*似た者同士には愛が生まれる*
混雑してきた店内を見回し、ユーリは店員に食後の紅茶を頼み、ふぅっ、と小さくため息をついた。
「申し訳ありませんお客様。店内が混みあってまいりましたので、相席をお願いしたいのですが」
紅茶が来る前に、店員がそう申し訳なさそうに声をかけてきたので、ユーリは小さく頷いた。店に入った時は空席も多くあったので、四人掛けの席へ通されていたのだ。後は紅茶を飲むだけだと、ユーリは了解すると、席を離れた店員を目で追う。
「こちらになります」
案内されてきた客の顔を見て、ユーリは少しだけ顔をしかめた。知った顔だったのだ。赤の他人の方がこの場合は気を使わなくていいのだが、知った顔だと対応が面倒だ、早めに店を出ようとぼんやりと考えた。
相手はユーリに軽く会釈した後、少しだけ首を傾げて淡く微笑む。
「こんばんわ」
そう言うと、彼女は椅子に座り、水を持ってきた店員に早速注文を告げユーリに視線を移した。
居心地の悪さを覚えて、ユーリは彼女の名前は何だっただろうと記憶を手繰った。いつもスーツをオーダーメイドしている店の店員で、名札を付けていたはずだ。親しいというわけではなく、顔見知りという程度であるし、彼女がそもそも自分を覚えているかも分からない。名前を思い出すことを放棄しようかと思った瞬間、彼女は遠慮がちに口を開いた。
「あの……いつもうちの店でご注文下さってる方ですよね?駅前の服屋なんですけど」
そう言われ、ユーリは暫し沈黙した後、嘘をつく必要もないだろうと、頷いた。
それに彼女はほっとしたような顔をして、いつもご贔屓して下さって有難うございます、とユーリに笑顔を向けた。それに対して、ユーリはどう反応していいのか解らず、無愛想に小さく頷いただけであったが、彼女は気にした様子もなく上機嫌そうな表情を見せた。
「あっ私、葛城月子って言います」
先程ユーリが思い出すことのできなった名前を名乗ると、月子は満足そうに笑った。自分も名乗ったほうがいいのだろうか、それとも既に自分の名前は知っているのだろうか、少し悩んでいる間に、店員が漸くユーリの紅茶を運んできたので、会話はそこで一旦止まる。
ユーリが無言で紅茶に口をつけると、月子は視線を別の方向へ向けた。
店内で流されるのはHEROTVである。今やどこに行っても放送があれば流されるこの番組は、普段はTV等流さないこの店も例外なく始まれば客の注目を集める。映しだされたのはヒーローの面々。
しかし彼女はちらりと視線を移しただけで、直ぐにやってきた食事の方へ意識を向けた。それにユーリは少しだけ驚いたような顔をする。皆手を止めて注目する中、彼女は食事を始めたのだ。しかし、暫くして画面にルナティックが映し出され、客の中から賛否両論の声が上がった所で、彼女は手を止めて画面に視線を向ける。
ユーリも同じように画面をぼんやりと眺める。現在ルナティックの評価は二分されている。罪人であっても殺すのはやり過ぎだと言う意見と、断罪に賛成する声。法律的には死刑制度がない現状、ルナティックという存在は唯一の断罪人なのだ。
突如現れた断罪人ルナティックに対して、正体不明であること、ヒーローとぶつかっていることなどを紹介した後に、今、市民に人気の新人バーナビーが画面に映し出された所で、また月子は興味を失ったかのように食事を再開した。
「……ルナティックに興味があるのですか?」
思わずそうユーリが聞いたのは、月子の反応が他の人間と違ったからである。ヒーローには反応を見せず、ルナティックにだけ興味を示した。その理由がなんとなく気になったのだ。すると彼女は、手を止めて驚いたようにユーリの方を見た。
「あぁ、すみません。食事を続けて下さい」
言葉を発してから軽率だったと反省し、ユーリは月子に詫びた。すると月子は淡く微笑んで、口を開く。
「マントがある方が格好良いと思うんです」
「……え?」
予想だにしなかった言葉に、思わずユーリは小さく声を上げた。すると彼女は神妙な顔をして、更に言葉を続ける。
「少し姿勢が悪いんで、勿体無いんですよ。ですから、それをカバーするためにもマントはあったほうがいいと思うんです。マントがあればシルエット的にもそう悪くないですし。欲を言えば、折角綺麗な細腰なんですし、こう、若干仰け反る位の姿勢でも良いと思うんです」
大真面目な顔でそう言うと、月子はユーリの反応を伺うように口を止めた。
「……つまり、ルナティックの衣装に興味があるということですか?」
「ここだけの話、実に好みなんです」
ずいっと乗り出して月子は囁くようにそう言った。ユーリはどう反応していいのか解らず、とりあえず好きなだけ喋らせてみようと、相槌を打つことにした。実はあの衣装に関してはどういうわけか評判は余り良くない。ユーリ自身は比較的気に入っているのだが、市民には受けないのだ。無論受けるためにやっているわけではないので、どうでもいい事ではあるのだが、彼女のように正面切って、好みである、と言い切った意見も聞いたことがなかったのでそう悪い気もしなかった。
「どの辺りが好みなんですか?」
「ロングのカメラでも映えるシルエットがまず素晴らしいですよね。あと、カラーリングも。黒系だけではなく、青を使って、差し色は派手な緑。元々ルナティックの炎が青なんでとても綺麗だと思うんです。ダークヒーローだから黒!っていうのは安易だと思いますし……。あの、あえて夜でも目立つ色使うのがすごくいいと思います」
嬉しそうに語りだす月子を見て、ユーリは思わず相槌を打つのも忘れて黙ってその話を聞いていた。
「ワイルドタイガーの昔のスーツも好きなんですけどね。新しいのはメカっぽくて残念です」
「ワイルドタイガーよりルナティックのデザインの方が洗練されているでしょう」
思わずユーリがそう零すと、月子はぱぁっと嬉しそうに表情を綻ばせた。
「そう!良いですよねルナティックの衣装」
言葉を発してから、しまった、と思ったが、そんなユーリの表情に気がつかないのか、月子はうんうんと頷いて、残っていた食事を平らげた。そんな彼女の様子を眺めながら、少し冷めた紅茶にユーリは口を付ける。変わった女だと、心の中で思いながら、皿を隅に寄せて自分と同じように食後の紅茶を注文する月子を、ユーリはぼんやりと眺めた。
「……ルナティックの思想については?」
「そうですね。ルナティックの言っていることは私には難しくてよく解らないんです」
ユーリの質問に月子は正直に答えると、少しだけ申し訳なさそうな顔をする。しかしユーリは、逆に偉そうな講釈を垂れる人間よりはましだと感じて思わず笑った。
「難しい……か……」
「えぇ。ルナティックが犯罪者を殺す理由は私には解りませんし。でも……」
言葉を濁した月子に、ユーリは先を話すように促した。
「えっと……上手く言えないんですけど、ルナティックは法律に裏付けされた正義じゃなくて、自分自身が決めた正義に則って動いてるんじゃないかって思うんです。ルナティックが信じる正義がなんなのか私には解らないですけど、それはずっと己の正義が正義であるって証明し続けないといけない大変な事なんじゃないかなって……だから……私ごときが知ったような口聞いてルナティックの思想を理解したって言うのも、失礼なような気がするんです」
そこまで言って、月子は困ったように微笑んで、答えになってませんね、と申し訳なさそうに言った。暫くは伺うようにユーリの表情を眺めていた月子であったが、ユーリが少しだけ口元を緩めたのを見て、ほっとしたような顔をする。
「……ずいぶん面白い持論ですね」
「持論ってほどでもないんですけど……」
恥ずかしそうに笑った月子を見て、ユーリは瞳を細めた。口先だけで賞賛するよりはずっとましだと。難しいと言う割には、考えてはいるし、そう外れてはない。それが妙におかしかった。
「まぁ、現状の法律では死刑は違法ですからね。ルナティックの思想に安易に賛同するよりはマシだとは思いますよ」
ユーリの言葉に、月子は驚いたように目を丸くする。その反応にユーリは少しだけ怪訝そうな顔をしたが、彼女が直ぐに微笑んだので、視線を逸らして紅茶に口を付けた。今まで例えば職場でもルナティックやヒーローの話題になる事はあったが、彼女のような反応は珍しく、つい色々聞きすぎた気がしたユーリは、紅茶を飲み干すと席を立った。すると彼女は少しだけ瞳を細めて微笑む。
「凄く楽しかったです。話聞いて下さって有難うございました」
「……いえ、こちらこそ食事の邪魔をして申し訳ありませんでした」
結局直ぐに席を立つつもりであったのに、彼女が食事を終えるまで長々と居座った形になったのが気まずかったのか、ユーリはそう詫びると、少しだけ頭を下げた後店を出る。
それを見送った月子は、カップの底に残った紅茶を飲み干して、少しだけ自嘲気味に笑った。
「迷惑だったかな」
つい長々と語ってしまったと反省する。ただ、ルナティックが好きだと言うのは友人の中でも自分だけで、いつも微妙な顔をされるので余り人に話す事ができないのだ。だからこそ、ユーリが振った話題に思わず食いついてしまった。そして何よりも、以前から気になっていたユーリと話すきっかけが出来たのが嬉しかったのだ。
相席をしてから暫くして、ユーリは職場で携帯に入った電話を切った後、少し考え込むような表情を作った。彼女に会う以前に注文していたオーダーメイドのスーツが出来上がったという連絡であったのだ。電話は店主からであったが、彼女は今日も店にいるのだろうかとぼんやり考えたことを自覚し、思わず苦笑する。店で会った所で話すこともないだろうし、彼女も仕事中であろう。ただ、定時に仕事を切り上げることだけを決めて、ユーリは残った仕事を片付けた。
店の前に立ったユーリは、ガラスの扉越しに店内を眺めた。カウンターに店主、そして、数名の客。月子の姿は見えず、ユーリは複雑な顔をして扉に手をかけた。ほっとしたのか落胆したのかは自分でもよく分からなかった。
ユーリの姿に気がついた店主は、愛想よく挨拶をすると、直ぐに奥に引っ込んで注文していたスーツをカウンターの上に乗せた。ユーリが店の奥までたどり着く頃には、スーツは広げられており、いつでも商品のチェックが出来る体制となっている。
「いつも有難うございます。ご注文の品のご確認をお願いします」
そう言われ、いつも通り注文書と、スーツの出来を見比べて確認する。これといって問題もないと判断したユーリが小さく頷くと、店主はスーツを丁寧にたたみ、箱へ入れる。その間、ふと視線を店内に彷徨わせると、以前まではなかったオーダーメイドのネクタイのコーナーが視線に入り、ユーリは僅かに眉を上げた。
布を選んで注文できるというものであったが、ユーリはそのサンプルとして置かれているネクタイに興味を持ったのだ。ルナティックと同じカラーリングで幾何学模様が入れられている。思わず手に取ると、店主は笑顔を向けて声を発した。
「最近始めたんですが如何ですか?スーツに合わせて色々布も取り揃えておりますが」
箱をカウンターに置いたまま店主はユーリの傍に立ち、ネクタイ用の布のカタログを取り出した。しかしユーリはカタログには目もくれず、短く言葉を発する。
「コレと同じものは?」
「え?」
「この柄のネクタイを注文したい。なんだったら、この現物でも構わない。価格は定価支払います」
ユーリの言葉に店主は驚いた顔をしたが、直ぐに困ったように詫びた。
「実はそれ、サンプル用に店の子が作ったものでして。布もその子の自前なんですよ。ですので……」
そう言いかけた時、店の奥からひょっこりと月子が顔を出した。それに気が付き、店主は丁度良いと言わんばかりに月子を呼ぶ。
「葛城ちゃん」
「どうかされました?」
突然名を呼ばれて驚いた月子であったが、ユーリの顔を見ると、笑顔を向けて、いらっしゃいませ、と声をかけた。それに対してユーリは浅くお辞儀をする。
「実はね、お客さんが、このネクタイ欲しいらしくてね。ほら、サンプルは葛城ちゃんが自前で作っちゃったから、私物みたいなもんでしょ?新しいの作るにも、うちには布の在庫ないし、どうしたもんかと思ってねぇ。この現物でも構わないって仰ってるんだけど」
店主の言葉に月子はあぁ、と声を上げると、飾ってあるサンプルを手にとって、首を傾げた。無理にとは思わなかったユーリが口を開こうとすると、月子はユーリに笑顔を向けた。
「プレゼントします」
「え?」
店主とユーリは同時に声を上げ、月子の顔を眺めた。すると彼女のニコニコと笑ったまま口を再び開く。
「サンプル今からでもまた作りますし!気に入って頂けたなら貰って下さい!いいですか?店長」
「そりゃ、こっちは別に構わないけど、いいのかい、葛城ちゃん?材料費も手間賃も……」
「はい!……あの、サンプルですけど、まだ一週間も飾ってないんで綺麗だとは思うんですけど……気になるならクリーニングに……」
月子がそう言うと、ユーリは思わず口元を緩め、いや、有難く、と言葉を零す。
「包装しますね!」
そう月子が言うが、ユーリは彼女の手からネクタイをそっと取り上げると、自分のネクタイを外してそれをその場でつける。鏡に向かい、しっかりとしめると、ユーリは小さく、どうだろうか、と聞いてみた。すると、月子は満面の笑みを浮かべた。
「お似合いだと思います!」
「有難う」
そのやりとりを見ながら、店主は少しだけ驚いたような顔をする。月子は裁縫の腕は凄くいいが、センスがどうしようもなく駄目だと店主は思っていたのだ。非常に勿体無いと思いながら、店では、主に店内で行う服の補正作業や、今回のようなサンプル作りをさせていた。デザインや布さえきちんと選んでやれば人並み以上に仕事をやってくれる。ただ、今回のネクタイに関しては、まだネクタイ生地のサンプルが来る前に作らなくてはならなかった事もあり、形や縫い目さえきっちりしていれば良いと彼女に丸投げして出来上がったものであった。適当な時期を見て新しいサンプルを作らせようと思っていたが、彼女のあのセンスを気に入る客がいたことに店主は驚く。オーダーメイドのスーツ等の指示を見るに、普通のセンスの持ち主だと思っていたのだが、人は見かけによらないと、思わず苦笑した。
「気に入って頂けて凄く嬉しいです」
心底嬉しそうに笑う月子を見て、そう悪い気にしなかったユーリは、少しだけ口元を緩めると、店主にも無理を言った事を詫びる。
「いえ、お得意様ですし、葛城ちゃんも喜んでるみたいですから。今後ともご贔屓にお願いします」
そう言うと、カウンターに乗せてあった、スーツの箱を店主は持ってくる。ユーリはそれを受け取ると、もう一度ちらりと鏡に視線を向けて、満足そうに笑った。
店の入口まで月子はついてきて、ユーリを見送った。店員としての行為であろうが、ユーリはいつもなら直ぐに立ち去る所を、月子に視線を落として口を開く。
「ネクタイ、有難うございました」
ユーリの言葉に月子は驚いたような顔を一瞬したが、直ぐに淡く微笑んだ。
「デザイン気に入って下さったのお客さんが初めてで、凄く嬉しかったです」
「……ユーリ・ペトロフです」
思わずそう名乗ったユーリを見上げて、月子は瞳を細めて、はい、と返答した。その顔を見て、ユーリは、言葉を続けることが出来ず、困ったような、情け無いような顔をする。
「えっと、それじゃぁ、ユーリさんとお呼びしていいんですかね?ペトロフさんの方がいいですか?」
「……ユーリの方でお願いします」
「はい。それでは私は月子の方でお願いしますね。今後ともご贔屓に」
別に他に言いたいことがあったわけではない。店員と客の関係であるし、わざわざ名乗る必要も本当はなかったのだと頭では理解している。けれど、以前に月子は自分に名前を言ったのに、自分は正式に名乗っていない事を唐突に思い出して、ユーリは言葉に発してしまったのだ。それに対して月子は不審そうな顔を見せずに、笑顔で対応してくれたのが何となく愉快で、ユーリは口元を緩めた。
「では、また。月子さん」
そう口に出して、ユーリは自分が彼女とまた会いたいと思っていることを漸く自覚した。
「使い道のないNEXT能力だと思ってたんだけどなぁ」
そう呟いて月子は店の前で空を仰いだ。
人の体のサイズが解る能力。どんな服も、補正も全く受け付けない女性泣かせの能力は、今まで大して役に立つ事はなかった。その上、暴走しても本人の頭の中で、そこら辺の人のサイズを表す数字が無造作に浮かぶという、本人以外誰も困らないという非常に平和的なもので、誰にでも出来るのだと勘違いして、ずいぶん長い間この能力がNEXT能力だと気がつかなかった位である。
ただ、スリーサイズのサバ読みなどに気がついてしまうという非常に悲しい能力なので他人には余り言えないでいる。自分が男ならば、世の中に溢れる女性の嘘にきっと絶望していただろうと言う点に関しては、女に生まれて良かったと思わないでもない。
一度だけ実際に見たルナティック。そしていつも店に来るユーリ。スリーサイズだけではなく、調子のいい時は足の指の長さまで解るこの能力で、数値が完全一致した時は驚愕した。偶然の一致は多分ないのではないかと思いながらも、やはりどうなのだろうとずっと考えてはいた。以前ユーリと話をして、ルナティックに対してユーリ自体もそう悪い感情を持っていない所や、ルナティックと同じカラーリングのネクタイを気に入った所を見ると、やはり本人なのかもしれないという、確信に近いものを漸く得て、月子は少しだけ嬉しそうに瞳を細めた。
某企画提出作品
一人だけルナ先生浮いてました
2012 ハスマキ