*解呪*
先日行われたアカデミーの試験結果が張り出されるので、万年最下位のエリーは厭々その結果を見に行く事にする。
エリーにしては結構上出来だったのだが、如何せん自分に今一自信がもてない事もあるし、そもそもアカデミーのレベルは高い。
自分が上出来だと思っても、周りはもっとよく出来ている事も無論考えられる。
1年間、工房で生計を立てながら必死で勉強してきたのが無駄ではないといいなぁと思いながら掲示板を見る。
***
欠伸をかみ殺しながらダグラスは何時ものように城の門番をしていた。
試験前だかで、エリーの採取作業について行く必要が無かった為に、此処暫く暇をもてあましていたのだ。
門番とて大切な任務ではあるのだが、体を動かしている方が向いているので何となくだらけてしまう。
試験は何時だって云ってたかな…そんな事を考えながら再びこみ上げる欠伸を噛み殺した。
すると、遠くから派手なオレンジ色の服が走ってくるのが見えた。
この街でそんな服を着ているのはエリー以外に居ない。
「ダグラスーーーー」
「おう。試験は終ったのか」
手を振りながらやってきたエリーはダグラスの言葉に大きく頷き、嬉しそうに笑う。
「あのね、試験1番だったの!!入学した時は最下位だったのに!!」
ニコニコ笑って報告するエリーを見てダグラスは僅かに表情を緩める。
エリーが一生懸命頑張っているのを見てきたから、それ相応の結果が出た事が自分の事の様に嬉しかった。
入学当初は人の何倍も遅れていたが、酒場での依頼を受けたり、採取しながらあれこれ学んでいるうちに遅れを完璧に取り戻したのだろう。
依頼は必ず質の良い物を納品するし、期日もきっちりと守る。
そんな当たり前の事が彼女を成長させたのだろう。
「そうか、頑張った甲斐があったな…」
普段は憎まれ口だが素直に彼が喜んでくれたので、エリーは少し驚いた顔をするが、直ぐに嬉しそうに笑う。
『錬金術で人を幸せにしたい』
そう思って一生懸命やったのが報われて本当に良かったとと思う。
「ありがとーダグラス。あのね、それで又採取に行くから護衛してくれる?明日ぐらいなんだけど」
「明日!?早速だな…休まなくて良いのか?」
先刻までは外に出て体を動かしたいと思っていたダグラスだが、1年間付き合っていれば錬金術が如何に体力の要る仕事か理解できる。
一つの調合をするのに、連日徹夜は当たり前なのだ。
今も試験勉強と、試験の疲れが残ってるだろうにと思いながらそう云ったのだが、彼女は首を振る。
「大丈夫!頑張ってもっと錬金術勉強したいの。依頼とか、もっと皆に喜んで貰えるように質上げたいし」
「そうか…とりあえず今日は帰って寝ろ。ぶっ倒れても俺は知らねぇからな」
「うん。ノルディスの所云ったら直ぐ帰る」
エリーの口から出た意外な名前にダグラスは思わず眉間に皺を寄せる。
採取作業に時々くっ付いて来るアカデミーの首席。
「何であいつの所に…」
「え?だってノートとか貸してくれたし、勉強も教えてくれたからお礼に…」
急に不機嫌そうになったダグラスの様子に首をかしげながらエリーは答える。
「じゃあ。明日ね!」
慌しくその場を去るエリーを見送りながらダグラスは溜息を付く。
エリーと同じ先生に教えてもらっているのだから、彼女が採取で外に出てる間の講義ノートを貸して貰うには丁度良い相手なのだろう。
しかし、
何であいつは採取作業に付いて来ているのだ。
エリーの話だと、普通のアカデミーの生徒は、よほどの事がない限り外には出ないらしい。
発注すれば大概のものが手に入る様になっているのだ。
彼女は寮にも入ってないし、酒場の依頼をこなす為に大量の材料が必要だから外に出かけてゆくのだ。
冒険には向いてないエリートと、何をやってもトロ臭い落ち零れを両方守るのは結構骨が折れる。
エリーを守る為に一緒について来ている筈のノルディスは彼女を守れた試しがない。
しかし、この時点で気が付くべきだったのだ、如何しても好きになれないあのエリートが今回の試験で入学当初からかたくなに守り通したその栄光をアッサリとエリーに奪われた事に。
***
ダグラスは交代の時間になったのを機に、エンデルク隊長の所に行く。
「…そうか。久しぶりに外に出るのだな」
「申し訳ありません。なんだかんだ云って護衛の仕事ばかり請け負って」
ダグラスの言葉にエンデルクは僅かに表情を緩める。
「実戦に勝る訓練はない。精々腕を磨いて来い。…昔は私も錬金術師の護衛をやっていたからな…」
エンデルクが今は街を去った錬金術師と共にヴィラント山のドラゴンを倒したのは有名な話だ。
ダグラス自身は会った事は無いが、さぞかし優秀な錬金術師なのだろう。
「…それでは失礼します」
ダグラスが部屋を出ると、エンデルクは嘗て自分を引っ張りまわした錬金術師の事を思いだす。
昔の自分の様に錬金術師の護衛を請け負い、日に日に強くなってくるダグラスを見ていると自分もうかうかしていられないと苦笑する。
あの最強の錬金術師が居なくなってから久しく好敵手には恵まれなかった。
彼は何時か自分に追いつくだろう。
何時来るか解らないその日に期待を馳せながら、エンデルクは愛用の剣を持って部屋を出た。
明日の護衛の為に剣を磨いてもらおうと武器屋に向かったダグラスの視界に再び派手なオレンジの服が飛び込んできた。
アカデミーの帰りなのだろうか。
そう思いながら声を掛けようとするが、先ほどの元気の欠片も無いエリーに困惑する。
「…?」
下を向いてトボトボと歩いているエリーはダグラスに気が付かないのか、そのままダグラスの前を通り過ぎようとする。
「エリー?」
声を掛けられ驚いた彼女はハッと顔を上げダグラスの方を見る。
「な…何で泣いてるんだお前は!?」
ダグラスの言葉にエリーは慌てて袖で顔をごしごしと拭くとが、直ぐにその瞳からは涙が溢れる。
鼻をすすりながら俯くエリーを見ながらダグラスはきょろきょろと辺りを見回す。
人通りの多いこの街のど真ん中で…焦りながらも如何したものかと思っていると、たまたま武器屋の主人が2人を見つけて声を掛ける。
「街中で女の子を泣かすなよ、色男」
「ち…違う!俺じゃない!!」
慌てて否定するダグラスを意地悪く見た武器屋の主人だったが、こんなとこで突っ立っていたら目立つだろうと2人を武器屋に連れて行ってくれた。
武器屋の主人は入口の札を『本日臨時休業』に変えると相変わらず泣き続けるエリーを見て溜息を付く。
「で、何があったんだ」
「…俺が聞きたいよ。…悪いな、仕事休ませちまって…」
「なぁに構わんさ。昔に比べれば臨時休業も少ない方だよ」
昔冒険者をやっていたという話は時々聞く。かなり腕の良い冒険者であったが、結局武器を触るのが好きで今の仕事に落ち着いたのだ。
「如何したんだ嬢ちゃん。試験の成績が悪かったのか?」
主人の言葉にエリーは首を振る。
「違う。こいつ1番だったって大喜びで俺のとこに報告に来たんだよ。ついさっき」
ダグラスの言葉に主人は驚いた顔をすると、良かったじゃねぇかとエリーの頭を撫でる。
「…た」
「は?」
エリーが何か小ささな声で云ったのが聞き取れなくてダグラスは聞き返す。
「ノルディスに嫌われたの…私が1番取ったらノルディス2番になっちゃって…凄く落ち込んでて…部屋に閉じこもって出てきてくれないの…」
そこまで云うとエリーは再び泣き出す。
一緒に喜んでもらえると思って意気揚揚と報告に行ったのに無下に追い返されたのだ。
「…あの野郎…」
思わずダグラスは怒りで拳が震える。
一緒に頑張ろうといいながらエリーに勉強を教えていたのに…アレは優等生の哀れみだったのか!?そう思うとこみ上げる怒りを押さえつける事が出来なかった。友達なら一緒に喜んでやれば良いじゃないか。
「私…錬金術止める…一生懸命頑張ったのに…結局ノルディス落ち込んで…全然人を幸せに出来ないよ…」
「な!?何云ってんだお前!此処まで頑張ったんだろ!?」
ダグラスは慌てて声を上げるがエリーは首を振る。
「…なぁ嬢ちゃん…人ってのは自分より出来る奴を羨んだり嫉んだりってあるんだぜ」
今まで黙って話を聞いていた主人が口を開く。
「嬢ちゃんはそう云う事は無いみたいだからぴんと来ないだろうが…それでも頑張って、認められれば良いんじゃねぇか?
昔…錬金術を此処に広めに来た奴は、始めは胡散臭いとか云われても人に喜んでもらおうと頑張って…嫉む奴も居たけどそれでも続けてたぜ錬金術…。彼女は…ちゃんと錬金術で人を幸せに出来た。少なくとも俺はあいつのお陰で今こうやって武器屋をやってられるんだ」
『頑張ってねゲルハルト!何時でも応援してるから!』
何時も笑顔で居た彼女はアカデミーの設立と共に街から出て行ったが今でもどこかで錬金術で人を幸せにしているのだろう。
アカデミーも軌道に乗り多くの錬金術師が生まれる中、きっと彼女の様な錬金術師が育つであろう事を期待していた。
マリーやエリーは彼女の巻いた希望の種。
きっと錬金術で人を幸せに出来るだろう。
だから如何しても此処でその芽を刈り取る事だけはしたくなかった。
「期待してんだよ俺はお前さんに…あいつみたいな人を幸せに出来る錬金術師になれると思ってよ…」
「ゲルハルトさん…」
エリーは鼻を啜りながらゲルハルトの話に聞き入る。
「…すまねぇ。決めるのはお前さんだな…でも…お前さんの事嫌ってる奴ばっかりじゃねぇよ…」
「有難う御座います…もう少し…頑張ってみます。ゲルハルトさんの知ってる錬金術師さんやマルローネさんみたいになれるように。…私欲張りでしたね、直ぐに良い結果なんて出るはず無いのに」
エリーがテヘっと笑うとゲルハルトはホッとしたような表情を見せ立ち上がる。
「お茶入れてやるから顔洗って来い」
店の奥へ入っていったゲルハルトを見送り、エリーは洗面所へ向かう。
一人店に残されたダグラスは元気になったエリーにホッとしながらも、相変わらず消えない怒りに立ち上がると店を出てアカデミーへ向かった。
***
アカデミーに向かったダグラスは、寮の管理人に声を掛けノルディスの部屋を確認する。
管理人も彼の着けている鎧が王国騎士隊の物だと云う事もあってアッサリとノルディスの部屋を教えてくれた。
この城下町での王国騎士隊の信頼は厚い。
ダグラスが扉をノックすると中から今は誰とも会いたくないと、ノルディスの声がする。
「俺はお前に用があるんだ。ぶち破るぞ」
予想していたとは言えノルディスの反応にダグラスは苛立ち舌打ちをすると、大凡信頼厚い王国騎士隊とはかけ離れた脅し文句を口から発する。
「…」
ガチャリと施錠を外す音が聞こえ中からノルディスが顔を出す。
「エリーを泣かせてどう云うつもりだお前は!」
ダグラスの何の前触れも無い言葉に、ノルディスはむっとしたように言い返す。
「泣きたいのは僕の方ですよ!」
「何だと!?」
「帰ってください!話す事はありません!」
「…自分だけ可哀想なつもりかよ…」
ダグラスの拳が僅かに震える。
錬金術をやめるといった彼女の顔が脳裏から離れなくて…抑えきれない感情が爆発し、ダグラスはノルディスを力一杯殴り飛ばす。
「…っ!!」
一瞬何が起こったか解らなかったノルディスだが、口の中に広がる不快な味に顔を顰め漸く殴られた事を理解する。
視線をダグラスに向けると、彼は大きく肩で息をして此方を睨んでいた。
「…錬金術止めるって言い出したんだぞ…」
「え?」
「お前がたかが試験で首席になれなかった位で落ち込むからあいつは…友達だったら一緒に喜んでやれば良いじゃねぇか!あいつの面倒を見てたのは優等生の哀れみか!?」
「…貴方には僕の気持ちは理解できませんよ…」
ノルディスの言葉にダグラスが彼の胸倉を掴んだ瞬間、突然ダグラスの体がゆっくりと崩れ落ちた。
倒れこんだダグラスも、それを見ていたノルディスも何が起こったのか咄嗟に理解出来なかったのは、余りにも意外な人物がこの騒動の仲裁に入ったからだろう。
ヘルミーナ
アイゼルの担当教師であり、如何にも怪しい物を作っているといれる曰くつきの人物。
彼女はダグラスに安眠香を嗅がせ止めに入ったのだ。
「騒がしいわね…どう云うつもりなの貴方達は」
左右違う色の…ザールブルグでは見られないその瞳がノルディスを睨みつける。
ノルディスは余りの急展開に口をパクパクさせると漸く声を絞り出す。
「…ヘルミーナ先生…」
「まぁ良いわ、私の部屋にいらっしゃい。傷の手当てぐらいはしてあげるわ。ほら、さっさとその騎士隊員の担いで」
促されるようにノルディスは重いダグラスを担ぎ上げる。
鎧の所為か、もしくは自分よりずっと逞しい体の所為か非常に彼の体は重かった。
茶色い彼の髪が自分の頬に触れる。
先刻まで自分を睨みつけていた青い瞳は確りと閉じられている。
…時々採取作業に付いて行った事でよく知ってるが、彼は口が悪いし、考えるよりも行動する方が俄然早い。
正反対なのだ…自分自身と。
だからこそ追い詰められる。
彼女を攫われてしまうのではないかと。
まだ…彼自身はそう自覚していないだろうが、エリーに対して好意的な彼の行動は幾ら鈍感なエリーにも伝わってしまうのではないかと不安に掻き立てられる。
ヘルミーナの部屋は薄暗く、怪しげな物が並んでいるがきちんと整頓されていた。
ノルディスはダグラスの体をベットに放置すると、ヘルミーナに云われた様に椅子に座る。
アルテナの傷薬をヘルミーナに塗ってもらっている最中は終始無言だった。
作業を終えたヘルミーナはベットに横たわるダグラスに視線を向けると僅かに目を細める。
「王国騎士隊も様々ね…私が知ってる騎士隊の人はもっと思慮深い穏やかな人だったわ。まぁ、不器用な辺りは似てるかしら」
そこまで云うとヘルミーナはふと昔を思い出し笑う。
まだ此処に来たばかりの頃は子供だった自分。
母親とも先生とも慕った錬金術師は誰にも好かれる優しい人だった。
「…エルフィール絡みかしら?」
ヘルミーナの鋭い一言にノルディスは言葉を詰まらせる。
余り他人に…それこそライバル視しているノルディスの担当・イングリド以外には興味を持ってなさそうな彼女がその一言を発した事が驚きだった。
「…」
「そう云えばあの子今回の試験1番だったわね。補欠入学がよくもまぁ…マルローネといいあの工房に住まわせると厭でも錬金術が巧くなるのかしら…」
「…工房に住むだけで錬金術が出来るようになるなら苦労はしませんよ」
云ってからノルディスはしまったと口を慌てて噤む。刺がある言い方になったのは明白だった。
しかし、ヘルミーナは気にした様子も無く何時も通りの表情でノルディスを見る。
「参考書読むだけでも駄目ね。結局経験値が物を云うのだから。…イングリドも考えたものね…あの工房に住まわせて生活掛かった勉強の仕方をさせれば先生みたいになれると思ったのかしら…まぁ、その考えは評価すべきかしら…マルローネも成績優秀で卒業。エルフィールもこうやって首席まで上り詰めたんだから」
「…」
知ってる。
参考書を読むだけでは錬金術は上達しない。
エリーはむしろ参考書を眺めている時間よりも、人の依頼をこなしたり外に出ている時間の方が遥かに多いだろう。
「首席取られて落ち込んでるんですって。アイゼルが心配してたわよ」
「!?」
「貴方…エルフィールの事どう見てたの?友達?ライバル?」
「僕は…」
どちらも違う。
「友達なら一緒に喜んであげればいい。ライバルなら…落ち込む前に次は勝てるようにもっと努力すればいい。落ち込んだって事が私には理解できないわね」
ヘルミーナの言葉は今のノルディスには痛い言葉となる。
ダグラスも言っていた。友達なら一緒に喜んでやれと。
でも、違う。
違うんだ。
「彼女に必要とされたかった…」
小さな呟きだったがヘルミーナの耳には確りと届いた。
「僕は…彼みたいに彼女を守れる訳でもない。勉強を教える事位しか出来ない…だから…何時までも彼女の上で居たかった」
そう云いながら手で顔を覆う。
無性に泣きたくなった。
勉強以外で彼女の力になれる事が無いのに。
『優等生の哀れみ』なんんかじゃ無い。
優等生でいる事が唯一自分に残された最大の武器であり、彼女とを繋ぐ絆だった。
「…じゃぁこの子はエルフィールを守る為に態々此処まで来たのね。ご苦労な事」
ヘルミーナの視線の先には相変わらず寝息を立てているダグラスが居た。
そう、
僕が彼女を泣かせたから…彼は此処に居る。
思わず自己嫌悪に陥る。
自分の行動が彼女を傷つけ、挙句の果てに恋敵とも言える男に彼女を守る口実を与えた。
「傷つけるつもりじゃなかったんだ…彼女が…自分から離れるのが怖かった…」
ノルディスの言葉にヘルミーナは瞳を細める。
不器用なのだこの子も。
エルフィールの『誰にでも優しい』行動は彼女に好意を持つ人間を不安にさせる。
彼女にとっては『錬金術で人を幸せにしたい』という考えの元、ごく当たり前の行動なのに。
嘗て、母とも先生とも慕った人がそうだった。
本人は自覚していなくても廻りはそう云う事が気になる。
ホレタハレタよりも錬金術で頭が一杯な人に何を云っても無駄なのは見てきたから良く解る。
自分持つ好意が、相手の持つ好意と違う事が解らないのだ。
彼女に真っ直ぐ好意をぶつける人も居れば、ずっと見守る人も居た。
彼女が選んだのは…
「僕は」
思わず自分の思い出に浸っていたヘルミーナが現実に引き戻される。
「僕は…どうすれば…」
「貴方が元気になりさえすれば問題ないわ。『錬金術で人を幸せにしたい』と思ってる人間はね…誰かを嫌いになるって事を思いつかないのよ。相手が自分の事を否定しても、それでもその相手が困っていたら手を差し伸べるオメデタイ人種なのよ」
錬金術がまだ定着しないこの国で先生はそうやって生きてきた。
「エリーは僕を赦してくれるんでしょうか…傷つけたのに…」
「云ったでしょ、オメデタイ人種だって。そう云う人間はね、自分に傷より相手の傷が気になるのよ。貴方が元気になれば自分の傷なんてどうでもいいの。…それでも貴方が引け目を感じるなら…幸せそうにしてれば?他人を幸せにするのが彼女の望なんだから」
赦すだろうエリーは。
そもそも赦す、赦さないの問題ではない。
自分が傷ついた事よりも他人が傷ついた事の方が彼女にとって辛いのだから。
「済みません…お騒がせして…僕が…余りにも自分勝手でした。自分の不安に押しつぶされて…」
ノルディスはベットに視線を移す。
彼が何時までも自分を追い立てる。
だから、
もっと強くならなくては。
不安に打ち勝つ確固たる自信をつけなければ。
「精々頑張りなさい。部屋に帰って良いわよ。騎士隊の子は起したら直ぐに帰すから」
「あの…今日の事は…騎士隊の方には報告しないで頂けますか?彼も悪気があって僕を殴った訳じゃないし…」
「…子供の喧嘩を報告するつもりなんて無いわよ」
国民を守る騎士隊員が暴力沙汰を起したとあっては聴こえが悪い。
ましてやアカデミーの寮で騒ぎを起したとなってはダグラスもただでは済まないだろう。
ヘルミーナの言葉に安心したノルディスは少し笑って部屋を出た。
「さてと…」
ヘルミーナは調合物の置いてある棚に脚を運んでガッシュの木炭を探すが、後ろで声がしたので振り返る。
「…騒ぎを起して申し訳ありません」
「驚いた。私の安眠香を嗅いで自力で起きるなんて…」
まだダルイ体を無理やり起こし立ち上がると、ダグラスは深深とヘルミーナに頭を下げた。
「何時から起きてたの?」
「…この部屋に来た頃からぼんやりと…体は動きませんでしたが」
ノルディスの部屋での剣幕が嘘の様に礼儀正しい姿だった。
少しは冷静になったという事か。
「そう、じゃぁさっさと帰りなさい。喧嘩する時は次は外でやって頂戴」
ヘルミーナの言葉に思わずダグラスは顔を赤くする。
余りにも王国騎士隊として恥ずべき行動をとった事を自覚しているのだろう。
「…一つ聞いて良いですか?」
「何?」
「『錬金術で人を幸せにしたい』と思っていた人は…自分は幸せになれたんですか?」
「…幸せだったでしょうね。他人が幸せそうにしてるのが嬉しい人だったから」
「えっと…そうじゃなくて…」
ダグラスが更に顔を赤くするのを見てヘルミーナはさっきの質問の本当の意味を察した。
すると、口元だけ僅かに笑って口を開いた。
「ゲルハルト…武器屋の主人に聞いて御覧なさい。私なんかよりもずっと先生の事知ってるわ」
「へ?」
意外な人物の名前が出て思わずダグラスは口をぽかんと開ける。
「…知ってるかしら?あの工房で錬金術をやってた人間は倍率高いのよ…彼はその倍率の負け組み。貴方もうかうかしてたら彼の二の舞よ」
「お…俺は別にあいつの事なんか…」
ヘルミーナの意地の悪い言葉にダグラスは慌てて否定をするが、その姿が余りにも動揺みえみえで実に可笑しかった。
「じゃぁ…失礼します!!」
慌てて部屋を出るダグラスの背中を見送りながらヘルミーナは微笑む。
嘗て先生に好意を持っていた人の中に王国騎士隊がいた事を思い出したのだ。
***
「お帰りダグラス。何処に行ってたの?」
武器屋に顔を出すと、さっきまでの落ち込みが嘘のようにエリーが笑顔で出迎えた。
「お…おう。ちょっとな」
流石にアカデミーにノルディスを殴りに云ったと言えずに曖昧な返事をするが、エリーは気にした様子も無く手に持ったいた絵をダグラスに見せる。
「これね、ゲルハルトさんがさっき話してくれた錬金術師さんとそのお友達の絵なの〜」
「レプリカだけどな。本物は王宮に飾ってある」
ダグラスはさっきのヘルミーナの言葉を思い出しながらその絵を眺める。
多分王宮の中庭であろう。穏やかな風景の中沢山の人物が描かれている。
「…」
恐らくヘルミーナの隣で笑っているのがかの錬金術師だろう。
「イングリド先生も、ヘルミーナ先生も可愛い♪」
エリーは嬉しそうにそう云いながら、この人は誰?とゲルハルトに聞いてゆく。
その絵の中で一番左に描かれている男が纏っているのは青い鎧…王国騎士隊のものである。
「この人は…ウルリッヒ様?」
「流石に騎士隊内では有名か。『黒の騎士』を倒した凄腕の奴だぜ」
それは有名な話だったのでダグラスも知っている。
もしかして、ヘルミーナの知っていると言っていた王国騎士は彼の事だったのかも知れない。
「ねぇ、この人は?」
「そりゃ俺だ」
「え!?」
エリーの指差した男は長い黒髪の如何にも冒険者風の男だった。
…正直、今のゲルハルトとは直結できない。
思わずエリーとダグラスが驚きの声を上げたのは無理もない事であろう。
「…えっと、じゃぁこの人は?」
慌ててエリーがさしたのはどう贔屓目に見ても冒険者には見えない男だった。
「雑貨屋の店主だよ。こいつが俺たちのアイドルを手に入れたんだから思い出すだけでも腹が立つぜ…まぁ、俺としてはリリーが幸せならいいんだけどな」
がっくりと肩を落とすゲルハルトを見てダグラスはヘルミーナの言葉を思い出した。
『うかうかしてたら彼の二の舞よ』
皆を幸せにした錬金術師・リリーは雑貨屋の店主と幸せになったのだろう。
「そりゃぁ、口の悪い奴でな。商売やる気なんかありゃしない奴だったが…まぁ、悪い奴ではなかったな」
「へ〜。口が悪いってダグラスみたいじゃない」
「あ?」
エリーの思わぬ言葉にダグラスは間抜けな返事をする羽目になる。
「でも、きっと優しい人だったんだろうね〜」
ダグラスの返事が聞こえなかったのか、エリーはウキウキと絵を眺める。
するとゲルハルトがダグラスの肩に腕を廻し小声で耳打ちする。
「兄ちゃんも頑張れよ。嬢ちゃんのポヤヤン振りはリリーに似てるからな。うかうかしてると俺みたいに誰かに持ってかれちまうぞ」
「だから!俺はあいつの事…」
「結局騎士隊員ってのは保護者ポジションが好きなのかねぇ…ウルリッヒもそうだったが…それで惚れた女を逃がすんじゃもったいねぇぞ」
同じ騎士隊員のウルリッヒの話を持ち出され思わずぎくりとする。
確かに今の自分のポジションは正に保護者だ。
今はそれで良い。
でも、
ノルディスとエリーが巧くいったらそれを保護者として祝福できるかは解らない。
何故祝福出来ない。
俺は…。
「何話してるの?」
「うわぁ!!」
突然声を掛けられ思わずダグラスは声を上げる。
それに驚いたエリーは思わず体を引いて目を大きく開く。
「え!?如何したの???」
「…何でもない」
急に恥ずかしくなってそっぽを向くと、そう?と言ってエリーは再び楽しそうにゲルハルトと話を始める。
そのエリーの横顔を見て思わず表情が緩む。
泣いてるよりずっと良い。
もう少し保護者で良いかとぼんやりと考えながら、天気の良い窓の外に視線を向けた。
>>後書き
どの辺りがダグvエリなのか聞かれるとかなり途方に暮れます。