*尾行追跡(IN岩田王国)*

イワッチ王国此処は箱庭電波な王様舞を舞う
イワッチ王国此処は戦場運命を変えよ彼が言う
イワッチ王国此処は楽園全てを赦せと君が言う

此処は熊本。5121小隊、スカウトの王様のいる場所

***

 下校中に瀬戸口に接触してきたのは芝村の使いだという人間だった。瀬戸口は僅かに表情を曇らせ、先約があると断ったが、相手の一言で瀬戸口の表情は凍りついた。
「4番目の絢爛舞踏である貴方にやって頂きたい事があるのです」
 それは誰も知らない筈の事だった。姿を変え、名を変え、戦乱のドサクサでこの小隊に身を隠し、オペレーターと言う職につき頑なに守り通してきた過去。
「ご案内します」
 招かれるまま車に乗るしかなかった。

 芝村の研究施設であろう格納庫にあったのは、小隊にある物とは僅かに異なる士魂号だった。瀬戸口は僅かに瞳を細めると、その士魂号を見上げた。瀬戸口が嘗て戦場に立っていた時は士魂号は存在しなかった。限りなく人に近いこの兵器はごく最近に出来た物なのだ。
 瀬戸口の隣にいる白衣を着た男はゆっくりと口を開いた。
「西洋型士魂号です。いずれ現れるであろう絢爛舞踏の為に開発されたものです」
「…」
「貴方に乗って頂きたい」
 予想通りの話の展開に瀬戸口は苦笑すると、笑顔のままその男の方を向いた。
「断ると言ったら?」
「…そうですね。急には受理して頂けるとは思っていませんでしたので、暫く考えて頂きたい」
 強行手段をとるかと思ったが、芝村の研究者はあっさりと瀬戸口に時間を与えた。時間を与えられた所で瀬戸口の考えが変わる訳でもない。もう戦わないと決めたのだ。二度とあんな思いはしたくなかった。償いきれない過ち。
「かわらんさ。俺はもう誰も救えない」
 遥か昔。鬼と呼ばれていた自分は最愛の人を守れなかった。それどころか、人に姿を変えて彼女を探しつづける日々の中、敵を狩り過ぎた為に化け物と呼ばれ再び罪を犯した。もう戦えない。誰も守る事は出来ない。鮮血に染まったこの手は誰も抱く事は出来ないのだ。
「それでは日を改めてお伺いします」

***

 事、自分の過去に関しては細心の注意を払っていた筈なのに何故芝村に知れた。小隊内の芝村関係の人間に悟られた気配は一向にない。
 瀬戸口は鬱々と考えながら、学校へ向かった。研究所に連れて行かれたのは深夜だったが、あっさり解放された為に時間が中途半端だったので、学校で仮眠でも取ろうと思ったのだ。人によってはまだ仕事をしている人間もいるかもしれない。どういう訳かこのの小隊は仕事熱心な人間が多い。
 丁度職員室の前を通りかかった時に瀬戸口はふと職員室を覗き込む。中には誰もいない。
―─もしかして俺が芝村として認識している以外にも関係者が?
 芝村の末姫、芝村一族に名を連ねる善行家、準竜氏付きの坂上、後は妥協して軍関連で本田が関係あるかもしれない。他はどうしても思い浮かばない。名簿を確認すれば何か解るかもしれないと思った瀬戸口はそっと職員室に入ると、担任である本田の机に向かった。一応、学校の書類なのだから、正式な書類に違いない。本田としても生徒の事を知っていなければならないだろうし、細かい経歴が書いてあるだろう。
「おう、どうした瀬戸口」
 突如後ろから声がしたので驚いて振り向くと、そこには本田が立ってた。幸い物色を始める前だったので言い訳はいくらでも出来る。
「それが…今日の授業で貰ったプリントをなくしたんでもらえるかなぁっと」
 余りにも苦しいいい訳だが、本田はそうかと言うと自分の机からプリントを探し出す。
「俺のぶんしかねぇからコピーして持ってけ。次ぎなくしたら撃つぞ。それじゃぁ俺はもう帰るから、忘れずに電気消して帰れ」
 本田は瀬戸口にプリントを手渡すと、手を振って帰る。瀬戸口は本田の背中を見送りながら胸を撫で下ろす。余りあれこれ細かく訊かない人であったことを有難く思うと、扉を閉める。
 すると、足元からニャンと声がする。
「何だ、お前さんか」
 足元に擦り寄るブータを見ると僅かに微笑を浮かべ、静かにしてくれよと、口元に指を当てる。
 名簿は本田の大雑把な性格が伺えるようにあっさり見つかる。個人情報の管理は確りとしておかねばならないのだろうが、一番下の引き出しに鍵も掛けられずにしまわれていた。此処でゆっくりと見ていてまた誰か来ても問題があるので、本田に渡されたプリントと一緒にコピーする事にした。名簿はの枚数は思ったより少なく、人によってはA5・1枚という人間も居た。
 機械が低い音を立てて複写してゆくと、瀬戸口は順番を間違えないように原版を並べてゆく。そのさなか、矢張り芝村関連の記述があるのは数名だった。もっとちゃんと読んでゆけば他にもいるかもしれない。
 複写完了後、書類を戻すと本田から貰ったプリントでその書類をカバーし、電気を消しブータをつれて職員室を出る。

 屋上につくと、瀬戸口は物干し台にもたれて書類をめくる。瀬戸口の横ではブータが眠そうにあくびをしていた。
―─矢張り他に芝村は…。
 そう思った時、A5版の紙が一枚ヒラリと手をすり抜けた。他の書類が殆どA4版であるのにも関わらず一枚だけ紙が小さかったために手から滑り落ちたのだ。それを拾い上げた瀬戸口はその書類に目を通すと思わず声を上げた。
「な…!?」
 他の書類は本人直筆の書き込みと、恐らく別の誰か…本田か、書類をチェックした人間の追加備考が書き込まれている中、この書類だけは本人の書き込みしかなかった。しかもそれは内容に問題があった。

氏名*岩田裕。イワッチと呼んで下さい
年齢*フフフ…
住所*不定。流浪の民です
電話番号*電波による送信でお願いします
家族構成*知りたいですか?
備考*秘密

―─おいおい。これが正式書類かよ。
 名前以外は何一つ解らないこの書類でどうやって学校に入ったというのだ。そこまで考えて、こんな書類で学校に入れるという事は誰かがバックについていると言う事かも知れないと思い直す。瀬戸口は一つ大きく溜息をつくと、グラウンドでこんな時間にいまだ走り込みをする岩田の方を見た。今この小隊で一番絢爛舞踏に近い男。小隊の王様。
 よく考えればあの男が本当は何を考えているかも知らない。その行動の理由。意図。
―─そもそも家に帰ってるのか?
 毎日6時頃まで仕事をしているらしいが、朝はきっちり授業に出ている事を考えると家に帰った所で仮眠すらままならないだろう。それでも毎日学校中を駆けずり回って仕事や訓練に明け暮れている。大凡、その細い体からは想像のつかないバイタリティーである。
 瀬戸口は僅かに思考を巡らすと、その書類を鞄にしまい仮眠を取る為に詰め所へ向かう。
―─明日からチェックしてみるか。

***

 翌日、瀬戸口が詰め所から出てくる頃には岩田は元気良く体をくねらせ皆に挨拶して回っている所だった。まだ眠い瀬戸口からすれば、一体どういう体の構造をしているのか不思議でたまらないというのが正直な感想であった。

 瀬戸口は岩田が教室に入るのを確認して、校門へ向かう。確認しておかねばならない事があったのだ。自分の記憶が確かなら、図書館に芝村関連の文献があった筈だ。とにかくそれをもう一度読み返そうと思った。
 図書館には流石に朝っぱらという事もあって人影はなく、司書が黙々とカウンターで書類の整理をしていた。
 永遠に連なるとも思える本棚を見ながら瀬戸口は少し困った顔をしながら、歩き回る。
―─芝村家の歴史って事は、歴史の棚か?それとも政治経済になるのか?
 膨大な本の中で探すのには骨が折れる。仕方なく、瀬戸口は目録を探す事にした。図書館の隅に追いやられている木製の小さな引出しの付いた棚の前に立ち、歴史と経済の項目の引出しを引っ張り出す。図書館の中を無闇に歩き回るよりは効率は良いが、如何せん、蔵書の全ての目録が此処に収められているわけで、その中から芝村関連の目録カードを探し出すのは結構骨の折れる仕事である。
「何か本を探してるの?」
 突如後ろから声を掛けられ、驚いた瀬戸口が振り返ると、そこにはさっきまで書類整理をしていた司書が立っていた。本を抱えている所を見ると、返却された本を元の棚に戻しているのだろう。
「え…まぁ。でも中々見つからなくって」
 愛想笑いをしながら瀬戸口が言うと、司書は微笑を浮かべて今いる場所の丁度向かいの壁の辺りを指差した。
「あっちに検索機があるわ。目録カードを探すより早いわよ」
「は?」
 確かに壁がわに見慣れない機械が置いてある。
「変わってるわね。今時目録カードで本を探す人なんて居ないわよ。大概は機械でやっちゃうの。キーワードとかで簡単に探せるし」
「え…なんだ、あそこに検索機あったんですね。気が付かなかった」
 そう云うと、瀬戸口は検索機の方へスタスタと歩いてゆく。
―─うわぁ…そんな便利な機械があったのかよ。昔は全部手作業で探したのになぁ。
 最近は何でもコンピューターに頼る。それは確かに便利だし、悪い事ではないだろう。しかし、矢張り手作業の方が仕事をやったと思えるのは考えが古いのだろうか。
 検索機に『芝村』のキーワードを打つと、結構な数の本がラインナップされていた。先刻までの苦労が嘘のように一瞬の作業だ。
―─たはぁ…何か味気ないよなぁ…。
 検索結果をプリントアウトし、それを頼りに書庫を歩き回る。

 見つけた本は芝村の系譜が書かれているモノだった。その中で瀬戸口はとある苗字を発見した。

『岩田家』

 納得した様に瀬戸口はその名を心の中で反芻する。我が隊の王様の名前。世界中に居る『岩田』が全て芝村の系列とは思えないが、あり得ない話ではない。芝村系の医学・遺伝子工学の中枢にいるその家系。よくよく考えれば岩田の着ているあの服は改造白衣と云っていなかっただろうか。看板を背負って歩いていたのに全く気が付かなかった自分自身に思わず苦笑しながら瀬戸口は更に頁を捲るが、流石に公共の場所に出されている本では細かい所までは見る事は出来ない。
 ただ、岩田の事を少し知っておかなければならない事には変わりはなかった。小隊一の曲者。知れたとしたら彼から以外は考え難いような気がした。

 現在小隊で一番絢爛舞踏に近い彼はスカウトという職で撃破数を重ねてゆく。嘗ての自分の様に。
 瀬戸口は図書館の休憩室で椅子に座り瞳を伏せてゆっくりと深呼吸をする。『絢爛舞踏』と…『化け物』と呼ばれた自分自身に近い場所に立とうとする彼の事を考えて思考を動かす。
 『絢爛舞踏』を取ったのはずっと昔の話で、その頃は士魂号など存在しなかった。例えば士魂号を使えば多少戦い方を知っていれば絢爛舞踏をとる事も不可能ではないと思う。…岩田はスカウトという職で『絢爛舞踏』になろうとしている。自分以上の『化け物』ではないのか。芝村の遺伝子工学を取り仕切る『科学者』である者がで切る芸当なのか。
 疑問ばかりが浮かび自分自身が結局岩田のことを何も知らない証拠として突きつけられる。

***

 岩田は黙々と仕事を続けていた。彼が授業に出るのは午前中だけで、午後からは昼ご飯もそこそこに仕事や訓練に明け暮れる。それはスカウトという本来の職ではない部署へ就いた彼自身の代償である。本来整備班である彼は贔屓目に見てもとてもではないが戦場に立てるような体力を持ち合わせていなかった。それが今はどうだ。小隊一の撃端数を誇り、一歩一歩『化け物』への道を歩いている。彼も芝村ならば知っているだろう。『絢爛舞踏』となった者の末路を。
 瀬戸口は僅かに瞳を細めて岩田の動きを監察する。普段からは考えられない無駄な動きが無い身のこなし、的確な足さばき、まるで舞を舞う様に彼はいつも戦場へ立つ。
 自分自身は長い年月をかけてその技を身に付けた。長過ぎる年月は自分自身を『化け物』へと進化させて行ったのだ。

―─ならば奴は本物の『化け物』だ。

 整備班上がりのスカウトが出来る筈の無い戦場の舞。彼は何処でその技を身に付けたのか。千年の時を掛けて得た技を上回る程のモノを。

「暇なら僕の仕事お手伝いします?」
 突然岩田が此方を見ててを振った。隠れていたつもりで丸見えだったのかもしれない。苦笑しながら瀬戸口は小走りに岩田の傍へ走って行き僅かに肩を竦めた。
「俺は虚弱体質だから足引っ張るかもよ」
「フフフ…奇遇ですね、僕も実は虚弱体質なんですよ★素敵な偶然に乾杯しながらお仕事をしましょう!!」
 そう云うと岩田はウキウキと仕事の準備を始める。持ってきたのは2本の棒切れだった。
「剣舞って知ってます?僕のお相手をしてください★二刀流ですか?一刀流ですか?」
 突然の申し出に瀬戸口は目を丸くするが、僅かに笑って二本の棒を受け取る。岩田は片手に棒を握りそれを弄びながら瀬戸口の方を見ると突然大きく振りかぶり彼の肩めがけて振り下ろす。
 瀬戸口は右手でそれを跳ね除けると体を僅かに後退させて次の岩田の攻撃を待つ。それを察してか岩田は直ぐに下まで降りてしまった棒を一気に方向転換すると脇腹めがけて再び加速させる。

―─速い!!

 瀬戸口は舌打ちしながら棒をすぐさまガードへ使う。軽い衝撃が走り僅かに棒を握っていた手が痺れる。
 何度か攻撃を受けながら瀬戸口は岩田が棒を攻撃を加えるたびに握り直す事に気が付く。それは棒にある筈の無い『刃』の方向を転換させるモノであった。実践では無論片刃の武器を握る訳だから常に切れる方を敵に向ける。それを此処で練習しているのだ。恐ろしく実践馴れしているとしか思えない。

「攻撃しないと負けちゃいますよ★」
 そう云われ瀬戸口は初めて左手の棒を岩田に向けて振り下ろした。まるで自分の体の一部の様に操る事の出来るのは嘗ての名残なのかもしれない。その攻撃を岩田は受け流し、更に瀬戸口との間合いを詰めるとすかさず棒を下から振り上げる。顔を掠めるように自分の正面を通り過ぎて行ったその軌跡を目で追いながら瀬戸口はがら空きだった岩田の脇腹へ思わず蹴りを入れに行ってしまった。
 しまった!!と思ったが加速された自分の足を止める事が出来ず、そのまま岩田にクリーンヒットすると思った…が、彼はそれすらも読んでいたのか素早く姿勢を低くしそれをかわした。
「フフフ…剣舞だって云ったでしょ★足は反則ですよ」
 岩田は姿勢を低くしたまま瀬戸口を見上げて笑った。
「悪い。いやぁ、剣だけじゃ勝てないような気がしたんでね…つい。ハンデってことで勘弁してよ」
 瀬戸口は半分嘘を吐いた。勝てないのは今良く解ったのだ。あの後自分の軸足を蹴られて地面に倒れればどうだっただろうか。戦場ならば間違いなくなく死んでいただろう。肌で感じたのは一瞬の岩田の鋭い眼光。足が空を切った瞬間多分岩田は軸足を狙っていたに違いない。空気が変わったのだあの瞬間に。嘗て戦場に立っていた時の緊張感が余りにも鮮明に蘇り、瀬戸口は震える手を握り締めた。
「お疲れのようですね。此処までにしましょうか」
 岩田は棒切れを投げ捨てるとくるりと方向転換をし鉄棒の方へ歩き出した。瀬戸口は慌ててそれを呼び止めゆっくりとした口調で岩田に問い掛けた。
「…何か格闘技とかやってたのかお前さん?」
「我流ですよ。壬生屋さんの家みたいに由緒正しい家系でもないんで。人のやってるのを見て自分流にアレンジしたんですよ。強いて云うなら『イワッチ流』ですよ」
 岩田は茶化したようにそう云うと、手を振りながら再び歩いていった。

***

 岩田は鉄棒にぶら下りながら先ほどの剣舞を思い出した。
―─流石って所ですね。
 瀬戸口は勝負勘がとてつもなく良い。一瞬の隙を突いて攻撃に転じてきた。剣舞では足技は反則だが、戦場ならそんなものは関係ない。一撃必殺となるだろう。抑えていた実力が無意識に出された結果だと考えると少し申し訳ない気分になった。彼が頑なに隠しつづけたモノを引きずり出してしまったのだ。それでも、自分が何処まで動けるのか試してみたかったのだ。絢爛舞踏と謳われた彼を相手に。
 判断力、先読み、それに反応する体さばき。
 どれも自分には必要不可欠なもので、それを自分のモノにしなければ到底望みは叶わない。多分そう悪くはないような気がする。無駄に蓄積された記憶ではなかった訳だ。
 幾人もの絢爛舞踏を見てきた。幾人もの戦士を見てきた。全て記憶の中に保存され自分の知識としてその動きを再生する事は出来る。それについてゆく体力さえあれば問題ない。

 大分空が薄暗くなり、黒い月が闇にかき消されていくのを眺めながら岩田は一番最近出合った『絢爛舞踏』を思い出した。

―─この月も見納めだからな。

 そう云って最後の日を天体観測へ費やし、人類最高の栄誉を手に入れながら世界を救わなかった『絢爛舞踏』
 力があるのに世界を救わなかった舞姫。

―─流石に痛みを感じぬか…OVERS-Sの限界…悲しいモノだな…。

 円環が繋がれる瞬間に彼女がそう云った。彼女は何が悲しくてあの月を見納めにしたのだろうか。

***

 瀬戸口は一日岩田の尾行に時間を費やした。あの男の強さは何処から来るのモノなのだろうかと思っての行動だが、岩田は一日中訓練や仕事に明け暮れ、暇を見ては他の小隊メンバーと時間を過ごすの繰り返しだった。ただ、その人脈は初期の頃と比べて恐ろしく広くなっていた。敬遠されていたはずの彼はいつの間にか小隊の中に溶け込んで…否、小隊の中心となっているように思えた。
 時間を惜しんでの訓練は彼の能力が上がるのには納得できないこともないが、それでも足りない。勝負勘や、戦闘知識は何処から来るものなのだろうか。ぼんやりとそんな事を考えていると、岩田が詰め所から出てきたので瀬戸口はその後をそっとつけることにした。

 片手にはどう贔屓目に見ても洗面器にしか見えない荷物と、その洗面器から見え隠れするタオル。
 瀬戸口は厭な予感を抱えながら距離を保って歩いてゆく。多分学校の傍にある今はもう珍しくなってしまった銭湯に行くのではないか?シャワー室も先日岩田の陳情によって設置されたというのに何故態々と思いながら瀬戸口は仕方なく近くのコンビニで入浴セット一式を購入して再び岩田の後をつけようとしたが、彼の姿を見失ってしまった。

―─撒かれたか!?

 もしかしたらあの洗面器は自分を撒く為のフェイクだったのかもしれないと唇を思わず噛む。
 しかし、此処まで来てしまったのに何もせずに帰るのも勿体無いと思った瀬戸口は目の前の高い煙突を眺めながら銭湯に寄っていく事にした。懐かしい風景だと脳が僅かに昔を思い出したからだった。

 番頭に小銭を渡すと彼は無愛想にその小銭を確認して顎で入れと指図する。いつの時代でもいかにも堅物のオヤジは存在する。それが酷く懐かしく感じられるのは自分の生きた時代が遥か昔だからなのだろうかと考えながら瀬戸口は脱衣所に向かった。
 元々流行っていないのか、時間帯の所為か脱衣所には人っ子一人おらず、無駄に広いその場所は瀬戸口の貸しきり状態だった。

 湯気で視界の悪い浴場の片隅の椅子に腰掛けると瀬戸口は自分の持ち込んだ入浴セットから石鹸を取り出したが思わずその動きが止まる。

―─最近は石鹸とか持ち込まなくていいんだ。

 ポンプ式のボディーソープやシャンプーが当たり前のように設置されている事に、カタカタと鳴る小さな石鹸の音に風情を感じた時代は終わったのだと少し寂しい気分になる。流れた時代は余りにも長かったのではないか。惰性の生を自分は送ってしまったのではないか。
 自らの右手を眺めながら背戸口は僅かに顔をしかめる。鮮血の赤に塗れたこの右手は二度と人の色を取り戻すことは無い。どんなに抗っても切れることの無い運命の鎖。永遠に探すのか、遥か昔の幻影を。それこそが惰性の生の始まりではなかったのか?

―─何の為に生きている。

 冷水を頭から被り後ろ向きなった思考を停止させた。俯いたままシャンプーに手を伸ばすと頭の上に何かコツンと当たったので思わず顔を上げると、そこには見覚えの無い人がポンプ式のシャンプーを片手に低い仕切りの向こう側から顔を出していた。
 露骨に目を細め、視界の悪い湯気の中で男の顔を凝視するとその男は口元を歪めて笑った。
「そのシャンプーは空ですよ。さっき僕が使っちゃいましたからね。こっちをどうぞ」
「…岩田?」
「他に誰がいるんですか。貴方僕と一緒にお風呂に入りに来たんじゃないんですか?」
「いや…違うんだが…まぁ、有難く使わせて貰うよ」
 瀬戸口が岩田からシャンプーを受け取ると彼は満足そうに微笑んで鼻歌を歌いながら湯船に浸かった。
 此方に背を向けて湯船に浸かってる後姿を見る限りでは間違いなく岩田だった。しかし、先程声を出すまで彼だと気が付かなかった。派手な化粧とメッシュを落としただけで別人の様に見えたのだ。酷くあっさりした顔だったのだ。そういえば今まで岩田が化粧を落とした姿など見たこと無かったのではないか。

「岩田」
「何ですか?」
「俺がお前の後をつけてたの知ってたのか?」
「今知りました★で、僕に何の用ですか?」
 瀬戸口も並んで岩田の横で湯船に浸かると岩田は正面の大きな壁を眺めながら大して関心のなさそうに聞いてきた。瀬戸口は暫く無言のままだったがゆっくりと口を開く。
「お前さんは何の為に戦ってるんだ?」
「…王様だからですよ。王様だから民の運命を変える為に戦うんです」
「運命ね…」
 運命だったんだと俯いたのはいつの事だろうか。別れる運命だったのだから仕方が無いとそう慰めていたのは。
「それでお前さんが『化け物』と呼ばれてもか?」
 瀬戸口は岩田の横顔を眺めながらそう言葉を発したが彼の表情に変化は見られなかった。病的に白いその顔はまるで能面の様に表情を固定したままだった。
「僕の事はどうでも良いんです。今までだって十分人の記憶から消え続けてたんですよ。だから今更世界に拒絶されて、人々の記憶から僕の存在が消えても何ともないんです」
 今更何を悲しむ事があるのだ。何万回と繰り返されたループの中で自分自身はいつだって人々の記憶から消えていたではないか。岩田は思わず心の中でつぶやく。それは僅かに持った小隊に対する愛着なのかもしれない。
「…悲しいな」
「僕は僕の望みを叶える為に王国を作ったんです。だからそれで良いんです。望みが叶うなら僕は何だってしますよ。戦場に立つ事だって道化の仮面を被り続ける事だって。化け物と呼ばれても構わないんです」
 何処からその強さは来るのだろうか。そう瀬戸口はぼんやりと思った。例え脳で理解していても割り切れるものじゃないのは自分自身が良く知っていたからだ。悲しみと絶望と怒りで自分はずっと昔に青い衣を脱ぎ捨てて、それでも尚赤く染まりきれずに僅かな希望の細い糸を手繰って迷路をさ迷い歩く。何時切れるか解らない、それどころか本当に先はあるのかさえも解らないか細い糸。
「…僕はね…歌えない民の声になりたいんですよ」
「歌えない?」
 それは余りにも唐突な言葉で瀬戸口は思わず白磁器の様に無機質な岩田の顔を凝視する。
「歌は『言霊』…口に出せばそれは祈りにも呪いにもなる。僕の周りには歌うことの出来ない人間が沢山いて、僕自身もその中にいた。…僕の『声』や『痛み』を一時的に分け与えてくれた人は今でも歌い続けているんです。その歌は万人に届かないと知りながら。…けれど彼女が僕に分け与えたモノは僕がその『言霊』を誰かに伝える事によって本物の『歌』になるんです。…絶望の世界で彼女が僕に渡したかったのは…僕を仲介しての『希望』だのかもしれないと…思うんです」
 岩田は僅かに瞳を細めると口を閉ざした。
 『痛み』は本物の『歌』を歌う為の代償なのだろう。『痛み』を持てなかった『異世界の魔女』はこの虚構世界の住人が歌う歌こそが世界を救うと信じているのかもしれない。痛みと、悲しみと、絶望に塗れた時に歌った歌にこそ価値がある。祈りも希望もそこで初めて歌になる。

 傾国の王として出来るのは彼らが自ら咽喉で歌う事思い出させること。消え失せる定めの王国の為に誰かが歌ってくれるだろうか。

「…歌ね…希望の歌は俺には縁のない話だな」
「僕もつい最近までそう思ってましたよ。縁のない話だと。僕に電波の司令が降りて来るまでは」
 そういうと岩田は声を殺して笑う。正に降りてきたのだ電波の司令は。唐突に現れ消えていった彼女は博愛主義で傍若無人の絢爛舞踏。舞姫から歌姫へとその職業を換え自らを受け入れなかった世界に届かない祈りを捧げる祈り子。
「僕にとっての神子はね…彼女なんですよ。『異世界の魔女』である電波の司令。僕の全てを変えたあの人の姿はもう遠くへ消えてしまったけれど僕は彼女の残したモノを抱えて僕は何処までも走り続けますよ。一寸先は闇でもね。立ち止まればたちまち消えてしまうほど儚いモノを彼女は押し付けてくれたんですから」
 その言葉に瀬戸口は僅かに俯く。自分が見失いそうになっていたものを岩田はまだ抱えていると思えたのだ。消えない罪は存在する。でも、消えない『思い』だって存在する。遥か昔に抱えたモノはまだ自分の手の中にあるのではないか。両手が鮮血に染まろうともまだ糸は切れていない。自分だって誰かの為に歌う事は出来るのではないか。…絢爛舞踏は舞を舞い、歌を歌い誰かの為に銀剣を振るう存在ではなかったか。『化け物』と呼ばれても、それでも尚戦う…それでこそ青い衣を纏う資格がある。

「幾多の戦場を越えても青い衣は鮮血に染まることはありませんよ。鮮血の赤は衣を脱いだ瞬間に自らを染め上げるんです。立ち止まった瞬間にそれは訪れる」

 立ち止まるな。岩田がそういってる様に瀬戸口には聞こえた。それは命令でも強制でもなかったが、又立ち上がるのには十分な言葉だった。本当に鮮血に染まってしまったのなら彼はこんな話を自分にしないだろう。纏った青い衣装は重くて、直ぐに捨て去ってしまいたくなるけれども…目の前にその衣装を着て静かに佇む者がいるのなら…逃げるのは無様だと思った。

―─まだ歌える。届かないと知りながら希望の歌を歌う者がが何処かにいるのなら…その祈りを無視して立ち止まる方が罪だろう。

 瀬戸口は右手を強く握り締める。血を吐きながら歌う誰かがいるのなら…銀剣を振るう事が出来る。
 深呼吸をしながら懐かしい面影を脳裏に浮かべる。もう鮮明な姿は思い出せないが彼女も舞を舞い歌っていた。消えてしまった祈り子の歌は自分自身の中で今も歌われている。

―─人は歌を歌うの。それは人間にだけ許された行為なのよ。歌えるのなら…どんな姿をしていても『人間』なのよ。

 曖昧な記憶の少女が髪を揺らして笑った。

***

「ふー、いいお湯でした★」
 すっかり服を着て上機嫌な岩田は頭からタオルを被って荷物を纏め始める。その姿を見ながら瀬戸口は思わず苦笑した。先ほどまでの無表情な姿が嘘の様だったからだ。
 しかし、暫く岩田を眺めてふと思い出したことを口にする。
「…もしかしてこの前善行と一緒にいたの…お前さんか?」
 つい先日善行が見かけない顔の人間を連れて校内を歩いていたのを思い出したのだ。とがった耳が隠れている状態をみて瀬戸口は漸く記憶の顔を重ねる。
「フフフ…そうですよ。酷いですよね善行君!!化粧落とすの恥ずかしいって言うのに無理矢理…しかし責任は取っていただく予定ですから★」
「責任?」
「そうですよ。僕の素顔を見た人間は僕の『王子様』候補に挙がって頂く事になっているんです!」
 岩田の言葉に瀬戸口はぽかんと口を開けて遠い目をする。今とてつもなく厭な事実を突きつけられた様な気がする。
「王子様?」
「そうですよー。僕の化粧は『呪い』なんです。ですから、呪いを解いた人は自動的に王子様★素敵なお話でしょ?」
 思わず頭を抱えてしゃがみ込みたくなるのをぐっと堪える。何処が素敵なお話なのかは全く理解できない。と言うか寧ろ、一体誰がそんなお話を作ったのか。
「もしかして…それって」
「無論貴方も僕の王子様候補ですよ★まぁ、善行君が優先ですけどねぇ。僕の第一王子様になりたかったら善行君を亡き者にして下さい。あ、僕は物騒なことが嫌いですから僕の知らない所でお願いしますね」
「…いや、遠慮しとくよ…」
 内心ほっとしながらも思考を自分の防御へとまわす。岩田の王子様ははっきり言って御免である。美しいお嬢さんの王子様なら大歓迎だが相手は道化の王様だ。大体、この事が岩田シンパの連中…特に速水や狩谷に知られたら…そう考えるだけで背筋が凍る。誰かの為に歌う筈の歌が、自らの弔いの歌になり兼ねない。
 善行がそう易々とドロップアウトする事はないだろうが、現在前線の3番機パイロットなのだ彼は。司令であった時よりも危険度は高い。…ならば可能性を限りなくゼロに近づける必要がある。
 瀬戸口は思い立って荷物を纏めると挨拶もソコソコに銭湯を後にする事にしたので、岩田はそれをハンカチを振って見送りながら少し困った顔をした。
「…急にやる気になったみたいですねぇ…素晴らしきかな『異世界の魔女』の呪いって所ですかねぇ。まぁ、エースパイロットの座は瀬戸口君って事で、僕は全然未踏の『スカウト絢爛舞踏』と行きましょうか」
 咽喉を鳴らして笑うと闇夜に消されて姿を隠した黒い月を見上げる。

―─…痛みを感じぬ者が幾ら戦ってもそれは『化け物』だ。

 貴女は間違いなく『化け物』ではなく『絢爛舞踏』でしたよ。…肉体的な痛みを感じない代わりに貴女は別の『痛み』を抱えていた。でなければこんな舞台を貴女は設置しなかったし、歌も歌わなかったでしょう。
 届きますよ貴女の歌は。僕を介してこの虚構世界へ。
 …せめて貴女の望みぐらい聞いておけば良かったのかもしれませんね…僕の望みを叶えるついでに貴女の望みも叶えて差し上げたかった様な気がしますよ…今更ながら。それとも、僕の望みを叶える過程で貴女の望みは叶うのですか?

―─その答えはYESである。

 そんな声が聞こえたような気がして岩田は思わず口元を緩めた。ご都合主義な妄想だと知りながらも返答がそうあって欲しいと思った。
 虚構世界の最期に自分は青い舞踏衣装を纏って貴女を待ちましょう。


>>あとがき

 大変延びに延びて、どのファイルがこのSSだったか忘却しましたよ(微笑)ってな訳で、瀬戸口さんの王国話で御座います。王子様云々のくだりは『特売日和』をご覧くださいませ。
 ギャグのつもりで書き出したのに思いの他シリアス仕様になってしまいましたね。…瀬戸口さんが途中で思考モードに入ったからなぁ。瀬戸口さんは結構王国でも出番が多くて早く書きたかったんですがねぇ。個人的には王国シンパの生暖かい保護者がいいなぁって(笑)

 この後から瀬戸口さんこそっと幻獣退治に出た模様ですね(笑)日程的にエースパイロットが出てくるのは大分後期なんですが、大きく取り立たされる前もこそっと働いてたって事で(無理矢理・笑)正直、オフィシャル設定には置いてけぼりなんですよねぇ最近。開き直って『王国仕様』って事でお送りしようかとも思ってます。そんなに大きく外れはしないでしょうが、細かい突っ込み入ると辛いのでご容赦を。

 次の王国話は何になるかは未定ですが、キリ番の事もあるので色々考えて行きたいと思います。個人的には若宮v舞を行きたいですねぇ(←希望的観測)

 ってな訳で、又お目に掛かれればそりゃぁもう奇跡かも(笑)

20020624

>>HP移転に伴い一部改行等調整。大筋変更はありません。