*決戦日番外*
衛宮邸の土曜日は、部活組を除いて基本的にのんびりしたものである。
もきゅもきゅと遅い朝ごはんを食べていたセイバーは、やってきたランサーが手に持っているモノに気が付き箸を止めた。
「何ですか?その紙は」
「短冊なんだと。一枚いるか?」
笑いながらランサーはセイバーの横に座ると、彼女の食べていたおかずをつまみ口に運んだ。いつもならば烈火のごとく怒るセイバーであったが、興味が短冊に向いていた為怒ることもなく、短冊に視線を送る。
「短冊……ですか?」
「七夕って行事があるんだと。なんか、短冊に願い事を書いて笹に飾ると叶うってやつ。商店街に一杯飾ってあったろ。リン嬢ちゃんにもおすそわけしようと思ってな」
そう言いながら、ランサーはまた一つセイバーのおかずをつまみ上げる。
「聖杯のようなものですか?」
「……本当に叶う訳ではない。ランサー、食べるのなら箸を持って来い。行儀が悪い」
台所からお茶を持ってきたアーチャーの姿を見てランサーは肩を竦めると、台所の引き出しから青い箸を取り出しまたセイバーの横に座った。
「まぁ、本当に叶わねぇとは思ってるけどな。こんな紙っきれで叶うんだったら、聖杯戦争なんざいらねぇし」
笑いながらランサーはまたおかずをつまむ。しかし、セイバーはその短冊を凝視すると、恐る恐ると言ったように言葉を発する。
「では、何故短冊に願い事を書くのですか?」
「起源は私もよく知らなくてな。元々は織姫と彦星にあやかって芸事の上達を祈願したり、魂送りの行事だったりしたのだと思うんだが」
アーチャーも詳しくはわからないのか、曖昧な返答をする。しかし、セイバーは不思議そうに首を傾げて、織姫と彦星ですか?と言葉を零した。
「年に一回しか会えねぇって恋人同士だろ?ソレは商店街のチラシに書いてあった」
短冊と一緒に貰ったチラシに書いてあるイラストに織姫と彦星が描いてあったので、ランサーはチラシを配っていた人間にその話は聞いたが、何故願い事を叶えてくれるのかまでは突っ込んでは聞いて来なかったのだ。そもそも彼自身も願いが叶うとはさらさら思っていない。
「年に一度だけですか……それは、少々気の毒ですね」
セイバーの感想にアーチャーは少しだけ眉間に皺を寄せたが、困ったように笑った。
「そもそも仕事をサボって会っていたのを、天帝に咎められたという話だったと思うのだがな」
「!?それでは自業自得ではないですか!」
「……そうなる」
驚いたようなセイバーの声に、ランサーは咽喉で笑うと、まぁずっと会えねぇってのはやり過ぎだって天帝とやらも思ったんだろ、と零した。そして、年に一度だけ、と逢瀬を許した。
「ともかく、この短冊に願いを書いてつるす、という行事なのですね」
「そゆーこった。まぁ、冬木の人間はやれ神社に願掛けだ、教会でお祈りだって好きだからな」
それは冬木の人間だけではなく、この国の人間は大概そうだ、と思いながらアーチャーは口に出さずに、セイバーとランサーが空にした皿を重ねて台所へ運んでいく。
空いた卓の上にはランサーの持ってきた短冊が数枚。
「……全てリンに渡すのですか?」
「欲しけりゃ使ってもいいぜ。別に商店街に行きゃいくらでも貰えるし」
そわそわとしたようなセイバーの言葉に、ランサーは笑いながらそう返答すると、短冊を一枚セイバーに差し出した。すると彼女は嬉しそうな顔をして短冊を握り締める。
「それでは遠慮なく……」
そう言うとセイバーは短冊を眺め、何を書こうかと色々と考える。
「ランサー。その皿も空けてしまってくれ」
「おう」
台所からのアーチャーの声に、おひたしを口に放り込むと、ランサーは空いた皿と箸を抱えて彼の元へ向かう。さっさと洗い物を済ませてしまいたかったのだろう。
そして戻ってきたランサーは鉛筆を握りしめてせっせと願い事を書いているセイバーを眺めて、プッと吹き出した。
「!?」
驚いて顔を上げたセイバーは、笑いを必死にかみ殺しているランサーの顔を見て、顔を真っ赤にする。
「何が可笑しいのですか!」
「いやいや!それはアレだ。商店街につるすより、アーチャーに直接もってけ。叶えて貰えんぞ」
「どうした?」
アーチャーが寄ってきたので、セイバーは慌てて短冊を隠すように腕を紙の上に乗せる。それに対してアーチャーは少しだけ驚いたような顔をしたが、無理矢理は見んよ、と困ったように笑った。
「茄子味噌炒めが食いたいんだと」
「ランサー!」
顔を真っ赤にして声を上げたセイバーを見て、ランサーは笑い出し、アーチャーはぽかんとしたように彼女を眺めた。それにセイバーは更に恥ずかしくなったのか、俯いて短冊を握り締めると、脱兎のごとく走りだし、そのまま衛宮邸を飛び出していった。
「セイバー!?」
アーチャーが慌てたように声を上げて引き止めたが、彼女は既に遥か彼方に走り去った後であった。
「……ランサー……」
咎めるようなアーチャーの呼びかけに、ランサーは漸く笑いを引っ込めると、悪ぃ悪ぃ、と言って拝むように頭を下げる。
「余りにも可愛いお願いだったんでついな」
短冊を握りしめたセイバーは、気が付けば商店街についており、漸く足を止めた。
笹を飾っている商店街はいつもより賑やかに見えて、彼女はぼんやりと笹を眺める。色とりどりの飾りと、それに混じって下げられている短冊。人の願望とはこんなにも多い。そんな事を考えながらセイバーは何枚かの短冊の願いに目を通して、少しだけ俯いた。自分のような願いは無かった。これならばランサーが笑ったのもしかたがない気がしてきたのだ。
けれど、アーチャーは笑わなかった。
この土地のことをよく知らないセイバーがおかしな事をするというのはよくあるが、アーチャーはいつも笑うことなく、呆れることもなく、聞けば丁寧に答えてくれるし、行動をやんわりと修正してくれる。セイバーはそれがとても嬉しかったし、そうやってアーチャーに色々と教えてもらえるのは有難かった。
そんな中。セイバーは随分高い場所にひっそりと吊り下げられている短冊を見つけ、目を凝らす。背丈の小さいセイバーが手を伸ばしてもその赤い短冊には届かないだろうが、幸い彼女の視力は悪くはない。その短冊にかけられた願いを見たセイバーは、哀しそうに瞳を細めた。
「短冊をつるさないのか?」
後ろから声をかけられ、セイバーは驚いて振り向く。すると、そこにはキャスターとそのマスターである葛木宗一郎が並んで立っていた。それに反射的に短冊を後ろに隠したセイバーを見て、キャスターは僅かに眉を上げる。
「書き損じたの?」
「……そのようなモノです」
元々聖杯戦争で敵対していたので、キャスター陣営は他の陣営と比べれば余り仲がいいわけではない。けれど、キャスター自身がこの一時の平和を新妻として満喫している事もあり、険悪と言う程でもない。街で合えばお互いに挨拶ぐらいはする。視線を逸らしながらセイバーが返答をすると、葛木は、そうか、と短く言い短冊を差し出した。
「私達はもうつるしたのでな」
葛木が短冊を譲ってくれたことにも驚いたが、彼等が短冊をつるした事にも驚いたセイバーが葛木の顔を見上げると、キャスターが不服そうに言葉を零す。
「宗一郎様の短冊が受け取れないっていうの?」
「いえ……有難うございます。その……本当に願いが叶う訳でもないのに、貴方方が短冊に願いを書いたことに驚いてしまって……」
どちらかと言えば葛木等は、現実主義者の合理主義だとセイバーは思っていた。実際に聖杯戦争で戦って見ればわかるし、学校での様子を聞いてもそうとしか思えなかった。そんな彼が何を願ったのか興味を持ったセイバーは、短冊をありがたく受け取ると、恐る恐ると言ったように口を開く。
「……その……私は上手く願いが思いつかなかったので。おかしな願いを書いてランサーに笑われてしまいました」
「おかしな願いって……別に叶うわけじゃないんだから好きにかけばいいじゃない」
「参考までに……キャスターは何を願ったのですか?」
呆れたような口調のキャスターであったが、セイバーの質問には、顔を僅かに赤くすると、ピコピコと長い耳を動かして視線を彷徨わせた。
「芸事の願い事をするのがメジャーだって言うから、料理の上達を書いたわよ」
それでも、セイバーがじっと答えを待っている様だったので、キャスターは観念したように小声で願いを口にした。キャスターの作る料理に葛木が文句をつけたことなど一度もない。けれど、一度もないからこそ、キャスターはどうにかもっと美味しい物を日々頑張っている。たまに衛宮士郎やアーチャーに指南してもらっているが、彼等に比べれば足元にも及ばないということぐらいは自覚してはいた。自分の故郷の料理ならある程度は何とかなった。けれど、彼女はどうしても葛木の故郷であるこの土地の料理を作りたかったのだ。
「素晴らしい願いです。……必ずしも叶うわけではないでしょうが、きっと……」
「……あのね。さっき貴方も言ってたけど、こんな紙っきれで願いが叶うなら、聖杯戦争なんて要らないわよ。これは、ある意味意思表明なの。解るかしら?」
「意思表明……ですか?」
「宗一郎様がそうおっしゃってたわ。『勉強が出来るようになりますように』『恋人ができますように』そんな願いは、本人が動いたほうが圧倒的に早いの。だから、こうやって紙に書いて、文字にして、己の願いを形にしてやる。そして、己の願いを明確にしてそこに向かって努力する」
そう云われ、セイバーは一瞬驚いたような顔をしたが、直ぐに納得したのかコクコクと頷く。意思表明。そう言われれば、己にもできそうだ、そう思ったのだろう。
「わかりました。では、キャスターのマスターは何を?」
「……私はキャスターの願いが叶うようにと書いた」
「宗一郎様!」
サラリと惚気けられた。そう思ったセイバーであったが、先程見つけた赤い短冊を思い出して、一瞬瞳を揺らした。
「短冊、有難うございました」
そう言うと、彼女は貰った短冊を握りしめて衛宮邸へと引き返していった。
衛宮士郎が朝から間桐桜と藤村大河に弁当ごと学校に拉致されたので、昼食の準備もアーチャーが引き受けていた。そもそもライダーはバイトに行っているし、遠坂凛も友人との約束があると出かけていったので、セイバーの昼食を作るだけの仕事ではある。セイバーが帰ってくるかは微妙であるが、最悪朝から居座っているランサーに全部食べさせてしまえばいいと考え、アーチャーは当初の予定通り台所に立っていた。
そこに、そわそわした様子でセイバーはそっと居間へと戻ってくる。
アーチャーも気がついてはいたが、先程の件を気にしていたらと思い、彼女が寄ってくるまでは台所の作業へと集中していた。
ほてほてと台所まで来たセイバーは、アーチャーの手にある食材を覗きこんで、瞳を細めた。
「茄子味噌炒めですか?」
「そうだ」
短冊に書くほど食べたかったのだろうと、アーチャーは元々セイバーしか食べる予定のない昼食メニューをそれに決めたのだ。セイバーは嬉しそうにコクコクと頷くと、少しだけ辺りを見回したあと、ランサーは?と首を傾げた。
「庭の草むしりをやらせている。……そのだな、セイバー。ランサーは叱っておいたから朝の件は余り気にするな」
きっと罰掃除なのだろう、そう判断して、セイバーは困ったように笑った。
「あの件は私が余りにも知らなさ過ぎたのです。商店街の短冊に私のような願いはありませんでした……ですから、新しい願いを書いてきました」
そう言うと、セイバーは短冊をアーチャーに差し出す。それに驚いた顔をアーチャーはしたが、見てもいいのかね?と笑った。
「はい。貴方に見て欲しいのです」
「?そうか?」
意味がわからないと言うような顔をしたが、アーチャーはタオルで手をふくと、セイバーの差し出した短冊を手に取る。
──アーチャーを手に入れる。打倒アラヤ!
打倒に至っては何度もなぞったのか、偉く太い文字である。それを見て固まったアーチャーを見て、セイバーは満足そうに笑った。
「この短冊はある意味、意思表明だとキャスター陣営が言っていました。ですから、私もここに意思表明をします」
間違ってはないが、間違っているような気がする。そんな事を考えて言葉を探しているアーチャーを眺め、セイバーは大きく胸をはると言葉を続けた。
「ですから、貴方にも手伝ってもらいます。いえ、この願いは貴方の助力なしには絶対に叶わない。アーチャー……私の願いを叶える事は、強いては貴方の願いを叶えることになるのでしょう?」
セイバーの言葉に、アーチャーは驚いたように彼女の顔を凝視した。
「【皆の願いが叶いますように】……そんな短冊がありました」
ひっそりと下げられていた赤い短冊。それを見た瞬間、酷く哀しい気持ちにセイバーがなったのは、アーチャーがセイバーや他の人のように、己の願いをまだ持ち得ないと知ったからである。けれど、葛木も規模は違えど、キャスターの願いを大事な物だと思い、その成就を願った。キャスターは葛木の願いを叶える為に、料理修行に励むのだろう。そう考えると、あの二人が一緒に支えあいながら生きているのが酷く羨ましくなったのだ。
だからセイバーは自分も、アーチャーの願いを叶えたかったのだ。他の誰かの願いの成就を見せれば、きっとアーチャーも喜ぶはずだと。
「……必ず叶えます。だから側で見ていて下さい」
「君は……一度決めたら相変わらず一直線だな」
相変わらずと言われて、セイバーは嬉しそうに瞳を細めて、彼女は口を開く。
「人のことばかりなのは貴方も相変わらず変わりません」
返答に窮したアーチャーを見上げて、セイバーは満足そうに笑う。
「短冊は貴方が持っていて下さい。約束の印です」
アーチャーが少し迷ったような表情を見せたので、セイバーは少しだけ首をかしげたのだが、直ぐに思い直したのか声を上げた。
「約束の印に短冊だけというのも少々無粋でしたね。少し待ってて下さい!指輪を調達してきます!」
「待てセイバー!早まるな!」
「……では指輪以外に何を……花ですか!?そう言えばランサーがよくリンに花をプレゼンしていますね!」
拳を握りしめて言い放つセイバーに、アーチャーは途方に暮れたような顔をしたが、一つ小さく咳払いをして、口を開いた。
「短冊だけで十分だ。ありがとうセイバー」
照れたようにアーチャーが言葉を放ったので、セイバーは彼の顔を凝視した後に、嬉しそうに笑った。
星合短編
20120709