*幸運雑貨*

 教室の片隅でオレンジがかった茶色い髪を指で弄りながら男は雑誌を熱心に捲っていた。眉間には皺がより、余り機嫌が良いという表情ではない。
「何してるんですか?千石さん」
「やぁ、太一君」
 教室に入ってきた壇の姿を見て千石は先程とは打って変わって穏やかな表情で顔を上げると、雑誌のページを指差しほんの少しだけ苦笑した表情を作る。
「どうも今週の運勢良くないんだ。困ったね。折角のヴァレンタイン週間なのに」
 千石の言葉に壇ははぁ、と気のない返事をし、雑誌を覗き込む。そういえば今週はヴァレンタインである。壇にしてみれば余り興味がない…というか、見ず知らずの人に行き成りチョコを押し付けられるという、結構困った日であったりするが、逆に千石にとっては重要なイベントらしい。
「本日のラッキーアイテム『スペアーキー』ってのも微妙だよなぁ。そんなの持ってないし」
 わざとらしく腕を組んで悩む仕草をしている所にテニス部の南が声をかけてきた。無論千石も南もテニス部は引退しているが、週に数回部活に顔を出している。本日がその日だった為に壇は千石を迎えに来た訳だし、南の一行に戻ってこない壇を迎えに来たのだ。
「何やってるんだお前らは。千石もジュニア選抜に選ばれてるんだから、たまの練習日位時間通りに来たらどうだ」
 その言葉に千石は少しだけ肩をすくめる仕草を見せると、壇に、じゃァ行こうか、と声をかける。ぐずぐずしていると、壇も一緒に怒られる羽目になると思っての事であった。

「遅いぞ太一」
 部室の前には室町が鍵を持って途方に暮れているようであった。そこへ千石たちがやってきて室町は表情を明るくした。
「どうした?」
 南に声をかけられると室町は鍵を千石達の方へ見せる。使い込まれた鍵は、溝に傷が入り年期を感じさせる。
 それを見て壇は慌てたようにポケットから同じ鍵を取り出し室町に渡す。
「ついに鍵がいかれました。太一に職員室保管用の鍵を取ってきて貰ってたんですよ」
 がちゃりと鈍い音がし鍵が開く。それを黙ってみていた千石は、突然室町の手から鍵を取り上げるとにっこりと笑って南の方を見る。
「部員が使う用のスペアーキー作ってくるよ」
 その言葉に南は、は?と間抜けな声を出したが、千石はお構い無しに手を振って走り出す。
 それに驚いた南は慌てて引きとめようとするが既に千石の姿は遥か彼方で、声が届くかも怪しい距離であった。
 がっくりと肩を落とした南は、困ったような表情を作って室町達に部活の準備をするように指示をした。遊びに行ったら鉄砲玉な千石を待つだけ時間の無駄だと長い付き合いでよく知っている。夕方には鍵を返しに帰ってくるだろう。その時に説教でも何でもすればよい。

 

「ラッキーアイテム『スペアーキー』ってね」
 鼻歌を歌いながら千石は歩きなれた道を鍵を玩びながら歩く。駅前に鍵屋があった筈である。
 人通りの多い駅前は何処もかしこもヴァレンタイン企画で人が多い。ましてや、前日となると女の子が多くて目の保養になる。
 ついいつもの癖できょろきょろしながら歩く。
 偶然会えるのを楽しみにいつも探すおさげ髪。
 流石に此処は少し遠いから無理かな、と考えてるうちに鍵屋へ到着し、千石は店の人に鍵を渡す。
 直ぐに出来るから待ってて下さいといわれ、千石は椅子に腰掛けショウウインドウから外の光景を見る。

 制服・スーツ・私服。

 どんな格好をした女の子も手の荷物を大事そうに抱えて歩く。きっとそこに大事な気持ちが詰まっているのだろう。
 そんな事を考えながら少しブルーな気分になる。
 きっと今年も沢山のチョコレートを貰うであろう。でも、どうしても欲しいチョコがある。本命なら嬉しいが、義理でもこの際贅沢は言わない。
 結構本気なんだけどなぁー、と情けない表情を作った瞬間視界にちらりと探す人影を見たような気がして、がたんと椅子を大きく鳴らし立ち上がる。
「兄ちゃん、鍵できたよ」
 店員の言葉に千石は更に情けない表情を作り財布をポケットから取り出すと支払いを済ませた。

 既に見失った人影を追いながら歩くが、段々と気分は落ち込んでくる。多分アレは見間違いだろうと自分に言い聞かせ、今更店員から受け取った鍵を確認する。
 それを見た千石は少しだけ考え込んで踵を返すと今来た道を戻る。折角だからキーホルダーもつけようと突然思い立ったのだ。
 今まで使っていた鍵には確か小さな鈴のキーホルダーが付いていたはずだ。千石が鍵を何処にしまったか解らなくなった時用に南が付けたのだ。大概ジャンプしたりカバンを振ったりするとその音がして探す当てが出来るのだ。情けない話だが、結構その鈴に助けられていたりもする。
 千石は駅前の雑貨屋の前で足を止めるが、そこは人でごった返していた。
「うわぁー。此処もヴァレンタイン一色か」
 ここに丁度良いキーホルダーを売っていたのを覚えていたのは良いが、コレだけ女の子がいると実に入り難い。多分浮くであろう。
 日を改めようかと思った時に、人ごみの中から小さな悲鳴が聞こえ、そちらに視線を向ける。
「…桜乃ちゃん」
 人ごみの中から押し出され転がり出てきたのは探し人であった。さっきのは自分の脳が会いたいと思うが故に見せた幻でなかった事を女神様に祈りながら千石はうきうきと彼女の側に寄っていく。
「せ、千石さん!?」
「やぁ、素敵な偶然だね桜乃ちゃん」
 みっともない所を見られて恥ずかしくなった桜乃はかぁーと顔を紅潮させると恥ずかしそうに俯く。
「お買い物?」
「はい。友達と来たんですけど…お店の中で逸れちゃって…。あの、千石さんは?」
「この店にキーホルダー買いに来たんだけど、この人だから明日出直そうと思ってね。此処に可愛い鈴のキーホルダーあったんだけどね」
 そういうと千石は先程作ったスペアーキーを桜乃に見せる。それを見た桜乃な納得したように頷く。先程店の一角にキーホルダーを沢山吊るした棚があったのを思い出したのだ。
「桜乃!何処にいるの!?」
 人込みの中から彼女を呼ぶ声が聞こえ、千石は少し残念そうな顔をする。すると桜乃は呼び声に返事をし、友達に手を振る。
 何度か試合で見た事のある少女が桜乃に駆け寄ったのを確認すると千石は肩をすくめて、またね、と残念そうに桜乃に微笑む。
「早く帰ってリョーマ様への手作りチョコを作るのよ!桜乃!」
 少女は桜乃を発見するや否や腕を掴み引きずるように彼女を連れて行ってしまう。
 困った顔を作った桜乃は千石に視線を合わせて、小さなお辞儀をした。

―─そうか。手作りチョコか。

 確かに彼女に合えたけどそれはないよ女神様、と先程とは打って変わって恨み言をいう羽目になった。矢張り運勢はよろしくないらしい。中途半端な幸運に男泣きしそうなのを堪えて千石はしょんぼりと学校への道を歩いた。

 

 南にこっぴどく絞られた千石は懲りずに翌日、駅前の雑貨屋に向かう。紙袋一杯のチョコは有難いが心は全然晴れない。
 紙袋を足元に置き、千石は店の片隅にある飾り棚を見てキーホルダーを選ぶ。こうやって好きな鈴を選んで気分を晴らそうと考えたのだが、どれもコレも同じ鈴に見える所を見ると、結構重症らしいと漸く千石は自覚する。
「やばいなぁ、なんだか泣けてきたよ」
 ぶつぶつと独り言を言っていると、足元の紙袋ががさっと倒れたのに気が付く。それと同時に、ごめんなさい!!と可愛らしい声が聞こえ、千石は慌ててその声の主に視線を送った。
「あ」
「御免なさい!!あの、もしかしたらと思って近くに寄ったら引っ掛けちゃって!その…」
 紙袋にせっせとチョコを詰めなおしているのは桜乃せであった。態々声をかけようとしてくれたのに喜びを感じながら、大量のチョコを見られたばつの悪さに千石は困った表情を見せた。
 漸くぶちまけたチョコをつめ終えた桜乃は恥ずかしそうに俯いて再度謝る。
「いいよ。ごめんね邪魔だったよね」
 苦笑しながら千石は紙袋を受け取り桜乃の表情を伺う。
「あの…昨日又此処に来るっていってたから寄ってみたんですけど…その…」
「態々来てくれたの?有難う桜乃ちゃん」
「キーホルダー…選んだんですか?」
「いや。なんだかうまく選べなくて…またにしようかと思ってた」
「そうですか」
 桜乃のほっとした表情に千石は首を傾げる。
 期待半分で待ち構えた千石だが、結局彼女はそれじゃぁ、といって帰ってしまった。
「うわぁ、やっぱり残酷だよ女神様」
 このチョコを見なければ彼女はお情けで義理でチョコをくれたかもしれない。

 

 家に漸く付く頃にはすっかり肩がこっていた。
 別に恨みはないし、くれた女の子には感謝してる。でも、今日は勘弁してね、女神様が悪いんだからと勝手なことを考えながら千石は紙袋をひっくり返した。
 リン、と聞こえたような気がしたので千石は辺りを見回す。今日は結局キーホルダーは買わなかったのにと首をかしげながら、恐らくこの中からだろうと紙袋から転がりだしたチョコを確認する。
 その中で見覚えのない袋を発見する。
 チョコをくれた女の子の顔も、どんな物をくれたかも覚えている千石の記憶の中には存在しない包みであった。
 試しにその袋を振ると中から、鈴の音がする。
 怪訝そうな表情を作りながら千石はその包みを開けると、そこには鈴のキーホルダーとチョコレートが入っていた。
「鈴のキーホルダー…」
 二つの鈴が付いた可愛らしいキーホルダーを指で摘みあげると千石は包みの奥に手紙が入っているのに気が付く。

『千石さんへ
 もうキーホルダー選んでいたら御免なさい。
 チョコレートも余り巧く出来ませんでしたが受け取ってください。
 竜崎桜乃』

―─幸運の女神様っているんだなぁ。

 チョコレートも多分手作り。本命か義理か解らないけど、手作り。
 きっと紙袋をひっくり返した時にそっと入れたのだろう。
「直接渡してくれれば良いのに」
 そうつぶやきながら千石は嬉しそうにキーホルダーとチョコレートと手紙を眺めた。
 部室の鍵用のキーホルダーはまた今度買いに行こう。そう考えながら千石はキーホルダーを家の鍵につける。

 オレンジとピンクの2つの鈴が、リンと心地よい音を鳴らした。


>>あとがき

 千石v桜乃・第3弾。まだ懲りずにやってます(苦笑)
 折角のバレンタインつー事で、久々にカップリングSS更新ですね。今回のラッキーアイテム『スペアーキー』ですが、話を終えてみたら『キーホルダー』でもよかったなぁと思ってみたり。
 このカップリングは思い出したように細々とやってるんですが、良いですね。千石(笑)思春期真っ只中って感じで。頑張れ男の子風味をかもし出してますね。

20040209

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