*月下美人*
龍神の神子を召喚する時に彼女は毅然と炎へ向かい此方を睨み付けていた。まだ全員集まりきっていない八葉。何処にいるかもわからない神子。それでも彼女は対峙する『鬼』に負けない様にとその小さな体からは想像出来ない程の気丈さを見せていた。
鬼は僅かに口元に微笑を浮かべた。彼女の紫色の瞳に浮かぶ決意と信念から感じられるのが『鬼』を絶やす為の物である事が余計に追われる快楽を沸き立たせたのだ。まだ子供だとも感じた。『鬼』であると言うだけで『滅ぼす』べき存在であると安易に判断するその思考も、自らが正しいと信じて止まないその心もまだ幼い。そして、幼い故の残酷さに何時か彼女が気が付くのかと思うとそれだけで笑いが込み上げて来た。
―─だからもう少し遊んでも良いかと思った。
神子がこの世界にやってきたらもっと楽しもう『星の一族』の娘。だから一度奪った『龍の宝玉』はそれまでお前に預けておこうか。神子の力になれば良い。どうにもならないモノが存在することを知ればいい。
―─さぁ楽しませてくれ龍神の神子。
***
彼女はまだ幼いと思った。
『星の一族』としての任務を全うする為に一生懸命な姿はとても可愛らしいと思うが、まだ幼い。
神子は彼女の光に透かすと紫色に色を変えるその髪を梳きながら僅かに瞳を細めた。10歳やそこらの子供には重い任務だと痛感する。世の中の絶対正義の存在を彼女はまだ信じているのだろう。『鬼』が忌み嫌われるこの世界で誰も『鬼』の起源が自らと同じだとは思わないのだろ。異国の風貌と異国の言葉は自らとは相容れないと考えられているこの時代に仕方の無いことだと考えながらも、ならば彼女には何も知らせずに戦うのもいいと思った。
―─『鬼』にだって悲しみも痛みもあるのよ。
そう告げてしまえば優しい彼女はきっと悩むだろう。沈黙の中神子は彼女の髪を指に絡めながらぼんやりと『鬼』の頭領の顔を思い出す。否、あの白い仮面を思い出す。烏帽子から見え隠れした黄金色の髪も、仮面に隠されたその顔も多分海を渡ってここへ来た異邦人のモノなのだろう。どれだけ彼はこの閉鎖的な国で忌み嫌われていかなどは、一緒にこの時代に流れ着いた八葉の一人への周りの対応を思えば安易に想像が付く。
―─憎いでしょうこの国の人間が。憎いでしょうこの閉鎖的な国が。けれどね、私は彼女の純真さを守る為だったら何だってするのよ。
神子は僅かに声を殺して笑った。それに気が付いて髪を弄ばれていた少女は振り返り神子の表情を伺ったので神子は、何でもないわ、と優しい微笑を浮かべて彼女に言った。
自らの内で鳴る鈴の音は戦いへ誘う道標。訳も解らずこの時代にやってきた自分自身に対する唯一の先導。
神子は僅かに瞳を細めて鈴の音に耳を澄ませる。望みを叶える龍神はその代償に神子を喰らうというがそれでも良いと思った。護るべきものの代償は大きければ大きいほど良い。賭けなのだコレは。
―─『鬼』に渡しはしない。
***
神子様は何時だって気丈に戦って下さる。どんな『鬼』に対しても臆することなく。それがとても羨ましいと思えた。自分は臆病なのだ。『星の一族』の宿命を背負っていると言うのに屋敷の奥底へ篭って帰りを待つばかりで何も出来ない。神子様はそれでも問題は無いと仰るが、矢張り何かの役に立ちたい。
星の一族の娘はゆっくりと御簾を上げ空を見上げる。明かりの少ない京の町は暗闇に包まれ更に不気味さを増す。『鬼』が跋扈するこのご時世に態々出歩く者も稀である。
一寸先も闇。
―─神子様…私も最後の戦いにはついていってよろしいですか?何も知らない貴女に全てを押し付けるわけには行かないのです。
「貴女もいらっしゃれば良い藤姫。最後の戦いに」
「誰です!!」
藤姫が声を荒げ振り返るとそこには『鬼』の頭領の姿があった。屋敷には結界が張られている筈なのにと藤姫は怯えた色を一瞬見せるが、直ぐに厳しい表情を見せ『鬼』を睨み付ける。
「怖い顔をなさる」
よく響くその声を聞きながら藤姫は身体を固くする。逃げられるはずも無い、助けを呼んだ所でこの広い屋敷の誰に届くと言うのだ。鬼は可笑しそうに口元を緩めると藤姫の黒い髪に指を通す。
「日の光の下で見たいものですねこの黒髪を」
「止めて下さい!!」
藤姫は悲鳴にも近い声を上げて鬼から身体を離す。それでもほんの僅かに距離が出来た位だった。名残惜しそうに鬼はその髪を放すと視線を外へ彷徨わせる。
「…どうやら貴女を外に連れ出せそうにはないようだな」
鬼の言葉に訳も解らず藤姫は少しずつ後ろへ下がる。
「いずれ神子も消える。それまでの辛抱だがな」
「…っ!?神子様は負けません!!」
突然大きな声で反論した藤姫を見て鬼は口元に冷笑を浮かべる。信じているのだ別の時空から来た神子を。その行為が英雄を祭り上げ、自分達の都合の良いように利用していると言う事にも気が付かずに。残酷なまでな純真さで神子は踊らされる。…否、あの神子は知っているだろう、それでもなおこの姫の望みを叶えるのだろう。この純真さを守る為にその身を捨てるのだろう。
「ここで決着つけましょうかアクラム」
「神子殿の参上か…貴女は中々勇ましいな。そして聡い。実に面白い存在だな」
アクラムは喉を鳴らして笑う。もう一人の神子はいとも簡単に手なずけられたと言うのにこの神子は一筋縄ではいかない。何もかも知りながらあえてこの滑稽なゲームに乗ろうとする。
「神子様!!危険です!!」
藤姫が慌てて神子を止めるが神子は僅かに瞳を細めて微笑んだ。
「心配しなくても大丈夫よ」
その言葉にアクラムは神子は自分が無理をして結界を破って進入した為に大した力を使えない事を知っている事を悟る。あくまで聡明な神子だ。それでこそ遊び甲斐がある。
「慌てなくてももう直ぐ否応なく戦う事になる。それまで楽しみは取っておくことにしよう」
アクラムの言葉に神子は笑うとゆっくりと藤姫の傍へ移動する。僅かに藤姫は安堵した表情を浮かべ神子に寄り添うように傍らに立つ。神子は藤姫の髪を子供をあやす様に撫でながらアクラムへ視線を移す。アクラムの表情あからさまなに変化はない。
「日の光の下で会いましょうアクラム」
「…楽しみにしている」
アクラムは身を翻すと暗闇にその姿を消した。それを見送りながら神子は僅かに口元を緩める。笑いが止まらなかったのだ。あの仮面の下にはどんな表情を見せたのだろうか。手に入らないモノを手に入れる苦難を楽しんでいるのだろうか。それともいとも簡単に手に入れた私が憎いだろうか。
―─さぁ、決着をつけよう神子。
―─さぁ、決着をつけましょうアクラム。
>>あとがき
何故藤姫を巡ってアクラムVS神子なのかと言う質問は受け付けません
20020609