*岩田王国【楽園の扉編】*
その日彼は人間の規格外となった。
消え失せる幻獣を眺めながら岩田裕は来るべき日が来た事を確信した。歌は最終段階まで来ている。終る世界を目前に控え、彼は歌の主を思う。
此処までこの世界を導いてきたあの人は今何を思うのか。
『王様ゲーム』の終焉はこの世界の終焉と共にやってくる
***
翌日、芝村舞が学校を訪れた時に、岩田が小隊長室からひょっこりと現れた。
「朝から何をしておる」
「フフフ…電波の指令ですよ」
僅かに目を細めて笑うと、そのまま舞が来た方向に歩いてゆく。
「そなた、授業は?」
午後の授業には滅多に出ないが、午前中は必ず出る彼が何故校門の方に歩いて行くのか不審に思い云うと、彼は笑いながら再び同じ言葉を紡ぎ手を振ってさっさと歩いていった。
「…何を考えておる…」
舞は彼の後姿を見送りながら教室に向かう。
本来なら岩田が絢爛舞踏賞を受賞する予定だったが、彼の欠席により見送られる。このまま、午後の授業にも彼が出なかった場合は事もあろうか『極楽トンボ』と同時受賞となってしまう。
「来なかったわね」
何時ものように仕事時間が終了すると、原が小隊長室にやってきてまるで自分の家の様に勝手にコーヒーを淹れ出す。毎日の事なので速水は気にする様子も無く、書類をきちんと纏めると、僕の分もねと笑いながら原に頼む。
小隊長室。別名・岩田王国詰め所とも呼ばれる。
仕事が終了すると、ダラダラと王国のメンバーが集まってくるのでこう呼ばれているのだ。
「極楽トンボと同時受賞狙ってるとしか思えないよね」
速水は、彼らしいねと笑いながら云う。唯受賞するだけじゃ面白くないと考えたに違いないと誰もが思っていた。
『絢爛舞踏』
人を超えた存在。
300の幻獣の首を狩った者。
死を呼ぶ舞を舞う者。
「…朝方此処で岩田を見かけたが…」
若宮と共にやってきた舞が小さな声で云う。彼女自体は『岩田王国』には入っていないが、カダヤの若宮にくっ付いて時々此処を訪れる。
「…わざわざ学校まで来たのに帰ったんですか?」
「私に聞くな!体調が悪かったのかもしれん。奴は『電波の指令』だと云っておった」
若宮の言葉に舞が少し怒ったように答えるが、その答えに原は首をかしげる。
「昨日は元気そうだったじゃないの…本当に調子が悪いのかしらね…」
「お見舞いにでも行こうか?」
速水が提案すると、皆は頷くが直ぐに困った問題に直面する。
「で、彼の家は何処なの?」
原の言葉に沈黙が答える。誰も彼の家を知らなかったのだ。若宮が名簿に書いてあるのでは?と言い出したが、それは遅れて小隊長室に入ってきた瀬戸口の言葉によって却下される事になる。
「コレが岩田の名簿。見てみなよ。こんな書類で学校に入れるんだから解らんなぁ…」
瀬戸口は手に持っていた個人名簿を机の上に投げる。
彼がなんだかの理由で岩田の家を調べようとして職員室から拝借してきたものだ。
氏名*岩田裕。イワッチと呼んで下さい
年齢*フフフ…
住所*不定。流浪の民です
電話番号*電波による送信でお願いします
家族構成*知りたいですか?
「…」
一同否応無く沈黙する。
それは間違いなく岩田の字で書かれたものであり、恐ろしい事にコレが正式な書類なのだ。
「…電波でも送ってみますか?」
若宮の言葉に一同は溜息をつく。連絡網などはどうなっているのか恐ろしくて考えられない。もしも自分が岩田の前だった場合はどうすれば良いのか。思わずそんな現実逃避をしてしまう。
そんな中、瀬戸口が小隊長室に視線を馳せ僅かに眉を寄せる。
「…狩谷はどうした?何時もならもう来てるだろうに」
先刻ハンガーを覗いた時には居なかったのでてっきり此処に来ているものだと思っていた。僅かに…ほんの僅かだが皮膚がチリチリとする感覚に襲われる。酷く厭な感覚。
「授業には出てたわよ。どうしたのかしらね」
同じクラスである原が云うと、瀬戸口は窓から外を見る。
夕焼けが燃えるように紅い。まるでそれは幻獣の瞳のような色。それを直視できなくて瞳を伏せる。
(さぁ王様…何を見せてくれるんだ?)
***
狩谷夏樹は屋上で紅い夕日を眺めていた。
何時もなら小隊長室に行くのだが、そんな気分ではなかった。酷く背中が痛む。
事故の際に背中に入った破片が彼の下半身不随の理由。その元凶が今日に限って酷く痛む。
「クッ…」
自分の中で何かが起こっていると漠然とだが理解できた。
『絢爛舞踏』
それが彼の何かを変えつつある。
昨日戦場で幻獣を狩る彼を見て当初彼に抱いていた感情を思い出した。
彼への嫉妬と憧れ。
独りぼっちの『王国』を鼻で笑いながらも酷く憧れた。
元々整備員の彼が戦場でスカウトとして戦う姿は格好良かったのだ。何の為に始まったか解らない『王様ゲーム』にだんだんと人が集まってゆく。
そして自らも彼に憧れ、何時しかそのゲームに参加していた。
それはまだ彼と少しだけ打ち解けた時の事だった。
「君は親切だね…僕を見下しているだろう」
仕事場に行こうとしていた狩谷を見つけて頼みもしないのに岩田が彼を仕事場まで連れて行った時にその言葉を吐いた。
「フフフ…親切?それは違います。僕は自分の為にしか動かない『王様』ですからね!!!!」
岩田は狩谷を車椅子に座らせると、瞳を細めて笑う。
「…時々ね、悪い人の真似をしたくなるんだよ。甘え、だろうけどね。幸福そうな人を見ると困らせたくなる…すまない」
狩谷は僅かに下を向き言葉を紡ぐ。
「幸せそうに見えますか?」
「え?」
驚いて顔を上げると、岩田が酷く真面目な顔をして狩谷をみていた。
「…幸せじゃないのかい?君は?」
「『箱庭』に居る時だけはね…」
その時は『箱庭』が何を指すのかはよく解らなかったが、後に『王国』を『箱庭』と呼んでいる事を知る。
「フフフ…此処は『人工楽園』なんですよ。僕が作った小さな『箱庭』。本当の『楽園』に辿り着く真の道は鮮血の赤で染まった『戦場』を超えて行かなければなりません」
「絢爛舞踏かい?」
「さぁ、なってみなくては解りません。フフフ…さぞかし皆さん驚くでしょうね…皆が称えていた『王様』が実は『化け物』だったなんて!!!スバラシイィ!驚く顔が目に浮かびます!!!」
何処までが本気で何処までが電波なのか解らない彼の言葉に、狩谷の背中が僅かに痛む。
『伝説ガ近クニ居ル』
何処かで声がしたような気がした。否、その声は自分の中から聞こえてくる。
酷い動悸と眩暈。
「フフフ…ご存知ですか?中国の歴史書では、人を愛し親しむ時、人の目は青いといいます。けれど幻獣の目は赤い。赤い目は人を憎む時の目だと…」
「…幻獣は…人じゃ…ない…」
狩谷は拳を強く握りながらそれだけの言葉をやっと呟く。
前が良く見えない。岩田の表情も解らない。
まるでこの体が自分の物じゃないように思えた。
今…自分はどんな顔をしているのだろうか。
「…ええ、そうですね」
狩谷の答えに岩田はアッサリと同意すると、薄く笑い狩谷の方を見た。
「僕は、青の青に心酔してこの世界を裏切り続けています。…解りますか?僕は世界の裏切り者。僕と共に歩く事はこの世界を裏切る事になります」
青の青…それは?何?心底人を慈しむという事か?
世界は…それを望んではいないのか?
「貴方は世界の流れに従順に生きますか?それとも…」
それとも?
逆らうのか?この未来無き世界に。
君は何を望む。
たった一人で何をしようとするのだ。
否、
君の歩いた道が道標となり、今、少なくともこの小隊は…君と共に進んでいる。
そう、風。
君はこの小隊に吹く風だ。
始めは唯出鱈目に吹いているように見えたが、何時の間にか流れは大きくなり変革をもたらしている。
誰もが居心地の良い『王国』の存続を望み、君は『王様』として只管皆を導く道標となっている。
既に君の存在はこの小隊を動かす『システム』となっている。
「僕は…僕は…」
強い君に憧れた。
自ら望みの為に全てを欺いてまで突き進む君に。
戦場に立ち、幻獣を狩り続け、何時か『化け物』と呼ばれる事を知りながらも歩いてゆく。
…君の望みは…何?
「思い出の子供を守る事ですよ」
岩田は笑いながらそう云うと狩谷の方を向く。
心を詠んだ様に的確な答え。今まで誰にも語られなかった彼の望み。
「…子供…」
「これは自己満足の為に始めたゲーム…まぁ、ゲームですから何時かは終ります。…フフフ…でも精一杯やりますよ…たかがゲーム、されどゲームってね」
岩田は少し茶化したように云うが、多分本気なのだろう。
急に彼のゲームの結末が見てみたくなった。
たった一人の…しかも『思い出の子供』を守る為に始めたゲームのEDは一体どんな物なのだろうか。
「…どんなEDが準備されてるんだい?」
「見てからのお楽しみですよ。僕が死んでゲームオーバーかも知れません。めでたし、めでたし、かも知れません。EDが解ったら面白くないでしょ?ゲームなんですから」
結局それから何度『ゲーム』の事を聞いてもはぐらかされるし、『思い出の子供』が誰なのか、何処に居るのかも聞けなかった。
思わず笑いがこみ上げてくる。まんまと彼に乗せられたのだ。遂にED間近まで来て確信した事があった。
『彼は全てを知っていた』
夕焼けに染まる空の下の狩谷の姿は赤く染め上げられていた。
だんだんと自らが内から壊れてゆくのが解った。
『王国』での馬鹿馬鹿しいが楽しかった日々の思い出が過去の物になろうとしている。
「厭だ…どうか…」
僕の生きていた証を消さないで。
『王国』で僕は確かに生きていた。生まれて初めて生きていると実感できた。
全てを知りながら君は僕を受け入れた。
間違いなく君は僕の道標だったんだ。
ずっと一緒に歩いてゆけると思っていたし、『ゲーム』が終らなければ良いとも思いだしていた。
でも…僕の弱さと君の強さがこの『ゲーム』に幕を引く。
過去の愚かな自分が赤い意識を消せずに抱きかかえ、
『絢爛舞踏』の誕生と共に徐々に浸食を始めた。
『王国』での幸福の日々さえも消し去り、
赤く染め上げようとしている。
君の箱庭を壊してしまう。
だからその前に、
どうか僕を、
止めて。
殺せ。
***
此処は楽園、全てを赦せと君が云う
酷く殺風景な部屋には生活感が全く無く、そこには大きな鏡とベッドが置いてあるだけだった。
バスルームから出てきた男は適当にタオルで頭を拭きながら鏡の前で立ち止まる。見慣れて居るはずの自分の顔が他人のもののように思えてくる。自分でもそう思うのだから『彼女』が気が付かないのも仕方がない。
彼は鏡の前に置いてある化粧品を手に取ると、手馴れた様子で自分顔を作り上げていく。派手な化粧は全てを覆い隠すかの様に思える。
見慣れた顔になると、薄く笑いベッドの上に投げられた上着を着込む。
「フフフ…テンションを上げて行きましょう」
『思い出の子供』を守る為に始まった『ゲーム』
『彼女』は僕のことを忘れているし、知る必要も無い。
ただ必要なのは、めでたし、めでたしのED。
***
その日の人事異動に誰もが呆然とした。
突然岩田が2番機に移動したのだ。
当然2番機に乗っていた滝川は押し出し無職となる訳だが、本人も廻りもそんな事はどうでも良かった。
「…えっと、突然どうして?」
形式ばかりの辞令を小隊長室で岩田に言い渡すと、速水は恐る恐る聞いた。
「フフフ…士魂号の乗り心地を試したいんですよ」
「多分今日は出撃無いよ」
速水が呆れたようにいうと、岩田はそれでも良いんですと言った。
まぁ、何時もの気まぐれだろうと思い速水はそれ以上追及しなかった。
「じゃぁ初めからスカウトじゃなくてパイロットになればよかったんじゃないの?」
岩田は戦車技能をかなり初期から持っているし、その技能がうつって滝川がパイロットになったのだ。
「フフフ…スカウトは良いですよ!故障が無いから絶対に戦場に行けるし、被弾しようが何しようが他の人に迷惑が掛からない!その点士魂号はどうしても手間がかかりますからねぇ…それに、僕が士魂号に乗って被弾でもしようものなら原主任に折檻されてしまいす。ああ、考えただけでも恐ろしい」
本気とも冗談とも取れる話を聞きながら速水は苦笑する。
「じゃぁ直ぐにスカウトに戻るの?」
「フフフ…明日には滝川君をパイロットにするように陳情しますよ。コレで発言力は又底をついてしまいます」
常に少ない発言力でやり繰りしている岩田を気の毒に思ったので、速水が人事異動を代わりにやろうかと持ちかけるが、それはアッサリ却下される。
「駄目です。自分で遊んだ分ですから、後片付けまでちゃんとやらせてくださいよ」
そう云うと、鼻歌を歌いながら小隊長室を後にした。
「何で私が折檻しなくちゃならないのよ」
速水の話を聞いて原が大きな声を上げると、周りの人は思わずその気迫に後ずさりをする。昼休み、岩田の絢爛舞踏賞の授賞式の様子をTVで見る為に整備員詰め所にはかなりの人数が集まっていた。
今日のTVは殆どがこの話題で持ちきりだったので、繰り返し授賞式の様子が放映されている。
整備員上がりのスカウトが絢爛舞踏賞を受賞。
「しかしアレだな、岩田は全然TVでは喋ってる様子が無いなぁ」
瀬戸口が話題をすっとすりかえると、舞もそれに口添えをする。
「多分従兄弟殿が『黙っていろ』とでも云ったのであろう」
TVに映る岩田は無愛想に黙っていて、コメントもごくありふれた物ばかりだった。恐らく舞が言う通り、準竜師がカンペでも用意したのであろう事は伺える。
「…しかし、化粧はあのままだったんですね」
若宮の言葉に皆は苦笑するしかなかった。礼服に全く似合わないのは明らかだ。そもそも、岩田が化粧を落とした所など見たことが無い。TVの為に用意されたメイクの人間は全くの無駄だった事になる。
準竜師の苦労も伺える。厄介な男を従えなければならないのだから。
「呼ばれて飛び出てジャジャンジャン!!!王様イワッチ推参!!」
突然詰め所の扉が開いたと思ったら、既に礼服を脱ぎ捨て何時もの改造白衣を纏った岩田がポーズを取って現れる。行き成りの登場に一同はぽかんと口を開くが、漸く速水が何とか言葉を発する。
「…もう…帰ってきて良いの?」
「フフフ、何を云っているんですか貴方は。これから僕の授賞式の始まりですよ!!!!」
岩田は嬉しそうに云うと、意味不明なポーズを取ってヘらっと笑う。
「まさか…極楽トンボか?」
「ビンゴ―─!流石愛の伝道師!及び極楽トンボ常連さん!貴方を右大臣に据える日が漸く来ましたよ!さぁさぁ、僕の極楽トンボの授賞式に皆さんも出てください!」
常連呼ばわりに瀬戸口は苦笑しながらも、授賞式に出るために立ち上がる。
「フフフ…既に女子高の先生は呼んであります。遂にあの勲章を手に入れる日が来たのですね!!!」
嬉しそうな岩田のようすを見ながらゾロゾロと一同は彼の後を追う。
極楽トンボを受賞した彼は非常にご満悦の様子で、以前皆から貰った手作り勲章の横に極楽トンボをつける。
「フフフ、実にプリティーなデザインです。いたく気に入りましたァァァ!」
周りに見せて歩き、極楽トンボの感想を聞いて廻る。
「なぁ速水…」
滝川がその様子を見ながらポツリと喋りだす。
「俺…あいつが幻獣を狩る度に少し怖くなってたんだ。自分の届かない人になってくるんじゃないかって…」
「…そうだね。でも…」
速水が何を言おうとしたのか察したのか滝川はヘらっと笑いながら岩田の方を見る。
「ああ…でもあいつは俺たちの『王様』だ。ろくに戦えない俺を守ってくれたり、整備を手伝ったり、あんなに働く王様ってのも可笑しいけど…何も変わってなくて…安心した」
彼にとって大事なのは、最高の勲章より手作り勲章。現に彼は絢爛舞踏の勲章をつけていない。
ずっと前に皆で彼に贈った下手くそな勲章を後生大事に持ってる。
「コレで僕たちは最強の王国を作った事になるんだね。僕達が居れば…戦争は終るよ」
たった一人が強いだけの集団は脆い。でも、今の5121小隊は個人の技能も、撃破率も上がっている。
スカウトの王様を守る為に誰もが必死になって自分の仕事をこなすし、否応なく個人のレベルも上がってゆく。
最強の王国は此処にある。
***
「私はそなたの考えている事が解らない」
ハンガーで士魂号を眺めていた岩田を捕まえた舞が放った第一声はそれだった。すると岩田は少し困った顔をして舞のほうを向く。
「極楽トンボに対するコメントはないんですか?」
「…私には真似できん…これで良いのか?」
舞の投げやりなコメントに満足したのか、嬉しそうに頷くと士魂号の装備をせっせと替え始める。
「…そなた、私の話を聞いているのか?」
「真似できないんでしょう?フフフ…そうでしょう、そうでしょう」
「違う!その話ではない!!!そなた絢爛舞踏の勲章はどうしたのだ!」
舞は怒鳴りながら岩田の肩を掴み、自分の方を無理やり向かせる。
「アレは僕には価値のないものです。だから付けてません」
人類の最高の勲章を『価値の無い物』と言い放つ辺りが又更に解らない。何の為に彼は幻獣を狩り続けたのか。
「…そなたは私の父と同じだ。私をからかって遊んでいるのであろう!…私の事を嫌っている…」
舞が下を向きながら言葉を紡ぐ。王国に入れないのは岩田が自分との距離を置く為。
カダヤの若宮にくっ付いて他のメンバーとあれこれするのには何も云わないが、個人的に仲良くする事は皆無だった。入りたいと思うわけじゃない。でも、入れない理由が解らない。
「…貴方の父は間違いなく貴方を愛してました。でなけば僕は此処に居ません」
「岩田…そなた」
嫌われているならはっきり拒絶された方がましだった。でも、自分が困っている時は気が付けば助けてくれていたし、自分自身も頼る事が多いことが腹立たしかった。
「人にはそれぞれやり方があります。貴方の父も形はどうあれ貴方を守りたいと思っていました。…下らない『運命』とやらを変える為に…自分の命を代償として払うことを決めました」
「…」
ただ黙って聞いているしかなかった。聞きたい事は沢山あるのに、言葉が巧く出ない。
「だから僕も…」
「いわ…」
舞が何とか彼に言葉をかけようとした時に、不意に背後からの人の気配に気がついた。
岩田は我に帰ったように目を大きく見開くと苦笑する。
「…フフフ…待ってましたよ、来須銀河」
来須は帽子を深く被り直すと、岩田の方にゆっくりと歩いてきた。
「さぁ、第一声は何ですか!?」
「…すごい奴だ」
その言葉に舞は思わず倒れそうになる。ここまで来て極楽トンボへの感想を求める岩田の神経が理解できない。そして、そのリクエスト通りに言葉を選んだ来須も計り知れないものがある。
「人類決戦存在HERO…此処までお前がやるとはな」
「フフフ…さぁ、最後の精霊手を下さいな」
舞は呆然と来須と岩田のやり取りを見ていた。
来須の周りに現れた青い光は岩田を新たな宿主に選んだかのように彼に集まっていった。
ずっと昔に父親から聞いたHERO。
そうか、この男がHEROになったのだと今此処で実感した。
そしてこの男は何もかも知っている。
HEROの話などしていないのに、精霊手とやらの存在も…多分『運命』さえも。
彼は改変者として、運命を否定し、歴史を決定する剣に反逆する。
…誰の為に?力なき万民の為に?
「僕は世界を裏切り続けます。それは『彼』部下だからではなく、自分の望む世界の道標となる為に」
『思い出の子供』は今こうやって生きている。
それでいい。それがいい。
娘を守る為に『彼』が代償を払ったように、僕は自ら戦場への道を選んだ。泣くのは止め、戦おうと。
刹那。
空気が一瞬にして凍りついた。
皮膚に刺さるような冷たい空気と、厭な視線。
「やあ、極楽トンボさん」
癇に障る丁寧な口調の持ち主は狩谷夏樹だった。舞は僅かに眉間に皺を寄せ彼を見る。
「フフフ…わざわざ賛辞を述べる為にここまで来てくれましたか!なかなかやりますね貴方!」
岩田の言葉に狩谷は喉で笑うと、寒気のするような笑顔で更に言葉を続けた。
「僕が見たいのは…絢爛舞踏賞…」
その言葉に舞は一瞬にして全てを理解できた。彼こそが『竜』であると。『絢爛舞踏』に導かれ、彼は岩田のところにやってきた。
「狩谷…そなた…」
舞が前に出ようとするのを岩田が体で遮ると、舞は驚いて岩田の背中を見る。後ろからなので表情は見えない。でもそこに居るのは間違いなく『HERO』だった。
「『思い出の子供』を守る為のゲームは此処で終わりだ、強すぎた故に人でなくなった伝説よ。さぁ、幕を引こう。…君の『王国』は此処で終焉する…『王様』消失と共に!!!」
「来須君舞を頼みます!」
「岩田!!」
来須は岩田に云われた様に岩田の名を呼びつづける舞を連れてその場を離れる。
岩田はそれを見送ると薄く笑い士魂号を眺める。
既に歌は狩谷が現われた時から流れ続けている。
「…舞…『ユーリ』も僕も貴女を守りたいんです。それだけは信じてください…」
「離せ!離せ!」
暴れる舞を漸く皆の所まで連れて行くと、来須は若宮に舞を預けると、校庭に視線を向ける。
小隊のメンバーは既に校庭に現れた新型の幻獣…竜を呆然と眺めていた。
「芝村!何処に…」
「…今まで岩田と居た…あれは…狩谷だ…」
若宮の言葉に舞は小さな声で答える。ハンガーから現れたのは2番機。勿論乗っているのは岩田。
「狩谷…君なの?」
原はぼんやりと竜を眺める。
嘗て、
『王国』で彼は毎日速水に対抗するように岩田の為に陳情を続け、誰よりも岩田を慕っているものだと思っていた。
その彼が何故岩田と戦おうとしているか。何故、『王国』を脅かす存在になってしまったのか。
「頼むぜ王様。お前さんなら…」
彼を救える筈だと、瀬戸口は半ば祈るように思っていた。
こうやって『絢爛舞踏』と『竜』が対峙する事は予め世界に選択によって定められていたかもしれない。
しかし、
この『王様ゲーム』のEDを決めるのはこのゲームを仕組んだ彼自身だと。
遠い昔に、失敗し罪で穢れた自分の愛では世界を救う事など叶わない。
だから…夢を見させてくれ。今この瞬間に。
お前さんが振り撒いた『愛』がこの『王国』に巡って来るのを。
***
此処は楽園、全てを赦せと君が言う
「立ちなさい!」
歌声と共に幼い少女の声が聞こえた。一瞬『彼女』の声だと思ったが、それが『のぞみ』の声だと直ぐに気が付いた。どれくらい気を失っていたのだろうか。慣れない士魂号はいくら性能が良くても使いにくい。
「立ちなさい!」
解ってます、でなければ何の為に此処まで来たのか解らないじゃないですか。
聴こえますか?狩谷君。
貴方にこの『ゲーム』のEDを見せますよ。
聴こえますか?名も知らぬ介入者さん。
貴方にこの『ゲーム』のEDを見せますよ。
聞こえる声が次第に増えて行くのが解る。
クラスメートの、否、『王国』の人達の声が聞こえる。
少しずつ士魂号に集う力は自らが歩んだ道の証。
自然に笑いがこみ上げてくる。もう直ぐ望みは叶うと。『ゲーム』は終ると。『思い出の子供』は生き残ると。
***
岩田はゆっくりと嘗て竜の居た場所に歩いてゆく。
『幻獣』はその姿を消し去り、残るのは瓦礫の山。
岩田がせっせと瓦礫を掘り返す様を見て皆が駆け寄る。
「岩田君…狩谷君は…」
原が後ろから声をかける。悲痛な表情からは複雑な心境が伺える。
「何云ってるんですか貴女は。僕を殺人犯に仕立てるつもりですね!!フフフ…そうはさせませんよ…何せ彼は生きてますから」
岩田の言葉に表情が明るくなると同時に、一斉に狩谷を探す作業に掛かる。
「どうするんだ王様。お前さんは狩谷を赦したが、多分狩谷は自分を赦せないだろう…」
岩田の隣に立った瀬戸口が小さな声で呟く。すると岩田はへらっと笑い腕を組む。
「フフフ…何の為に『王様ゲーム』をやってたと思ってるんですか」
「は?」
瀬戸口の間の抜けた返事と共に、狩谷を見つけたと言う声が挙がったので、岩田はその場所へゆっくりと歩いてゆく。
瓦礫に半分埋まった狩谷は、悲痛の表情で岩田を見上げる。
「僕を殺せ…王に逆らったものは排除されるのが王国の常だろう…殺してくれ…」
裏切ったのは僕だと彼の目が語る。望む、望まないに関わらずに結果的にはそうなったのだから。
岩田は薄く笑うと突然声を張り上げる。
「皆さん聞いてください!」
突然の事に、狩谷を含めて一同が岩田に注目する。
「突然ですが、此処で『王様権限』を発動します!」
一同はぽかんと口を開けるしかなかった。此処で何をやらかそうと言うのだ。
「僕は全てを赦します。そして貴方達も全てを赦してください!」
「…僕を…赦すのか?」
「勿論です。だから本当は死にたい貴方を生かすことも赦してください。赦せなかった自分の過去の過ちも赦してください。そして此処で『王様ゲーム』は終わりです。折角の『めでたし、めでたし』のEDを迎えるのですから全てを赦して皆で幸せになりましょう!!!!」
岩田はそこで一息つくと、穏やかに笑い言葉を続ける。
「フフフ…だから士魂号を壊した事も水に流してくださいね、滝川君、原主任」
「そうだ!!俺の流星号!!!!」
滝川は既に廃棄決定としか思えない士魂号を見て声を上げるが、やれやれといったように溜息をつく。『王様権限』じゃ仕方ないかと呟き、原と視線を合わせて笑う。
「…つくづく君って奴は…最高の王様だよ…」
「フフフ…最高のEDだったでしょう?」
狩谷に向かって岩田は笑った。
士魂号の撤収や、狩谷の病院への搬入等で慌しい校庭の中で岩田は一人で遠くを見ていた。
「終わりましたよ。オメデトウ。貴方は世界を変えました。ループは解かれましたよ」
岩田は遠い世界に居る介入者に話し掛けた。
『歴史の修正に成功したならば、又…貴方に会えますか?私の作った世界で…』
「七つの世界にかけて…又必ず。その時までにもう少し歌の練習をしてください。貴方なかなか下手くそですね」
『嘘吐き…』
介入が切れたのが解る。下手な歌を歌い続けた介入者はこのEDに満足したのであろう。
『王国』消失し、我々は『箱庭』を出る事になった。
古代聖典にあるように。
しかし、決定的な違いは聖典で人は罪を背負って神の作った『箱庭』を出た。
我々は違う。
罪を『赦し』自らの力で歩く為にそこを出たのだ。
『箱庭』はこれから歩むであろう『戦場』を生きる為の出発点。
いずれ『楽園』へ辿り着く為の。
『運命』なんて存在しない。
それは自ら歩く事を諦めた者の言い訳に過ぎない。
大丈夫…我々は間違いなく新たなる道標となったはず。
「まぁ…めでたし、めでたしって所ですかね」