*指切約束*

 元旦の初詣客でごった返す境内で、真田は視線をゆっくりと巡らせた。待ち人来ずと言った所だろうか。もっとも、待ち合わせ時間にはまだ少々余裕がある訳なのだが、真田はその性格から待ち合わせ時間より早くこの場所にいる。
「真田さん!!」
 背後から声を掛けられたので、真田は振り向き返事をしようとしたのだが、視界に入った待ち人を見て言葉を失う。赤月巴が赤地に鮮やかな花の模様の入った晴れ着を着てそこに立っていたのだ。
「…えっと、遅れて済みません…」
 返事がないのを見て巴は申し訳なさそうに頭を下げると、上目遣いに真田の表情を伺う。着付けに時間がかかった上に、この人ごみで真田を探すのに手間取り、待ち合わせに遅れたのだと誤解した巴はここは素直に謝った方が良いと判断したのだ。
「いや…時間通りだ」
「あ、そうですか!良かった!それじゃぁ、改めまして、あけましてオメデトウ御座います」
 再び巴が頭を下げて新年の挨拶をしたので、真田も同じように挨拶をする。
「着物を着てきたのだな」
「お父さんが送ってくれたんです。着付けは下宿先のお姉さんがしてくれて…。一応着崩れの直し方も聞いてきたんですけど…えーと…何処かおかしいですか?」
 小首をかしげて聞く巴に真田は問題ないとだけ言うとしげしげと彼女を眺める。いつもはどちらかと言うと動きやすさ重視の服を着ることの多い巴なので、今日のように着飾った姿を見るのは初めてだった。
「よく似合ってる」
「有難う御座います!!」
 褒められて嬉しいのか巴は表情を綻ばせると、それじゃぁ行きましょう!と元気良く人込みへの突入を図る。しかし、慣れない着物の所為か、人込みの中よろよろと危なっかしく歩く姿を見て、真田は少なからず心配になり、手を伸ばそうとしたが少し思案して止めてしまった。
 そんな真田の心境を知ってか知らずか、巴は突然真田の腕を取る。驚いて巴の方を見た真田を見て巴は少し困ったような顔をして言葉を紡いだ。
「あ、済みません。はぐれちゃう様な気がして…駄目ですか?」
 巴が絡めた腕を解こうとしたのを制して、真田は構わないと短く言った。それに安心したのか、巴はにっこりと真田に微笑みかけ再度人込みへ視線を移した。巴の何の前触れもない行動に平常心を保つ事に失敗した真田はいつもの自分のペースを保とうと最大限の努力をしようと勤めたが、それも思うように行かない様であった。真田は終始落ち着きのない表情をしていたのだが、それに気が付かない巴はどんどんと人込みを掻き分け、漸く真田と共に賽銭箱の前に到着した。
「到着!」
 そう嬉しそうに言うと巴は巾着袋から財布を出し、小銭を確認すると勢い良く賽銭箱に放り投げる。それを見た真田も同じように小銭を賽銭箱に投げ込むと巴の鳴らした鐘を合図に手を合わせた。
 願掛けといっても何を願うか考えていた訳でもない、だから真田は巴の願いが叶う様にと拝んでみる事にした。願いは自らの努力で叶うと考えている真田なので、自分の事を願掛けする気にならなかったのだろう。ふと隣を見ると巴が満足そうな表情をして、真田の願掛けが終わるのを待っていたので、真田は僅かに苦笑しながら再び巴の手を取った。

 きょろきょろと屋台を見回しながら歩く巴を見て、真田が何か欲しいものがあるのかと聞くと、巴は少し考えて首を振った。
「今日は着物なので止めておきます…気にはなるんですけどね…汚すの厭なんで」
 多分普段の巴なら屋台への突撃を図るであろう事が安易に予測できただけに、真田は拍子抜けしたような表情をした。それでも屋台に未練たっぷりな巴を見ていると、真田はほんの少し思案して、一つの屋台を指差す。
「綿飴は嫌いか?」
「好きです」
「綿飴なら着物も汚れないだろう」
 真田の提案に巴は表情を明るくすると、はい!と嬉しそうに返事をした。
 屋台の前に到着すると、巴はウキウキとした表情で綿飴が出来上がるのを待つ。真田が1つだけ買った綿飴を巴に渡すと彼女は僅かに首をかしげる。
「真田さんの分は良いんですか?」
「ああ」
 短くそういった真田に巴は綿飴を差し出して一口どうぞと微笑んだので真田は少し困ったような顔をしたが、巴の好意を素直に受け取る事にした。それを見て満足そうな表情を見せた巴は心置きなく残った綿飴を美味しそうに頬張る。
「本当は、髪もちゃんと可愛く束ねたかったんですけどね」
 すっかり綿飴を平らげてしまった巴は、空いたベンチを見つけるとそこに座り足をブラブラとさせて口を開いた。
「丁度いい髪留めが無かったんですよ。年末に真田さんに連れて行ってもらった、和装の小物屋で売ってた可愛い髪留め買っておけばよかったって大後悔したんですよ…」
 髪を触りながら巴がションボリとした表情でそう言う。長い髪の巴だが、普段は余り束ねている姿は見ない。年末の練習の後に寄った小物屋で巴がずいぶん長い間眺めていた髪留めの柄を真田は思い出すと、巴の着ている着物の柄をしばし眺めた後立ち上がる。
「真田さん?」
「折角だから店に寄ろう。三が日も営業していた筈だ」
「良いんですか?」
 真田の提案に巴は嬉しそうな表情をすると、彼女も立ち上がり真田の手を握り、それじゃぁ早速行きましょう!と元気良く歩き出す。カラカラと鳴る下駄の音を聞きながら、真田は少しだけ笑った表情を作った。

 店に着くと巴は一目散に店の一角にある髪留めの並んだ棚に向かい、昨年見た柄の髪留めを探し出す。
「これじゃないのか?」
 真田が手に取った髪留めを見て巴は瞳を丸くして声を上げる。
「え!?どうして解ったんですか?」
「これをずいぶん長い間眺めていた様に記憶している」
 その言葉に巴は更に驚いたような表情を見せるが、直ぐに嬉しそうに微笑んだ。着物と良く似た大き目の花の髪留めを真田から受け取ると満足そうな表情を浮かべ、巾着から財布を出そうとする。しかし、真田は巴の手から再度髪留めを自らの手に収めると、そのまま会計へ向かう。
「え!?あの、真田さん」
「他の柄が良いのか?」
「いえ、それが良いんですけど…お会計…」
「俺が払う」
「悪いですよ!!あの、自分で買いますから!!」
 慌てて財布を出そうとする巴だったが、真田はあっという間に会計を済ませてしまい、包装された小袋を巴に差し出した。
「有難う御座います」
 観念したのか、巴は礼を言うと髪留めを受け取る。その表情を見て真田は少し困ったような表情をする。
「迷惑だったか?」
「いえ、嬉しいです!でも、何だか申し訳なくて…」
「そうか。ならこうしよう。来年の初詣にその髪留めをしてきてくれ。俺はお前がその髪留めをした所を見てみたいと思った」
 真田の提案に巴はぱぁっと表情を明るくすると、元気良くはい!と返事をして、じゃぁ、約束ですねと小指を差し出した。指きりだと少しだけ間を置いて理解した真田は少し恥ずかしそうに巴の小さな指に自分の小指を絡めると、巴の能天気な指きりの歌に合わせて来年の約束をした。
 その背後で突然大きな音がしたので驚いて2人が振り向くとそこには見慣れたメンバーが将棋倒しの様に積み重なっていたのだ。
「あ、副部長〜、明けましておめでとう御座います…」
 ばつが悪そうに一番最初に声を出したのは一番下に下敷きになっていた切原であった。その上に積み重なるジャッカル、丸井は言葉を捜しているうちに言葉を失ってしまった様に凍りついた表情で真田を見上げていた。
「邪魔したら悪いと思って止めたんじゃがの」
 そう巴に言ったのは仁王で、その言葉に我に返った巴は慌ててその場にいる立海メンバーに慌てて新年の挨拶をする。お辞儀の後に原の姿を見つけた巴は、同じく晴れ着を着ている彼女の側に駆け寄り、しげしげと彼女の晴れ着を眺める。
「いいなぁ、原さん。大人っぽくて」
「…貴方も良く似合ってるわよ」
 そういいながら原は憮然と巴の襟元の着崩れを直してくれた。愛想が良くないと言われる原だが、巴が比較的なついてくるので何かと世話を焼いてしまう事が多い。
「弦一郎」
 柳の声に真田は漸く我に帰ると、いまだ起き上がれない切原達に視線を落とすと今にも怒鳴りつけそうな表情になったのだが、巴と原が切原達が起き上がる手伝いをしているのを見て辛うじてその感情の爆発を押さえ込んだ。
「…新年早々たるんどる」
 辛うじてその言葉に留めた真田を見て柳は満足そうに笑うと、邪魔して悪かったと真田の肩を叩く。
「蓮二!」
 居心地の悪そうな真田を見て巴は少しだけ微笑むと、他の立海メンバーとにこやかに話を始める。
「それにしても巴さん良くお似合いですねその着物。副部長にプレゼントしてもらったのは髪留めですか?」
 そう言った柳生の言葉に真田はぎょっとする。一体いつから彼らは自分達の様子を伺っていたのだろうか。気が付かなかった自分の未熟さを恥じながら睨みつけるように柳の方を見る。
「そう睨むな弦一郎。偶然お前達を見つけて声をかけようと思ったが良い雰囲気だったからな」
 まるで声を掛けられなかったのは不可抗力で覗き見する気など微塵もなかったというような口調で柳が言うので真田はやれやれと言った様に肩を落とすと楽しそうに話をする巴の方に視線を移す。

「楽しかったですね」
 立海のメンバーと別れた巴は満足そうに言うと真田の方を向いた。
「まだ時間はあるか赤月」
「はい」
「その…だな。これから家に来ないか?」
「え?」
「いや…母が…おせち料理を大量に作ってお前が来るのを楽しみに待ってる様なのだが…」
 食べ物で釣るようで気が引けたが、真田の言葉に巴は嬉しそうに本当ですか!?と言うと、真田の家に向かうことを快く了解してくれた。それに安心したような表情を真田は見せると、辺りの様子を伺ってから遠慮がちに巴の手を取った。
「来年は私も何か料理作って持って行きますね!橘さん仕込みの煮物の腕も上がったんですよ!」
「橘?」
「知ってますか?橘さん料理上手なんですよ。色々親切に教えてくれるから大分腕も上がったんです。来年はもっと上がってると思いますよ」
 巴が橘と兄妹のように付き合ってるのは知っているが、真田は僅かに複雑な表情を見せる。
「母も料理が得意だから…習ってみるといい」
「本当ですか?じゃぁ、教えて貰っちゃおうかな」
 嬉しそうに真田の手を握りなおした巴を見て真田は僅かに微笑を浮かべる。
 鼻歌を歌いながらご機嫌な巴を眺めて真田はこんな正月も悪くないとゆっくりと空を仰いだ。 


弟からの強烈なリクエストだった真田
2006 ハスマキ

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