisy Bell!
寝息を立て始めた土方を眺めて、カグヤは手を止めた。肩に毛布をかけて、瞳を細めると、その頬へくちづけを一つ落とす。
「とっても幸せな歌よ。私には届かないぐらいね」
そう呟くと、カグヤはふらりと外へ出る。そこで待っていたのは、全蔵で、彼女の姿を視界に捉えると、首を傾げた。
「手ぶらでいいのか?」
「えぇ。私には初めからなんにもないもの」
「……そうか」
カグヤの言葉に、全蔵は酷く悲しい気持ちになった。置いて行くのではなく、初めから何も無かったと言う彼女はどんな思いで今ここにいるのだろうか。
「振り出しに戻るだけ」
瞳を細めて笑ったカグヤを見て、全蔵は小さく頷いた。雇い主に文句を言う筋合いなどない。仕方がない事だと解っていても、一言だけ、彼女に聞きたいことがあった。
「アンタと自転車に乗るのは別の誰かなんじゃねぇの?」
その言葉にカグヤは驚いたような顔をしたが、悲しそうに笑った。恐らく全蔵は、先程土方に聞かせた話を聞いていたのだろう。
「……三番目で良かったの」
カグヤの言葉に全蔵は少しだけ驚いたように口元を歪めた。
「局長さんが一番で、真選組が二番。三番目」
「謙虚だな」
全蔵の呆れたような言葉に、カグヤは小さく首を振って笑った。
「謙虚なんじゃないわ。女が絶対に一番にならない兄さんが好きなのよ。でもね、三番目に置くには面倒臭い女だから」
それは攘夷志士であった過去であり、いまだに高杉が固執する事もあろう。真選組の副長の傍に置くには確かに面倒臭い。それは全蔵も理解出来るが、だからといって、カグヤが全てを手放す理由にはならないと思った。
「……そのうち兄さんも忘れるわよ」
「俺は、アンタの事覚えててもいいのか?」
全蔵の言葉に、カグヤは驚いたように彼の顔を凝視すると、笑った。
「好きにして頂戴」
歪な女だと思った。あれだけ檻を嫌ったのに、結局檻に戻ることを選んだ。たった一人の男の為に、別の男の元へ行く。ヒロイックだと言うのは滑稽で、それでいて、余りにも不幸せだと。折角動き出した彼女の針は、また攘夷戦争の頃へ巻き戻り、静かに壊れるのを待つのだろうか。
彼女の選ぶ道は、己自身にとって一番の道ではなく、誰かの為に一番になる道を選び続けてたのではないか。そんな錯覚さえ覚えて、全蔵は心の中で舌打ちした。何が我侭だと。何が好きなコトしかしないだと。平然と嘘を貫き通して誠にしていただけではないか。高杉より質の悪い大嘘つきだと。
「……嘘も貫き通せば誠か」
「何の事だか解らないわ」
全蔵の言葉にカグヤは瞳を細め、手を差し出した。
「連れてって。晋兄の所に」
もう刀も三味線も握らないであろうカグヤの手を取った全蔵は、瞳を細めて悲しそうに笑った。
【Daisy bell】
作詞・作曲: ハリー・デイカー Harry Dacre (1892)
20101115 ハスマキ