*傾蓋知己*
──昔に遡る。
敷地内でも昼寝に持って来いの木陰。古代守はお気に入りのその場所に足を運んだが、先客がいた事に目を丸くする。
大木にもたれかかり、膝には先程まで読んでいたのか本が置かれている。
そして、その男の傍らで丸くなる猫。
古代が思わず目を丸くしたのは、その男が無防備に寝ているのが非常に珍しい様な気がしたからだ。
「……真田だっけか?」
彼の胸元のネームプレートを確認し、古代は自分の記憶間違いではない事を確認して、満足気に笑った。
同じ大学に在学しているとはいえ、お互いに専門が違い親しいというわけではなかったが、研究畑である真田志郎の噂は古代も時折耳にしたし、戦術・戦略シミュレーションの成績では古代に劣るものの真田はいつも上位に名前を連ねていた。ただ、会話をする機会に全く恵まれなかった。
遠目に見る真田はいつもどこか張り詰めた様な空気を纏い、特別親しい友人が居る様には見えなかった。真田の戦術シュミレーションのログを以前見た古代は、いつか話でも出来れば、と思っていたのだが、これ幸いと話の切欠になればと彼の隣に座り、丸くなる猫を撫でる。尤も、後の真田に言わせれば、古代のログを見て一度意見を聞いて見たいとは思っていたが、いつも人が周りに居る彼には何となく割り込めずそのままだったと言う話しである。それを聞いた古代が、それならば遠慮しなければよかった、と笑ったのはまた別の話。
猫を撫でながら、古代はぼんやりと真田の顔を眺める。普段は神経質そうな真田の表情はどこか緩んでおり……それでも、恐らく自分の寝顔よりはずっとしかめっ面なのではないかと思いながら、古代は小さなあくびを噛み殺す。
元々昼寝をするつもりでここに来たのだ。猫の温かい体温と、程よい気候。あっという間に古代は睡魔の糸に絡み取られ意識を手放した。
「……先輩。先輩」
揺り動かされ飛び起きた真田は、己の顔を覗きこむ新見薫の顔を暫く凝視した後に、軽く頭を振って意識を覚醒させた。
「済まない」
「いえ」
恐らく休憩から戻らない自分を探しに来たのだろうと、後輩である新見の表情を見て察した真田は申し訳なさそうに詫びた。それに対し新見は気にしないで下さいと言うように笑ったが、直ぐに視線を落とし口を開いた。
「あの……こちらの人は起こした方が良いんでしょうか」
「え?」
真田は新見の言葉に首を傾げると、彼女と同じように視線を落とす。そこには猫を抱きかかえ、口を開けて寝ている男の姿。
一緒に寝ている姿を見て、新見は真田の知り合いだと思ったのだろうが、逆に真田は思わず後ずさる勢いで立ち上がろうとして、軽い目眩を起こし、また座り込む。
「大丈夫ですか?」
「立ち眩みだ」
しかしながらどうしたものかと再度真田は男に視線を落とし、そこでその男が古代守であると気がついた。
「……古代守?」
「何で疑問形なんですか」
呆れたような新見の言葉に、真田が僅かに苦笑した。
しっかり古代に抱きかかえられ、身動きの取れない猫が助けを求めるように真田を見上げたので、彼はそっと古代の腕をどかしてやる。あっさり古代は猫を手放し、猫は開放感からか背を伸ばし、礼を言うように、にゃん、と声を上げた。
「うお!」
その声に驚いたように古代は飛び起き、乱暴に髪をかき回した。
「寝てた……」
「その様だな」
まだ寝起きで覚醒しきっていない状態で呟いた古代に言葉に、真田は生真面目に返答をする。すると古代は目を丸くして真田の顔を眺め、口を開いた。
「……真田志郎?」
「だから何で疑問形なんですか」
思わず新見はツッコミを入れる。訳がわからないと言うように新見は真田と古代の顔を眺めるが、直ぐに時計に視線を落とし表情を変える。
「先輩。時間が」
「あぁ、済まない」
促されるように立ち上がる真田を見上げ、古代は人懐っこい笑顔を向けて口を開いた。
「それじゃ、また。真田」
「あぁ」
反射のように返答をした真田であったが、直ぐに困惑したような表情を古代に向ける。しかし彼は我関せずと言うように、猫を抱き上げ、空いた手をひらひらと振った。
その言葉の意味を真田が知ったのは、数日してからであった。
自分の研究室に行くと、新見と一緒に珈琲を古代が飲んでいたのだ。
「お帰り」
相変わらずの人懐っこい笑顔で古代は真田を迎えたが、真田は前に別れた時と同じような困惑しきった表情を古代に向けた。真田は言葉を探しているのだろう、暫しの沈黙が研究室に流れ、新見は首を傾げた。
「先輩?」
「あ、いや。何か用が?」
「んー。特別用って訳じゃないけど。時間あるならちょっと遊んでもらおうと思って」
そう言うと、古代はトントンとPCの画面を軽く叩く。広げられているのは学科で使っているシミュレーターであった。丁度一戦終わった所なのか、戦果が画面上に記されている。
研究室に古代と新見しかいないのを確認し、真田は口を開いた。
「それは新見君と?」
「そうそう。いい鴨だった」
ニヤニヤしながら古代が言うと、新見は恥ずかしそうに顔を赤らめ見ないで下さい!と慌てたように画面を消そうとする。しかし真田に止められ、結局それは叶わなかった。
暫く黙って真田は画面を眺めていたが、首を傾げて口を開く。
「もう少し正攻法で崩せたんじゃないか?」
「いやー、面白いように奇襲に引っかかってくれるんで、ついね」
「やめて下さい!」
顔を覆うように新見が俯き首を振ったので、古代は笑いながら画面をリセットする。ログをざっと見たところ、古代のワンサイドゲームだったのだろう。教科書通りの正攻法で攻める新見と、相手の裏をかいて攻める古代。ただ、真田の以前見た古代のログでは、奇襲ばかりではなく、正攻法も彼はしっかりと使う。しかし、新見が教科書通り過ぎたのだろう。翻弄するように奇襲を重ねた様だ。
「そもそも、こんなに奇襲をかけた場合、コストが掛かり過ぎる」
「まぁ、それは大問題だな」
うんうん、と頷く古代を眺め、真田は呆れたような表情を彼に向けた。採算度外視ならばこのような勝ち方もありだろう。好みはあるが。そんな事を考えていると、新見が新しく珈琲を淹れるために席を離れた。
それを眺めながら真田は思いついたことを口にした。
「新見君と親しいのかい?」
「別に。たまたま研究室にいたから、遊んでもらった」
冷め切った珈琲を飲みながら古代は答え、催促するように真田を座らせる。どうしてもシミュレーターで対戦をしたいらしい。
「……コスト制限を設ける」
「諒解。ハンデは?」
「必要ない」
真田の言葉に古代は嬉しそうに笑うと、シミュレーターを再度起動させた。
それからと言うもの、古代は暇を見つけては真田の研究室を訪れ、他愛のない話をしたり、戦略・戦術理論について意見交換をしたりと、周りが驚く程の勢いで真田との距離を詰めていった。そもそも人当たりの良いとはいえ古代と真田の組み合わせは周りからすれば異様に見えたのだろう。
そんな中、新見は伺うように古代に声をかける。
「古代君」
「ん?何?」
珈琲を飲みながら古代が返事をすると、新見は僅かに視線を彷徨わせた後に口を開く。
「その……先輩と随分仲が良いですよね」
「うん。君も真田と仲が良いよね」
予想外の返しに、新見は驚いたように古代の顔を凝視した。その後に、からかわないで下さい、とそっぽを向く。
「あ、もしかして君、真田と付き合ってるの?俺おじゃま虫だったとか?」
「莫迦なこと言わないで下さい!」
怒ったように新見が声を上げたので、古代は苦笑して彼女の顔を眺めた。
「そっか。じゃぁ俺と付き合っちゃう?」
「はぁ?」
「そうすれば、研究室に入り浸っても真田に怒られない!」
あぁ、引っ叩きたい。新見は心底そう思ったのだろう。怒ったような、それでいてどこか呆れたような表情を作り古代を眺めた。すると古代は笑いながら、考えておいて、と短く言い立ち上がった。
結論から言うと、古代と新見は正式に付き合い始めた。古代と真田の組み合わせにも周囲は驚いたが、古代と新見の組み合わせに周りは驚愕した。
真田に関しては、そうか、と薄い反応であったので、逆に古代は苦笑した。
──データ保存・分析開始──再構築──再生開始
お互いにどこかちぐはぐだったのかもしれない。
否。
お互いに同じモノを、お互いを通して見ていたのだろう。
女は男を通して理想的な先輩に焦がれ、男は女を通して知的な親友に焦がれた。
手に入るはずがないとお互いに目をそらし、妥協して、お互いを哀れみ、身体を重ねた。
酷く歪で、けれど、幸福だった記憶。
それが壊れたのはいつだったのだろうか。
学校を卒業して、それぞれが違う道を歩んだが、そこまでは良かった。
お互いを口実として、焦がれた男に会うことも出来た。
──破損データ確認・修復開始──終了──再生開始
「あぁ、真田は嘘が下手だな」
「そうですか?余り表情に出ないと思いますけど」
新見の言葉に古代は苦笑して、更に言葉を続けた。
「そうだ、薫君。今度ゆきかぜに乗ることになった」
「……おめでとう……と言えばいいんでしょうか。正直複雑ですけど」
ガミラス軍との戦いで幾つもの戦艦が宇宙に消えた。それを考えると手放しでは喜べなかったのだろう、新見は僅かに表情を曇らせた。軍人としては喜ぶべき所なのは、彼女も重々承知している。
「うん。だから、お別れしようと思って」
「……貴方はいつも唐突ですね」
「ごめん」
歪で、嘘に塗り固められた関係ではあったが、新見なりに古代に情はあった。お互いにお互いを……己すら欺いて、けれど幸福だった数年間。
「それでも……そうですね、幸せだったのかもしれません」
「うん。ありがとう。真田を頼む」
「……莫迦なこと言ってないで、生きて帰ってきて下さい」
怒ったように、けれど、どこか哀しそうに放たれた新見の言葉を聞いて、古代は笑う。
「そうする。真田を独り占めされるのは悔しい」
それは古代が彼女についた最後の嘘だった。
ゆきかぜに乗ることを真田に報告した時、彼は明らかに何か隠していたし、計画書は計画書で首をかしげる部分があった。そして古代守は、もしかしたら帰れないかもしれないと覚悟を決めた。
弟を一人残してゆくのは心残りではあったが、軍人として生きていくと決めた以上拒否はできなかった。己の屍が、何かの礎になるのならそれでよかった。古代守は、そうして覚悟を決め、軍人として生きて、死んだ。
──データ修正・死亡未確認──修正完了──再生終了
ほぅ、とため息をついた女は、横たわる男に視線を落とした。
捕虜としてガミラス軍に輸送されていた地球人のうち、生き残ったのは彼だけであったが、その彼の命もそう長くは持たないだろう。
女は地球人というものを良く知らなかった。辺境の惑星で、ガミラス軍によって滅ぼされようとしている。見捨てても良かった。けれど辺境惑星の無知さ故、ガミラス軍の恐ろしさを知らないのか、その惑星の人間はガミラス軍に対抗してきた。だから女は、この広い宇宙で唯一、ガミラス軍に歯向かう辺境の惑星に救いの手を差し伸べた。
宇宙を航海する技術、そして汚染された惑星を救うコスモリバースシステム。妹にコスモリバースシステムを持たせても良かったのだが、一時的に助けても意味は無いと女は考えていた。ガミラス軍の技術・軍事力に対抗出来なければ、結局滅びるだけだけである。だから、女は試したのだ。己たちの技術力を提供し、この宇宙を渡れるか、ガミラス軍に少しでも対抗できるか。そして今、地球はヤマトという戦艦で、女の元へ向かっていた。
そんな中、ガミラス軍が捕虜として追撃した戦艦から地球人を輸送していたが、事故のどさくさで、彼女は男を匿った。少しでも地球人の事を知りたかったのだ。
そして男の記憶を覗いた。
「不思議な人。貴方だけ?地球人は皆そうなのですか?」
死んだ両親の事、弟の事、恋人の事、そして親友の事。
近くて遠い親友。こんなにも焦がれているのに、何故。嘘で塗り固められた関係なのに幸福だったと感じたのは何故。歪だった関係を自ら壊したのは何故。
疑問ばかりが彼女の心を支配した。だから彼が目を覚ましたらどうしても聞いてみたかった。
けれど彼に残された時間はあまり無かった。一応の回復の兆しは見せたが、そう長くは持たなかったのだ。女は正直にそれを伝えた上で、彼の体力の許す限り、地球人を、彼を知ろうとした。
「……好奇心旺盛だね。新見君みたいだ」
苦笑した男を眺め、女は哀しそうに笑った。本当は親友のようだと思っていたのに、彼があえて恋人の方の名を上げたのに気がついたのだ。嘘つきだ。けれど彼女はその嘘が嫌いではなかった。
「私の願いを聞いてくれますか?」
「それじゃ、こっちの願いも聞いて欲しいな」
それは取引だった。
女は男の遺伝子が欲しかった。
男は船に搭載するコスモリバースの核に志願した。
最後まで軍人として、地球を救う為に、と言う名目で。
そして大嘘つきの男は死んだ。
コスモリバースの再起動を知覚して、スターシャは瞳を細め、今は静かな宇宙を眺める。
古代守と言う男は、確かに軍人として生きて、軍人として死んだ。
けれど、死んだ後、彼は軍人であることも、嘘をつくこと辞めた。
「……えぇ。そうですね。そうでしょう」
恋人を亡くし泣く弟の心を救うことを選んだ。焦れた親友の姿を遠くから眺めることで満足した後、彼は、あっさりと地球を救うすべを手放したのだ。
なんという自分勝手な男だろうか。
けれどスターシャは、その判断が、あの男らしいと何故か納得出来てしまった。
軍人という枠の中、彼は彼なりに歪な世界と、偽りの幸せを構築し、虚構の英雄となった。そんな彼が、漸く嘘のない望みを叶えたのだ。
不思議で、不可解で、身勝手な地球人の男。
そして大嘘つきの男。
──けれど、幸せな男だった。
スターシャは今度こそ消えて、宇宙に溶けた古代守を思い、瞳を伏せた。
オオアザ先生お誕生日企画
20150401