*大願成就*

 少女は着慣れない浴衣の裾を気にしながらくるっとその場で回って見せた。着付けをしてくれた人は顔を綻ばせて手に持っていた櫛で少女の髪を結い上げようと立ち上がる。
「似合ってるわよ、巴ちゃん」
「本当ですか!?わーい。有難う御座います」
 越前の従姉妹である菜々子は自分の浴衣を巴に貸した上に着付けまでしてくれたのだ。巴は浴衣など着た事が無く、大喜びで菜々子の好意に甘える事にしたのだ。
 長い髪を高く結い上げると、可愛らしい飾りを菜々子は付けてくれた。菜々子自身も巴の着せ替えが面白いのか、終始笑顔でアレでもない、コレでもないと小道具をとっかえひっかえ準備する。
 漸くばっちりと決まった頃には、すっかり時間は流れ、待ち合わせの時間にあと少しという辺りになってきた。本日の七夕祭りに不動峰の橘を巴は誘ったのだ。突然電話をしたのにも関わらず、橘は快く諒解してくれたのだ。巴は準備が整うと、菜々子から貰った短冊をしっかり握り締めて待ち合わせ場所へ向かった。

 歩き難い下駄の所為で待ち合わせ時間ギリギリになってしまったが、橘は時間通りだと、少しだけ笑った。
「着付けに時間掛かって…あ、橘さんも浴衣ですか?似合ってますね」
 巴はしげしげと橘の浴衣姿を眺めるが、橘は恥ずかしいのか、少し困った顔をする。それを見ると、巴は何が可笑しいのか少し表情を綻ばせて、さぁ、行きましょうと上機嫌に人込の中に突入を図った。
 田舎暮らしの巴は派手な祭りが珍しいの、終始きょろきょろと辺りを見回して歩き回る。
「橘さん!!綿菓子買っていいですか?」
 期待の眼差しを向けられ、無論止める理由も無いので、橘がああ、と短く返事をすると巴は嬉しそうに屋台へ向かい、小銭を払って目当てのモノを獲得すると、小走りに橘の元へ帰ってくる。下駄の所為か歩きにくそうにしてはいるが、それが苦痛ではないのか、飽きずにあちこちへ足を運ぶ。
 昔妹杏を連れて祭りに行ったのをぼんやり思い出すと、橘は苦笑する。迷子になったり、転んだりと大忙しだった妹の姿に巴が重なったのだ。
「何が可笑しいンですか?橘さん」
 不思議そうに見上げる巴に声をかけられ、橘は正直に今考えた事を話した。すると、巴が不服そうな表情をしたので困惑する。
「…どうした?」
「酷いですよ橘さん。私まだ迷子になってなし、転んでもいませんよ」
「そうだな」
 そうやって感情の起伏が激しいのも何だか可愛らしく感じられた。多分巴自身は自覚は無いだろうか、そのストレートさが人の感情を揺り動かす。良くも悪くも巴は人に影響を及ぼすのだ。
「はぐれるなよ」
 そういうと、橘は巴の手を握る。巴は少し驚いた様な表情を見せたが、嬉しそうに微笑むと、元気良くはい!と返事をした。

「お願い叶いますかね」
 短冊を吊るした巴はそれを見上げなら首を傾げた。
「何を書いたんだ?」
「もっとテニスが上手くなりますように」
「…自分で努力した方が早いんじゃないか?」
 橘の言葉を聞いて、巴は目から鱗が落ちたと言う様な表情をすると、さっきのお願いキャンセルー、と慌てて短冊を外そうと背伸びをした。それを見て橘は巴の短冊を外してやり、今度は何をお願いするんだ?と聞く。
「えっと、何にしよう…良く考えたらお願いなんてないよー」
「そうなのか?」
「はい。テニスが上手になりたい以外は別に…そうですねぇ、学校の成績も神頼みの何とかなるものじゃないし…どうしよう」
 真剣に悩む巴をみて橘は笑い出す。此処のぶら下げたからといって、必ず叶う訳でもないのに、真剣そのもだったからだ。
「笑ってないで橘さんも考えて下さいよ!!あ!」
 何を思いついたのか、巴は満面の笑みを浮かべながらペンを走らせた。橘はそれを覗き込むと、驚いた様な表情を作った。
「…随分変わったお願いだな」
「そうですか?もう一度戦いたいンですよ!」

『亜久津さんが又テニスをしてくれますように』

 都大会決勝で戦った亜久津はそれ以降テニスを止めてしまった。巴の話によると、その後電話をかけても全くとり合って貰えないらしい。同情でも何でもなく、たぶん巴は本当に亜久津と戦いたいだけなのだろう。真っ直ぐで、嘘の無い巴の願いが本当に叶えばいいと思った。
「橘さんとも又戦いたいです!中々公式試合では当たりませんしね。前回勝ったもの先輩のお陰だし」
 地区大会決勝で戦った時は青学の辛勝という所であった。あの時よりずっと強くなった巴が再度挑んでくるのも楽しみになって来たので、橘は今度は負けない、と返答をした。
「私も負けませんよ!」
 そういうと、巴は橘の手をぎゅっと握ってさぁ、花火の場所取りに行きましょう!と元気良く歩き出した。
 巴に引き摺られる様に橘は歩き出すと、フワフワと揺れる巴に髪に視線を移す。
「その髪型も似合ってる」
「え?何か云いました?」
 くるりと振り返った巴をみて、橘は少し困ったような顔をすると、何でもない、と微笑む。
「そうですか?」
 多分まだまだなのだと思う。お互いに。こうやって手を繋いで歩いても。

「楽しかったですか?」
「ああ、又誘ってくれ」
 橘の言葉に巴はご満悦と云わんばかりの表情を作ると、元気良く手を振って帰って行く。
 その後ろ姿を眺めながら橘は先程まで掴んでいた手に視線を落とした。
「まだまだね、お兄ちゃん」
「杏!?」
 驚いて振り返ると、杏は意地の悪い微笑を浮かべてそこに立っていた。
「そこは家まで送ってあげないと。女の子なんだから相手は」
「…あのなぁ。何か勘違いしてないかお前は」
「良いのよ隠さなくても。私はお兄ちゃんの味方なんだから。でも、ライバル多いわよ。人気あるもん巴ちゃん」
「…」
 返答に窮した橘は困った表情を作ると杏は少しだけ微笑んで兄を見上げた。
「良い子よ。巴ちゃん」
「知ってる」
「なら良いわ」
 そう云うと杏はくるりと方向転換して、家の方へ歩き出した。

―─ライバルねぇ。
 橘は杏の背中を眺めながらぼんやりと巴の事を考えた。右脳で動くと名高い猪突猛進型の彼女は確かに目が離せないが、その感情はどうなのだろうか。屈託無く誰とでも付き合う彼女がそのうち誰かを選ぶのだろうか。
―─まだまだ先だろう。
 そんな事を考えながら橘は杏に並んで歩き出した。


 


保護者ポジション
2004 ハスマキ

【MAINTOP】