*謹厳実直*
「トリック・オア・トリート!」
忍術学園の教師である土井半助は、自分の部屋を訪れた生徒を見て目を丸くすると、困った様に笑った。
「饅頭しかないけどいいか?」
その言葉に久々知兵助は恐縮し、斉藤タカ丸はわーいと歓声を上げた。異国の祭であるハロウィンが今忍術学園の中で小さな流行りで、下級生中心に仮装をしてお菓子をたかる姿がちらほらと見られた。実家が貿易商であるしんべヱからハロウィンが広まったのだ。
「元々は魔よけの火を焚く祭なんだがな」
そう言いながら土井は久々知とタカ丸に饅頭を渡すと、お茶を入れてくれる。タカ丸に言われるままに衣装を着て引きずられてきた久々知は由来を知らなかったので驚いたような顔をすると、お茶を飲みながら相槌を打った。
「折角だから火薬委員全員で来れば……」
そこまで言って、土井は口をつぐんで困ったような顔をした。恐らく二郭伊助はクラスメートと一緒に練り歩いているだろうし、二年の池田三郎次は真面目なので断られたのだろう。残った久々知がタカ丸に無理矢理連れてこられた事に気がつき土井は申し訳なさそうに久々知に詫びる。学年的には久々知が上であるが、年齢的にはタカ丸が上なので強く断れなかったのだろう。
「すまんな。うちのクラスから変な事流行って」
「いえ」
首を振った久々知は冷めたお茶に口をつけると淡く微笑んだ。饅頭をもぐもぐさせながらタカ丸は顔に巻いていた包帯を解くと、くるくると小さく束ねる。
「衣装はどうしたんだ?」
「あ、しんべヱに借りました。包帯は善法寺伊作先輩からです」
久々知とタカ丸の着ている長い外套を眺めながら土井が言うと、タカ丸が元気よく返事をする。元々忍術学園に入る前から土井や、一年は組の面々と知り合いである彼なら簡単に借りる事が出来たであろう。
「私が菓子を準備してなかったらどんな悪戯をするつもりだったんだ?」
自分の担当クラスから流行った事もあり、一応菓子類を準備していた土井であるがふとそんな事を思いつき二人に聞く。すると久々知は驚いたように土井の顔を見上げて、しばらく視線を彷徨わせると、申し訳なさそうに笑った。
「すみません。そこまで考えていませんでした。タカ丸さんに言われるままだったんで」
「はいはいー!僕考えてましたよ!」
逆に元気よく手を上げながら返事をしたタカ丸に土井は苦笑すると、答えを促す。
「土井先生が寝てる間に、その傷んだ髪をバッサリ切るつもりでしたー!悪戯出来なくてちょっと残念です!」
その言葉に思わず土井も久々知もそれは酷い!と心の中で叫ぶ。悪戯と言うレベルを明らかに超えているし、悪びれもなく言われると言葉に困る。以前からタカ丸が傷み放題である土井の髪を何とかしようとしているのは久々知も知っているたが、仮にも先生に対してそれはないだろうと思い、声を発しようとするが先に土井が声を上げた。
「コラ!私以外の先生に無茶してないだろうな!」
「僕が気になるのは土井先生の髪だけですよ。トリック・オア・トリートメント?とかも考えたんですよ」
「どっちにしろ私の髪か!髪から離れろ!」
髪を切るか、手入れをするかの選択肢しかないじゃないかとぶつぶつ言いながら、土井はタカ丸の頭にげんこつを下ろすと、まったく……と小さくため息をつく。
それをハラハラしながら眺めていた久々知であるが、土井が本気で怒った訳ではないと解るとほっとしたような顔をする。ごめんないさいと口では言いながら、相変わらず髪の事ばかり言うタカ丸を眺めて、久々知は少しだけ俯いた。
「どうした?兵助」
「……いえ。何か考えておけばよかったかなぁと……」
その言葉に土井は驚いたような顔をすると、思わず久々知の頭を撫でる。真面目な生徒なので準備を怠った事を恥じたのだろうと思ったのだ。ノリと勢いで広まった祭に真面目に取り組もうとしている姿は、生真面目で不器用な久々知の性格からすれば解らないでもない。
「無理して考える程のものじゃないよ」
「……はい」
そもそも遊びの延長なのだから深刻な顔をする事もないと土井は思うが、久々知の表情は晴れないままであった。
「伊作先輩に包帯返してきます」
「あ、それじゃぁ余った饅頭持っていてくれ。ちゃんとお礼言うんだぞ」
うなずいた久々知を見送りながら、土井はぼそっと呟く。
「兵助は真面目だなぁ」
「そうですね」
「っていうか、おまえが包帯借りたんじゃないのか!?何で兵助が返しに行って、タカ丸がここに残るんだ!?」
「どーしてでしょうねー」
のほほんとした表情でお茶を飲むタカ丸を見て土井は思わずため息をつくが、仕方ない奴だなと、小さく肩を竦めて笑った。
「五年い組の久々知兵助です」
名乗って医務室の扉を開けると、そこには保健委員長である善法寺伊作がおり、調合していた薬から顔を上げる。
「どうした?怪我?」
「いえ。タカ丸さんの借りた包帯を返しに来ました。あと、土井先生からお饅頭です」
「ああ、とりっく・おあ・とりーとって奴だったかな?どうだった?」
外套と首に巻かれた布を取り、畳みながら久々知はタカ丸が土井の髪を何とかしようと無茶な悪戯を考えていた事を話す。すると伊作はぷーっと吹きだして口を開いた。
「彼らしいね。土井先生も困ったろうに」
包帯を巻きなおしながらそう言う伊作を眺めて、久々知は少し考え込むような顔をすると、ぽつりと呟く。
「あの……先輩ならどんな悪戯します?」
「え?そうだな。土井先生のチョークケースにびっしり新品のチョーク入れるとかかなぁ。いつもちびたチョークばっかり使ってるから先生驚くだろうし」
他にも何か思いついたのか、楽しそうに話をする伊作を見て、久々知は俯く。それに気がついた伊作は首を傾げると、どうした?と聞く。
「いえ。その。土井先生に悪戯何するつもりだったか聞かれて、思いつかなかったので……」
その言葉に伊作は驚いたような顔をする。悪戯が思いつかなかった位でそんなに深刻な顔をする意味が解らなかったのだ。
「別に無理して考える事じゃないと思うけど」
「土井先生もそうおっしゃってました。けど、こう、タカ丸さんみたいに上手くいかないというか……その……」
成績優秀な彼の弱点をあえて上げるとすれば、常に教科書通りの選択をするという事だろう。最近忍者になったタカ丸はどちらかと言えば思考に柔軟性があり、人当たりもいいので良くも悪くも馴染みやすい。見事に一年は組に馴染んでしまっているのは土井にとっては悩みの種ではあるのだが、久々知にしてみればその柔軟性が羨ましいのだろう。
そう思った伊作は困った様に笑う。
「深刻に考えなくてもいいと思うよ。タカ丸の場合はは組の個性っていうか、真似できるものじゃないしね」
アホのは組とよく言われるが、伊作自身もタカ丸もは組であるし、土井の担当も一年は組である事を考えると、久々知はそのノリについて行くのは難しいのであろう。入学当初、成績別にクラスが決められる訳でもないのに、どういう訳かは組は個性が強い人間が集まりやすい。逆にい組などは割と優秀な生徒が集まりやすいのは実は学園の七不思議であったりする。
しょんぼりする久々知を眺めて伊作は少し瞳を細めると、土井先生に相談してみたら?と促す。
「いえ。土井先生に迷惑かけるほどの事では」
「……そう?」
慌てて首を振る久々知を見て伊作は心配そうな顔をした。その生真面目さが彼を追い詰めなければ良いのだがと思ったのだ。
「先輩はは組ですよね」
「そう。アホのは組ってずっと馬鹿にされてたけどね」
「……羨ましいです」
そう言って医務室を出て行ってしまった久々知を見送り、伊作は彼の置いて行った饅頭を一つ口に運んだ。
「ないもの強請りなんだよね。こーゆーの」
自分がは組である事を恥じた事はないが、自分にないものを求めるのは人間としてよくある事だと伊作は思う。恐らく久々知もそれなのだろうと。
すると、開け放たれた扉から土井が顔を覗かせたので、伊作は驚いて思わず饅頭をのどに詰める。
「!?大丈夫か!?」
「はい……」
慌ててお茶を淹れてくれた土井に涙目で返答すると、伊作はお茶で饅頭を流し込み、小さくせき込んだ。
「驚かせたか?」
「いえ。考え事してましたので」
詫びる土井に笑いかけると、伊作は土井の分の茶を淹れる。
「どうかされました?」
「いや。兵助の様子聞きにな。元気がなかった様だから」
その言葉に伊作は思わず瞳を細める。自分の担当の生徒でなくても土井が気にかけていたのに思わず安心したのだ。そもそも、久々知は土井の担当する火薬委員会なのだから、まったく関わりがない訳でもない。
「兵助は真面目だからな。色々思いつめる事もあるんじゃないかと思って。何か言ってた?」
「……は組が羨ましいって言ってましたよ」
「はぁ?」
伊作の言葉に土井が間抜けな声を上げると、困った様に伊作は笑う。
「ないもの強請りでしょうけどね。つい委員会で一緒の事が多いタカ丸と比べるんでしょう」
その言葉にがっくり土井は肩を落とす。
「タカ丸と比べて悩む事なんかないだろうに。兵助の堅実さや真面目さは誇るべき事だと思うけどなぁ」
個性なのだと土井は言う。無論伊作もそれには賛成なのだが、事実忍者としては個性は別に必要ないものであるし、技術や知識の方が重要視される。忍者としてどちらが一流になれるかと言われれば、恐らく誰もがタカ丸より久々知を選ぶであろう。
「タカ丸みたいなのが増えてみろ。私の胃炎が酷くなるだけだ」
「新しい薬調合しましょうか?」
土井の言葉に伊作は笑いながら返答した。口では何と言おうと、土井は担任である一年は組だけでなく、タカ丸の事も随分と可愛がっている。苦労は多いだろうが、決して見限る事などないであろう。そして、久々知の事も。そう思い伊作は口を開いた。
「……周りが何と言おうと、本人が納得しない事にはね。土井先生から少し話してみたら良いんじゃないですか?」
「そうしてみる。お前みたいに夜中にこっそり泣いててくれたら話も振りやすいんだがな」
昔の話を掘り返されて伊作は思わず苦笑すると、穏やかに微笑んだ。
翌日。授業で使った火縄銃を抱えて土井が歩いていると、久々知がそばに寄ってくる。
「手伝います」
「悪いな。重いぞ」
「大丈夫です」
半分久々知に渡すと、土井は火薬庫へ向かってゆっくりと歩き出した。昨日伊作に話をしてみたらと言われたが、きっかけがないと話も振りにくい。そんな事を考えていると、久々知が歩きながらぽつりと呟いた。
「あの。昨日一晩考えたんですけど……悪戯何も思いつかなかったんです」
その言葉に土井は驚いたような顔をする。一晩も悪戯の事を考えているとは思わなかったのだ。
「お前、ちゃんと寝たのか?」
こくりと頷いた久々知を見て、土井は困った様に笑うと火薬庫のカギを開けて中に火縄銃を戻す。
「真面目ないい子だな」
他愛のない世間話のように土井がきりだしたので、久々知は黙って彼の言葉に耳を傾けた。
「真面目で堅実な所は久々知のいい所だと私は思うよ」
「けど……」
タカ丸の様に柔軟で器用になりたいとは言葉にするのを躊躇ったのか、久々知が口を噤んだので、土井は困ったような情けない様な顔をして詫びた。
「私が余計な事言った所為で悩ませてごめんね。……折角沢山の生徒がいるのに、皆同じじゃ面白くないし、それぞれ個性があって、得手不得手があって、助けあった方が沢山の事が出来るって思わないか?」
土井の言葉をじっと聞いていた久々知は、少し視線を彷徨わせて躊躇いがちに頷いた。
「タカ丸みたいに柔軟で器用な人間だって、そんな人間ばっかり集まってたら多分上手くいかないと思うよ。兵助みたいな堅実で真面目な子が一緒にいてこそ、沢山の事が出来ると私は思う。自分の個性も、相手の個性も上手に生かして、仲良くしていけばいいんじゃないかな」
そこまで言って、土井は久々知の顔を覗き込むと、情けない顔をして笑い、駄目かな?と首を傾げた。その仕草をみて思わず久々知はぽかんとした様な顔をしたが、直ぐに首をぶんぶんと横に振った。生真面目で堅実で面白味がないとよく言われるが、それも個性なのだと土井が言ってくれたのが嬉しかったのだ。豆腐以外に何一つ特徴もなく、挙句の果てについたあだ名が「豆腐小僧」だった時は流石に枕を濡らしたりもした。幾ら周りから優秀だと言われても、鉢屋三郎の様に華もない。今までそれを羨ましいと思った事はなかったのだが、タカ丸の様な強烈な個性に当たると、自分には何もない様な気がして不安で仕方がなかったのだ。
「先生」
「なんだ?」
「今のままで良いんですか?」
「私は、今の兵助が好きだよ」
そう言うと土井は一年生にするように頭を撫でた。
「六年生のいない火薬委員で委員長代理として一生懸命やってくれてるし、私も凄く助かってる。これからもタカ丸や三郎次や伊助の面倒みてやってくれると嬉しい」
「はい」
五年生にもなると流石に土井の様に頭を撫でる人間も少ないので、慣れない久々知は恥ずかしそうに笑う。けれどそれは懐かしく、嬉しいと久々知はぼんやりと考え、口を開いた。
「土井先生って頭撫でるの好きなんですか?」
「子供扱いで厭か?」
土井の言葉に返答を躊躇った久々知を見て、土井は苦笑すると、言葉を続けた。
「率直な感想でいいよ」
しばらく視線を彷徨わせたのち、久々知は土井に言われたように率直な感想を述べる事にした。忍者としては己の感情を表に出すのは好ましくないと思っているが、今は授業でも任務中でもない。答えやすいようにと土井が言葉を添えてくれた事に久々知は甘える。
「嬉しいです」
「そうか。子供達が喜ぶからつい頭を撫でたくなるんだ。これが私の答え」
にっこり笑った土井につられ、久々知も微笑みを零す。
ないもの強請りだと解っていたが、土井のお陰ですっきりした久々知は土井と別れると、一人でぶらぶらと忍術学園の中を歩いた。
「土井先生に何か言われた?」
声をかけられ振りかえると、そこには伊作が落とし紙を抱えて立っていた。
「すっきりしました」
「良かったね」
「伊作先輩も有難うございました」
律儀に頭を下げる久々知を見て伊作は苦笑すると、穏やかに微笑んだ。
「たまには人に思いっきり甘えるのも良いよ」
「……先輩もそういう事あるんですか?」
「よくあるよ。その度に土井先生に甘やかして貰ってる」
恥ずかしげもなく伊作が言うと、久々知は驚いたような顔をする。
「惜しげもなく人に沢山の物を与え続ける人だからね、土井先生は。いつか恩返しが出来たらって思ってる。子供はそんな事考えなくて良いって言われるけど」
その言葉に久々知はそうか、と納得した。土井は自分を子供だと思っているからあんなに寛大で優しいのだと。早く一人前にと言われる中で、あの人は子供である事を許してくれる存在なのだと。
タカ丸までとは言わないまでも、今度はもう少し上手く甘えられるかもしれない。そう思った久々知は笑顔を浮かべて、自分もそう思います、と伊作に返答した。
手ブログで火薬のハロウィン漫画を描いたので、その続きみたいなもの
久々知は真面目っ子で、タカ丸は奔放っ子だと思います
20091031