*白昼夢終*
「メドゥーサ。お客様」
神代の偶像と謳われた姉に声をかけられ、反射的に肩を震わせたライダーであったが、姉達は、早く行きなさい、と促しただけであった。それにホッとしたような顔をしてライダーはいそいそと客の元へ向かう。
英雄を食らい続けて化物とされた彼女を尋ねる客は少ない。時折同じギリシャ出身ということで、冬木で縁があった魔女メディア……キャスターが訪ねて来ることがあるので、恐らく彼女だろうとライダーは思い出迎える。
「どうかしましたかキャスター」
そうライダーが言ったのは、つい最近彼女が遊びに来たばかりであったからだ。しかし、フードを深く被ったキャスターは返事をせず、俯きながら視線を彷徨わせていた。 それにライダーは首をかしげる。
「困ったことでもあったのですか?」
「……佐々木から連絡があったの」
「佐々木?アサシンですか?」
冬木の土地でキャスターが使役していた佐々木小次郎と言う名のサーヴァント。連絡をとっていたことにも驚いたが、ライダーは不思議そうにキャスターの顔を眺める。
「アーチャーね……いよいよ駄目みたい」
「!?」
その言葉にライダーは一瞬言葉を失う。脳が理解することを拒否したのだろう、彼女は、え?と短く返答しただけであった。
その反応に、キャスターはまた俯き、言葉を零す。
「普通は英霊の座が消えるなんてそうそうないんでしょうけど、あの坊やはずっと前から摩耗してたから……」
霊長の守護者としてアラヤに使役された掃除屋。冬木に召喚された段階で既に生前の事を覚えていないぐらい摩耗していた英霊は、冬木での仕事を終え他のサーヴァントと共に座に帰った。それはライダーも知っていたが、まさか、という気持ちが先に立った。
「……それでは……アーチャーは?」
「この世界のどこにもいなくなってしまうのでしょうね」
残酷なキャスターの言葉に、ライダーは駆り立てられるように天馬を呼び座を飛び出していった。
自分が行った所でどうにかなる問題ではないとライダーは知っていたが、どうしても彼にもう一度会いたかったのだ。
冬木の土地で、衛宮士郎の代わりに彼の身体を貪った。けれどいつしか、衛宮士郎ではなくエミヤシロウに抱いた気持ちがあった。それは歪んだ恋心だったのかもしれない。けれど結局告げれば逃げられてしまうと怖くなって、彼の同情を誘ったまま嘘をつき続けた。
彼の心の中に住むのは別の誰かだということを知っていたからだ。
生前の記憶を殆ど持たない彼が唯一覚えている、騎士王との出会い。
決して彼は表に出さなかったが、彼が騎士王に焦がれている事にライダーは気がついていた。身体を貪り、魔力パスを繋ぐと時折見える彼の大事な思い出。
だから、彼への思いは冬木での平和な非日常の中で見たうたかたの夢だと、座に帰った後は静かに沈めていた。
「……もう少しだから頑張って」
ライダーの気持ちを汲み取ったのか、全速力で東へ東へと疾走する愛馬にライダーは声をかけると、極東の座を目指した。
空には歯車。そして剣の丘。
サラサラと流れる砂を踏みしめながらライダーは座の主の姿を探した。そして視界に入った鮮やかな赤。ライダーは思わずかけ出したが、手前でピタリと足を止めた。
ひらひらと赤い聖骸布が風に靡いていた。けれど、彼は地面に仰向けに倒れており、遠くから見ると地面に剣で張り付けにされているようにも見えたのだ。思わず手をぎゅっと胸の前で握る。間に合ったのか。それとも間に合わなかったのか。
「……セイバー?」
鋼色の瞳は焦点もあっておらず既に視力は失われているのだろう。今にも消えそうな声でそう呟いたアーチャーを見て、ライダーは涙を零した。そして、改めて自分がしていた事がどれだけ残酷なことだったのか知る。情事の度に別の誰かの名を呼び続けた。彼はその度に咎めることもなく、髪を撫でてくれた。
声を上げて泣きたい。懺悔したい。そんな気持ちを押し殺して、ライダーはアーチャーの傍に跪くと、彼の手を握った。すると、アーチャーは少しだけ首をライダーの方へ向けて笑う。
「……君に看取られるとは思わなかった」
余りにも嬉しそうに笑うので、ライダーは何も言えず、ただ、彼の手を頬に当てて頷く。せめて、最期ぐらいは、幸せな夢を見たまま逝って欲しかったのだ。彼の焦がれた騎士王に見送られたほうが彼も嬉しいだろうと。
「これで漸く私もアラヤとの契約完了と言う訳だ。長かったのか、短かったのか」
自嘲気味にアーチャーが笑うと、ライダーははらはらと涙を零す。それが彼の頬に当たり、彼は少しだけ困ったように笑った。
「泣かなくていい。こうなることは分かっていた」
そう言うと、アーチャーは無理矢理身体を起こし、ライダーの顔を引き寄せると、彼女の額に口づけを落とす。
「ありがとう、ライダー。元気で」
弾かれたようにライダーは顔を上げ、アーチャーの顔を凝視する。後悔などなく、満足そうに笑っている彼を見てライダーは声を上げた。騎士王ではないと気がついていたのに、笑って逝くのかと。
「待って!逝かないで!……お願いします……セイバーに!せめてセイバーが来るまで!それに私はッ……貴方にまだ何も言って……」
「セイバーは来ない」
「そんな!」
「……来ないんだ。だから、さよなら。ライダー」
「嫌……いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
数多の英雄を屠った蛇の慟哭と同時に、空の歯車は動きを止め、丘に刺さる剣は砂に溶けた。
「どうして!どうして……」
自分ではなく騎士王が間に合えば良かったとライダーは涙を零す。死ぬまで優しかったアーチャー。人に裏切られ、世界に裏切られ、そして最期には理想にも裏切られた正義の味方。彼よりも数多の英雄を屠り、姉までも手にかけた己の方が消えるべきではないか。
ライダーは砂を掴み声を上げて泣いた。歯車が止まり、剣が消え、砂が流れ、壊れ行く座。
「莫迦!巻き込まれんぞ!」
そんな中、ライダーは腕を捕まれ、力任せに引っ張られた。驚いて顔をあげると、乏しい色彩の空に映える、鮮やかな青が視界に入り、彼女は言葉を失う。
「あ……ランサー?」
彼は口元を厳しく結んだまま、メドゥーサを荷物のように乱暴に担ぐと、戦車に放り込んだ。それと同時に空に向かって戦車を走らせる。突然の事で唖然としていたライダーであったが、戦車が大きく角度をつけて上昇したことで、大きく身体をぶつけて我に返る。
「どうして?」
「……座が消えんぞ」
そう言われ、ライダーは身を乗り出し下に見える座を眺めた。世界に溶けるように消失する座。多分このような光景を見ることなどないだろう。崩れるように座り込み、肩を震わせた。
「余計なことすんなとか言うなよ。俺んとこにお前のねーちゃん来て、迎えにいってくれってだとよ。神代の偶像が、たかが番犬に頭下げて、上等な馬車まで貸してくれてよ」
驚いてライダーはランサーが繰る戦車に視線を落とした。言われてみれば見覚えのある戦車。姉への貢物の中にあったような気がして、ライダーは呆然とした。
「……迷惑かけました」
「おうよ。……まぁ、この戦車で間に合わなかったんだ、テメェが間に合ったのは奇跡だろ。可愛い愛馬に感謝しとけよ。アイツが座の上グルグル回ってたから俺も直ぐにアイツの座見つけられたしな」
「……あ……」
そう言えば天馬はどうしたのか。思い出せない事が不安になってライダーは顔を上げた。その不安気な様子に気がついたのか、ランサーは、ゆっくりでいいから家に帰れって言っといた、と短く返答をする。
「愚図ってやがったけどな。この戦車に見覚えあったんだろ。姉ちゃんから頼まれて送ることになったって言ったら納得して帰っていったぜ。後で労ってやれ」
「はい……」
必死で極東の土地までかけてくれた天馬。自分を心配してランサーを寄越してくれた姉達。そして、その姉の願いを聞き届けやってきたランサー。余りにも自分が情けなくて、ライダーは思わず俯く。
その様子を眺めながら、ランサーはなんという事のない様に口を開いた。
「てっきりもうあの野郎に興味ねぇんだと思ってたんだけどな。元々坊主の代替えだろ」
「……そうですね。えぇ。初めはそうでした。そしてズルしたんです」
余りにも綺麗な騎士王への思いが悔しくて、ずっと困らせた。彼がそれを察していたのかどうかまでは解らないが、彼は最後までライダーの嘘に付き合っていた。
「ズルしたから、私の思いは彼に届かたかったのは仕方ないんです。けど……彼の思いは……彼は……」
騎士王と競うようにアーチャーを取り合った冬木の土地での思い出。あれ程アーチャーに執着していた騎士王はここに来なかった。自分が間に合ったのはキャスターとアサシンの情報が早かったお陰でであると、頭では解っているのに、どうして、という気持ちが先に来た。あの騎士王ならアラヤから英霊エミヤも奪還できたかもしれない。実際にそうするつもりだと言っていたのを聞いたこともあったのだ。
「……ちょっと寄り道するけどいいか?」
「え?」
黙ってライダーを眺めていたランサーであったが、そう短く言うと、ギリシャを通りすぎても戦車を止めることなく走り続けた。
「どこへ?」
ライダーの言葉にランサーは、少しだけ困ったように口端を歪めた。
たどり着いた場所は青い空と、草原の広がる場所であった。柔らかな風に頬を撫でられ、ライダーは長い髪を手で軽く梳いた。
「ランサー?」
「お。いたいた」
軽い口調でランサーが言ったので、ライダーは彼の視線の先をぼんやりと眺める。純白のドレスの裾がフワフワと風に揺れ、それと同じように少女の黄金色の髪が風を受けて靡いている。空を見上げていた少女は、ランサーの声に気が付き、ゆっくりと振り返った。
「お疲れ様ですランサー。そして、ライダー」
少女の顔は一瞬で嘗て冬木でサーヴァントとして召喚された騎士王の顔に戻り、そう言葉を零した。
「……セイバー」
ライダーは声を上げたいのを堪えて、やっとそれだけの言葉を絞り出す。こんなところで何をしているのだと、八つ当たりだと分かっていても怒鳴り散らしてやりたかった。たった一人で、世界に溶けた正義の味方のことを思うと、泣き出したくなる。
「俺は間に合わなかった」
「ではライダーが彼を看取ったのですね」
淡々とそう言葉を放ったセイバーを眺め、ライダーは俯き加減だった顔を上げて目を見開いた。
「……どうして来なかったのですか?」
震える拳を握りしめライダーが言い放つと、セイバーは少しだけ驚いたような顔をしたが、瞳を細めて笑った。
「彼は私を待っていましたか?」
それはいつも冬木でライダーに向けられていた厳しい声ではなく、寧ろ穏やかな声で、ライダーは酷く混乱したが、アーチャーの言葉を思い出し首を振った。彼はセイバーは来ない、と言ったのだ。
「貴方は来ないと言っていました」
するとセイバーは満足そうに笑い、そうでしょう、と胸を張る。
「どうして!彼はたった一人で消えたのですよ!貴方だけを思って!」
今にも掴みかかりそうなライダーを慌ててランサーは止めると、彼女の頭をポンポンと軽く叩き、落ち着け、と耳元で囁く。
「しかし!」
「……セイバーは行けなかったんだよ」
「え?」
驚いたようにライダーは己の身体をしっかりと抱えるランサーの顔を凝視して、言葉を失った。
「そう、アーチャーと約束しましたから」
セイバーの声を聞き、ライダーは愕然としたような表情を作る。ライダーの身体の力が抜けたのを確認してランサーが手を放すと、ライダーは地面にぺたりと座り込んで俯いた。
「どうしてそんな約束をしたのです」
呟くような声に、セイバーは不本意そうに眉を顰めると、そう彼が望んだからです、と短く返事をし、膝を抱えてライダーの前に座った。
「……私はアラヤから彼を奪還するつもりでした。彼の中には私の宝具がありますからきっとやろうと思えば出来たでしょう」
けれど、彼はそれを望まなかったのだという。霊長の守護者であるのは、己が奇跡を求めた代償であり、アラヤとの契約なので反故に出来ないと。何度もセイバーは説得をしたが、アーチャーは頑なに拒否し続けた。そして、その代わりにセイバーと一つ約束をした。
「全ての役目を終えたら私の元へ宝具を返しに来ると、彼は約束してくれたのです。だから、私はここで待ち続けなければならない」
いつかどんなに時がかかっても、セイバーの元に帰ってくる。だから、座で待っていて欲しい。アーチャーはそうセイバーと約束を交わして冬木の土地を後にした。それを聞いたライダーはハラハラと涙を零し、俯く。
「けれど……彼は世界に溶けてしまったのですよ」
「……彼は、衛宮切嗣の約束を消えるまで守り続けました。アラヤとの契約も反故にするとこなく役目を終えました。……だからきっと私との約束も守ってくれます。私はいつまでもここで待つつもりです」
信じている。いつまでも待っている。それを彼に知らせるためにセイバーはあえてこの場所から動かなかった。それを理解してライダーはは俯き、唇を震わせた。そして、アーチャーもセイバーが待っているのを信じていたから、来ない、と言い切ったのだろう。もしかして、自分がセイバーではないと気がついて、アーチャーはホッとしたのではないか。だからあんなに満足そうな顔をして役目を終えたのではないか。そう考えると、アーチャーが穏やかに逝った理由が漸く理解できて、ライダーは心のどこかで安心した。
「貴方には敵わなかったと言う事ですね……」
「当たり前です。アーチャーは私のモノだと何度貴方に説明したと思っているのですか」
呆れたようなセイバーの声が可笑しくて、ライダーは思わず肩を震わせた。アーチャーが嘗てマスターであった頃に呼んだサーヴァント。その時騎士王は、志半ばで倒れたが、彼等は冬木の土地で主従ではなく、敵同士として再会を果たした。【二度目】の第五次聖杯戦争で騎士王は嘗てのマスターが理想に果てに毀れた事に気が付き、聖杯への望みを捨てて、彼を守るために果てない約束をする。
「……二度目の第五次聖杯戦争での衛宮士郎も私にとっては思い出深いマスターです。けれど、私が欲しいのは、私の為だけに涙を流してくれた彼だけなのです」
平行世界と言う概念があるということをセイバーは身を持って知っていた。そうでなければ、二度目の第五次聖杯戦争などありえなかった。数多の並行世界の中で再会を果たした奇跡をどうしてもセイバーは繋ぎ止めておきたかった。
「きっと帰ってきます。私は信じています」
少女のように微笑んだセイバー。ライダーは涙を拭い、ほんの少しだけ微笑んだ。
「ええ。そう私も願っています」
するとセイバーは立ち上がって青い空を仰いだ。
「どうですか?私の座は!彼を迎えるのに相応しいと思いませんか?カムランの丘のように殺伐とした場所だったらどうしようかと心配していたのですが」
ドレスをはためかせ、くるりと回ったセイバーを眺め、ライダーは微笑みを零した。己の故郷。己の思い出の場所。己の心象風景。それを座は大きく投影する。きっとアーチャーに再会する前のセイバーならカムランの丘の様な座だったのかもしれない。アーチャーと共に毀れた剣の丘を思い出して、ライダーは小さく笑った。
「……騎士王として迎えたのではきっと彼が萎縮してしまいますね。冬木での様に」
ライダーの言葉に、セイバーは少しだけ驚いたような顔をしたが、穏やかに笑った。
「冬木では貴方に遅れを取りましたが、ここでは負けるつもりはありません」
「え?」
「けれど正妻の座は渡しません。それだけは覚えていて下さい」
「宣戦布告か?セイバー」
セイバーの言葉にランサーが笑いながら言うと、彼女は胸に手を当てて満足そうに笑う。
「いえ、勝利宣言です」
「大した自信だな」
咽喉で笑ったランサーに釣られて、ライダーも笑った。セイバーはその反応に不服そうに口を尖らせたが、小さく咳払いをした後に口を開いた。
「……また会いましょうライダー。次はアーチャーと一緒に貴方を迎えます」
「えぇ」
ランサーの繰る戦車に揺られながら、ライダーは泡沫の夢を見た。
長い長い旅を終えて、少女の元へ帰る青年の夢。灼けた肌も、色素の抜けた髪も、鋼色の瞳もそのままだったが、嘗て自分が焦がれた少年と同じように笑っていた。
懺悔よりも、後悔よりも、安堵が大きく、ただ、少女と青年が幸せそうに笑っているのが本当に嬉しかった。
言えなかった言葉を伝えよう。
「アーチャー……」
嘗て数多の英雄を食らった蛇の頬を、一筋の涙が伝った。
今日は楽しい決戦日/白昼夢シリーズ・エミヤ回帰ED
20120817