*磨穿鉄硯*
城乃内は、いつも通り黙々と店の厨房で生クリームを泡立てる。
成り行きで結局居着くことになったシャルモン。逃げ出そうかと何度と無く考えたが、チーム鎧武・チームバロンとは決別していたし、初瀬とも連絡が取れない。そうなると、アーマードライダーの中で唯一味方……とは言い難いが、頼りになるのは仮面ライダーブラーボである凰蓮だけとなってしまう。
元々漁夫の利狙いの立ち回りの多かった城乃内は、相手に頭を下げることに対しては何とも思わないし、心の中で舌を出して裏切る事も厭わない。ただ、今回に関しては相手が悪かったとしか言いようが無い。
とりあえずバイトと言う名の弟子入りをしたのだが、本人の予想以上に本格的にこき使われていたのだ。お陰でダンスチームに顔を出す暇もなく、毎日毎日厨房で仕事づくし。そもそも凰蓮自体が、ダンスチームを半端者の不良の集まりだと思っているのだ。出入りにいい顔をしない。
「城乃内、次コレ」
「あ、はい」
他のパティシエ見習いも何人かいたが、その中でも城乃内は比較的器用だったこともあり、気がつけばシフトは驚く程入れられ、皿洗いだった仕事も、いつの間にか食材を扱うのを任せられていた。
「……何でこうなったんだ?」
新しい生クリームを泡立てながら、城乃内は思わず呟く。
元々踊るのが好きだったし、目立つのも好きだった。だからダンスチームの点取合戦などは本当に楽しかった。けれど、いつの間にかインベスゲームが、アーマードライダーの戦いになり、街は不穏な空気になってゆき、自分は洋菓子店のアルバイトをしている。
「坊や」
声をかけられ、城乃内はバツの悪そうな顔をする。この凰蓮という人間は、菓子作りにおいて妥協は許さないタイプなのだ。考え事をしながらの作業等、叱られる筆頭理由なので、城乃内は思わず身体を硬くする。
「……」
無言で手を止める城乃内を眺め、凰蓮は大袈裟にため息をついた後に口を開いた。
「今日はもういいわ」
「は?え?いや……」
慌てて詫びる言葉を反射的に城乃内は探した。今更この凰蓮に見捨てられても困るのだ。
「まだ大丈……」
言葉を放ちかけた城乃内を眺め、凰蓮は冷蔵庫の方の視線を送った。その様子に城乃内は首を傾げ、あの……と再度言葉をかけた。
「材料が入らないから今日はおしまい」
「え?」
そういえばいつもならとっくに来ているはずの納品が無いことに漸く城乃内は気がついた。最近沢芽市自体が少しおかしい。奇病が流行ったり、そのせいか物流が滞ったりとじわじわと異常が侵食している様に思える。ユグドラシルコーポレーションのお膝元として繁栄を極めたこの街に何が起こっているのかと考えて、城乃内は身震いした。そもそもインベスとは何なのだ。あの変身ベルトは何なのだ。考え出したらきりがない。
「でも、昨日の残りの材料がまだ……」
「ワテクシはプロなのよ!」
芝居がかった凰蓮の台詞に、城乃内は思わず言葉を引っ込める。
「……お客様にお出しするものは常に最高のものを。お客様にお見せする舞台は常に最高のものを。違うかしら」
舞台、と言ったのはインベスゲームの事であろう。素人のお遊びである事が許せないのは、凰蓮が元軍人であり、プロ意識が高いからであろう。だからこそ城乃内はあのバロンさえ凌ぐ能力を持つ凰蓮の傘下に下ったのだが、結局それ以来対してアーマードライダーとしては活躍はしていない。
ぼんやりと城乃内が凰蓮を眺めていると、彼は小さく首を振って、城乃内の持ってる生クリームのボールを手に取る。
「それに身が入ってないわ。そんなことじゃ食材が無駄になるだけ」
あぁ、やっぱり叱られた。そう思い城乃内は眼鏡を上げると、申し訳なさそうな顔をする。今までならそれすらも演技だったのだろうが、今回は城乃内も思うことがあり素直に頭を下げた。
「何か心配事かしら」
その僅かな差を察した凰蓮が声色を少し柔らかくし声をかけると、城乃内は少し迷った末、口を開いた。
「あ、いや。ちょっと最近……その街の様子がおかしいなって」
それは無論凰蓮も感じていた。元々おかしな街だとは思っていたが、最近特におかしい。そして、ガッチリとユグドラシルコーポレーションに管理されていた物流関係も最近滞りがちなのである。
「そうね」
短い凰蓮の返事に、城乃内は続ける言葉を見つけられず、黙り込んだ。
「あと……初瀬ちゃん連絡取れないし、大丈夫かなーなんて」
鎧武やバロンの話は時折耳にするが、初瀬の話はパタリと聞かなくなったのだ。時期を同じくしてアーマードライダーとなった初瀬。元々つるんでいることも多かったが、城乃内は初瀬の携帯番号は知っていても、家は知らなかったので態々探すこともなかったし、そのうち連絡が来るだろうと楽観視していたのだ。
そして街がきな臭くなり、どうしているだろうかと気まぐれに連絡をしてみたが、メールはナシの礫であるし、通話も電源がずっと切れたままなのか繋がらない。
親友、と言う程ではなかったが、戦友だったのかもしれない。尤も軽薄な城乃内は初瀬ですら裏切ったりもするが、初瀬はそんな城乃内に対して激怒するが、なんやかんやでいつも丸め込まれて城乃内とまたつるむのだ。周りは初瀬に対して学習能力がないと陰口を叩くこともあったが、城乃内はそんな初瀬が嫌いではなかった。無論、制御しやすかったというのもあるが、初瀬自体どこか憎めない所があったのだろう。
「ハセ?」
「黒影」
城乃内がライダー名を伝えると、凰蓮は、あぁ、と声を漏らした。バロンや鎧武に比べて余りにもお粗末な技術で余り印象に残っていなかったのだ。けれど、言われてみれば城乃内といつも一緒にいたのを思い出して凰蓮は僅かに表情を曇らせた。
その表情の変化に、城乃内は慌てて言葉を発する。
「あ、またつるもうとかそんなんじゃなくて、今ちょっと街もおかしいし、連絡取れないし、どうしてるかなーって感じで」
言い訳がましく聞こえただろうか、と城乃内は伺うように凰蓮の顔を眺めるが、彼は僅かに眉を上げただけで、最近見ないわね、と短く言葉を零した。機嫌を損ねた訳ではない、と察した城乃内は、ですよねー、とヘラヘラ笑うと、お疲れ様でしたー、と脳天気な声を出して厨房を出た。
久しぶりに城乃内は阪東の店へ足を運んだ。嘗てシドがロックシードの販売をここで行っていたし、マスターである阪東もインベスゲームには比較的寛容であったために、他のチームの人間も出入りしていた。けれどここ最近城乃内は忙しさにかまけて足が遠のいていたのだ。
店内に入ると、相変わらずマイペースで無愛想な店員が水を持ってきて注文を取る。店内はガランとしており、他のチームの面子も見当たらないので、城乃内は少し安心した顔をし、パフェを注文した。
「よう、久しぶりだな」
「どうも」
パフェを持ってきたのは阪東本人で、城乃内は軽く頭を下げた。店が暇なせいなのか、城乃内が久々に来たので気を使ったのか、阪東はパフェを置いた後口を開いた。
「紘汰から聞いたけど、シャルモンに弟子入りしたんだって?」
「あー、成り行き?」
パフェを口に運ぶ城乃内の言葉に阪東は苦笑する。
一口食べて、城乃内は小さく首をかしげた。その様子に阪東はどうした?と言葉を零す。
「あ、阪東さんの所は果物入って来てる?」
「うちな。直接買いにいってる分はマシだが、そんでも注文したのが入らないってのは最近多いかな。生鮮はなんか欠品多いんだよな。シャルモンもか?」
「……今日は発注分届かなくて店閉めたんだけど……やっぱなんかおかしい?」
「まぁ、元々この街おかしいけどなぁ」
髪をかき回す阪東を見て、城乃内は目を丸くした。
「おかしい?」
「なんつーか、俺はさ、出戻ってこの街で店構えたんだよ。ユグドラシルの誘致あったからな。そんで、戻ってきたら別の街だと思ったよ。そんで、インベスゲームとかあってさ。……お前は外に出たこと無いから、違和感に気が付かないのかもな。なんつーか、じわじわ街が別のものにすり替わってるって漠然と感じることはあった。それが急に顕著になったって感じだな。上手く言えないけどな」 阪東の言葉に、城乃内は時々凰蓮が変な街だと言っていたのを思い出す。凰蓮も阪東同様恐らくユグドラシルの誘致に乗って街に店を構えたのだろう。けれど城乃内は子供の頃からこの街で育っていた。ユグドラシルが大々的に街に介入してきたのはいつだっただろうか。言われてみれば、インベスゲームなど子供の頃は無かったのではないか。
急に寒気がして、城乃内はパフェを食べる手を止めた。
「……えっと、そういえば初瀬ちゃんどうしてる?」
「初瀬か?最近見ないなそういえば」
「そっか」
明らかに落胆した城乃内の表情を見て、阪東は、今度紘汰辺りに聞いてみる、と言い残すと厨房へ引き返していった。
あぁ、このクリーム冷凍か。そんな事を考えながら、城乃内は一人でパフェを食べ続けた。
切欠は城乃内の言葉であった。不良チームと彼が蔑んでいた紘汰達の言葉はなかなか届かなかったが、凰蓮が面倒を見ている城乃内の言葉は聞く気になったらしい。
街に溢れる異常はインベスゲームのせいだと、今まで徹底的に彼等を排除しようとしてた凰蓮は自らクラックに飛び込み異常の根本的な原因を知ることとなった。
一方城乃内もまた、己の立ち位置と思考を少し変えていた。元々は成り行きで弟子入りと言う形になったシャルモンでのバイトであったが、今となっては自他とも認める凰蓮の弟子となっていたのだ。菓子作りに関してはともかくとして、ビートライダーズとしては確実にニコイチ扱いとなっていた。それが今は城乃内は厭ではなかった。
けれど。街の異常はどんどん加速しており、他のバイトや弟子は、ポロポロと辞めてゆき街を離れていった。家族がおり、この街で生まれ育った城乃内は今の所他に行くところもなく、開店休業に近い店に毎日通う事となる。他のダンスチームが実質チーム鎧武と合流し、ダンスを続け、街に留まる中、彼は凰蓮の元に留まる事を選んだのだ。時折クラックから溢れるインべスを討伐したりしながら、彼は凰蓮の帰りを待った。
いくら凰蓮が戦闘のプロとはいえ、心配がなかったわけではない。そもそも何の疑問も抱かずにインベスを使役していた城乃内であったが、セーフティのないインベスが凶暴である事は厭というほど知っていたし、実際数で攻められれば凰蓮とて無事では済まないであろう。
そして、店に戻ってきた凰蓮。
いつも通り店の掃除をしていた城乃内は、残り少なくなたバイトと一緒に彼を出迎えた。しかし彼は、難しい顔をして、店を暫く閉める、と短く言い、残ったバイトにも給金を支払い解散させる。そして一言、異常が治まるまで街を出た方が良いとだけ彼等に言い放った。
給金の入った封筒を握りしめ、城乃内は奥に引っ込もうとした凰蓮の背中に声をかけた。
「どうだった?」
振り返ること無く凰蓮は首を振る。
「ダメね。あの子達の言うとおり街の異常は別の所にあったわ。ユグドラシルでも抑えきれないかもしれないし、あの子達だけじゃどうにもならないんじゃないかしら」
クラックを脱出するときに、斬月・真こと呉島貴虎に出会い、そしてインベスの上位種・オーバーロードとも遭遇した凰蓮。全く太刀打ち出来なった悔しさよりも、アレが街に解き放たれたらという危機感の方が凰蓮は強かった。
ユグドラシルやり方が全て許容できるわけではない。ただ、彼等は彼等で、秘密裏にヘルヘイムの森から人々を守っていたのだ。ただ、それももう限界であろう。街に滲み出るように姿を表すインべス。そして奇病。上位種オーバーロード。のんきに店をやっている場合ではないと、凰蓮は店を閉めて、バイトたちをとりあえず逃すことを選んだのだ。危機管理に関しては慎重に行くに越したことはない。
「坊やも家族がいるんでしょ。何とか理由を付けて他所に一緒に逃げなさい」
「……アンタは?」
「ワテクシは戦闘のプロよ。心配ないわ」
その言葉で、城乃内は凰蓮が街に残ることを選択したのだと察した。
「逃げればいいじゃん。この街はアンタの故郷でも何でもないし」
「そうね。でも縁あって店を開いたんですもの。それに……ワテクシには戦う力があるわ。メロンの君や不良チームの坊やたちが戦ってるのに、大人で戦闘のプロであるワテクシが逃げるわけには行かないわ」
「それじゃ!俺も!」
城乃内の言葉に、凰蓮は渋い顔をする。雑魚インべスならば城乃内の力でも追い返せるだろうが、恐らくオーバーロード相手には全く手も足も出ないだろう。可愛い弟子を無駄死させるのも気が引けた凰蓮は、哀しそうに首を振った。
「おやめなさい。鎧武の坊やや、ムッシュバナーヌほど貴方は強くないわ」
その言葉はきっと城乃内にとって残酷な言葉であっただろう。鎧武・バロンに対してライバル心を持っていた彼は、いつか彼等を追いぬくつもりだった。けれど差は開く一方で、悔しい思いを城乃内がしていたのを凰蓮は知っている。けれど、あえて実力差を言っておかねば、勇気を無謀と履き違えて死ぬことになる。確かにベルトを持っている分、城乃内は一般人よりは戦闘力も高しい、逃げ遅れた人々を助けることができるだろう。けれど彼は未来ある若者である。元軍人の自分とは違うし、無理に危ない橋を渡る必要もないと凰蓮は判断したのだ。
「足手まとい……って事?」
「……いえ、貴方は戦士じゃないって事よ。戦いは軍人のワテクシと、ユグドラシルに任せておきなさい。他のお仲間もワテクシが説得して逃がすわ」
自分だけ逃げるという罪悪感を和らげるために凰蓮は城乃内に言葉を添えた。説得したところで、頑固な紘汰や戒斗は逃げないかもしれない。けれど、それは結果論であるし、本当に逃げられなくなる前に城乃内を逃してあげたかったのだ。
そしてそのまま凰蓮が奥に引っ込んでしまったので、城乃内は項垂れる。
本当は怖いし、逃げたい気持ちもあった。インベスゲームはそれこそゲームであったが、今は凰蓮の言うとおり命の危険もあるのだろう。
「初瀬ちゃんはどうしてるかな」
逃げただろうか、それともどこかで戦っているだろうか。城乃内はそんな事を考えながら、とぼとぼと家路についた。
翌日。凰蓮は店の最終チェックをし、暫くはここで菓子を作ることもないだろうという陰鬱な気分で店の戸締まりをする。誰かに雇われているわけではない。ただ、元軍人として、一般市民を見捨てることはできなかった。己一人でどれだけの人間を逃すことができるだろうか。とりあえず街の地図を元に、色々と対策を練ったほうがいいかもしれない。そんな事を考えていると、視界に入った人の姿に、凰蓮は思わず目を丸くした。
「……最後に挨拶とはいい子ね坊や」
城乃内が店の前に立っていたのだ。一体いつからいたのかは解らないが、苦笑しながら凰蓮が言うと彼は眼鏡を上げて笑った。
「残ることにしたんで宜しく」
「はぁ?」
凰蓮の言葉に城乃内は、家族は元々騒動が治まるまで市外に出る計画を立てていたようなのでそれを後押ししたこと、そして自分はバイトのキリがいいところまでこの街に留まると言って残ったことを伝えた。ダンスチームに所属してた頃ならば家族は城乃内の言葉を無視したかもしれないが、シャルモンでバイトを始めていたこともあり、街での店の知名度がそれを助け街への期限付き残留を許可された。
「もう店は閉めたわ」
「うん。だから、まぁ何ていうか、こっちの方のね」
そう言うと城乃内は戦極ドライバーを取り出した。それに凰蓮は渋い顔をし、首を振る。
「昨日言ったけけどね……」
「無理はしない。アンタの指示には従う。ヤバイ時は逃げる。OK?」
「坊や……」
「俺は戦士じゃないけど、この街で生まれて育ったから。それに、格好つけだし」
笑いながら言う城乃内を黙って眺めていた凰蓮だが、やれやれと言うように肩を竦めると、城乃内の肩をポンと叩く。
「行くわよ坊や。チームシャルモンの出撃よ」
「イエッサー」
戦極ドライバーを片手に、二人は混乱の市内へ歩き出した。
チーム鎧武の拠点の合流し、対策を立てていたが街の異変は悪化の一途であった。インベスが街を蔓延り、オーバーロードまでも街へと出てきてしまったのだ。
そんな中、ユグドラシルも崩壊した。
マリカ事、湊耀子は戒斗と共に拠点へ合流してきた。それに対し凰蓮は心中複雑ではあったが、戦力としては申し分がない為に許容することにする。生身であれば凰蓮が圧勝するであろうが、彼女の持つゲネシスドライバーと凰蓮の持つ戦極ドライバーのスペック差があり、変身すれば凰蓮以上なのだ。
逃げ遅れた街の人々を助けたりしながら後手後手ではあるが動いてゆく。そんな中、凰蓮は湊に声をかけた。
「ちょっといいかしら」
いつもは戒斗にべったりな彼女が珍しく一人でいたのだ。突然声をかけられ湊は驚いたような顔をしたが、直ぐに凰蓮に向き直り、何か?と言い放つ。
「初瀬って子どうしてるかわからないかしら」
「初瀬?」
「黒影」
こんな会話を少し前に城乃内としたような気がした凰蓮は、戦極ドライバーを配布したユグドラシルなら、持ち主を監視していただろうと踏んで湊に初瀬の行方を尋ねたのだ。
湊は少し考え込んだ後に、少し迷ったように口を開いた。
「彼が何か?」
「彼も戦極ドライバーを持ってるんじゃなくて?一人で孤立して戦っているなら迎えに行くし、既に市外に逃げてるならそれでよしって事よ。うちの坊やが心配してたからね」
そう言われ、グリドンと黒影は比較的一緒にいた事が多いことを思い出した湊は、陰鬱そうな表情を一瞬作った。そしてそれを見て、凰蓮は最悪の事態を想定する。
「……もう既に……って事かしら?」
「彼に伝えるかどうかは貴方に任せます」
そう前置きし、湊は初瀬のことを語った。斬月・真に戦極ドライバーを破壊されたこと、そしてその後ヘルヘイムの果実を口にしてインベス化したこと。最終的には鎧武達を襲い、シグルドに倒されたと。
その話を聞いて凰蓮は思わず身震いする。それは彼がクラックからヘルヘイムの森に迷い込んだ時に、空腹であの森の果実に手を出そうとしたからであった。しかし、元軍人として、現地の得体のしれない物を腹に入れることに抵抗があった凰蓮はそれを我慢し、後に紘汰から食料を巻き上げてその時は終わった。もしもあの時自分があの果実を食べていたらと思うとぞっとしたのだ。
「どうしてそんな形でしか止められなかったの」
もっと早くに止めることが出来たのではないか。そもそも、何も知らない子供達に戦極ドライバーなどという危険な玩具を配ったというユグドラシルの方針に対して、凰蓮は暗に非難した。それに対し湊は少しだけ瞳を細めて、それが社の方針でしたから、と短く返答をする。
「……大人が子供を良いように利用して、末期も末期ね」
「そうしなければ人類は滅んでいたわ」
「そうしても人類は滅ぼうとしてるのではなくて?」
結局全ては失敗し、街はヘルヘイムの侵攻を受けている。それに対し、湊は返す言葉がなかった。
「それに、ムッシュバナーヌを唆して何をしようというの?」
「……勘違いしないで。私は戒斗の行く末を見届けたいだけ」
「危険な道をゆくのを止めるのも大人の役目よ。そうやってメロンの君も見殺しにしたのかしら」
貴虎のことを出され、湊は渋い顔をした。戦極と弟の手によって失脚した貴虎。メロンの君と焦がれていた凰蓮が非難するのも仕方がない。湊は言葉を探し、少しだけ俯いた。
「私は……彼が哀れだったわ。早く重荷から開放されたほうが良いと思ってた」
湊の言葉に凰蓮は僅かに眉を上げた。そして、湊は淡々の貴虎の事を語りだした。全てを投げ打って彼はプロジェクトアークを遂行しようとしていたこと。その為に人体実験にも近い戦極のドライバー開発に協力していたこと。
「彼は一人でも多くの人を救いたがっていた。自分を犠牲にしてまで」
彼の戦う技術が他の誰よりも高かったのは、その努力の結果なのだと。戦極の無茶もいつだって飲んで、ボロボロになるまで戦い続けた。
「彼は王ではない。彼は正義の味方だったの」
だから湊は貴虎ではなく戒斗を選んだ。戒斗は王の器である。その力を持って世界を変革するだろうと。けれど貴虎は正義の味方であるから、きっといつか倒れると。
「私は……早く倒れればいいと思っていた」
余りにも彼が背負うには重い世界の命運であった。戦極のように人の命さえ数字で割り切る人間であれば良かったのかもしれない。しかし彼は情け深かった。己の計画の為に犠牲を払っても、心の中ではずっと懺悔していたのだ。そして、恨むなら俺を恨めと。彼がいつか罪悪感に潰されて壊れる前に、世界が救われる夢を抱いたまま死なせたほうが良いのではないかとさえ湊は思ったことがあった。
弟が裏切っているとも知らずに。いずれユグドラシルの手によって世界は……全てではないが人類は生き残り再生の道をたどる夢を抱いたまま。
ぽつりぽつり語る湊の言葉を聞き、凰蓮は深いため息をついた。
何故湊が頑なに王を求めるのかは分からなかった。けれど、湊は貴虎に対し、哀れみが強かったのだということは理解した。てっきり戦極の口車に乗って、野心のまま貴虎を失脚させたのかと思っていたのだが、彼女は寧ろ、戦極から貴虎を開放したかったのかもしれないとさえ感じた。
己の科学力に絶対の自信を持つ戦極。そして、その科学力を信じ、世界を救うことを夢見た貴虎。けれど、湊は、戦極が別に世界を救いたいと思っていた訳ではない事を知っていたし、貴虎が弟に欺かれている事も知っていた。余りにも哀れだったのだ。背中を打たれた時、彼は何を思ったのだろうか。弟に全てを託すと言った時、湊は思わず顔を背けたくなった程だ。
親友にも、弟にも裏切られた正義の味方。ただ彼は、力を持つものの義務として世界を救いたかっただけなのだ。けれどそれは余りにも難しくて、彼は志半ばで倒れた。
「身勝手な話ね」
吐き捨てるような凰蓮の言葉に、湊は無言で彼の顔を眺めた。非難されることには慣れているし、今までのユグドラシルを考えれば、戒斗の口添えないしここにいることは出来ないということも理解している。
「正義の味方さえ死ぬ世界で、王は死なないとでも?いい?ムッシュバナーヌは確かに強いわ。けれど、彼の歩む道は正義の味方と同じぐらい修羅の道よ」
力による支配。ヘルヘイムの森も、オーバーロードさえも彼は力でねじ伏せようとしている。
「解ってるわ」
「解っているなら止めなさい。それが大人の役目よ」
「見守るのも大人の役目では?」
「子供が死ぬ世界なんてワテクシはまっぴらごめんよ」
厳しい口調で凰蓮は言うと、踵を返してその場を離れる。それを見送った湊は、思わず顔を伏せた。戒斗に焦がれたのは彼が王の器だからだ。きっと彼なら世界を統べることができると思った。それと同時に、自分が彼に寄り添わなければ、彼はきっとたった一人で歩み続けるだろうとも思ったのだ。彼の思考は常人には理解し難いし、きっと本気で彼が修羅の道を歩と気がつけは他の仲間も離れていくだろう。彼が望むのはユグドラシルの、そしてユグドラシルが作り替えてしまった街の破壊なのだ。
彼の強さの根源は憎悪にある。
ユグドラシルという憎悪対象を失い、今彼は、己の上を行くオーバーロードを、そしてこの街を憎んでいた。
街を守ろうと留まる他の面々とは根本的に違う。
「……あぁ、私も大概狂ってるのかもしれないわね」
戦極のことは非難できないと思い、自嘲気味に湊は呟くと、ゆっくりと部屋を後にした。
湊の話を聞いた凰蓮は結局初瀬の事を城乃内に使えるかどうか迷った。軍人であった凰蓮としては、戦死を伝えることは幾度と無くあったが、決して慣れるものではない。陰鬱な気分で外を歩いていると、インべス討伐から戻ったであろう城乃内とザックの姿が見え、凰蓮は顔を上げた。
「どうだった?」
「西の方は駄目だな。隠れられそうな建物もない」
ザックの言葉に凰蓮は、そう、と表情を曇らせた。
「逃げ遅れた人間はある程度まとまって来てるし、本格的に脱出計画練ったほうがいいんじゃないか?」
城乃内の言葉にザックは頷くと、戒斗と紘汰に話してみよう、と短く返事をする。
「……何かあった?」
黙って二人を眺めている凰蓮に気が付き城乃内が声をかけると、彼は少しだけ笑う。
「坊やも立派になって、って思っただけよ」
「はぁ?」
城乃内の間抜けな返答を聞きながら、ザックは咽喉で笑った。
「格好つけなだけの城乃内じゃなくなったってことか」
「お前なぁ……そっちもリーダー漸く板についてきたって感じじゃねーか」
「まぁな」
じゃれあいながら帰路につく二人を眺め、凰蓮は結局初瀬の事は心にしまっておくことにした。いつか落ち着いて、城乃内が聞いてきたら伝えようと。何も今、彼の心を折る必要はないと。
この街は、世界はどうなっていくのは凰蓮には分からなかった。けれど、己は力があって、多少なりと人を守ることができる。だから、力を持つものの義務として、一般人を守るというスタンスを変えるつもりはない。
貴虎の様に人類を守る正義の味方になるのは御免だったが、己は己の信じる道を行くし、城乃内には城乃内の行きたい道を歩んで欲しかった。そこまで考えて、あぁ、コレでは湊と変わらないのかもしれないと思い、凰蓮は苦笑し、二人の後ろから歩き出した。
師弟コンビイイヨイイヨ。
20140919