*決戦日弐*

 遠坂邸で昼ごはんを食べていたセイバーは、食後のお茶を運んできたアーチャーに嬉しそうな顔を向けた。
「とても美味しかったです」
「それは良かった」
 食器を片付けながら返事をしたアーチャーの顔を眺め、セイバーは満足そうにコクコクと頷く。そして、思い出したように口を開いた。
「そう言えば、新都の公園で今日は何かやっているのですか?」
「臨海公園か?」
 アーチャーの言葉に、セイバーは、多分、と言い紅茶に口をつける。遠坂邸に来るまでにセイバーは散歩がてら海の方まで足を伸ばしたのだ。すると丁度撤収するランサーに会ったのだと言う。 
「海辺でイベントがあるから追い出されたそうです」
 そう云われ、アーチャーはカレンダーを眺め、あぁ、と短く言葉を零した。
「夜に花火だな。昼過ぎからは多分臨海公園に屋台が出るはずだ」
 町内会の掲示板にそんな事が書いてあったのを思い出し、アーチャーが返事をすると、セイバーは瞳を輝かせて口を開いた。
「花火と屋台ですか?」
「そうだ。確か今日だったと思うが。花火を見るために人が集まるからランサーは追い出されたのだろう」
 紅茶のおかわりを淹れながらアーチャーが言うと、セイバーはそわそわとしたような様子でアーチャーの方を見る。それに気がついたアーチャーは、どうした?と短く聞く。
「アーチャーは見に行かないのですか?」
「……セイバーは行きたいのか?」
 その言葉にセイバーはぱぁっと表情を明るくすると、コクコクと頷いた。
「では、凛が帰ってきたら声をかけておこう」
 まさかの返答にセイバーは唖然とした顔をしてアーチャーを見上げた。しかし、直ぐに思い直し、では私はランサーに声をかけておきます、と返答する。
「……何故ランサー?」
「Wデートと言うモノですね!前にサクラから借りた雑誌に載っていました!」
 ぐっと拳を握りしめて力説するセイバーを眺め、今度はアーチャーが唖然としたような顔をする。
「私も人数に入っているのか?」
「当然です。男女二名ずつだと書いてありました!」
 アーチャーは、どうせ行くのならば女性同士のほうが楽しかろうと凛の名前を上げたのだが、まさかセイバーがWデートと言い出すとは思わず、露骨に狼狽えたような表情をする。
「ちょっと待てセイバー……私は……」
「それでは早速ランサーに声をかけてきます!リンの方は頼みました!」
 アーチャーが止める間もなく、セイバーはごちそうさま、と言うとあっという間に遠坂邸を後にした。それを呆然と見送るアーチャー。
「なんでさ……」
 思わずアーチャーはエミヤシロウであった頃の口癖を零した。しかしながら、とりあえずリンには連絡をしておかなければならないと、アーチャーは食器を台所に運んで片付けてしまった後、携帯電話を取り出した。凛に関しては機械類がからっきし駄目なのでメールはなく、電話にした方がいいだろうと思いコールしようとするが、それと同時に玄関が開く。
「ただいまー」
「凛」
「お祭り行くんですって?」
「……え?」
「さっきそこでセイバーに会ったわよ。時間は勝手に6時にしたけど良かったかしら」
「その件なのだが凛……」
 セイバーと二人で行ってくれと言おうとするが、その前に凛は鞄をソファーに投げると、準備しないとね、とニコニコと笑顔をアーチャーに向ける。
「浴衣着ようと思うんだけど」
「あぁ、良いのではないか?」
「アンタも着るのよ」
 呆れたように凛が言うと、アーチャーは、え?っと露骨に狼狽えたような顔をする。
「いや、しかし……私の分の浴衣など……」
「大丈夫よ。お父様の浴衣あるし。ちょっと待ってて」
 さっさと準備を始めてしまった凛を眺めて、アーチャーは途方に暮れたような顔をしながら、彼女の後について部屋をでる。
 普段は余り使われていない、今は亡き先代遠坂家当主の部屋。
「あったあった」
 凛が引っ張りだしてきたのは臙脂色の浴衣。先代も赤色を好んだのか、と若干遠い目になったアーチャーであるが、凛はそれを彼に渡すと、笑って着方は解るわね?と確認するように言う。
「いや、私はそもそも……」
「セイバー楽しみにしてたわよ。アンタと出かけるの」
 そう言われると非常に辛いのだが、こほん、と小さく咳払いをすると、アーチャーは口を開いた。
「女性同士でのんびり行くほうが気を使わないのではないかね」
 その言葉に凛は、意地の悪い表情を作ると、へー、っと言葉を零す。
「……私とセイバー二人っきりで出かけて、ナンパとかされちゃっても気にならないんだ。女の子二人だもの。あるかもしれないわよねー」
「凛!」
「はいはい。護衛だと思って来なさい」
 帯もポンとアーチャーの持っている浴衣の上に乗せると、凛は、私も準備するから、とひらひらと手を振って自室へさっさと引っ込んでしまった。

「……アンタってどういうわけか、例の戦闘服以外あんまり似合わないわよね」
「自覚している」
 肌の色のせいか、髪の色のせいか普通の服はアーチャーに実は余り似合わない。浴衣も臙脂ならば大丈夫だと思ったのだが、凛に言わせれば微妙だと思ったのだろう。逆にランサーは何でもそこそこ似合うので不思議である。アロハを着こなすサーヴァント等、彼ぐらいだろう。
 場所は臨海公園の入り口。赤い浴衣を着た凛と、臙脂の浴衣を着たアーチャーはそこでセイバーとランサーを待っていた。
「ちょっと人が多いわね。待ち合わせ場所変えたほうが良かったかしら」
「……サーヴァントの気配ぐらいは解る。無論向こうもな」
「それもそうね」
 特にランサーは索敵は得意分野である。平和な日常で忘れがちであるが、一応彼等はサーヴァントなので、ある程度近づけば気配は感じることはできる。もっとも普段はそこまで気を張っていると疲れるので注意を払っていることは少ない。
「あ、いたいた」
 脳天気な声が背後から聞こえ、凛とアーチャーは振り返る。するとそこには藍の浴衣を着たランサーとか、薄水色に朝顔の絵が描かれた浴衣を着たセイバーが立っていた。
「……その浴衣は?」
「しましまの姉ちゃんの家で借りてきた!」
 アーチャーの言葉に胸を張ってランサーは言う。セイバーからWデートだ!と鼻息荒く突撃されたので、折角ならとランサーは藤村大河に浴衣を借りに行ったのだ。セイバーだけでも良かったのだが、家の若い衆の浴衣もあると言われたので、ランサーも一緒に着てきた次第である。
 慣れないのか、よちよちと歩きにくそうにしているセイバーであったが、恐る恐ると言ったようにアーチャーに声をかけた。
「あの……どうでしょうか?おかしくありませんか?」
「……よく似合っている」
 暫く眺めた後にアーチャーがそう言ったので、セイバーは安心したように笑った。己の外見が冬木の人間とは違うということもあって、その点が不安だったのだろう。大河は可愛い可愛いと喜んだが、アーチャーの言葉を聞いて、漸くセイバーは満足そうにコクコクと頷いた。
「で、花火までは屋台ぶらぶらでいいのか?」
「そうね。セイバーも楽しみにしてるみたいだし」
 ランサーの言葉に凛は嬉しそうに笑う。
「リン嬢ちゃんも似合ってるぜ。どうせなら、こうだな、髪もアップにして……」
「はいはい。ありがと、ランサー」
 笑いながら凛は礼を言うと、行くわよ、とセイバーに笑いかけた。
 公園内に設置された屋台を見て、セイバーはそわそわと辺りを見回す。
「すごい数ですね」
「お祭りだしね」
「私の国の収穫祭も賑やかでした」
 凛の返答に懐かしそうに瞳を細めるセイバーを見て、アーチャーはポンポンと彼女の頭を軽く叩く。するとセイバーは驚いたようにアーチャーを見上げた。
「何が食べたい?」
「……そうですね。焼きそば……いえ、たこ焼きも捨てがたい……」
 大真面目に悩むセイバーを見て、アーチャーは苦笑する。
「好きなモノを選べばいい」
「しかし……」
 そう言って、セイバーはがま口の財布を覗きこんだ。恐らく予算的に食べたいものを全部というのは無理なのだろう。小遣いをちょこちょこ貯めてはいたが、バイトをしているランサーなどに比べると、自由にできる金額は少ない。
 散々悩んだ結果、セイバーはたこ焼きを選択しいそいそと買いに行く。
「リン嬢ちゃんは?」
「私はあんまりお腹すいてないしかき氷がいいわ」
「そっか。ちょっと嬢ちゃんとかき氷買ってくるわ。あのベンチでいいか?」
「諒解した」
 会場に隅にあるベンチを指さしたランサーに頷くと、アーチャーはセイバーの後についてたこ焼き屋へ向かう。
「すみません、たこ焼きを一つ」
「あいよ!」
 熱々のたこ焼きが詰められていくのを眺めるセイバーの横で、アーチャーは焼きそばを買う。それを見てセイバーは珍しいモノを眺めるように驚いた顔をした。
「アーチャーもお腹が空いているのですか?」
「いや。どんな味だったかと思ってね」
 魔力供給が十分であるアーチャーが食事を取るのは非常に珍しいのだ。食事で魔力を補充しているセイバーは例外であるが、基本的にサーヴァントは食事を必要としない。特にアーチャーは殆どと言っていいほど食事を取らないのだ。ランサー等は道楽の一環として割と一緒に食事をとるし、ライダーも士郎の誘いのせいもあって一緒に食事を取ることが多い。
「そうですか!」
 アーチャーとお茶を飲むことはあっても、余り食事をとる機会のセイバーは、嬉しそうに頷くと、たこ焼きを受け取って恐る恐ると言うように歩き出した。普段着ている服とは違って偉く足回りが窮屈な上に、借りた下駄も慣れない。折角買ったというのに落としては大変だと思ったのだろう、慎重に移動するセイバーを眺めて、アーチャーは思わず口元を緩めた。
 やっとの思いでベンチにたどり着くと、セイバーはアーチャーと並んで座る。
「リンとランサーはまだですかね?」
「かき氷屋は少し奥の様だな」
 アーチャーはちらりと屋台の列に視線を送るとそう返答した。弓兵であるアーチャーは非常に目が良い。それを知っているセイバーは頷くと、そわそわとしたように彼に声をかけた。
「直ぐ戻るでしょうか?待ったほうがいいでしょうか?」
「……冷めてしまっても勿体ないのではないか?」
「それもそうですね」
 セイバーは嬉しそうに笑うとたこ焼きを一つ口に運んだ。
「とても美味しいです!」
「それは良かった。こっちも食べるかね?」
「いいのですか?」
「構わんよ」
 そう言うと、アーチャーは焼きそばもセイバーに渡す。するとセイバーは美味しそうに焼きそばを口に運ぶ。満足そうに頷くセイバーを眺め、アーチャーは口元を緩める。
「……アーチャー」
「何だね」
「貴方は食べないのですか?」
 はたっと手を止めたセイバーが気を使ったように言うので、アーチャーは苦笑しながら口を開く。
「味が解ればいい」
 その言葉にセイバーはコクコクと頷くと、たこ焼きに楊枝を挿してアーチャーに差し出した。
「どうぞ。熱いですよ」
 差し出されたたこ焼きをアーチャーはそのままパクリと一口で食べる。小ぶりとはいえ出来たては熱く、アーチャーは苦笑しながらそれを飲み込んだ。
「少し焼き過ぎだな。中がもう少しとろとろの方が私は好みだ」
「そうですね。しかし作る人間によって味が違うのも料理の醍醐味でしょう」
「違いない」
 セイバーの大真面目な返答にアーチャーは苦笑しながら、次はセイバーの差し出した焼きそばにも口をつける。こちらは比較的好みの味で、アーチャーは満足そうに笑った。
「……うーん。入り辛ェな」
「そうね」
 かき氷を食べながらランサーと凛は少し離れた所から二人を眺める。漸くかき氷を買っていざ戻ってみたら、仲良くあーん、としているのは予想しておらず、二人は足を止めてしまったのだ。全く照れた様子もなく、セイバーに食べさせて貰っているアーチャーもアーチャーであるが、セイバーもそれが傍から見たらイチャイチャだとは思っていないのだろう、満足そうにだけしている。寧ろ見ている方が照れる。
「俺も一口欲しいな」
「はい」
 ニヤニヤしながらランサーが言うと、凛はかき氷を容器ごとランサーに差し出したので、彼は残念そうに眉を下げた。
「アレ見た後にそれはねーだろ」
「……だって。クラスメートとかいたら恥ずかしいじゃない」
 少し照れたような顔をした凛を眺め、ランサーは満足そうに笑う。この恥じらいが可愛い。そして、セイバーに圧倒的に足りないものだ、と心の中で思いながら、渡された氷を口に運んだ。
「いちごってこんな味だっけか?」
「不思議よねー。全然果物のいちごの味しないのに、コレがいちご味って刷り込まれてるのよね」
「そんじゃ、邪魔しちゃ悪いし、少し遊ぶか?」
「そうね」
 折角来たのだから花火まで時間あるし見て回りたいと凛は嬉しそうに笑った。

「帰って来ませんね。迷っているのでしょうか」
 すっかりたこ焼きも焼きそばも平らげた満足気なセイバーは、凛とランサーの事を思い出したのか不思議そうに口を開いた。するとアーチャーは時間が経つ毎に増えてゆく人ごみに視線を送った。ランサーがついていて迷うというない気はしたので、恐らく途中で遊んでしまっているのだろうと思ったが、案の定、射的の屋台で足止めしているのを発見してアーチャーは苦笑した。
「射的をやっている様だな」
「射的ですか?」
 初めて聞いた言葉にセイバーが興味を見せたので、アーチャーは笑うと、行くかね?と短く声をかけた。
 嬉しそうに笑うと、セイバーは立ち上がり、行きましょう!と張り切って人ごみに視線を向ける。しかしながら、動きにくい浴衣の上、慣れない下駄で、どうしても歩みは遅い。よろよろと歩き出すセイバーを見て、アーチャーは手を差し出した。
「セイバー」

──セイバーは女の子なんだから無理はしちゃ駄目だ。

 女である前に王なのだと何度も振り払った手。けれど彼はめげることなく何度も手を差し出した。彼の中で自分がまだ、守るべき存在なのだと認識されていることが酷く嬉しくて、セイバーは自然と微笑みを零した。
「有難うございます。アーチャー」
 差し出した手をしっかりと掴んで、セイバーは嬉しそうに瞳を細めた。
 セイバーの歩調に合わせて漸くランサーと凛のいる屋台までたどり着いた二人は、玩具の銃を構えるランサーに声をかけた。
「悪ぃな。ちと遊ぼうと思ってよ」
「……」
 普段なら嫌味の一つでも返す所だが、アーチャーはランサーが引き金を引くのをじっと眺めていた。
「コレはどのような遊びなのですか?」
「景品に弾当てて、落としたら貰えるのよ」
 興味深そうにセイバーが聞くので、凛は笑いながらそう答える。するとランサーは苦笑しながら口を開いた。
「作りがちゃち過ぎて逆に難しくてよ」
 そう言うとランサーは引き金を引く。ぽんと軽い音とともに発射されるコルクの弾。景品に掠ったが、落とすまでには至らず、ランサーは軽く舌打ちをした。
「クソ。やっぱ少し弾が浮くな」
 そう言いながら、更に店主に金を払い、追加の弾を手に取る。すると、アーチャーも同じように玩具の銃を手に取りコルクを詰めだした。
「アーチャーもやるのですか?」
「槍兵には負けんよ」
「言いやがったな」
「ほらほら、喧嘩しない」
 呆れたような凛の声に、アーチャーは淡く笑うと、すっと銃を構える。そんなにきっちりした姿勢で撃たなくても良いのだが、アーチャーにしてみればそちらのほうがやりやすいのだろう。一同アーチャーが引き金を引くのをじっと待った。
 狙いを定めたのは小さな菓子箱。重量は軽いので比較的落としやすいが、いかんせん的が小さい。
 小気味の良いコルクの発射音と共に、ころりと落ちる菓子箱。
 おぉ!とセイバーは感心した様子で言葉を放った。
「命中ですね!」
「確かに少々弾が浮くようだな」
 他愛もないと言うような表情で言うアーチャーを見て、ランサーはむっとしたような顔をして銃を構えた。
 今度はランサーも上手く当てて、ライターを落とす。先ほどの菓子箱より小さい的を狙ったのは、負けたくないという気持ちがあったからであろう。
「慣れりゃどってことねぇよな」
「ほぅ」
 お互いに火花を散らしたのを眺め、凛は呆れたような顔をしてため息をついた。
「本当、どうでもいい所で張り合うのよね、あいつら」
 その後店主が涙目になってくるまで延々と勝負を続ける二人。流石に拙いと凛が止め、最後の一発の段階でアーチャーは思い出したようにセイバーに声をかける。
「何か欲しいものはあるかね?」
 それにセイバーは驚いたような顔をしたが、おずおずと言ったように、獅子の小さなぬいぐるみを指す。すると店主はニヤニヤと笑いを浮かべて、アレは難しいよ、と言葉を放った。
「あの!無理ならばいいのです!」
「別にとってしまっても構わんのだろ?」
 シニカルに口角を歪めると、アーチャーは獅子のぬいぐるみに狙いを定めて、引き金を引いた。
 丁度獅子の額に当たった弾は余程勢いが良かったのか、ころりとぬいぐるみをひっくり返す。それを見て店主は驚きの声を上げ、凛とランサーは思わず、あー、と小さな声を上げた。
「……アレはズルイだろ」
「……まぁセイバーが欲しがってたわけだしね。目を潰しましょ」
 魔術を殆ど使わないセイバーは気が付かなかったが、一時的にアーチャーは銃と弾に強化の魔術を施したのだ。コルクの弾では多分落とすのは不可能であるし、威力も足りない。キャスター属性のあるランサーと、魔術師である凛だけが気がついたイカサマ。ただ、命中させた腕は純粋にアーチャーの腕ではある。
「セイバー」
 そう言って渡された小さな獅子の人形を嬉しそうに抱くセイバーを見ると、イカサマだとは言い難く、結局二人は口を噤んだ。それに気がついたアーチャーは、二人に小さくウインクをする。
「……キザだな野郎……」
「同感」
 暫くは嬉しそうに獅子を眺めていたセイバーであったが、それをずいっとアーチャーに差し出すと大真面目な顔をして口を開く。
「私もやってみたいです」
「え?」
 アーチャーだけではなく、凛もランサーも驚いたような顔をしてセイバーを眺めた。
「他に欲しい物でもあるのかね?」
「アレが欲しいのです」
 アーチャーの言葉にセイバーは小さな指輪を指名する。指輪は一応的として当てやすいように箱には入っているが、セイバーが落とせるかどうかは微妙だと思い、アーチャーは苦笑する。
「私が落とそうか?」
 店主が悲鳴を上げそうな事をサラリと言ってのけたが、セイバーは首を振って、自分で落としたい、と断る。そこまで言うのなら、とセイバーの荷物を受け取り、アーチャーは彼女の好きなようにさせることにした。
 ギュウギュウとコルクの弾を詰めるセイバーを眺め、ランサーは撃ち落とした菓子箱から飴玉を取り出しながら呆れたような顔をする。
「対抗意識持っちまったかな」
「まぁ、一応三大騎士クラスって分類されてる訳だしね……自分だけってのも嫌なんでしょ」
 セイバーは勝負事に熱くなりやすいので長引きそうだと凛は時計を確認した。恐らくあの指輪を撃ち落とすまでテコでも動かないだろう。幸い花火までは時間はあるが、結果次第ではそのまま花火会場へ直行となる。
「アレだったら花火の場所取りしとこうか?」
「あ、そっちは大丈夫。ちゃんと考えてるから」
 時間を気にしている凛に気が付きランサーが言うと、凛はいい笑顔を彼に向けた。
 セイバーの資金が底を付きかけるまでそう時間は掛からず、眺めているランサーは苦笑しか出来ない。驚くほどヘタだったのだ。コツをつかめばきっと自分の様にポコポコと落とせるようになるのだろうが、今回のセイバーはどうにもこうにも上手く行かないようだ。
「……セイバー」
「何ですか?」
 声をかけると、アーチャーはセイバーの後ろに立って手を添えた。
「私はあの姿勢が打ちやすいからああしているだけだ。他の客のように台の上に体重をかけても構わんのだよ」
 驚いてセイバーが周りを見ると、なるほど、他の客は寧ろ台の上に体を乗せ、前のめりな状態で撃っている。銃口と景品の距離は少しでも短くしているのだろう。コクコクと頷くと、セイバーは言われたように台の上に体を乗せる。
「足はちゃんと地面につけたほうがいい。上半身がブレる」
「わかりました」
「下の方を狙うぐらいの気持ちで行けばいい」
「はい」
 そうして放たれた一発は、今までかすりもしなかったのに、漸く指輪を収めている箱の角に当たった。若干揺れたが落とすまでには至らずセイバーは少しだけ残念そうな顔をしたが、直ぐに嬉しそうな顔をアーチャーに向けた。
「掠りました!」
「その様だな」
 そう言うと、アーチャーは少しセイバーから離れる。残りの弾は3発。撃ち落とせるだろうかと心配そうに眺める。
「本当、アレだな。おせっかいだな」
「黙れ」
 ニヤニヤしながら言うランサーを睨むと、直ぐに表情を緩める。
「あのままだとセイバーの資金が底をつく」
「あー。小遣いつぎ込んでるみてぇだしな。確かに可哀想だ」
 一つぐらいは何かという気持ちには確かになってくる。しかし、セイバーは他にも簡単な景品はあるのに、あの指輪をどうしても譲らなかったのだ。そんな事を話していると、セイバーが大きな声を上げる。
「当たりました!」
「お、やったか?」
 店主から指輪を受け取ったセイバーはウキウキと三人の所へやってきて、箱から指輪を出す。恐らくセイバーのつぎ込んだ小遣いと同額を払えば買えそうな安物の指輪であるが、小さな石がはまっている。色は赤。硝子か人工宝石の類であって本物ではないと凛は気がついたが、笑顔を作って喜んだ。
「良かったわねセイバー」
「はい!」
 嬉しそうにセイバーは笑顔を向けると、アーチャーの方を見た。
「アーチャー」
「何だね?」
 するとセイバーはアーチャーの手を素早くとって、その指輪を指にはめようとする。それに驚いたランサーと凛であったが、彼等が声を上げる前に、アーチャーの悲鳴が上がった。
「セイバー!無理だ!サイズがッ!痛!痛い!」
 そんなもの見れば分かりそうであるのに、セイバーは中途半端にハマった指輪を眺めションボリとする。
「……駄目ですね」
 ぎゅうぎゅうと指輪を無理矢理はめられて涙目のアーチャーは、小さくため息をつくと、そっと指輪を外す。
「私にくれるのかね?」
「はい。そのつもりでしたが、サイズが合わないようです」
 余りにもセイバーが残念そうな顔をするので、アーチャーは少しだけ瞳を細めると、彼女の頭を撫でる。
「ありがとうセイバー。指にはめるのは無理だが、記念に貰っておこう」
「貰ってくれるのですか?」
「君が頑張って取ってくれたのだろう?ありがとう」
 今までのショボくれ具合はどこに行ったのか、セイバーはぱぁっと表情を明るくして嬉しそうに頷いた。
「はい。いいところだけ、そろそろ時間」
 ぱん、と割って入る様に凛が言うと、アーチャーは少しだけ驚いたような顔をする。
「すまない、凛」
「いいわよ。それじゃ移動するわ。逸れないでね、セイバー」
「はい」
 凛はそう言うと、人の少ない方へ、少ない方へと移動していく。そして至ったのは、公園の外れ。
「こっからじゃ花火遠いんじゃね?」
 ランサーの言葉に凛は瞳を細めて笑うと、小さな声で言葉を零す。それが何なのかはランサーには正確には聞き取れなかったのだが、凛が、はい、と短く言ったので目を丸くする。
「はいって……」
 すると凛は笑ってランサーに手を伸ばす。
「大橋の上まで宜しく。セイバーはアーチャーに運んでもらって。その格好じゃキツイでしょ?」
 目眩ましのたぐいの魔術なのだろうと納得したランサーは、笑うと、ヒョイッと凛を抱え上げる。
「ちょっと!?なんで抱きあげるのよ!?」
「嬢ちゃんも動き難いだろ?心配すんなって、しっかりつかまってろよ」
 まさかのお姫様抱っこに凛は顔を真っ赤にするが、ランサーは口端を歪めて笑った。
「ほれ。セイバーもアーチャーも準備しろよ。先行っちまうぞ」
「では、アーチャー。お願いしてもいいですか」
「諒解した」
 軽々とセイバーは抱き上げられ、慣れない感覚に居心地悪そうに身をよじる。しかし、ピタリとアーチャーに体を寄せてみると、コレはコレで非常に心地よく、満足そうに笑った。
 地面を蹴る衝撃も殆ど無く、軽々と赤と青の影は闇夜をかける。
 大橋自体は普段は人が余り通らないが、今日ばかりは花火見物の特等席だと言わんばかりに人が押し寄せている。中には車を止めて見物して警備の人間に叱られてい者もいるようで、それを足元に、彼等は大橋の上へと降り立った。
「ちぃと風がキツイか?」
「許容範囲よ。ありがと、ランサー」
 闇夜に溶ける黒い髪を眺めてランサーは満足そうに笑う。アーチャーとセイバーも無事に大橋の上にたどり着き、並んで下を見下ろしていた。
「凄い人ですね」
「年に一回のお祭りだもの」
 セイバーの言葉に笑って凛は返事をすると、時計を確認した。
「始まるわよ」
 大きな音と共に闇夜に咲く花。セイバーはぽかんとしたようにそれを眺め、そして、満足そうに頷いた。
「特等席ですね」
「そうだな」
 神秘の秘匿はどこへ行ったのか。けれど、皆満足しているようだし野暮なことは言わないでおこうと、アーチャーは空を眺めた。


「なるほど。エミヤ殿からのプレゼントだったのですね」
「はい。これまで投影しているとは思いませんでしたが」
 感心したように言うディルムッドと、ぐったりした顔をしているクー・フーリン。やれ、酒だ!飯だ!とワイワイやっていたのも漸く落ち着き、片付けも目処が立ったので、とりあえずそろそろ帰ろうと思ったのだが、ディルムッドがセイバーとアーチャーに挨拶をしたいというので広い衛宮邸をウロウロとしていたランサー組。嘗てセイバーの使っていた部屋で、ぬいぐるみを抱いて嬉しそうにしていたセイバーを見つけ、クー・フーリンが止める間もなく、由来を聞いてしまったディルムッドに付き合わされ、結局クー・フーリンは長々と話を聞かされた。
「あー。そんな事もあったな」
 髪をかき回しながらクー・フーリンが相槌を打つと、セイバーは嬉しそうにコクコクと頷いた。
「本当に楽しかったです」
「楽しい思い出話はそろそろいいか?とりあえず一旦帰ろうと思うんだけどよ。アーチャーどこ行った?」
 さっさと切り上げようとクー・フーリンが話を変えると、セイバーは子ライオンのぬいぐるみを抱えたまま首を傾げた。
「先程家の点検をするといっていましたが。流石に大規模な投影ですので不備がないか心配なのでしょう」
 己の座にイメージしたものを置けるのは、座の主の特権であるが、初めてのことなのでアーチャーも心配なのだろうとセイバーは付け足し、何なら探してきますが?と小首を傾げた。
「いや。セイバーの手を煩わすのも悪い。それに家主への挨拶だ。俺が出向くのが道理だろう」
 そこまで言うと、ディルムッドは思い出したように懐から何かを取り出しセイバーに見せる。
「これは?」
「先程TVのある部屋で拾ったものだが。誰が落としたから解らなくてな。セイバーではないか?」
 手のひらに乗るほどの小さな袋。色は水色で、灰色の紐で口を縛っているタイプだった。
「……いえ。私のものではありませんね。どうでしょうか。冬木で見た【お守り】にも似ていますが……キャスター辺りでしょうか」
「どれどれ」
 クー・フーリンはディルムッドの手からそれをつまみ上げると、しみじみとそれを眺め、あぁ、と声を上げた。
「心当たりがあるのですか?御子殿」
「これな……」
「なんだここにいたのか。そろそろ皆帰るようだぞ」
 クー・フーリンの言葉を最後まで聞く前にアーチャーが襖を空けて入ってきたので一同それに注目するが、そのあと、アーチャーはクー・フーリンが手に持っているモノに目を止め、慌てたように手を伸ばす。
「アーチャー!?」
「エミヤ殿!?」
 素っ頓狂な声を上げた二人とは逆に、クー・フーリンはニヤニヤと笑ったままアーチャーの突撃を躱して口を開いた。
「やっぱお前のか。見たことあると思ったんだ」
「返せ!何故貴様がそれを持っている!」
「いやいや。ディルが拾ったんだよ。俺じゃねぇって。アレか?家の点検とか言ってコレ探してたんじゃねぇの?」
「うるさい!」
 イライラとした様子に、ディルムッドは驚いて申し訳なさそうにアーチャーに声をかけた。
「エミヤ殿の大切なものでしたか。直ぐに届けられなくて申し訳ありませんでした。誰のものか解らなかったもので……」
 丁寧に謝罪するディルムッドを見て、アーチャーは少し冷静になったのか、クー・フーリンを少し睨んだだけで、ともかく返してもらおう、と小さな声で言う。
「はいはい。なくすなよ。つーか、それも家のついでに作ったのか?」
「あ、いや、コレは別枠で……」
 そう言いかけたが、途中でアーチャーは口を噤む。そこまで言われると気になるとディルムッドは思ったが、余り突っ込むのも失礼だろうと言葉を飲み込んだ。しかし、セイバーは、そのディルムッドの気遣いを台無しにするように口を開いた。
「何が入っているのですか?」
「え?」
「もしかしてリンのペンダントですか?ならば落とすなど言語道断です!」
 プリプリと怒りながらセイバーが言うが、アーチャーは困った様な顔を作ったまま言葉を探しているようだった。それをニヤニヤと眺めていたクー・フーリンであるが、笑いながら口を開く。
「リン嬢ちゃんのペンダントはエミヤシロウだった頃に持ってたもんだからな。態々投影しなくても座にあんだろ。それは、そいつがアーチャーとしていた冬木から持ってきたかったもんだよ」
 確かに言われてみれば、アーチャーのだいじなものと言えば、リンのペンダント位しか思いつかなかったのだが、それは態々投影しなくても英霊エミヤの持ち物としてこの座に存在するし、それがあったからこそ、彼は冬木の聖杯に招かれたのだ。そう考えると、セイバーは尚更アレがの中身が気になって仕方がなかった。しかし、余り突っ込んで聞くのも良くないのかもしれない。好奇心と自重の間で揺れ動くセイバーを、ディルムッドはハラハラとした様子で見守る。あのアーチャーの慌てぶりからすると、余り人に知られたくないのだろうと言う事はディルムッドでも分かった。
「別に知られて困るもんでもねぇだろ」
 呆れたようなクー・フーリンの口調に、アーチャーは僅かに眉を寄せた。
「君には関係ない」
「いやね。懐かしい話を聞いたところでよ。まぁ、落としちまったのはどんくせぇけどな。大事にしてやれよ。騎士王様の小遣いつぎ込んでるんだからよ」
「ランサー!」
 アーチャーが慌てて声を上げたが、止めるのは間に合わず、セイバーとディルムッドは驚いたようにアーチャーの顔を凝視した。それに対してアーチャーはバツが悪そうに少し顔を背けたが、観念したように袋を開ける。
「……私が贈った指輪ですか?」
「そうだ。その……落としてしまってすまん。普段は気をつけているんだが、今日は些か忙しすぎてだな……その……」
 申し訳無さそうにするアーチャーを眺め、ディルムッドは小声でクー・フーリンに耳打ちした。
「御子殿。アレはさっきの」
「そうそう。サイズの合わねぇ指輪。つーか、折角作り直すならサイズ合うようにすりゃよかったんじゃねぇの?」
「そうしようとも思ったんだが、いかんせん私は投影魔術に特化しすぎていてな。サイズが合わない指輪である前提が強すぎて上手く行かなかった」
 投影魔術の基本は構造の把握もそうであるが、それがそれであると信じて作るというところにある。強い剣をイメージしてつくり上げる。アーチャーの中でセイバーから渡された指輪は、サイズが合わないというイメージが強すぎたのだろう。サイズを変えてしまうと、似たものすらまともに投影できなかったのだ。
「アーチャー」
「……何だね」
「これは……その、家とは別枠でと言っていましたが」
「ここに帰ってきて直ぐに作ってみた」
「何故?」
 何故と聞かれても困ったアーチャーは言葉を探した。
「私は生前の事は余り覚えていない。そして今も正直、冬木での出来事をずっと覚えている自信もない。だから……忘れないうちにと思ったんだ」
 その言葉に驚いたのはディルムッドであった。無論ディルムッドは生前の事はしっかりと覚えている。けれど目の前の英霊は覚えていないという。それが不思議だったのだ。
「……コレがアラヤに酷使された【霊長の守護者】の成れの果てだ。生前の事も、大事な事も、人を助けるために人を殺し続ける事で摩耗しちまって、最後は消えるだけだ。セイバーが急いだのはそのため」
「そんな!」
 驚いて声を上げたディルムッドであったが、アーチャーがクー・フーリンの言葉を肯定するように頷いたので愕然とした様な表情を作った。
「良かった……」
「え?」
「本当に……間に合って良かった……私は……貴方が私の事を忘れて……しまっていたらどうしようと……ずっと……心配していました……」
 うつむき、ボロボロと涙を零しながらセイバーが言葉を放ったので、アーチャーは驚いたように彼女を見下ろした。握られた手は小さく震えており、涙をこらえているようにも見えた。
「だから、貴方が私の事を覚えていてくれて……本当に嬉しかった……その上……指輪まで……」
 涙が止まらないどころか、鼻水まで出てきたセイバーは、袖で顔を拭くが、一向に止まることはなかった。
 本当はずっと不安だったのだ。英霊の座に至った瞬間に、セイバーが決断したのは、彼が自分の事を忘れてしまう前にと思ったからだった。少しでも早く彼をアラヤから開放したかった。その一心でこの極東の場所まで至ったのだ。
「……セイバー」
「もう……大丈夫ですよね……私の事……覚えていてくれますか?」
「不思議なものでね……私は生前のことは殆ど覚えていないのだが、あの土蔵で君に出会った時の事だけは鮮明に思い出せるんだ。私が君という剣に出会ったという事は、私が私である根源の一つなのかもしれないな。指輪は……そのだな、記念というか、冬木にサーヴァントとして呼び出された思い出の品というかだな……」
 うまく説明出来ないのか、段々と語尾が小さくなっていくアーチャーを見て、セイバーはまたブワッと泣き出し、アーチャーに抱きついた。
「セイバー!?」
「……」
 アーチャーにしがみつき、肩を震わすセイバー。彼は暫く手を彷徨わせたが、遠慮がちに軽く子供をあやすように彼女の背中を叩いた。
「盛り上がってる所ワリィけど。帰るわ」
「御子殿!」
 居場所がなく小さくなっていたディルムッドととは対照的に、クー・フーリンがあっけらかんと言うと、アーチャーは困ったように笑った。
「すまん。あー、セイバーはもう少し落ち着いたら帰すようにする」
「いやいや。フツーはこれからお楽しみタイムだろオイ」
「ランサー!」
 クー・フーリンの軽口にアーチャーは思わず声を上げたが、彼はヘラヘラと笑うと、ディルムッドを連れてとりあえず部屋を出る。
「御子殿。もう少し空気を……」
「いやいや。空気読んで黙ってて、イチャイチャされたらたまんねーだろ。逆に空気読んだよ俺」
「しかし……」
「つーか、なんでお前が照れてんだ?」
 顔を赤くして二人を眺めていたのを思い出しクー・フーリンが言うと、ディルムッドは驚いたような顔をしたが、少し困ったように笑った。
「私の知っているセイバーは、騎士王としての側面が強かったもので……その、少女のような姿を見ると少々戸惑って……」
「寝取りはやめとけよ」
「……御子殿。いくらなんでも怒りますよ」
 ぎろりと睨まれ、クー・フーリンは笑うと口を開いた。
「怒れ怒れ。そんで、その硬っ苦しい敬語もやめちまえ。それでしかしゃべれねーのかと思ったけど、セイバーとは普通に喋ってんじゃねぇか」
「セイバーとは当時敵同士でしたし……それに御子殿は私の大先輩の上王族ですから……」
「多分アーチャーもタメ口でもいいって言うぞ。今後もなんやかんやでセイバーに巻き込まれるのわかりきってんだから、肩の力抜いとけ。な!」
 ポンポンと肩を叩かれ、ディルムッドは驚いたような顔をしてクー・フーリンを眺めた。
「巻き込まれるって……」
「幸運Eってのも辛ェよな」
「え?」
 唖然とした顔でクー・フーリンを眺めるディルムッドに彼は、ご愁傷様、と笑って言葉を放った。

 暫くは肩を震わせて泣いていたセイバーであるが、漸く落ち着いたのか言葉を放つ。
「すみませんでした」
「いや、構わんよ」
 苦笑したようにアーチャーが言ったので、セイバーは安心して笑う。
「顔を洗ってきます」
 そう言うと、いそいそとタンスを空けてタオルと、寝間着を引っ張りだしてくる。それに驚いたアーチャーが恐る恐ると言ったように、泊まるのかね?と聞くとセイバーは大きく頷いた。
「はい。ついでにお風呂もお借りします」
「は?いや、他の円卓の騎士の面々は……」
「勝手に帰るように言っておきました」
「え?」
「先にお湯頂きますね」
 軽い足取りで部屋を出ていくセイバーを見送ったアーチャーは、がっくり膝から崩れ落ち、なんでさ……と小さく呟いた。

 湯をたっぷり使えるという贅沢を味わった後、セイバー上機嫌で自室の戻ったが、アーチャーの姿が見えず、そのままウロウロと衛宮邸を歩きまわる。
 嘗てマスターであった衛宮士郎の部屋を覗きこんでみると、そこには座布団を枕にして横になっているアーチャーの姿が見え、彼女はそっと足音を忍ばせてそばに寄ってみる。
 鋼色の瞳は閉じられており、小さな寝息が聞こえた。流石にあの大量の料理をつくるのはほねだったのだろう。少し体を休めるつもりで横になって、そのまま寝てしまったのかもしれないと、セイバーは少しがっかりしたような顔をしたが、ふと、部屋にある机に視線を送った。そしてそっと傍に寄り引き出しを開けてみる。
 殆ど空の引き出し。そして、一つだけ見覚えのある箱が入っていた。
「……そうですね。そうですよね」
 基本的にこの家は衛宮士郎の家をモデルに作られている。だから、アーチャーはアラヤの座の力を借りても引き出しの中身までは投影できなかったのだろう。知らない物は投影のしようがない。セイバーの寝間着などはそこに入っていると知っているから投影できたのだ。それは彼がエミヤシロウの家を殆ど覚えていないと言う事にも繋がり、酷く哀しい気持ちになったが、たった一つだけ、彼が投影した箱にセイバーは視線を落とした。
 エミヤシロウと衛宮士郎が宝物を入れていた箱。
 それは養父がお土産に持って帰ってきた日に透かすと色の変わるガラス玉や、藤村一家と初めて海に行った時に拾った貝殻などが入った、微笑ましい宝箱だった。それを二人共大事にこの引き出しに入れていたことはセイバーは知っていた。
 セイバーはその箱をそっと開ける。
 入っていたのは、遠坂凛のペンダントと、己の贈った指輪だった。
「……」
 折角顔を洗ったというのにまた泣けてきたセイバーは、細い指でその指輪を撫でる。大切なモノだとここにしまわれた事が嬉しくて涙が零れた。そして、彼にはこれしかないと言う事が酷く悲しかったのだ。
「アーチャー。私は貴方と出会えてよかった」
 彼の幸せを願っていた。けれど彼は遠くへ行き、人知れず人を救い擦り切れて行った。間に合ったことが本当に嬉しかった。
「……もう離しませんから」
 そう言うと、セイバーはいそいそと押入れから毛布を引っ張りだしてアーチャーにそっとかける。座というのは気候も安定しているので風邪をひくということはないのだが、気になったのだ。そして、その毛布の端をぺろんと捲ると、中にセイバーも滑りこむ。
「おやすみなさい。お疲れ様です」
 僅かに触れた彼から流れこんでくる己の宝具の魔力と、彼の体温が心地よく、セイバーは直ぐに睡魔の糸に絡み取られた。


そして朝にどうしてこうなったと固まるアーチャー
201208 砂神

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