*たとえ生まれ変わったとしても*

 屯所の裏庭から抜いてきた笹を一本、片手に持ちながらぶらぶらと土手を歩いていた土方は、川辺に知った女の姿を見つけて足を止めた。以前、同じ飲み屋の常連であるその女が、七夕用の笹を探しているという話を聞いていた土方は、先程隊士が七夕用の飾りを作る為に笹を抜いているのを見かけて一本拝借してきたのだ。飲み屋に持って行くのも邪魔なので、市中見回りがてらに、彼女が昼間やっている三味線教室に放りこんでおこうと思ったのだが、その手間が省けたと土方は土手を下り、女の傍に歩いて行った。
 傍に寄ると、彼女がしゃがみ込んで何か作業しているのに気がついた土方は、怪訝そうな顔をして声をかける。

「何やってんだ、三味線屋」
「笹舟折ってんのよ」

 三味線屋と呼ばれた女……カグヤは振り向きもせずにそう返答すると、足元に積んである笹舟を一つ一つ川に流して行く。それを眺めていた土方は、僅かに瞳を細めると煙草に火をつけた。
 ゆっくりと立ち上る紫煙を眺めながら、土方は口を開く。

「何か意味があるのか?」
「昔の仲間の供養。七夕って旧暦では盆の行事でさ、笹には精霊が宿るって」

 その言葉を聞いて土方は、彼女が元攘夷志士である事を思い出す。幾人もの仲間を失ったのだろう。普段一緒に酒を飲んで騒いでいる時には見る事のない彼女の表情に、土方は居心地の悪さを感じて思わず笹を握っている手に力を込めた。
 振り返ったカグヤは土方が笹を持っているのに気が付き、表情を緩める。

「頼んだの覚えてたのね」
「……笹舟作ったって事は、もうどっからか調達したんだろ」

 少し遅かったな、と呟いた土方を見て、カグヤは手を差し出すと瞳を細めた。
「笹舟作るのに葉っぱ毟って不格好になったからね。有難く貰っておくわ」

 その言葉に土方は少し思案したような顔をするが、持って帰っても邪魔なので当初の予定通り彼女に笹を渡す事にした。

「家に飾るのか」
「その予定だけど。兄さんも何か願い事があるなら短冊飾っても良いわよ」
「手前ェは何か願掛けするのかよ」

 願掛けする位なら自力で何とかすればいいと言いそうなカグヤが、この手のイベントを行う事を不思議に思った土方がそう言うと、彼女は可笑しそうに口元を歪めた。

「あると思う?」

 ない、と土方は思い言葉を発する事はせずに煙草の煙を吐き出した。恐らく彼女にとっては仲間の供養行事以外の何物でもないのだろう。巷で言うような、織姫・彦星の逢瀬にも、願掛けにも興味はなさそうである。
 笹を握って歩き出したカグヤと一緒に土手を上がると、土方は空を見上げた。今年の七夕は月が満月に近いから、晴れても天の川は見えないとカグヤが言っていたのを思い出したのだ。そもそも、天人襲来以降、変革を迎えている江戸の空でまともに星が見えるとも思えなかった土方はつまらなそうに言葉を零す。

「年に一度の逢瀬も、江戸の空では台無しだな」
「顔に似合わずロマンチストよねぇ、兄さん」
「うるせぇよ」

 カグヤが笑いながら返答したので、土方は不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。からかうように言うのが気に入らないが、全面的に否定もできないのが腹立たしいのだろう。それに気がついたカグヤはにんまり笑うと、ゆっくり土方の方を向く。

「台無しだろうが何だろうが、年に一度でも会えるなら御の字じゃないのさ」

 その言葉に土方は思わず困った様な表情を作る。先程まで彼女が笹舟で仲間の供養をしていたのを思い出したのだ。彼女にとって会いたくても会えない人がいるのかもしれない。そんな土方を見てカグヤは鮮やかに微笑んだ。

「まぁ、会いたくないのに会いに来る奴もいるんだけどね」
「まだ高杉の野郎うろちょろしてんのか」

 彼女の幼馴染で、嘗て攘夷志士としての仲間であった高杉晋助。ずっと昔に彼女に逃げられたというのに、諦めきれないのか彼女の傍に出没する。真選組が血眼で捜しているテロリストが、ちょこちょこ彼女にちょっかいをかけに来るのも気に入らないし、彼女が適当にあしらって真選組が捕獲する前に追い返してしまうのも気に入らない土方は、思わず不機嫌そうな声色を出す。カグヤに追い返されても諦めず、挙句の果てに拉致監禁までするが、彼女は今まで自力で逃げ出していたらしい。ここまで来るとしつこさと一途さは紙一重としか思えない。

「晋兄は梅雨時って室内でぐだぐだしてる事が多いから、最近は見ないわ」
「……なんか、すげー腹立つんだけど。雨の日はテロ活動休むのかよ。どこぞの大王かよ」

 年中無休でテロ対策をしている真選組としてはさぞかし腹が立つだろう。心底厭そうな顔をした土方を見て、カグヤは瞳を細めて笑うと、改めて笹の礼を土方に述べた。

「忙しいのに態々有難う」
「ついでだから構わねぇよ」

 そう言うと、土方は煙草を揉み消し、見回りに戻ると言い新しい煙草をくわえる。

「高杉がうろついたら連絡よこせよ」
「善処するわ」

 いい加減な事言いやがってと呟くと、土方は背を向けたカグヤを見送り仕事に戻る事にした。

***

 一方、土方と別れたカグヤは、笹を持って家に帰る事にした。笹は2本になってしまったが、自分の寝室と、三味線教室の座敷に飾れば良いと思い、ぷらぷらと歩き出す。一本は、先程真選組の山崎が持ってきてくれたのだ。
 昼間の三味線教室とは別に、夜に座敷に上がる事のある彼女は何度か真選組の依頼で監察の潜入を手伝った事がある。その時に知り合った山崎は、時々三味線教室に顔を出していた。仕事の為に女装して、三味線を弾く事もある山崎の頼みで、時々稽古をつけているのだ。彼が三味線弾きとして一人で座敷に上がれるようになれば、自分は真選組の手伝いをしなくて良くなると思い引き受けた仕事だが、流石に自分と同じ腕まで引き上げるのは難しく、最近は二、三曲客に受けのいい曲を選んで練習させていた。ある程度弾ければ、他の芸妓にくっついて座敷に上がれるだろう。自分が元攘夷志士という事もあり、例え桂や高杉等の顔見知りの連中以外でも、できる事な関わりたくないと言うのが彼女の本心であった。後々面倒事に巻き込まれるのが厭だったのだ。
 飲み屋でしか会わない土方とはまた違う付き合い方を山崎としているが、ふと漏らした笹の話を覚えていて、態々二人とも彼女の所に笹を持って来た。
 元々、笹舟を作る程度で良かったのだ。嘗ての仲間の供養が目的で、願いを吊るすつもりだった訳ではない。ただ、態々見栄えのいい笹を選んでくれた二人の為に、今年は飾り位は吊るしてみようかと思ったカグヤは、材料を購入してから己の自宅に向かった。

 正面玄関は三味線教室用に使っているので、自分の出入りは勝手口と決めているカグヤは、出る時に閉めた筈の鍵が開いているのに気が付き思わず溜息を零した。招かざる客が勝手に上がり込んでいるのだろう。

「よぉ。久しぶりだな」
「そうね。忙しいから帰ってくれる?」

 座敷に陣取って三味線を弾いていた高杉は、すぐさま帰れと言い放ったカグヤに気を悪くした様子もなく喉で笑うと、厭だと短く返答し三味線を弾き続けた。通報すれば土方や山崎は直ぐに駆けつけるだろうかと考えながら、カグヤは面倒くさそうに荷物を下ろすと彼の正面に座る。そこで、私室に置いていた筈の笹が座敷に飾ってあるのに気が付き、呆れたように声を上げた。

「あのね。私室に入るなって言ってるでしょ」

 すると、むっとしたような顔をして高杉は手を止めると、入ってないと不機嫌そうに言う。

「これは俺が持って来たんだ」
「はぁ?」

 そう言われてみれば、座敷に飾ってある笹には既に鮮やかな飾りが施されている。この派手な飾りの笹をわざわざ持って来たのかと思うと呆れるしかない。むしろ、この飾りを高杉がちまちま作ったのかどうかが大問題である。

「……晋兄が作ったの?」
「暇だったから作った」

 土方が聞いたら激怒するであろう事をさらりと言い放った高杉は、お前にやると短く言うと、三味線を置き煙管に火を入れた。雨が続いて暇だったのは恐らく事実だろう。昔から時折突拍子もない事をするのは変わっていないとカグヤは思いながら、とりあえず礼を言う事にした。すると、高杉は口元は歪めて、だから、その笹と私室の笹は捨てろとぼそりという。

「厭よ。折角飾り付けしようと思って材料買って来たのに」
「真選組の連中が持って来たんだろ?」
「そうよ」

 面白くなさそうな顔を高杉がしたが、カグヤは無視して買ってきた折り紙にハサミで切り込みを入れだす。子供の頃に何度か作った七夕の飾りを再現しようとしたのだ。高杉は暫くその様子を眺めていたが、彼女からハサミを取り上げると、新しい折り紙に彼女とは違う方法でハサミを入れた。

「……相変わらず細けぇ事は下手くそだな」
「口で教えてよ。餓鬼じゃないんだから全部やってくれなくても良いのよ」

 カグヤの言葉に高杉は瞳を細めると、短く、厭だと言い飾りを一つ作り上げる。昔一緒にいた頃は、こうやって高杉がずっとべったり彼女を甘やかしていた。カグヤ自身は自立心が強かったので、この手の甘やかしは好きではなかったが、結局高杉の気のすむようにさせていたのだ。それが高杉には心地よく、彼女が自分の檻から逃げ出すまでそれを止めようとはしなかった。寧ろ、止める事が出来なかったから彼女は逃げ出した。
 黙々とハサミを動かす高杉を眺めながら、カグヤは僅かに瞳を細めた。
─―高杉がおんしを甘やかしちょるんじゃのぅて、おんしが高杉を甘やかしちょるんじゃろ。いつでも出れる檻に留まる理由はなんじゃ?
 宇宙に行った男だけがそう指摘したのをカグヤはぼんやりと思い出す。傍から見れば、高杉がカグヤを甘やかしている様に見えるのに、彼だけが逆だと言い切ったのだ。彼の指摘するように、檻はいつでも出る事が出来たが、出る必要性を感じなかった。先生が死ぬまでは。
 先生がいなくなり、高杉が病んでいく中、桂は新しい世界の夜明けを目指し、銀時は静かに江戸の街に消え、坂本は宇宙へ新しい世界を求めた。そして、カグヤも彼ら同様選んだ。

「相変わらず世界ぶっ壊すとか莫迦な事やってんの?」
「ああ」

 出来上がった飾りをカグヤに渡した高杉は、瞳を細めて笑った。先生を奪った世界が許せない高杉と、先生と出会えた世界が好きなカグヤの選んだ道は永遠に交わらない平行線となり、檻には高杉だけが残った。

「いい加減俺の所に戻れ」
「厭よ」

 何度も同じ会話を繰り返し、何度も高杉はカグヤを攫い、何度もカグヤは高杉の元から逃げ出す。呆れたようにいつもと同じ返事をして立ち上がったカグヤの腕を、高杉は掴むと自分の方へ引き寄せた。不意の事でバランスを崩したカグヤは、不機嫌そうに眉を寄せると高杉の顔を見上げる。

「ハサミ持ってるのに無茶しないの。危ないじゃないのさ」

 その反応に高杉は喉で笑うと、ハサミを置いて彼女の頬に手を当てた。子供の頃は自分の腕にすっぽり収まった彼女も、年を重ねると随分と大きくなり、今となっては自分よりほんの僅かだが背が高くなってしまったのは気に入らない。けれど相変わらず綺麗で、誇り高い彼女が昔と変わらず好きだった。違う道を選んで、檻を出た彼女が今でも自分を無視せず、相手をしてくれるのが彼女のなけなしの優しさだと知っているからこそ、怒られても、文句を言われても、攫いに来るのを高杉は止める事が出来なかった。
 顔を寄せてきた高杉の顎に、カグヤはぐりぐりと拳をねじ込むと不機嫌そうに口を開く。

「いい加減離れなさい。アホタレ」

 一歩踏み込めば容赦なく叩き斬るカグヤに、高杉は口元を歪めると彼女の長い髪を撫でた。

「三味線弾け」
「私が人前で三味線弾くの好きじゃないの知ってるでしょうが。耳だけじゃなくて頭まで悪くなったの?」
「三味線弾く商売してんだろーが」

 昼は三味線教室、夜は座敷で芸妓。その癖にカグヤは人前で三味線を弾くのが好きではないと言い張る。昔から自分の奏でる音が好きではないのだ。一人で勝手に弾くのは好きだが、商売でなければ殆ど人前で弾く事はなかった。
 カグヤは高杉の耳をぎゅうぎゅう引っ張ると、体を離し不機嫌そうな顔をする。

「大体、晋兄の方が三味線巧いんだから自分で弾きゃ良いでしょうが」

 三味線に関しては高杉はカグヤの師であった。

「俺はテメェの音が好きなんだよ」

 師である筈の自分とは違う音を奏でるカグヤ。彼女の孤高で、強く、まっすぐな音が昔から高杉は好きで、滅多に弾かないと知っていても何度も強請る。何物にも屈しない、妥協しない冷たい音だと言った男もいたが、だからこそ値打のある音だと高杉は思っている。

「真選組のジミーや多串君には聞かせてんだろ」
「ザキさんは生徒なんだから仕方ないでしょうが。多串君にだってアンタ程弾いてやった事無いわよ」
「当たり前だ。俺だって滅多に聞けねぇのに、ホイホイ弾かれてたまるか」

 不機嫌そうに高杉は返答して、床に置かれている笹を手繰り寄せた。それに作った飾りを一つ一つつけてゆくと、ぼそっと呟く。

「玉葛 絶えぬものから さ寝らくは 年の渡りに ただ一夜のみ」
「七夕だろうが何だろうが、共寝なんかしないし、私達の仲だっていい加減絶えるわよ」

 ぴしゃりと言い切ったカグヤを見て高杉は瞳を細める。七夕を詠った古典の歌だと彼女が気が付いたから。お互いの仲は絶えることはないが、床を共にするのは一年に一度だけだと言う意味なのだが、彼女は全面否定で斬り捨てる。

「冷てぇ事言うなよ。折角の七夕なんだから、逢瀬を喜べばいいじゃねーか」

 図々しいにも程があると言いたげなカグヤはため息をつくと立ち上がり、ついっと部屋を出てゆく。それを苦笑しながら見送った高杉は、手に持っている笹を眺め瞳を閉じた。
 今まで無理矢理彼女を手折ろうと思った事がない訳ではなかった。やろうと思えばいくらでもできたかもしれない。けれどどうしても高杉にはそれが出来なかった。彼女の体を手に入れても、心は永久に手に入らないと思ったからだ。それどころか、彼女は恐らく、最も高杉が堪える方法で報復をするだろう。
 大昔、それもずっと子供だった頃に、一度だけカグヤを本気で怒らせた事があったのを思い出して、高杉は思わず身震いした。理由は忘れてしまったが、カグヤは一月程、徹底的に高杉の存在を抹消し続けた。彼に対して、怒りや憎しみという負の感情さえ動かさなくなったのだ。ただ、そこにあるだけ。癇癪を起されたり、憎まれた方がよっぽどましで、彼女の心に、己が存在する事を一切許されなかったあの期間は心底堪えた。なりふり構わず謝り倒して、先生の口添えでやっと赦されたのだが、いまだにそれが怖かった。カグヤは間違いなく報復手段としてそれを取るだろう。
 怒られても、文句を言われても、彼女の心にまだ自分が存在する事を赦されているのを確認したくて何度も攫いに行ってしまう。自分の事を絶対に愛してはくれないと知っていても、どうしても彼女を諦められなくて、カグヤのギリギリの譲歩に縋って追いかける。いつまでこれを続けられるのだろうかとぼんやりと高杉は考えて、三味線に手を伸ばした。
 弦を弾き曲を奏でる。
 昔から、カグヤが唯一好きだと言ってくれるのはこの音だけで、他に対しては褒められた事は殆どない。
 部屋に戻って来たカグヤが、笹を手に持っていたので、手を止める事無く高杉は口を開く。

「偉く不格好な笹だな」
「笹舟作るのに葉っぱ毟ったのよ」

 そう言うと、カグヤは高杉の作った飾りをその笹につけてゆく。恐らく私室に置いてあると言っていた笹だろうと思った高杉は、部屋に揃った三本の笹を眺めた。自分が持って来た笹が一番上等だと満足すると、カグヤに視線を送る。口は悪いし、勝手気ままだがどこか人に対してカグヤは甘い。カグヤが七夕に嘗ての仲間の供養をしているのは知っているが、七夕自体に彼女自身は本当は興味などないのも知っている。けれど、持っていけばカグヤが笹を捨てる事無く飾るのを知っているから持って来た。それは会う為の口実を作ったに過ぎない。傍から見れば、滑稽で女々しいかもしれないが、高杉はそうする事しかできなくて、思わず自嘲気味に笑うと三味線を弾く手を止めて横になった。

「まだ供養行事やってんのかよ」
「いいじゃないのさ、それくらい。いつかアンタが死んだら笹舟位は作ってあげるわよ」

 それならば毎年七夕に彼女は自分の事を必ず思い出すだろう。それも良いかもしれないと思った高杉は瞳を細めると、ずるずると匍匐前進の様に移動しカグヤの膝に頭を乗せた。

「重いじゃないのさ」
「……年に一回位は良いだろ?」

 我ながら控え目で涙が出ると思いながら高杉は彼女に強請る。普段なら10秒も経たないうちに膝を抜かれる所だが、珍しくカグヤは、はいはいと投げやりに返事をすると、また笹に飾りをつけだした。高杉が黙々と大量生産した飾りに、短冊が一つもなかった事に気がついたカグヤは怪訝そうな顔をすると口を開く。

「短冊は良いの?」
「膝枕して、三味線弾いて、俺の傍にずっといてくれますようにって書きゃ、オメェは叶えてくれるか?」
「資源の無駄だから作らなくて正解ね」

 一つだけは叶えてくれたが、三つは叶えてくれないらしい。高杉は喉で笑うと彼女を見上げて、その頬に手を添える。カグヤは、ちらりと視線を高杉に落としたが、大きな反応は見せずに笹に全ての飾りをつけ終えた。

「もっと飾り作りゃ良かったな」
「大概多いでしょうが。これ以上飾ったら折れるわよ」
「オメェが作業してたら、俺はずっとこうしてられる」

 そこの言葉にカグヤは困った様な、情けないような顔をした。だから駄目なのだと。傍にいれば、高杉は自分を甘やかすゆりかごとしてカグヤの傍を離れないだろう。昔そうであったように。高杉自身の檻は、先生が死んだ時に時が止まり、彼は病んでいった。そこに自分まで留まれば、彼は永遠に内に内に向かい、外へは行けないような気がした。

「莫迦な事言ってんじゃないわよ。全力で逃げるって宣言したでしょうが」
「追いかける。死んでもテメェを諦めねぇよ。逃げ切れると思うなよ」

 そう言うと、高杉は体を漸く起こし自分の持って来た笹を手に取ると、瞳を細めた。

「たとえ生まれ変わったとしても、絶対に諦めない」
「たとえ生まれ変わったとしても、絶対に逃げ切るわよ」

 カグヤの言葉に高杉が嬉しそうに口元を緩めたので、彼女は不思議そうな顔をして口を開いた。

「何が嬉しいのよ。真性のマゾ?」

 逃げるという事は自分の事を覚えているという事だ。だからそれでいい。ずっと逃げて、ずっと自分の事を心の片隅に置いておけ。そう思うと自然と微笑みが零れた高杉は、立ち上がると彼女の頭を撫でる。

「愛してる」
「アンタが愛してるのは、幸せだった頃の思い出だけでしょうが。大ウソツキ」

 その言葉に高杉は苦笑すると、懐から取り出した短冊を一枚、自分の贈った笹にくくりつけた。

***

「御用改めだ」

 玄関を勢いよく開け、雪崩れ込んで来た黒服の男達の中に知った顔を見つけたカグヤは瞳を細めた。

「遅い」

 短くそう言ったカグヤを見て、土方は勝手に上がり込むと座敷に移動し顔を顰めた。

「まだ遠くに行ってねぇ筈だ、探せ!」

 部下に指示を飛ばし、後についてきたカグヤに視線を送ると小さく土方はため息をついた。部屋に残る煙草の臭い。つい先程まで高杉がいたのは確かであるが、一歩遅かった。他の部屋を確認に行った山崎が戻ってくると、土方は不機嫌そうな顔をして煙草に火をつける。山崎の表情を見て他の部屋ももぬけの殻だったのであろうと察したのだ。

「通報が遅せぇんだよ」
「何で兄さんの言う通りにした私が怒られるのよ。来んのが遅いんじゃないのさ」

 決して急がなかった訳ではないが、間に合わなかったのは事実なので強く反論できない土方は言葉に詰まる。しかし、真選組が来るまで引き留めていても良いのではとちらりと思ったが、そもそもストーカー行為を働いている人間と長く一緒にいろというのも道理に合わないと、結局土方は何も言えずに不機嫌そうな顔をするだけに留めた。

「遅くなってすみませんでした、先生」
「いいのよ。ザキさんが謝らなくても。アイツも私が通報すんの承知で来てるから、誰か真選組の屯所にはりつかせてたのかもしれないし」

 捕まっても捕まらなくてもカグヤにとっては瑣末な事である。真選組と高杉、どちらかに肩入れするつもりもない。
 そんな中、山崎は部屋の隅に置いてある笹を見つけて、少し驚いたような顔をしてカグヤに小声で聞く。

「随分沢山飾り作ったんですね」
「ああ、それ?晋兄がアホみたいに作るからさ。とりあえず全部くくりつけたんだけど、やっぱり多いわよね」
「え!?高杉が作ったんですか!?」
「そーよ。一本は自分で全部飾り付けまでして持って来たの。可笑しいでしょ?」

 カグヤは笑い出すが、土方が笹に視線を送って不機嫌そうな顔をしたので、それに気がついた山崎は笑う事も出来ずに曖昧な顔をする。土方は煙草を銜えたまま、笹を一本拾い上げると、飾りの中に一枚だけ短冊が吊ってあるのに気が付く。

「君が行く 道の長手を 繰り畳ね 焼き滅ぼさむ 天の火もがな……何だこりゃ」
「君がこれから行く道を手繰り寄せて焼いてしまいたい、この道がなくなりゃ貴方は行かなくていいのに、って意味よ」
「……偉く物騒だな。手前ェが作った歌か?」
「古典よ。っていうか、それは晋兄がくくりつけていった短冊」

 カグヤの言葉に土方は一瞬驚いたような顔をするが、煙草の煙を吐き出し不機嫌そうな顔をすると、ふざけやがってとぼそりと言葉を零した。

「何かこう凄い執念感じる歌ですね……」
「ここまで私に何で執着するか全然理解できないけど。一応飾るつもりだから押収とか野暮な事言わないでよね」

 唖然としたように零した山崎に、カグヤは肩を竦めると笑いかける。

「飾って、叶ったらどーすんだよ」
「道が焼かれても全力逃亡するに決まってんじゃないのさ。問題なし」

 まぁ、手前ェならそうだろうなと呟くと、土方は笹を元に戻そうとする。すると、山崎が、あっと声を上げたので土方は僅かに眉を寄せて手を止めた。

「何だよ」
「いえ、短冊の裏にも何か書いてあったんで」

 山崎の言葉にカグヤも驚いたような顔をしたので、彼女も知らなかったのだろうと、土方は短冊をぺろりと裏返す。

「テメェ等諸共燃やしてやるから覚悟してろよ、ジミーに多串君……って!俺と山崎名指しかよ。つーか、何で多串君呼ばわりなんだよ!」

 怒り出した土方を見て、カグヤはひょいと短冊を覗き込むとぷっと吹き出した。

「最近ザキさんや兄さんがちょろちょろしてんの気に入らないとは言ってたけど」
「ふざけんな。どっちがちょろちょろしてんだ!こっちの台詞だ。くそ。すげー腹立つんだけど」

 その短冊を毟ると、土方は丸めて床に叩きつけ、不機嫌そうに笹をカグヤに渡す。

「絶対しょっぴいてやる。行くぞ山崎!」
「あ、はい!」

 カグヤに小さくお辞儀をして、山崎は慌てて土方の後についてゆく。それを見送ったカグヤは、小さくため息をつくと丸められた短冊を拾い上げ丁寧に伸ばした。

「何でしょーもない所で張りあったり、怒ったりするのかしらねぇ。男って」

 けれど、そんな男の莫迦な所も嫌いじゃない。そう考えながらカグヤはシワだらけの短冊を、また笹に吊るした。


企画サイト投稿作品。
200907 ハスマキ

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