無限回廊

意識と無意識の狭間に我々は立っていた。
取り返しの付かない過去と現在。
最悪の現在から未来など作り出せない。
貴女を取り戻すために我々は数ある未来からこの未来を…否、この過去を選んだ。

「…厭だ…俺を一人にしないでくれ…」

全ての意識が薄れる中で最後の最後で手放すのを拒んだ。

それが自分自身の新たなる罪になるとも知らずに…。

***

 目の前には意識と無意識の狭間に住まうかの人と同じ仮面を被った女性が佇んでいる。顔なんて見えなくて誰だか判る。彼女の為に俺達は全てを捨てようと決めたのだから。
「舞耶姉…」
 懐かしさと戸惑いで声が僅かに震えるのがはっきり判る。
「私の事は忘れて…」
 歩み寄ろうとした瞬間に言葉を放ち棘を刺す。
「…厭だ…貴女の事を…忘れるなんて出来ないよ」
 今にも泣き出しそうな声を絞り出す。出来るはずがないだろう…10年間貴女を捜して居たのだから。
「私の事は忘れなさい」
 カランと乾いた音と共に消失する彼女の姿。足下に残るのは蝶を象った仮面。
 それを拾おうとすると、不意に背後から言葉が投げかけられる。
「君は一体何を望んでいるの」
 声に驚き振り向くと、そこには二十歳前後の青年が立っていた。漆黒の髪は纏まり無く跳ね顔にかかっている。その所為か表情もよく見えない。特徴といえば、左耳にある金のピアスがアンバランスな自己主張を放っているだけである。
 見覚えのない人間に警戒心を抱くと、その青年はわずかに鼻で嗤うような仕草をする。
「君は自分の名前を云えるかい?」
 青年はからかう様な口調で意識と無意識の狭間に住む”彼”と同じ言葉を放つ。

「周防…達哉…」

 未だに混濁し、消え失せそうな意識の中から探し出した名前。
 青年は僅かに驚いた仕草を見せるが、白いコートの裾を揺らしてこちらに歩み寄る。まだ表情は見えない。
「君に彼女の言葉は届いた?」
 青年は達哉の足下に転がる蝶の仮面を拾い上げるとそれを自らの顔に被せる。
「彼女の最後の望みは叶えられた?」

危険・危険・危険・危険・危険・危険

達哉の無意識の中で警鐘が鳴り出す。
言葉を聞いてはならない。
向き合ってはならない。
瞳を閉じてしまえ。
耳を傾けるな。

「此処からは逃がさない…俺は君の罪を暴く者だから…」

 達哉の耳元で囁く様に青年は云う。優しい口調が棘となり心を暴く。青年は達哉から離れると仮面を外して微笑み、その仮面を無造作に床に落とす。
 砕ける破片がきらきらと舞い、その破片は人の形を作り出す。
「彼女を知ってる?」
 青年は破片が作り出したシャドウの横に立ち達哉に聞く。彼女が纏うのは達哉にも見覚えのあるエルミン学園の制服。どこかで見覚えのある顔…。
「園村…麻希…さん」
 髪の長さも表情も違うが間違いない。黛ゆきのの同級生で、ペルソナ使いの彼女。しかし此処に居る彼女は表情が暗い。何処か虚ろで以前見た時に感じられた元気の良さは微塵も感じられない。
「彼女はね…自分の罪を知り、それを越えていったんだよ。君と違って」
「!?」
 青年の言葉と共に、彼女は姿を豹変する。その姿は正視するのには耐えられないほどの禍々しい悪魔。
「セベク・スキャンダルを引き起こしたのは彼女なんだ」
 青年は僅かに声を落として言葉を続けた。
「彼女は無意識のうちに罪を重ねていった…君達と同じ様に…。でも…彼女は自らの罪を知り、それを越えてゆく為に自ら生み出した”パンドラ”を殺し罰を受けた…。失ったモノは沢山あったし、彼女自身も深く傷ついた…でも…それでも…」

脳裏にちらつく残像

もう君は帰ってこない
君は園村麻希のシャドウだから
でも君との思い出が消え失せる訳じゃないから…
俺は君の望んだ罰を…未来を受け入れた。

「最悪の現在から未来を生み出す為に俺達は最後まで諦めなかった」

 禍々しい悪魔”パンドラ”はいつの間にかその姿を美しい金色の蝶に変えていた。
「忌々しい物語は彼女が俺達と終演させた。自らの罪を胸に抱き、罰を受けた彼女を癒すのは時の流れ。もう少しだったんだ…彼女が漸く癒されるのは…。彼女だけでなくこの事件に関わった人々がこの苦い”思い出”を越えられるのに…」
 青年は遙か上空に飛び立つ蝶を見送ると、達哉に向き合う。
「君達の選択は過去の亡霊を再び表舞台に引き出す…」
「…俺達の選択が?」
 青年は乱暴に達哉の胸ぐらを掴むと今までの穏やかな口調とは打って変わって激しい言葉を叩きつける。
「 何故貴様は安易な未来を選んだ!
何故最悪の現在から未来を見出せなかった!
何故忘れたくない程の思い出を捨てようなんて云った!
何故…何故天野舞耶の最後の望みを聞き届けなかった…」
「俺達は…舞耶姉が居ないと駄目なんだ…」
 達哉は視線を足下に落とし呟く。こうするしか無かったのだと言い聞かせるように。その様子を見た青年は唇を噛み達哉を冷たい瞳で見据えると、乱暴に達哉を突き放した。その勢いで達哉はしりもちをつく形になると、驚いた表情で青年を見上げる。
 青年は酷く悲しそうな瞳を達哉に向け言葉を紡ぐ。
「…神になりたかった男は人の頂点に立った」
「?」
「でも其処には何も無く、酷く虚しい気分になった」
 青年の横に緩やかに人の形が作られる。黒い服を着た鋭い目の男。そして傍らに立つのは黒い服の少女。
「何時しかその男は消滅を…自分自身すらも消し去る事を望んでいった。それでも…誰かに悲劇の幕を引いて欲しくて…」
 黒い服の男の姿が異形の物に変わってゆき、その形は次第に崩れてゆくが、その時の顔は驚くほどに穏やかだった。
『無様だが…いい気分だ…』
 黒い少女は黒服の男の言葉を聞いて涙を流すと男と共に消え失せた。
「…満足な死を…漸く迎える事が出来たんだ…。彼の舞台は終焉した筈だった」

又我々の前に現れるのか。
もう貴方は満足した筈なのに。
貴方を追った仲間が再び貴方を殺さねばならない。
貴方を殺した仲間が再び貴方を追わねばならない。

「…君に安息の日々は無い」
 青年の言葉に達哉はハッと顔を上げる。
「…解ってる…」
 達哉の呟くような言葉に青年は鼻で笑うと達哉を見下ろす。
「君は特異点になる。君の行動次第では新しい世界も、君捨てた世界と同じ方向へ進む。…笑えるだろう?それが思い出を捨てきれなかった君への罰だよ。精々孤独を抱えて頑張るんだね。…一つ忠告しておくよ」
「…何?」
 漸く言葉の刺から開放されると思ったのか達哉は少しホッとした様な表情で青年を見る。
「…君が新しい世界と同調できなかったから…その世界の”周防達哉”の”可能性”は消失する」
「!?」
「つまり…君が新しい世界に留まり続ける限りその世界に本来居るべき筈の”周防達哉”は永遠に行き場を失う。…それが君の”罪と罰”の副産物だ」

本来何も知らずに穏やかに暮らして行ける筈だった一人の人間が世界から弾き出される。
それもまた君の罪の所為。

 瞳を見開く達哉を冷たい瞳で見据えていた青年はスッと片手を上げる。すると、達哉の輪郭が次第に歪んでゆく。
「!?」
 消えてゆく自らの体を自覚しながら達哉は縋るような瞳で青年を見る。言葉の刺を自分に向けた青年は最後に全てを終えた後に取るべき行動を指し示した。
「時間だ…新しい世界の歪みを正して…未来無き過去へ帰還しろ…それが」
 達哉の体が消え失せた瞬間青年は声にならない言葉を発した。

『本当の君への”罰”だ』

本当は誰よりも孤独を嫌った者が皮肉にも永遠の孤独を抱く事になる。
弱すぎたのだ彼は。
だから”這い寄る混沌”に見入られた。

「君が…わざわざ此処へ来るとはな」
 意識と無意識の狭間に住む男が青年に声を掛けると、青年は無表情のまま男を見据えた。
 フィレモン。
 それがこの男の名前。
「…好きで来たんじゃない」
「余り彼を責めるなよ。君達と違って酷く脆いんだ…人は…もう駄目になっているのかもしれないな」
 悲観するような口ぶりでそう云うと、青年は僅かに眉間に皺を寄せる。
「アンタが安易な選択肢を提示するからだ」
「…君達に提示しても選ばなかっただろうね…」
「当たり前だ」
 青年はフィレモンの用意した椅子に腰掛けると不機嫌そうに答えた。

 ”リセット”など多分嘗ての仲間は誰も選ばない。
 否、
 ”彼女”はあの虚構世界が壊れる瞬間に我々の記憶を書き換える事も安易に出来たであろう。
 虚構世界の”神”だったのだから。
 しかし、”彼女”はそうしなかった。
 全てを受け止めて生きる事を選んでくれた。

「…誰もが君の様に強くない。複数の自分を自覚しながらそれを統合する事無く飼って居られるのは君ぐらいだよ」
 『ペルソナ』とは自らの中の複数の自分が具現化したもの。
 青年の飼うペルソナは”皇帝”
 何人にも従う事の無い孤高の存在。

「よりにもよって『君』が此処に出てくるとわね」
 椅子に座り此方を見据える青年は『彼』の一部。
 …彼の心の一番深い、そして『這い寄る混沌』に近い『人格』
「『向こう側』に統合される途中で奴を見つけたんだよ…酷く腹が立ってね…」
 青年は瞳を伏せる。

『時々…ううん。私のこと忘れないでね。大好きよ』

別れる寸前まで笑っていた少女はもう居ない。
今だに無意識下に残る痛み。
泣いていた。
『俺』は。
泣きながら…此処まで来た。

だから統合される途中、奴を見つけて酷く腹が立った。
押し込めていた怒りと痛みが急激に大きくなっていった。
甘えるなと。逃げるなと。
何も云えない『表』に出ている『俺』は無意識に『俺』を切り離し此処へ導いた。

「…さて帰るか。『俺』が待ってる」
 青年は立ち上がると面倒くさそうに歩き出す。
「アンタは箱庭の上から精々脆弱な子供を眺めていろ。もう何も出来ないんだろう?」
 青年は薄く笑う。
 知っているのだ。
 もうフィレモンに力はないと。
 もう這い寄る混沌に対抗する事など出来ないと。

 フィレモンは青年の言葉に酷く寂しそうな表情をする。
 脆弱な子供は歩いてゆけるだろうか。
 『彼』の様に。

”何の為に生きてるの?”

”その答えを探す為”

 嘗て『彼』はそう云って無意識下の深い傷を負いながらも歩いて行った。
 永遠に続くであろうその痛みを抱えて今でも歩き続けている。

 青年の体が次第に輪郭を曖昧にし、空間に溶け込んでゆく。彼もまた『もう一つの世界』に統合される。歪んだ世界を見て『彼』は何を思うのだろうか。明瞭に覚えていなくても此処に来た『彼』を内包する『彼』の傷は再び鮮血を流すのであろうか。

彼等の知らぬ所で歪んだ世界。
彼等の築いた礎は失われ、
彼等の傷は再び開く。

 青年が消えた漆黒の闇を見つめながらフィレモンは瞳を伏せた。永遠に繰り返される”這い寄る混沌”との戦い。

終らない。

終らない。

永遠に繰り返される”罪”と”罰”。


>>HP移転に伴う改定に当たって改行等若干手を加えました。話は全く触ってません。
それではまたお目に掛かれればそりゃぁもう、奇跡かも(笑)