*蜃気楼零*

 暖かな光。
 蜂須賀虎徹は長い長い眠りから、緩やかに起こされた。
 何をすべきか識っている。何を斬るべきか識っている。
「で、貴方が主なのかな」
「はい。よろしくお願いしますね〜」
 日向のような微笑みだと思った。けれど、日向のようなのは笑顔だけだけではなく、頭のなかまでだと虎徹が気がつくのにはそう時間はかからなかった。
 審神者と呼ばれるその人は、刀の付喪神を呼び出す。古くは古事記の記述から仲哀天皇に仕えた武内宿祢に遡る。神の命を請う者。その為に琴を奏でる者。諸説はあるが、総じて神道において特別な存在である。
「え〜と、それじゃぁ、次はっと」
 何やら持っている紙を眺めながら審神者がぶつぶつと言い出すので、虎徹は形の良い眉を寄せてそれを覗きこむ。一応文字などはどういうわけか理解できる様になっていた。
「手引書?」
「はい、そうですよ。このお仕事初めてなので」
 そういえば自分以外の刀はいない。一番最初に選ばれたのかと思うと、なんだか嬉しくなった虎徹は、お目が高い、と笑った。すると審神者は目を丸くして、瞳を細める。
「そうですか。褒められたのは嬉しいですけれど、私は貴方以外の刀剣は名前もよく知らないんですよ」
「はぁ?」
「専門外なもので。まぁ、専門分野もないんですが」
「では何故?」
「さぁ。やれと言われたのでやっているんですけれども」
 歴史修正主義者。その者達が過去に遡り歴史を修正して回っている。それを阻止するために付喪神を呼び出しその時代へ送る。それが主である審神者の任務であることは虎徹も把握していた。しかしながら、こののんきさは何なのだ。不思議そうな顔をする虎徹を見て、審神者は困ったように笑った。
「適応者であるから必ずしも専門家である訳ではないんですよ。そのための手引書ですから」
「……」
 言葉を失う虎徹を連れて、審神者はほてほてと鍛冶場へ向かう。そこで新しい仲間を作るのだと言う。その間虎徹は審神者をじっくりと観察する。これといって特徴はない。どこにでもいそうな人間である。ただ、違うのは付喪神を呼び出し、過去へ送る能力があるだけなのだろう。
「どうしたんですか?」
「いえ。何故私の名前は知っていたのかな?」
「近藤勇が持っていた刀が虎徹だったって何かの本にかいてあったんですよ〜。真偽の程は知りませんが」
「……」
 虎徹というのは贋作が多い刀である。そして蜂須賀虎徹は贋作を毛嫌いしている。そんなことを知る由もない審神者は、有名な刀なんですね、と言葉を零す。
「私は贋作とは違う」
「そうですか〜。まぁ、贋作だから劣るって訳じゃないとは思いますけどね。良く斬れるから虎徹名乗っちゃおうって事は、虎徹は優秀な刀の代名詞って事ですから」
 虎徹の方を全く見ずに審神者は鍛治師に視線を送ったまま口を開いた。虎徹は虎徹で渋い顔をしたが、そもそも刀自体よく知らないと豪語する主に何を言っても無駄なような気がして口を閉ざす。ただ、優秀な刀の代名詞なのだと言ったことに対してはそう悪い気分ではなかった。
「それではよろしくお願いします、虎徹ちゃん、藤四郎君」
「はい?」
「……」
 思わず声を上げた虎徹と、困った顔をした藤四郎……前田藤四郎を見て、審神者は首を傾げた。
「どうかしましたか?」
 すると前田藤四郎が口を開こうとしたが、虎徹も何か言いたげだったのに気が付き譲る。
「ちゃん付けとはどういうことだい?主」
「駄目ですか〜?」
 何故大丈夫だと思ったのか小一時間問い詰めたいと思った虎徹は、呼び捨てでも構わないと言うが、審神者は、え〜、と不満そうに声を上げた。
「では何故、私は虎徹ちゃんで、前田藤四郎は藤四郎君なんだい」
「藤四郎君若いですし」
「その呼び方ですが、フルネームでお願いできますか?」
「え?藤四郎君も気に入らないんですか!?」
 流石に二人にダメ出しされて凹んだのか、審神者はしょんぼりとした表情を作る。すると前田藤四郎は慌てて首を振った。
「いえ。その、兄弟が多いので後々不便なのではないかと。皆藤四郎の銘を頂いていますので」
「あ!そうなんですね!ごめんなさいね〜不勉強で」
「いえ」
 素直に謝罪する審神者を見て、前田藤四郎はホッとしたような表情を作る。気を悪くしたのではないということに安心したのだろう。
 なんやかんやで結局呼び名に関しては有耶無耶のまま終わってしまい、そのまま彼等は初めての戦場へ送られる。
 無理はしないこと。
 寄り道せずに帰ってくること。
 それだけを言いつけられて、彼等は始まりの旅路に向かった。
 異形の刀。
 それは元主を助けるためにその姿を歪めた付喪神達であった。
 それに対し虎徹は眉を潜めたが、前田藤四郎は寂しそうに笑った。
「……気持ちは解らないでもないのですけどね」
 呟いた言葉に虎徹は僅かに眉を上げたが、億劫そうに口を開いた。
「けれどその行いは贋作にも劣る醜さだと思うけどね」
 歴史修正主義者。そんなものがいるから己達はこうやって戦わねばならない。いや、刀としては戦いに使われるのは本望であるのだが、嘗ての主が己の身を晒し、刀を信じて戦った戦とは根本的に違う。
 そんな中、無事に戦いを終えた二人の前に現れたのは、鳴狐という刀剣であった。その名の通り狐を従えた姿に思わず虎徹は笑ったが、ペコリと頭を下げた彼を連れて主のもとへ戻っていった。
「あ〜おかえりなさい〜」
 脳天気な出迎えをした審神者の隣には、山伏の格好をした刀剣が控えており、虎徹は、ただいま、うまくいったよ、と短く報告をする。そして新たな仲間のことも付け加えた。
「はじめまして〜、ナニ藤四郎さんですか?」
「……君主。彼は藤四郎ではないのです」
 申し訳無さそうに言う前田藤四郎の言葉に、審神者は目を丸くすると、申し訳無さそうに詫びた。すると鳴狐は気にしないようにと笑う。
「で、そっちは?」
「カカカカカ!拙僧は山伏国広と申す!」
 豪快に笑い自己紹介をする山伏国広に、虎徹は、そうか、と短く返答をする。
「資材ぶっこんで作ってみたんですけど」
「豪快な使いっぷりだったな主殿!」
 脳天気な審神者と、これまた脳天気な山伏国広の態度に虎徹は唖然としたが、小さく咳払いをすると、戦力増強はいいことだね、と零す。
「はい〜!頑張ってみました。あと、虎徹ちゃんと前田藤四郎君は手入れしましょうね」
「大した瑕ではないよ」
「いえいえ。小さな瑕からポッキリとかこわいじゃないですか〜。私は刀のことよく知らないですけど、できる事はちゃんとやっておきたいんです〜」
 そう言うと、審神者は虎徹と前田藤四郎の手を取った。
「さ、行きましょうか〜」
 引き摺られるように連れて行かれる二人を眺め、取り残された山伏国広は豪快に笑った。
「いい主殿の様だ」
「そうでございますなぁ」
 喋ったのはお供の狐の方であったが、本人もどこか嬉しそうに口元をゆるめていた。


 審神者は刀剣に関しては詳しくない。けれど、仲間になった刀剣に関しては一応それなりに知識を仕入れるようで、それぞれの元主などに関しては一応把握はしていた。
 だからなんだと言われればそれまでなのだが、できる事はやりたいと言っていた言葉に嘘はなかったのだと虎徹は少し安心した。
 しかしながら問題は、相変わらず自分だけちゃん付けであることであった。
 他にどんな刀剣が増えようが、自分だけなのである。
 いい加減突っ込むのも面倒になった虎徹は好きに呼ばせているわけなのだが、そんな中ふと、疑問に思うこともあった。
「……主」
「なんですか〜?」
 相変わらず脳天気な返事を返す審神者の手には、書類が握られており、仕事中なのかと話をためらったが、促されて虎徹は口を開いた。
「以前は何をしていたんだい?」
 基本的に書類をまくっているか、刀装を必死で作っているか、畑で草をむしっているばかりの主。身体能力は高い様だが、それを活かす様子もない。
「気になりますか〜?」
「……不快になったのなら済まない」
「いえいえ。そうですねぇ、まぁ、だらだら生きてましたよ〜。今もだらだらですけど〜。そうしたら、突然偉い人が来てですねぇ、さぁ!今日から君が審神者だ!って言われて〜」
 嘘か本当か判断できず、虎徹が微妙な顔をすると、審神者は笑った。
「……引き受けないと始末するって言われたんで引き受けたんです。もう少しだらだら生きていたかったんでね」
「え?」
 突然変わった審神者の口調に、虎徹は思わず唖然とする。
「歴史修正主義者になられても困ると思ったんじゃないですか?拘束されて殺されるよりはマシかなと」
 そもそもあの歪んだ刀剣達は、どうやって具現化したのか。どうして歴史を遡っているか。どう考えても、向こう側にも審神者がいるとしか思えない。今漸くそれに気が付き、虎徹は苦虫を噛み潰した様な表情を作った。刀剣だけが望んでも歴史は変えられない。
「まぁ、私が失敗しても他の審神者もいるでしょうし、マイペースにやっていきますよ〜」
「主……」
「虎徹ちゃん」
「はい」
「何時の時代でも悪いのは人間ですよ〜困ったもんですねぇ」
 間延びしたいつもの口調で言われ、虎徹は面食らったが、この審神者の事は嫌いになれなかった。刀の真贋は問わないなどと、虎徹の主張には反する事を平気で口にするのだが。
「……大丈夫ですよ。私はだらだら生きてる方ですけど、自分のものを人に与えるほどお人好しじゃないですから〜。他の審神者がいても、虎徹ちゃんは最後までお供して下さい」
「御意」
 数多の刀剣から己を選んだ審神者。そして、己の刃を信じる者。蜂須賀虎徹は無碍に扱うことは出来なかった。


 審神者は基本的に刀剣たちには無理をさせない。相手を完封できるまでグルグルと同じ所に行かせて、経験を積ませる。それは常に戦場に出ている虎徹は知っていた。
 そして異常なまでの収集癖。
 初めこそ戦力増強は良いことだと思っていた虎徹であるが、上から渡されたという書類を眺めながら、ぶつぶつと、アレがいない、コレがいない、と文句を言う姿は少々笑えた。それもあって、虎徹がたまに新しい刀剣を連れて帰ると、両手を上げて喜んだし、新しい刀剣も別け隔てなく接していた。
 そんな中。
 辺鄙な場所にある審神者の屋敷を訪ねてくる輿……車に乗った客。
 彼等が来たと伝えると、審神者は心底嫌そうな顔をして、渋い茶を虎徹に入れさせる。自分が飲んでみても不味いのだが、審神者はそれでいいと構わず出すのだ。
「そこに座って下さいね〜」
 いつもなら茶を出した後、直ぐにその場を離れるのだが、その日は審神者に引き止められ虎徹は審神者の隣に座り客を眺めた。それに客は驚いた様子であったが、審神者はヘラヘラと笑って口を開く。
「戦場のことは全部この子が行ってるんで聞きたいことがあるならどうぞ〜」
 無論報告書は審神者に上げているのだが、客と喋るのが面倒なのか、そう言い放ち審神者は口を閉ざし笑っている。それに面食らっていた客は、仕方がないと言うようにため息をひとつついて、虎徹にあれこれと質問をしていた。
 敵の形状について、強さについて、そしてどの部分の歴史改変を狙ってるのかについて。
 報告書と齟齬がないように虎徹は言葉を選んで話をしたが、審神者の方はと言うと。さっさと茶のおかわりを入れに行ってしまった。
「……戦力の割には進捗が思わしくないようですが」
 客の言葉に虎徹は返答に困る。主の言う他の審神者がどのように進んでいるのかが解らない以上、虎徹にとっては進捗が思わしくないと言われても、はぁ、としか返事が出来ないのだ。
「我が主は慎重派のようでね」
「これだけの刀剣が揃っているの何を恐れることがある」
 その言葉に思わず虎徹は瞳を細めた。
 戦場に立つのは、己であってお前ではない、と思ったのだ。無論戦場を恐れたことはない。けれど、主は刀剣が傷つくことを気にするのだ。資材を湯水のごとく使い装備を整え、できるだけ無傷で帰ってくるようにと送り出す主。使い捨てにされるよりきっと幸せなことなのだと虎徹は思っていた。宝物庫に大事にしまうという守り方もあるが、虎徹をはじめ、刀剣達は戦場にて己の力を振るうことを望んでいた。その望みを叶え、けれど折れないようにと心を砕いている審神者を否定されたようで虎徹は一瞬、主の客でなかれば切り捨てたのに、と考える。
「スピード重視ならそれが方針の審神者にお願いして下さいよ〜」
 ヘラヘラ笑いながら自分の分のお茶だけを持って審神者は帰ってくる。それに対し客は顔を顰めたが、審神者は気にした様子もなく虎徹の横に座り温かいお茶に口をつけた。
「大体、できる事をやるってのが一番最初のお約束だったじゃないですか〜。もっといるでしょうに、優秀な審神者」
「貴方は優秀な能力を持っている。それを何故使おうとしない」
「使い方良く解らないんで〜」
 全くやる気を見せない審神者に、虎徹のほうが心配になってきてちらりと主に視線を送った。前に始末されるとか物騒な事を言っていたではないか、それを思い出したのだ。
 無論、主に害をなすなら客であろうと虎徹は切り捨てるつもりではあった。今の己の主は隣の審神者だけなのだ。
「どっちにしろ、入口側の歴史修正は常に修正し続けないといけないんでしょ?心配しなくてもこちらがガッチリやっておきますんで、進撃する審神者さんはガンガン行っちゃって下さい」
「……修正し続ける?」
 虎徹の言葉に審神者はヘラヘラ笑いながら口を開く。
「そうですよ。我々は歴史をさかのぼってる。たとえ元寇の歴史修正を阻止出来たとしても、相手がまた維新の修正をしたら意味が無いんですよ。だから、我々はこちらに近い側を修正し続けながら、更に逆上って行かないと意味ないんです。だから、新しい審神者が次々と投入されてるんですよ」
 そうなのか、と虎徹は初めてそれを知った。審神者が言うには、そうでなければ、一番進んだ審神者に他の審神者の刀剣を集めてしまえば良い、という話になる筈だと。それをしないのは、相手側も、こちらが修正した歴史をまた改変しようとしているからであり、新しい審神者がまた維新の辺りからスタートするのは、その修正の改変を修正させるためなのだと審神者は言う。
「まぁ、予想ですけど。あたってます?外れてます?」
 審神者の言葉に客は口を噤む。表情には出ておらず、当たりか外れかも虎徹には判断できなかったが、そんな根本的な説明すら彼等は審神者にせず、ただ刀剣を集め、歴史を修正してこいと命令していたのかと腹立たしく思う。
「敵の首根っこがどこなのか分かったら頑張ってそこに向かいますよ〜」
 脳天気な言葉に辛辣な皮肉が込められていた。そして虎徹はそこで漸く、審神者を審神者にしたこの者達も、まだ根本的に何をどうすればいいのか解っていないのか、と呆れたような、諦めたような感情を抱いた。
「お話終わりですか〜」
 黙り込んだ客を追い立てるように審神者は言葉を続けることで、退出を促すと、客は渋々というように腰を上げた。


「主。さっきの話だけど」
「どれですか?」
「修正し続ける、という」
「あぁ、どうなんですかねぇ、実際の所」
「当てずっぽうなのかい?」
「折角虎徹ちゃん達が本能寺の炎上を見届けてるのに、また燃えない本能寺があるって事はそういうことなんじゃないですかね?まぁ、その辺りを考えるのは上のお仕事ですから知ったことじゃないですけどねぇ」
 畑の草を毟りながら審神者はそう返答した。
「いつまで続ければ良いんですかねぇ。早く審神者退役して、退職金でのんびり暮らしたいんですけどねぇ」
 ため息をつきながら審神者はそう言葉を続ける。
「貴方が嫌いじゃないよ」
「そうですかぁ。嬉しいですね」
「うん。だからもう少しグダグダ一緒にやっていきたいかな」
「……じゃぁ、もう少しグダグダ一緒にやっていきましょうか」
 そう言うと、審神者は少しだけ嬉しそうに笑った。
 いつかこの仮初めの戦場もなくなり、付喪神はただの刀剣に戻る時が来るのだろう。
 けれど、蜂須賀虎徹はそれがもう少し後でもいい、と思い草を毟る主の背中を眺めた。


虎徹ちゃんと審神者 こんな感じのだらだら日常
20150606

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