*虎聖杯壱*
【虎聖杯戦争】と呼ばれる戦いがあった。
ある日突然冬木市を覆った【あたまのわるい結界】
『毎度おなじみ、聖杯戦争、聖杯戦争でございます。ご不要になった夢希望、もう諦めた野望などございましたら、お気軽にコロシアムまでお越しください』
藤ねえのせいだ。
誰もが思いながらも、その狂乱の祭りに冬木市のマスターとサーヴァントは身を投じた。
衛宮切嗣はこの【虎聖杯】の力によって再び冬木の地に降り立つ事になる。それは聖杯の齎す奇跡。10年前の聖杯戦争で失ったアイリスフィールとの再会。衛宮士郎との再会。そして、愛娘イリヤスフィールとの再会。
『皆が幸せになればいい』そんな藤村大河の願いを叶えた虎聖杯は、原理等何一つ分からないが、衛宮切嗣に再び家族と暮らすという幸福な夢を見せたのだ。
……しかしながら。アイリスフィールは相変わらずメシマズで、衛宮士郎は相変わらずいい子であったのは衛宮切嗣には懐かしいものであった。しかし非情な10年の歳月は、愛娘イリヤスフィールと、衛宮切嗣との溝を深くしていた。
10年前にアインツベルンに置き去りにされた彼女は、切嗣の顔を見るなり「キリツグ殺す!」と事もあろうにバーサーカをけしかけてきたのだ。
「覚悟していたが、娘が反抗期だー!」
悲鳴を上げる衛宮切嗣。周りから見れば反抗期に殺す連呼など物騒極まりないのだが、衛宮切嗣は大真面目に彼女の態度を反抗期だと思っていた。その場はなんとか凌ぐが、一緒にアインツベルンの城に住んでいるのにも関わらず、会話らしい会話もない。アイリスフィール等は笑顔で、イリヤもお年頃だし、男親に対しはそんなものよ、等とのほほんと言っている。衛宮士郎に反抗期らしい反抗期がなかったせいもあり、衛宮切嗣はほとほと愛娘とのコミュニケーションに困り果てていた。
10年の溝を埋めたい。
そう願って空回りする衛宮切嗣であったが、そんな彼が最近気に入らないのは、愛娘が懐くとある男であった。
「アーチャー!行くわよ!」
お気に入りのコートを翻し、アインツベルンの城の前でイリヤは声を上げた。それに従うのは、赤い弓兵。今は私服を着ているので赤くはないが、とりあえず赤い弓兵と呼ばれる遠坂凛のサーヴァントであった。
「いってらっしゃいイリヤ」
「おみやげ買ってくるわね、お母様」
母親であるアイリスフィールとの関係は良好であるイリヤは笑顔で彼女の頬にキスをして、行ってきます!と嬉しそうに顔を綻ばせた。
「どこに行くんだ」
苛立たしげに言う切嗣の声に、イリヤは、ちらりと彼の方を見ると、ぷいっとそっぽを向きアーチャー後ろに隠れる。その行動にアーチャーは困り果てたような顔をして、口を開こうとするが、先にアイリが笑いながら切嗣に優しく言葉をかけた。
「春物のコートを見に行くんですって」
「なら僕と行こう、イリヤ」
「厭。行くわよ、アーチャー」
「イリヤー!」
切嗣の悲鳴も虚しく、イリヤはグイグイアーチャーの大きな体を押して、無理矢理出発させる。それを涙目で見送る切嗣。親馬鹿だと言われようが娘は可愛いし、自分以上に娘が懐いている男も気に食わない。
そんな切嗣を見てアイリスフィールは困ったように笑った。
「もう。キリツグったら。イリヤだってお年頃なんだからボーイフレンド位いいじゃないの」
外見年齢は10歳コソコソであるが、イリヤスフィールは正真正銘18歳で、衛宮士郎の義姉にあたる。切嗣も、この訳のわからない虎聖杯によって呼び出された時に、月日の流れに関しては一応聞いていたので理解はしている。しかし、まっとうに成長した士郎はともかく、ホムンクルスであるが故、最後に会った時と変わらない容姿であるイリヤに対してはどうしても昔のままのイメージを引きずっている。
ボーイフレンドが出来たことを百歩譲って許したとしても、そもそも切嗣はあの赤い弓兵が何者であるか全く情報を得られていなかったので、胡散臭いと感じるのも仕方が無いだろう。
第五次聖杯戦争に参戦したマスターサーヴァントの情報に関しては、衛宮切嗣はその悲しい習性から一応データを揃えはした。聖杯戦争中であるのならともかく、平和を満喫中のサーヴァントやマスター情報を集めるなどさほど苦労はない。堂々と『葛木メディア』とか『佐々木小次郎』とか名乗っているのだから驚きである。この衝撃は第四次聖杯戦争で征服王イスカンダルが堂々と名乗りを上げた時以来の衝撃であった。
しかしながら、あの赤い弓兵の情報だけは何一つ集まらなかったのだ。
遠坂時臣の娘、凛のサーヴァントでアーチャー。家事技能が高い。鉄壁の家政夫。そんな情報はいくらでも入ってくるし、みな口をそろえてメシウマの面倒見のいい兄ちゃんと言う。
けれど肝心の真名に関しては、衛宮士郎を含めサーヴァントもマスターも口を閉ざしてしまう。
余程きつく口止めされてるのだろう。喋ったら飯抜きだとでも言われているのかと切嗣はセイバーに嫌味を言った事もあったが、彼女はちらりと切嗣の方を見ただけで返事もしなかった。
「でも、皆の評判も良いし、良い人じゃない」
アイリの言葉に切嗣は眉間の皺を深くする。
宝具からの推測も考えたのだが、それも切嗣は失敗した。
先日アインツベルンの森で、ランサーと、遠坂凛に関した宝具開放ガチバトルをやっているのをたまたま見かけ、これ幸いと覗きに行った次第なのだが、見れたのは莫邪干将の夫婦剣でゲイ・ボルグを裁く姿と、鉄壁の熾天覆う七つの円環の展開。挙句の果てにアーチャーが約束された勝利の剣まで持ち出すという、赤と蒼の戦いが繰り広げられた時は衛宮切嗣も思わず空を仰いだ。
意味がわからないと。
一人で複数の宝具を持つ事もあるが、余りにも持ち出す武具がバラバラ過ぎる。
似ているといえば、第四次聖杯戦争でアーチャーであった金ピカサーヴァントである。彼は王の財宝という宝具を展開し、世界の宝具のオリジナルとも呼べる武器を投擲して戦っていたのだ。しかし、彼の場合はあくまで宝物庫に収めているというだけの話で、本人が使いこなしているという風ではない。ただ投げつけて物量で勝敗を決しているのだ。
少なくとも莫邪干将に関してはあの魔槍を捌ける程度には使いこなしているし、本人も弓兵と言うよりは剣士と言ったほうがしっくり来る風貌をしている。どこが弓兵なのだ。毎度毎度聖杯は弓兵の選定アバウト過ぎるだろ、と思わず切嗣は突っ込みたい気分になった。
そんな戦いを眺め、いまなら狙撃出来るかもしれないと、そっと武器を構えた所、イリヤに見つかりバーサーカーをけしかけられた上に、彼女はそのまま赤と蒼の戦いに乱入し彼等の勝敗は有耶無耶になってしまった。
その晩はアインツベルンの森を台無しにした侘びにと、城でその家事能力を遺憾なく発揮しアイリスフィールはあっさり陥落。おいしいごはんでした。ごちそうさまでした。棒読みで言う切嗣に対し、あの赤い弓兵は困ったように笑うだけであった。
久しぶりにやってきた育ての親が、来るなり卓に突っ伏しぶつぶつと魂魄が抜けかけているのを眺め、衛宮士郎は困ったようにその姿を眺めた。
あの後イリヤとアーチャーについていって追い返されたのだ。無論バーサーカーをけしかけられた。
「大丈夫か?爺さん」
「士郎……お前はいい子に育ってくれた……僕は……もう駄目だよ」
よよよ、と泣き出す切嗣を見て、セイバーは冷たい視線をちらりと送るだけで、黙ってランサーの買ってきた大判焼きをを食べている。
「なんだ?おっさんまたバーサーカーけしかけられたのか?」
呆れたように言うランサーの言葉に、切嗣は項垂れてお茶を口にした。
「そもそも君たちが彼の事を喋らないから悪い」
「それは責任転換しすぎですキリツグ」
「だから、教えてくれないかランサー」
「……」
セイバーの言葉をガン無視した切嗣を見て、士郎もランサーも呆れるしかない。不仲だと聞いていはいたが、実際見るとこれは酷いとしかいいようがないレベルであった。セイバーが根に持っても仕方がない徹底無視。これでよくもまぁ第四次聖杯戦争を勝ち上がってきたなオイ、とランサーなどは思わず突っ込みたくなったりもしたが、セイバーが言うには、切嗣の愛妻であるアイリスフィールが常に間に立って頑張ってくれていたらしい。可愛いだけじゃなくて性格もいいのか、アイリスフィールマジ天使、とランサーが呟いてセイバーに約束された勝利の剣を叩きつけられそうになったのも少し前の話。ナンパしたのがバレたら、殺されるかもしれないと本気で肝を冷やしたモノだ。
「無理。アイツのメシ食えなくなると困る」
「サーヴァントは食事など必要ないだろ?」
「あのな。教会で毎日毎日激辛麻婆をドS親子に食わされてる俺にそれ言う?アイツのメシは心の潤いなんだよ」
「でも君たちはどちらかと言えば不仲だろ。敵の敵は味方って言うことで」
「……外道だなオイ」
切嗣の言葉に士郎は困ったように笑っただけであったが、セイバーはぎろりと睨みつける。正々堂々を旨とするセイバーと、敵の裏をかくことに特化している衛宮切嗣では絶望的に相性が悪い。彼の言葉の端々に腹を立てているのだろう。
「別にいいじゃねーの。イリヤスフィールの買い物に付き合うぐれぇ。アイツ頼まれりゃ誰の買い物だってついてくぞ」
「だからだよ!他の女にもフラフラ付いていくような不誠実な男はイリヤに相応しくない!」
「マイヤがいた貴方がそれを言うのですか!」
バン!と卓を叩くセイバーであったが、それも切嗣は無視をして、ランサーに視線を送る。マイヤって誰よ、とランサーは聞きたくて仕方なかったが、セイバーの機嫌も急降下であるし、不誠実云々の時に名前が出たのなら、息子の士郎に聴かせる話でもないのかもしれないと空気を読んで、ランサーは大きくため息を付いた。寧ろ、今眼の前に入るお宅の息子さんも、皆が幸せになればいいと女にフラフラ付いていく……否、振り回されてるんですけど、と思わないでもない。
「悪いやつじゃねぇって。ちょっと小煩いけどな。なぁ坊主」
「……そうそう。爺さんが心配するようなことじゃないって」
「そもそもなんで、遠坂家ってのは自分のところのサーヴァント放置なんだ?四次の時といい……」
「うん。うちの成金王子の事ですね。仕様だからアレ」
ブツクサ言う切嗣にランサーはそう返答した。実際に参加したことはないが、話に聞く第四次聖杯戦争というのもかなり酷いものであったらしい。本来遠坂時臣に召喚されたはずのあの成金王子ギルガメッシュが、第五次聖杯戦争では言峰綺礼と組んでいた時点で大体何があったか解る。単独行動持ちなのをいいことに好き勝手やったのだろう。
ただ、遠坂時臣と遠坂凛の大きな違いは、サーヴァントの信頼を得ているか否かである。放置といっても、アーチャーは死んでも遠坂凛を裏切ることなどない。凛に何かあればいの一番に駆けつけるだろうし、凛もそう信じている。絶対的な主従関係とそれ以上の絆。クソ、横槍入れる隙がねぇ、と何度ランサーは苦渋を舐めたことか。
「そもそもアーチャーは凛嬢ちゃん一番だからな」
「うちの娘のどこが遠坂の娘に劣るっていうんだ!」
「認めたいのか認めたくないのかどっちだよおっさん!」
もうやだ、この人。そんな事を考えながら、ランサーは最後の大判焼きを割って、セイバーに半分渡す。全部食べてしまうと機嫌を損ねると思ったのだが、今更これ以上機嫌が悪くなるとか何それ怖い、という状況である。
もきゅもきゅと最後の大判焼きを平らげたセイバーは、すくっと立ち上がるとランサーに視線を送り口を開いた。
「この男に付き合っていても時間の無駄です。手合わせでもしましょうかランサー」
「……それでさ、ランサー。やっぱアーチャーのこと喋る気ない?」
だから、二人で別のこと言わないで欲しい。そう思いながら、ランサーはどうしようもなく不仲な元主従を眺めて遠い目をした。
結局不機嫌さMAXのセイバーを放置も出来ず、ランサーがセイバーに付き合い、切嗣の話は士郎が付き合うという形で何とかその場は収まった訳なのだが、手合わせしても苛々が募るセイバーをランサーは外に連れ出した。アーチャーであるのならば美味しいものでも作って機嫌を取るのだろうが、あいにくランサーにそのスキルはない。
「大判焼きは食ったし、ケーキバイキングにするか?」
「了解しました」
昼過ぎであるし、その辺りが妥当だろうランサーは思いセイバーに声を掛けると彼女は素直に頷く。頼むからギルガメッシュにだけは見つかるなよと祈りながら、ランサーはセイバー御用達の店へと入っていった。
セイバーの前にどんと並ぶケーキ。見ているだけで胸焼けしそうなランサーは、紅茶を飲みながら黙々と食べるセイバーを眺める。
「しっかし、アインツベルンの嬢ちゃんもここ最近急にアーチャー連れ出すようになったな」
「キリツグへの当て付けでしょう。いい気味です」
憮然とそう言い放つセイバーに思わずランサーは苦笑した。切嗣が現れるまではどちらかと言えば士郎の方にひっついていたイリヤであったが、ここ最近はアーチャーがお気に入りなのだ。やれ買い物だ、映画だと理由をつけては呼び出してエスコートさせる。
「……遠坂の嬢ちゃんがなんにも言わねぇのもあるんだろうけどな」
「『アーチャー1日エスコート券・1枚1万円』だそうです」
「なんだそりゃ」
セイバーの言葉にランサーは思わず紅茶を吹きそうになる。するとセイバーは大真面目な顔をして言葉を続けた。
「余りにもイリヤスフィールがアーチャーを呼びつけるので、凛が冗談でそんな話を彼女にしたそうです」
「そんで?」
「イリヤスフィールは30枚一括購入したと聞きます」
金持ちパネェな……と思わずランサーは遠い目をする。つまり、ランサーがバイトをするようなもので、丁稚奉公にアーチャーは出されているのだろう。無論アーチャーが本気で嫌がれば、あかいあくまとてそんな非情な券を売りには出したりはしないだろうが、アーチャー自体料理を作るとか、買い物に付き合うとかは暇を持て余していることもあってさほど苦痛ではないのだろう。しかも相手はどちらかと言えばアーチャーが比較的甘やかしているイリヤスフィールだ。凛自体もバイトだと割り切っているから腹も立たないし、そもそもイリヤスフィールが脅威とも感じていないと言う事もある。
「私にも財力があれば、1日券を購入してずっとアーチャーに食事を作って欲しかったのですが……」
うん、多分それは遠坂の嬢ちゃん売ってくれないから、と思いながらランサーは紅茶に口をつける。士郎の食事も十分美味しいが、やはりアーチャーと比べるとどうしても劣る。年季の差ではあるのだろうが。
「……別におっさんに言っちまってもいいんじゃね?」
「アーチャーが嫌がります」
「まぁ、そりゃそうなんだがな」
しかし余りにもあれは酷いと思う。バーサーカーをけしかけられても諦めず娘の事を心配する父親。本当は姉弟のコミュニケーションなんだとわかればきっと安心するであろう。けれどアーチャーは頑なに己の正体を明かすことを嫌がった。遠坂凛がアーチャーの意思を尊重し、他のマスターやサーヴァントに正体を明かさないように頼んで回ったり、脅したりしたのはいつだったか。因みにランサーは凛に可愛くお願いされた訳なのだが、その後に来たアーチャーには、ばらしたらメシ抜きだとがっつり脅された。酷い主従である。
「まぁ、漏れるとしたら貴方の所のマスター位でしょう。人の不幸が楽しい破綻者ですから」
「あー。言えてる。けど詳しくは知らねぇけど、キリツグのおっさんはうちのマスター苦手みてぇだからな。大丈夫じゃね?」
思い浮かべたのは死んだ魚のような目をした教会の神父・言峰綺礼。人の不幸を愉悦とする人格破綻者。けれど幸いな事に、第四次聖杯戦争で何かあったらしく、普通に衛宮切嗣は教会には寄り付かない。
「ギルガメッシュなんかは聞かれて素直に答える質じゃねぇしな」
「そうですね」
こくこく頷くセイバー。しかし、ランサーに言わせれば、現在のセイバーは衛宮切嗣の不幸で飯が美味い状態なので、言峰綺礼の事を人格破綻者と言い放つのもひどい話だと思う。
「あ、セイバー、ランサー」
そんな事をぼんやりと考えていると、可愛らしい声が聞こえ二人はそちらを振り向く。すると、紫色のコートを着たイリヤが二人に笑顔を向けていた。隣に立つアーチャーは彼女の買ったものであろう荷物を持って立っている。
「よぉ。デートは順調か?」
「そうね。アーチャーのエスコートですもの。悪くはないわ」
ふふっと、嬉しそうに笑うイリヤを見て、セイバーは思わず口元を緩めた。容姿はアイリスフィールに良く似ていて愛らしいし、笑っている顔を見ると彼女を思い出して幸せな気分になる。
「君も食べるのかね?」
「そうね、ご一緒していいかしら?」
アーチャーの言葉にイリヤはセイバーとランサーに伺う様に言う。無論断る理由のない二人は頷き、座るように促した。
イリヤのために椅子を引き、ウエイトレスを呼ぶアーチャーの姿を見て、ランサーは咽喉で笑うと口を開いた。
「そーやってっと、家政夫って言うより執事だな」
「……どちらも本職ではない」
そりゃ、そうだ。本職は正義の味方だろ、そう言いたくなったが、ウエイトレスが注文を取りに来たので、ランサーは口を開くことをしなかった。
「バイキング?あそこにあるの選んでいいの?」
「えぇ。食べ放題です」
「沢山はいらないけど……そうね、選んでくる」
アーチャーを連れてイリヤはケーキを選びに行く。余りこのような場所には来ないのだろう。ギルガメッシュといい金持ちには縁のない大衆的な店だ。もしかしたら、普段は入らないが、たまたまセイバーやランサーの姿を見つけてイリヤは店に入ってみたのかもしれない。
「……あーやって見ると意外と似てる気がすんな。髪の色のせいか?」
「そうですね」
魔術を使う代償として髪の色も肌の色も瞳の色も変わってしまったアーチャー。イリヤはイリヤでアインツベルンホムンクルスなので髪などの色素が薄い。衛宮士郎とイリヤが並んで姉弟だと言われてもピンと来ないが、アーチャーとイリヤならば髪の色が似ている事もあって、そう見えないこともない。
「安っぽい味ね。でも、ソースが美味しいわ。何かしら?」
「アプリコットだろう」
戻ってきたイリヤは早速ケーキを食べ始める。そんな中、一つ気に入った味があったのか、イリヤは首を傾げてそんな言葉を放った。それに対しアーチャーはイリヤの差し出したケーキを一口食べてそう返答する。
「作れる?」
「材料さえあれば」
「そう?じゃぁ、今度お母様に食べさせてあげたいから作って!」
「了解した」
そんなやり取りを眺めながら、セイバーはササクレだった気分を随分癒されたのか、表情が大分柔らかくなっていた。それに対してはランサーは有難いと思わずイリヤを拝みたくなる。
「イリヤスフィール。クリームがついています」
セイバーはそう言うと紙ナフキンでイリヤの頬を拭いてやる。恥ずかしそうにしていたイリヤであったが、瞳を細めて礼を言う。あれ?何かほのぼの家族の中に俺異分子じゃね?等と一瞬ランサーは思ったが、口に出さずに紅茶に口をつける。
「セイバーとランサーは良く一緒に出かけるの?」
「いえ。今日はたまたまです。その……家にキリツグが来ていましたのでランサーが外にと連れだしてくれたのです」
「あら、気が利くのねランサー」
「お褒めに預かり光栄だな。っていうかさ、キリツグのおっさんとセイバーが一緒にいるってだけで空気悪いのなんのって、俺も耐えられなかったからな」
ため息混じりにそう言うランサーを眺めて、イリヤは小悪魔のよう可愛らしく笑った。
「キリツグが悪いんだもの。仕方ないわ」
「そうです。キリツグが悪いんです」
どんだけ嫌われてんのお父さん。アンタの愛娘と、息子のお嫁さん候補は結託してアンタ追い落とす気満々で怖いんですけど。そんな気分で一杯になったランサーは苦笑しながらアーチャーに視線を送る。喋り出したら説教臭く話は長いが、普段は必要以上に喋らないアーチャーはいつもの様に黙って紅茶を飲んでいるだけである。きっと切嗣はこのすました顔も、口数が少ないのも気に入らないんだろうなとぼんやりとランサーは考えた。
「今日だってついてこようとしたのよ!」
「そんでバーサーカーけしかける嬢ちゃんも酷いけどな」
「あら、ちゃんと加減はするように言ってあるわ」
加減なしでバーサーカーと戦うなど、ランサーも御免被りたい。あのチートとしか言いようのない宝具持ちサーヴァントとガチバトルなど自殺行為以外の何者でもないだろう。まぁ、それでもギルガメッシュはその手数の多さから勝利はしていたし、アーチャーも半分はあの宝具を削ったというのだから驚きだ。カテゴリーアーチャーは揃いも揃って手数の多さだけは頭一つ分他を引き離している。
「そんで、キリツグのおっさん引剥してお買い物か?」
「そうよ。春物のコートが欲しかったの」
セイバーなどは服にはどちらかと言えば拘らないが、イリヤなどは割と可愛らしい服を取っ替え引っ替え着ている。時折長い髪を結ったりもしているが、それをアーチャーがやっていると聞いた時は、どれだけ器用なんだとランサーだけではなくセイバーも愕然としたものだ。
「今日はシチューもアーチャーに作ってもらうの。人参星型にしてくれるって。TVで見て一度試してみたかったのよ」
イリヤの言葉にセイバーが羨ましそうな顔をしたので、思わずランサーは口元を緩めた。
「味はかわんねーだろ」
「そうね。でも見た目が可愛いわ」
時折飾り切りの腕を披露して皆を驚かせるアーチャならば、人参を星型にするなど朝飯前だろう。イリヤが子供らしく笑うのを見て、あぁ、これはたしかに切嗣への当てつけだとランサーは納得する。父親に甘える娘の様だ。こんな家事万能の父親など早々いないであろうが、姉弟と言うよりはそう見える。
「しかし、アインツベルンで夕食を作るとなると凛が困るのではないですか?」
「大丈夫よ。今日はリン、シロウの所に行くって言ってたし。酢豚だって」
「……酢豚……」
ゴクリとセイバーの喉が鳴る。アーチャーのシチューも食べたいが、凛の酢豚も捨てがたいと思っているのだろう。衛宮邸で万能アーチャーを除けば唯一中華を作るのが遠坂凛である。食事を作る頻度で言えば、遠坂凛は比較的少ない方であるので、ここは酢豚を逃すのは惜しい。大真面目にそう考え、セイバーは残念そうに口を開いた。
「そうですか。では私は凛の酢豚を楽しみにすることにします」
「えぇ。キリツグもいるだろうから、その分も一杯食べていいわよ」
「承知しました」
結託する二人を見て怖いと思いながら、ランサーはどするか悩む。教会に帰ってもどうせ麻婆だろうし、それならばセイバーにくっついて衛宮邸に酢豚を食べに行ったほうがいい。しかも凛の手料理だ。
「良かったわねランサー。凛の手料理よ」
「……そーだな。隣の弓兵が睨んでなきゃ手放しでハッピーだったんだけどな」
イリヤの言葉にランサーは瞳を細めて笑った。
士郎に愚痴を言って少しすっきりした切嗣は、目的もなく冬木の街をぶらぶらとした。本当はもう少しアーチャーの情報収集をしたかったのだが、セカンドオーナー遠坂凛の影響力は予想以上で、今更他の情報が出てくると言う事もない気がして切嗣はため息を付いた。
精々遠坂の力が及ばないのは教会ぐらいであろうが、あそこには死んでも行きたくない。虎聖杯はこともあろうか、あの神父まで復活させてしまったのだ。
「……ほう。珍しい顔だな」
後ろから声をかけられ、切嗣が振り返りと、そこには第四次聖杯戦争でアーチャーとして召喚されたギルガメッシュが立っており、彼は思わず警戒態勢を取った。しかし、ギルガメッシュは気にした様子もなく愉快そうに口元を歪める。
「教会に行くのか?」
「死んでも嫌だ」
「コトミネが残念がる」
咽喉で笑ったギルガメッシュは赤い瞳を細めた。それを見て不快そうに切嗣は眉を寄せたが、ふと、彼にはまだアーチャーの事を聞いていない事を思い出してダメ元で聞いてみることにした。
「アーチャーの真名は知っているかい?」
「……アレは【無銘】であろう。我と同列に語るなど不快だ」
「無銘?」
思わずそう反芻した切嗣を見て、愉快そうにギルガメッシュは瞳を細めた。
「そうだ。その生命も、理想も、剣も全て借り物の贋作者」
──体は剣で出来ている。
血潮は鉄で 心は硝子。
幾たびの戦場を越えて不敗。
ただの一度も敗走はなく、
ただの一度も理解されない。
彼の者は常に独り 剣の丘で勝利に酔う。
故に、生涯に意味はなく。
その体は、きっと剣で出来ていた。
アレの詠唱は良くできている、そう言って笑ったギルガメッシュを見て切嗣は驚いたような顔をする。それを眺めながら、ギルガメッシュは再び口を開いた。
「……死ぬまで借り物の理想を抱えて、死んでなお、借り物の剣で戦い続けた、哀れな男の成れの果てだ。人の信仰によって座に押し上げられた、我ら英霊とは根本的に違う。アレはただの人がつまらぬ奇跡を望んで、その代償に全てを世界に差し出した」
「だから【無銘】か……」
「そうだ。アレの名に意味はない」
英霊とは元々人の信仰によって成り立っている。伝説や物語、それによって語り継がれることによって、神性を持ち英霊となるのだ。生涯に意味はない、そう己自身で言っているように、彼の生前の生き方等、人に信仰されることのなかった彼には無意味であると。
「駄犬やセイバーのほうが余程贋作者の事を知ってるであろう」
「生憎遠坂の娘のお陰で緘口令を敷かれてしまってね」
その言葉に愉快そうにギルガメッシュは笑う。
「アレは面白い娘だ。トキオミもアレぐらいならば我も退屈しなかったのだがな」
余裕を持って優雅たれ。そして優雅に敵をぶっ飛ばす!どう間違ってあのつまらない男からあの娘が出来上がったのかとギルガメッシュも驚いたものだ。言峰綺礼も気に入っているのか何かとちょっかいをかけては、邪険にされている姿もまた愉快であった。世界はこんなに愉悦に満ちているのに、この世の不幸を背負い込んだような切嗣の顔と、贋作者の顔が重なって、ギルガメッシュは不快そうに眉を寄せた。
「同族嫌悪とはよく言ったものだな」
「?」
「……まぁ、贋作者の事を嗅ぎまわって、真実にたどり着いたとしても貴様はコトミネを喜ばせるだけだ。それもまた一興だがな」
愉快そうにギルガメッシュはそう言うと、軽く手を上げてその場を後にした。それを見送った切嗣は眉間に深いシワを刻む。辿りついたとして何故言峰を喜ばせることになるのか理解できなかったのだ。ただ、分かったのは、アーチャーと言う存在は普通の英霊ではないという事だけ。ギルガメッシュの話が全部真実であったとすれば、人の信仰に残らなかった英霊を調べるなど不可能である。
「ふりだしに戻ったか」
つまらなさそうに切嗣は呟くと、踵を返して衛宮邸に戻った。
「アーチャー。貴方も座りなさい」
「……しかし……」
アインツベルンの城に戻り、新しく買ってきたコートをアイリスフィールに披露した後の食事の席でイリヤはそうアーチャーに言葉を放った。
「遠慮しないで。キリツグもいないし、一緒にお食事しましょ」
笑顔でイリヤに口添えするアイリスフィールに困り果てたような顔をアーチャーはする。まだ戻っていないだけで、夕食を食べに切嗣が戻ってきて自分がいたら不快だろうと彼は思っていたのだ。
「大丈夫よ。さっきランサーが『セイバーとキリツグの空気が最悪で食事が大変』ってメール送ってきたし。帰ってこないわ」
そこまで言われれば断る理由もなくなってしまうし、アイリスフィールもニコニコとアーチャーが座るのを待っている。仕方がないと言うようにアーチャーが着席すると、イリヤは満足そうに笑った。
「素直でよろしい」
「君には適わないな」
そう零したアーチャーを見て、アイリスフィールは瞳を細めて笑った。
正体不明のサーヴァントではあるが、アイリスフィールは彼のことは嫌いではなかった。セイバーが信用しているし、イリヤも懐いている。態度も紳士的で控えめであるし、何よりご飯が美味しい。切嗣の気持ちは分からないでもないが、娘に素敵な友達が出来たことは喜ばしいと思っていた。
食事の間、イリヤは今日あった事をアイリスフィールの上機嫌にはなし、彼女は笑顔でそれを聞く。アーチャーも時折相槌を打つが、基本的には自分からは喋らない。
「無口なのね」
「……生憎女性を喜ばせるような話を持ち合わせていない」
「あら。そうなの?」
ふふっと柔らかく笑うアイリスフィールを見て、アーチャーは恥ずかしそうに視線を逸らした。その姿にアイリスフィールは少しだけ驚いたような顔をして、笑った。
「イリヤのボーイフレンドは恥ずかしがり屋さんね」
「リンに似たのよ。似たもの主従って言われてるもの」
その言葉に、アーチャーは目を丸くするが、直ぐに咽喉で笑い口を開いた。
「うっかりまで似た覚えはないがな」
「……思ってるのは本人だけよ」
可愛らしい微笑みを浮かべたイリヤを見て、アーチャーは困ったように笑い、食後のお茶の準備をすると席を立った。
イリヤが席を外していたので、アーチャーはアイリスフィールの分だけの紅茶を淹れると、彼女の前にカップを置く。それを見て、彼女は瞳を細めて笑い礼を言った。
「食事とても美味しかった。イリヤも喜んでたみたいで嬉しいわ。セイバーが自慢するだけあるわね」
「セイバーが?」
「えぇ。貴方の食事はとても美味しいって。シロウの食事も褒めてたけど、貴方のが一番だって思ってるのかもしれないわね」
「それは光栄だ」
屈託なく笑ったアーチャーを見て、イリヤスフィールは驚いたような顔をする。何時も困ったように笑っていたので、素直に表情を出すのが珍しかったのだ。
「……ちゃんと笑えるのね。安心した」
「不快に思っていたのならすまない」
アーチャーの返答にアイリスフィールは小さく首を振ると、少しだけ困ったような顔をする。
「……少しね、キリツグに似てるって思ったの。聖杯戦争の頃の。あの時はすごく無理して頑張って、結局絶望して……そんな時にキリツグに似てるなって。だから、ちゃんと笑えるって解って安心したのよ。ごめんなさい。貴方のこと邪険にしてる人に似てるって言われても嬉しくないでしょ?でも、キリツグもイリヤの事になったら眼の色変わるけど、悪い人じゃないの。ちょっと不器用だけど」
アイリスフィールの言葉を黙って聞いていたアーチャーであったが、彼は思わず笑みを零した。
「切嗣に似ている……か……」
嫌がるかと思ったが、笑ったアーチャーを見て、アイリスフィールは不思議そうな顔をした。そう言えば切嗣はアーチャーを邪険にするが、アーチャー自身は例えばセイバーのように真っ向から反発などしたことはなかった。ただ、いつも困ったような顔をしていた。
彼の淹れた紅茶は絶品で、アイリスフィールはその琥珀色の液体を流し込む。
「イリヤ、わがままでごめんなさい。10年も放ったらかしにして、寂しい思いさせちゃって……キリツグも頑張ってはいるんだけど、どうしても……ね」
ポツリとアイリスフィールが零した言葉を聞いて、アーチャーは小さく首を振った。
「気にするほどの事ではない。うちのマスターといい勝負だ」
「……優しいのね。イリヤが甘えるのも仕方ないわ」
優しいけど、どこか哀しい気がした。英霊と言うものは、当然人と混じれば浮いてしまうのは仕方がない。けれど目の前の男は、控えめで埋没してしまいそうなのに、目が離せない危うさがあった。
「貴方の名前、キリツグには内緒なの?」
「知る必要はない」
「……そう」
イリヤも頑なに言おうとしないし、セイバーさえもアイリスフィールの懇願を突っぱねた。だからきっと何か理由があるのだろうと、彼女は薄々思ってはいたのだが、思い当たるフシもない。ただ、目の前の男に知られたくない理由があるだけなのだろう。
「……切嗣を……傷つけたくなくて……」
ポツリと零したアーチャーの言葉は、いつもの彼の言葉ではなく、どこか幼い子供を思わせる口調でアイリスフィールは驚いて彼の方を向いたが、アーチャーは紅茶のおかわりを淹れるために既に彼女から背を向けていた。
「……貴方が傷つくのはいいの?」
離れてしまってアーチャーには届かないであろう言葉をこぼし、アイリスフィールは哀しそうに瞳を細めると残った紅茶を飲み干した。
居間で煙草を吸おうとして追い出された衛宮切嗣は、ランサーがいる縁側に移動し隣に座った。手酌で月を見上げながら酒を呑む姿は、英霊には見えず思わず切嗣は苦笑する。
「いい月だね」
「そーだな。どうせならべっぴんさんと飲みてぇもんだ」
軽口を叩くランサーを見て、切嗣は瞳を細めた。第四次聖杯戦争のランサーとは同郷である筈なのに随分と雰囲気が違うと思ったのだろう。絵に描いた様な騎士であったディルムッド。決して褒められた事ではない方法を取って排除したサーヴァント。アレはアレでセイバーと切嗣の溝を致命的なものにした。
「……死ぬまで借り物の理想を抱えて、死んでなお、借り物の剣で戦い続けた、哀れな男の成れの果てか……」
「誰に聞いた?」
「金ピカサーヴァントに会ってね。本当かい?」
切嗣の言葉にランサーは咽喉で笑うと、アイツはつまんねー嘘はつかねぇよ、と瞳を細めた。
「成金王子にはそう見えたんだろ。……俺に言わせりゃ、借り物だろうが何だろうが、最後まで貫き通したんだったら、少なくとも奴の信念は本物だったんだろうと思うけどな。それに、贋作が本物に劣るって誰が決めたんだって」
可笑しそうに笑うランサーを見て、切嗣は、そうか、と短く言葉を零す。決してランサーとアーチャーの仲というのは良好ではない。けれど、ランサーはある意味アーチャーを認めているからこそ正面切ってぶつかるのであろう。
「【無銘】だって言ってたよ。人の信仰によって英霊になったのではないから、生前の名など無意味だって」
「あぁ、無意味だろうな。アイツは寧ろそんなもの殺してしまいたいぐらい嫌ってた。人知れず人を救い続けて、挙句の果てに世界に更に人を殺すことを強要されるなんざヒデェ話だ」
ランサーの言葉を黙って聞いていた切嗣は、ギルガメッシュの話をぼんやりと思い出した。ただの人がつまらない奇跡を望んで、世界に全てを差し出したと。神性もなく、信仰もなく、ただ、己の信念のみを貫き通して英霊の座についた異端の英霊。
「……いい加減アーチャーの事は諦めて下さい」
「君には関係ないよ、セイバー」
ランサーが初めてこの二人の会話が噛みあったのを聞いた訳であるが、それにしても酷い。そんな事を思いながら、ランサーは後ろに立つセイバーに視線を送る。
「そうカッカすんなって」
「私は冷静ですランサー。寧ろ、キリツグの方が冷静さを欠いている」
愛娘の事で眼の色を変えているという点で否定はできないが、衛宮切嗣に対するセイバーの態度は贔屓目に見ても冷静とはいえない。今にも噛み付きそうな空気を出してよく言う、と呆れながらランサーは瞳を細めた。
「君に言われたくはないな」
「……ならば仕方ありません。これ以上アーチャーを煩わせるというのなら、私がこの手で止めます」
「君はいつからアーチャーのサーヴァントになったんだ?」
切嗣の言葉に、すぅっとセイバーの瞳が細められる。その顔を見て、ランサーは思わず冷や汗をかく。のほほんとした平和が続いてそうそう見ることがなかった騎士王としての顔。ギルガメッシュ以外にセイバーにこの顔をさせる人間がいることに、ランサーは心底驚いた。
「セイバー」
ランサーの声にセイバーは僅かに瞳を揺らしたが、切嗣を睨みつけたまま動かない。
「イリヤといい、君といい、何故アーチャーに拘る」
それに押し黙ったセイバーを見て、切り捨てるように切嗣は言葉を放った。
「……理由すらないのか?ならば口を出すな。君の誇り高い騎士道とやらに付き合う気はない」
ピシャリと言い切る切嗣を見て、ランサーは僅かに不快感を覚えた。娘を大事に思う気持ちはわかるが、己の知っている人間を莫迦にされたように感じたのだ。それはセイバーに対しても、アーチャーに対してもだ。
しかし、ランサーは僅かに不快感を覚えただけであったが、セイバーは許せなかったようで、肩を震わせ、切嗣を睨みつけ口を開いた。
「貴方の理想が彼をその【無銘】の英霊にしたのです!」
「セイバー!」
ランサーが声を上げるが、セイバーは止まらず、更に言葉を続けた。
「人に、世界に裏切られて、挙句の果てに理想にまで裏切られて、それでも彼は己自身以外は何一つ恨まなかった。助けた人間に裏切られて、絞首刑になってもなお、人を守り続けて、世界に人を殺す事を強要されて、心も体も記憶さえもすり切れるまで戦い続けた……全て……全て、貴方の理想をついだからです、キリツグ」
「……え?」
切嗣の反応はもっともだ。きっとセイバーが叩きつけた言葉の半分も意味を汲み取れなかっただろう。仕方がないというような顔をして、ランサーは重々しく口を開いた。
「……エミヤシロウの成れの果てだよ。衛宮切嗣から借りた【正義の味方】って理想を抱えて、己自身がすり切れるまで走り続けた、歪んだ英霊・エミヤ。アヤラの守護者で、掃除屋なんだと」
これで、セイバーと同罪だ。飯抜きは半分な、とランサーは茶化したように言う。言葉もない切嗣を眺め、ランサーは瞳を細めた。
暫く沈黙を守っていた切嗣だが、彼は背中を丸めて両手で己の顔を覆い、言葉を零す。
「……士郎は……彼に至るのか?」
呟くような切嗣の言葉にセイバーは首をふる。
「そうならない為に私やリンが傍にいます。アーチャーにそう頼まれました。だから私は彼の期待に応えるためにも、シロウのためにも、ここにあり続けます」
その言葉に対する切嗣の返事はなかった。確かにこの様子を見ると、アーチャーが黙っていてくれと言ったのも理解できると、ランサーは感じた。己の理想を継いだ我が子が、歪んだ英霊になってしまったなどショックだろうと。
「……彼は僕を恨んでいるのか?」
絞る出すような声。それを聞いてセイバーは不快そうに言葉を放つ。
「先程も言いましたが、彼は己自身以外に遺恨などありません。彼が抱えているのは、寧ろ救えなかった人々への懺悔だけでしょう」
元々エミヤシロウと言うものはイビツにできていた。衛宮切嗣に拾われ、自分だけ助かったことを正義の味方になって人を救うことで清算しようとしていたのだ。徹底した滅私奉公。切嗣に感謝はすれど、恨むことなどないだろう。
「……そうか」
震える声で返答した切嗣を眺めて、ランサーは立ち上がると、セイバーを連れてその場を離れた。気持ちの整理も必要だろうし、お互いに頭を冷やす必要もあった。
うつむきセイバーの手を引き廊下を歩いていると、凛が通りかかり、ランサーはバツの悪そうな顔をする。結局二人でアーチャーの正体を暴露してしまったのだ。ガントぐらいは覚悟しておいたほうがいいと思い、ランサーは凛に声をかけた。
「あー。悪ぃ。アーチャーのことキリツグのおっさんにバレた」
「そう……まぁ、時間の問題だと思ってたけどね」
怒ることもなくサラリと流した凛の姿を見て、ランサーは驚いたように言葉を零す。
「怒らねぇの?」
「その様子じゃ、セイバーがカッカして言っちゃったんでしょ?仕方ないわよ。私も初めてセイバーとおじさまが同じ場所にいるの見た時は驚いたもの」
「申し訳ありません、リン」
しょぼくれるセイバーを見て、凛は、仕方ないわね、と慰めるように言うと、自分の部屋にランサーとセイバーを招いた。
「座って。今お茶持って来るから」
そう言って部屋を出る凛を眺めて、セイバーは直ぐに俯いた。
「しょぼくれんなよ。嬢ちゃんも怒ってねぇし。あの場合は……まぁ、仕方ねぇよ。おっさんの言い方も悪い」
「しかし……アーチャーになんと詫びれば」
冷静になれば売り言葉に買い言葉だったとセイバーも思ったのだろう。そんなセイバーを眺めてランサーは苦笑する。
「……自分の心配より俺の心配してくれよ。セイバーに対しては甘い判決だろうが、俺に対しては厳しいからなアイツ」
「全力で援護します」
「頼むわ」
ランサーが軽く言ってくれた分だけ気分は晴れた。しかし、セイバーにしてみれば、切嗣を傷つけたくないというアーチャーの気持ちを、結局守れなかったことが気に掛かるのだろう。
「はい。どうぞ」
戻ってきた凛の差し出したカップを受け取りながら、セイバーは再度凛に詫びる。すると凛は椅子に座って足を組むと、紅茶を飲みながら、いいのいいの、と笑った。
「ずっと隠せるものでもないしね。アーチャーの気持ちは解るけど」
「……キリツグが理不尽にアーチャーを煩わせるのがどうしても我慢できなくて……」
「まぁ、それ言ったら、1日壱万円でアイツをアインツベルンにレンタルしてた嬢ちゃんもせいでもあるからな。気にすんなセイバー」
「ちょっと!知ってたのランサー!?」
「今日聞いた。しっかし、アインツベルンも太っ腹だな」
咽喉で笑ったランサーを見て、凛はこほん、と小さく咳払いをすると、真面目な顔を作る。
「まぁ、イリヤの気持ちも分からないでもないしね。……多分アーチャーと父親重ねてるのよ。ただ遊びたいなら士郎を選ぶわ」
【正義の味方】になりたかった衛宮切嗣と、その理想を継いで【正義の味方】あり続けたアーチャー。重ねても仕方が無いことだ。エミヤシロウは衛宮切嗣を目指していたのだから似ているというのは寧ろ、喜ばしい事なのかもしれない。
けれど、アーチャーは結局人にも世界にも、理想にさえも裏切られて歪んだ。その姿を切嗣に見られたくなかったのだろう。衛宮切嗣の夢見た正義の味方が、単なる世界の掃除屋にしかならなかったなど、アーチャーは己に生きる路を与えてくれた恩人には知られたくなかった。だから、黙っていて欲しいと頼んだのだ。
「……アイツ見かけによらず臆病なのよね。小手先で逃げてもどうにもならないのに、相手を傷つけないために何でもやっちゃうの。莫迦よ」
呆れたような、それでいて、どこか寂しそうな凛を見て、ランサーは彼女の頭を撫でる。
「優しいな嬢ちゃんは。そんな莫迦に付き合って、アッチコッチに頭下げに行ったんだろ?」
その言葉に凛は恥ずかしそうに顔を背けると、仕方ないでしょ?私のサーヴァントなんだから、と呟いた。
アインツベルンの城の朝はのんびりとしたものである。昨日の晩散々イリヤにせがまれて、寝付くまで彼女の枕元で延々と話を聞いていたアーチャーは、その後遠坂邸に帰ろうとしたが、アイリスフィールに捕まり泊まる羽目となった。サーヴァントであるのだから夜道が危ないなどということはないのだが、アイリスフィールはさっさと部屋を準備してアーチャーを放り込んでしまった。ニコニコと笑顔で押し切られる形となったアーチャーは、とりあえず哀しい己の習性で、いつも通り台所に立っている訳である。
初めこそメイドは嫌な顔をしたが、絶品料理の味見をして陥落。彼女たちの分もついでに作るという事で、いつも快く台所を渡してもらっている次第である。
「……食材は揃っているな」
冷蔵庫と、無駄に広い台所。衛宮邸の台所でも十分なのだが、あそこは二人も入ると窮屈で仕方が無い。もう少し広ければいいのにと思ったこともあったが、アーチャー自身が料理する時は、大概手伝いは凛であるし、それぞれ暗黙の了解のようにコンビが決まってきている。
「珈琲を淹れてもらえるかな」
後ろから声をかけられて、驚いてアーチャーは振り返る。そこには煙草をくわえた衛宮切嗣が立っており、アーチャーが返事に戸惑っていると、くるっと踵を返して食堂の方へ彼は姿を消した。朝方に戻ってきたのか、夜中に戻ってきたのかは判断できなかったが、とりあえず言われた通り珈琲を淹れるために、アーチャーはだだっ広い台所から珈琲豆を発掘することをスタートした。
アーチャーが珈琲を持って行くと、切嗣は新聞に視線を送ったまま小さく頷いた。それにホッとしたような顔をしたアーチャーは、また台所に引き返そうとする。しかし、切嗣から発せられた言葉に足を止める羽目になった。
「シロウ、僕は朝ごはん和食がいいんだけど」
「分かったよ爺さん」
そこまで言って、しまったと言うような顔をしたアーチャーを眺めて、切嗣は瞳を細めた。
「……そんな顔もするんだね、君は」
「……」
明らかにうろたえて、言葉を探しているアーチャーを見て、切嗣は申し訳なさそうに笑う。
「セイバーとランサーから聞いた」
「そうか」
突き放すようにアーチャーの口調が変わったので、切嗣は新聞を畳むと、漸く珈琲に口をつける。砂糖もミルクも入っていないし、添えられていないのは、切嗣がこの味を好むと知っていたからだろう。そう思うと、目の前の男が、嫌でも自分の息子の成れの果てなのだと実感して、切嗣はただただ、申し訳ない気分になった。
息子が自分の夢を継いでくれると言ってくれた時は、本当に嬉しかった。
けれど、己の押し付けた理想の果てに残ったのが、今にも壊れそうな英霊の存在。
「……シロウ」
切嗣がそう呼ぶと、アーチャーは顔を背けて、自分にはそう呼ばれる資格はない、と零す。あぁそうか、遠坂の娘も、セイバーも、ランサーも、彼にこんな顔をさせないために、頑なに真実を伝えることを拒否したのかと切嗣は納得した。けれど、知らなければならなかった事だとも思っていた。
「僕の事を恨んでいるかい?」
その言葉にアーチャーは弾かれたように顔を上げて、首を振る。その仕草は幼い頃の士郎に似ていて、酷く懐かしかった。
「……こんな形にしか至れなかった自分が嫌になることはあっても、爺さんを恨んだことはない。感謝してる」
セイバーの言った通りで、切嗣はやるせない気持ちになる。ギルガメッシュの言った通り、真実に至れば言峰綺礼が喜ぶだけだと。衛宮切嗣は己が子供に理想を押し付けたことを懺悔し、エミヤシロウは養父の理想を抱えて、こんな形にしか至れなかったことを懺悔する。
「君がどう思っていようが、僕は……君が僕の理想を継いでくれたことは凄く嬉しかった。君が歪んだ一番の根源なのかもしれないけど……ありがとうシロウ。君は僕の自慢の息子だよ」
一晩中、彼に何を言うべきか考えた。詫びるべきなのかもしれないが、セイバーはエミヤシロウは衛宮切嗣を恨んではないと言っていた。だから、懺悔はやめた。ただ、どんな形に至っても、エミヤシロウは正真正銘、自分の息子であると言うことだけを伝えることにしたのだ。
「……爺さん……オレ……」
「ははっ。図体でかくなってもシロウは変わらないな。泣き虫だ」
そう言うと、切嗣は珈琲を飲み干して瞳を細めた。
「まぁ、だからといってイリヤの事を許したわけじゃないけどね」
「え?」
「……遠坂の娘とイリヤ。どっちを選ぶんだい?」
「はい?」
突然の言葉にアーチャーは唖然として切嗣を凝視する。しかし切嗣は大真面目に、どちらを選ぶのか選択を迫っている。
「……いや、オレはイリヤの所に丁稚奉公に来ているだけで、別に選ぶも何も……」
「あー!何アーチャー虐めてるのよ!キリツグ!」
しどろもどろになりながら言葉を放つアーチャーに、イリヤは後ろから飛びつくと、首を傾げて笑った。
「ごめんねアーチャー。キリツグが悪いのよね」
「いや、イリヤ……別に爺さんが悪いわけじゃ……」
アーチャーの口調に、イリヤはむむっと眉を上げると、切嗣を睨む。
「何だ、知られちゃったの。つまんないの」
「イリヤ。あまり親をからかうとおしりペンペンだぞ」
「やれるものならやってみなさいよ!バーサーカーでキリツグのお尻ペンペンしてやるんだから!」
イリヤの応酬に、何それ怖い、と思いながら、アーチャーはイリヤを抱き上げた。
「イリヤスフィール。今の言い方は淑女らしくない」
淡く微笑んだアーチャーを見て、イリヤは顔を赤らめると、ごめんなさい、と素直に謝罪する。それを眺めていた切嗣は面白くなさそうに二人を見上げた。
「で、どっちを選ぶんだ?」
「……いや、だから……」
「あら、おかえりなさいキリツグ」
助け舟のように現れたアイリスフィールの笑顔にアーチャーはほっとすると、イリヤを下ろし、食事の準備をすると言い台所に早々に退散した。これ以上問い詰められてもかなわないと思ったのだろう。それを眺めていたイリヤは、切嗣に視線を送ると、口を開いた。
「息子が増えた感想は?」
「うちの子は残らずいい子だよ、イリヤ」
切嗣の言葉にイリヤは満足そうに笑うと、私の弟だもの、当然よ、と胸を張る。
「息子??どういう事なの?キリツグ」
話についていけないアイリスフィールに、切嗣は淡く微笑みかけると、後で僕の自慢の息子のことをゆっくり話をするよ、と嬉しそうに言った。
お父さんは心配症的な、残念な切嗣
201202