*特売日和(IN岩田王国)*

イワッチ王国此処は箱庭電波な王様舞を舞う
イワッチ王国此処は戦場運命を変えよ彼が言う
イワッチ王国此処は楽園全てを赦せと君が言う

此処は熊本。5121小隊、スカウトの王様のいる場所

***

 とある日曜日、事務官の加藤は先程中村が持ってきたメモを片手にチラシとにらめっこをしていた。中村が調理室の買い置き食材の補充を申請してきたのだ。
 彼は元々料理好きで、この手のチェックを結構まめにやってくれるので加藤としては有難い限りである。調理室の食材は基本的には小隊の経費で賄われており、深夜まで仕事をしていて家に帰れなかった人達の夜食の材料などになっている。その在庫チェックをした中村は小隊の会計を握る加藤に申請し、加藤は買い物を暇な人間に頼むというのが何時もの常だった。
 チラシは加藤の必需品であった。昔ほどチラシは多くはないが、この戦場下だからこそ節約が重要になってくる。多少遠い商店であっても、安いとあれば行くようにお願いする。
 その時に使用されるのが通称『轟天号』…つまり、スカウトの使用している自転車である。ママチャリなので荷物も大量に積めなかなかの便利物である。スカウトは近場の戦場ならこの自転車に乗って出撃するのだ。雨の日や、出撃地が遠い場合は、唯でさえ混雑するトラックに無理やり乗り込んだりするのだが、最近は岩田も来須も体力がついてきたのかかなりの遠出でも轟天号で出撃する。少なくとも、加藤には信じられない人間離れした所業だ。
 また、轟天号は『奥様戦隊』の出撃に使用されたりとなかなかの使用頻度で、その管理は一手に岩田が引き受ける。彼に頼めば大概は貸してくれるのだ。…ただ、大概皆が借りるのは来須機の方である。岩田機…轟天号1号は前籠に『轟天号』とでかでかと書かれたプレートがぶら下がっており、微妙に敬遠される。本人は気にしないので問題はないが、彼がスカウトになって直ぐに本人が自慢気にそのプレートを見せたのをいまだに加藤は鮮明に覚えている。

「なぁ司令。今日は誰が暇なんかな」
 加藤は机に向かって熱心に仕事をする速水に声をかけるが、彼は顔も上げずに返事をする。
「昨日1番機と2番機が被弾したから、そのパイロットと整備士は不可。3番機整備もそっちに廻すように原主任に指示したから…善行さんが良いんじゃない?芝村はどうせ若宮手伝うだろうし」
 普段は岩田王国筆頭として岩田を追い掛け回しているが、司令の仕事もきっちりとやっていることはやっている。速水の手早い指示に加藤は頷くと、ハンガーへ向かう事にした。その旨を速水に言うと、彼は顔も上げることなく適当な返事をして又仕事へ戻った。…きっと明日はまた岩田に可憐通常型が贈られるのだろうと思いながら加藤は小隊長室を後にした。

 3番機は今だ初期配備の機体を使っている。被弾記録すらないあの機体は機体性能は既に他の機体を引き離してずっとTOPを保持しつづけているのだ。そのパイロットの芝村・善行は最近は他の部署を手伝う事が多い。ハンガーに要るだろうかと思いながら加藤は小走りにハンガーへ向かっていた、その途中に岩田を捕まえて轟天号のレンタルを取り付けてきた。彼はあっさりとOKを出すと、先に轟天号の整備をしておこうと自転車置き場…というより、轟天号が放置されているハンガーの角へ向かっていった。
 彼は暇を見てはその自転車を手入れしている。元々整備班であった彼は多分整備作業が好きなのかもしれない。

「善行さん」
 ハンガーで3番機を弄っていた善行に加藤が声をかけると、彼は手を止めて此方を向いた。
「何ですか?」
「悪いねんけど買出し頼めへんかな。他に手が空いてる人おらへんねん」
「良いですよ」
 善行は加藤からメモとチラシを受け取ると、それに目を通した。量自体は余り多くないが、些か遠くのスーパーのチラシのようだ。加藤は既に轟天号のレンタルを取り付けている旨を善行に伝え、また仕事場へ戻っていった。
 今日は奥様戦隊の出撃もない。善行としてはこうやって仕事をしているが、機体性能も限界値に近いこの機体を触るの少し飽きてきていたのだ。かえってこんな雑用を引き受けた方が良いかもしれないと思い、彼は仕事をキリの良い所まで仕上げ、早速轟天号のところに向かう事にした。

「へぇ器用だな」
「フフフ…僕は自転車屋の息子ですからね★」
「そうなんだ」
「たわけ!こやつの言うことを信じるでない」
 轟天号を囲んで3人が集まっていた。岩田が轟天号のパンクの修理をしているの発見した若宮が岩田に声をかけたのだ。
 岩田は鼻歌を歌いながら器用にタイヤのチューブを引っ張り出し、それをたらいに貯めた水につけ空気漏れを確認する。すると、彼は工具箱から薄手のゴムと接着剤を取り出し丁寧に塗ってゆく。
「修理屋に出すと高いですからねぇ。まぁ、僕の手に掛かれば何だって直せますよ★」
 日曜日のせいか、終始岩田は上機嫌である。ゴムを貼った境目を丁寧にヤスリで削り段をなくすと、タイヤの中にチューブをしまう。これで後は空気を入れなおすだけだ。岩田は満足そうに出てもない汗を拭う真似をした後に工具を片付けてゆく。
「後は空気を入れるだけで完成です★」
「俺がやろうか?」
「フフフ…お願いします」
 若宮の申し出を岩田は受けると空気を入れるポンプを手渡す。彼は早速それを自転車に取り付け空気を送り込む。それを見ていた芝村は物珍しそうにタイヤを指でつつく。先程はぺしゃんこだったタイヤが見る間に膨れ上がってゆくのだ。
「芝村さんもやってみます?」
「え?やりたかったのか芝村」
「べ…別にやりたかった訳ではない!!」
 岩田の要らぬ突込みで芝村は突然怒り出すと、不機嫌そうに彼のほうを睨み付ける。とうの本人は涼しい顔で工具を片付けているのまた憎らしい。
「フフフ…轟天号修理完了★ご苦労様です!これで今日の買出しもバッチリです★」
「なんだそなた買出し当番なのか」
 芝村が意外そうに岩田の方を見た。岩田が買出しに行くと中々戻って来ないので加藤は彼に買出しを頼む事は少ない。
「今日は善行君です★芝村さんは若宮君のお仕事を手伝うだろうと言う速水君の読みで彼に白羽の矢が立ったんです。…フフフ今日は彼の邪魔無しでお仕事できますよー。よかったですねぇ」
「たわけ!!」
 芝村は岩田が聞かれもしない事までべらべらと喋った事に腹を立て鉄拳制裁を喰らわす。が、流石に岩田も何度も彼女のコブシを喰らっているわけではない。華麗にかわすと、若宮の大きな体の後ろに隠れる。
「…もう良い。私は仕事に行く」
 流石に若宮の影に隠れてしまった岩田を引きずり出すわけには行かず、芝村は不本意と言うような顔をしてハンガーへ向かう。若宮もそれじゃぁ、と岩田に声をかけ芝村の後についてゆく。
「フフフ…恋する乙女は辛いですね★」
「貴方が居なければ辛くないでしょうに」
 突然後ろから声を掛けられ岩田はオーバーに驚いたというようなリアクションを見せる。声をかけたのは無論轟天号を借りに来た善行だ。
「善行君★見てください、バッチリ修理は終わりましたよ!」
 子供のするように岩田は胸を張って轟天号を自慢する。
「来須君の自転車は如何したんですか?」
「今レンタル中です。今日は僕の轟天号しかありませんよ。特別に貴方にお貸しします」
 来須の轟天号で出かけるつもりだった善行は少し溜息を吐く。しかし、ないものは仕方ない。善行はチラシを広げて店の位置を確認する。
「フフフ…僕もお供しますよ」
「結構ですよ」
 善行がきっぱりと断ると、彼はチラシの特売品の項目を指差す。そこには卵の写真が大きく載せられている。
「卵はお一人様1パック限りですよ。貴方4回もレジを通るんですか?」
 そこまで言われて善行はメモの方に目を走らす。確かに卵の項目に4つとかかれている。この人数の多い小隊で卵4パックといっても、あっという間になくなる。貴重な栄養補給として人気が高いのだ。
「…自転車一台しかないんでしょ」
「2人乗りすれば問題ありませんよ。道路交通法違反にはなりますが、取り締まりも最近やってませんし…なんなら怒られるの覚悟で指揮車を出しますか?」
 善行は2人乗りの意見に賛成するしかなかった。以前買出しに指揮車を使った所、上からのクレームがついて以後使用禁止となったのだ。要するに燃料の無駄使いをするなという事だ。その点自転車は人力なので上から文句を言われる筋合いはない。指揮車の使用もばれなければ良いのだが、いかんせん目立ち過ぎるのだ。
「…解りました。仕方ありませんね。じゃぁお願いします」
「じゃぁ早速善行君着替えてください」
「は?」
 岩田の突然の申し出に思わず善行はぽかんと口をあける。何故態々着替えなければならないのだ。皆買出しは制服でいっている。
「貴方…その小隊の制服でレジを2回も通るつもりですか!?いくらなんでも目立ちすぎですよ!!」
 小隊で1.2を争うほど派手な男に目立ち過ぎといわれても説得力の欠片もないが、一理あると結局従う事にした。
「家まで一度帰るんですか…少し面倒ですね」
「フフフ…安心してください★僕の私服を貸して差し上げますよ!」
 断る前に岩田は善行の腕をしっかりと掴んで引き摺るように整備員詰め所へ向かった。一体彼の私服はどんな物だろうと不安に刈られながら善行は少し遠い目をした。

 整備員詰め所に膨大な数の彼の私物が持ち込まれている。家に帰っていない証拠ともいえよう。部屋の隅にはダンボールや箱が詰まれ、彼はそのダンボールを開けてゆく。
 詰め所で仕事をする衛生官が彼の恋人である石津であることもあり、文句は出ないのだ。
 岩田は幾つかのダンボールを持ち出し、好きなものを選んでくださいと差し出す。意外にも中に詰められている衣類はごく普通の物だった。岩田に似合うかどうかは別にして。
「貴方普通の服も持ってるんですね」
「当たり前じゃないですか。最近は着てませんがね。このジャストフィットの改造白衣がお気に入りなんです★因みに僕はお洒落さんなので7着持ってますよ★」
 一体何処に突っ込んで良いのか解らない善行は取り敢えず曖昧な返事をすると、服を選び出す。岩田はそれをミカン箱に腰掛けながら眺める。
「貴方も早く選んだら如何ですか?」
「え?僕はこのまま行きますよ。目立たないでしょこの白衣」
 意外そうに岩田が返事をしたので善行は箱に詰められた衣類を適当に掴みだし岩田に投げつける。
「目立ちますよ!改造白衣って時点で!!これ着てください!」
 岩田は善行の剣幕にしぶしぶ従い投げつけられた服を着る。幸い白い上着だったので岩田としても白衣の代わりと思えば良いかとぶつぶついいながら恨めしそうに善行を見る。

 着替え終わった岩田を見て善行は頭を抱えたくなる。目立つ。普通の服を着ているのに何でこんなに目立つのだこの男は。
「化粧とメッシュを落としてください」
「え〜いやぁ〜」
「落としなさい!」
「厭ですよ!すっぴんで歩くなんて恥ずかしい!!お嫁に行けないじゃないですか!」
「貴方は男だからお嫁にはいけませんよ!いいから落とす!」
 鋭い突っ込みを放ちながら、善行は岩田の腕を掴んで男子トイレに連れてゆく。先程とは逆の光景である。兎に角この化粧を落とさない事にはレジを2回通るなんて不可能な事だ。たかが卵のためにと考えると些か悲しい物もあるが、善行としては折角着替えたのだから徹底的にやるつもりだった。

「冷たい!!冷たいですよ善行君!!」
「動かないで下さい!水か飛ぶでしょう!」
 善行は無理やり岩田の頭を水道の蛇口に近づけると勢い良く水を出し問答無用で洗う。しかも、備え付けの石鹸でだ。岩田は暴れるが姿勢が悪い為か思うように力を出せない。
「そんなにごしごし洗ったらお肌が荒れちゃいますよ!!」
「既に荒れ放題でしょ貴方は」
 年中厚化粧をしている岩田の肌が綺麗だとは到底思えない。多分化粧荒れしているはずだ。
「玉のようなお肌を前にして何言うんですか貴方は!!これでもこまめにスキンケアしてるんですよ」
「暴れない!!」

 そんな男子トイレの前をたまたま通りかかった芝村は、男子トイレから発せられる奇声に思わず足を止めた。
「何をしておるのだ?」
 気にはなるが覗く訳にも行かないので諦めて立ち去ろうとしたとき再び芝村の足を止めるような声が聞こえた。
「無理やりなんて酷いですよ善行君!!もうお嫁に行けないじゃないですか!!」
 岩田の声だという事は直ぐにわかったが、一体善行が無理やり何をしたというのだ…と芝村は思わず遠い目をした。すると更に問題発言が飛び出したのだ。
「…うう…こんな恥ずかしい格好までさせて…責任取って下さいよ!!しかも中途半端な所で止めるなんて貴方酷すぎます!」
「貴方が暴れるからでしょう…後は自分で出来ますね?」
「こんな恥ずかしい思いしたのは初めてですよ…ああもう!!まじまじ見ないで下さいそんな恥ずかしい!!」
 確かに岩田と善行の声だ。芝村は思わず俯いて早くこの場を立ち去らねば!と踵を返そうとすると、視界にに若宮の姿を捉えた。
「何してるの?」
「何でもない…仕事に戻るぞ」
「あ、ちょっと手を洗いたいんだけど」
 若宮は油で汚れた手をヒラヒラと振って男子トイレに向かおうとしたが、芝村は慌ててそれを止めた。
「?」
「そのだな…今此処は取り込み中なのだ!!調理室で洗えばよかろう!!行くぞ!!」
「取り込み中?」
 わけの解らないといったような若宮の大きな背中を無理やり押しながら芝村はその場を兎に角早く離れようと必死になる。若宮も何でそんなに必死なのかは解らないまでも、仕方ないなぁと言った表情で調理室で手を洗う事にした。

「!?」
 善行は廊下から聞こえた声に気が付き思わず顔を出す。そこには若宮と、その背中をぐいぐい押す芝村の姿があった。しまったと思っても後の祭りだ。多分芝村の口調だと何か誤解をした可能性がある。
 当の問題発言の元の岩田は、ジャバジャバと顔を洗っていた。余りにも善行が無茶をするので渋々自分で洗う事にしたのだ。
「勘違いしましたかねぇ芝村さん」
「貴方!!確信犯ですか!?」
「僕を無理やりすっぴんにした報復は受けて貰いますよ★僕は根に持つタイプですからねぇ」
 思わず岩田の言葉にがっくりと肩を落とす。彼女が勘違いをしていないのを祈るしかない。思わず岩田の顔を睨みつけると、彼は恥ずかしいから見ないで下さい、とそっぽを向く。岩田はあの派手なメイクからは想像できないぐらいあっさりとした顔だった。その少し尖がった耳がなければ彼だと解らないかもしれない。
「さっさと行きますよ」
「すっぴんで学校を歩くのはちょっと…」
 ここまで来て往生際の悪い岩田に呆れながら、善行はタオルを岩田に投げる。
「学校内は頭から被って下さい。外は良いんでしょ?」
「知り合い居ませんからね」
 知り合いに化粧を落とした所を見られたくないという心理は化粧をしない善行には理解できない。岩田は受け取ったタオルを頭からかけると、少し俯き加減に鏡を見る。
「ああ恥ずかしい…知り合いにあったら責任取ってくださいね」
「諦めてください」
 例え会ったとしても、岩田がタオルを被っていれば気が付かれないだろう。ようは顔を隠すよりもその特徴的な耳を隠す方がばれ難いのだ。お約束どおり泥棒がするような被り方をしようとした岩田にとりあえず突っ込みをいれて、2人は漸く男子トイレを出た。結局タオルは頭に乗せて耳を隠す程度の機能しか果たしていない。

「よう!私服でお出かけか?」
 轟天号まで後少しという所で珍しく真面目に仕事をしていた瀬戸口に捕まってしまった。普段なら日曜日は何処かに出掛けているくせにこんな時に何故と善行は思わずしかめっ面になる。
「ええ、これから仕事ですよ」
「大変だなお偉いさんは。しっかし、何で服濡れてるんだ?水でも零したのか?タオル足りないんだったらかそうか…そっちの人にも」
 瀬戸口は笑いながらそう言うと、善行はやんわりと大丈夫ですと返答する。すると瀬戸口はそうか、とあっさり引き下がり手を振って、風邪引くなよと一言いって又仕事に戻った。善行は長々と話をされなかった事にほっとしながら、轟天号の所までの長い道のりを漸く終えた。岩田は終始無言でついてきている。

 ***

「そろそろタオル外したらどうですか?」
 自転車をこぎながら善行は後ろに乗っている岩田に声をかける。学校を出たというのにいまだにタオルを被っているのだ。
「…瀬戸口君に見つかったじゃないですか」
 恨めしそうな岩田の声だったが、善行は呆れたように、気が付いてませんよ彼はと返事をする。あの口調では全くといっていいほど気が付いていない。多分自分が彼の立場でも気がつくかどうかは怪しい物だ。
 岩田はタオルを外すと、丸めて前籠に投げ入れ、今まで善行の腰を掴んでいたのを肩に場所を変え上体を上げる。俗に言う立ち乗りだ。岩田が以前取り付けたステップ…後ろの人用の足置きがあれば結構簡単にできる。
「突然乗り方変えないで下さいよ。危ないでしょ」
「もう直ぐ坂道ですからね★風を受けるには貴方が邪魔なんです」
 人にこがせておいてなんて言い草だと思ったが、少し彼の機嫌が直ったように見えたので黙っている事にした。しかし、そんなに風を受けたかったら自分でこげば良いのにと善行は心の中で呟いた。
 坂道をノンストップで下る間は岩田は終始静かだった。いつも騒がしい男がこう静かだと奇妙な違和感がある。
「此処に来るまでは自転車に乗る機会が中々なかったんですよ。便利ですねこれは。何処までも行けるような気がします」
 坂を下りきったところで岩田が突然喋りだしたので善行は僅かに後ろに視線を送る。表情は良く見えないが、口調は酷く穏やかだった。時々、岩田は別人のような語り口になる。それは彼の言う電波なのか、それとも、彼が人に中々見せない一面なのかは判断がつかない。人の多面性を彼は強く感じさせるのだ。統合された人格ではなく、別々の…それも酷く方向性の違う人格をいくつも彼が飼っているような気がする。
「貴方は何処まで行きたいんですか?」
 善行が何となくそんな問いを投げかけると、岩田は間髪いれずに答えを出す。
「未来ですよ」
 未来など態々自分で行こうとしなくても勝手にやってくるのに奇妙な答えだと思った。彼にとって未来とは方向を定めて走っていかねば到達できない物なのか。…確かに過去の軌跡は一本だが、未来は無限にあると思う。選択によって絞られるが、彼はどの未来を目指して走ってゆくのか。彼の視線の先には何があるのか。
「今はとりあえずお買い物ですね」
「…そうですね」
 話の腰…と言うよりは、思考の腰を折られて善行は曖昧な返事をした。岩田の事は嫌いではないが、酷く苦手のような気がした。彼の思考の切り替えについてゆけない事がしばしばあって、その度に善行は中途半端な自分の考えを停止させて岩田について行かねばならない。別について行かなくてもいいのかもしれないが、つい合わせてしまう。結局彼の考えを理解する事は出来ないまま放置されてしまうのだ。勝手すぎる男だと思う。
「…私は貴方の思考の切り替えについていけませんよ」
 善行が溜息混じりにぼやくと、岩田は少し間を置いて口を開いた。
「僕について来れるのは僕だけですよ。貴方について行けるのは貴方だけのように」
 そう言って静かに笑った。善行から見ればもっともな意見過ぎて酷く不自然なような気がした。彼の思考の飛躍は計算された物なのか。

 そうこうしているうちに漸く目的地に着いた。結局善行は学校からずっと自転車をこがされていたのだ。

 買い物は思いの外早く終わった。買い物を4回分に分けて手分けした所為もある。レシートを受取りながら善行は岩田の姿を探すが、彼は何処にもいない。首をかしげて善行は仕方なく彼が帰ってくるのを待った。
 どれくらい待っただろうか、岩田はうきうきと上機嫌に善行の前に現れた。時間が掛かったのも仕方がないと思わず善行は溜息をついた。既に彼はバッチリのメイクを施し、メッシュまで綺麗に入れなおしていたのだ。
「フフフ…これで誰に会っても問題ありません★矢張り此方の方が落ち着きますね」
「…メイクセットまで持ってきてたんですか貴方は」
「紳士のたしなみって奴ですよ★」
「紳士は化粧なんてしませんよ」
 半ば呆れたような善行の突込みをものともせずに、岩田はビニール袋を抱えてさっさと店を出る。恐ろしくマイペースな男だ。

 荷物を乗せて、更に2人乗りは大変だと言う事もあって、結局岩田が自転車を押して帰る事になった。岩田は散々面倒臭がったが結局渋々と言う形で彼はその任を引き受けた。ただし、善行は2つのビニールを持たなければならなかった。
 すっかり日も傾きかけ、善行は今日の慌しい1日を振り返って思わず溜息をつく。
「溜息を吐くと幸せが逃げますよ★」
「貴方の所為ですよ。大体化粧を取るぐらいで大騒ぎして…」
「僕の化粧は特別製ですからね」
「は?」
 岩田は少し笑ってそのまま黙ってしまった。又もや善行は中途半端にしか出されない彼の言葉を無駄に思考しなければならない。
「…そんなに深刻に考えないで下さいよ」
「貴方の所為でしょ!!」
 思わず善行は岩田を怒鳴りつける。すると彼は少し肩をすくめて善行の方を向いていた視線を道の先に向ける。
 いつも笑っている彼の表情は、時折別人に見えることがある。それはほんの一瞬で、次に向き合ったときには何時もの道化に戻っているのだ。それを強く感じたのはあの時…そう、屋上で『国の守護者になる』といった速水の話を岩田から聞いたときだった。あの時感じた背筋が寒くなるような違和感はいまだに鮮明に覚えている。

『…希望を持つ事を諦め、絶望する事すら止め、傀儡であった僕に与えられた最後のチャンスなんですよ…』

 あの時彼はそういった。
 ならば…彼が未来を渇望するのも解らないでもない。彼には今まで『未来』など無いに等しかったのだ。最後のチャンスとやらを抱えて、彼は未来を求めるのか。その為に彼は道化を演じて何もかもを欺いて舞台を作り上げるのだろうか。

 始めは彼が人を周囲に集める様は、まるでハーメルンの笛吹きの様だと思った。けれど彼について行こうとした者達は、一人残らず自分の意志でその道を決めたのだ。子供たちが軽快な笛の音に操られ、自分の意志も無くついて行った、かの昔話とは違う。善行自信は彼に『王国に入れない』と断言され、岩田が彼らに一体何をしたのか…何を言ったのかは具体的には何一つ解らない。かの笛は子供にしか…その資格を有する者にしか聞こえなかったのだ。そして彼はきっと笛の音に気がついた者達に尋ねたのだろう。一緒に来るか否か。

―─私にはその問いさえ彼は投げかけなかった。

 別に『王国』に入れないことが不満であるわけではない。もしかしたら、彼は『傍観者』が欲しかったのかもしれない。彼の作り上げた物が後に、如何取られるかを見届ける者が。

「面倒な役を何時だって貴方は私に押し付ける」
「…今回だけですよ。次はありません。僕にとって今、この場所で行う舞台が最後の晴れ舞台なんですから」
 善行のぼやきにも似た言葉に岩田がずっと遠い先を見ながら返答をする。そう、もう二度と舞台の中央に立つ事は無いと自分に言い聞かせるように。
「晴れ舞台用の特殊メイクなんですかそれは」
「これは呪いですよ。悪い魔法使いにかけられた呪い…その呪いの所為で僕は永遠の道化を演じる事を命ぜられた。過去の軌跡を全てを消して。でも、今回呪いをかけたのは異世界の魔女だった。異世界の魔女は僕との賭けに負けてその呪いを少しだけ弱めてくれたんです。自分の自由と引き換えに」

―─賭けをしよう岩田裕。
 異世界の魔女『介入者』は円環の繋がるその瞬間に『彼』より先に現れて僕に賭けを持ちかけた。どんな気まぐれだったのかは解らない。ただ、彼女はその賭けに乗るか否か迷っている僕に更に言葉を続けた。
―─勇気を示せよ。
 そう言って笑ったのだ彼女は。その賭けが成立する事で彼女にどんなメリットがあるのかは理解しかねたのは、きっと彼女と僕の物差しが違った所為だろう。彼女だけは今後絶対に理解することが出来ないと思う。自分の自由と引き換えに彼女が得た物…これから得る物は何なのだろうといまだに思う。
―─おめでとう。これで有限ではあるが『自由』と『時間』を貴方は手に入れた。有意義に使って欲しい物だな。
 本当に賭けに勝ったのかどうかは解らない。彼女にとってはそんな事は瑣末な事で、ただ僕に『自分で何かをしたい』という意志があったかどうか確認しただけなのかもしれない。
 彼女は『良い魔女』だったのか。それとも『悪い魔女』だったのか。
 きっとそれは己が力で呪いを解いた瞬間に解るのだろう。

「…フフフ…呪いを解けるのは昔っから『王子様』って相場が決まってますからねぇ。僕の化粧を落とした貴方は差し詰め僕の王子様★」
「!?何言い出すんですか!!貴方自分が呪いをかけられた『お姫様』だとでも言い出すつもりですか!?」
「僕は美しいプリンセス★自分で呪いを解くつもりでしたが、王子様が現れたのでは仕方ありません。セオリー通りに僕は貴方の『花嫁』になるしかありませんね★」
「お断りします」
 物思いに耽ってると思えば、突然突拍子の無い事を岩田が言い出したので善行は慌てて否定するが、彼はいつも通り聞く耳など持たない。
「フフフ…今度は『プリンセス・イワッチ』仕様の衣装も作らなければなりませんね★僕は皆の『王様』ですが、貴方の『プリンセス』になりましょう★」
「…いっその事王国に入れてくださいよ」
「駄目です」

 善行は道化のプリンセスを押し付けられるより、彼を王様として上に置いた方がずっとましだろうと思わず遠い目をしてしまう。そして、彼に呪いをかけた『異世界の魔女』とやらを逆に呪うしかなかった。…厄介な呪いをかけてくれたものだと。

 しかし彼はこれから自分に降りかかるであろう、いわば、『呪いを無理やり解いてしまった者』への『呪い返し』とも思われる苦悩の日々を知る由も無かった。彼は二度と穏やかな日常に戻れる事は無いのだ。
 それは、岩田自身に呪いを解かせようとしていた『異世界の魔女』からのささやかな報復だったのかもしれない。


>>あとがき

 善行さん最後の勇姿『特売日和』でした。なんか、ギャグのつもりで書き始めたんですが、途中で路線が変わりましたねぇ。これは善行さんが何で岩田にあそこまで絡まれるかってのの原点話で、話自体はずっと初期からありました。岩田のささやかな報復だったんですねぇ★…ささやか?(笑)

 これをUPしたら、後は沢山話がUPできるので嬉しいです。舞ちゃんの『化粧指南』や、瀬戸口さんの『尾行追跡』はこの話の『善行さん、岩田の王子様になる』って伏線が無ければ面白さ半減なので★頑張って上げますねぇ。

 で、男子トイレでの岩田と善行のやり取りを勘違いした舞ちゃんは後に善行にどんな態度を取ったのか気になりますねぇ。きっと善行が言い訳をしようとしたら『何も聞いておらぬ!』って逃げちゃいそう。個人的に若宮の背中を押す舞ちゃんを王国絵師に描いて欲しいのですが、如何ですかねヤカナ姐?暇があれば宜しく(勝手な事を)

 それでは、これから善行さん坂道を転がり落ちるような人生ですが、そんな話でもよければぜひまた岩田王国へいらした下さい。又お目にかかれれば、そりゃぁもう奇跡かも(笑)

20020218

>>HP移転に伴い一部改行等調整。大筋変更はありません。