*王道楽土*
「お前もとんだ貧乏籤だな」
大泊瀬幼武尊は目の前で暇そうにしている物部目に視線を送り口を開いた。その言葉に物部目は、ちらりと視線を大泊瀬皇子に送り意味がわからないと率直な意見を述べた。
「大王の座から一番遠いワシに仕える羽目になった事だ」
大泊瀬皇子の父親は大王であるが、兄弟も多く、末である大泊瀬皇子にはまずその地位は回ってこないだろう。大伴と共に徐々に力をつけている物部は末の大泊瀬皇子ではなく、兄の方へと擦り寄っている。それは仕方のない事だと思っていた大泊瀬皇子は、物部目がノコノコとやってきた事に驚きもしたし、興味も持った。次期大王と目されている穴穂皇子とは比較的仲は良かったが、他の兄弟とはソリが合わず自分に仕えるメリットなど皆無だと大泊瀬皇子は自覚しており、物部目の行動は理解を超えていた。
「皇子はご兄弟が多いですからね」
長い前髪に隠れて表情の動きが解り難い物部目が大きな感情の起伏もなくそう言うと、大泊瀬皇子は怪訝そうな顔をして物部目の方を向く。
「意味が分からん」
今度は大泊瀬皇子が物部目と同じ言葉を放った。すると、物部目は口元だけど緩めて淡く笑った。
「我が一族が生き残る為ですよ」
その言葉に大泊瀬皇子は瞳を細める。つまり、どの皇子が大王になっても権力が握れるようにと物部氏で決めた事なのだろうと判断し、矢張り貧乏籤だと思った。失脚した木梨軽皇子についた人間よりはましなのかもしれないが。皇太子でありながら妹と通じてその地位を追われた哀れな兄。確かに姉は【衣通姫】と謳われるほど美しかったが、今も昔も同母兄妹が通じる事は許されない。好きでも嫌いでもなかったが、あの二人は権力など握らずにどこかでひっそりと暮らすのが幸せなのかもしれないとぼんやりと考え、大泊瀬皇子は大木にもたれ掛かり瞳を閉じた。
その様子を見て、物部目は同じ様に木にもたれ掛かると空を見上げる。誰にも見向きされなかった末の皇子。気性の激しさから敬遠するものも多かった中、物部目は彼を選んだ。
「……ワシの傍にいるのが面倒になったらいつでも離れればいい」
「皇子は大王になられるか、討伐されるかのどちらかでしょうね。だから私は貴方を選んだ」
驚いて大泊瀬皇子は瞳を見開き、物部目の顔を凝視した。しかし彼は空を見上げたまま見向きもせずに更に言葉を零す。
「だから楽で良いと思ったんです。貴方が誰かに討伐されれば私の仕事は終わる」
「討伐前提か。お前も巻き込まれるぞ」
「ええ」
漸く大泊瀬皇子に視線を向けた物部目は瞳を細めて笑った。おかしな奴だとつぶやくと、大泊瀬皇子は首から掛けていた飾りを外すし、物部目に投げて渡した。紅い勾玉のついた飾り。それを受け取ると、物部目は勾玉を指でなぞり不思議そうな顔をした。
「お前にやる」
ぶっきらぼうにそう言うと、大泊瀬皇子はごろりと地面に転がり、物部目に背を向ける。
「……では、有難く」
人に恐れられる事はあっても、傍に寄られる事の少ない大泊瀬皇子が、己と死んでもいいと言った人間へ伝えようとした不器用な気持ち。物部目は可笑しそうに口元を歪めると、その勾玉を空に翳した。
周りの予想通り次の大王となったのは穴穂皇子であった。妹と通じた兄を自害へ追い込み、頂点の座に君臨した。それに対し大泊瀬皇子も物部目も何一つ感想を抱かず、相も変わらず二人でブラブラと気ままに過ごす。
物部の中でも剣の腕が立つ物部目を遊ばせて置く事に難色を示した者もいたが、それに対して物部目は見向きもしない。
「お前は権力への野心を欠片も見せんな」
「私は早く楽になりたいんですよ」
書簡から目を上げることもせず物部目が返答すると、大泊瀬皇子は呆れたようにため息をつく。現大王である穴穂はまだ皇太子を指名していない。それは后の連れ子である眉輪王の存在があるからだとも、弟達ではなく、従兄弟である市辺押磐皇子にその地位を渡そうとしているからだとも言われている。そんな中、いまだに己の傍にいる物部目に大泊瀬皇子は苛立を隠せないでいた。
「遊ばせておく才ではないだろう、お前は」
野心でも有ればいくらでも登る事は出来るだろうが、それに見向きもしない物部目は一体何の為に己の傍にいるのだろうか。そう思い、大泊瀬皇子は不機嫌そうに物部目に視線を送った。それに気が付いた物部目は、僅かに口元を歪めると、貴方が大王になったら才は十二分に発揮しますと言い、また視線を書簡に落とす。
「不穏な発言だな」
「皇子がそうお思いなら首を落とせばいい」
「つまらん」
剣の腕は物部目の方が上だろうが、自分が首を落とすといえば抵抗することなく首を落とされるだろうと思った大泊瀬皇子は、つまらなさそうに床に転がり積まれた書簡に視線を送る。地方豪族の動きを物部が調べ纏めた報告書や、朝廷内の動きを纏めた書簡は毎日大泊瀬皇子の元へ届く。目を通すのは殆ど物部目であるが、退屈な時は大泊瀬皇子も目を通す事もある。地方豪族の動きは不穏であるが、それ以上に兄である大王の周りも不穏といえば不穏であった。
先日后に立てた中蒂姫の件だ。
草香幡梭姫皇女を大泊瀬皇子へと、兄としての気遣いで嫁を勧めてくれた穴穂は、そのやりとりの中、根使主の讒言を信じて大草香皇子を誅殺した。無実の罪でだ。普段から素行の悪い自分ならともかく、大泊瀬皇子はコレが大王である兄の大きな問題にならないか密かに心配していたのだ。そして殺した大草香皇子の妻を后に立て、眉輪王をも宮中で育てている。大泊瀬皇子なら一族全て後腐れが無いように誅殺する所だが、大王はそこまでする気もなかったのだろう。
「……殺してしまえばいいものを」
ボソリと何の前触れもなく呟いた大泊瀬皇子をたしなめる事もなく、物部目はちらりと視線だけを送り、また興味を失ったかのように書簡に視線を落とす。
激しい大泊瀬皇子の気性は人に恐怖を抱かせる。気に入らなければ直ぐに首を切るし、一族郎党根絶やしにするのを躊躇わない。その癖に気に入ればずっと傍に置いておきたがる。強烈な二面性は常人には理解し難く、傍に残る人間は限られてくる。物部目はその希少種なのだ。
「殺すなら火種を残さぬよう全部殺すべきです。下手に温情をかけて寝首をかかれるのも莫迦らしい」
「……サラリと怖い事言うなお前」
物部目の呟いた言葉に同意は出来るが、表情も変えずに言われると流石に薄ら寒いものがあると、大泊瀬皇子は苦笑し瞳を細めた。瞳に映るのは、昔、物部目に渡した紅い勾玉。首飾りだった物を渡したのだが、邪魔だと物部目は結局勾玉だけを耳飾りにしたのだ。自分が持っていた時よりも少し小さく削られた勾玉は、いつも物部目が首に巻いている紅い布と同じ色で良く似合っていると、大泊瀬皇子は満足したものだ。紅が似合う。それは神事を司る物部として良い事なのか悪い事なのかは分からない。血の穢れを彷彿とさせるその色彩が似合うといえば、他の物部なら厭な顔をするだろう。けれど、物部目はその言葉を聞いて、淡く笑っただけであった。
そんな事を考えていると、突如部屋に舎人が滑り込んできたので、大泊瀬皇子は僅かに眉を上げて声を掛ける。
「どうした」
舎人の言葉に大泊瀬皇子は思わず舌打ちをし、物部目は書簡から漸く顔を上げた。
大王が眉輪王に殺されたのだ。
思ったより早かっただけで、いずれは起こる惨劇だったのかもしれないと大泊瀬皇子はぼんやりと考え、視線を宙にさまよわせた。実の父親を殺した大王に対して、眉輪王が復讐を企てるのは安易に予想できたのだから、兄弟の中で、一番自分を可愛がってくれていた兄・穴穂の為にも殺しておくべきだったのかもしれない。
突如立ち上がった物部目に驚いた大泊瀬皇子は、彼を見上げて言葉を放つ。
「どうした」
「詳しい話を聞いてきます」
「そうか」
部屋を出た物部目を見送ると、大泊瀬皇子は口元を歪めて笑う。
「殺すなら全部……か……」
その言葉を吐いた事を物部目は後悔するだろうか。そんな事を考えながら、大泊瀬皇子は傍らの剣を握り締め立ち上がった。
眉輪王が大王を殺しそのまま姿をくらませたのを確認した物部目は、部下に追走を命じて僅かに眉間に皺を寄せた。玉座を望んだ訳ではなく、己が父の敵討ちを望んだ眉輪王。大王を失った朝廷はまた血生臭い武力抗争に陥るだろうと考えると、いっそ眉輪王が玉座を狙ったのならば楽だったのにと心の中で呟く。
「目様!」
大泊瀬皇子の館に戻った物部目の姿を見て、血相を変えて飛び出してきた舎人に、物部目は僅かに眉を上げると相手の言葉を待つ。
「皇子がお戻りにならないのです」
「……いつから?」
「先日目様が館を辞してのち、直ぐに出られたのですが」
三日は経っているだろうと考え、物部目は軽く舌打ちをすると、自分も探すと踵を返した。
訃報を聞いて激昂しなかったので放っておいたのが裏目に出たと、物部目は馬に飛び乗り、恐らく大泊瀬皇子が向かったであろう場所へ走り出す。感情にムラがあり、どう仕様も無い莫迦だが、大泊瀬皇子の事は嫌いではなかった。大王なるか討伐されるかのどちらかだと思っているのは今でも変わらないが、ここで行動を起こすとは思っていなかったのだ。予想以上の莫迦だ。けれど、大泊瀬皇子が比較的好意的だった大王が死んだ以上、眉輪王が玉座を望んでいない以上、このタイミングが最高であるとも思う。ただ、一気に片付けなければただ悪戯に朝廷が混乱するだけだと、物部目は思わず眉間に皺を寄せた。
「何をなさっているんですか?」
物部目が世間話でもするように声を掛けたので、大泊瀬皇子は視線を落としたまま言葉を放つ。
「見て分からんか。穴を埋めとる」
大泊瀬皇子の足元にポッカリと口を開けた大穴。手に持っている鋤に体重を乗せて返答した大泊瀬皇子の傍には大量の土が盛られていた。アレだけの量を一人で掘ったのならさぞかし手間だっただろうと思いながら、物部目は穴の中をのぞき込んだ。
「これまた、深い穴を……」
「その声は物部目か!」
薄暗い穴の奥から上がった声に、物部目は余りにも予想通りだと思わず呆れた様な顔をした。一気に斬り殺すかと思ったら、大穴を掘ってワザワザ突き落とす辺り暇だったのかと思わないでもないが、自分が来るまでに何か問答があり、その結果穴を掘ったのだろうと好意的に解釈することにする。
「誰かいらっしゃいますね」
誰がそこにいるか予測していただろう物部目がわざと聞いたのだと判断した大泊瀬皇子は、口元を歪めると言葉を放った。
「あぁ、兄の白彦を埋めとる。兄である大王が殺されても動かん腑抜けは邪魔だ。だから埋める」
「兄殺しをする気か幼武!物部目!その莫迦を殺せ!」
己が弟ならばやりかねないと思ったのだろう。白彦皇子は声を上げると、物部目に大泊瀬皇子を殺す事を命じた。その声をきいた大泊瀬皇子は咽喉で笑うと瞳を細めて笑った。
「この腑抜けを助ける為にワシを殺すか?お前なら出来るだろうな」
剣の腕は一流で、その気になれば大泊瀬皇子の首など一瞬で落とせるだろう。表向き何の咎もない兄を殺そうとする大泊瀬皇子は、斬られる理由があるのだ。
「そのような事考えるまでもないですよ」
「ほぅ」
「さっさと穴を埋めて帰りましょう。莫迦莫迦しい兄弟喧嘩に巻き込まないで下さい」
その言葉に大泊瀬は鋤に体重を預けると、少しは悩めよと軽口を叩くが、白彦皇子は穴の底で怒りの声を上げた。
「物部目!貴様!」
「─―どうせ仕えるなら腑抜けより莫迦の方がいい」
穴をのぞき込んだ物部目は、怒りと恐怖の入り交じった表情を浮かべた白彦皇子に淡く微笑みかけると、別れの言葉を贈った。
「さようなら。白彦様」
手が汚れたとブツブツ文句を言う物部目を眺めて、大泊瀬皇子は持っていた鋤を担ぐとブラブラと歩き出す。
「……莫迦に仕えるお前も莫迦なのではないか」
その言葉に物部目は口元を歪めると、腰に下げた刀を大泊瀬皇子に投げて渡す。鋤を放り出し、それを受け取った大泊瀬皇子はその刀に視線を落として咽喉で笑った。
「火種を残さぬように……だな」
その呟きを肯定も否定もしなかった物部目は、次に一人で動く時はそれを持っていって下さいとだけ言い、さっさと歩き出す。
「お前、次期大王に刀を投げてよこすとか失礼だな」
「大王になられたら、幾らでも膝を折りますよ。才も十二分に発揮します」
憮然とそう言い放った物部目は相変わらずの無表情で、本気で言っているのか冗談なのかは大泊瀬皇子にには解らなかった。けれど、己はこの男の期待にはどうやら応えたらしい事は察することができた。今受け取た刀は、一番気に入っている刀だと聞いていたのだ。思わず顔が綻んだ大泊瀬皇子に物部目はしかめっ面をすると言葉を叩きつける。
「頭のネジでも緩んだんですか?それ以上莫迦になるのは勘弁してくださいよ」
「本当に失礼な奴だな。……まぁ、今更だが」
そういうと大泊瀬皇子は繋いであった己の馬の場所までたどり着いた事に気がつき、物部目に視線を送る。
「まだ火種が残っておるからな。行ってくる」
連れて行くことも出来ただろうが、大泊瀬皇子は物部目の渡した刀だけを持って残りの火種を片付ける事にした。悪評は己だけでいい。そう思ったのだ。すると物部目はいつも首に巻いている布を外し、大泊瀬皇子の首に巻く。
「……これもワシにくれるのか?」
「どれだけ私の物を持てば気が済むんですか気持ち悪い。貸すだけですよ」
「気持ち悪いとか言うな!」
もしかしたらこのままこの布で首を絞められるではないかと言う勢いで切り捨てられたので、思わず大泊瀬皇子は声を上げる。すると物部目は可笑しそうに口元を歪めて言葉を放った。
「初めから血を流していればもう斬られることはない。つまらないおまじないですよ」
だから首に紅い布を巻くのだと。その言葉に大泊瀬皇子は驚いたような顔をすると、布に触れる。決して上等だとは言えない何の飾り気もない布。
「ワシが大王になったらお前は大連にする。断ることは許さんからな」
「私としては早く楽したいんですけどね」
口ではそう言いながら、誰よりも大泊瀬皇子が大王の器であると認めているのは物部目であろう。平和な時代に大王になれば国を乱すであろうが、今、この時代に必要な大王だと思っているのだ。それは後に【悪逆非道の大王】と罵られる事になるかもしれない。けれど、朝廷を纏め、地方豪族を配下に収める事が出来るのは大泊瀬皇子以外いないだろうと期待もしていた。
けれど無理矢理大王にしても意味が無いと、物部目はひたすら待ったのだ。彼が玉座を望むのを。己の才も力も大泊瀬皇子に使うのは大王になってからだと言い張り、今も刀だけを持たせて送り出す。
「やっぱりお前は貧乏籤だ」
そう笑った大泊瀬皇子は、馬に跨ると口端しを上げて笑った。
「帰ったらもう少し上等な布をお前に贈ってやる。期待して待ってろ」
「私はもう十分ですよ。精々平和な国を民に分け与えて下さい」
そう言うと、物部目は耳飾りに触れる。出会った頃に贈った紅い勾玉。それだけで十分だと言う物部目は無欲なのか。それとも、民に平和な国をと望むのは誰よりも強欲なのか。そんな事を考えながら、大泊瀬皇子は馬を走らせた。
拙者の夢いっぱい幼武さんと物部目さん。
白彦云々は手ブロで描いた漫画ベース。
紅い布エピソードは北方三国志参照
20100507