*亡国の音*

 初めて先主に出会った頃はまだ二十歳にもならない若造だった。幾多の戦場を駆け巡り、その名を三国に轟かせ、西蜀の五虎大将まで上り詰めた。
―─その私が何をしている。
 病に蝕まれた体は戦場に立つ事も赦さず、軍師殿が今尚北伐の為に国を纏めているというのに役に立つ事も出来ないのだ。無様だと自嘲気味に微笑うと彼は寝台から重い体を下ろし格子のはめられた窓の方へ視線を送る。
 庭先には老木が冷たい夜の空気を受けながらその枝を空へ、その根を大地に向けている。自分よりずっと年を重ねたその大木が今だその体を大地に下ろし自らが生きている事を懸命に知らせる様は羨ましくもあり憎くもあった。

―─戦場でなら命も捨てよう。

 それだけが望みだった。
 この乱世で最後まで軍人として生きて居たかった…散りたかった。

 寝台の横に立て掛けていた愛用の短槍を手に取るとその老木の所迄行き瞳を伏せる。
 夜風は適度の緊張感を体に与え、嘗て戦場に立っていた時の様な感覚が少しずつ体を支配する。馬を走らせ、槍を振るい、流浪の軍として戦っていた自分自身を、そして今はもう居なくなってしまった仲間達を思い出す。自分は五虎大将の最後の一人になってしまった。

 槍が弧を描き空を切る。

 嘗て若舞梨花と謳われたその槍術は年を重ねても褪せる事はない。むしろ、年を重ねる毎にその鮮やかさは増していった。
 舞を舞う様なゆったりとした体のこなし、それでいて触れれば切れるような穂先の鋭利な動き。

「父上」

 屋敷の方から声がしたので彼は舞を止めてそちらを向く。
「お体に触ります。お止めください」
 顔面を蒼白にして青年は彼を止める。青年の顔を見ると、僅かに苦笑して老木へもたれ掛かり今日は気分が良いと瞳を細める。
「…取り敢えず羽織る物を持ってきます。無理はしないで下さい!大事なお体なんですから」
 青年はそういい残すと忙しそうに屋敷へと引っ込んでいった。

―─例えば私が死ぬ事で何かが変わるのだろうか。

 もたれ掛かった老木のザラザラとした樹皮を撫でながらぼんやりとそんな事を考える。戦場に立つ事で生きている意味があった。例え軍司殿に後主の面倒を見る様に命ぜられても、いざという時は戦場に出れると思っていた。
 今は何をする訳でもなく唯惰性の生を送っている。

―─無様だ。

 自分より若い人間も年を重ねた人間も、敵も味方も、戦場で多く散っていった。
 何故私にはそれが赦されなかった。

―─軍師殿…私を戦場で死なせて下さい。

 頬を涙が伝い、持っていた槍を思わず握り締めると老木を見上げる。
 この木はこの乱世を見届けるのだろうか。幾人もの死を見届けるのだろうか。



 趙雲将軍が亡くなったという知らせを受け、蜀軍軍師である諸葛亮は瞳を伏せ、星を一人で見上げながら彼は心の中で懺悔した。

―─私は貴方の唯一の望みを知りながらそれを握りつぶした。

 嘗て、趙雲はその実力を自他共に認められながらも、前線に出ることのない日々を過ごしていた時期があった。
 それに彼は不平不満を漏らすことなく、黙々と与えられた任務をこなし、自己鍛錬に励んでいた。
「貴方にしか任せることに出来ない仕事なのです」
 諸葛亮が申し訳なさそうに趙雲に言うと、彼は僅かに微笑んで気にしないで下さいという。
「…どんな仕事であっても、国の為ですから精一杯やらせて頂きます」
 終始控えめでありながら、いざという時は相手が先主であっても意見をする程の意志の強さを見せる。それが趙雲の魅力であり、強さ。諸葛亮は彼のそんな所が気に入っていた。
 始めて劉備軍に加わった時も、関羽や張飛は難色を示したが、彼は先主の選んだ軍師ならばと快く受け入れてくれた。
 そんな事もあって、趙雲は諸葛亮の戦術では重要な所を任せられる事が多かった。彼に任せれば安心だと誰もが思うのだ。
「それでも…私には一つだけ望みがあるんですよ」
 突然趙雲が意外な言葉を吐いたので諸葛亮は少し驚いた表情を見せながらも、聞いても良いですか?と穏やかに言葉を返した。

―─私は戦場で死にたいんです。

 彼らしい望みだと思った。
 この乱世でどれだけの人間の命が散ったのかは解らない。志半ばで散った命もあっただろう。そんな中、彼は自分の死ぬべき場所を見据えていたいたのだ。最後まで戦って死にたいと。

―─私は貴方を死なせる訳にはいかなかった。

 蜀軍は慢性の人材不足に陥っていた。嘗ての五虎大将に匹敵するような人材が居なかったのだ。
 先主が亡くなった次点で蜀はゆっくりと傾き、最後の五虎大将・趙雲だけが頼みの綱だった。

 例え、趙雲が前線に出ていなかったとしても、彼が後ろに控えているというだけで皆安心して戦えるのだ。それは自分とて同じ事だった。彼が存在する事が蜀を支えていた。

―─柱を失う訳にはいかなかった。

 国を支える為に私は貴方の望みを握りつぶした。戦場で死にたいという貴方の望みを。

「丞相殿」
 振り返るとそこには表情を翳らせた姜維が立っていた。
「…この国の柱が遂に倒れました」
「はい」
「これから辛い戦いになりますよ」
 多分姜維にではなく、自分自身に言い聞かせた言葉だったのかもしれない。もう誰も居なくなってしまったのだ。姜維や他の人間がこの国を支えるにはまだ早く、自分自身が最後の柱となってしまった。
 今まで趙雲に背負わせていた物が自らの両肩に圧し掛かるのが厭という程感じられる。

―─私は貴方の望みから瞳を逸らしても守らなければならない物がある。

 蜀を守り通しましょう。貴方の望みを礎にして。死んでいった者達が築いたこの国を。
 それが傾国の足掻きだと嘲笑されても。


>>後書き

 真三国無双2で遊んでいた時の趙雲の死に台詞『戦場で死ねるのだ、くいはない』を聞いて書きたくなったお話です。ああ…戦場で死にたかったのか…と思わず遠い目になったんですよ。
 趙雲は最後は戦場で死ねなかったのが史実なんで、その辺書いてみました。っていうか、趙雲が死ぬ時は報告があっただけだったし(苦笑)かってに想像して。季節とか解れば、老木に花を咲かせてやりたかったんですけどね。桜とか綺麗かなぁ。
 趙雲の死を書いてるうちに、諸葛亮へのフォローも入れておこうかなと、後半が出来ました。軍師って辛いんですよって感じで。国を第一に考えなければならないだろうし、それでも本当は趙雲の望みも叶えてやりたかったって板ばさみ状態。蜀はもう駄目だと諸葛亮も解っていたと思うんですよ。でも、途中で逃げ出すのも諦めるのも、今まで死んでいった人達に顔向けできないと抗ったんじゃないかなぁ(希望的観測・笑)

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