*心満意足*

 日はとっくに暮れ、闇夜を男は鼻歌を歌いながら歩いていた。遠く隋まで旅立った摂政・聖徳太子は無事に己の国へ帰ってこれたのだ。苦難の道程を同行した小野妹子と乗り越えこうやって無事に帰還できたのは奇跡に近いと本人も思っていた。まず船に乗り遅れた時点で全てがグダグダではあったが、目的は果たしてきたので太子が留守中に国を任されていた蘇我馬子も疲労困憊で帰ってきた妹子と太子に暫くの休暇をくれたのだ。
 明日は昼まで寝れる。寧ろ1日中寝れるしカレーも食べ放題である。仕事場でカレーを食べると同僚が嫌がるので余り食べる事は出来ないのだ。
「太子」
 声をかけられたので太子はくるりと振り向く。なじみの声はフィッシュ竹中のモノであり、彼は池から顔を出して少し嬉しそうに笑っていた。
「竹中さん。久しぶり」
 ととっと太子は竹中のいる池に小走りに近寄るとしゃがんで挨拶をする。子供の頃からの友人である竹中は太子が年を取っても姿が余り変らず、そもそも池に住んでいるので人間ではないらしい。どちらかと言えば魚だと昔本人は言っていたが、太子にとっては魚でも人間でもどっちでもよかった。懐かしい顔を見て太子は帰ってきたのを実感する。
「どうだった隋は」
「…楽しかったよ」
 竹中の言葉に太子は淡く微笑むと池の淵にストンと腰を下ろした。竹中に隋であった事を色々と話すつもりなのだろう。その様子を見て竹中は水から上がると太子の隣に座る。
「それはよかった。何だか嬉しそうだね太子」
「…饅頭を…半分分けてくれたんだよ」
 体育座りをした太子は背中を丸め自分の膝に顎を乗せるとぽそりと呟いて笑った。船に乗り遅れて妹子と筏で追いかけた時に1個だけ妹子が持っていた饅頭。彼はそれを半分に割ってくれたのだ。物凄くいびつな割れ方をした上に色々あって殆ど太子が食べてしまった饅頭。結果的に偉く妹子の恨みを買ってしまったが太子は饅頭を直ぐに半分にしようと言ってくれた妹子の気持ちが嬉しかったのだ。太子はその時の気持ちをぽつりぽつりと竹中に話す。
「ノーズリーブジャージも何だかんだでちゃんと着てきてたし、基本的に良い奴だったよ。楽しかった」
 嬉しそうに太子が隋での話をするので竹中はずっと笑ってその話を聞き、心の中で安堵した。太子が他の人間の事をこんなに楽しそうに話すのは珍しかったのだ。

―─その血筋故に、地位故に、知性故に孤独だった太子。

 竹中は僅かに瞳を細めると、友達ができたんだねと微笑む。
「え?友達?友達って言うか、うーん、微妙だなぁ。今後はそうそう仕事で会うこともないだろうし。というか、私仕事しないし」
 結果的に今回は馬子が突然お前も隋に行けと言ったので一緒に旅をしたが、摂政である太子と妹子は余り仕事の接点がない。呼びつければ来るかもしれないが、今回の旅で嫌われたかもしれないと思っている太子はそれも気がひけた。それを考えて少ししょんぼりした太子の顔を見て竹中は子供にするように太子の頭をポンポンと軽く叩く。
「会いに行けば良いよ。きっと会ってくれる。優しい人なんでしょ?」
 太子の話では、長い旅で太子を見捨てようとしたらいくらでもその機会はあったのに妹子は文句を言いながらずっと太子を助けてくれていたようでるし、その人に竹中は会った事はないけれど、きっとこれからも太子を見捨てる事はないと思えた。
「…そうかな」
 膝に顔を埋めながら言う太子に竹中は少しだけ笑うと、大丈夫と言い太子の頭を撫でる。子供の頃から見てきた太子はある意味成長していない。ある一定ラインで完成されてしまい、孤高で、孤独な人となったのだ。それは多分彼の尊敬する父親が崩御してからだったと竹中は記憶している。唯一の理解者ともいえる馬子もそれを解っているからこそ太子の好きにさせている節があった。
 聡明な子供であった太子は人から一線引かれた位置にいつも立たされていた。尊敬は孤独へ、聡明さは畏怖へ。
「人間の友達は初めてだね太子。おめでとう」
 淡く笑う竹中をみて太子は恥ずかしそうで、それでいて嬉しそうな顔をした。太子は竹中の事を友達だと思っていたが、確かに人間の友達は初めてかもしれないと思ったのだ。
 太子は妹子の事は嫌いではなかった。余りにも自分に対してストレートに感情を発散させるのでそれが新鮮で、嬉しくて、つい調子に乗って又怒られるの繰り返しがとても心地よかったのだ。冠位を忘れたかのように手厳しい突込みを入れ続けるし、自分に対して尊敬の意を欠片もみせない妹子。
「…妹子は私のと今後も付き合ってくれるかな」
「太子が望むなら。きっと」
 そこまで言うと太子は突然その場を転がりだし、くはー恥ずかしい!!と大騒ぎを始めた。余り他人の事を考えた事の無かった太子は大真面目に他人の事を考えている自分に恥ずかしくなったのであろう。仕事上優秀な人間は評価するし採用する。しかしながら損得勘定なしで人の事を考えるなど今まで殆どした事がなかったのだ。
「こんど紹介して。小野イナフ君」
「竹中さん!名前違う!…まぁいいか。うん今度連れてくる」
 転げまわる太子を見ていた竹中がそういったので太子は嬉しそうに笑いそう約束した。

 

「小野」
「はい?」
 遣隋使として報告を終え退出しようとした小野妹子に蘇我馬子は声をかけて引き止めた。
「そのジャージだが。無理して着なくても構わない」
 そういわれ妹子は自分の着ているノースリーブジャージに視線を落とした。太子にこれを着て隋に行けといわれたので着ていたのだが、結局太子もジャージ姿で来てしまったモノだから奇怪なジャージコンビで国中を練り歩く羽目になったのだ。
 太子が妹子にジャージを渡した時に馬子が止めなかったのはまさか彼が本当に太子の言ったとおりにジャージを着て隋に行くとは思わなかったからであり、太子は仕事着にジャージを指定しているが今のところ妹子以外は着ていないのでそういってくれたのだ。
「…不便はありませんから。セクハラかと思いましたけれどねはじめは」
 困ったように笑う妹子をみて馬子は驚いた様な表情を作る。今の言葉から察するに妹子は今後も恐らくジャージを着るのであろう。
「ジャージきないと太子が多分へそを曲げると思いますし、なんというか、そうなると面倒ですし…寂しがると思うんです太子が」
 言葉を選びながら話でいるのであろう妹子をみて馬子は僅かに口元を緩めた。お人よしなのか優しいのか。妹子はあれだけ太子との旅で苦労しながらそれでもまだ太子を気遣う様なそぶりを見せる。普通ならば太子の奇人さに嫌気が差して関わるのを拒みそうなものであるが、彼はその選択をしなかった。
「…そうか。ならばそうしてくれ。君は優しいな」
 馬子の言葉に妹子は驚き口をぽかーんとあける。何で褒められたのか全く持って解らなかったのだ。ジャージを着る事で優しいといわれるとは普通は思わない。
「君さえ迷惑でなければ太子に今後も付き合ってやってくれ」
「無理矢理呼び出されそうな気もしますけど。太子は我侭ですから」
 馬子の言葉にそう返すと妹子は瞳を細めて微笑み、それではと言って部屋を後にした。
 その後姿を見送ると馬子は窓に視線を馳せた。

―─その血筋故に、地位故に、知性故に孤独だった太子。

 父の崩御から全てを完成させて止まってしまった太子はいつも孤独であったのだろうと馬子は思う。しかし太子はそれを欠片も人に見せない。いつも馬鹿な事をして、人を困らせて、表面上は明るく振舞う。嘗て太子が尊敬するの父・用明天皇がそうであったように。温かく笑っていた父を真似て寂しさを癒していたのかもしれない。だが妹子は『太子が寂しがる』と言ったのだ。今まで誰も気がつかなかったであろう所に気が付いて、文句を言いながらもずっと太子を助けて旅をしてくれていた。
 父への尊敬が強すぎた太子は恐らく二度と人に甘えたり懐いたりする事はないだろうと思っていた馬子は小野妹子と言う存在に驚き、そして安堵する。太子が誰かを気に入るという事は今までにはなかった。あくまで利害関係と、父親の愛した国を守るというという前提でしか太子は人を見ない。聡明で冷淡な太子は初めて全てのものさしを無視して小野妹子という人間を気に入ったのだろう。
 馬子は緩やかに月を仰ぐと淡く微笑む。国の闇を担うといわれた蘇我。大王の影となり国を守るのが己達の使命だと馬子自身も思っているが、太子は別の道を歩くかもしれないと思うと自然と笑みが零れた。それでいいと。

「馬子さん」
「…竹中殿か」
 何の前触れも無く現れた客に馬子は驚きもせず返事をすると、庭に佇む竹中に視線を送った。用明天皇の友であった彼は時折馬子を尋ねてくる。総じて太子が絡んだ話がある時ばかりであるが。
「太子、帰ってきたんだね」
「ええ」
「…太子が嬉しそうにしてたよ」
「そうか」
 ぶっきらぼうな返事をする馬子を見て竹中は嬉しそうに微笑んだ。
「豊日との約束が果たせて貴方も漸く笑える?」
「…かもしれんな」
 豊日…用明天皇と馬子との約束を知る数少ない竹中は満足そうに頷くと馬子に柔らかく微笑みかける。擦り切れそうな遠い約束は短命だった用明天皇が望んだ我が子の幸せ。それを馬子に託していたのだ。馬子はそれを果たす義務があった。友として、臣として。
「まぁ、散々太子の好き放題させていたのに最後まで『やっぱり自分は不幸だった』等と愚痴られる事だけは避けた感じだがね」
「豊日も喜んでるよきっと。太子に友達が出来て」
 竹中の言葉に馬子は僅かに表情を緩めると、あがりなさいと短く言葉をかける。
「かまわないのかい?」
「今日は昔話がしたい気分だ」
 馬子はそう言うと部屋に引っ込む。その姿を見て竹中は嬉しそうに微笑み遠慮なく上がる事にした。余り表情には出ないが馬子も喜んでいるのだろう。今日ぐらいは楽しかった、幸福だった頃の昔話を沢山しても良いかもしれないと思いながら竹中は馬子の隣に座った。


>>あとがき 

 …途中から馬子さんの話になってて吃驚しました。取りあえず飛鳥組に関してはこんな感じで夢見てます。夢見すぎてそのうち親世代の捏造とかしたくなってます。ダメすぎ。
 太子は実は優秀なんです!って感じでこの小説書いてますが、日和の太子は十七条憲法作った後ぐらいに黒駒から落ちて頭打ってるのかもしれませんね(笑)そっちの方がしっくり来るといえばしっくり来るんですが。

20081123

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