*休戦日伍*
寺の石段を登る赤い影。
それを見た門番である佐々木は僅かに眉を上げた後、口元を歪め咽喉で笑った。
長く続いた日常における非日常。一体何が齎した奇跡なのか、聖杯戦争は中断し、平穏を貪る冬木の街。その街に訪れた異分子は、青い瞳に強い意志を抱きながら石段を登ってきた。
「ここを通すわけには行かぬ」
佐々木は己の本来の役割を果す為にそう言葉を零す。ポツリと頬に当たるのは雨粒で、じきに強くなってくるであろう。それまでに終わるか否か、そんな事を考えながら、佐々木は長い刀を構えた。
「……東方の侍か。本来なら楽しみたい所だが、余も急いでおる。通して貰おう」
サーヴァントであろうことは佐々木も把握していた。この寺の結界はサーヴァントを拒絶するものなのだ。佐々木の待ち構えるこの正面からしか入れない、稀代の魔女が敷いた最強の陣。
赤いドレスは闇夜に映え美しく、その黄金色の髪も騎士王を思わせるほど眩しい。その彼女が手に持っているのは、歪な剣。佐々木は珍しいものを見るような表情を作ると、じわり、と距離を詰めた。
「名を聞いておこう。拙者は佐々木小次郎」
「……余は故あって名乗れん。しかし構わんであろう。墓に刻むのは貴殿の名だ」
「良かろう」
大した自信だと思い、佐々木は思わず口元を歪めた。
一合、二合、と剣がぶつかり合う。
大気の震えに、冬木のサーヴァントはそれぞれ闇夜に姿を消した。己がマスターを守るため。異分子を排除するため。理由はそれぞれであろう。そんな中、一番に石段にたどり着いたの男がいた。
突如佐々木と女の間に投げ込まれたのは朱の魔槍。ほぼ同時に下がった二人であったが、一息つくと佐々木はつまらなさそうに槍の持ち主に声をかけた。
「ここは拙者の領分。控えて貰おう」
「かてー事いうな。混ぜろよ」
赤い瞳を細めてクランの猛犬が口元を歪めた。それを見た女は、驚いたような表情を一瞬作ったが、忌々しそうに口を開く。
「トオサカリンの差金が。余の奏者といくら親しいからと言っても容赦はしない」
「はぁ?何でリン嬢ちゃん」
「ならば勝手に動いているのか!」
「いやいやいや!勝手も何もだな、俺は元々リン嬢ちゃんのサーヴァントじゃねぇし。そりゃ、そうだったらハッピーだけどな」
怒りを露わにした女の表情に、面食らったようにランサーは返答したが、女の方はどうも大きな勘違いをしているようだと言う事は把握した。興が逸れたのか、佐々木は刀をしまうと、好きにしろ、と静観を決め込みランサーは情けない顔をする。
「おい!丸投げかよ!」
「混ぜて欲しいのだろう」
「……まぁ、そうなんだけどよ。こう、俺のしてぇ事と違うって言うかよ」
喧嘩なら混ざりたいが、明らかにややこしい事になりそうな予感がして、ランサーは頭を抱える。恐らくもう少しすれば誰か来るだろう。そいつに丸投げするか、と決め込みランサーは女に言葉を放った。
「つーか、何しに来た。手前ェサーヴァントだな。セイバーか?」
「余がセイバーであることなど把握しているだろう」
「……なんか話噛みあわねぇな。俺お前さんの事見たことねぇと思うんだけど」
ランサーの言葉に女は目を丸くして、そんなはずはない!と声を上げる。
「ランサーなのだろ?クランの猛犬」
「そーだけど」
「トオサカリンの犬だろう」
「犬っていうな!っていうか、そこが違う。リン嬢ちゃんのサーヴァントは……」
そこまで言って、手の内を明かしていいものか悩んだランサーであったが、ふわりと舞い降りてきた赤い主従に気が付き、口元を歪めた。
アーチャーに支えられるようにして降り立った遠坂凛。黒い髪を靡かせて、赤いセイバーに視線を送った。
「私の土地で好き勝手しないでくれる?」
「リン!違うのだ!これは奏者を助けるために!」
「奏者?っていうか、私の事知ってるの?」
警戒の色をアーチャーは強めたが、凛は怪訝そうな顔をして赤いセイバーに視線を送った。それに先程同様目を丸くした彼女は、助けを求めるようにランサーに視線を送る。
「……よく分かんねーけどよ。この赤セイバーは俺がリン嬢ちゃんのサーヴァントだと思ってんだ」
「はぁ?一回も契約したことないじゃない。私のサーヴァントは私のアーチャーだけよ」
「しかし!ムーンセルでは!」
「ムーンセル?」
赤いセイバーの口から漏れた単語に、凛は眉を寄せると、少し話聞かせて欲しいんだけど、と短く赤いセイバーに言葉を放つ。しかし、彼女は視線を逸らして、時間がない、と悔しそうに言葉を零した。
「時間?」
「彼女の事か」
「!!」
元々余り話に割って入るタイプではなかったので、すっかり忘れていたアーチャーが、石段から逸れた草むらから少女を抱えて出てきた。それに一同目を丸くしたが、赤いセイバーはアーチャーに駆け寄ると、怒ったように口を開く。
「奏者に馴れ馴れしく触れるな!」
「それは失礼した」
咽喉で笑うとアーチャーはそっと栗毛の娘を地面に横たえる。肌は白いと言うよりは青く、明らかに変調をきたしている。その奏者の頬を撫でると、赤いセイバーはションボリとした様子で口を開いた。
「魔力が足りない。ここに沢山あるのは余でも分かった。だから奏者の為に分けてもらおうと思ったのだ」
元々キャスターの陣地とする寺は霊地でもあるし、キャスター自身が溜め込んだ分もあり貯蔵魔力は豊富である。
「……人を襲おうとは思わなかったの?」
「余は人が好きだ。奏者も余がそんな事をしても喜ばない」
試すような凛の言葉に赤いセイバーは素直にそう返事をする。管理者として排除すべきか、保護すべきか凛も測っているのだろうと思い、アーチャーは黙って様子を見守っていた。
「けれどサーヴァント同士の戦いなら奏者も怒りはしないだろうと思ったのだ」
「……」
暫し沈黙していた凛であったが、顔を上げると佐々木に言葉を放った。
「アサシン。キャスターに伝えて。この正体不明のサーヴァントとマスターは管理者である私が預かるって。門の前でちょっと騒いだだけだし。突撃かまされて根こそぎ魔力持ってかれるよりはいいでしょう?」
「諒解した」
苦笑するように佐々木が返答したので、凛は安心したような顔をして、アーチャーに視線を送る。
「奏者を衛宮君の家に運んで」
てっきり自宅へ運ぶのだと思っていたアーチャーは少し眉を寄せたが、凛はため息をつくように言葉を零す。
「あそこならセイバーもライダーもいるわ。この赤いセイバーが何かしても取り押さえられる」
「余は奏者の魔力さえ手に入ればそれでいい!」
監視するものが多いほうが良いと凛が判断したのを確認してアーチャーは奏者を抱きかかえる。それを心配そうに眺める赤いいセイバーを眺め、凛は瞳を細めた。
「心配しないで。とりあえず場所を変えたら話を聞かせて」
「と……魔力供給ね。どうしたもんかしら」
衛宮邸では寺での様子を伺っていた家主である衛宮士郎とセイバーだけではなく、マキリ邸から駆けつけてきたのか、ライダーと桜もいた。とりあえず奏者を和室に寝かせた後、居間に一同集まり、赤いセイバーに注目していた。
「そもそもどこから来たの?」
「ムーンセルだ」
凛の言葉に赤いセイバーはそう短く返答すると、そわそわとしたように、奏者は?と聞く。
「一応方陣を張って、ある程度魔力を吸い上げられる様にしてるんだけど……そうね、あの子は魔術師じゃないのかしら。上手くね、回路に魔力が送れないみたいなの。けど、あのまま何もせずに放っておくよりは安全だわ」
「奏者は元々魔術師としての素質は殆ど無いと……そのだな……トオサカリンが言っていたのだが……」
探るように赤いセイバーが言うので、凛は、そう、そこなんだけどね、と言葉を零した。
「多分貴方の知ってるトオサカリンと私は違うと思うの」
「しかし!ランサーもいるではないか!」
「……うーん。平行世界って分かるかしら。私はムーンセルに行ったことないし、ランサーと契約したこともない。って言うことは、別世界から貴方達が来たって言う考え方が一番しっくり来るのよ」
驚いたように言葉を失った赤いセイバーを横目に、本来冬木の聖杯にセイバーとして招かれた騎士王が怪訝そうに口を開いた。
「可能なのですか?」
「……言っちゃえば、この訳のわからない状態で何が起こっても不思議じゃないわ。冬木の大聖杯なのか、天の逆月なのか、虎聖杯なのか……」
頭を抱えるように言う凛を眺め、一同盛大に溜息をついた。奇跡のオンパレードであるこの状態で、今更平行世界からの訪問者など大したことがないような気がしたのだ。ただ、話に乗れない赤いセイバーは、とりあえず約束通りに己と奏者の話をすることにした。
月で行われる聖杯戦争。
記憶を失ったまま参加を余儀なくされた奏者。
協力体制にあったトオサカリンとそのサーヴァント。
「冬木の聖杯を元にした聖杯戦争ねぇ。つーか、そこなら俺がリン嬢ちゃんのサーヴァントか」
「黙れ」
脳天気に声を上げたランサーを睨むと、アーチャーは、それで?と赤いセイバーを促した。
「どうして余と奏者がここに来たかは正直あやふやでわからない。ただ、奏者は聖杯戦争を勝ち抜いた。ムーンセルは奏者の願いを叶える筈だった」
「……記憶があやふやね……まぁ、世界線超えた拍子に魔力をごっそり持っていかれたとして……困ったわね」
「何がだ?」
凛の言葉に赤いセイバーは首を傾げた。
「戻る方法よ。ムーンセルに貴方達を戻す方法が今の所思いつかなわ」
「それは困る!奏者の願いはどうなるのだ!トオサカリンも地上に返さねばならないのに!」
立ち上がって声を上げたセイバーを眺め、士郎は驚いたようにそれを見上げた。
「え?トオサカリンを返さねばって……普通に帰れないのか?」
「……アレは勝者しか地上に帰れない。だから帰るのは奏者だ。……だが、奏者は……己の代わりにトオサカリンも地上に返すつもりだったのだ」
勝者しか地上に帰れないと言う話を聞き、一同顔を顰めた。無論聖杯戦争などとどのつまり殺し合いなのだが、令呪さえ放棄すれば降りることはできる。それすら出来ないのだろう事が想像できたのだ。
「奏者は……望んで聖杯戦争に挑んだわけではない。寧ろイレギュラーだ。参加しなけれな死ぬしかない。素質もなく、記憶もなく、それでも余と勝ち上がっていった……」
「あの子、自分の身代わりにトオサカリンを助けるつもりだったの?」
凛の言葉に赤いセイバーは瞳を細めて、哀しそうに笑った。
「奏者はサイバーゴーストなのだ。帰るべき体がそもそもない。ならば、トオサカリンを返そうと……」
一同重い沈黙が降りた。生きるために戦ったはずなのに、結局帰る場所など始めなから存在しなかった奏者。
「帰っても消えるだけだ。余も含めてだが……けれど、奏者がトオサカリンを地上に戻し、聖杯を手に入れるのを放棄するわけにはいかん」
それは悲壮な決断だったのかもしれない。サーヴァントは元々聖杯戦争が終われば座に帰る。けれど、勝ち残ったと言うのに、生きることすら許されないのなら、帰らないほうが良いのではないか。ちらりと誰もの心を過ぎったが、彼等の選択に口をだすわけには行かない。
「分かったわ。こっちで帰る方法は調べる。イリヤやキャスターに協力してもらう形で。最悪アーチャーに宝石剣を投影してもらって無理矢理こじ開ける形になると思うけど」
「できんのか?」
ランサーの言葉に凛は眉を寄せた。
「宝石剣に関しては……正直取りたくないわ。どこの並行世界こじ開けるか分かったもんじゃないし、投影負荷もかかるしね。でもまぁ、最終手段って事で頭の片隅には置いておくわ」
「手間をかけさせる」
赤いセイバーの言葉に凛は少しだけ笑った。
「で、悪いんだけど、居候増えるって事で衛宮君宜しく」
「うちかよ!……でもまぁ、仕方ないかな。部屋は余ってるし、藤ねえにも何とか……」
「セイバーの親戚とか言っとけ。割りと似てるしよ。そんで、奏者の嬢ちゃんはその友達とか何とか」
そうランサーに言われ、一同セイバーと赤いセイバーを眺める。確かにどういうわけかよく似ている。しかし、ぷっと、ライダーが笑って言葉を零した。
「胸が……」
「そこになおりなさいライダー!」
セイバーが声を上げて怒りだしたので、慌てて士郎が止めて、ライダーの代わりに桜が頭を下げる。その様子を見て、赤いセイバーは瞳を細めた。
「いい主従だ」
「そうね……あと、貴方の名前……セイバーじゃ不便なんだけど」
そう云われ、赤いセイバーは、む、と表情を固くした。
「セイバーは余だ。奏者もそう呼んでいる」
「私もセイバーです」
Wセイバーがこの称号は譲れないと言わんばかりに睨み合ったので、凛は思わずため息をついた。セイバーと言う苗字だと言う事にとりあえずはしておこう。そうすれば奏者の方がセイバーと呼んでも大河は怪しまないだろうと考えたが、どうしたものかと思わず途方に暮れた。
「……もう、こっちは赤王でいいんじゃねぇの?何か赤いし、口調からしてどっかの王様だろ?」
呆れたようなランサーの言葉に、赤いセイバーは暫し悩んだ様子であったが、仕方あるまい、と溜息混じりに言葉を零した。
「奏者の許可なく真名を晒すのもな……よい。許す。赤王と呼べ」
「……おう。俺なんかすげーキャラ被ってる奴思い出したわ」
「私もです」
ランサーとセイバーが浮かべたのは金ピカ英雄王であろう。人類最古の英雄と似たこの王は一体どこの王だろうか。そんな事を考えながら、セイバーはちらりと赤いセイバー……改め、赤王に視線を送った。
「しかし、魔力供給の方はどうなのですかリン。見たところ、赤王も魔力不足のようですが」
「根本的にね、魔術の形が変わった所から多分あの子来てるのよ……。ちょっと時間はかかるわ。赤王の方は他のサーヴァントと変わらないみたいだたら、御飯食べて寝たら大丈夫なんじゃないの?」
「む?食事でも魔力供給できるのか?」
「できるわよ。現にセイバーもそうだし。マスターの士郎は魔術師としては半人前だしね」
「悪かったな、半人前で」
むっとしたように言った士郎に、ごめんごめん、と凛は笑って謝ると、アーチャーに言葉を放った。
「とりあえず赤王の方に魔力供給しておきましょうか。パスが繋がってるんだったら、そっちからも補充できるだろうし」
「諒解した」
そう言うと、アーチャーはさっさと台所へ向かう。それとは別に、赤王や奏者の滞在する部屋を作っておこうと、士郎と桜はライダーを連れて部屋を出ていく。
「……月の聖杯……ね……」
「中々ロマンがあるじゃねぇか」
咽喉でランサーは笑ったが、赤王は僅かに眉を寄せて、アレは願望機ではなく、演算器だ、と言葉を零す。
「演算器ですか?」
「そうだ。勝者の望む未来を演算し割り出す。何億分の一の可能性であってもだ」
「……それもよし悪しね……聖杯として勘定していいのかしら」
未来予想はできても、月の聖杯は過去を変える事は出来ないということではないか。例えばセイバーの望みはきっとその演算器では叶わないだろう。凛と同じ考えに至ったのであろう、セイバーも微妙な顔をする。
「それでも人は聖杯を求めサーヴァントを使役した。そして聖杯を手に入れる事ができるのは、マスター……人の子だけだ」
「え?サーヴァントの願いは叶えないの?」
驚いたような凛の言葉に赤王は頷く。
「強いて言うなれば聖杯戦争に参加することに叶えられる。クランの猛犬等は好敵手と戦うことを望んでいた」
その言葉にランサーは僅かに眉を上げたが、ま、そーだろうな、と概ね同意した。そもそも冬木の聖杯にすらかける望みのなかったサーヴァント。戦えると聞いてホイホイ座の本体が分霊を落としたのを容易に想像できたのだろう。マスターがトオサカリンだと言うのならなおさらだ。
程よく台所からいい匂いがしてきた頃、突如赤王が立ち上がったので、一同注目する。
「侵入者だ!」
そう言い放ちバタバタと奏者の眠る部屋へと駆け出した赤王をランサー達は慌てて追いかけた。そもそも衛宮邸は結界が張っており、侵入者は基本的にアサシンクラスでなければ知られることなく入ることは不可能だと思っていたのだ。
眠る奏者の傍に立つ男を睨みつける赤王。
「……奏者から離れろ」
「口の聞き方を知らん雑種だな」
闇夜に煌めく赤い瞳。そして黄金色の髪。英雄王の姿を捉えて、凛は思わず声を上げた。
「その子は私が保護することにしたわ。手出ししないで」
「……案ずるなトキオミの娘。我の庭に異分子が入り込んだ様だから様子を見に来ただけだ。死にぞこないのサーヴァントとマスターに興味などない」
「貴様……」
死にぞこないと言われたことに腹を立てたのか、一歩赤王が踏み出そうとするが、セイバーが腕を掴んでそれを制する。
「今は我慢して下さい。今の貴方ではアレに勝てない」
魔力が十分ではない事を自覚している赤王は、悔しそうに唇を噛む。それを眺め、愉快そうにギルガメッシュは口を開いた。
「威勢だけはいいようだな」
「煩い!奏者に指一本でも触れてみろ、余が許さん!」
噛み付きそうな赤王にランサーは呆れたようにため息をつくと、ギルガメッシュに向き合う。
「大丈夫だって。英雄王様は興味ねぇって言ってんだ」
「英雄王?」
「良く覚えておけ雑種。我が人類最古の英雄王・ギルガメッシュだ」
「……成る程。ならばその尊大さ理解できよう。初お目にかかる英雄王。余はネロ・クラウディウス。嘗てローマを滅ぼした暴君だ」
突如名を名乗った事に一同驚いたが、ギルガメッシュは可笑しそうに口元を歪めた。
「己を暴君と言うか!ははッ!いいだろう、貴様の謙虚さに免じて我が慈悲をくれてやる」
そう言うと、英雄王はつかつかと歩み寄り、赤王の頭にポンと手を乗せた。
「何をする!」
「魔力が足りないのだろう?」
ククッと咽喉で笑った英雄王は、赤王の魔力パスを探り、一つ繋ぐとそこに魔力を流し込む。
「ふむ……比較的我と相性がいいか」
独り言のようにギルガメッシュは呟いたが、赤王は頭に手を乗せられるという不快感に必死に耐えていた。確かに今英雄王は己に魔力を送っている。この魔力があれば奏者は助かる。そう思い高いプライドをへし曲げて屈辱に耐えていたのだ。
「こんなものか。一気に送り込んでも奏者とやらが耐えられまい」
「……何故」
そう言葉を零したのは、ギルガメッシュと腐れ縁が十年続くセイバーであった。その呟きにギルガメッシュは眉を上げると、我がそうしても良いと思ったからだ、とつまらなさそうに言葉を零した。
「……で、増えたのか」
呆れたようにアーチャーが言ったのは、赤王だけではなく、英雄王も当然のように食卓についていたからであろう。
「メシ使いが文句を垂れるな。それしか能がないのだ、有難く献上しろ」
「赤王!それは私の唐揚げです!」
「いや!余が先に目をつけたのだ!」
「待て!我のエビチリはどこへ行ったのだ!」
「「早い者勝ち!」」
何故かセイバーまで食卓について、アーチャーの作った夜食をモリモリと食べている。それを呆れたようにランサーは眺め、凛は苦笑する。アーチャーは仕方がなく追加を作り続ける訳なのだが、明日の朝に家主である衛宮士郎が空の冷蔵庫を眺めて呆然とする姿が目に浮かんで思わず、今からでも買い足した方がいいのかと大真面目に悩んだ。冬木の虎がしょっぱい朝ごはんに大暴れするのが目に浮かぶ。
「……凛。食材の買い足しに行ってくる」
「待て!パシリなどそこの駄犬にさせておけ!エビチリをもう一度作れ!」
「余は肉団子がいい!」
「白米はまだありますか?」
「はいはい。俺が行ってくっから。メモ作ってくれ」
仕方がないと言うようにランサーが立ち上がると、近所の24時間スーパーに行く為に上着を羽織る。
「ごめんね、ランサー」
「いいって。それよか、この家のエンゲル係数は心配だわ。奏者が小食だといいな」
「全くよね」
凛が玄関まで見送ると、ランサーは瞳を細めて笑う。
その嬉しそうな顔に凛は首を傾げた。
「?」
「冬木できっと嬢ちゃんとの縁ができたんだろうな」
「え?」
「ムーンセルで俺を呼んでくれてサンキュウ」
「……別に私が呼んだ訳じゃないわよ」
それは別のトオサカリンだ。それは分かっていたが、ランサーが余りにも嬉しそうな顔をするので、凛は恥ずかしそうに顔を背けた。
「さっさと行ってくれランサー!」
悲鳴の様なアーチャーの声を聞いて、ランサーは片手を上げて衛宮邸を後にした。
士郎たちの準備した部屋であったが、赤王が奏者の傍から動かないので、凛が再度部屋に方陣を張り直し奏者ごと移動をした。ともかく魔力不足は時間で解決する他なく、一同は己の寝室へ引き返してゆく。
そんな中、赤王は先程より顔色の良くなった奏者の手を握り、ずっと傍に座り込んでいた。
「……奏者……余を置いて行くな。まだ何も終わっていはいない」
呟くような赤王の声。
その声を部屋の外で拾った英雄王は、つまらなさそうに眉を顰め踵を返す。
助けるつもりなどなかった。けれど、ゆるゆると死に至る奏者の姿と、それを引きとめようと足掻く赤王の姿が、英雄王の古い記憶を揺り動かした。
嘗て理不尽な神の呪いを受けて死に至った友がいた。
それを何とか引きとめようと足掻き、そして結局何一つしてやれなかった己がいた。
「……くだらん」
そして永遠を手に入れようと長い旅路に出たが、結局永遠を手放し英雄王は座に至った。その決断に後悔はない。かのローマの暴君は、己の愛で全てを焼き尽くしてしまった。愛した家臣も、愛した市民も、暴君の愛に耐えられず、結局その愛は暴君自身を殺した。
失う事の怖さをよく知っていたのは暴君も英雄王も同じであろう。
永遠など存在しない。
人とはその生命を燃やして生きるから愚かで美しい。
「せいぜい暴君の愛を受け止め続けろ。奏者とやら」
たった一人だけの己の理解者。唯一【友】と呼べる存在であった彼の人の事をぼんやり思い出し、英雄王は己の寝床へ戻っていった。
「そうなの。セイバーちゃんの親戚!ゆっくりしていってね!」
ごきげんな冬木の虎は、赤王を見てうんうんと納得したように頷いた。流石にあの赤いドレスは目立つだろうと、予備のセイバーの服を着て一応朝食の場にでたのだが、サラリと大河が納得したので、一同ほっとする。
「世話になる」
「折角だから観光とかしていけば?なんにもないけど。お友達の方はまだ寝てるの?」
「時差と気候で体調崩したみたいなんです先生」
慌ててフォローするように凛が言うと、そっかー、大変だね、とモリモリと大河は朝ごはんを口に運んだ。
「酷いようだったら病院行くんだぞ」
「気遣い感謝する、タイガ」
赤王の言葉に大河はうんうん、と頷くと、ごちそうさまー、と手を合わせた。
「それじゃ朝練あるから」
「あ、私も一緒に行きます!」
大河が立ち上がると、食器を抱えて桜も急いで準備をする。それをのんびり眺めながら、士郎と凛はお茶を飲み、赤王を眺める。彼女はまだ食べ足りないのか、アーチャーの作った朝食をモリモリ食べている。そもそも奏者が魔力不足なので、悪いことではない。寧ろ、少しでも奏者に魔力を送ろうと頑張っているのかもしれない。
「片付けは任せていいかしら」
「構わんよ。凛も遅刻しないように」
「はーい」
アーチャーに後片付けを任せると、凛と士郎も漸く登校の準備をはじめる。それを眺めながら、セイバーは遠慮がちに口を開いた。
「リン」
「何?」
「奏者が目を覚ました場合は連絡をした方がいいですか?」
「一応お願い。あと、念の為にランサー辺りに昼間はここにいるように言っておいて。まぁ、何事もないとは思うけど、イレギュラーなこと起こりすぎてるから」
「はい」
「あと、市内を赤王一人で歩かせないこと。トラブル厳禁ね」
「心配せずとも余は奏者のそばを離れん」
会話が聞こえていたのか、赤王が声を上げたので、凛は苦笑して、はいはい、と返事をする。
「それじゃ、後は宜しく。夕方にはイリヤとキャスターも来ると思うから」
「待て凛!それは夕食を食べるということか!?」
「キャスターはわからないけど、イリヤは食べるんじゃない?」
その言葉にアーチャーは頭を抱えて、諒解した、と短く返事をする。
凛と士郎を見送ったセイバーは、さて、と台所へほてほてと向かう。それをお茶を飲みながら眺めていた赤王であったが、立ち上がり同じように台所へ向かう。
「……何だね?」
「昨晩も思ったのだが、中々の美味であった。褒めて使わす」
胸を張ってそう言った赤王を眺め、アーチャーは少しだけ笑うと、光栄だな、と言葉を零した。
「なに、謙遜する事はない!是非余の奏者にも食べさせてやりたい!」
瞳をキラキラと輝かせてそういった赤王を眺め、セイバーは、口元を緩めた。本来警戒するべき相手なのだが、奏者に対する愛情が痛いほど感じられて微笑ましかったのだ。きっといい主従だったのだろう。
「……ここは良い所だな」
ポツリと声を落として赤王が言葉を零したので、アーチャーとセイバーは驚いたように彼女を見つめた。
「ムーンセルは作られた箱庭であった。空も、海も、戦場も……。確かにそれはそれで完成された美しさはあったが、余はあまり好きではない」
演算器が創りだした箱庭。それしか知らない奏者。それを思うと赤王は胸が痛かった。
「世界はこんなにも美しいのに、何一つ奏者はそれを見ることなく消えなければならない。余は……多分余が悪かったのだ。奏者に余の愛した世界を見て欲しいと思ったから……」
懺悔するように項垂れ赤王はそう言葉を零した。本来サーヴァントの願いを叶えるはずのない演算器。それの齎した奇跡なのだというのなら、きっと聖杯が己の願いを拾ってしまったのだろう、赤王はそう考えたのだ。
「そのせいで奏者を危険に晒した」
「……貴方のマスターは回復します。ですからその後にゆっくり貴方の愛した世界を見てもらえばいい」
今にも泣き出しそうな赤王を慰めるようにセイバーは言葉を放った。暴君であったのだろう。その愛で数多の者たちを滅ぼしてきたのだろう。けれどそれ以外の愛し方を彼女はきっと知らなかった。騎士王として歩むすべしか知らなかった己と同じように。そうセイバーは思い、瞳を細めた。
「リンがきっと帰る方法を考えてくれます。それまでゆっくりして下さい」
「セイバー……そなたはイイヤツだな」
赤王の言葉にセイバーは驚いたような顔をしたが、恥ずかしそうに顔を背けた。
「シロウが貴方達を保護すると決めたのです。私に異論はありません」
照れたような言い訳に、思わずアーチャーは咽喉で笑う。それが不服だったのか、セイバーは言葉を放った。
「アーチャー!」
「いや、すまない。そうだな。マスターの決めたことに異論はない。最悪、宝石剣でも何でも投影して君達を月へ返そう」
「……うむ。余はセイバーもアーチャーも気に入ったぞ。奏者の次だがな!」
胸を張ってそういう赤王に、思わずセイバーとアーチャーは瞳を細めて笑った。
その後赤王は奏者の傍につきっきりで部屋に篭り、セイバーはアーチャーと二人衛宮邸の家事に勤しんだ。
「アーチャー」
「何だね」
「実際問題……何故彼女たちが冬木に来たのだと思いますか?」
セイバーの問にアーチャーは少しだけ沈黙したが、困ったように笑った。
「なんせ奇跡のオンパレードだ。想像もつかんよ」
赤王の言うように月の聖杯が齎した奇跡なのか、冬木の大聖杯が呼び込んだのか、虎聖杯が呼んだのか。心当たりがありすぎて皆頭を抱えるばかりであった。一応キャスターやイリヤスフィールにも晩のうちに凛は事情を話、連絡は入れてはいるが、彼女たちをもってしても恐らくそう簡単には理由を判明させる事は出来ないであろう。
「ただ……そうだな……」
「?」
「きっと彼女達がこの地に来たことには意味があるのだろう」
それは冬木に住まう者たちに対してなのか、彼女達に対してなのかはアーチャーにも解らなかった。けれど、何かしら成し遂げれば彼女達は彼女達の世界に帰れるような、漠然とした感覚がアーチャーにはあったのだ。
「よう。朝飯終わっちまったか?」
ひょっこり顔を出したランサーにアーチャーは顔を顰めたが、セイバーは生真面目に今日は学校がありますから、と返事をした。休みの日ならばともかく、平日の衛宮邸の朝食は早い。
「ちぇ。そんじゃ昼飯でいいわ。赤王は?」
「奏者の所です」
「そんじゃ顔出すか」
ランサーが移動する後からセイバーはほてほてとついて行く。そして口を開いた。
「ライダーは……見かけませんでしたか?」
「あー。なんかチャリで市内巡回してるみてぇだな。アーチャーが赤王の魔力補給やってっから、冬木自警市民って事で」
その言葉にセイバーは思わず吹き出した。普段ならば冬木を巡回しているのはアーチャーの役目である。他に異常が起こったとしても、ライダーの機動力ならば直ぐに他の面々に知らせることができるだろうと考えると妥当な人選である。恐らく魔力的な異常に関してはキャスターが引き受けているのだろう。
「入んぞ」
一応声をかけてランサーとセイバーは赤王と奏者に用意された部屋に入る。布団に横たわる少女の顔色は昨日より幾分良くなっており、二人はホッとしたような表情を作った。
「おお、ランサーか」
ムーンセルにいたランサーとは別だとは解っているが、知った顔なだけ気安いのだろう、赤王は僅かに顔を綻ばせる。
「どーだ、嬢ちゃんの様子は」
「今朝方リンに聞いた話だと、余と奏者がこの世界に馴染んできたようだな」
「馴染む……ですか?」
赤王の言葉にセイバーが怪訝そうに言葉を返すと、赤王は大きく頷き、英雄王のお陰だ、と零す。
そもそも奏者の魔術回路は根本的にこの世界で構築された魔術回路とは異なっている。なので、凛の張った方陣からは余り多くは魔力を供給できないらしく、赤王からのパス接続で殆ど賄っている状態なのだ。そんな中、ギルガメッシュが赤王経由で魔力を供給したことで、それが呼び水となり、随分魔力が補充しやすい状態になったらしい。
「……もっとも、英雄王がそこまで考えていたかどうか解らんと言っておったがな」
付け加えられた言葉に、ランサーは咽喉で笑ったが、セイバーは大真面目な顔をして、アレの気まぐれです、と断言した。
その発言に赤王は怪訝そうな顔をしたが、ランサーが笑いながら口を開く。
「うちの成金王子はセイバーに嫌われてっからな。けどな、アイツもアイツで思うところがあんだろ」
フォローするような発言にセイバーは僅かに眉を上げただけであったが、ランサーは瞳を細めて笑った。あの英雄王が、赤王と奏者を気にかけていたのをランサーは知っていたし、現に今朝方も、死んでいないか見てこい、と酷い言いようであったがランサーは追い立てるように教会から追い出したのだ。
きっと何か彼の心に止まるものがあったのだろう。
「……ん……」
僅かに聞こえた声を拾い、赤王は慌てたように眠る少女に視線を落とした。
「奏者?」
「……セイバー?」
長く開けられなかった瞳がうっすら開き、奏者は手を伸ばすと赤王の頬を指先で撫でた。
「ここは?」
不思議そうに奏者が言葉を零したので、ランサーが口を開こうとしたが、それは赤王の声によって遮られた。
「奏者!大丈夫か!痛いところはないか!?気分はどうだ!?」
「え?え?」
キョトンとしたような顔をしてゆっくりと体を起こした奏者であったが、赤王が抱きつきまた倒れ込みそうになる。
「余に心配をかけるな!馬鹿者!いや、奏者を守れなかった余が悪いのだ!」
自分でも何を言っているのか解らなくなっているのであろう赤王に、奏者は驚いたような顔をするが、子供をあやすように優しく背中を撫でる。
「大丈夫。大丈夫だよセイバー」
安心したのか、ボロボロと涙を零す赤王をあやしながら、奏者は部屋を見回した。見覚えのない部屋であったが、知った顔を見つけて安心したのか淡く微笑んだ。
「リンの部屋?」
あぁ、彼女もまた間違えているのだ、そう感じたランサーは、苦笑しながら首を振る。
「冬木の衛宮邸だ。初めまして、奏者。名前聞いてもいいか?」
ランサーに初めましてと言われ、困惑したような顔を見せた奏者であったが、しゃくりあげながら赤王は口を開いた。
「このランサーは余達の知るランサーではないのだ」
「え?」
そう言うと、赤王は今自分たちはムーンセルにはいないことや、平行世界の冬木の街にいること等を途切れ途切れに説明する。それに驚いたり、困惑した様な表情を作った奏者だったが、概ね理解できたのか大きく頷くと、改めてランサーとセイバーに向かい合い微笑みを零した。
「初めまして、岸波白野といいます。私達を助けてくれて有難うございました」
丁寧に頭を下げて名乗る奏者……岸波白野に、ランサーとセイバーはホッとしたような表情を作った。赤王に関しては実際に話をしてみて、マスターである白野さえ守れればさほど害はないと分かっていたが、肝心のマスターが性格破綻者である可能性も捨てきれてはいなかったのだ。そのために凛は三大騎士クラスの面子を衛宮邸に集めていた。
「まぁ、さっき赤王が説明してたけどよ、俺はムーンセルのランサーとは違うし、リン嬢ちゃんもアンタの知るトオサカリンは違う。けど、まぁ、今ん所お前さん達の事はリン嬢ちゃんが保護する方向で動いてっから安心してくれ」
「赤王?」
ランサーの言葉に白野が首をかしげると、赤王が不本意そうに返答した。
「うむ。冬木には先にに冬木の聖杯に呼ばれたセイバーがいるのだ。紛らわしいと言うことで仕方なく余は赤王と名乗っておる。もっとも、真名は晒してしまったがな……その……すまぬ」
ションボリとした赤王を眺め、白野は微笑むと、いいのよ、と彼女を優しく抱いた。
「一人で頑張ってくれたんだね。有難うセイバー」
「うむ。奏者の為だ!」
それを眺めながらセイバーは、いい主従ですね、と言葉を零した。
「貴方がここのセイバー?」
「初めまして。その……具合はどうですか?食事が取れそうならアーチャーに何か作ってもらいますが。リンの話では貴方の魔術回路では十分に魔力補充がしにくいようですので、食事で補充が手っ取り早いと思うのですが」
そう言われ、白野は恥ずかしそうに、お願いします、と顔を伏せて言葉を零す。起きて早々食事をというのも恥ずかしかったのだろう。しかし赤王は満足気に笑うと、アーチャーの食事はとても美味だ!きっと奏者も気に入る!と上機嫌に言葉を放つ。
「ではアーチャーに伝えておきます。そうですね。少し落ち着いたら居間に来て下さい」
赤王と白野も話したいことがあるだろう、そう気を使うようにセイバーが立ち上がったので、ランサーもそれについて部屋を出た。
「リン嬢ちゃんに連絡しとくか」
「お願いします。私はアーチャーに食事の準備を頼んできます」
部屋の前でランサーが携帯電話を出すと、セイバーはほてほてと掃除をしているであろうアーチャーの元に足を運んだ。
そしてランサーはそのまま携帯電話でメールを送る。一応メールを見るぐらいはできると聞いていたが、念の為に衛宮士郎にも同じ内容を送信し、ランサーはそのまま中の様子を伺った。念のための監視である。
「ま、大丈夫そうではあっけどな」
良いサーヴァントであるから、良いマスターであるとは限らないし、逆もしかりである。己の性格破綻者であるマスターを思い浮かべながら、ランサーは気配を殺し、赤王と白野の監視を続けた。
夕方に来ると言っていたキャスターとイリヤスフィールであったが、白野が赤王と共に居間に移動した時には既に衛宮邸に来ており、その人数の多さに白野は不安そうな表情を見せた。
「心配しないで。リンが保護するって言ったんだから無茶はしないわ」
イリヤの言葉に白野は少しだけホッとしたような顔をする。
「食事をしながら話は可能かね、イリヤスフィール」
「そうね、ご飯は食べておいたほうがいいわ。この子も赤王も冬木の聖杯とつながってないから現界するのに魔力がものすごく必要だもの」
「そーなのか?」
ランサーの言葉にイリヤは大きく頷くと、さっきキャスターと大聖杯を見に行ったの、と言葉を続けた。
「結論から言うと、マスターだけど、サーヴァントに近い存在なの。完璧に受肉しているわけじゃない。しかも大聖杯のバックアップもない。魔力不足なのは多分限界維持に馬鹿みたいに魔力喰ってるせいだわ。サーヴァント一騎使役するのだって、大聖杯のバックアップがないと大変なのは貴方達でも分かるでしょ」
白野に雑炊の入った碗を渡しながら、アーチャーは僅かに眉を寄せた。
「では冬木の聖杯が呼んだ訳ではないのか?」
「多分ね。少なくとも通ってないんじゃないかしら。リンの言ってた、ムーンセルっていう聖杯のほうがこの世界にアクセスして二人を放り込んだんだと思う。そうなると、こっちから向こうに帰る方法が難しいんだけどね」
「何!?余と奏者は帰れないのか!?」
白野の為に作られた食事とは別に、昼食として準備されたおかずを食べながら赤王が言うと、イリヤはちらりとキャスターに視線を送った。するとキャスターは重々しく口を開く。
「昨日の段階で聖杯は全く通常通り。これは私が保証するわ。そして貴方達はね、空から降ってきたの」
キャスターの言葉に一同ぽかんと口を開ける。大聖杯は寺の地下に存在するのでキャスターが半ば監視をしている状態なのだが、空から振ってきたと言う意味が解らなかったのだろう。
「……魔力が急激に高まったのは私も把握してたの。それで、監視がてらに使い魔を飛ばしてたんだけど……そうね、嘗て第四次聖杯戦争があった広場にこの子たちは落ちてきたのよ。その後は……まぁ、うちの魔力狙って寺に来たんでしょうけど」
「うむ。その節は済まなかった」
大真面目に謝罪した赤王を眺め、キャスターはその堂々とした悪びれない姿に呆れたような顔をしたが、未遂だからいいけど、と言葉を添えた。
「衛宮邸にこの子たちをお嬢ちゃんが回収した後も、一応街の監視はしてたけど異常はなかったわ。それは現在も」
「つーことは、アレか?こいつらが落ちてきたであろう穴は塞がっちまったのか?」
首をかしげたランサーにキャスターは頷く。恐らく用意周到な彼女のことであろう、念の為に広場の辺りは既に調べたと見て良い。
「……帰れないんですか?」
途方に暮れたような白野の表情に、慌てたように赤王は口を開いた。
「いや!リンが何とかすると言ってくれた!何とかの剣と言う方法もあるらしい!」
「宝石剣?」
「そう!それだ!」
イリヤの言葉に赤王はぱぁっと表情を輝かせたが、イリヤが逆に表情を曇らせる。
「アーチャーに投影させるの?可能?」
「投影自体は可能ではある。しかしどこの世界をこじ開けるかは正直わからない」
「でしょうね。まぁ、アインツベルンは第二魔法は専門外だけど何か参考になる資料がないか調べておくわ。キャスターには冬木の街の監視をお願いすることになるけど」
「分かったわ。まぁ、付き合う義務はないけど、また襲われちゃかなわないし」
面倒くさそうではあったが、キャスターが諒解したのを確認して、イリヤは笑顔を零し、アーチャーに視線を送った。
「リンにそう伝えておいて。あと、おかわり」
差し出された空の茶碗を見て、アーチャーは苦笑すると台所に引っ込んでいく。
「あの、色々ご迷惑をお掛けします」
ペコリと頭を下げた白野に、キャスターは視線を送ると、それはそうと……と口を開いた。
「貴方暫くここに滞在するの?着替えとか準備してる?」
女性らしい配慮にランサーは驚きの顔を見せるが、実際問題、赤王に関してはセイバーの服を着せてごまかしてはいるが昨日の今日で準備などは全くしていない状態であった。
返答に困っている白野に代わりに、セイバーが口を開いた。
「いえ。そこまで頭が回っていませんでした。午後からでも調達してきます」
「……まぁ、調達もいいけど、とりあえずの分は一応準備してきたわ。男共はともかく、何でこういうところに頭がまわらないのかしらね……」
若干呆れたようなキャスターの言葉に、セイバーは面目ないと言うような表情を作ったが、イリヤにおかわりを渡しながらアーチャーが口を開いた。
「いざとなれば私が投影すると言う方法もあるしな」
「そりゃそうでしょうけど。とりあえずはい」
ポンとキャスターが大きめの鞄を白野に渡す。てっきり何か資料でも入っているのかと思っていたが、中には下着を含めた可愛らしい服がパンパンに詰まっていた。
「……おおう。趣味全開だなオイ……」
「煩いわね駄犬。家にあったのを持ってきたのよ。セイバーも気に入ったのがあれば着てもいいのよ」
「お断りします」
瞬殺されて些かキャスターは残念そうな顔をしたが、白野が嬉しそうに礼を言ったので機嫌を直したのか、食後のお茶をすすりながら笑って口を開いた。
「洗濯方法はアーチャーがいるから大丈夫でしょう」
「……何!?そんなに面倒な服なのか!?」
慌てた様にアーチャーが鞄を覗きこむと、飾りのついた服やら、レースのついた服やらも混じっている。間違いなく手間暇かかること請け合いであろう。
「あの、アーチャー……」
「あぁ、構わんよ。服を準備出来なかったのはこちらの不手際だ。君が気にすることはない」
申し訳なさそうな顔をした白野にアーチャーはそう言い放つと、赤王の趣味にはあうのかね?と確認するように言う。
「うむ。余はあまり女性らしい服装は好まんがこの際わがままは言うまい」
その言葉にランサーもセイバーも、え?っと言うような顔をする。一番最初に着ていたあの服は何だったのだと思ったのだろう。しかし赤王は満足気に鞄の中を覗きこむと、きっと奏者には似合う!と嬉しそうに笑った。
「……アーチャー。一応カード渡しておくわ。ただし全部あの赤王が欲しがるものを買わないこと。浪費で国を傾かせた王だからね」
「諒解した。感謝する」
彼女達の滞在費はアインツベルンが見てくれるということだろう。財政の厳しい遠坂家としてありがたい。そう考えてアーチャーは素直にイリヤの好意を受け取った。滞在費も食費を追加すればバカにならないであろう。白野はどちらかと言えば小食な様子であるが、魔力の維持には食事と睡眠が手っ取り早い事を考えればそうも言ってられない。
「それじゃ私は帰るわ。赤王とハクノは市内を歩き回る時は誰か連れて歩くこと。リンにも注意されてるでしょうけどこれだけは約束して」
「うむ。分かった」
こくこくと頷いた赤王と白野の満足そうに眺めると、イリヤはキャスターと連れ立って衛宮邸を後にした。てっきり凛が戻るまでいるのだと思われていたが、彼女達は彼女達で話は済んだので自分の役割を果すつもりなのだろう。
「そんじゃとりあえず飯喰ったしどうする?赤王はともかく、ハクノ嬢ちゃんはゆっくりしてた方がいいだろうけどよ」
「湯浴みがしたい!」
「風呂か?」
赤王が元気よくそう言ったので、ランサーはアーチャーに視線を送る。
「諒解した」
「では私が準備してきます。アーチャーは台所の方の片付けをお願いします」
立ち上がろうとしたアーチャーを制してセイバーが言い放ったので、アーチャーは肩を竦めて、では頼む、と短く言う。
「すみません。何から何まで」
「いいって。家事なんざアーチャーの趣味みてぇなもんだしな」
「ランサー!」
台所から飛んだアーチャーの声にランサーは咽喉で笑うと、瞳を細めた。
「……で、お風呂に二人で入って、アーチャーのおやつ食べて、仲良くお昼寝ね……」
学校から帰った凛は呆れたように部屋でくーくーと寝息を立てて仲良く寝ている主従に視線を落とした。イリヤの話では現界に魔力を大きく割かれているのだからしかたがないといえばしかたがないのだが、余りにも無防備で呆れるしかない。こちらが彼女達を警戒していたように、向こうも警戒してしかるべきだというのに、信頼しきっているのだろう。
アーチャー達の報告を聞いて、凛は居間でお茶を飲みながら、眉間に皺を寄せた。
「けど、うちの聖杯が関与してないのは拙いわね……どうやって向こうにアクセスしようかしら……」
頭を抱えるように凛が呟いたので、桜は首をかしげた。
「やっぱり難しいですか?」
「平行世界て山ほどあるのよ。一旦こっちの聖杯を経由してくれてれば、イリヤ辺りに魔力辿って貰うのもできたんだけど、キャスターの話だと空から降ってきたんでしょ?明らかに月の聖杯経由よね……」
うがー!と今にも爆発しそうな凛を眺め、士郎は宥めるように言葉を放った。
「とりあえずは現状維持ってことだろ?」
「まぁね……しっかし困ったわ……」
うんうん唸る凛であるが、考えた所でいい案が浮かぶわけではない。仕方がないと言うように凛は立ち上がり、一回家に帰るわ、と言葉を零した。
「資料を漁るのかね?」
「とりあえず。アインツベルンの方も漁ってるだろうし。夜にまた来るわ。白野と話もしたいし」
何か彼女達の記憶に手がかりがあるかもしれないと思ったのだろう。その言葉に士郎と桜は頷く。
「アーチャーは連れて帰るけど……ランサーは残れる?」
「え?そりゃ構わねーけどセイバーだけでもいいんじゃね?」
その言葉に凛は小さく首を振った。
「うん。そうなんだけど、知った顔があった方が赤王も白野も安心するでしょ?まぁ、ムーンセルのランサーとは違うんだろうけど」
見ず知らずの土地に二人で飛ばされて不安もあるだろう。凛の気遣いを汲むように、ランサーは、りょーかい、と短く返答をする。実際白野も意識が戻った時はランサーに声をかけたし、その後も赤王以外だとランサーに声をかけることが多い。
「それじゃ、よろしくね」
そう言うと赤い主従は衛宮邸を後にして、遠坂邸へと急いだ。
「生き延びたか。存外しぶとい」
「……英雄王か。奏者を助けてくれたこと礼を言う」
部屋を不意に訪れた英雄王に気が付き、赤王は白野を起こさないように気を使いながら体を起こした。礼を言われたことに意外そうな顔をしたギルガメッシュであるが、僅かに赤い瞳を細める。
「ほんの僅か命を永らえただけであろう」
「そうだな……ムーンセルに帰れば奏者は消える。それは違えようがない。だからといって、今、この場所で死んで良い道理はない」
「……違いない」
咽喉で笑ったギルガメッシュを眺め、赤王は首を傾げた。
「奏者が気に入ったのか?これは余のだ!渡さんぞ!」
「雑種に興味はない……それにソレは貴様を愛を受け止める以外に能が無い」
その言葉に赤王は僅かに眉を寄せたが、哀しそうに笑った。
「余の唯一の理解者だ。余の愛を受け止めてくれるのは奏者だけ……そうだな……そして余はまた愛したモノを滅ぼす」
全てを滅ぼした暴君。愛した物は全て失った。そしてまた、今も失おうとしている。聖杯戦争に勝ち残ったというのに消え去るしか未来のなかった奏者。彼女はそれが酷く哀しかった。
「けれど……永遠に余は興味はない。消え去る瞬間まで輝き続けるであろう奏者の魂を……我が胸に刻むつもりだ」
その様子を眺め、ギルガメッシュは口元を歪めた。余りにも滑稽な戯曲だと。けれど、都合よく機械仕掛の神が全てを解決してくれる脚本でもない。足掻き、嘆き、血を吐くような決断とともに終わる悲劇。
「下らん戯曲だな……だが、人はそれでこそ愚かで美しい」
ギルガメッシュの言葉に赤王は瞳を細めた。きっと己と彼は見ている世界は違うのだろう。けれど、赤王は人が好きだった。そして、英雄王も人の愛おしさを理解する者であった。
「うむ。美しいものに対して誰かと共感できるというのは存外気分がいい」
「……共感した覚えはない」
不快そうにギルガメッシュは顔を顰めたが、赤王は気にする様子もなく、嬉しそうに笑った。
「あの……例えば私達が現界できなくなったらムーンセルに帰れる……という可能性は……」
遠坂邸の資料を漁ったがめぼしい物は見つからず項垂れて帰ってきた凛は白野と初めて対面した。ムーンセルのトオサカリンと余程似ているのだろう、彼女は赤王と同じように驚いたような顔をしたが、凛の話を素直に聞いていた。
「ゼロではないけど、試すリスクが高いわ」
凛の言葉にしゅんとした顔をしたが、白野は赤王に慰められ淡く微笑んだ。
「とりあえず貴方達は決勝戦は確実に勝ち上がって聖杯を手に入れる権利は手に入れたのね」
「はい」
残念ながら白野もここへ来た直前の記憶は赤王同様あやふやのようであった。しかし一つだけ収穫もあった。それはムーンセルのトオサカリンの存在である。
途中敗退して聖杯へ至る権利は失ったが、トオサカリンは彼女達が冬木に直前まで確実にまだムーンセルに存在していたらしい。
「そんじゃ、あれか?月のリン嬢ちゃんからアクセスがある可能性があんのか?」
「……私なら……多分赤王と白野を探すわ。どれだけ私に似てるかわからないけど、話を聞いた限りでは放っておくって事はないと思う。ましてや自分の地上帰還がかかってるんですもの」
ランサーの言葉に同意するように凛が言葉を続けた。すると、赤王と白野がほっとしたような表情を漸く浮かべる。
「そうだな!リンなら奏者を放置することもない!」
余程信頼しているのだろう、胸をはって赤王が言ったので凛は思わず苦笑する。
「まぁ、貴方達が落ちてきた様な現象があればキャスターが多分気がつくし、私達も注意しておくから。貴方達は現界維持に気をつけておいて」
こくこくと頷く白野と赤王は、士郎と桜の作ったご飯を美味しく食べている。凛の方はアーチャーの淹れた紅茶を飲みながら、己のサーヴァントにため息混じりに言葉を零した。
「宝石剣。多分投影して貰うことになるわ。向こうからのアクセスがあった時にこじ開ける形になると思う」
「了解した」
宝石剣の投影は恐らくアーチャーの負荷が高いだろう。正直に言うと凛は気が進まなかったが、どうということないというようにアーチャーは返事をし、おかわりは?と彼女に言葉を落とす。
「貰うわ」
新たに淹れられた琥珀色の液体を眺め、凛は瞳を伏せた。その様子に赤王は首を傾げて、どうした?と声をかける。
「うん。あんまり力になれなくてごめんね」
「何を言う!こうやってリンは余や奏者を保護しているではないか!」
驚いたように赤王が声を上げたので、白野も慌てて頷いた。そもそも管理者だからと言えここまで面倒を見る義務などないはずだ。それは二人にも理解できていた。あくまで好意の上なのだと。
衛宮邸を提供してくれている士郎も、細々と面倒を見てくれている桜も、他のサーヴァントもだ。
「余は奏者と落とされたのがこの街で良かったと思っているぞ。ここは良い所だ!……その……そなたらには面倒ごとやもしれぬが、奏者も余も無事だったのはここだったからだ」
必死に言う赤王に思わず凛は微笑みを零した。傲慢な王であったかも知れない。暴君であったかもしれない。けれど彼女は奏者を愛し、そして己を知っている。
「……そう言ってもらえると嬉しいわ」
凛の言葉に安堵したように赤王は笑い、これからもよろしく頼む、と胸を張って言葉を放った。
一週間も過ぎると冬木の街に馴染んでくる赤王と白野。何とか現界維持の魔力を保つこともできるようになり、最近はバイトの合間に顔を出すランサーについていって釣りを眺めたり、セイバーとバイキングに繰り出したりと穏やかな日常を送っている。
しかしながら、今だに月の聖杯に帰る方法は解らず、イリヤや凛は頭を悩ませるハメになる。
そんな中、アーチャーは赤王と白野の落ちてきたという広場で月を眺めていた。
第四次聖杯戦争で聖杯が呼ばれた場所。そして己が衛宮切嗣に出会った場所。
「……聖杯か……」
十年経ったが今だにこの場所は夜になると人が少ない。彼女達がここに落ちてきたという事に意味があったのだろうかと思い来てみたがアーチャーは、空を見上げ、とある異常に眉間に皺を寄せた。
霊地の一つではあるし、嘗て聖杯が出現した場所である。
そして聖杯が出現したと同時に、おびただしい数の人が死に、自分は生き残った。既に擦り切れた記憶ではあるが、ここは【エミヤシロウ】が生まれた場所である。
聖杯の奇跡なのだろうか。それとも何か偶発的な事なのだろうか。
世界を超えるというのは、魔術師の端くれであったアーチャーにも容易でないこと位は理解できていたし、凛やイリヤ、稀代の魔女であるキャスターをもってしても月へ至る方法は今だに見つかっていない。そもそも、安易に出来ないからこそ、【第二魔法】と呼ばれているのだ。
瞳を閉じて、アーチャーは己の魔術回路を開いてゆく。順番に鉄槌を落とすように。
「投影開始」
イメージするのは宝石剣ゼルレッチ。それ自体は小さな穴を開けて、平行世界のマナを取り込むと言う程度の干渉能力しか持たず、人を通すことは出来ない。しかし、向こうからのアクセスがあれば、小さな穴がダムの決壊を招くように、大きな道となるだろう。
脳裏にちらつくのは、ノイズのかかった記憶。
赤い魔術師。そして、彼女の握る宝石剣。
ここではない、遠い世界の冬木の聖杯の前で戦う少女。
眼の奥が痛むような軋みと、胃の腑が捻れるような不快感は、その場所いたエミヤシロウのものだろうか。
どれくらい時間が経ったのか正確に把握出来なかったが、手に無事宝石剣を投影した彼は、その場に崩れるように膝をついた。
「ちょっと!大丈夫!?」
彼の耳に入ったのは、懐かしい声で、ぼんやりとその声の主の方へ彼は顔を向けた。心配そうに顔を覗き込む遠坂凛を視界に捉えて、彼はポツリと言葉を零した。
「……遠坂?」
驚いたような顔を凛は彼に向け、そして漸く彼が宝石剣を無理に投影した事に気がつく。本来設計図や材料を集めてから投影をさせるつもりだったのだ。それぐらいの準備をしなければ難しい。その段取りをすっ飛ばして、いきなり投影をした彼に凛は怒ったように口を開いた。
「何で勝手に投影したの!イリヤと私でちゃんと下準備するって言ったでしょ!」
「ごめん、遠坂。でもそれじゃきっと間に合わない……」
零れた言葉は、アーチャーではなく、別の誰かの口調に良く似ていて凛は困惑したような表情を作ったが、意を決したように、彼の唇に己の唇を重ねた。
ともかく魔力が今の彼には足りない。一気に己の魔力が彼に流れていくのを感じながら、凛は心の中で、宝石剣以外の方法を見つけられなかった己を責める。
彼があっさりと投影すると言い切ったのは、彼が一度投影したことがあるからだと凛は今漸く気が付いたのだ。
その過程で彼は恐らく、摩耗した記憶を一気に掘り起こされた。
それは恐らく彼にとっての瑕であったのだろう。
「……ん!?」
そんな事をぼんやりと考えていると、突然彼が貪るように口内に侵入してきたので、凛は思わず体を固くする。そして先程とは比べ物にならないほど大量に魔力を吸い上げられ、酸欠と魔力不足で意識が遠くなってくる。
慌てて体を引き剥がし、上目遣いで彼の顔を睨みつけると、呆けたようにアーチャーが凛の顔を眺めていた。
「凛?」
「……莫迦」
戻ってきた。それを確認した凛は、そう零すと、顔を真っ赤にしながら、勝手はしないで、と恨みがましく言葉を続けた。
「あー、すまない凛。少し呆けていた様だ」
「戻ったならいいわ。それに宝石剣も投影しちゃったなら仕方ないし……」
そう言うと、地面に落ちた宝石剣を凛は拾い上げ、確認をする。それをアーチャーは暫く眺めていたが、どうだね?と少し不安そうな声を零す。
「大丈夫よ。十分使えるわ。まぁ、向こうからのアクセスがあって初めて役に立つんでしょうけど」
凛の返答にホッとしたような表情をアーチャーが作ったのだが、凛は不機嫌そうに眉を寄せる。
「どうして間に合わないと思ったの?」
聞いていいのかどうか悩んだが、凛はあえて聞いてみることにした。そもそもあれはアーチャーの言葉だったのだろうか。それすらもわからないが、凛は黙ってアーチャーの返事を待つ。
「……蜘蛛の糸」
「え?」
「月から垂れる蜘蛛の糸が見えた。そのだな……それが何なのかよくは解らんのだが……」
はぁ?と思わず凛は間抜けな声を上げたが、アーチャー自体も困惑しているようで、困ったように眉を寄せた。今も見えるのだろうかと凛は月に視線を送ってみたが、それらしいものは見えなかったので、再度アーチャーに視線を送った。
「まだ地上には至ってない。けれどもうすぐだ」
キャスターからもイリヤからも異常の報告はなく、アーチャーだけが気が付いた月から垂れる蜘蛛の糸。それは嘗てこの世の全ての悪が昇った天の逆月を思わせたのだろう。
繰り返す四日間は、その可能性のピースをすべて埋めて崩壊した。
では今、赤王と白野は何かのピースを埋め続けているのだろうか。
そんな事を考え、凛は月を見上げて瞳を細めた。
「起きて!セイバー!」
惰眠を貪るセイバーを体を揺り動かす白野。本来なら無礼だと怒りだしても無理は無い所だが、赤王は眠そうに目を擦ると、既に白野が着替えている事に気が付き飛び起きた。
「しまった!」
今日は休日で、遠坂凛が一緒に出かけようと誘ってくれたのを唐突に思い出したセイバーは、慌てて着替えを手元に引き寄せる。しかし白野が着ている服を眺めると、別の服を引っ張りだしてもぞもぞと着替え出す。
「……?その服……」
白野が着ている服はキャスターが持ってきた服の中でも比較的シンプルなもので、肩の辺りに小さな茶色のリボンが付いており白野が気に入っているものであった。それとお揃いの服を赤王が引っ張りだしてきたのだ。リボンの色は赤い。
「どうだ奏者!キャスターに頼んで作ってもらったのだ。全部手製とは驚いたが、中々いいだろう」
「よく似合ってる」
嬉しそうに白野が微笑んだので、赤王は満足そうに頷く。先日キャスターの所に行った時に、強請って作ってもらったのだ。
「それじゃ行こうか、セイバー」
「そうだな!」
新都などは比較的人の少ない平日にランサーやセイバーが案内したと聞いていたので、凛は別の場所を案内しようと準備をしていた次第なのだが、その道半ば、赤王は悲鳴を上げる。
「足が痛い!」
「仕方ないわね」
呆れたように凛が零したが、白野も文句を言わないだけで長く山道を歩き続けて息は切れている。漸く凛が休憩を挟んでくれることに赤王は安堵し、足を止めると近くにある岩に腰を下ろす。
軽いハイキングコースに弁当持参でやってきた彼女達。荷物という荷物は全部アーチャーが持っているので楽なはずなのだが、山道を歩くこと自体に慣れていない赤王と白野は疲労困憊である。
けれど、秋も深まり紅葉がちらほら見える登山道は赤王の心を踊らせた。
「うむ。しかし景色は良いな!」
アーチャーから差し出されたお茶を飲みながら赤王は満足気に辺りを見まわす。新都も赤王には珍しかったが、この様な場所も赤王は嫌いじゃなかった。
「つまらないって言うかと思ったけど」
凛が言葉を零すと、赤王は意外そうな顔をする。
「余は美しいものは好きだ。新都も良かったが、自然の素晴らしさも愛でるぞ」
そういえば一緒に海に行った時も赤王は随分喜んだと白野は思い出し瞳を細めた。一緒に釣りをして、その日に士郎に釣った魚を料理して貰った。それはとても楽しく、また行きたいとぼんやりと白野は思い微笑んだ。
昼食までにもう少し開けた場所にと、凛が促すので、赤王は立ち上がり白野を見下ろした。
「大丈夫か?奏者?」
気遣う様な言葉に白野は微笑み、差し出された手を掴み立ち上がった。小さな赤王の手は温かく、そして力強い。いつも己を導いてくれていた手。
「有難うセイバー」
「うむ!」
満足気な赤王と白野を促すように、凛とアーチャーは先へ先へと進んでゆく。元々魔術師ではあるが体もがっつり鍛えている凛は山道もさほど苦ではないのだろうし、アーチャーも体力は十分の様子である。細身の己の体を眺め、むぅ、と赤王は不満気な声を漏らす。
「どうした?」
「うむ。アーチャーほどとは言わぬが、余も少し体力をつけたほうがよいかとも思ってな」
大真面目な赤王の言葉にアーチャーは苦笑すると、そもままでも十分だと思うがね、と言葉を零した。そもそも赤王はセイバーのカテゴリーに分類されているが、どちらかと言えばライダーやアサシンの適性の方が高いのだ。
すると、白野は首を振って口を開いた。
「今のままで十分だよセイバー。私はセイバーのお陰でずっと来れたし」
「奏者がそう言うなら……そうだな。余は余で十分だな!」
ぱぁっと表情を明るくした赤王。それとほぼ同時に、先を歩いていた凛が声を上げた。
「もう少しよ」
そう云われ、白野が駈け出したので、慌てて赤王もその後を追う。そしてたどり着いたのは広場で、既に幾つかのグループが弁当を広げている。それを眺めると、赤王はキリッとアーチャーを見上げ、弁当を催促した。
レジャーシートを敷いてそこに広げられた弁当を眺め、赤王はおおう!と感嘆の声を上げた。
魔力補給も兼ねているので、かなりの量が準備されている。早速箸をつけた赤王は、満足気に言葉を零す。
「うむ。いつも以上に美味だぞ!褒めてつかわす!」
「それは良かった」
アーチャーは苦笑しながら凛の小皿におかずを乗せる。それを受け取った凛は白野にも食べるように促した。
「うん」
色とりどりのおかずに、おにぎり。冷めても美味しいモノをセレクトしているのだろう、赤王はモリモリとおかずを平らげてゆく。そんな中、白野が赤王の小皿に一つ卵焼きを乗せた。それに驚いた赤王であったが、直ぐに口に運ぶ。
「うん。これも美味だ」
「ほんと?」
「嘘は言わぬ」
白野の弾んだ声に怪訝そうな顔を赤王はしたが、咽喉でアーチャーが笑い言葉を放った。
「それは君のマスターが作ったんだ。早起きしてな」
「何!?そうなのか!?」
驚いたような赤王の言葉に、白野は恥ずかしそうに笑うと、少し早起きしたの、と瞳を細めた。そういえば朝起きた時に白野は既に着替えて準備万端であった。それを思い出し、赤王は弁当に入っている卵焼きをまたつまむ。
確かにアーチャーが作るものとは味が違う。けれど、とても甘くて美味しい。
「うむ。そうか。その……余の為に作ったのか?」
「勿論!口にあって良かった」
自分の為に作ってくれた。それが嬉しかった赤王は、満面の笑みを浮かべてまた卵焼きをつまむ。やっぱり美味しい。いつだったか、白野の為にレニやトオサカリンが弁当を作ってきたことがあった。それは白野を思っての事だった筈だ。それと同じようにきっと白野が自分を思って作ってくれたのだろうと、赤王の顔は自然と緩む。
「ごきげんね、赤王」
「当然だ。この卵焼きは余のだ!」
凛の言葉に赤王が声を上げると、白野は恥ずかしそうに、もう、と笑った。その様子が微笑ましくて凛の表情もほころぶ。
こうやって穏やかな日常を送るのは心地よかった。沢山のモノを奏者と眺めて、一緒に触れて。ぬるま湯のような幸せな日々。赤王はそれを大事に胸に刻み、楽しそうに話をする凛と白野を横目に、アーチャーに言葉を放った。
「……感謝する。そうだな……最後にこんなに良き思いをさせてもらった」
「……」
その言葉にアーチャーは何も言葉を発する事はなかったが、赤王は瞳を細めて寂しそうに笑った。
「宝石剣は余が預かる。奏者には荷が重いだろう」
沈黙を守るアーチャーに、赤王は困ったように笑い、奏者は余を置いて帰るつもりなのだろう、と零す。そして、沈黙を肯定ととり、言葉を続けた。
「余は優しい者が好きだ。奏者はとても優しい。ここで余が一人でも現界し続けることができるなら……余を置いてゆくつもりなのだろう」
聖杯への権利は既に手に入れている。だからサーヴァントは本来なら必要はない。消えるのは自分だけでいいと白野は凛にそう数日前に話していたのだ。それを知らない赤王であったが、きっと奏者ならそうする、そう思い口を開いたのだ。
「けれど余は……奏者を一人では帰さない。その魂の輝きを最後まで魂に刻むつもりだ。アーチャー。お前なら解るであろう」
そう云われ、アーチャーは思わず苦笑する。恐らく同じ立場であっても、アーチャーは赤王と同じ選択をしただろう。そこを付かれると非常に痛い所である。
「セイバー!」
笑いながら赤王を呼ぶ白野に、彼女は笑って返事をした。
「なんだ?奏者」
本当に望んだのはどちらだったのだろうか。赤王が奏者と共に過ごす泡沫の日常を望んだのか、奏者が赤王と共に過ごす泡沫の日常を望んだのか。
そんな事を考えながら、アーチャーは空に浮かぶ白い月を見上げた。
一と零で作られた長い長い階段を手をつない登る。遠目からみれば月から垂れ下がる蜘蛛の糸のように見えただろう。
それは赤王と奏者の望みを埋めて織りなされた階段であった。
「……セイバー……貴方だけでも……」
「くどいぞ奏者。余は絶対についていく」
月を睨むように赤王は言い放ち、奏者の手をぎゅっと握った。反対の手には宝石剣。
キャスターの感知した魔力はやはり空で、一同途方に暮れたのだが、赤王は迷わず己が初めて降り立った場所に奏者とともにやってきた。そしてそこに佇んでいたのは、宝石剣を持ったアーチャー。きっと来るなら彼だろうと予想していた赤王は、微笑みを浮かべて彼から宝石剣を受け取った。理由は解らない。けれどきっと彼は月の聖杯と縁があるのだろう。ゆっくりと降りてきていたあの蜘蛛の糸に気がついていたのは、赤王と奏者の他には彼だけだったのだ。そして、赤王と奏者はお互いに蜘蛛の糸に関しては黙っていた。心のどこかで思い出を残したいと思っていたのだろう。あれが地上に至るまで、と口を閉ざしていたのだ。
そして蜘蛛の糸は地上に至り、光の階段となった。
泡沫の夢は終わったのだ。
「いい街であったな……」
「うん」
足元に広がるのは光の海。そして、遅れて集まった冬木の地で世話になった人々を眺め、赤王は瞳を細めた。
優しい人が好きだった。けれど滅ぼしてばかりだった。壊す前にこの地を去ることができて良かったと。
「セイバー」
「なんだ奏者」
「有難う。一緒に来てくれて」
置いてゆくつもりであったが、心細くないと言えば嘘になる。奏者はセイバーの手を握りしめて、笑う。
「余の愛は人には理解されぬ事が多かった」
「?」
首をかしげる奏者を眺め、淡く赤王は微笑み、歩き続ける。
「共に美しいものを美しいと思うのは実に嬉しいものだな。奏者と沢山のモノを共感できて良かった。どうだ?世界は美しいであろう?これが余の愛した世界だ。お前の生きた世界だ」
確かに地上にはもう奏者の肉体は存在しないのかも知れない。けれど、奏者は知らないだけで、地上で生まれて生きていたのだ。それをどうしても赤王は彼女に伝えたかった。
その言葉に奏者は驚いたように瞳を見開いたが、直ぐに微笑んで長い髪をかきあげた。
「最後まで……一緒にいてね」
「当然だ!」
胸を張って笑った赤王は、白い月に、その宝石剣を突き立てた。
「……ハッ、一に還る転生から帰還しただと」
白衣の男が愕然としたような表情を浮かべて地に這う赤いサーヴァントと、栗色の髪の娘を見下ろした。重い体を起こしながら、赤いセイバーは白衣の男の傍に控えるサーヴァントに視線を送り、口元を歪めた。
「成る程、慈悲深いという訳か。あのぬるま湯、悪くなかったぞ」
慈愛に満ちた微笑みを浮かべたまま、そのサーヴァントは言葉を発することなく二人を見つめる。
「セイバー?」
何が起こったのか解らないと言った表情を浮かべた奏者に、赤いセイバーは少しだけ考え込んだ後に、試すように口を開いた。
「世界は綺麗であったろう?我が奏者」
その言葉に奏者は驚いたような顔をして、赤いセイバーを眺めたが、立ち上がると大きく頷いた。
あの蜘蛛の糸を辿らなければあのぬるま湯の中にずっといれたのかもしれない。けれど、赤いセイバーと奏者は己が一番最初に選んだ道を違えることなく戻ってきた。
「……■■■■■!止めを!」
吠えるように声を上げた白衣の男を眺め、哀れだな、と零すと赤いセイバーは己の剣を構えた。
「セイバー!宝具開放を!」
「招き蕩う黄金劇場!」
展開されたのは豪華絢爛な劇場。空間そのものを覆い尽くすように展開された宝具に、白衣の男は顔色を変えたる。
「美しかろう?けれど、我が奏者の魂はもっと美しい。そして世界もな」
愛したものをすべて滅ぼした王。その暴君は己の鍛え上げた剣を振り下ろし、己の手で聖杯戦争の幕を下ろした。
一に還る転生を食らったらゲームオーバーです(笑)
20121026