*因果律壱*
宿場町の茶屋を訪れた男を見て、茶屋の娘は思わず息を飲んだ。藍の髪に、浅黒い肌。そして鋭い眼光。思わず萎縮した娘に、男は声をかける。
「握り飯と茶」
そう短く言うと、男は小銭を座っていた長椅子に置いた。勘定は食後でいいのだが、娘が警戒したのを察して無銭飲食ではないということを前もって主張したのだろう。娘は頭を下げると、慌てて店の中へ引込み、注文を通した。
それを見送った男は、つまらなさそうに視線を街道の先に向ける。街道は山の方へ伸びており、すでに夕刻も近いこともあるし山越えは深夜に及ぶだろう、そんな事を考えながらぼんやりとしていると、娘が握り飯と茶を持って戻ってきた。
「お待たせしました」
「あぁ」
短くそう返答すると、男は握り飯を口に運び茶をすする。それをじっと眺めている娘に気が付き、男は不機嫌そうに口を開いた。
「なんだ?」
「いえ……あの……お客さん山越えなさるんですか?」
娘が萎縮した様子を見て、男は苦笑すると、米粒のついた指をなめて、あぁ、と短く返事をした。すると、娘は、瞳を大きく開けて、すぐに口を開く。
「夜の山越えは辞めておいたほうがいいですよ!鬼がでます!」
「鬼?」
怪訝そうに男が言うので、娘は大きく頷いて、宿に泊まって朝を待った方がいいとしきりに勧める。宿街と提携して、客でも斡旋しているのかとも思ったが、男はこの宿街に来る前に聞いた噂を思い出して口を開いた。
「夜になると鬼が出て人を食うって話はどっかで聞いたな」
「本当なんです!この宿街の馬借の人が夜中に山に入って戻らなかったんです!」
「……いつぐらいから鬼が出るようになったんだ?前に来た時はそんな話聞かなかったぜ」
男の言葉に娘は、半月ほど前からだと説明した。一番最初は馬借の男が犠牲になり、その後、夜に山に入ると朝には死体になって発見されるという事が続き、ここ最近では昼間にしか山に入らないのだという。始めは山賊のたぐいかと、昼間に山狩りをしてみたが、何も見つからず、夜に一度だけ、大人数で山に入って探索した時に、何人もの犠牲者が出た。命からがら逃げ出してきた数名は、口を揃えて鬼が出たと言ったのだ。
「真っ白い髪の鬼か?」
男の言葉に娘は驚いたような顔をして、頷いた。
「……そんじゃ、鬼退治と行くか」
そう言って男が立ち上がったのを見て、娘は驚き、首を振った。
「宿代が無いのでしたら、うちに泊まってください!あの、茶店ですけど、寝る所ぐらいは何とかします!本当に沢山の人が死んでるんです!さっきも……その、同じように鬼退治に行くって山に入った旅人さんがいて……」
娘の言葉に男は少し驚いたような顔をする。本当に心配して引き止めていたのだと気がついた男は、口端を緩めると、娘の頭に手を乗せた。
「心配すんな。夜目は効くし、こう見えてもな……他所で似た鬼退治した事あるんだ」
そう言うと、咽喉で笑って、ごちそうさん、と言い軽く手を振った。
歩きながら男は腰にぶら下げた拳銃の弾丸を入れ替えた。普段使っている鉛ではなく、銀製の弾丸。以前盛大に使ってから殆ど補充をしていないので心許ないが、一番効果があるだろうと判断しての事だ。
あの娘が【鬼】と呼んだのは、十中八九【まがいもの】であろう。【鬼】に似せて雪村綱道の手によって作られた【羅刹】と呼ばれるもの。新選組と、新政府軍に存在していたが、殆どは原田左之助と男の手によって倒されていた。今更何故と言う気持ちは男にもあるが、事実として、ここ最近、各地で羅刹と思われる鬼の噂を聞く。数体は残っているかもしれないが、雪村綱道を殺して数年経った今、急に羅刹の存在が広がっているのも気になり、男はその噂を辿って旅をしていたのだ。
日はあっという間に暮れ、夜道を歩きながら男は人の気配を感じて僅かに瞳を細めた。拳銃に手を添えて、瞳を凝らすと、遙か街道の先に、ポツンと灯がともっていた。娘の言っていた、山に鬼退治に入った旅人か、それとも羅刹か。男は地面を蹴ると、一気に距離を詰めた。
響く金属音。
男が距離を詰めると同時に、向こうも男に気が付き一気に距離を詰めてきたのだ。振り上げられた刀を拳銃で受け止めた男は、灯に照らされた顔を見て、口元を歪める。
「……見たことある顔だな、オイ。原田のダチだったか」
「永倉新八だ。そっちこそ……不知火……だっけか?」
男……不知火は、拳銃を収めると、愉快そうに笑った。それを見て、永倉は呆れたような顔をして刀を納め、また焚き火の傍へ戻っていった。遠くから見えたのはこの灯かと納得した不知火はそれについて歩く。
「鬼退治するって山に入ったってのはテメェか」
「そーゆーお前こそ、鬼退治するつもりだったんじゃねぇの?つーか、鬼が鬼退治ってのも変だけどよ」
全くだと、笑った不知火を見て、永倉は少し驚いたような顔をする。嘗て、【鬼】を名乗る彼等と、新選組は敵同士であった。幕府側と新政府軍と言う対立もあったが、新選組が保護していた雪村千鶴を巡っても対立していたのだ。もっとも、雪村千鶴に固執していたのは、鬼の中でリーダー格である風間千景だけであって、不知火自体はさほど興味はなかった。倒幕がなされ、数年経った今、こうやって嘗ての敵同士がばったりと会った偶然に永倉は驚いたし、敵同士だった時は話をまともにする事もなかった不知火が、人懐っこい笑顔を向けてきたことに驚いたのだ。
「……まぁ、昔は色々あったけど、今は敵対してる場合じゃねぇしな」
面倒くさそうに永倉は頭を掻くと、焚き火の前に座って、置いてあった握り飯をほおばった。どうやら食事中だったようだ。それに気がついた不知火は、苦笑すると、同じように座り、焚き火に視線を向けた。
「あんた、飯は?」
「さっき食った。……ココの鬼。どう思う?」
不知火の言葉に、永倉は眉をひそめると、残った握り飯を押しこんで口を開いた。
「……羅刹だろうな。特徴聞く限りじゃ。多分、新撰組の羅刹」
永倉が新撰組の羅刹だと言い切った事に興味を持った不知火は、少しだけ驚いたような顔をすると、続きを促す。
「新政府軍の羅刹は昼間も歩けたからな。うちの羅刹は薬の改良が途中だったから、夜しか歩けねぇし」
確かに、新政府軍の羅刹は雪村綱道の薬の改良もあり、昼間にも動くことが出来た。茶屋の娘の話では、昼間に山越えをする分には問題ないようだったので、永倉の言う新撰組の羅刹であると判断するのが妥当なのかもしれない。
「俺も途中で左之と新選組抜けちまって、羅刹隊がどうなったのかは良く知らねぇんだ。でも、もしも、まだ新選組の羅刹が残ってるんだったら放っておく訳にも行かねぇしな」
それは嘗て新選組に籍を置き、羅刹隊の存在を黙認していた者の責務であると永倉は感じたのであろう。人の手に余る存在であるし、事実、罪もない旅人を襲っているという噂を聞けば、狩るしかない。
「……新政府軍の方の羅刹隊は、俺と原田で討伐した。雪村綱道と一緒にな。だから、新しいまがいもが生まれるはずはねぇんだ」
「え?左之と?」
驚いたように声を上げた永倉を見て、不知火は咽喉で笑って頷いた。すると、永倉は神妙な顔をして不知火に言葉を投げかける。
「千鶴ちゃんは?左之と一緒だったか?」
「女鬼か?綱道殺した後に、原田と一緒に大陸渡っちまったよ」
それを見送った事も告げると、永倉は安心したように笑い、不知火の背中をバンバンと叩いた。
「あんた敵対してたときはいけすかねぇって思ってたけど、イイヤツじゃねぇか」
「痛ぇよ!つーか、イイヤツとか意味が解らねぇ!」
不服そうに声を上げた不知火を見て、永倉は、満足そうに笑うと、そうか、大陸か……と空を見上げた。親友だった原田。妹分だった千鶴。二人が無事にあの動乱を生き延びて大陸に渡ったのだならば、こんなに嬉しいことはない。
「……新選組の連中殆ど死んじまったからな。左之や千鶴ちゃんが無事で良かった」
不知火も、雪村綱道を討伐すると決めた時点で、新政府軍から離脱していた。表向きは、風間との喧嘩別れで鬼が一人離脱したという形であるが、実際は不知火の単独行動が長州に不利益となるのを察した風間が、不知火の腹に穴を空けてまで演じた大芝居だった。鬼といえども、刀で斬られれば痛い。流石にやり過ぎだろうと思わなかったわけでもないが、風間が不器用に自分を送り出したということで、結局有難くその大芝居に乗ったのだ。それ以降、風間とも天霧とも会ってはいない。死んでるということはないだろうが、どうしているのだろうかと、永倉の話を聞いているうちにぼんやりとそんな事を考えた。
「ん?」
不意に永倉が声を上げたので、不知火は永倉が視線を送った街道に目を向けた。すると、小さな灯が一つ、こちらに向かってきている。鬼退治をすると言う酔狂な人間がまた増えたのかと、呆れ顔の永倉であったが、夜目の効く不知火は思わず舌打ちをした。
「……茶屋の娘だ」
「え?」
不知火の言葉に、慌てて永倉がかけ出すと、娘は二人の顔を見てほっとしたように微笑んだ。
「ご無事だったんですね」
「そりゃ無事だけど。何でこんなところまで?」
永倉の言葉に、娘は灯りのついていない提灯を二つ、差し出した。
「山の中腹まで行って追いつかなかったなら諦めようと思ったんですけど……使ってください」
永倉も不知火も灯りを灯す物を持っていなかったのを心配した娘が、その足で二人を追ってきたのだ。永倉は困ったように笑うと、その提灯を受け取って、焚き火の傍に立ったままの不知火に手を振った。
「永倉!避けろ!」
そう不知火の声が響くと同時に、銃声がした。慣れない大きな音に娘は驚いたように立ち竦んだが、永倉は娘を抱えて不知火のところまで駆けてきた。娘の取り落とした提灯が燃え上がり、暗闇に潜んでいたもう一人の姿を照らし出す。
「!!」
悲鳴を上げるのを堪えた娘に、永倉は、いい子だ、と言葉を落とすと、焚き火の傍に彼女を置き刀を抜いた。
「……羅刹……だな」
「あぁ、見事にまがい物だ。ったく、面倒だ」
震える娘は、目の前に現れた白髪の鬼を見上げた。服は血に汚れ、赤黒く、目は鮮血より赤い。
「火、消したほうがいいか?」
「まがい物だったら、明るかろうが暗かろうが一緒だろう。テメェが大丈夫なのかよ」
不知火の言葉に永倉は、瞳を細めて笑うと、娘に、火を消されないようにしてくれと頼んだ。鬼である不知火ほど夜目は効かないし、灯りが合ったほうがましだと判断したのだ。逆に羅刹の目印になるかもしれないが、娘が火の傍にいると分かっていれば守るのも困難ではない。
羅刹めがけて駆け出した永倉の後ろから、不知火は銃を放つ。銀の銃弾が効いたのか、一瞬羅刹が怯んだのを見て、永倉は、一直線に羅刹の心臓をめがけて剣を振るった。
悲鳴とも唸り声ともつかない声を放ちながら、羅刹は地面に転がる。永倉が傍にゆくと、羅刹は最後の力を振り絞るように刀を振った。
「莫迦!ちゃんととどめさせ!」
紙一重で避けた永倉の影から不知火は飛び出し、その羅刹を抑えこむと、とん、と胸に銃を突きつけて引き金を弾く。
「……悪ぃ。ちょっと外した」
「どんくせェな。原田の方がましだ」
不知火の言葉に苦笑すると、永倉は娘に声をかける。
「姉ちゃん。悪いけど、提灯持ってきてくれ」
その言葉に我に返った娘は、転げそうになりながら、焚き火から火を移した提灯を持って側によってきた。提灯を受け取った永倉は、その灯りを羅刹に翳す。
思わず娘は息を飲み、目を背けた。
「……見たことねぇ顔だな」
首を傾げる永倉に、不知火は口を開いた。
「テメェが辞めた後に入ったんじゃねぇか?」
「解んねぇ。でも、隊服も着てねぇし……あー、わけわかんねぇ!」
てっきり新選組の生き残りかと思ったが、どうやら違ったようで、アテが外れた永倉は頭を抱える。それとは逆に不知火は、まじまじと男の服を確認すると、最後に、刀を拾い上げた。血のついた刀は刃こぼれを起こしており、まともに手入れされているとも思えなかった。恐らく力任せに人をたたき潰して、血を吸っていたのであろう。
「手がかりなしか……クソ」
吐き捨てるように言った不知火を見上げていた娘であったが、遠く街道から沢山の灯りが見えて、声を上げた。
「あっ!」
「あぁ?何だ?テメェ捜しに来たのか?」
「多分……」
不知火の不機嫌そうな顔を見て、娘は萎縮したように頷いた。五名ほどの男が不知火達のもとに辿りつき、地面に倒れる羅刹を見て仰天する。
「鬼!?アンタたちが!?」
永倉が返答をしようとするが、それは別の言葉によってかき消された。娘の短い悲鳴に、皆羅刹に視線を送る。
「……もう限界だったって訳だ」
灰になる羅刹。永倉も不知火も何度も見てきた光景であるが、それをはじめて見た娘や宿街の男は言葉を失い震えだした。本当に鬼だったのか……そんな思いであろう。
娘を探しに来た男の中に、娘の父親もおり、娘の無事を喜んだ。
「本当に有難うございました」
「いや、俺達が灯り持って山に入ってりゃ姉ちゃんも危ない目に合わなかったんだ、悪い」
丁寧に頭を下げた父親に、永倉はそう言うと、不知火に同意を求めた。しかし、不知火は渋い顔をして、羅刹だったモノを眺めている。
「……羅刹ってもよ、空から降ってくるとか、地面から湧くわけじゃねぇんだ。この街道通って山に入ったのは確かだよな。誰かさっきの男覚えてねぇか?山に入った時点では……多分髪は白くなかったと思うんだけどよ」
不知火の言葉に、男達は小さく首を振る。白髪にばかり目がいって、明確に鬼の容姿など見ていなかったのだ。そして一瞬で灰になってしまったのもある。
「宿街で聞けばわかるやもしれません。本日はどうか引き返してて、一泊なされては?」
娘の父親の言葉に、不知火は渋い顔をしたが、永倉は乗り気なのか、申し訳ないなぁと言いながら行く気満々の様子であった。それにため息をつくと、不知火は、灰にならなかった羅刹の刀や服を拾い上げ、世話になる、と短く返答した。
宿街に戻った不知火と永倉は、娘とその父親の案内で茶屋の隣の宿屋の一室に通された。茶屋と同様この親子が経営しているらしい。血に汚れた不知火と永倉の服を見て、主人は風呂を勧め、二人はそれに従う。
宿の風呂は小さな据え風呂で、大の男が二人も入ると窮屈だと言う事で、先に永倉を風呂に入れ、不知火は主人の準備した着物に着替えると、己の服と、羅刹であった男の服を持って宿の裏手にある井戸へ向かった。そこで水を汲むと、放置されていたタライに水を満たし、服を放り込む。自分の服は元々血の色の目立たないものであるが、羅刹の服の血が綺麗に落ちることはないだろうと思いながら、一応洗ってみる。
「おやまぁ。お客さん。私がやりますよ」
声をかけてきたのは、宿の女であろう。手には永倉の服を持っているところを見ると、主人に洗濯を任されたのかもしれない。そう思い、不知火は立ち上がると女が傍に来るのを待った。
「……こっちの服は多分あんま落ちねぇと思う。無理はしなくていい」
その言葉に、女は頷くと不知火から服を受け取った。すると不知火は、今度はそばに置いていた刀に水をかける。女がそれに驚いて、目を大きく見開いたが、不知火は何ら気に止めた様子もなく刀の血を綺麗に洗い流す。それを灯りに翳して眺めるが銘はない。小さく舌打ちをした不知火を暫く眺めていた女であったが、洗濯を再開し、永倉と不知火の服を洗いだした。恐らく一番手のかかるであろう羅刹の服を後回しにしたのだろう。それを暫く眺めていた不知火であったが、女に宿に入るように促されて、渋々と言ったように刀を下げて宿の部屋へ戻る。
すると風呂から上がった永倉が、すでに座布団に座っており、不知火の顔を見て嬉しそうに笑った。
「不知火。お前銀路に余裕ある?」
「……そりゃ多少は。もしかしてテメェすっからかんなのかよ」
「すっからかんってワケじゃねぇけど、酒飲みてぇなと思ってよ。ちょっと貸してくれ」
永倉の図々しさに不知火は呆れたような顔をしたが、腰に下げていた袋を投げてよこす。
「全部使うなよ」
そう言い残すと、不知火は風呂に入るために部屋を後にした。それを見送った永倉は、銀路を確認し、部屋の前を通りかかった宿の女に酒を頼む。しかし、銭を渡したというのに女はそれを受け取らず酒だけを持ってきた。
「いや、金は払うって」
「主人に叱られますので」
そう頑なに固辞するので、永倉は困ったように笑った。どうやらこの宿の主人は娘の命の恩人として自分や不知火をもてなすつもりらしい。
有難くタダ酒を受け取った永倉は、酒を飲みながら不知火の置いていった刀を眺める。抜いてみるが銘はない。鞘にも鍔にも特徴はなく、小さくため息をつくと、刀を翳して言葉を零した。
「斉藤がいりゃどこの刀か解ったかもしれねぇけどなぁ」
「やっぱ解らねぇか」
長く湯に浸かる習慣がないのか、あっという間に戻ってきた不知火がそう言うと、永倉は渋い顔をして頷く。手ぬぐいで髪を拭きながら不知火は再度視線を刀に送った。
「でも、うちの羅刹隊の奴じゃねぇ気がする。ボロボロだけど、刀自体は新しい感じだしなぁ」
刀を鞘にしまった永倉がそう言うと、不知火は不機嫌そうな顔をする。結局手詰まりである。
「……俺な、ここに来る前に二人羅刹斬ってる。そいつらはすぐに灰になっちまったし、うちの連中かどうか正直解らなかった」
「俺は雪村綱道の羅刹隊討伐してからはじめてだ。けど、旅の途中にそんな話はちょくちょく聞いた」
二人共旅の途中で羅刹の話を聞いてそれを辿っていたのだ。永倉は新選組の羅刹隊の生き残りを狩るために。不知火は新政府軍の羅刹隊の生き残りを狩るために。そしてはじめてここで合流し、出た結論は、【新しい羅刹】ではないかという疑惑だった。
「失礼します」
入ってきたのは宿の主人とその娘。そして洗濯をしてくれていた女であった。服は庭で乾かしているという事を伝えた後に、洗濯をしていた女が気がついたことがあったというので、不知火は女に視線を向けて話を促した。
すると、女は、以前に宿に二、三日逗留していた男の服ではないかと言い出したのだ。たまたま男の着物を繕った女は、洗濯をしている時にそれに気がついたのだと言う。
「どんな奴だったか覚えてるか?」
「それが……余り顔は。ただ、一緒にいらっしゃった学者さんは黒い外套を羽織った綺麗な方でした」
永倉の言葉に返答した女は申し訳なさそうな顔をして、頭を下げた。
「学者?」
「はい。水質調査でいらしたようで、その着物の持ち主の方は、この宿街にある湧き水をあちこちから汲んでしてました。その作業中に袖を破ったのを見ていて、それで私が繕ったんです」
不知火のが怪訝そうに聞き返した言葉に、女は出来る限り覚えている事を話した。そこまで言った所で、宿主や娘もその二人連れを思い出したのか、確か宿帳に名前があったはずだと席を外した。居心地が悪そうに取り残された女に視線を送った不知火は、助かった、と短く礼を言う。
「いえ。あの。鬼があの人だったって事は、学者さんも……」
殺されてしまったのだろうかと言いたかったのだろうが、女は言葉を濁してうつむいた。
「どうだろうな。巧く逃げたかもしれねぇ。それは明日にでも山越えて、向こうの宿街で聞いてみる」
永倉の言葉に女は小さく頷き、私はこれでと部屋を辞した。知っている事はすべて話したという事であろう。
「……もしくは、そいつが羅刹を作ったか……」
不知火の言葉に永倉は渋い顔をして、酒を飲み干した。
戻ってきた主人の持っている宿帳を見た不知火は、思わず瞳を細めて舌打ちをした。
「南雲……薫か……」
脳裏にちらつくのは土佐の鬼。会ったことはないが、関ヶ原後長宗我部に加護されて生き残った一族だ。高杉がその名を出すまで、滅んだと思われていたが、よくよく調べてみると、新たな当主が立った後に大々的に倒幕に協力している。
そもそも鬼の一族は、関ヶ原以降、己をかくまってくれた人間への義理返しとして倒幕に協力したのだ。進んで協力する南雲の気が知れないと、風間は笑っていたが、何か目的があって協力したのではないか。
学者の名前を確認した途端に黙り込んだ不知火を眺めながら、永倉は娘に一つ二つ質問をした。
「学者と、そのお供ってのは、昼間歩いてたか?」
「えぇ。先程も話に出ましたけど、湧き水を汲みに行くお仕事をなさってたので。お昼間も水汲みに行ってたように記憶してます」
「学者の方の服装は覚えてるか?」
「……黒い外套以外は……洋装で、学者さん自体は、小柄な方だったと思います」
記憶を辿りながら、娘と主人は出来るだけ詳しく話をする。
「大丈夫か?不知火」
「あぁ。明日、山を超えて探しに行く。世話になった」
永倉の言葉に不知火が返事をすると、主人はこの街道沿いにいくつか身内が宿を経営しているという話をし、そこへの紹介状を書くので利用して欲しいと申し出た。
「そこまでしてもらうのは悪ぃ」
呆れたように不知火が言うが、鬼を討伐した事や、娘を助けてくれた礼だといい、明日の朝までに紹介状を用意すると言い娘と一緒に部屋を出た。それを見送った不知火は小さくため息をつくと、人間ってのはお節介だなと呆れたように言葉を零した。
「俺としちゃアンタが割とお固いのに驚いたけどな」
咽喉で笑った永倉を見て、不知火は不機嫌そうに眉を寄せた。しかし、それを気にしなかったのか、永倉は酒を盃に満たして、一気に飲み干した。
「で、心当たりはあるのか?」
「土佐の鬼だ。多分な。何であの薬を持ってるのか解らねぇけど」
鬼だと言われて永倉は眉を顰めた。鬼といえば永倉にしてみれば、羅刹をまがい物だと言い、蔑むというイメージがあったのだ。実際風間等は散々馬鹿にした発言を重ねていた。
「……鬼だったら別にあの薬なんて必要ないんじゃねぇの?」
「俺や風間だったらそう思うけどな。けど、あれを元々作った綱道も鬼だ」
そう云われ、永倉は失念していた事を思い出す。実際鬼としての能力を見たことはないのだが、雪村千鶴の父親という事は、自動的に鬼と言うことになるだろう。そもそも、雪村自体が東の鬼の頭領なのだ。
「理由は解らねぇけど、とにかくその南雲ってのは、薬の改良と実験をしてるってことだな」
「改良?」
怪訝そうに聞き返した不知火に、永倉は大きく頷くと、改良、と再度言葉にした。
「道綱さんが残した薬を、うちの山南さんが改良してたんだけどよ。そん時、水がどうとか言って、あっちこっちの水汲みやらされた事があったんだ。何でも、原液だと羅刹の理性が吹っ飛んじまうから、超人的な能力を引き出したまま理性を保てるよう改良するのに水の成分ってのも重要だって言ってた。まぁ、ちゃんと話を聞いてた訳じゃねぇし、頼まれたから水汲みやってただけで、具体的にどんな改良の仕方なのかは知らねぇんだけど」
その言葉を聞いて、不知火は、ほぅ、と短く声を上げた。これで、南雲薫が薬を持っているのはほぼ確定だ。
「……どうあれ、南雲の野郎の持ってる薬は未完成って訳だ。綱道が倒幕派に取り入った時に、横流しされたんだろうな」
接点といえばそこしか思い付かない不知火がそう零す。その後、綱道は薬を改良したが、結局新羅刹は原田と不知火の手で闇に葬られた。それを南雲は手に入れる機会がなく、恐らく新選組の山南同様、独自に改良を加えることにしたのだろう。
「何で今更羅刹なんだ?」
「オレが知るかよ」
永倉の言葉に不知火は呆れたような顔をする。ただ、解ったのは鬼である南雲薫が暗躍しているということ。それは同族として放置するわけにはいかない。そう思った不知火は、不機嫌そうに顔を顰めると、窓の外に視線を送った。月も出ていない闇夜。大昔の高杉の心配が今頃になって表に出てきた事を不快だと思いながら瞳を細めた。
翌朝、日が出ると同時に不知火は布団から抜け出し、身支度を整える。幸い昨日洗濯した服も乾いており、永倉と、死んだ羅刹の服も一緒に取り込むと、一旦部屋に戻る。だらしのない顔で寝ている永倉を呆れたような顔で眺め、袋から銀路を少し取り出すと、永倉の服の上に置いた。人に酒をねだる所を見ると、銀路も乏しいのだろう。なんだかんだで、助けになった事も考えての礼のつもりで不知火は永倉に銭を残すと、羅刹の服と刀を持って宿の階段を降りる。
すると、宿の入口に人の姿を見つけて不知火は顔を顰める。店の人間が早くから掃除でもしているのかと思ったら、それは茶屋の娘であった。
「もう発たれるんですか?」
「……早起きだなオイ」
その言葉に苦笑すると、娘は持っていた風呂敷を不知火に渡す。中を確認すると、そこには握り飯と、紹介状が入っていた。
「有難うございました。本当に。ご迷惑かもしれませんが受け取ってください」
深々と頭を下げる娘を見た不知火は、小さく舌打ちをするとそれを受け取ることにした。恐らく娘は、自分がそっと出て行くと思って、昨日の晩からここで待っていたのだろうと思ったのだ。
すると、不知火の後ろから、バタバタと階段を下る音がして、彼はぎょっとしたようにそちらを向く。
「早いじゃねぇか不知火。起こせってんだ」
身支度を整えながら降りてきた永倉に、不知火は思わず苦笑する。どうやら永倉はこのまま付いてくるらしい。そこまで予想していなかった不知火は、呆れたように声をあげる。
「もう鬼退治は終わったんだ。テメェが付いてくる理由はねぇだろ。こっからはうちの一族の問題だ」
「何いってんだよ。元々薬を開発してたのはうちだ。つーか、途中で降りるとか後味わりぃだろ?」
ニカッと笑った永倉は、己の着物の上に置いてあった銭を不知火に返す。朝起きて、不知火の姿がなかったときは焦ったが、うまい具合に茶屋の娘に足止めされていたので追いついた事にホッとした永倉は、娘に礼を述べる。
「宿、有難うな。助かった。酒も美味かった」
「はい」
「また、落ち着いたら寄るから。元気で」
そう言うと、永倉はポンポンと娘の肩を軽く叩き、そんじゃ行こうぜ!と脳天気に出発する。それを眺めていた不知火は、やれやれと言った様子で追いかけるように後に続く。
「主人に礼を言っておいてくれ」
不知火の言葉に娘は頷くと、また頭を下げた。
昨日通った街道を二人でブラブラと歩いていると、はたっと、不知火が足を止めた。そこはまだ血の跡の残る場所で、それを見て漸く永倉は昨日羅刹と戦った場所であることを理解した。
すると、不知火は街道から少しそれた山に入り、地面を足で何度か踏みつける。それを首を傾げて眺めていた永倉であったが、持っていた刀を使って穴を掘り出した不知火を見て、驚いたような声を上げた。
「オイ。刀痛むぞ」
実質鞘で掘っている訳であるが、それにしても乱暴な扱いだと思ったのだろう、そう声に出すと、不知火は、もう使わねぇしな、と短く言い穴掘りを続ける。暫くして、小さな穴が出来上がると、不知火はその穴に、持ってきた羅刹の服を収めまた土を被せる。それがあの羅刹の墓のつもりなのだろうと漸く理解した永倉は、瞳を細めてその様子を見守った。灰になり、何も残らない羅刹。ただ、戦って、死ぬだけの存在。
すっかり土を戻すと、最後に不知火は刀を地面深く突き刺し、墓標とした。本来はこんな所で死ななくても良かった存在。
永倉が手を合わせるが、不知火はそれをじっと眺めるだけで手を合わせようとはせずに、不機嫌そうな表情を作っただけであった。
「さて。行くか」
「あぁ」
永倉の声に不知火は返事をすると、何事もなかったかのようにまた歩き出した。その後姿を眺めながら、永倉は思わず苦笑する。鬼と人との差はなんなのだろうかと。不知火にも人の死を悼む心はあるし、無論千鶴とて、一緒に暮らしていく中で自分たちとの差を感じる事は少なかった。ただ、傷の治りが早い。ただ、身体能力が高い。それだけの差。不知火と敵対しているときは感じなかったが、こうやっていると、それは瑣末なことなのではないかと永倉はぼんやりと考えた。千鶴を鬼と知りながら、一緒に生きていく事を選んだ原田もきっと同じなのだろうとも。
半日かけて山を超え、漸く宿場町が見え永倉は声を上げた。
「やっと着いたな」
「テメェが遅ぇからな」
そう言い笑った不知火を見て、永倉は、彼が自分に合わせて歩いていたことに気がつく。恐らく山越えなど本気を出せば不知火の身体能力であれば大した事ではないのであろう。
「そっか。合わさせて悪かったな」
「まぁ、人間が鬼についてくのが無理なのは承知してる」
鬼の中でも、不知火は高杉という人間の友がいた。なので、他の面子に比べると人間に合わせることも多かったのだろう、永倉と一緒にいるのはさほど苦痛ではなかった。これは風間ならば、遅いと切り捨ててさっさと一人で行ってしまったかもしれない。
「さて、と。ここにも紹介状のある宿あるけど、どうする?寄ってみるか?」
茶屋の娘から渡された招待状を見ながら永倉が言うと、大きな宿なら南雲が泊まったかもしれなしい、姿を見たかもしれないと思い、不知火は立ち寄ることを承知した。
暫く歩くと先日泊まった宿と同じ看板を掲げている宿を見つけ、二人はそれを見上げた。
「……結構イイトコのお嬢さん助けたんじゃねぇのコレ」
永倉がそう零すのは無理はない。この宿場町でも、恐らく大きい部類に入る宿だったのだ。
「おやまぁ。お泊りですか?」
宿の中から顔を出した女に、永倉は紹介状を渡して、探してる旅人がいることを告げた。すると女は二人を宿の中へ案内し、少し待つように言う。恐らく誰か責任者を呼んだのであろう。別の女が出してきた茶を飲みながら二人が待つと、初老の男がやってきて、深々と頭を下げる。
「この宿の主人をやっております。この度は大旦那様のお嬢さんを助けて頂いたようで……」
「あぁ、礼は大旦那に聞いたから構わねぇよ。旅人を、探してる」
話を切った不知火に、嫌そうな顔をせず、旦那は頭を上げ、旅人ですか?と首を傾げた。
「半月前ぐらいに、黒い外套を来た小柄の学者がここを通っている筈なんだ。名前は南雲薫」
永倉の言葉に主人は少し考えこむと、口を開いた。
「水質調査をしている学者さんですかね?」
「あぁ。一人だったか?」
「はい。水汲みを手伝って欲しいと仰ってまして、下男を一人、お貸ししましたので覚えていますよ。お名前は宿帳を確認しないと解りませんけれど、学者様のような方は其方ぐらいしか……」
不知火の言葉に主人は返答すると、宿帳を確認するために奥へ戻っていった。すると永倉は瞳を細めて、忌々しそうに言葉を吐く。
「厭な方向で予想通り……か……」
「あぁ」
一人であったのなら、やはりあの羅刹は南雲薫の連れだったのだろう。何を思ったのか、例の薬を使って羅刹にして山へ置き去りにしたのだ。そして、置き去りにしたということは、南雲の望む成果が出なかったのかもしれない。実際、新政府軍の羅刹隊には及ばない存在であった。
「あ、南雲薫様ですね。三日間ほど滞在されてます」
宿帳を抱えて戻ってきた主人の言葉に、不知火は礼を言うと、立ち上がり宿を出ようとする。すると、主人は驚いたように、お泊りにはならないのですか?と声を上げた。
「そいつを探してるんで急ぐんだ。助かった。大旦那に宜しく伝えてくれ」
不知火の言葉に、主人は仕方がないと言うような顔をするが、弁当だけでもと言い、大急ぎで握り飯を準備して二人に持たせてくれる。中身は読んでないが、よほど大旦那は丁重に扱うようにと書いてくれたのだろう。
「南雲様は、北の水の綺麗な土地に行くと仰ってましたよ。ここの水はお気に召さなかったようで」
思いだした様にそう言った主人。その言葉に、永倉は荷物から地図を出すと、すぅっと街道をなぞる。
「このまま街道沿いに行けば北に向かうけどどーする?」
「まぁ、相手も素性を隠す気ねぇみたいだしな。また厭でも鬼討伐になんだろ」
永倉の言うとおり街道沿いに歩くことに合意した不知火は、不機嫌そうに眉を寄せる。まだ南雲は実験を重ねるだろう。そして、最終的にはどこへゆくのか。解らないことばかりで不快なのだ。ただ、倒さねばならないことだけは理解している。
「つーか、どこまで付いてくるんだよ」
「いいじゃねぇか。旅は道連れっていうしよ」
呆れたような顔をした不知火に、永倉は脳天気な返事を返すと、地図を片付けて、出発!と声を上げた。
「ったく。何でテメェと……」
けれど旅を誰かとすると言うことが悪いとも思わなかったのは、恐らく高杉のせいであろう。いつか、動乱が終わったら一緒に日本中を回ろうと言っていた高杉。その約束は果たされないまま彼はこの世を去ったが、不知火は一人で国中を回っていた。そして、永倉と出会って、旅は続く。南雲薫にたどり着くのがとりあえずの到着点。この旅が終わったら、また高杉の墓参りに行って、心配事を一つ片付けて来たと報告してもいいかもしれない。そう思いながら、不知火は、永倉とならんで歩き出した。
>>あとがき
原田ルートゲーム後の不知火話。当然当方の夢飛翔話です。零からずいぶん間が空きましたが、暇を見てちょこちょこ書いていけたらと思っています。最終的には不知火VS薫という事で話進んでいきます。
永倉はとりあえずは相棒として暫く一緒にいる予定。原作飛び越えて夢飛翔中なんで生温かいまなざしで見て頂ければと思います。
20101012