*桃源郷歌*
天国の中でも桃源郷と分類される地区に案内された桃太郎は、案内人の言葉を聞きながら辺りを見回した。観光名所とも言われる場所で、ある程度整備はされていたが、もう少し手を加えた方がいいのかもしれないと桃太郎はぼんやりと考える。柴刈りが祖父の仕事だったせいなのかどうかは桃太郎には分からなかったが、案内された場所をぐるりと周り、彼は案内人に礼を言う。
「場所は把握しました」
「うん。それじゃぁ宜しく頼むよ。養老ノ滝近辺とあの辺は私有地だから入らないように。ゆくゆくは柴刈りをお願いするかもしれないけど、今日は家主が留守のようだから」
案内人の言葉に桃太郎は頷くと、渡された籠を背負って早速柴刈りを始めた。
地獄でやんちゃをして鬼灯にボコボコにされてから数日。他のお供たちは地獄で就職したと聞いた。元々天国の住人であった桃太郎は、鬼灯に紹介されるまま、桃源郷の柴刈りの仕事を引き受けたのだ。
元々祖父の仕事であったので、柴刈り自体には抵抗も無いし、多分他の仕事をするよりも向いているのだろう。生来の生真面目な性格もあり、桃太郎は文句の一つも言わずに柴刈りを黙々とする。
時折見かける兎は、鼻をひくひくとさせながら珍しそうに桃太郎を眺めたが、彼等は彼等でもしゃもしゃと雑草を食べている。きっと自分と同じ仕事なのだろう、そんな事を考えながら、桃太郎は日が暮れるまで柴刈りを続けた。
柴を言われた場所に積み上げ、桃太郎は準備された長屋に戻ると、久しぶりに腰に来た!と呟き板の間に寝っ転がる。そもそも天国というのは気候が良く、野宿でも問題は無いらしいのだが、天国で仕事をする人間の寮の様なものらしく、桃太郎も狭いながら一室を割り当てられた。
他の皆は元気にやっているだろうか。
そんな事を考えながら桃太郎はごろりと寝返りを打つ。シロあたりは人懐っこいので大丈夫だろうが他の二匹はどうだろう。現世から己のお供としてついてきてくれた彼等と長く離れたのは久しぶりで、思わず桃太郎はため息を零した。
地獄に出入り禁止は食らっていないし、仕事に慣れてきたら顔を見に行こうか。
そんな事を考えているうちに、彼は疲労でウトウトとしだした。
翌日も籠を背負って柴刈りに行った桃太郎は、ふと視界に入った草をつまむ。良く祖父が足が痛いと言っていた時に煎じて飲んでいたモノだと思ったのだ。柴に紛れて生えていたので、貰ってもいいだろうと、根を掘り返し、桃太郎は弁当を入れている袋の中に詰め込んだ。
元々村から外れた山奥に住んでいた上に、然程裕福では無かったので、傷薬等は祖父が自前で調達していた。今考えればそれにどれほどの効果があったのかは良く分からないが、桃太郎が熱を出したりすれば、仕事で疲れた身体に鞭を打って祖父母が熱冷ましの草などを探しに行ってくれたのを思い出し、桃太郎は思わず瞳を細め懐かしい気持ちになった。
己が増長し、忘れていた暖かい思い出だった。
「それ。使うなら甘草もいるんじゃない?」
突然声をかけられ、驚いたように桃太郎が顔を上げると、そこには愛想の良さそうな、ひょろりと背の高い男が立っていた。
「え?甘草?」
「そう。芍薬でしょ?それ」
「いえ、名前は良く知らないんですけど……祖父が足の痛み止めに使ってたんで……あの……黙って持っていったのはまずかったですか?」
仕事は柴刈りなので集めた柴や雑草は決まった場所に纏めて収めている。しかしながら、もしかしたらこの仕事の後に、己が知らなかっただけで、必要なものを仕分けする仕事があったのかもしれないと思い至り、桃太郎は頭を抱える。
顔面蒼白な桃太郎とは逆に、男はヘラヘラと笑うと、いいよいいよー、と手を振って、少し離れた場所に生えていた草を引っこ抜く。
「コレが甘草ね。こーゆーのは基本的に単独では使わないけど、コレは単独でも咳止めで使える。足の痛み止めなら芍薬と甘草を調合した方がいいよ」
「はぁ……」
ぽかんとした表情で桃太郎が男を見上げると、彼は瞳を細めて笑った。
「漢方興味ある?」
「カンポー?」
「そう。薬作り」
「あー、一応柴刈りで天国に雇われてるもので……興味が無いわけでは無いんですけど、仕事の優先順位が……」
桃太郎の言葉に男は、あ、そうか、と納得したように頷いて、ヘラヘラと笑った。
「君が柴刈りの。そういえばアイツに人材斡旋頼んだっけ。ふーん。ちゃんと送ってきたんだ」
アイツと言うのは多分鬼灯の事だろうと思い、桃太郎は困ったように頷いた。鬼灯からの紹介である以上、柴刈りの仕事を優先させなければならないと思って、桃太郎は残念そうに笑う。
「機会があれば学んでみたいですけどね。手に職ってのも良いと思いますし」
「うんうん。分かった」
そう言うと男は足元に寄ってきた兎を抱えて愛想よく笑う。
「それじゃ、またね」
「はぁ」
よくわからない人だ。そう思い、桃太郎は男の姿を見送った。辺りにいた兎がぴょこぴょこと後をついて行く所を見ると、もしかしたら飼い主なのかもしれない。そんな事を考えながら、桃太郎は柴刈りの仕事を再開した。
ある日。
仕事から帰ると、長屋にまたあの男がいて桃太郎は仰天する。
「え!?あれ!?」
一瞬家を間違えたのかと慌てる桃太郎に、愛想よく笑いかけると男はペラリと紙を彼に差し出した。
「?」
「明日からうちで住み込みね。あのヤローに文句言われないように書類一式は整えたから」
「はぁ!?」
受け取った書類には、住み込みで仙桃農園の管理をする旨の内容が書かれており、仕事内容は柴刈りと薬局の助手となっている。
「名前は桃タロー君でいいんだね?僕は白澤。宜しく」
「いえ、桃太郎ですけど……」
余りの急な話に唖然とする桃太郎を他所に、白澤は長屋を見回した。
「荷物はあんまり無い?一応うちの倉庫に君の寝床作ったんだけど」
「あの……急な事でアレなんですけど……白澤様の助手って事になるんですか?」
「そうそう。まぁ、漢方に関してはおいおい教えていくし、初めの方は多分柴刈りメインになると思うけど。所でコレ食べていい?」
そう言うと白澤は桃太郎が夕食にと予め準備していた鍋に視線を落としてそわそわとする。
「えぇ。そんなもので良ければ」
これから上司になる人間であるし、まぁいいか、と桃太郎は鍋に火をかける。内容は大したものではないが、飽きが来ないように薬味はたっぷりと入れてある。先日この男……白澤が薬の材料を持って帰るのを黙認した為に、目についた薬味などは桃太郎が柴刈りついでに持ち帰っていたのだ。それを料理に使っている。尤も、煮る程度のもので料理というには味気ないものであるが、白澤はお構いナシに適当に椀を持ち出すと、温まったその鍋の中身を口に運んだ。
「うん。いいね。山椒?」
「山椒と……松の実だったかな?」
「その辺も漢方だと生薬なんだよ」
「へー」
モグモグと咀嚼しながら白澤は言葉を放った。余り薬の材料と言う感覚がなかった桃太郎は素直に関心したように声を上げる。
「働き者みたいだし、植物とか区別つけるの得意そうだし、まぁ、頑張ってよ」
「はぁ」
ともかく、新しい上司となった白澤。マイペースそうではあるが、そう悪い人間には見えなかった桃太郎は、とりあえず出来る事をやっていくしか無いとぼんやり考えながら、自分の分の夕餉をすすった。
月給5万円が安いのか高いのか相場が解らないので文句も言わずに桃太郎は白澤の所で働く事となった。実際問題、衣はともかくとして、食・住に関しては困ることはない。食材は家に置いてあるものを基本的に自由に使用できたし、買い足したものも領収書さえあれば白澤は気前よく支払った。
落ち着いたらと思っていたが、鬼灯に連れられシロもよく遊びに来るし、仕事も然程苦痛ではなかった桃太郎はそれなりに満足して日々を過ごしていた。
問題があるとすれば、精々白澤が直ぐに女を連れ込む事ぐらいだろう。仕事もそこそこに遊び呆ける姿には呆れるが、薬局もそれなりに繁盛しているし、給金が滞ったこともない。仕方なく桃太郎はそれに目を瞑り、与えられた仕事をせっせとこなして行く。
「……今日は遅いな」
日が高くなったのに一向に起きてくる気配の無い白澤。昨日はリリスが遊びに来ており、質素ながら料理を作ってもてなした桃太郎は、奥へ続く扉に視線を送って呟く。
「まぁいいか」
鍋の火を落とし、桃太郎は籠を背負うと日課である柴刈りと畑の水やりに向かうことにした。
「お店は良いの?」
「今日は昼からね」
毛布に包まり笑うリリスに、白澤は瞳を細めると人の気配の消えた扉の向こう側に視線を送った。
基本的に人のものに手を出さない主義ではあるが、リリスに関しては旦那公認ということで時折逢瀬を重ねている。リリスもリリスで、決してのめり込まない白澤に好感を抱いており、用事ついでにちょこちょこと顔を出すのだ。
「昨日のお食事美味しかったわ」
「桃タロー君はマメだからね。最近色々作ってくれる」
華やかな食卓に慣れたリリスには逆に斬新で良かったのだろう。昨日の酒の肴を思い出し、リリスは瞳を細めて笑った。
「いい子ね。欲しいわ」
「だーめ。彼がいなくなったら僕困るし」
「あらあら」
白澤の返答にリリスは口元を歪めて笑う。基本的に執着心の足りない白澤の返答が意外だったのだろう。長く生き過ぎた神獣は、余り物事に執着しない。それは彼が長い年月をかけてすり減らしてしまった心なのかどうかリリスには解らない。彼女は逆に長い年月をかけて、男への執着を重ねていったからだろう。
「堕落すると駄目だねぇ。彼がいると便利で便利で……」
「道具扱い?」
リリスの言葉に白澤は肩をすくめると、瞳を細めて笑った。
「まさか。そうだね……うん、多分アレ。母親?」
白澤の答えにリリスは思わず吹き出した。その様な返答が来るとは思わなかったのだろう。しかしながら、桃太郎がまめまめしく働く姿を眺めれば、一般的に言われる【母親】というカテゴリーがしっくり来るのかもしれない。尤も、リリスも白澤も【母親】と言うものとは縁が遠い。
クスクスと笑ったリリスは、脱ぎ散らかした服を引き寄せて着替えを始める。それを白澤は暫く眺めていたが、立ち上がり隣の部屋へ移動した。
開店準備中の兎達はちらりと白澤に視線を送ったが、またいつも通り薬を混ぜ合わせる。その様子を眺めながら、ふらふらと歩くと、竈にかけられた鍋に白澤は視線を送り、蓋を開けた。
予想通りそこには粥が入っており、卓には二人分の椀が並べて置いてある。
「あら。それは?」
「粥。随分飲んだ後だしねぇ。食べる?」
「えぇ」
瞳を細めた笑ったリリスに白澤は粥をよそった。鶏をベースに炊いたあっさりした粥で、ネギを添えてリリスに渡すと、彼女は息を吹きかけて少し冷まし口に運ぶ。
「あら。思ったより味があるわ。甘くないのね」
「オートミールだっけ?アレとはちょっと違うかな?」
苦笑しながら白澤は自分の分の粥を椀に入れ口に運ぶ。自分好みの味で思わず苦笑しながら彼は口を開いた。
「僕がどっちかというと辛党でね。桃タロー君が合わせてくれてるんだと思う」
それでも飲みまくった後にはいつも粥やら、二日酔いに効く薬を準備している。桃太郎が一番最初に調合を覚えたのも二日酔いや胃腸薬である事を考えると、全くもって便利な弟子であり、気の利く母親である。
「あぁ、堕落するね。危ないね。どうせ堕落するなら女の子相手のほうがいいのに」
独り言のように呟く白澤を眺め、リリスは笑う。
「墜落かもしれないわ。貴方神獣だし」
「墜落はいい思い出無いなぁ。地獄はゴメンだし」
粥をすすりながら言う白澤と笑うリリス。男を誑かし、堕落させ続けた彼女は、目の前の男を眺め、瞳を細めた。
「あれ?リリスさん帰ったんスか?」
「うん」
日課の仕事を終えて帰ってきた桃太郎に白澤は笑うと、ごちそうさま、と言葉をかける。
「はいはい。弱いんですから余り飲み過ぎないようにして下さいね」
「女の子といるとどうしてもねー」
反省の欠片もない白澤の言葉に、桃太郎は呆れたように瞳を細めたが、いつものことなので気にした様子もなく籠の中から採取してきた薬草を取り出す。
「足りないものは無いですかね」
「大丈夫。桃タロー君は優秀だねぇ」
「褒めても何も出ないですよ」
薬草を仕分けしながら呟いた白澤の言葉に、桃太郎は呆れたように返事をした後に、更に言葉を続けた。
「昼ごはんは何にします?」
うん、やっぱりオカンだ。そう思い白澤は瞳を細めて笑った。
師弟コンビイイヨイイヨ。地味に桃タロー君ってお母さんだと思うんだ。
20140319