*琴瑟相和*
目の前の人が目を丸くしたのを確認して、おそ松は逆に瞳を僅かに細めて口を開いた。
「ハジメマシテ」
「十四松君の……お兄さん?」
「あ、知ってた?」
おそ松の言葉に彼女は頷くと、六つ子って教えて貰ってます、と言い少しだけ躊躇ったようにおそ松を見上げた。
「ちょっと話あるんだけど。いい?」
「え?はい。えっと……」
キョロキョロと彼女は辺りを見回して、少し思案した後に、余りお金がないので……と言葉を濁す。するとおそ松は、そこの公園でいいよ、と言いさっさと歩き出した。
「はい」
温かい紅茶を彼女に渡して、おそ松は彼女の座るベンチの正面に立つと、自分用のコーヒーの缶を開けた。
同じ顔をしていても雰囲気が違うせいか、緊張をした面持ちで彼女は両手でその紅茶を抱えると、恐る恐ると言うように口を開いた。
「お話って……その……」
「うん。君って、上京してきたの?」
「え?はい」
「そっか」
控えめで大人しそうな子であったし、十四松の下らないギャグを聞いて、涙を流して笑っていた。
あの周囲がドン引きの十四松の行動を見てだ。楽しそうに一日微笑ましく遊んで、笑って、十四松も一生懸命で……それを考えると、これから自分がしようとしていることは本当に彼等のためなのだろうかと少し躊躇ったが、おそ松は明後日の方向を見ながら口を開いた。
「……都会は辛かった?」
ビクリと彼女の肩が震えるのを視界の端でとらえたおそ松は、心のなかでため息をついた。
「十四松は……知らないよな……」
「わ……私……」
おそ松が何を言おうとしているのか察した彼女は震える声で、ぽつりぽつりと十四松と出会った時の事を話しだした。
断崖絶壁の海辺で死のうとしていた事。十四松が波に拐われて、慌てて助けたこと、助けた時に、都会に出て初めて大笑いしたこと。その後十四松に誘われて遊ぶようになったこと。
「……本当に、優しくて、嘘がなくて、あったかい人で……」
そこまで言うと、彼女は自分の腕にあるリストバンドに触れた。
それは彼女が傷を隠すために巻いていた包帯に気がついた十四松が交換しよう!と渡してくれたものであった。既に傷は塞がっており、ただ隠すためだけに巻いていた包帯であったが、流石に人に渡すのはどうかと彼女は迷った。けれど、十四松がニコニコと、早く傷治るといいね!と脳天気に言うので、結局交換することにした。
都会に出て、初めて人からプレゼントを貰って、本当に嬉しかったのだ。
「そりゃ俺の可愛い弟だからな」
「はい」
おそ松の言葉に彼女は頷いて、少しだけ冷めた紅茶に口をつけた。
「都会に憧れて、親の反対押し切って、でもお金なくて、友達もできなくて……その挙句に騙されて、バカですよね……」
喋りながら彼女の瞳に涙があふれた。
何をしていたんだろうかと思う。騙されたのは自業自得だし、結局そのお金で生活している。無論今はもうそんな仕事はしていないが、それでも、インターネットが発達したこの時代に、いつか知られる日が来ることは心の何処かで思っていた。彼の兄はこの事を伝えてしまうだろうか、と思ったが、それも仕方がないことだと心のどこかで諦めていた。
「十四松君に黙っていて欲しいとは言いません。次に会う時に……本当の事言って……お別れします……」
ボロボロと涙が零れたのは、恥ずかしさと、悲しさと、寂しさからだった。一ヶ月。本当に楽しくて、幸せで、また生きていても良いんじゃないかと錯覚していた。
「そんでまた崖に立つの?」
「……」
おそ松の言葉に彼女は首を振って項垂れた。
「もう……そんな事しません」
その言葉を聞いたおそ松は、少しだけホッとしたような顔をした後に、彼女に封筒を差し出した。
「え?」
「田舎帰りなよ」
中に金が入っている事は彼女でも察することが出来て、驚いたようにおそ松を見上げた。
「……親、心配してるだろ」
「でも、反対押し切って出てきたんです」
「俺んとこ、6人もニートしてるけど、仕方ないって養ってくれてるし、なんかあれば心配してくれてる。親って、やっぱ子供可愛いよ。兄弟も可愛いよ」
「……お兄さん……」
「俺はバカだから、こんな方法しか思いつかなかった。こうやって、君も、十四松もお互いに綺麗な思い出のまま終わったほうが良いんじゃないかって余計なことするのは、俺のエゴだと思うし、本当におせっかいなことだと思う」
このまま、お互いに幸せな思い出だけを抱えたまま。応援したい気持ちだってあった。けど、やっぱりこのまま彼女が引け目を感じたまま一緒にいたのなら、いつか破綻する気もした。十四松は知っても笑って流すかもしれない。けれど、彼女はやっぱり気にするだろうと。
「君が十四松にふさわしくないとか、そんなことじゃなくて、都会で嫌なこと一杯あって、死ぬほど辛かったんだと思うけど、一旦さ、身体と心の傷、ゆっくり治せば?って事」
そこまで言って、おそ松は小さく深呼吸をした後に、更に言葉を続けた。
「そんで、君が、君自身のことを許せたら。一旦リセットして、一生懸命頑張って立ち直って、胸はって十四松の前に立てるって思ったら、また会ってやって。あいつは多分、君の事ちゃんと受け入れると思うから。めっちゃ良い奴だから。バカだけど」
その言葉に、彼女はおそ松が十四松だけではなく、彼女自身の事も思っていてくれているのだと理解した。引け目に感じている事、知られるのが怖くてビクビクとしていること。それでも好きで、会いたいこと。だから、一旦離れたほうが良いと。
「……次に……会う時に田舎に帰るって伝えます。親にも電話します。怒られるかもしれないけど……私……ちゃんとした人間になりたい……十四松君といて、恥ずかしくないように……」
一番十四松に自分がふさわしくないと思っていたのは自分自身だと彼女は認め、鼻をすすりながらおそ松にそう伝えた。
「お金、必ず働いて返します。有難う御座います」
田舎に帰る費用すら無かったのは事実で、彼女は深々と頭を下げておそ松から封筒を受け取った。
「うん」
それ以上はおそ松は何も言わず踵を返す。なけなしの金。本当は近所のDVD屋を回って買い占めをしようかとも思ったが、レンタルは手が出せないし、そもそも一時しのぎである。結局、一番ずるくて、一番卑怯な形で手をうつことしかおそ松には思いつかなかった。それがたとえ十四松や、彼女のためだと言っても、結局は己自身が、不幸な弟を見たくなかったのだ。
床に座り込んで雑誌を読んでいたおそ松の背中に十四松は寄りかかる。
「今日は素振りいいのか?一松スタンバってたぞ」
「うん」
「そっか。まぁ、休んでもいいわな」
紙をめくる音だけが部屋に響いて、十四松は口を開けたままぼんやりと天井を眺めた。そしてその後部屋の隅にあるカラーコーンに視線を送る。
彼女の包帯を持ち帰った日、大事なものだと言ったら、無くさないようにとおそ松がカラーコーンに巻いてくれたのだ。これなら無くさないと。
そして何より、話がある、とちらっと言った長兄。
知られるのであれば、恐らくあのコーナーにあしげく通っている彼だろうとも十四松は思っていた。けれど、結局黙って十四松背中を押してくれた。
「おそ松兄さん」
「……バカだから、あんま助けてやれなくてごめんな」
号泣した弟。
本当に大好きで、ずっと一緒にいたくて、なけなしの勇気を振り絞って、玉砕した。
そして、一生懸命再会を約束して見送った。
「俺もバカだから、笑うしか出来なくて、笑わせられたらいいなって。そしたら俺も楽しくなったんだ」
「そっか」
いつだって人のために笑っていた弟。それを知っているおそ松は、雑誌に視線を落としたまま口を開いた。
「向う帰って、落ち着いたら、また連絡くるんじゃね?」
「うん」
おそ松に沢山言いたいことはあった。けれど、上手く言葉にできなくて十四松は体重を兄にかけた。
以前トト子ちゃんに、AVに出てたの?と聞いて、おそ松に無言でぶん殴られたあと、女の子に言うべき言葉ではないと怒られた。それが本当でも、違っても、相手は傷つくのだとおそ松は教えてくれた。
だから十四松は知っていても黙っていた。
死ぬほど辛いことがあったのだろうと思うと、その中にそのことも入っているのかもしれないと思ったのだ。バカなりに学習して、バカなりに頑張って元気づけようと思った。元気になってくれればそれでよかったのに、好きになって、告白して、振られた。
「田舎で元気にやってるかな」
「そーだな。お前も元気にやっとけ。特別にキャッチボール付き合ってやろうか?」
「マジっすか!?」
「特別な。寒いけど」
すると十四松は立ち上がって早速バットを持ってくる。
「いや、キャッチボールな。バットいらないし。そっちは一松に頼め」
呆れたようなおそ松の言葉を聞いて、十四松は口を開けて笑った。
「おそ松兄さん」
「ん?」
よっこらせ、と立ち上がるおそ松に十四松は声をかける。
「ありがとうございました」
「……ん」
お互いに知っているんじゃないかと思いながらも、明確な言葉は避ける。
お互いにバカだから、それでいいのだと。
おそ松兄さんがお兄ちゃんしてて本当ええ話だった
pixivに20151202投稿分
20160202