*虎聖杯弐*
冬木の町を散歩していたアイリスフィールは、港の辺りで見覚えのある男の姿を見つけて足を止めた。
青い髪に派手なシャツ。釣竿を握ってぼんやりとしている彼は、ランサーのサーヴァントであった筈だ。衛宮邸で食事を何度か一緒に取ったことはあるが、そういえば余り個人的に話はしていない。けれど、衛宮邸での馴染み方を見ていれば、危険はないだろうと判断し、アイリはほてほてとランサーの傍に歩み寄った。
「よう。いい天気だな」
「そうね」
アイリが傍に来たことに気がついたランサーは、視線を海に送ったまま声をかけた。それにアイリは笑顔で返答をすると、不思議そうにランサーの様子を眺める。
「釣り?釣れる?」
「今日はまあまあだな。昨日はタコばっかりだった」
彼の直ぐ傍においてあるバケツには何匹かの魚が入っている。アイリは魚の種類には詳しくなく、珍しいのか、バケツを覗き込みながら口を開いた。
「タコが釣れるの?」
「ああ。今日はまだだけどな。好きなのか?」
怪訝そうにランサーが言ったのは、ヨーロッパ方面では余りタコは食べないからだろう。ギリシャの辺は食べることも多いが、セイバーなどはどちらかと言えば苦手だと言っていたのを思い出し、ランサーはアイリに聞く。
「たこ焼きに入ってるのと同じタコ?」
「そーだな」
「あれ、とても美味しかったわ!外はカリカリで中はとろとろで。セイバーと一緒に買ってね、半分こしたの」
嬉しそうに微笑んだアイリを見て、ランサーは思わず釣られて笑う。この可愛らしい女性が、あの衛宮切嗣の奥さんなのだから世の中解らない。切嗣も、悪い人間ではないのだが、セイバーとのどうしようもない溝等を見ていると、いつもそれに巻き込まれるランサーとはしては印象が微妙なのだ。
「そりゃ良かった。気に入ったならアーチャーの野郎に作ってもらえばいいんじゃね?」
咽喉で笑いながらランサーが言うと、アイリは目を丸くして口を開いた。
「家で作れるの?」
「……そりゃ材料さえありゃアイツは何でも作んだろ。一回俺も坊主ん所で食ったことあるし」
いつだったか、セイバーのリクエストで作ったというたこ焼きが山のように積まれていた事があった。タコが苦手だというのに、食べるのはいいのかと思わず突っ込んだ事を思い出しながらランサーが言うとアイリは心底驚いたように声を上げる。
「材料はタコと何なのかしら?」
「粉とか、天カスとかそんなんじゃねーの?とりあえずタコがありゃ直ぐ作れるって言ってた気がすっけど」
そもそも料理をしないランサーは細かい材料など解らない。けれどアイリは神妙な顔をして頷くと、よし!と声を上げてランサーに視線を送った。
「私も釣りをするわ!」
「はぁ?」
「タコを釣るの!そして、アーチャーにたこ焼き作ってもらうわ!」
唖然とした顔でランサーがアイリの顔を見上げるが、彼女は大真面目にそう宣言して、釣竿はどこで売ってるの?と首をかしげた。それを見てランサーは笑うと、立ち上がって、釣竿を差し出す。
「貸してやるよ」
「いいの?」
「別に構わねぇよ。餌の付け方は解るか?」
アイリが首を振ったので、ランサーはアイリに釣竿を握らせると、糸を手繰り寄せて針を手に持ち、餌の小エビをつけてやる。
「ほれ」
「有難う」
赤い瞳を細めてアイリは微笑むと、ランサーの座っていた場所に座り込み、そっと釣り糸を垂らした。もう少し遠くに投げたほうがいいのだが、初心者には難しいだろうと思い、ランサーは横で真剣なアイリの表情をぼんやりと眺める。
「ちょっとお茶でも買ってくるわ」
どうせ直ぐに釣れるはずもないと思いランサーがそう言うと、アイリは笑ってそれを見送り、また真剣な表情を海に向けた。
そんな中、突然浮きが水面から見えなくなったので、アイリは驚いて立ち上がった。
「え?あら?」
何やら引っ張られている様な気もするが、どうしたらいいのか解らず、アイリはとりあえずしっかりと釣竿を握って竿を引っ張ってみた。矢張り引っ張られている。カラカラと回るリールを慌てて押さえつけ、アイリは、とりあえず糸を巻かないと、と焦ったように手を動かすが余り上手くまけない。
「逃げられちゃう!」
思わず声を上げた所で、後ろから手が添えられ、アイリは驚いたように顔を上げた。
「……アイリスフィール。逆だ。手前ではなく、向こう側に」
「え?逆?」
そう言われ、アイリは漸くリールを逆方向に回していたことに気がつく。糸を引っ張るつもりで緩めていたのだ。
「焦らなくていいから、ゆっくり回してみてくれ」
添えられた手がしっかりと釣竿を固定してくれているので、先程よりずっとリールは簡単に回せ、アイリはほっとしたような顔をしてくるくるとリールを回す。段々と手応えが強くなってきたのを確認して、アイリは水面に目を凝らした。良くは解らないが、チラチラと白い魚の腹らしき物が見えて、アイリは、少しだけがっかりしたような顔をする。
「魚だわ」
「……魚を釣っていたのではないのか?」
傍に置いてあった網ですくわれたのは大きめのサバ。それを見てアイリは小さく首を振った。
「タコが釣りたかったの。……手伝ってくれて有難う、アーチャー」
アイリの言葉に、アーチャーが微妙な顔を作ったのは、彼らの中でタコはどちらかと言えばハズレの感覚があったからだろう。
「お、でかいの釣ったな」
「ランサー」
戻ってきたランサーにアイリはションボリとした顔を向けて、首を振った。
「折角アーチャーに手伝って貰ったのに、タコじゃなかったの」
「手伝ったのか?」
ランサーの言葉に、アーチャーは少しだけ嫌そうな顔を作った後、少しだけだ、と憮然と言葉を放った。
たまたま通りかかったのだが、アイリが余りにも慌てていたのでつい手を貸したのだ。そうでなければ素通りするつもりであったし、ランサーが一緒だと知っていたら間違いなくそばに寄らなかった。
「でも、よく見たら大きいわね。写真撮ってもいいかしら?」
気を取り直したのかアイリが嬉しそうに言うので、ランサーは一緒に撮ってやるよ、とアイリから携帯電話を受け取った。
「ほれ、アーチャー。お前がサバ持て」
何故私が!と文句を言おうとしたが、アイリでは持つのは難儀だろうと、結局アーチャーはサバを片手で、アイリの顔の辺りまで持ち上げる。すると、アイリはにっこり笑って、カメラの方を向いた。
「うっし。そんじゃ撮るぞ」
シャッターをきる音を確認して、アーチャーはサバをバケツに戻す。
「どう?どう?上手に撮れた?」
「おうよ」
嬉しそうにアイリはランサーの手の中にある携帯電話を覗きこむ。それを横目で見ていたアーチャーであるが、画面に映し出された画像を見てぎょっとしたように声を上げた。
「何故私まで写ってる!」
「写ってるんじゃなくて、写したんだよ。一緒に釣ったんだろ?」
「あら!うれしいわ!」
無邪気に喜ぶアイリの姿を見て、アーチャーは強く言えなくなったのか、結局黙りこむ。それをニヤニヤしながらランサーが眺めると、アイリは催促するように言葉を放った。
「メールで切嗣とイリヤに送りたいわ!あと、セイバーにも」
「アイリスフィール!」
驚いたようにアーチャーが声を上げると、アイリは笑って言葉を続けた。
「大丈夫。アーチャーにもシロウにも送るわ」
「……」
「一斉に送るのはどうしたらいいの?」
はいはい、とランサーがアイリの携帯からアドレスを検索して一斉送信をする。すると、直ぐにアーチャーの携帯が鳴り出した。
「届いた?」
アイリが嬉しそうに確認するので、アーチャーは携帯を開いて彼女に見せる。すると満足したように彼女は満面の笑みを浮かべた。
アーチャーがエミヤシロウの成れの果てだということが切嗣にバレた後、アイリはならば私の息子だと、何やら張り切ってしまった。その後は、何かと話しかけてきたりとコミュニケーションをせっせと図ろうとしてくるのだ。アーチャーにしてみれば戸惑いが大きく、どうしていいのか解らないと困り果てることが多々あった。そして、イリヤとよく似た顔で、笑顔のゴリ押しをされると邪険にすることもできず、結局できるだけ逃げる羽目になる。ランサーや凛はそれが面白いのか、何やかんやで茶化してくるのだが、セイバーに至っては大真面目な顔で、アイリスフィールが苦手なのですか?と聞いてくる始末であった。苦手かどうかと言われれば、苦手なのだが、決して嫌いなわけではない。
困ったような、情けないような顔をしたアーチャーを眺め、ランサーがニヤニヤと笑いを浮かべているのに気が付き、むっとしたような顔を作る。
「一緒に釣りをするのは勝手だが目を離すな」
「わりーな。直ぐに釣れるとは思わなかったんだよ」
そう言うと、ランサーはペットボトルをアイリに一つ渡した。彼女はそれを受け取るとキャップを開けて、冷たいお茶で喉を潤す。
「……次はタコを釣るわ!」
やる気満々のアイリを眺め、アーチャーは小さくため息をついたが、ランサーが首を傾げて口を開く。
「釣竿重かったか?」
「そうね。リールが一人じゃ上手く巻けなかったの」
「そっか。そんじゃ、アーチャー。ちょっと頼むわ」
ランサーの言葉に、アーチャーは暫く黙ったままであったが、仕方がないと言うように肩を落として、小声で魔術詠唱をする。
アーチャーの魔術詠唱を初めて見たアイリは、神妙な顔をするが、彼の手に現れた新しい釣竿を見て驚いたように声を上げた。
「え?投影魔術?」
「……私はそれしか能がなくてね」
差し出された釣竿を、恐る恐ると言ったようにアイリは受け取ると、あちこち眺め、首をかしげた。
「普通の投影魔術と違うわ」
「その様だ」
実際、英霊エミヤの扱う投影魔術というのは、彼の展開する固有結界の副産物のようなもので、他の人間の使う投影魔術とは根本的に違う。嘗て、遠坂凛もその原理が不明過ぎるデタラメな魔術のお陰で、彼の魔術指導に頭を悩ませたものだ。
「おう。最新型カーボン製か。お高けぇな」
「軽いほうが扱いやすいだろう」
ランサーが尻上がりの口笛を吹くと、アーチャーは面倒くさそうにそう返答し、アイリにあれこれと説明を始めた。リールもボタンひとつで自動的に巻き上げるものであるし、速度調整もそう複雑なものではない。アイリはこくこくと頷きながら説明を聞く。
その説明をしている横で、ランサーは鼻歌を歌いながら、アイリから返ってきた竿に餌をつけて、海に放り投げた。
「そんじゃ、どっちが先にタコ釣るか競争すっか」
「負けないわよ!ね!アーチャー!」
「私も入っているのか!?」
いつの間にかアイリと同じチーム扱いになっていた事に驚いてアーチャーは声を上げるが、アイリはニコニコと笑って小エビを針にさす。しかしながら、そのつけ方が、慣れていないせいか中途半端で、アーチャーは仕方ないと言うように、それをつけなおしてやる。
「針に沿って餌をつけたほうがいい」
「……次は頑張るわ!」
ヤル気を見せたアイリの顔に、アーチャーは、逃げるという選択肢を削られた。
釣りとは己の忍耐との戦いだと前に見たテレビで言っていたが、アイリはただただ楽しそうにアーチャーやランサーに話しかけながら釣りを続けた。軽口を叩きながら返答をするランサーと、相槌を打つアーチャー。普段はアーチャーは話しかける前に逃げてしまう事が多いのだが、今日はずっと隣で一緒に釣竿を眺めていることにアイリは満足する。
「タコを釣ったら、たこ焼きを作って欲しいの」
「……それは別に構わんが」
ニコニコと笑いながら言うアイリに、アーチャーは面食らったように返答する。そもそもたこ焼きが食べたいのなら商店街で買えばいいし、作りたいのならタコなど店で買えばいい。何を思ってアイリがタコを釣り上げようと思ったのかは理解できなかったが、楽しそうな顔をしているアイリを眺めていると突っ込む気も失せて、アーチャー少しだけ困ったように笑った。
「お、引いてるんじゃね?」
「あら?」
ランサーの声に我に返ったアーチャーはアイリの釣竿に視線を落とした。アイリはリールを巻くボタンをポチリと押す。すると、ゆっくりとリールが回り、糸を巻いていった。何やら重い手応えに、アイリは表情を輝かせると、ぎゅっと釣竿を握りしめて、アーチャーに向かって声を放った。
「アーチャー!網!網!」
子供のようにはしゃぐ声に苦笑しながら、アーチャーは網を手に取り水面を眺める。
「お?当たりか?」
チラチラと水面に見える獲物の姿にランサーが声を上げると、アイリは驚いたように水面を覗きこんだ。
「赤くないわ」
「……うん。茹でてねぇからな」
生のタコを見たことなかったのか、そんな事を考えてランサーが笑いながら言葉を零すと、アーチャーはそれを無視して、網で獲物をすくい上げる。
「タコだわ!赤くないけど!」
「タコだな」
大喜びするアイリと、苦笑しながら網からバケツへとタコを入れるアーチャー。アイリは釣竿を置くと、珍しそうにバケツの中を覗きこんで、足の数を数える。
「白いからイカかと思ったけど、8本ね!タコね!」
「どっからどう見ても立派なタコだな。おめでとさん」
ランサーの言葉にアイリは嬉しそうに笑うと、アーチャーを見上げて胸を張った。
「これでたこ焼き出来る?足りるかしら?」
「あぁ、十分だろう」
アーチャーの返事にアイリは、ぱぁっと表情を明るくすると、タコに手を伸ばす。それにぎょっとしたアーチャーは慌てて彼女の手を止めるが、アイリは驚いたようにアーチャーの顔を眺めた。
「アイリスフィール。何をする気だ」
「え?記念撮影」
タコを鷲掴みにするという発想がなかったアーチャーは、アイリの心底驚いたような顔に、逆に驚いた。すると、ランサーが咽喉で笑って、触るのはやめとけ、と瞳を細める。
「綺麗な肌に吸盤の後がついちまう」
「そうなの?」
すると、ランサーは手を伸ばし、タコの足を指でつついた。すると、ぺっとりとタコの足がランサーの指にくっつき持ち上がる。
それに驚いたアイリは目を丸くすると、先ほどの大胆さはどこへいったのか、恐る恐るといったように指でタコを突っついた。ぺたりと張り付く吸盤。
「凄いわ!」
「……まぁ、あんま生のタコは触る機会ねぇわな」
ランサーがアイリの指からタコの足を引き剥がしてやると、案の定白い指に赤い跡が残る。それを眺めて、アイリは、凄い、凄い!と喜んで又タコの足を突っつく。
「アイリスフィール。余り跡が残るような事をするのも……」
「これくらいなら直ぐに治るわ。アーチャーは心配性ね」
嬉しそうに微笑んだアイリを見て、アーチャーは困惑したような表情を作る。けれど、息子に心配されたのが嬉しいのか、アイリはタコを突っつくのを止めると、先ほどの同じようにランサーに写真を取って欲しいと頼んだ。流石に鷲掴みは無理なので、バケツを抱えたアイリをランサーは写真に収める。
「うっし。そんじゃ、たこ焼き作りに行くか。今からだったら昼に間に合うか?」
「そうね、イリヤや切嗣も呼びましょう!」
嬉しそうに言うアイリと、ご相伴にあずかる気満々のランサーを眺め、アーチャーは小さくため息をついた。
釣り道具や、釣った獲物をランサーが纏めて持ち、アーチャーの手には帰りに商店街で買った荷物がぶら下げられている。アイリスフィールは満面の笑みで衛宮邸の玄関を開けた。
「ただいま!」
「おかえりなさい!お母様!」
駆け寄るイリヤにアイリは微笑みかけると、身体を屈めてイリヤの頬に己の頬をくっつける。その微笑ましい光景に思わずランサーは表情を緩めた。
「一応準備はしておいたけど」
「有難う、シロウ」
奥からやってきた衛宮士郎にアイリは礼を言うと、自慢げにランサーのぶら下げているバケツを指さし笑った。
「私が釣ったのよ!」
バケツを覗きこんだイリヤは目を丸くする。切嗣は可笑しそうに口元を歪めたが、セイバーは僅かに眉を寄せたので、アイリは少しだけ首を傾げて笑った。
「セイバー?」
「申し訳ありません、アイリスフィール。その……タコは少し苦手で」
ヨーロッパ方面でタコを食べるのはギリシアの辺りだけであり、基本的には苦手とする人間が多い。アイリは少しだけ困ったような顔をしたが、気を悪くした様子もなく、笑顔を作った。
「大丈夫よ。アーチャーが美味しく料理してくれるわ」
「はい。期待しています」
タコは苦手ではあるが、アーチャーが美味しく料理することは疑っていないセイバーがコクコクと頷くと、アーチャーは困ったように眉を下げた。期待が大きすぎるというのも困りものだと思っているのだろう。
「凛は?」
「来てるわ。配達料金は高くつくわよ」
奥から顔を出した遠坂凛の姿に、アーチャーは少しだけほっとしたような顔をする。この人数であるので、衛宮邸のたこ焼き器では間に合わないと判断し、以前商店街のくじ引きで凛が引き当てた後、遠坂邸で埃を被っていたたこ焼き器を持ってくるように頼んだのだ。
「アインツベルンにつけておいてくれ」
アーチャーはそう言うと、アイリからバケツを受け取り台所へ入っていく。その後について行くアイリは、居間に座らずに、そのまま台所まで付いてきたので、アーチャーはぎょっとしたような顔をする。
「アイリスフィール。居間でくつろいでいてくれ」
「え?でも、料理を作ってる所見たいわ」
手伝うと言い出さなかっただけマシなのかもしれないが、アイリの言葉にアーチャーは途方に暮れたような顔をする。アイリは残念ながら料理に関しては不得手である。眺めていて面白いものでもないだろうとアーチャーは大真面目に思ったのだが、イリヤまでやってきたので更に困惑顔になった。
「……いいじゃない、手伝ってもらえば?」
人事だと思って楽しんでいるだろう様子が嫌というほど解る凛の言葉に、アーチャーは心の中でため息をついたが、セイバーがイリヤの為に踏み台を持ってきたので、仕方がないと言うようにボールをイリヤに渡す。
「済まないが、この粉を水に溶いてくれ」
「りょーかい!」
嬉しそうにイリヤは笑い、アイリと一緒に水の量を測って作業を始める。
一方居間の方は、士郎とランサーがたこ焼き器の設置をスタートした。凛は一度も使ったことが無かったので、設置に関してはランサーに丸投げしたのだ。
「しっかし、こーゆーのって普通に家にあるもんなのか?」
以前から疑問に思っていたことをランサーが口に出すと、士郎は苦笑したように口を開いた。
「少なくとも冬木では割と一家に一台だけどな。簡単に出来るし」
「教会にはねーな」
ランサーの言葉に、言峰綺礼があの表情で黙々とたこ焼きを作っている所を想像した凛は思わずブッと吹き出す。絵にならないし、何より怖い。
凛が何を想像したのか安易に理解できたランサーは、笑いながら、似合わねーか、教会には、と瞳を細めた。
「成金王子も庶民的なのはあんま興味ねーしな。俺用に一個買うか」
「ギルガメッシュは以前雑種の食べ物だと蔑んでいました。彼に分ける必要はない」
セイバーの言葉に思わず士郎は笑い出す。セイバーとギルガメッシュの相性の悪さはどうしようもないのだが、食べ物を莫迦にされるとセイバーが怒ると言うことをいい加減彼は学んだほうがいいと言う気もしてきた。
そんな中、衛宮切嗣は嬉しそうに台所に視線を送り、うんうんと頷いていた。何が嬉しいのか、と思い、ランサーが視線を送ると、切嗣は少し恥ずかしそうに笑う。
「親子で台所作業って言うのは、いいもんだね」
「はぁ?そんなもん、家でいくらでも見れるんじゃねぇの?」
怪訝そうなランサーの言葉に、セイバーは小声で耳打ちをした。
「ランサー。アイリスフィールはその……料理は基本的に……」
「あ、しねーの?まぁ、いいとこのお嬢さんは普通しねーわな」
「……いえ、しないのではなく……できない……方で」
遠慮がちなセイバーの言葉に、ランサーは思わず目を丸くした。確かによく見てみれば、台所でタコのの下処理やら、塩もみやらをやっているのはアーチャーだけで、アイリやイリヤは粉を混ぜたり、具材を小さく切るなど、ランサーでも出来るような作業を手伝っている様に見える。そもそもたこ焼きの準備など、生のタコを使おうなどと考えない限り、そう手間のかかる物ではないのだが、アイリが釣り上げたタコを見て、赤くない、と言ったのを思い出しランサーは苦笑した。茹で上がったタコしか見たことが無かったのだろう。
しかしながら、性格良し、容姿端麗とパーフェクトな嫁であるのだから、弱点の一つぐらいあったほうがいいような気がしたランサーは、切嗣にちらりと視線を送る。すると、彼は心底幸せそうな表情を浮かべて、愛娘と嫁に視線を送っていた。セイバーにその百分の一でも気遣いをしてやればいいのに、と心の中で思わず呟いたランサーであったが、ほてほてとボールを持ってきたイリヤの姿を視界に入れて思考を停止した。
「シロウ!できたわよ!」
「有難うイリヤ」
褒めるように士郎に言葉を返されたのが嬉しかったのか、イリヤは赤い瞳を細めて笑った。
衛宮家のたこ焼き器は士郎が生地を流し込んだが、凛の持ってきたたこ焼き器にはランサーが生地を流し込む。それを珍しそうに見ていたイリヤは首を傾げてランサーに言葉を放った。
「何で竹串なの?シロウは鉄のを使ってるわ」
その言葉にランサーは咽喉で笑うと、こっちはテフロン加工だからな、と瞳を細めた。
「焦げ付き難い代わりに、坊主の鉄串使ったら加工禿げちまうんだ。まぁ、竹串でも上手く行くぜ。見とけよ」
凛がせっせとタコやら天かすを投入したのを確認して、ランサーはくるりと一つひっくり返して見せる。丸い形に焼けた生地が姿を表して、イリヤは目を丸くした。
「凄い!すごーい!」
「やってみるか?坊主のたこ焼き器より簡単だぜ」
向こうは鉄製でかなり使い込んでいるが、初心者には焦げ付きにくいこっちの方が良いだろうと、ランサーは竹串をイリヤに差し出す。すると彼女は恐る恐ると言ったようにたこ焼きをひっくり返してゆく。
「イリヤ、外側を剥がすように一回くるっとした方がいいわよ」
凛が笑いながら言うと、神妙な顔をしてイリヤは言われた通りに手を動かした。わがままお嬢様が素直に言う事を聞くのが珍しかったのか、凛は少しだけ驚いたような顔をしたが、瞳を細めて笑った。
「ランサーみたいに行かない……」
鉄板に並んだたこ焼きはランサーがひっくり返した分だけやたらと丸く、後は若干歪に見え、イリヤは残念そうな表情を作った。ちらりと隣のたこ焼き器を見ると、そちらは器用に士郎が綺麗なたこ焼きを焼き上げている。
「初めてなら上出来だろうイリヤスフィール」
ソースと小皿を持ってきたアーチャーの言葉に、イリヤは気を取り直したのか嬉しそうに笑った。
「そうそう。坊主はアレだけど、俺もたこ焼き作るバイトしてたことあるしよ。一発で上手にできたら立場ねぇよ」
ケラケラと笑いながらランサーが言うと、イリヤはそうかと納得したような顔をする。士郎に負けるのは仕方がないとして、ランサーが小器用に作ったので誰でも直ぐにできるのだと勝手に思っていたのだ。けれどバイト経験があると言われれば、負けても仕方ないと納得したのだろう、反対側が焼けるのをイリヤは今か今かと待ち構える。
「そろそろ良いのではないか?」
アーチャーにそう云われ、イリヤは自分が焼いたたこ焼きを一つ、二つと皿に乗せると、アイリの所にほてほてと運んだ。
「お母様!私が焼いたの!」
「あら、上手ね」
嬉しそうにアイリは笑うと、一つたこ焼きを口に運んだ。感想を待つイリヤはアイリの顔を覗き込む。
「すごく美味しいわ!ほら、切嗣も!」
ぱぁっと表情を明るくしたイリヤを見て、一同ホッとしたような顔をする。愛娘の作ったたこ焼きを頬張る切嗣の顔もデレデレで、思わずランサーなどは吹き出してしまった。
「アーチャー、チーズ入れてもいいかしら」
「そうだな。他に冷蔵庫の残り物も処分してしまおう」
凛の提案にアーチャーはチーズを持ってくるとそのまま台所に引っ込んで、あれこれと具材を増やしていく。その様子を見ながら、イリヤはこそっと凛の隣に座り、たこ焼き器を指さす。
「アレ貸して。一週間ぐらいでいいんだけど」
「はぁ?別にいいけど……家で作るの?」
そもそも遠坂邸で埃を被っていたので使用頻度も皆無であるし、構わないのだが、凛は目を丸くした。
「バーサーカーに食べさせてあげようと思って。出来たてのほうが美味しいでしょ?」
それを聞いて、ランサーは思わず顔を抑えて俯き、肩を震わせた。それを見て、笑われたのかと思いイリヤが、何よ!と怒ったような顔をしたが、直ぐにそれは笑っているのではなく、泣いているのだと気が付き、驚いたような表情を作った。
「……愛されてんな……バーサーカー……俺のマスターもこれぐれぇ……」
「ランサーは神父に毎日麻婆作って貰ってるじゃない」
笑いながらイリヤが言うと、ランサーは本気で嫌そうな顔をして口を開く。
「愛がこもってようが、ありゃ食いもんじゃねぇだろ!嫌がらせだろ!クソッ!揃いも揃ってマスターに愛されてるサーヴァントばっかりじゃねぇか!爆発しろ!」
「よそのマスターにちょっかいかけまくってる貴様が言うな!貴様が爆発しろ!」
追加の食材を持って来たアーチャーの言葉に、ランサーは小さく舌打ちをすると、テメェは一番爆発しろと思ってんだ、と大真面目に口をひらいた。それにムッとしたような顔をアーチャーは作ったが、凛が小さく、その辺にしときなさい、と短く言ったので言葉を飲み込んだ。
そのやり取りをハラハラとした様子でアイリが見守っていたのだが、モリモリとたこ焼きを口に運びながら、セイバーが口を開いた。
「アーチャーとランサーはいつもあのような感じなので心配不要ですアイリスフィール」
「そうなの?大丈夫?」
「ええ。なんやかんやで仲はいいです。シロウ、おかわりお願いします」
どちらがマスターなのか、サーヴァントなのかと言うレベルで、せっせとセイバーのためにたこ焼きを焼く士郎を見て、アイリは微笑むと、小声でつい心配しちゃって、と呟いた。
「……そうね。私達の聖杯戦争は本当に聖杯戦争だったから……敵陣営と仲良くっていうのもなかったし」
第四次聖杯戦争は同盟を組んだチームも稀であった。いかに敵の裏をかくか。同盟を組んでも、いつ相手を陥れるか。そんな聖杯戦争しか知らなければ、この光景は異様に見えるであろう。
そして何より、マスターのサーヴァントの関係が良好である陣営が殆どなのだ。ランサーのところはランサーのところで、基本的には放任主義であるところは彼もそう悪く思っていない筈である。
「そうね、セイバーも楽しそうで良かったわ。ごめんなさいね。あの時貴方にはとても無理をさせていたわ」
反省するようにアイリが言葉を放ったので、セイバーは驚いたような顔をして首を振った。アレは決してアイリが悪かった訳ではない。
「キリツグが悪いのよ。はい、お母様!」
「そうです。キリツグが悪い。貴方が気にする必要などありません!」
たこ焼きの追加を持ってきたイリヤの言葉に同調するようにセイバーが言葉を添えたので、士郎は思わず苦笑した。
「爺さん……セイバーに何したんだよ……」
「マスターとしてなすべき事をしただけだよ」
多分マスターという役割を考えれば、寧ろ士郎の方が異端であるのは同じマスターであった凛等は痛いほど分かるであろう。けれど、それだけでは駄目だと言うのも凛には理解できる。いかに己のサーヴァントの力を有意義につかうか、ひき出すが。それもマスターの資質ではある。その点で言えば言峰綺礼等は、ランサーの能力や性格を加味してそこそこうまく使っていた。妹弟子が心配だから一時的に同盟を組めと平気で言うし、その様な理由をランサーが嫌がらないのを把握して上手く使っていた訳だ。例え一時的に同盟を組んだとしても、情に流されていざという時に仕損じるとも思っていなかっただろう。彼等が決裂したのは、あくまでお互いの譲れない一線を超えた時。互いに情で流された訳ではない。
「まぁ、マスターとサーヴァントって言う意味では私は割りとずっと上手く行ってたしね。イリヤもそうかしら」
「凛の所に負けないわよ!バーサーカーはずっと私を守ってくれてたもの」
胸をはって自慢するようにイリヤがいうので、凛は思わず表情を綻ばせた。あの巨人はずっとイリヤだけを守り続けた。どんな無理難題もやってのけたし、常にイリヤの信頼に応え続けた。そして、それは己のサーヴァントも同じだと思うと、凛は誇らしい気持ちになり、口を開いた。
「私のアーチャーもそうよ。時々マスターを思う余り、無茶するけどね」
「凛!」
思わず声を上げたアーチャーを見て、凛は瞳を細めて笑った。
タッパーに詰められた材料と、紙袋に詰められたたこ焼き器をぶら下げてアインツベル一家は満足そうに帰っていった。きっと明日にでもバーサーカーはイリヤ特製のたこ焼きを口にするだろう。
「ランサーは晩飯食ってくのか?」
「坊主は優しいなオイ。お前さんの成れの果ては帰れオーラ出してっけど、ここは坊主の家だしな!サバ使っていいぞ!」
ランサーの言葉に士郎は笑うと、ありがとう、と言葉を放って台所へ引っ込んでいった。昼食の片付けはアーチャーがやってしまったが、夕食の仕込みをするのだろう。
「では道場で汗を流しますか?」
「いいねぇ。腹ごなしすっか。アーチャーはどうすんだ?」
セイバーの提案にランサーは乗ると、赤い男に視線を送った。すると彼は、少し思案した後に、凛に視線を送る。
「君はどうする?」
「夕方には桜も来るだろうし、今日は泊まるわ。別にいいでしょ?」
「諒解した。ではセイバーに付きあおう」
するとセイバーは久しぶりにアーチャーと手合わせができると喜んで、凛に礼を言う。
「ありがとうございますリン!それではアーチャーをお借りします!」
ガシッと彼の腕を掴んで引きずる様に道場へ向かうセイバーを見て思わず凛は吹き出した。
「逃げやしないのに」
「そんでも、嬢ちゃんのサーヴァントだしな。勝手に借りるのもできねぇだろ?」
「あら、申請が出ればちゃんと貸すわよ。勝手に持っていかれたら嫌だけど。ちゃんと私の所に帰ってくるもの」
凛の言葉にランサーは尻上がりに口笛を吹くと、ごちそうさま、と短く言葉を置いて、セイバーの後を追った。
アイリスフィールマジ天使
20120922