*因果律零*
緩やかな気候の中三味線を弾く男は僅かに瞳を細めて不知火を迎えた。開け放たれた窓からは風が吹く度に桜の花びらがはらりと舞い降り畳に鮮やかな色を乗せて行く。
それを面倒そうに不知火は除けると自分の定位置に座り、部屋の持ち主である高杉に断る事なく菓子箱を開けて饅頭をほおばる。
「お茶は俺の分も頼んで良いか?」
「ああ」
三味線を奏でる手を止める事なく高杉か言うと不知火は短く返事をし茶を入れはじめるた。それが終わると別に用があった訳ではなく暇潰しにやって来た不知火は壁にもたれながらぼんやりと外の風景を眺め高杉の三味線の音がやむのををじっと待つ。
「お前は俺が会いたいと思う時に来んだな」
三味線を床に置くと高杉は淡く笑い不知火の入れた茶に口をつけた。それを黙って眺めていた不知火は何か用があったのかよと短く言葉を発すると視線を高杉に向ける。
「鬼はどれ位いるんだ?俺はお前のダチの風間と天霧しか鬼を知らねぇ」
高杉の言葉に不知火は僅かに思案する。西の鬼と限定するなれば倒幕に参加しているのは自分を含め高杉の上げた者だけであるが、関ヶ原以降薩摩・長州に匿われている鬼となると正確には把握していない。人に混じってしまった者も多く居るのだ。それとは別に京の鈴鹿御前の末裔の鬼や、徳川に与して幕府の加護を受けている東の鬼も存在している。もしかしたら風間等は把握しているかもしれないが、不知火は今まで興味もなかったので気にした事がない。
「さぁな。風間辺りなら知ってるかも知れねぇけど。人に混じった奴もいるし、京や徳川子飼いの鬼もいるしな」
その言葉に高杉は僅かに瞳を細めるとそうか、と短く呟く。それを見た不知火は面倒そうに頭をかくと、気が向いたら風間に聞いてやるとだけ返事をした。気位の高い風間とは気性的に余り合わないが鬼の中でも名家なので把握している事は不知火よりは遥かに多い。細かい事を聞くなら天霧でも構わないのだが、彼は彼で堅物な所が不知火にとってはとっつき難い。
「いや、構わねーよ。ただ……土佐に鬼はいるのかと思っただけだ」
「土佐?」
その言葉に不知火は怪訝そうな顔をする。土佐は現在薩摩・長州と倒幕側に与している状態であるし、関が原では西軍だった為鬼を匿ったという事も可能性としてはゼロではない。ただ、今まで土佐の鬼という存在を不知火は全くもって話を聞いた事がなかった。この倒幕運動の中噂すら聞かない。
不知火が考え込むような素振りを見せたので、高杉は淡く微笑むと茶を継ぎ足した。
「……土佐でな。『鬼』を見たんだ」
「間違いねぇのか?」
「あぁ。鬼だとは言わなかったけどな。お前だって鬼か人間かは直ぐに解んだろ?」
その言葉に不知火は小さく頷く。ただ、鬼は同族であるからその気配でわかるのだが、人間が鬼に気が付くのはその異形の外見や人知を超えた力を目の当たりにしてからの方が多い。高杉は鬼ではない。そう考えると彼が鬼を見つける事ができると言うのはいささか不知火には不思議に思えた。そう考えているのに気が付いたのか高杉は少しだけ微笑むと、お前とずっと一緒だからな、と短く付け足した。
「そうかよ。まぁ、土佐が倒幕運動してるって言っても一枚岩じゃねえんだろあそこは。保守派も幅利かせてるって言ってたじゃねぇか」
高杉が話す各藩の動向は不知火も覚えている。薩長とて一枚岩ではないが土佐はそれが顕著で藩の権力者の方向性によってかなり揺れ動く傾向もあるし、実際保守派が幅を利かせ始めれば倒幕派が脱藩する等という事も多々あったらしい。
「……鬼を連れていたのは倒幕派の男なんだけどよ。別に倒幕に鬼の力を必ず介入させろという訳じゃねぇ。けど……」
「なんだよ」
「俺達に黙っているのが解せねぇ。薩長が鬼の力を借りているのも承知しているのに頑なに隠してやがる。最後の最後で土佐の隠し玉で台無しにされるかも知れないというのは面白くねぇ」
それほど鬼の力というのは大きい。薩長が夢見た世界を土佐が最後に横取り……もしくは台無しにする可能性はゼロではない。高杉の口調から察するにその男は信用するに足らない人間の様に感じた不知火は、記憶の片隅に土佐の鬼の事をおいておく事にした。今後討幕運動を進めるうちに何か情報が入ってくるかもしれないし、障害にも力にもなるかもしれないと思ったのだ。
「まぁ、土佐が邪魔してきたら俺が何とかしてやるよ。引きこもってる鬼には負けねェ」
「……有難う不知火」
瞳を細めて微笑む高杉を見て不知火は不機嫌そうな顔をすると、部屋の片隅においてある酒瓶を手元に寄せ封を切る。
「鬼の名前わからねェのか?」
「名前?」
杯に酒を注ぐと不知火がポツリとそう言ったので高杉は記憶を手繰り寄せながら、不知火が置いた酒瓶を手に取り自分用に酒を注ぐ。
「……南雲……薫……そう呼ばれてたな。線の細い感じで女の格好をしてやがった」
「女鬼!?」
「いや、男だなアレは。何で女の格好をさせてるのかも不思議だったんだけどよ。女鬼は貴重だってお前言ってたろ?それこそお前達が存在を知らないってのが解せねぇな。ソイツ真っ黒な綺麗な髪でよ。挨拶位しかしなかったけどよ……」
「……東の鬼かもしれねぇな。京の鬼が土佐にいるのはありえねぇと思う。東の鬼は黒髪が多いらしいぜ。俺は見たことねぇけど」
西の鬼はどういう訳か髪色からして人間……日本人とは違う事が多いが、逆に東の鬼は黒髪でそれこそ人に混じるには比較的楽な外見をしてるらしい。不知火は東の鬼を見たことはなかったが天霧辺りがそんな話をしていた事があったのを思い出したのだ。
「女装して、引きこもってる鬼だったら戦えねぇ弱い鬼なのかもしれねぇけどな」
高杉の危惧を和らげる為に不知火が土佐の鬼に対して言葉を放つが、高杉は少しだけ暗い色を表情に落とす。
「アレは出会った頃のお前以上に昏い空気を纏ってた。綺麗に微笑んで挨拶してたけど、アレは恐らく憎悪の塊を抱えてる。それが幕府に対してなのか、人間に対してなのか……この時代に対してなのかは解らねーけど」
その言葉に不知火は思わず息を呑む。高杉が危惧しているのは権力を欲する土佐の暴走ではなく、その土佐の鬼の暴走であると漸く気が付いたのだ。鬼がその憎悪を抱えて暴走したら恐らく人間には止める事は叶わない。だからこそ高杉は不知火の記憶に留まるよう『土佐の鬼』の話をしたのであろう。
「……出会った頃の俺以上ねぇ……変ってねぇよ俺は」
「変った」
「どこが?」
「目がな……穏やかになった。初めて会った時は何にそんなに憤ってるのか不思議でしょうがなかったけどよ」
高杉が昔を懐かしむように瞳を細めて微笑んだので不知火は不機嫌そうに杯をあおると更に酒を注ぎ足す。その様子を見ると高杉は笑い自分の杯にも酒を足そうとしたが不知火に手を軽く叩かれて止められてしまう。
「医者に止められてるんだろーがよ」
「折角桜も綺麗なのに勿体無ぇ」
のらりくらりと不知火をかわし高杉は自分の杯を酒で満たすと壁にもたれかかり窓から見える満開の桜に視線を移す。
「……あの頃のお前は戦う事でしか自分を見出せなかったか?鬼を迫害し続けた人が憎かったか?」
「忘れた」
「俺とダチになってお前は少しでも生きる事が楽しくなったか?」
「……何勝手に友達にしてんだよ。つーか、風間も天霧も友達じゃねぇよ」
高杉がであった頃の不知火は関が原以降鬼を匿ってくれた薩長への義理だけで倒幕に参加していた。人間の作る歴史等に興味もなく、新しい時代がやってくるのを信じていた訳でもなく、ただ只管戦う事で義理を果たしていたに過ぎない。戦場での不知火はそれこそ鬼神の如く殺戮を繰り返し、彼を呼び寄せた長州でさえ手を焼いていたのだ。しかし高杉だけがそんな不知火に対して手を差し伸べ根気良く新しい時代について語った。『鬼の力』だけを必要とした長州の中で高杉だけが『不知火』を必要としたのだ。
邪険にされながら、追い返されながら、それでも高杉はしつこく不知火に新しい時代を語り、志を語り、結局不知火は根負けしたのか高杉の側にいつもいるようになった。面倒だとブツブツ言いながらいつでも側にいてくれる友人を高杉は得たのだ。
「俺はな、お前が一緒に生きていてくれてすげー嬉しいよ。少しでもこの国のこと好きになってくれてると嬉しい」
この国が好きだからこそ戦っている。この国を守りたいからこそ幕府を討たねばならない。高杉はそう小さく呟くと瞳を細めて淡く微笑んだ。愛すべき国が他国に蹂躙されるのを見るのは厭だと立ち上がった仲間は今もどこかで戦っているのだろう。
「知るかよ国なんて。でもまぁ、虚弱な手前ェが死ぬ前には時代は変ってんじゃねぇの」
「だと嬉しい。その時は一緒にあちこち旅でもすっか不知火。きっと面白いれぇもんが沢山みれる」
「やなこった。船酔いする上に虚弱な手前ェ連れて旅なんざ面倒だ。つーか、お前ェが京から連れてきた女とでも行ってろ」
船酔いを指摘された高杉は苦笑すると、船は好きなんだけどよ、としょんぼりしたような表情を作る。特に大きな船が好きで直ぐに欲しがったり乗りたがったりするくせに、いざ乗ったら船酔いで毎度死にそうになっている。それを知っている不知火が嫌がるのも無理はない。
「……でもまぁ。どうせ幕府倒しちまったら暇だからな」
「生きる楽しみが又一つ増えた」
「精々長生きしろ。だから酒もやめろ」
こっそりと又酒を注ぎ足そうとする高杉を睨むと不知火はその手から酒を取り上げ湯飲みを渡す。病人の癖に酒を飲みたがるし動き回るのが好きで不知火はその度に高杉に文句を言うのだ。
酒を取り上げられた高杉は不服そうな顔をするが仕方がないというように三味線に手を伸ばし不知火が来た時の様に又曲を奏でた。
不知火はその音を聞きながら無造作に横になると緩やかに睡魔の糸に絡まれてゆく。気候が今日は特に良いということと、酒の所為であろう。不知火がうとうととしだすと高杉は三味線を奏でる手を止めて彼の側により自分の使っていたひざ掛けを彼に乗せると瞳を細める。
──俺が死んだらお前が新しい時代を旅してくれ。
小さく呟くと恐らく不知火が将来的に出会うであろう土佐の鬼に思いを馳せた。憎悪の塊のような彼はこの時代に絶望しているのだろうか。人が憎いのだろうかと。
迫害された鬼が人を憎むには仕方がない事だと自分は思っていた。不知火とてそれは例外ではない。だからこそ不知火が歩み寄ってくれた事が嬉しかったし、一緒に新しい時代を夢見れる事を喜ばしく感じていた。
──憎悪の連鎖か。
断ち切れないその鎖に繋がれあの土佐の鬼は生きているのだろう。その鬼にはこの国はどのように見えているのだろうか。本当はこの美しい国を好きになって欲しかった。人間にも鬼にも。
いつかこの動乱の日々が終結したら旅に出てのんびりと余生を暮らしたかった。不知火と旅をして酒を飲んで自然を愛でて、緩やかな日々を過ごしたかった。京都で出会った最愛の娘と、ずっと一緒に生きていたかった。
──でも俺には時間がない。
だからこそ不知火の為に、国の為に最後まで足掻き続けることにした。いつか鬼も人も穏やかに過ごせる時代を作る為に。
──愛すべき全ての為に。
>>あとがき
取りあえずこれからぼちぼち書いていこうと思ってる『因果律』の序章。
原田ルートゲーム後の話になっていくと思います。まだがっちりとは話は決めてないんですが『不知火VS薫』な感じで。どんだけ原作飛び出て夢飛翔するねんってな感じですが、お付き合いくだされば幸いです。
まぁ、高杉や不知火がありえないぐらい夢飛翔してるので今更ですが(笑)本当FD出て高杉でてきちゃったらどうするんでしょうねコレorz
20081116
追記*後に出た本家小説設定に沿って、若干話修正しました。南雲家自体が鬼の一族だったんですね。土佐の人間の一族だと勘違いしてましたorz
20101007