*世界之果*

 毎日毎日迷宮に潜ってはくたくたになるまで歩きまわり、帰ってきては眠い目をこすりながら図書館で借りてきた本を読み床に転がる。そんな娘は今日も日課の図書館通いを行う。
 手にとったのは、赤い靴、と書かれた本で、確認するようにそれを数枚ペラペラとめくる。直ぐ傍で、つまらんな、と声が聞こえたのだが、娘は曖昧に笑って本を大事そうに抱える。
 その姿を眺めるのは図書館前に佇む青い髪の少年。つまらなそうな表情ではあるが、彼女が来ると黙って目で追う。それを知っているマスターは、あらあら、と言葉を零す。
「随分あの子がお気に入りなのねアンデルセン」
「キアラ、お前は性癖だけではなく頭までイカレているのか。アレは題材としてはつまらん。見て分からんか」
「つまらない……という事は無いと思いますが」
「つまらん。王道過ぎてつまらん。そんな物語は他の奴が書けばいい」
 吐き捨てるようにアンデルセンが言うと、キアラは困ったように首を傾げた。彼女は至極平凡なマスターだとは確かに思う。レオの様に突出したカリスマも無ければ、レニのような研ぎ澄まされた知性もない。リンの様に魔術師としての素質もない。
「至極平凡ではありますけれど……そうですね、物語の題材としては確かに……。けれど、五回戦まで残ったと言う快進撃は面白いのでは?」
 キアラの言葉にアンデルセンは心底嫌そうな顔をして、口を開いた。
「貴様は脳に行くべき栄養が全てその駄肉に行ってしまったのは知っていたが、ここまでとは……」
「アンデルセン!」
 流石にそこまで言われるとキアラもむっとするのか、少し強めに彼の名を呼ぶ。すると涼しい顔でアンデルセンは、またちらりと娘に視線を送った。
「……そうか。貴様はもう片足を突っ込んでいるから気がつかんのか……」
「?」
 首を傾げるキアラを無視して、アンデルセンは栗毛の娘を眺め、小さく舌打ちをした。

 この娘の日課は変わらない。毎日毎日グルグルと同じように校舎を周り、迷宮を周り、戻ってくる。日課といってもこの旧校舎は時間の概念がないのだが、それでも彼女は同じような行動を延々と繰り返す。
「……きわどいか……」
 瞳を細め、呟いたアンデルセンであったが、何がだ?と頭上から降ってきた声に顔を上げた。
「英雄王様に聴かせるほどのものではない」
 挑発するように笑ったアンデルセンを眺め、英雄王と呼ばれたサーヴァント、ギルガメッシュは愉快そうに口元を歪めた。栗毛のマスターの姿は見えず、恐らく今日も日課の教室周りを彼女はしているのだろう。旧校舎内であれば基本的に敵に襲われる心配もないので、マスターとサーヴァントが離れて行動することはよくある。実際アンデルセンもキアラが己の欲望を満たすためにホクホク顔でNPCを連れ立って姿を消したのを見送っていた。
「ほぅ。ここ最近あの娘のことを観察しているようであったからな。何か面白い話でも聞かるかと思ったが」
「観察はそれこそ暇つぶしだ」
 アンデルセンのそっけない返事に、英雄王は咽喉で笑うと、赤い瞳を細めた。
「アレが気に入ったか?」
「答える必要性を感じない質問だな英雄王」
「そうだな、答える必要はない。アレは我のモノだ。貴様が欲しがってもやらん」
 英雄王の言葉にアンデルセンは些か驚いたような反応を見せる。あくまで仕方なく手伝いをしてやっている、もしくは、その行動をただ見ているだけと言い放っていた英雄王。余りにも歪なマスターとサーヴァントの関係であった。
「英雄王が小娘に骨抜きとは愉快な話だ」
「何を言っている。アレは我の所有物だと言っているのだ」
「よもやサーヴァントに所有物扱いされるとは!まったく愉快なマスターだ!あぁ、今一瞬だけあの娘の話を書いても良いと思った程だ!」
 愉快そうにアンデルセンが声を上げると、英雄王は僅かに眉を上げて口を開いた。
「人外と人外の戦いなど書いて楽しいものか?」
「……何?」
「我はどちらかと言えば、人間の欲にまみれた下らない話のほうが愉快だと思うがな」
 ピタリと笑いを止めたアンデルセンであったが、構わず英雄王は言葉を続ける。そして、その言葉を聞いたアンデルセンは、不愉快そうに眉を潜めた。
「己のマスターを化け物呼ばわりとは、随分と尊大だな英雄王」
「貴様のマスターも片足を突っ込んでおるだろう。あの欲深さは中々見れんな。ふむ、そうだな、あの牛女に関してはAIと言う枠を既にこえかかっているが、まだ化け物というには足りんか……もっとも、ムーンセルを掌握すれば正真正銘化け物なのだろうがな」
「まだ貴様のマスターは人間の領域だ」
「何故貴様がムキになる。放っておけば超える。我はそんな人間を山程見てきた」
 英雄王の言葉にアンデルセンは黙りこみ、不快そうな表情を滲ませた。あの娘は前に進むしか出来ない。そう本人も言っていたし、周りもそれを知っていた。それはいい。けれど、それを辞めようとしないのが問題なのだ。古今東西、何事においても、死ぬまでやり通せば人の域を超えてしまうことが多々ある。魔性菩薩と呼ばれたキアラもそうである。己の欲望を満たす事を彼女は辞めなかった。そして、前に進むことを辞めない彼女はいずれ人外に至る。
「人の領域を超えた者の物語などどこにでも転がっている。つまらん」
 呆れたような英雄王の言葉に、アンデルセンは思わず眉間に皺をよせた。そうだ、だからあの娘の話など王道で書く気も起こらないとキアラに言い放ったのだ。けれど、目の前の英雄王が、それを知っていて……彼女が人の領域を超える可能性を十分に把握しているというのに放置しているのが気に食わなかった。
「……人間は嫌いなのだろう?ならば貴様が愛する事のできる化け物が増える事を喜んだらどうだ」
「俺の性癖を歪めるな」
「歪んでいないと思っていたのか。それこそ愉快な話だ。もっとも、何度も言うがアレは我のモノだ」
 再度繰り返す英雄王の言葉にアンデルセンは不快そうに口元を歪めると、小さく深呼吸をして口を開いた。
「マスターを愛してるのか?」
「……アレの前に進むだけの才能は我の寵愛を受けるに値する才能だ。歪んだ愛があれば国を滅ぼす王になれただろう、力があれば正義の味方になれただろう、強かさがあれば傾国の毒婦になれただろう。けれどアレはどれもこれも欠けていて、直ぐには至れん。けれど、進むのを辞めなければいずれ至る可能性はある……可能性の塊だ。それ故、人外にも至りやすい。それだけの話だ」
「答えになっていない」
「我は人間が好きだ。それが答えだ」
 英雄王の言葉にアンデルセンは大きく瞳を見開いた。

 
 ほてほてと歩いてくる娘。手には童話の本。アンデルセンは瞳を細めて彼女を眺めた。それに気がついたのか、彼女はアンデルセンに笑顔を向けて、こんにちは、と脳天気に挨拶をする。
「相も変わらず日課をこなしているのか」
 アンデルセンの言葉に彼女は僅かに首を傾げる。毎日毎日同じ事を繰り返している事に気がついていないのかもしれない。彼女の行動は少し離れて見れば病的である。けれど誰もそれを指摘しない。
 彼女が大事そうに抱く本のタイトルを眺めて、アンデルセンは不快そうに顔を歪めた。
「読み終わったのか?」
 大きく頷いた彼女の表情を眺め、そうか、と短く返答をした。どうやら今日も英雄王は一緒ではないらしい。キアラもいない。少しだけアンデルセンは放つ言葉に迷うように沈黙をして、漸く口を開いた。
「何故表に戻ろうとする」
 それは素朴な疑問でもあった。英雄王と言う破格のサーヴァントと契約する代わりに、令呪を三つとも一気に切った。そんな彼女は表に戻ればマスター資格を失い消去される。普通の感覚ならば、ジナコの様にこの旧校舎に留まることを選ぶであろう。しかしながら彼女はこの旧校舎に放り込まれた当初から月の表を目指して歩みを止めようとしない。
 安っぽいヒロイック願望か、それとも幸福の王子症候群か。初めこそ安易にそう考えていたが、迷宮奥深くに入れば入るほど、彼女の行動はアンデルセンの理解を超えていく。
 迷宮の奥へ歩みを進める度に、己の首をジワジワと締めているのに気がついていないのか。
 BBが閉じ込めたがるのも理解できる。そう錯覚するほど、彼女は前へ前へと進み、段々と人間の枠を外れていく。
 アンデルセンの言葉に彼女は少しだけ驚いたような顔をした後に、そうしたいから、と短く返答をした。その返答にアンデルセンは瞳を細めた。
 地上にいた頃の記憶が無いとは聞いていた。わけも分からずに聖杯戦争に放り込まれて、生きるために勝ち抜いたと言うことも聞いていた。けれど、目の前の栗毛の娘が己の理解を超えていることに、アンデルセンは困惑した。否、頭では理解していたが、普通の人間であれば許容出来るレベルを超えていた。
「……令呪もなく、サーヴァントもなく、戦うすべがなくてもか?」
 冷たいアンデルセンの言葉に彼女は躊躇うことなく、頷いた。そして、自分にはそれしか出来ないからと、笑う。
 英雄王が愛した才能。
 けれどそれは英雄王の愛した人間の枠を超える。
 魔性菩薩と呼ばれたキアラのように、こちら側に彼女は来るのだろうか。そして自分はそれを待っているのだろうか。そんな不思議な気持ちになってアンデルセンは心の中で舌打ちをする。物語としては王道過ぎてつまらないと。古今東西英雄譚はどこにでもある。化け物を討伐する英雄は、人間の枠を超えている。超えたが故の英雄なのだ。化け物も英雄も紙一重で、結局のところ、人間が化け物と、英雄と定義しだだけの話なのだ。
「下らんヒロイックだな」
 鼻で笑ったアンデルセンを眺め、彼女は少しだけ驚いたような顔をした後に、瞳を細めて笑った。きっと頭のネジが二、三本足りないのだろう、そうアンデルセンが考えたのだが、きっと彼女は進み続けて、足りないものをかき集めて、死ぬまで進み続けるのだろうと安易に予想がついて薄ら寒いものを彼は感じた。
 本当に至ってしまうかもしれない。
 キアラだけで十分だ!そんな事を考え、不機嫌そうにアンデルセンがそっぽを向くと、彼女は困ったように笑って図書館へ入っていった。また本を借りるのだろう。そして迷宮に潜り、部屋に戻り、眠い目をこすりながら本を読んで……、普通ならば飽き飽きするような退屈なルーチンワーク。同じ事を繰り返しているはずなのに、彼女はなぜか前に進む、進む、進む。
「……足を切れ。そうすれば生きていける」
 誰に言うわけでもなくアンデルセンは呟くと、夜の来ない旧校舎の空に視線を送った。
「アンデルセン?」
 声を掛けてきたのは彼のマスターであるキアラで、心底嫌そうにアンデルセンは視線を向けると、何だ?と言葉を零した。
「足がどうかしたのですか?」
 彼の零した声を聞いたのであろうキアラの言葉に、彼は少しだけ肩を竦めて、瞳を細めた。
「エロ尼。貴様、そのどうしようもない欲望を何とかしろと言われたらどうする」
 アンデルセンの言葉にキアラは嫌そうな顔をすることなく、無理です、と淡く微笑んだ。
「私はこの欲望も含めて私なのですから。それは死ねと言われたのと同じです。まあ、どうせ死ぬなら欲望に溺れて死にたいものです」
 あぁ、こちらはパンを踏んだのか、そんな事を考えながらアンデルセンはつまらなさそうに視線を逸らした。あの娘は赤い靴ならぬ黄金色の靴を履いたのだろう。生きたいという己の欲望のため。そして死に至るこの矛盾。
「三文芝居だ」
 そう零されたアンデルセンの言葉に、キアラは不思議そうに首を傾げた。


「……これでお前のマスターは月の表に戻れる。そして死に至る」
 化け物討伐の三文芝居は終わり、己が形を失いつつあるアンデルセンは英雄王に言葉を零した。栗毛のマスターは英雄王に促されるまま崩壊する中枢部の階段を駆け上がっている。また、前に進むのか、そんな事を考えながらアンデルセンが何気なく零した言葉に、英雄王は咽喉で笑った。
「言ったろう。アレは我のものだ」
「……どういうことだ」
 もう時間はなかった、けれど、その言葉を明確に英雄王から引き出したくてアンデルセンは億劫そうに口を開く。
「ムーンセルからも、世界からも弾かれるというのなら、我が持って行っても構うまい」
 英雄王の言葉にアンデルセンは顔を上げ、驚いたように瞳を見開いた。そんなのは詭弁だと思ったが、英雄王は自信満々に胸を張り、赤い瞳を細めた。
「詭弁だ。それに、アレは令呪もサーヴァントも持たない。ムーンセルに消される」
 彼女が聖杯戦争本戦に戻った所で生き延びるすべは残されていなかった。ギルガメッシュはこのまま月の裏側でまた眠りにつくだろうし、サーヴァントの存在しないマスターは正常に戻ったムーンセルによってルール通りに処理されるだろう。アンデルセンもまた、月の裏側の崩壊によりその形を消しつつある。
「我は人間が好きでな」
「……」
「アレは放っておけばいずれ人外に至るやもしれん。けれど、地の楔たる我が側にいればそれもなかろう」
 人間を諌め、地に縛り付けるために古き神々によって作られた地の楔。それが彼である。その英雄王の言葉を聞いて、アンデルセンは落胆したように言葉を零した。
「……初めから至らせるつもりはなかったということか」
「どうだったか。至らせるには勿体無い、と思ったのかもしれん」
 ジワジワと人の枠を超える彼女を見て、アンデルセンはどこか期待をしていた。足を切れと思いながらも、こちらに来いと。そうすれば心置きなく彼女を知り、彼女の自分の事を理解してもらえるかもしれないと。
「パンを踏んだわけでもない、赤い靴を履いたわけでもない。我がマスターは己の意志で歩いている。死による救済など無意味だ」
 皮肉るように英雄王が言葉を放つと、アンデルセンは自嘲気味に笑う。
「助けるつもりなのか?世界に逆らっても」
「我がそうしてもいいと思った。それだけだ。……側にいるだけでいい、眺めているだけで良いと怠惰な貴様はそこで泡となって消えろ」
「……今日ほど己の怠惰さを呪ったことはない」
 望めばどんな話でも書けたはずだ。けれど出来上がったのは三文芝居。結局己の作者としての矜持が己に都合のいい物語を綴ることを許さなかった。狂おしいほどの自己愛を抱いたキアラもこの世界の崩壊とともに消えたし、切ないほどの恋心を抱いたBBも消えた。死による救済。それは己が何度も何度も繰り返してきた絶望と失意が作り上げた作者としての檻だった。
「たまにはハッピーエンドも書いておくべきだったな」
「ハッピーエンドのつもりだったんだがな」
 人魚姫が如く、欲しい物を目の前にして泡となって消える己の莫迦さ加減に笑いが込みあげたアンデルセンは、もう既にバグに侵食された己の口元を少しだけ歪めた。
「……どんな物語をお前達は綴っていくのだろうな」
「我に相応しいゴージャスな話に決まっておろう」
 英雄王の黄金の鎧が溶けてゆく。月の裏側から脱出するために切り離したのだろう。世界の壁を超え、ムーンセルのルールを超え、彼はあのマスターと遠くへ行くのだろう。それを少し見てみたかった。そんな思いを抱き、アンデルセンは高らかに声を上げた。
「是非とも英霊の座に届く愉快な物語を綴ってほしいものだな!」
 そして残った力を振り絞りアンデルセンは、文字を綴った。

──女の話をしよう。
何も持たない女は、生きるために戦い、生きるために前に進み、生きるために月に至った。
そして月に至った女は、そこで優しい娘に出会った。
もう歩かなくていい。もうここで休みなさい。
安寧の言葉を投げかけ、娘は女を引き止めた。
世界の果てには何もないと。このまま行けば貴方は死んでしまうと。
女はそれでも歩むのを辞めなかった。
嗚呼!何という矛盾!
生きるために歩いていたはずなのに、女は歩けば歩くほど死に至る!

そして女はついに月に眠る男と出会った。
神でもなく、人でもなく、男は王であった。
何も持たない女は、王を揺り起こし、世界の果てに行きたいのだと語った。
ならば全てを差し出せ。
傲慢な王の言葉に女は全てを差し出した。
そして女はすべてを失った。けれど歩くための足はあったのでそれで満足した。

王は女と共に世界の果てへ歩いてゆく。
そして至った世界の果てで、女はただ満足そうに笑った。
ありがとう、
女はそう言い残し、世界に溶けた。

王はまだ物足りなかった。
もっと行けば違う世界があるかもしれない。
あの女はまだ世界の果てに至ってない。
けれど女はいなくなった。
だから探しに行こうと思った。
己の荷物を捨てて身軽になれば、あの女に追いつくだろうか。
王は迷わず荷を捨てて、女と同じように世界に溶けた──


 アンデルセンの筆は止まり、青い髪がわずかに揺れた。
 英雄王はもういない。
 黒く壊れてゆく空間を眺め、もう形を失った己の右腕を眺め、瞳を揺らす。
「つまらん英雄譚だ」
 それでも、王道だからこそ、人に愛され、語り継がれ、夢を見させた。たまには自分が読者側に回っても面白いだろう。アンデルセンはこの物語の続きを、いつか聞くのを期待しながら瞳を閉じた。


英雄王ルートは女主救済ルートだと信じてる。
20130619

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