*顕現*

「いい男が出来たんだって?誰なんだい?」
酒場の主人の言葉に依頼品を持ってきたリリーは驚いて瞳を大きく見開く。
「あ…じゃぁ、私は…」
そう云いながら転がるように酒場を出て行ったリリーを見送りながら、酒場の客は思わず肩を落とす。
リリーのいい男が誰なのかが最近の話題なのだ。
何時、誰が言い出したのかは定かではないが、この城下町でも人気の高いリリーのいい男は気になる。
「あの様子じゃ、いるにはいるみたいなんだがなぁ…」
客と同様に少しガッカリした表情を見せた主人だったが、赤い鎧を着た酒場の常連・シスカの声で直ぐに接客モードに入る。
「マスター、何とか聞き出せないのかしら?いい加減賭けの結果の方も気になるわ」
「ああ、相変わらずダントツはウルリッヒさんなんだがなぁ…」
始めは酔った勢いで始まった賭けだった。
シスカが女友達…主にリリーの護衛で知り合った友達と始めた賭けだったのだが、マスターが「賭けに勝ったらランチを只にしてやる」と云ったのをきっかけに、この酒場に出入りする者達も参加していったのだ。
カウンターの奥の棚には、こっそりと賭けの集計表が置いてある。
先刻も話していた様に、大本命はウルリッヒとなっていた。
「しかし、ウルリッヒさんだったらうちは大損だな」
「まさかこんなに人数が増えるとは思ってなかったからね。まぁ、私としてはテオだと有難いんだけど」
シスカは笑いながらグラスに口をつける。彼女はどうやらテオに一口乗ったらしい。

からんと入口の扉につけられている小さな鈴が鳴って扉が開く。
「マスター!今日は聞けた?」
一番最初に入ってきたエルザが真っ先にカウンターに座って聞くが、マスターの渋い顔を見てそうか…とガッカリした表情を見せる。
後から入ってきたイルマとカリンも、思い思いの場所に座ってカウンターの方を見る。
「そのうち賭けの対象になった男共に『古風なペンダント』持ってない訊きに廻らなくちゃいけないかなぁ」
カリンが喉を鳴らして笑いながら云うと、イルマが渋い顔をする。
「誰が聞くのよ。いやぁよ。賭けた相手に訊きに行くの…ウルリッヒ様に怒られるわ」
「あはは…私はヴェルナーだから『はぁ?』とか云って馬鹿にされそう」
エルザが笑うと、じゃぁ何でヴェルナーに賭けたのよ、とシスカに聞かれる。
「え?だってよく雑貨屋で話してるから。でも、ヴェルナーに賭けたのって私だけなんでしょ?大穴よねぇ」
エルザの言葉に、マスターはぱらぱらと賭けの集計表を捲る。
確かにヴェルナーに賭けているのはエルザ一人だ。
因みに先ほどの言葉のようにイルマは大本命ウルリッヒ賭けている。
「…ゲルハルトもなんだかんだ云って笑って誤魔化されそう…」
カリンの言葉に一同頷くと、結局リリーから何とか聞きだそうという話で落ち着く。

「ところでその『古風なペンダント』ってのはリリーが惚れた相手に渡すって云ったたのか?」
マスターの言葉にエルザが大きく頷く。
「そう。大事な人が出来たら渡すって云ってたし…絶対渡してるって!」
その話はエルザだけでなく、他の皆も聞いていた事だった。
工房に遊びに行った時にリリーが時々話してくれるのだ。元々はヨーゼフと言う雑貨屋の店主がこの町に着たばかりのリリーに渡した物らしい。

そんな話をしていると、再び酒場の扉が開いたので其方に視線を送ると、先ほど大慌てで帰ったリリーが立っていた。
「あ、皆此処にいたんだ。近くの森に行きたいんだけど誰か暇な人いるかなぁ?」
恐らく慌てて帰ってしまった為に、護衛の依頼を取り付けるの忘れたのだろう。

すると、そこにいたリリーの護衛を請け負っている4人が一斉に手を上げた。
全員採取の合間にでも聞き出そうと言う魂胆だったのだろう。
「ええ!?皆暇なの?一人はヴェルナーに頼んだから一人で良いんだけど…」
驚いたリリーはどうしようと困った顔をした。
「ええと…じゃぁ、シスカさんにお願いしても良いですか?」
「任せて」
「じゃぁ、教会で待ってますから準備出来たら来て下さい」
そう云い残すとリリーはバタバタと忙しそうに走って酒場を出た。
シスカは愛用の槍を持ち出し立ち上がると、じゃぁ行って来るわ、と笑う。
「絶対聞き出してね!」
なんとしてでもウルリッヒ本人に聞きに行くのを避けたいイルマは力強くシスカを見送る。

***

リリーは外に出る前に必ずと言って良いほど教会に立ち寄る。
旅の無事を祈るのか、採取作業の成功を祈るのか…ともかく熱心に祈りを捧げる。
今でこそクルト神父はリリーの事を…錬金術の事を認めているが、彼女が此処に来たばかりの頃は神の教えに反する事だと酷く錬金術を嫌っていたのは結構有名な話だ。
それでも必ず教会に立ち寄り祈っているリリーを見るととても不思議だった。
彼女は自分を拒絶する相手にも区別無く救いの手を差し伸べる。
以前重病人が運ばれてきた時に惜しみも無く薬を教会に渡したのだ。

やり方が違うだけで人を幸せに導きたいと思う志はきっと同じなのでしょう。

そう云ってクルト神父は錬金術を受け入れた。

シスカが教会に行った時は丁度リリーが祈りを捧げている所だった。
胸の前で手を組み跪くリリーの横にぼんやりと立っているのは先ほどの賭けで大穴と銘打たれたヴェルナーであった。
彼は…何度か一緒に外に行った事があるが一度も教会に祈りを捧げているのを見た事が無い。
こうやってリリーが祈ってる間も、大抵退屈そうにリリーを眺めているだけだった。
そもそも信仰の欠片もなさそうな男だ。

ふと、シスカの視線に入ったのは青い鎧を纏った男だった。
ウルリッヒ。
遠出する時は大抵リリーと一緒に来るのだが、今回は近場と言う事もあって声をかけられなかったのだろう。
王国騎士隊という名誉ある職についている事もあって、リリーも余り無理に外に連れまわす事は無い。
ウルリッヒは僅かに瞳を細めてリリーを眺めていたが、シスカに気が付いて声をかけてきた。
それにシスカは慌てて挨拶を返す。
「…えっと、今日は非番なんですか?」
仕事が無い時に時々教会で見かけるので聞いてみたのだが、ウルリッヒは首を振り笑う。
「いや。街の巡回中にリリーが此処に入ってゆくのが見えので覗いてみただけだ」
「そうですか」
シスカはそう云うとウルリッヒの表情を伺う。
大本命と銘打たれる彼はよくリリーに仕事依頼を持って行くために工房を訪れるし、今もこうやって仕事中にも関わらず彼女を見送る為に態々教会に足を運んでいる。

…矢張りウルリッヒ様なのかしら…。そんな事を考えながら再びリリーの方を見る。
祈りが終ったのか立ち上がりくるりと此方に向き直った所だった。
「お待ちどうさまシスカさん。…あっウルリッヒ様」
ウルリッヒに気がついたリリーは微笑を浮かべて此方に歩いてきた。
「よう」
一緒に歩いてきたヴェルナーはシスカではなくまずウルリッヒに声をかけた。
シスカはそれに対して意外と仲が良いのかしらと首をかしげる。確かに遠出する時は一緒になる事が多いらしく、そこで仲良くなるのは不思議な事ではない。意外なのはあの変わり者で他人に興味を示す素振りを見せないヴェルナーと、王国騎士隊という固い肩書きを持っているウルリッヒという組み合わせである。
「…相変わらず教会に来ても何をする訳でもないのだな」
「神さんに祈って何とかなるならとっくにもっとましな世の中になってるさ」
ヴェルナーの素っ気無い返事を気にした様子も無くウルリッヒは僅かに笑う。
「それじゃぁ行きましょうか♪」
リリーの言葉に気の抜けた返事をしたヴェルナーの後についてシスカは教会を出た。

***

近くの森につくと、リリーは早速採取作業を始めた。
それを横目で見ながらシスカは野営の為の天幕を張ったり、焚き木を集めたりと忙しく動く。
そんな中、ヴェルナーの方を何気なく見た。
やる気の無い表情で適当に材料を集めると、リリーの背負っている籠の中にそれをばさばさと入れてゆく。
「もう!急に入れないでよ!ひっくり返るでしょ!」
「お前なぁ、折角手伝ってやってるのに感謝の気持ちは無いのかよ」
「…有難う」
そんな遣り取りを眺めていると突然ヴェルナーと目が合った。
「?何だ?」
「え…いえ、よく錬金術に必要な物の区別がつくと思って」
突然話し掛けられたので些か驚いたがずっと疑問に思っていたことを聞いてみた。
自分にはとても見分けが付かないが彼は迷う様子も無く採取作業を行う。
後でリリーが要らない物が入ってると騒がない所を見ると確りと区別がついているのだろう。
「あのなぁ、俺は雑貨屋やってるんだぞ。それくらい解る」
半ば呆れたように彼がいうと、シスカはそれもそうかと納得する。
大概酒場に入り浸りのシスカはヴェルナーの店には滅多に行かないが、エルザが店の様子を話してくれた事は何度かある。
そんな事を考えていると、ヴェルナーはシスカの集めた焚き木を汲み上げると器用に火をつける。
そろそろ日も暮れると判断してのことだろうか。

本日の採取作業を終えてご満悦なリリーは焚き火の側に座って籠の中の採取アイテムの確認をしている。
簡単な食事も済ませたので、コレと言ってやることも無い。
そこでシスカはリリーに声をかける。
「ねぇ、酒場での話なんだけど」
「え?」
「いい加減白状してくれないかしら」
始めは質問の意図が解らなくてきょとんとしたリリーであったが、直ぐに理解して顔を赤くし首を振る。
「?何の話だ?」
酒場に来ても酒を飲むなり食事をするなりしてはさっさと帰ってしまうヴェルナーはシスカの話の筋が見えずに取り合えず聞いてみる。
するとシスカは笑って、今酒場ではリリーのいい男が誰なのかが話題になってる事を話す。
流石に賭けを行っているのはリリーに悪いので伏せておく事にした。
「はー。くだらねぇ事で盛り上がるんだな」
「あら。興味ないの?」
「全然」
一応大穴とは言え候補に上がっているのでカマを掛けてみるが、ヴェルナーの反応は予想以上に素っ気無い物だった。
「ふぅん…興味なしか…。まぁ良いわ。ねぇリリー…」
シスカが再び話を振ろうとすると、リリーは慌ててもう寝ると云って天幕の下に移動し毛布を頭から被る。
「…困ったわね…」
アレだけ酒場の皆に聞き出して来いといわれている以上引き下がるの悔しいがあの調子で無理だろう。
仕方なくシスカは焚き火に視線を移す。

暫くするとリリーの寝息が聞こえてきた。
恥ずかしさの余り避難したものの、疲れもあって寝てしまったのだろう。
すると今までずっと黙っていたヴェルナーは立ち上がると天幕の所まで行き、始めは頭まで被っていたが暑さの所為ですっかりリリーのお腹にしか掛かっていない毛布をきっちりと掛けなおすと再び焚き火の側に座る。
「…面倒見が良いのね」
「あいつが面倒かけるからだよ。たく、ガキじゃあるまいし毛布ぐらいきっちり被って寝ろよな」
「でも困ったわ…リリーから聞きだせる気配なしだし」
「…何でそんなに気になるんだよ」
シスカが溜息を付きながら発した言葉にヴェルナーは僅かに眉間に皺を寄せる。リリーの様子からして多分今までも誰かしらにしつこく聞かれていたようだ。
「賭けをしてるのよ。当たれば酒場のランチが只になるの」
「へぇ。そりゃ一食浮くんだから聞きたくもなるわな」
「…貴方も候補に入ってたのよ。最も賭けてるのはエルザだけの大穴だけど」
さっきの希薄な反応を見てシスカは思わず「候補に入っていた」と過去形を使う。
「エルザ?ああ、時々うちに来る変な女か」
以前ほうきか何かを買おうとして「御代はセバスチャンに」と言った女だ。
後でリリーに聞いた所によるとどうやら貴族のお嬢さんか何かでセバスチャンは執事の名前だと言っていた。
余りはっきりは顔を思い出せねぇなと思いながらヴェルナーは焚き木を火の中に放り込んだ。
「…アンタは誰に賭けたんだ?」
「テオ。まぁ、テオがリリーに好意を持ってると思ったから賭けたんだけど…。リリーのペンダントを誰が持ってるかって方向で確認しなきゃ駄目かしらねぇ…」
シスカが溜息を付く。
リリーの口が思った以上に堅い。
「…賭けねぇ…」
リリーのいい男に興味を示さないヴェルナーだったが賭けの方に少し興味を示した様だった。

***

「…と云うわけで。御免なさい」
2日ほど近くの森に滞在したが一向に聞きだせずシスカはしょんぼりして酒場に足を運んだ。
一応森での遣り取りを昼ご飯を食べに来たカリン達に話したのだ。
「結構頑固だねリリー」
カリンの言葉を聞きながらエルザは溜息を付く。
「あーあ。私の只飯は無理かー」
大凡貴族の令嬢とは思えない言葉を吐くエルザにマスターは笑う。
エルザも始から勝つつもりは無かったのでそう短絡した様子は無い。
「やっぱりペンダント持ってるか聞きに行くの?」
そうなると一番大変なイルマが不安そうに聞く。ウルリッヒにどんな顔をして聞けば良いのだ。
まぁ、もう暫く粘ってからだなと言うマスターの声を掻き消すように酒場の扉が開かれた。
「今日和マスター。まだランチいけますか?」
入ってきたのはリリーと…意外な男だった。
「よう。珍しいなヴェルナー」
「たまにはな」
マスターの言葉を適当に聞き流すとカウンターにリリーと並んで座る。

「シスカに聞いたんだが、面白い賭けやってるらしいな」
リリーがまだ半分しかランチを食べ終わってないのにも関わらず、既に食後にセットとして出されるミスティカティーを飲みながらヴェルナーが話を振る。
「賭け?」
フォークを止めて不思議そうな顔をするリリーを見ながらヴェルナーは笑いながら云う。
「お前のいい男が誰だか当てたらランチが只になるんだってよ。だから皆躍起になって聞きたがるんだ」
「えーーーーーー!?何で!?」
リリーは顔を真っ赤にして立ち上がる。
「悪いな。でも結構な人数が賭けてるんだぜ。それだけ皆が気にしてるって事だよ」
マスターの言葉にリリーは怒りはしなかったオロオロと周りを見回す。
シスカ達は御免ね、と云うようにリリーに向かって手を合わせる。
「どうだ、ヴェルナーも一口乗るか?」
「良いのか?」
マスターの言葉にヴェルナーはニヤっと笑って残り少ないミスティカティーを飲み干す。
奥の棚から集計表を取り出したマスターを見たリリーは慌ててヴェルナーを制止するがそれに構わずヴェルナーは立ち上がりる。
「で、誰に賭けるんだ?」
「ヴェルナー・グレーテンタールに一口」
思わぬヴェルナーの言葉に一同が彼に注目する。
するとヴェルナーはポケットから出した『古風なペンダント』をマスターの目の前に下げると口端を上げて笑い、さっさと扉の方に歩いて行く。
「ご馳走さん、美味かったぜ」
ペンダントをしまうとヒラヒラと手を振りながらそう云い残し店を出る。
呆然と誰もが彼の背中を見送ると、今度は視線がリリーに集まる。
彼女は真っ赤な顔をしながら慌てて銀貨をカウンターに乗せる。
「あ、あの、ご馳走様でした!」
頭を下げて猛ダッシュで酒場を後にする。

水を打ったように静まり返る酒場で一番最初に口を開いたのはエルザだった。
「やった!今日はお金払わなくて良いの!?」
思わず両手を上げて万歳をすると、漸く止まっていた酒場の時間が動き出した。
そこでシスカは漸くヴェルナーの言葉の意味を理解した。
彼は、
リリーに興味が無いのではなく、答えを知っていたから興味が無かったのだ。

***

「ヴェルナー!!!」
遥か後ろから名前を呼ばれて彼は足を止めて振り向く。
「なんだ、もう飯食い終わったのか?」
確かまだ半分ぐらいしか食べ終わってなかった様な気がしたので取り合えず聞いてみるが、リリーは顔を赤くして怒り出す。
「あんな状態でご飯なんか食べられないわよ!もう!今日は外にお昼食べに行こうって言い出すから珍しいと思ったら始めから只でご飯食べるつもりだったのね!しかも態々ペンダントまで持ち出して!」
捲くし立てるようにリリーは云うが、云われた本人は至って涼しい顔で聞き流す。
「聞いてるの!?」
「…ペンダントは何時も持ち歩いてるんだよ」
「え…あ…そうなの?有難う…って!!その話じゃなくって!」
ヴェルナーが何時もペンダントを持ち歩いている事を知ってリリーは思わず嬉しくなるが、それとコレとは話が違う。
「今日はもう酒場に行けないじゃないの!まだ依頼聞いてないのに」
ヴェルナーが自分の店に向かって歩き出したのでリリーはその後を追いながら相変わらず怒った様子で話し掛ける。
「じゃぁ今日は仕事休んじまえ」
「え?」
彼の意外な言葉にリリーは驚いて彼の顔を見上げる。
「話し相手位はしてやる」
そう云うと思わず立ち止まってしまったリリーを置いてさっさと歩いてゆく。
「…お茶も入れてね。食後のお茶飲めなかったから」
小走りにヴェルナーに追いつたリリーは先ほどの剣幕は何処に行ったのか嬉しそうに笑いながら彼に向かって注文をつける。
「…ったく、我儘なお得いさんだな。解ったよ」


>>あとがき

既にペンダント渡した後のお話です。)

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