*休戦日陸*
教会のベッドから起き上がったランサーは小さくあくびをすると、窓の外から冬木の街の空を眺めた。天気は良く、青い空が広がっていることに満足したランサーは、起き上がると、鼻歌交じりに日課を片付けることにした。
モップを持って教会に行き、掃除をした後に、今度は庭の花に水をやる。遠坂邸の赤い家政夫の事を笑えないと思いながら、彼は黙々と日課をこなしていく。幸いなことに、基本的にこの日課をこなしてしまえば後は余り煩く言わないのが今のマスターである。同じ立場の金ピカ王子との扱いの差には若干不満はあるが、彼に掃除をさせるより自分がやった方が速いと知っているランサーは正面切って文句を言ったことはなかった。
そしてランサーの耳に届くパイプオルガンの音。どうやらこの教会の主(仮)も日課をスタートしたようである。ここで漸くランサーの自由時間がスタートした。
今日は幸いバイトが何も入っていないので、やや遅いが衛宮邸に向かい朝食を食べることにした。平日であるし、学校に行かねばならない面子はもういないだろうが、おそらくセイバー達はまだいるだろう。昨日遠坂凛が衛宮邸に行っている筈なので、アーチャーさえいれば朝食にありつける。
「おはようございますランサー」
「よぉ。もう朝飯終わっちまったか?」
玄関で靴を脱いでいるとセイバーが声をかけてきたので、ランサーはにこやかにそう言ってみる。すると、セイバーは少しだけ首を傾げて、アーチャーが今片付けをしていますが大丈夫でしょう、と短く返事をしてくれた。彼女と一緒に居間に行くと、台所で洗い物をしていたアーチャーが僅かに眉を寄せたので、ランサーはヘラヘラと笑いながら軽く手を上げた。それに呆れたような顔をアーチャーは作ったが、直ぐに盆に一人分の朝食を載せて彼の前に運んできた。
「来るならもう少し早く来い」
「俺も教会で朝のお仕事があんだよ。サンキュ」
恐らくマメなアーチャーの事だろう、準備するのにそう時間がかからなかった所を見ると前もって取り分けていたのだと思いランサーは礼をいうと、いただきます、と美味しい朝ごはんを胃袋に入れた。
朝は比較的ガッツリ傾向の衛宮邸の朝食を食べながら、ランサーは朝のニュースを見る。これといって事件もなく平和といえば平和なのかもしれない。そんな事を考えていると、お茶を飲んでいたセイバーが口を開いた。
「昨日は随分雨が降っていましたが、今日は天気がいいですね」
「洗濯日和だな」
夜から雪になるかもしれないと言っていた気もするが、大幅に天気予報が外れたのか晴天である。台所に視線を送ると、アーチャーは慌ただしそうに庭に降りていった。洗濯物を干すのだろう。万能家政夫の朝は忙しいのだ。
「アーチャーは忙しそうだな」
「そうですね。こちらに平日いる時はいつもこのような感じですが……。ランサー。食事が終わったら掃除を手伝って下さい」
「はいよ」
タダ飯を食べさせてくれる代わりに何か仕事を、というのはそう珍しくもない事であったし、ランサー自体働くことは嫌いではない。寧ろ体を動かしていたほうが調子がいい方だ。
食器を水につけると、セイバーの指示でランサーはちまちまと衛宮邸の掃除を始めた。だだっ広い家はあちこち開け放たれて、風通しがいい。季節柄若干寒いが、この際仕方がない。
「ほんと無駄に広いよな」
思わず呟いたランサーの言葉にセイバーは僅かに首をかしげると、そうですね、と短く返答をした後、手を止めて瞳を細めた。
「シロウが一人だった時はきっともっと広く感じたでしょう」
衛宮切嗣の残した家は、きっとあの少年には広すぎた。今でこそ、同居人や、半居候が存在するが、それまでは朝もあんなに賑やかではなかったかもしれない。いくら冬木の虎がいたとしても限度はあっただろう。
「まぁ、人が沢山いても気持ちが一人ぼっちって事もあっからな。それよかマシだろ」
「……同感です」
円卓の騎士に囲まれて君臨していたが孤独だった王。嫌味だと怒るかとも思ったが、セイバーがあっさり流したのでランサーは少しだけ笑うと、庭に視線を送った。
「あいつはさ、あんま覚えてねぇって言ってたな」
洗濯物を干すアーチャーに視線を送ったままランサーが零すと、セイバーは悲しそうに瞳を細めて笑った。それは肯定の意味である。
孤独だった王と孤独だった少年が出会って、新しい道を歩み出した。
けれど、己が孤独だったと気が付かぬまま歩み続けて、人にも、世界にも、理想にも裏切られて死んだ男もいた。
「俺はさ。あんま長生きしなかったけど、そう悪い人生じゃなかった」
「……彼も別に己の人生が悪かったとは思ってはいないでしょう。ただ……そうですね、自己嫌悪はあったかもしれません」
人を救うために、人を殺し続けたことへの罪悪感。それでも貫かねばならなかった理想。愛する人も捨てて走り抜けた人生。
「女泣かせたのはダメだな。うん。しかも現在進行形でダメだろ」
「女性に対してだらしのない貴方が言いますか」
セイバーに睨まれ、ランサーはヘラヘラと笑うと、モノ言わぬ背中に視線を向けて瞳を細めた。
「まぁ、女一人幸せにするってのは、殺し合いに勝つ以上に難しいしな」
ランサーの言葉に、セイバーは少し考え込んだ後に小さく頷いた。彼女もまた、一人の女性を不幸にし、部下もまた失ったのだ。仕方がなかったのだと言えばそれまでであるが、国を失ったきっかけでもあるので、重く受け止めたのだろう。
「今日は……」
「ん?」
「色々な事を話しますね」
無論ランサーはサーヴァントの中では比較的人懐っこく、よくしゃべる方である。けれど、今日は話題のセレクトがいつもと違うと感じたセイバーがそう零すと、彼は口端だけ上げて笑った。
「天気が良くて、いい日だからじゃねぇの?」
はぐらかされたと思ったが、セイバーはそれ以上突っ込まず、困ったように笑って、また手を動かし始めた。
昼食を取って、ランサーはそのまま一旦教会に戻った後に、ブラブラと商店街を歩く。駅前でティシュ配りをしていたバゼットを冷やかし、買い物途中の新妻にガンを飛ばされたりしながら、目当ての場所へと到着した。
誰もいない埠頭の指定席。
釣り糸を垂らすと買ってきた缶コーヒーを飲みながらのんびりと釣りをする。
今日は子供を引き連れたギルガメッシュも、職業アングラーにしちまえと内心思っている赤い弓兵も訪れず、時間はのんびりと過ぎていく。寒さはじわじわと感じるが、サーヴァントであるということもあってさほど深刻ではない。これに関しては便利だなと個人的に思っていたりもする。野宿も楽勝であるし、飢えて死ぬこともない。
「釣れる?」
「ぼちぼちだな」
長い黒髪を抑えながら赤いコートの少女が声をかけてきたので、ランサーは満面の笑みを浮かべて彼女を出迎えた。
渡された缶コーヒーは暖かく、ランサーはそれを開けると一気に飲み干した。そばに座る彼女は、両手で大事そうに缶を抱えてぼんやりと海を眺めている。
「学校終わったのか?」
「うん」
冬至も超え、大分日は長くなってきている。そっか、とランサーが言うと彼女は瞳を細めて笑った。
「寒くねぇか?」
「大丈夫よ。ランサーこそ」
「俺はへーき。サーヴァントだからな。それに、故郷の方がちぃと寒いか?」
ただ、冬木では防寒器具も充実しているので割りと快適な方だとぼんやりとランサーは考える。己の生きていた時代よりずっと過ごしやすい。
「そっか」
別に何をする訳でもなく、凛はポツポツと話をし始める。他愛のない日常の話ばかりだが、その中にはいつでもサーヴァントたちが存在した。きっと学校の友人に話すことのないものであろうと思いながら、ランサーは相槌を打ちながら彼女の話に耳を傾けた。
衛宮士郎の話では友達がいないわけではないが、どこか一線を引いた対応をしているのだという。それは魔術師の家に生まれた彼女にとってはしかたがないことでもあり、当然のことでもあるのだろう。ミス・パーフェクトと呼ばれる彼女であるが、ランサーから見れば可愛らしい少女である。正義感が強い。意地っ張り。けれど、どこか強がって見えて守りたくなる。
「……?ランサー?」
「いや、嬢ちゃんは可愛いなって」
黙り込んだランサーに気が付き、凛が声をかけると、彼はそう言って彼女の頭を撫でた。それに一瞬驚いたような顔をした凛であったが、直ぐに顔を赤くして、子供扱いしないでよ、とそっぽを向いた。
「子供でいれるなら子供の方がいいぜー。多少のお痛しても許してもらえるからなー」
「うっかり番犬殺しちゃうとか?」
「そうそう」
有名なクー・フーリンの逸話を出した凛にランサーはおかしそうに口元を歪めると、まぁ、俺はなんかガキのまんまだって言われてたけどな、とポツリと零す。
「誰に?」
「お師さん」
影の国の女王であったスカサハ。彼女の前ではきっと子供だったのだろう。もっと早く生まれていればと思ったこともあったが、若かったからこそ出来た無茶もあったし、間に合わなかったから彼女を殺さずに済んだのかも知れない。彼女の望みを叶えてやりたかったという気持ちもあったが、今となってはどちらが良かったのかはもうランサーには分からなかった。ただ、あの人が己の死を惜しんでくれたのならそれで十分だった。
「今でも子供みたいじゃないの」
「そっか?俺包容力あるぜ。試してみるか?」
「莫迦」
そう言うと凛は立ち上がりランサーに視線を送った。
「今晩は暇なの?」
「暇、暇。ベッドまでお供すっけど。どうする?」
「夕飯の買い物付き合って。最終地点は衛宮邸。エスコートは任せるわ」
ランサーの言葉を軽く流した凛に、僅かに残念そうな顔をしたが、ランサーは笑って了解、と言葉を放ち早速釣り道具を片付けた。
「教会寄っていいか?」
釣り道具を放り込むのだろうと思い、凛は頷くと、一緒に肌寒い冬木の街を歩いて行った。
教会から漏れ聞こえるパイプオルガンの音に、凛は僅かに不思議そうな顔をする。
「パイプオルガンなんかあった?」
「今はあるんだろ。きっと」
ランサーの返しに、意味が解らないと言ったような顔をしたが、彼は笑うと釣り道具を教会の入り口に邪魔にならないように置いて小走りで戻ってきた。
「ちゃんと中に入れなくていいの?」
「へーき、へーき。今は中にはいんねー方がいいんだ。多分な」
演奏を邪魔する気にもなれなかったし、きっとアレは、大切な誰かの為に弾いているのだろうと。なんとなくランサーにはそれが分かった。聞こえる筈のない拍手を待ち、彼女は天への祈りの様に曲を弾き続ける。
「意外と一途だよな」
「ん?」
ランサーのこぼした声を拾って、凛が彼の顔をのぞき込んだが、ランサーはいつもの様にヘラヘラと笑って誤魔化した。
夕食当番が遠坂凜であったために、ランサーはありがたくそのご相伴にあずかり、満足して教会へ戻っていった。心底嫌そうにおかわりした白米を渡すアーチャーの顔も、おかずの取り合いをした藤村大河も、素知らぬ顔をしてデザートまで軽く三人前は平らげたであろうセイバーの顔もいつもどおりで、大いにランサーは満足する。
「ランサー」
「どーした坊主」
「あ、いや……」
衛宮邸を出る前に家主である少年に声をかけられたランサーが足を止めると、彼は困惑したような、それでいて、どこか不安そうな表情を見せた。それに気がついたランサーは、笑いながら瞳を細めると、言葉を放った。
「また明日な」
響くパイプオルガンの音が止まり、広い祈りの部屋の片隅から小さな拍手が聞こえた。振り返ることなくカレンはつまらなさそうに言葉を放つ。
「どうして今日なのかしら」
「大事な日だろ?アンタの駄犬がこの街に召喚された日だ。本格的に聖杯戦争をスタートさせた英霊。一番槍ってやつ?」
楽しそうに少年は瞳を細めて笑った。純粋な召喚順番としてはバーサーカーやキャスター、そしてそのキャスターが召喚したアサシンの方が早い。けれど、バゼットに召喚されたランサーは、第五次聖杯戦争においてVSアサシンで一番最初に戦いをスタートさせた。最も、十日程でバゼットは令呪を言峰綺礼に奪われ、ランサーは以後水面下で動くことを強要されたわけなのだが。
「だから、一日だけあいつの望んだ世界を作ってやるって言ったのに」
そんな言葉をこぼした後、少年はつまらなさそうに口を尖らせて、いつもとおんなじじゃん、と言葉を続ける。するとカレンは意外そうに眉を上げて口元を歪めた。
「そのいつもと同じ日常に焦がれて手を伸ばしたのは誰かしら」
痛いところを付かれたと言わんばかりに少年が顔を歪めたので、カレンは漸く振り返り少年の方を向いた。きっと少年の表情を見たかったのだろう。薄くカレンが笑ったのを目視して、少年は、ちぇっとそっぽを向く。
「トオサカリンのサーヴァントになるとか、聖杯を手に入れるとか、そんなユメも見せれたんだぜ」
「そんなユメに駄犬は興味ないわ。聖杯のキセキにすら興味がないのに」
聖杯にかける望みがあったわけではない。ただ、戦うことを望んで喚ばれた英霊だった。決して戦闘狂なだけではなかった彼は、いつでも己の信念と、心情に正直に駆け抜けていた。
「莫迦なんだな」
「ええ。莫迦だわ、でも愚かじゃない」
満足気に笑ったカレンの表情を見て、少年は意外そうな表情を作る。
「お。意外と信頼してんだな」
「私以外の主人を掲げたいなんて言ったら、去勢します」
「ひでぇ」
カレンが言い切った言葉に、少年はおかしそうに顔を歪めた後、小さく背伸びした。
「欲がねぇのか、何なのか」
「欲はあるでしょう。主に下半身」
酷い言いようだ、と思いながら少年は冷たい椅子から立ち上がった。
「まぁ、光の御子様に俺は不要だったって訳だ」
「……そう卑下することないわ」
「慰めてんの?」
「ポルカミゼーリア」
聞き慣れた言葉に少年は瞳を細める。あの光の御子が羨ましかったのだ。自分と正反対の存在。人から好かれ、崇められ、英霊になった男。だから甘い言葉を囁いて、突き落としてやろうと思ったのに、彼はこの冬木の土地における他愛のない日常を望んだ。望んだものが己と同じだったから、突き落とすことが出来なかった。
「さておき。フィッシュ!」
「うお!」
突然赤い聖骸布に簀巻きにされ、少年は無様に床に転がる。完全に油断をしていたわけなのだが、辛うじて首だけ上げて抗議の声を上げた。
「いい話で終わるところだ!」
「黙りなさい。去勢するわよ」
「いやいや!ちょっと!何で俺こんな事になってんだよ!?」
「うるせー!寝れねぇだろ!」
扉を開けて声を上げたランサーに縋るように少年は視線を送ったが、カレンが睨みつけたので、ランサーは肩を竦めて笑った。
「まだ23日は過ぎてねぇだろ?うちのご主人様と宜しくやってくれよ」
「はぁ!?」
「俺な、女泣かせる奴好きじゃねぇの」
ニヤニヤと笑ったランサーに、少年ははめられた!と今更ながらノコノコ姿を表したことを後悔した。光の御子は確かに冬木の日常を望んだ。それは一体いつの日常だったのか。聖杯戦争の後なのか、虎聖杯の最中なのか、狂乱の宴の間なのか、繰り返す四日間だったのか。
「手前ェ……」
「女待たせていいのは、いい男だけだぜ。あと、天気晴れにしてくれてサンキュ。やっぱ気分いいよな」
咽喉で笑ったランサーは、軽く手を降ると部屋を出て行った。
取り残された少年は不安げに顔を上げて、自分を拘束する娘に視線を送る。薄く浮かんだ微笑みが怖い。
「素敵な夜にしましょうか?」
「俺は……明日には消えるぜ」
「構わないわ。また待ってあげます。そしていつか、バゼットから義手を取り上げて私のものにします」
「愛されてんなー」
そして少年は観念したように笑った。天の逆月が満ちるまでは、この少女と己のユメを見ようと。
槍→凛というより、カレンxアンリ小説
兄貴召喚おめでとー!おかえりー!
20130123