*追想少女*

 彼女が男のマスターを【センパイ】と呼ぶ度に、心の底に澱の様に溜る物があった。
 彼女が男のマスターを【センパイ】と呼ぶ度に、心が軋む音が聞こえた。

 月の聖杯に呼ばれ、聖杯戦争に参加する事になったサーヴァント。彼はマスターの呼び声に応え召喚に応じた訳なのだが、彼のマスターはどういう訳か地上での記憶を失っていた。

どんな人物だったのか。
何を目的としていたのか。
聖杯に何を望むのか。
 
 普通であるならばその喪失感と、目の前で繰り広げられる命のやり取りに、心が折れてもおかしくはない。けれど彼女は、迷い、悩み、振り返り反省する事はあっても、立ち止まる事はなかった。そんなマスターに応える事を目的とし、かつて【正義の味方】と呼ばれたサーヴァントはその力を振るう。
 そもそも月の裏側に何故喚ばれたのか。その目的もわからないまま、マスターはただただ、月の表側を目指して進んでいった。
 そんな中、【BB】と名乗る少女が彼等の前に現れる。
 サクラと同じ顔をしたAI。
 そんな彼女の妨害を乗り越えるために、かつて好敵手だったマスターたちと協力するという奇妙な関係。

 軋むのはその違和感からか、それとも別の何かか。

 ベッドに腰掛けてぼんやりとしていたアーチャーを見上げて、栗色の髪をしたマスターは小さく首を傾げた。その様子に、なんでもない、と言うようにアーチャーは淡く微笑むと、窓から見える夕焼けに視線を移した。
 マスターは困ったように笑うと、ポフッとベッドに転がり枕を抱く。連日の迷宮探索で疲れも出ていたのだろう、彼女は直ぐにウトウトしだして、寝息をたてだした。その様子を眺め、アーチャーは彼女の毛布をかけると部屋をそっと出る。
 これといって何か目的があった訳ではない。
 購買部のいけ好かない店員の横をすり抜け、アーチャーは校舎を出ると、大きな桜の木の下に佇んだ。いつもならば、NPCがいたりもするのだが、今日は誰もおらず、いつも迷宮探索を終えた彼等をぎこちなく迎えていたユリウスも、先日月の裏側から消失した。
 そのことに酷くマスターはショックを受けていたが、ガトーの時同様、彼女は痛みを飲み込んでまた前に進む。進む。進む。
 それしか出来ないからと笑う姿は、端から見れば若干頭のネジが緩んでいるようにしか見えない。けれど、そんな生き方をする存在をアーチャーは知っていた。そうやって、己の身を削り、何かを救いたいと足掻く生き方を知っていた。
 けれど、その結末は決して……、そこまで考えてアーチャーは軽く首を振った。

 余りにもどこかの正義の味方に似た自己犠牲の塊のような生き方。幸いなのは、彼女が守りたいと願う物が、あくまで彼女の視界に入るだけのものである事であろう。
 弱者全てを救いたいを願い、生きて、死んだ己とは違う。
 マスターとサーヴァントは似た所があるとよく言われるが、彼女は良くも悪くも、自分に似た所があって、アーチャーは逆にそれが怖いと感じることもあったのだ。己の命が軽い。

──■■■。貴方は自分の命が軽い。それでは貴方を守り切れない。

 ソレは己とは同じで違う■■■■■■が聞いた言葉であった。英霊■■■は座に存在するが、ムーンセルは月の聖杯が存在する、この世界の正義の味方に憧れた男をモデルにサーヴァント・アーチャーを再構築した。
 けれど、全ての記録をするムーンセルは恐らく別の世界のモデルのデータも拾い上げていたのだろう。
 クランの猛犬を知っている。
 赤いアクマを知っている。
 外道神父を知っている。
 そして……儚く微笑む紫の髪の少女も知っていた。 

「アーチャーさん?」
 戸惑ったような様子でサクラがアーチャーに声をかけると、彼はゆっくりと視線を彼女に送った。
「あの……サーヴァントである貴方も休息を取らないと、探索に触りがでてしまいますよ?」
 マスターに対して話しかけることはあっても、アーチャーに話しかけることは稀であるサクラであったが、彼が一人でふらふらとしているのが珍しかったのか、心配そうに声を掛けてきた。
「問題はない」
「えぇ。状態はオールグリーンです」
 AIらしく彼の状況をスキャニングしたのだろう。それでも、彼女は表情を曇らせたままアーチャーを見上げた。その表情をぼんやり眺めながら、アーチャーは脳裏にちらつく面影を振り払う。
「……あの……そのですね。メルトリリスの事なんですけど」
 言い難そうにサクラが言葉を紡いだので、アーチャーは意識を彼女に集中した。メルトリリスといえば、先日迷宮に潜った際に、驚くほどアーチャーに執着を見せたアルターエゴの名前である。BBから分離した彼女は、パッションリップ同様、BBとは別の自我を持ち、己の意志で行動する。パッションリップは彼のマスターに執着したが、それはマスターを【センパイ】と呼び、何かとちょっかいをかけてくるBBを見ていれば、元は同じなのだと納得できたし、行き過ぎではあったが、パッションリップの行動も理解できた。しかしながら、メルトリリスは何故かアーチャーに執着したのだ。
「何かあるのかね?」
 アーチャーの返事に萎縮したようにサクラは表情を強張らせる。決して強い口調で言ったわけではな無いのだが、圧迫感があるのかもしれない。そう考え、アーチャーは僅かに苦笑すると、心配事でも?とできるだけ柔らかく聞いてみた。
 無論心配事は山ほどあるだろう。今のところメルトリリスへの有効な対抗策も存在していない。圧倒的な無敵性を何とかしなければ、マスターもアーチャーも防戦一方であるのは目に見えている。
「……その。アーチャーさんにも迷惑かけてしまって……」

──もしも私のモデルになった人がいたとしたら、きっと貴方みたいな人を好きになったわ。

 メルトリリスの言葉が脳裏にちらつき、アーチャーは僅かに顔を顰めた。その小さな反応に気がついたのか、サクラはますます申し訳無さそうな顔をする。
「私としてはマスターが狙われていないだけ精神的に楽だがね。うちのマスターは些か無鉄砲すぎる。パッションリップで懲りてくれていればいいのだが」
 結局パッションリップは見逃した。理由は彼女自身もわからないらしい。ただ、そうしたほうがいいような気がした、という曖昧な返事だけであったが、結局アーチャーは彼女らしい、と言う感想を抱き、それ以上は追求しなかったのだ。
「先輩はやさしいですから。けど、狂ったAIを放置することはできません。BBも含めてです」
 毅然とした口調でそう言い放つサクラを眺め、アーチャーは少し迷った後に口を開いた。
「……それでも救いたいとマスターは願っている。多分な」
 大きく瞳を見開き、サクラはアーチャーを見上げた。戸惑いと、迷いが見えて、アーチャーゆっくり口を開く。
「私は100を救うために50を殺し続け、英霊に至った正義の味方だ。1を救うために、100を殺すBBとは相容れない」
「1を救うために100を殺す?」
 困惑したようにサクラが呟いたのを聞いて、アーチャーは漸く納得した。そうか、BBは1を救うために100どころか、己すらも犠牲にしようとしていたのかと。そんな選択もあるのだと、心の何処かでアーチャーは知っていたのだ。
 理解はできるけれど、相容れることはなかった。

 ただ、愛する人間と過ごすぬるま湯のような日常を望んだ娘がいた。
 ただ、愛する人間を危険から遠ざけるために、左腕を奪った娘がいた。
 ただ、愛する人間を己もののにしたいが故に、この世全ての悪を食らった娘がいた。

 そんな彼女を何としても救いたいと、己の全てを差し出した愚かな男もいた。
 そんな彼女を平穏な日常と共に切り捨て、己を世界に差し出した愚かな男もいた。

──有難うございます■■。……やっぱり正義の味方ですね。私のことちゃんととめてくれて嬉しいです。

 脳裏にちらつくのは、そう言って儚く笑った顔も思い出せない、嘗て己の日常の象徴であった娘。
「アーチャーさん?」
「大丈夫だ」
 心配そうにサクラが顔を覗きこんできたので、アーチャーは淡く笑って首を振った。脳裏にちらつくノイズがかかった記憶は一体、どの■■■■■■のものなのか。そんな事を考えながら、アーチャーはサクラを眺め、その紫色の髪に触れた。校舎と迷宮探索のサポートの為にテクスチャはランクを落とし、鮮やかだった紫色はくすんでいる。
 驚いたようにサクラはアーチャーを見上げたが、嫌がること無く、アーチャーの触れた己の髪に視線を落とす。
「あの……」
「君も少し休んだほうがいい。うちのマスターは心配症でね。君が倒れたらまた迷宮を放ったらかしにして心配しかねない」
「……はい」
 何度かオーバーワークで倒れていたサクラは、申し訳なさそうに返事をすると、気をつけます、と小声で謝罪する。
「でも、私にはサポートぐらいしかできなくて……アーチャーさんみたいに戦えれば良かったんですけど」
 その言葉にアーチャーは淡く笑うと、漸くサクラの髪から手を離した。
「君はここで待っていればいい」
「え?」
「マスターにとって、君は帰るべき場所だ。たった一つっきりのな」
 薄々アーチャーは、己のマスターが本当は地上に帰れないのではないかと思っていた。余りにも希薄な己の命への執着と、出来る事だけを延々と繰り返すのは、NPCだった頃の名残なのかもしれない。
 サイバーゴースト。
 彼女はそんな存在なのかもしれない。
 だからこそ、彼女に帰る場所はどうしても必要だったのだ。そうでなければ、どこか壊れた彼女は、休むこと無く死ぬまで歩き続けてしまう。
「帰るべき場所……ですか?」
「そう彼女は望んでいる」
 アーチャーの添えた言葉に、僅かにその瞳をサクラは揺らした。
「……待っているだけなのが凄く申し訳なかったんですけど……その、待ってることも大事って事ですよね。大丈夫です、待機は得意ですから」
 サクラが表情を明るくしたので、アーチャーは瞳を細めて笑った。

 自分は帰らなかった。
 けれど、きっと彼女は帰るだろう。

「ありがとうございます。なんだか元気が出て来ました。私も少し休みますから、アーチャーさんもちゃんと休んで下さいね」
「あぁ」
 赤い弓兵は、遠い記憶の果てに置いてきた思い出の少女と、サクラを重ね、少年のように笑った。
 


CCCは3DのBBが可愛い
20130501

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